#塩田千春

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~7 伝統の生業がアート

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~7 伝統の生業がアート

   能登半島の最先端、珠洲市には伝統の生業(なりわい)が息づいている。それをモチーフにした芸術作品が展示されている。地場に古くから伝わる生業の一つが珠洲焼。現在30人ほどの作家が伝統の技法に新たな感性を加えて作品づくりを行っている。芸術祭の作品鑑賞に訪れた際も、「珠洲焼まつり」が開催されていて、20人余りの作家が出品していた。

   作品『漂移する風景』(リュウ・ジャンファ=中国)=写真・上=。珠洲焼は室町時代から地域の生業として焼かれ、中世日本を代表する焼き物として知られていた。そこで、作者は中国の第一の陶都・景徳鎮から取り寄せた磁器の破片と、珠洲焼の破片を混在させ、大陸との交流や文化のあり方を問う作品として仕上げた。2017年の第一回芸術祭では、海から流れ着いたかのように見附島近くの海岸に並べられ、第二回からは珠洲焼資料館に場所を移して恒久設置されている。

   珠洲焼はかつて地域経済の貿易品だった。各地へ船で運ぶ際に船が難破したこともたびたびあったようだ。海底に何百年と眠っていた壺やかめが漁船の底引き網に引っ掛かり、時を超えて揚がってくることがある。古陶は「海揚がりの珠洲焼」として骨董の収集家の間には重宝されている。

   塩づくりも当地の生業の一つ。このブログのシリーズの初回で取り上げた作品『時を運ぶ船』(塩田千春氏=日本/ドイツ)=写真・中=は公式ガイドブックの表紙を飾るなどシンボル的な作品だ。この作品も2017年の第一回芸術祭で制作されたものだが、観賞するたびに感動を覚える。

   作者は珠洲を訪れ、400年続くとされる揚げ浜式塩田にモチベーションを感じ取った。作品名を着想したのは、塩づくりをする、ある浜士(はまじ)の物語だった。戦時中、角花菊太郎という浜士が軍から塩づくりを命じられ、出征を免れた。戦争で多くの塩田の仲間が命を落とし、角花浜士は「命ある限り塩田を守る」と決意する。戦後間もなくして、浜士はたった一人となったが、伝統の製塩技法を守り抜き、珠洲の塩田復興に大きく貢献することになる。技と時を背負い生き抜いた人生のドラマに、作者・塩田千春の創作意欲が着火したのだという。会場のボランティアガイドから聞いた話だ。

   『時を運ぶ船』の赤い毛糸は強烈なイメージだが、珠洲市を含む奥能登では、古くから秋祭りに親戚や友人、知人を自宅に招いてご馳走でもてなす「よばれ」という風習がある。そのときに使われるのが、漆塗りの赤御膳。刺し身や煮付のなどの料理が赤御膳で出てくると、もてなしの気持ちがぐっと伝わってくる。珠洲市の民宿で泊まったときも、夕食で出されたのは赤御膳だった=写真・下=。能登では赤はもてなしのシンボルカラーなのかもしれない。

⇒18日(水)午後・金沢の天気   はれ

★続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~1~

★続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~1~

         能登半島の尖端、珠洲市で開催されている「奥能登国際芸術祭2020+」への2度目の観賞ツアーを企画した。前回は9月4日の開幕と同時に訪れた。16の国と地域から53組のアーティストが参加し、46ヵ所で作品が展示されているが、オープン当時は石川県に新型コロナウイルスの「まん延防止等重点措置」が適用されていて、屋外作品が中心の展示だった。10月1日から措置が解除され、ようやく全作品が公開となり、会期も11月5日まで延長された。2度目の観賞ツアー(今月16、17日)では屋内外の合わせて20点余りを楽しむことができた。

       塩がアートのモチベーションになるとき

   「目にも鮮やか」という言葉の表現があるが、まさにこの作品のことではないだろうか。金沢在住のアーティスト、山本基氏の作品『記憶への回廊』=写真・上=だ。旧の保育所施設を用いて、真っ青に塗装された壁、廊下、天井にドローイング(線画)が描かれ、活気と静謐(せいひつ)が交錯するような空間が演出される。そして、保育園らしさが残る奥の遊戯場には塩という素材を用いた立体アートが据えられている。かつて、園児たちの声が響き、にぎわったこの場所は地域の人々の幼い時の記憶を呼び起こす。

   案内してくれたボランティアガイドの説明によると、作品制作には10㌧もの塩が使われている。なぜ「塩」にこだわるのか。作者は若くしてこの世を去った妻と妹との思い出を忘れないために長年「塩」を用いて、展示空間そのものを作品とするインスタレーションを制作しているのだという。展示後は鑑賞者と共に作品を壊し、塩を海に還すイベントも企画しているという。

   会場入口に作者のメッセージが掲示されていた。作者は金沢から珠洲を13回訪れ、延べ50日かけて創り上げたと記している。最後にこう書き添えている。「私はここを訪れる人たちが、誰もが過ごしたはずの幼い頃の思いを馳せられるタイムマシンのような空間を作りたい。そして出来ることなら、大切な思い出に想いを寄せながら、未来をみつめる機会となってほしい。そう願っています」

           色鮮やかで、そして塩がモチベーションの作品がもう一つある。ドイツ・ベルリン在住のアーティスト、塩田千春氏の作品『時を運ぶ船』=写真・下=。作品制作は前回の「奥能登国際芸術祭2017」のとき。そして作者の名前は「塩田」。珠洲の海岸には伝統的な揚げ浜式塩田が広がり、自分のルーツにつながるインスピレーション(ひらめき)を感じて迷わず創作活動に入ったという。塩砂を運ぶ舟から噴き出すように赤いアクリルの毛糸が網状に張り巡らされた空間。赤い毛糸は毛細血管のようにも見え、まるで母体の子宮の中の胎盤のようでもある。

   ボランティアガイドはもう4年間も作品の説明していて、解説はとても分かりやすく、そして深い。『時を運ぶ船』という作品名は塩田氏が珠洲のこの地域に伝わる歴史秘話を聴いて名付けたのだという。戦時中、地元のある浜士(製塩者)が軍から塩づくりを命じられ、出征を免れた。戦争で多くの友が命を落とし、浜士は「命ある限り塩田を守る」と決意する。戦後、浜士はたった一人となったが伝統の製塩技法を守り抜き、その後の塩田復興に大きく貢献した。技と時を背負い生き抜いた人生のドラマに塩田氏の創作意欲が着火したのだ。

   しばらく「胎盤」の中に身を置くようにして作品を眺めてみる。炎天下で心血を注いでモノづくりをする浜士の心臓の鼓動が聞こえてくるようだった。

⇒17日(日)夜・金沢の天気     はれ