#報道の自由

★「政治的公平」は「報道の自由」を担保するのだろうか

★「政治的公平」は「報道の自由」を担保するのだろうか

   放送法4条の「政治的公平」をめぐる総務省の2015年の行政文書についての国会論議は、何が争点なのか分かりづらい。野党側が追及しているのは、当時の安倍政権が批判的な民放番組を「公平ではない」と圧力をかけるため、政治的公平原則の解釈判断を民放の番組全体ではなく、一つの番組でも判断できるように変更したとの疑惑だ。

   一方、当時の総務大臣だった高市早苗・経済安保担当大臣は今月3日の参院予算委員会で、自身の言動に関する記載については「捏造文書」と否定し、捏造でなかった場合は閣僚や議員を辞職するかを野党側から問われ、「結構だ」と明言した。

   松本剛明総務大臣は今月7日の会見で、この文書が正式な行政文書であると認めている。ただ、13日の参院予算委員会での集中審議で、総務省側の答弁は「作成者の記憶は定かではないが、レクは行われた可能性は高い」「内容は誰も覚えておらず、正確性は答えられない」と答弁。メモの作成者もレクの同席者も内容は覚えていない、というのだ。   

   立憲民主党の小西洋之参院議員が問題提起したのは、78㌻におよぶ行政文書だった。すでにネットでも掲載されているこの文書によると、当時、官邸サイドがTBS系番組『サンデーモーニング』でコメンテーター全員が同じ主張をしていたと問題視したことから、政治的公平原則の解釈変更を総務省に迫ったとの大筋の内容だ。

   実際、2015年5月12日の参院総務委員会で、当時の高市総務大臣は自民議員の質問に対し、「一つの番組のみでも国論を二分するような政治課題について、一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の政治的見解のみを取りあげる」といったようなケースでは政治的公平性を確保しているとは認められない、と答弁している。2016年2月9日の衆院予算委員会でも同様に述べている。ただ、このときの総務省は「従来の解釈に何ら変更はない」との政府統一見解を公表し、高市氏の答弁については「これは『番組全体を見て判断する』というこれまでの解釈を補充的に説明し、より明確にしたもの」と示した。

   では、総務省による民放への圧力はこれまであったのか。民放連会長の遠藤龍之介氏(フジテレビ 副会長)は今月16日の定例記者会見でこう述べている。以下、民放連公式サイトより。

◆記者:政治的公平に関する国会での議論をどのように見ているか。⇒ 遠藤会長:行政文書の真贋について今、精査しているところだと思うのでコメントは控えたい。
◆記者:政治からの独立についてどのように考えているか。⇒ 遠藤会長:放送法は放送事業者の自主・自律を大原則としており、番組内容に関する政治や行政の関与はあってはならないと考えている。
◆記者:野党は補充的解釈を撤回すべきと主張しているがどのように考えているか。⇒ 遠藤会長:議論の端緒が真贋を問われている行政文書であるので、コメントは控えたい。
◆記者:民放各局では動揺や委縮は無いという理解か。⇒ 遠藤会長:2016年の総務大臣答弁以降も、報道情報番組に関わる部分が委縮したとは思っていない。

   上記のように民放連会長は「萎縮」はないと述べている。話がここまで来ると、いったい何が問題なのか、だれが被害者なのか実に見えにくい。そのようなことを国会で議論している。

   一つ言えること。アメリカにもかつてテレビ事業者には「フェアネス・ドクトリン」(公平原則)と呼ばれる原則があった。だが、あらゆる規制緩和を目指した共和党のレーガン政権時代の1987年に廃止した。言論の自由の権利を定めたアメリカ憲法修正第1条に抵触する、とされたためだ。政治的公平であらねばならないという原則こそ、報道の自由を阻害するものだ、との結論だった。いま議論すべきはこのテーマではないだろうか。

⇒18日(土)夜・金沢の天気    くもり

★コロナ禍のオリンピック 報道との二律背反が鮮明に

★コロナ禍のオリンピック 報道との二律背反が鮮明に

   スポーツにはルールや規則というものがあるが、報道には基本的にはそれがない。しかし、ルールや規則に縛られるとなったら報道陣は「報道の自由を奪うのか」と大騒ぎするものだ。NHKニュースWeb版(7月2日付)によると、東京オリンピックにおける新型コロナウイルスの感染防止対策として来日する海外メディアの行動制限について、アメリカのニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど12社が6月28日付で大会組織委員会やIOCに対し、連名で抗議の書簡を送った。東京オリンピックでは、海外メディアを含めた大会関係者は、感染対策を定めた「プレーブック」に基づく行動が求められている。  

   この抗議書簡の原文を見たいと思い、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストの公式ホームページをチェックしたが、見当たらない。そこで、日本のメディア各社のニュースをまとめてみると以下になる。

   抗議の論点は主に2つ。日本と海外のメディアの取材陣にはソーシャルディスタンス(2㍍以上)を守り、ワクチン接種をしてマスクを着用することが前提となっている。しかし、日本人記者には自由な取材が認められているのに、海外メディアの記者には観客へのインタビューや都内での取材が制約される。こうした取材制限は不公平で、外国人記者を標的にした行き過ぎた規制だ。また、スマートフォンの位置情報(GPS)をオンにして知らせることになっているが、このGPS情報がどのように使われるのか不安があり、報道の自由が阻害されないよう、メディア側にもアプリの使われ方を検証する機会を与えよと求めている。

   確かに、大会組織委員会の公式ホームページに掲載されているプレイブック(第3版)「プレス」=写真=では規制が厳しい。7月1日以降の順守項目では、「入国後3日間は自室で隔離しなければならない。毎日検査して陰性であることと、GPSによる厳格な行動管理に従うことを条件に、入国日から取材活動を行ってもよい」、「競技以外に、観客や市中を取材することは認めない。散歩したり、観光地、ショップ、レストラン、バー、ジムなどに行ったりすることも禁止」などと。おそらくアメリカのメディアの記者とすると、まるで言論統制が厳しい共産主義国家のイメージしたのかもしれない。

   これに対し組織委員会は「現下の情勢に鑑みれば、非常に厳しい措置が必要で、すべての参加者と日本居住者のために重要なことと考えている。取材の自由は尊重し、可能なかぎり円滑に取材が行えるようにする」とコメントし、また、GPSについては「監視するものではなく、本人のスマートフォンに記録してもらい、必要な際に同意を得て提示を求めるものだ」と説明している(7月2日付・NHKニュースWeb版)。

   取材の基本は取材対象者へのアクセスにある。さらに、報道の自由は誰にも束縛されない立場を貫くことだ。この意味で、取材・報道の自由と防疫対策の厳格化は「二律背反」なのだ。さらに、アスリートの中から1人でも感染者が出れば、今度は日本のメディアが大騒ぎする。そして、アメリカだけでなく、取材に訪れ、窮屈さを感じる世界のメディア各社は「取材規制はオリンピック憲章に反する」とブーイングを発信するだろう。中には「これはまるで日独同盟だ」と戦前の歴史を持ち出して揶揄するメディアも出てくるかもしれない。この二律背反を共存させる知恵は大会組織委員会やIOCにあるのか。

⇒3日(土)午後・金沢の天気     くもり

☆メディアに相互監視の機能はあるのか

☆メディアに相互監視の機能はあるのか

   記者がなぜこのような行為にいたったのかその背景を知りたい。共同通信社は12日、取材で得た録音データを外部に漏えいしたなどとして、大阪支社の記者を出勤停止7日間、本社社会部の記者を減給の懲戒処分にしたと発表した。1月20日に厚生労働省が開いた大麻などの薬物対策の検討会を、社会部の記者が制限に反して録音。大阪支社の記者の依頼に応じてデータを送った。この記者は外部の6人に音声データを提供するとともに、自身のツイッターに検討会の内容などを投稿した。投稿を見た厚労省が同社に抗議した(2月12日付・時事通信Web版)。
  
   取材で知り得た情報を報道目的以外で流出させるのは記者としての倫理を逸脱する行為である。「取材の自由」は、取材源を秘密にできるという記者の権利だ。今回は、そうした記者の権利とは真逆の行為だ。相手が役所とは言え、規制されていた音声録音をし、さらにその音声データを外部の6人に提供した。

   さらに、問題となるのは、外部の6人とはどのような人物だったのか。録音したのは、厚労省による大麻などの薬物対策の検討会だったので、大麻などの薬物に関わっている、あるいは関心がある人物なのだろうか。そのような人物に厚労省内部の情報を提供したのであれば、記者の倫理逸脱どころか、機密漏洩の犯罪ではないのだろうか。他のメディアは共同通信の記者がどのような人物たちに情報を漏洩したのか報じていない。メディアを監視する権力システムは日本にはない。あってはならない。メディアは相互監視であるべきだ。そうした相互監視は果たして機能しているのだろうか。この一件から疑問に感じる。

   メディアへの疑問はさらにある。新聞や放送、雑誌な220社余りが加盟するマスコミ倫理懇談会の全国大会が2007年9月に福井市で開催され、最高裁の平木正洋総括参事官は「容疑者は犯人だ」という予断を裁判員に与える報道をしないよう配慮をメディアに対して求めた。「一個人の私見」として、捜査段階での報道について6項目を具体的に問題点として挙げた。1)容疑者の自白の有無や内容、たとえば「・・と犯行をほのめかす」という記事表現、2)容疑者の生い立ちや対人関係、3)容疑者の弁解が不自然・不合理という指摘、4)DNA鑑定など容疑者の犯人性を示す証拠、5)容疑者の前科・前歴、6)事件に関する識者のコメント。

   総括参事官が指摘した報道の姿勢はその後、変化しただろうか。確かに、別件逮捕を明確に区別したり、「無罪推定」の原則を尊重したり、「起訴事実」を「起訴内容」としたりなどこれまでの報道とは違う点もいくつかある。ただ変わらないのは、犯人とおぼしき人物を追い込む姿勢は従来通りだ。

⇒15日(月)夜・金沢の天気     ゆき