#唐崎松

★雪吊りの兼六園 雪国の知恵がここにある

★雪吊りの兼六園 雪国の知恵がここにある

    きょう兼六園に立ち寄った。毎年11月1日から樹木に雪吊りが施されているので、その様子も見学したいとふと思い、足が向いた。兼六園に入って、たまたまかもしれないが、インバンド観光客がツアーやグループ、家族連れで多く訪れていた。兼六園がミシュラン仏語ガイド『ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン』(2007)で「三つ星」の最高ランクを得てからは訪日観光客の人気は高まっていたが、2000年の新型コロナウイルス感染の拡大以降はほとんど見かけることがなかった。ようやく水際対策を緩和した効果が出てきたようだ。

   そのインバウンドの人たちが盛んにカメラやスマホを向けていたのは、雪吊りが施された唐崎松(からさきのまつ)だ=写真=。高さ9㍍、20㍍も伸びた枝ぶり。唐崎松には、5つの支柱がたてられ、800本もの縄が吊るされ枝にくくられている。天を突くような円錐状の雪吊りはオブジェのようにも見え、とても珍しいのかもしれない。

   ふと考えたのは、雪国に住まないインバウンドの人たち、あるいは日本人も含めて、なぜこのような雪吊りを樹木に施す必要があるのかと疑問を持つ人々も多いのではないか、ということだ。金沢の雪はさらさら感のあるパウダースノーではなく、湿っていて重い。その理解が前提になければ、雪吊りは単に冬に向けてのイベントにしか見えないだろう。

   金沢では庭木に雪が積もると「雪圧」「雪倒」「雪折れ」「雪曲」といった雪害が起きる。金沢の庭師は樹木の姿を見て、「雪吊り」「雪棚」「雪囲い」の雪害対策の判断をする。唐崎松に施されたのは「りんご吊り」という作業で、柱の先頭から縄を枝を吊る。このほかにも、「幹吊り」(樹木の幹から枝に縄を張る)や「竹又吊り」(竹を立てて縄を張る)、「しぼり」(低木の枝を全て上に集め、縄で結ぶ)など樹木の形状に応じてさまざまな雪吊りがある。

   兼六園では12月中旬ごろまで、800ヵ所で雪吊りが施される。その一つ一つを観察すると、雪から樹木を守る庭師の気持ちや技術や知恵といったものが伝わってくる。

⇒10日(木)夜・金沢の天気    はれ

★兼六園の未来にスタンバイ 名木の後継木

★兼六園の未来にスタンバイ 名木の後継木

   先日兼六園に立ち寄った。本格的な冬を迎える前にすでに雪吊りなどが施されていた。国の特別名勝である兼六園。ミシュラン仏語ガイド『ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン』(2007)で「三つ星」の最高ランクを得ている。広さ約3万坪、兼六園の名木のスターと言えば、唐崎松(からさきのまつ)だ。高さ9㍍、20㍍も伸びた枝ぶり。冬場の湿った重い雪から名木を守るために施される雪吊りはまず唐崎松から始まる。加賀藩の第13代藩主・前田斉泰(1811~84)が琵琶湖の唐崎神社境内(大津市)の「唐崎の松」から種子を取り寄せて植えたものと伝えられ、樹齢190年と推定される。近江の唐崎の松は、松尾芭蕉(1644-94)の「辛崎( からさき )の松は花より朧(おぼろ)にて」という句でも有名だ。

   兼六園の名木のスターであっても、植物はいつかは枯れる。あるいは、台風で折れたり、雷が落ちれば名木の寿命は尽きる。跡地には次なる唐崎松が植えられることになる。兼六園の管理事務所の隣地に唐崎松の世継(よつぎ)がすでにスタンバイしている=写真・上=。事務所では後継木(こうけいぼく)と呼ぶ。幹の根の辺りがくねって、すでに名木の片鱗を感じさせる。この後継木は、かつて加賀藩主がそうしたように、大津市の唐崎の松の実生を植えたもの。「本家」の世継でもある。

   その横に、これも名木のスターである根上松(ねあがりのまつ)の世継が植えてある=写真・下=。根上松は三本の幹をむき出しの根っこが支え、樹齢は210年といわれる。盛り土を徐々に取り除き、カタチづくった松だ。世継の松はこれから盛り土が除かれ、根上松の様相を現すのだろう。

   兼六園と命名したのは、日本史に出て来る「寛政の改革」で有名な松平定信とされる。定信が中国・宋の詩人、李格非の書いた『洛陽名園記』(中国の名園を解説した書)の中に、名園の資格として宏大(こうだい)、幽邃(ゆうすい)、人力(じんりょく)、蒼古(そうこ)、水泉(すいせん)、眺望(ちょうぼう)の6つの景観を兼ね備えていることと記されていたのにヒントを得て「兼六園」と名付けたと伝えられる。

   兼六園の樹木は一代限りではない、何百年という歴史を考えて、未来の歴史を創らなければならない。それを創っていくのはまさに「人力」だ。今回歩いてそんなことを考えた。

⇒16日(木)夜・金沢の天気   あめ