#同時多発テロ

☆「9・11」から21年、アメリカの徹底した対テロ戦争

☆「9・11」から21年、アメリカの徹底した対テロ戦争

   きょうは2001年に起きたアメリカでの同時多発テロ事件「9・11」から21年となる。国際テロ組織アルカイダによるテロは現地時間で午前8時46分だった。ニューヨ-ク・マンハッタンの高層ビル「ワールドトレードセンター」に民間航空機が追突した。日本でも当初、航空機事故としてテレビ朝日の報道番組「ニュースステーション」などは生中継で伝えていた。間もなくして、2機目が同じワールドトレードセンターの別棟に突っ込んできた。世界中の視聴者がテロリズム(terrorism)の目撃者になった瞬間だった。日本人24人を含む2977人が死亡した。

   アメリカは「テロとの戦い(War on Terrorism)」を錦の御旗に掲げ新たな戦いを始める。当時のブッシュ大統領はアフガニスタンで政権を握っていたタリバンが、テロ事件の首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンをかくまっていると非難。同年10月にはアメリカが率いる有志連合軍がアフガンへの空爆を始め、タリバン政権は崩壊する。

   テロとの戦いはオバマ大統領に引き継がれ、2011年5月1日、パキスタンのイスラマバードから60㌔ほど離れた、ビン・ラディンの潜伏先をステルスヘリコプターなどで奇襲し殺害。DNA鑑定で本人確認をし、アラビア海で待機していた空母カール・ビンソンに遺体を移送し、海に水葬した。

   ことし7月30日、アメリカはもう一人の首謀者とされていたアイマン・アル・ザワヒリを潜伏先のアフガンのカブール近郊のダウンタウンで、無人攻撃機に搭載した2発のヘルファイアミサイル(空からの対戦車ミサイル)で攻撃し殺害した。ホワイトハウスでの声明で、バイデン大統領は「Now, justice has been delivered and this terrorist leader is no more.」とアルカイダとの戦いの集結を宣言した。

   これで、対テロ戦争は終わったのか。テロリズムはテロ集団と国家だけではなく、国家と国家という図式もアメリカにはある。ブッシュ大統領が「9・11」の翌年2002年の一般教書演説で述べた「悪の枢軸」がこれだ。それ以前からイランやイラク、北朝鮮などを「テロ支援国家」や「ならずもの国家(rogue state)」などと称して敵視してきた。いまでもアメリカではこの認識は根強い。

   では、日本人はこの「9・11」から何を学んだのだろうか。その後も欧米で自爆テロなどが繰り返され、遠巻きながら日本人もテロに恐怖心を抱き、身構えるようになった。JR駅からゴミ箱が撤去されたのはその一例。2017年には北朝鮮による弾道ミサイル発射を警戒した全国瞬時警報システム「Jアラート」が作動するようになった。

   そのJアラートなどを用いた住民避難訓練について、政府は今月から北海道や沖縄県など8道県の10市町村で実施を再開する(今月10日付・時事通信Web版)。2018年6月に米朝首脳会談が行われて以降、緊張緩和が進んだとして政府は実施を見合わせていた。4年ぶりだ。

⇒11日(日)午後・金沢の天気     はれ

☆バイデンが背負った「9.11」の総仕上げ

☆バイデンが背負った「9.11」の総仕上げ

   あす9月11日はアメリカの同時多発テロから20年になる。2001年9月11日、現地時間で午前8時46分、日本時間で午後9時46分だった。当時、会社から帰宅して、報道番組「ニュースステーション」が始まったばかりの同9時55分ごろにリモコンを入れると、ニューヨ-ク・マンハッタンの高層ビル「ワールドトレードセンター」に民間航空機が追突する事故があったと生中継で放送されていた。食事を取りながら視聴していると、間もなくして、2機目が同じワールドトレードセンターの別棟に突っ込んできた。リアルタイムの映像で衝撃的だった。世界の多くの視聴者が「9・11」テロリズム(terrorism)の目撃者になった。

   その後、アメリカは「テロとの戦い(War on Terrorism)」を錦の御旗に掲げ新たな闘いを始める。当時のブッシュ大統領はアフガニスタンで政権を握っていたタリバンが、テロ事件の首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンをかくまっていると非難。翌10月にはアメリカ主導の有志連合軍がアフガンへの空爆を始め、タリバン政権は崩壊する。大規模な捜索にもかかわらず、ビン・ラディンを捕捉できなかった。

   テロとの戦いはオバマ大統領に引き継がれる。2011年5月1日、パキスタンのイスラマバードから60㌔ほど離れた、ビン・ラディンの潜伏先をステルスヘリコプター「ブラックホーク」などで奇襲し殺害。DNA鑑定で本人確認をし、アラビア海で待機していた空母カール・ビンソンに遺体を移送、海に水葬した。作戦完了の直後、オバマ大統領はホワイトハウスでの緊急声明で、「Justice has been done」と発した。声明はアメリカ東部時間で1日午後11時30分すぎ、日本時間で2日午後0時30分すぎだった、ニュースは世界を駆け巡った。

   バイデン大統領は今年4月、同時多発テロ事件から20年の節目にあたる「9月11日」まで完全撤退すると表明した(4月14日付・BBCニュースWeb版日本語)。ところが8月に入り、アメリカ軍の撤退を見越して、タリバンが首都カブールに進攻し、日本時間の16日朝、政府に対する勝利を宣言した。一方、2014年から政権を担ってきたガニ大統領はまさに「敵前逃亡」で出国し、政権は事実上、崩壊した。

   バイデン大統領は8月31日、国民に向けた演説で、アフガンからのアメリカ軍撤退について、「終わりなき撤退を延長させるつもりはなかった」と述べ、同日までに完了したことを発表した(9月1日付・BBCニュースWeb版日本語)。ブッシュ、オバマ、トランプ、そしてバイデンと4代、20年に渡った「テロとの戦い」がこれで総仕上げとなった。2001年9月11日の衝撃的なシーンをリアルタイムで見ていただけに、歴史的な出来事の結末を見た思いで感慨深い。

⇒10日(金)午後・金沢の天気     くもり

☆同時多発テロとポリティカル・コレクトネス

☆同時多発テロとポリティカル・コレクトネス

          「9・11」から間もなく19年になる。2001年9月11日、現地時間で午前8時46分、日本時間で午後9時46分だった。当時帰宅して、報道番組「ニュースステーション」が始まったばかりの同9時55分ごろにリモコンを入れると、ニューヨ-ク・マンハッタンの高層ビル「ワールドトレードセンター」に民間航空機が追突する事故があったと生中継で放送されていた。食事を取りながら視聴していると、2機目が同じワールドトレードセンターの別棟に突っ込んできた。リアルタイムの映像で衝撃的だった。

   「9・11」をきっかけにアメリカ国民、とくに白人層の深層心理に変化が起き始めたのではないかと考えることある。そのシンボリックな現象の一つが2016年の大統領選挙でのトランプ氏の当選ではなかったか。トランプ氏は「メキシコとの国境に壁を建設」や「不法移民の流入に反対」、「イスラム教徒に対する入国の一時禁止」などを公約に掲げていた。同時多発テロはイスラム過激派「アルカイダ」による犯行だったので、有権者の支持を得るための公約だろうと当時思ったが、そのような単純なことではないようだ。

   1862年9月、大統領のエイブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言を発して以来、自由と平等、民主主義という共通価値を創り上げる先頭に立ってきた。戦後、ソ連や北ベトナムなど共産圏との対立軸を構築できたのは資本主義という価値ではなく、自由と平等、民主主義という共通価値だった。冷戦終結後も、共通価値はマイノリティや社会的弱者の立場に立ち、人種や宗教、性別などに対する寛容さへと深化した。アメリカ社会では、こうした共通価値を創ることを政治・社会における規範(ポリティカル・コレクトネス=Political Correctness)と呼んで自負してきた。

   ところが、同時多発テロをきっかけに、誰もが自由と平等だが、それが誰かの犠牲に上に成り立っているとすれば、それは偽善ではないか、とアメリカ国民、とくにポリティカル・コレクトネスを担ってきた白人層が考え始めた。ポリティカル・コレクトネスは社会規範だが、同時に本音が言えない閉塞感から、窮屈さや疲れを感じさせる。犠牲になっているのはわれわれだ、と。2003年にアメリカを中心とする有志連合が始めたイラク戦争は大量破壊兵器の廃絶を名目とした軍事介入とされた。そこには自由と平等、民主主義という共通価値はすでになかった。そして、トランプ氏はあえてポリティカル・コレクトネスの概念からかけ離れた公約を打ち立て、白人層から支持を得て当選した背景も同様ではなかった、か。

   では、ポリティカル・コレクトネスの犠牲の矛先は、次はどこに向かっていくのか。11月の大統領選なのか。あるいは、対立を深めている中国なのか。

⇒26日(水)午後・金沢の天気     はれ