#北陸新幹線

☆JR金沢駅ドームに能登キリコ 新幹線金沢開業10年と能登復興のシンボルに

☆JR金沢駅ドームに能登キリコ 新幹線金沢開業10年と能登復興のシンボルに

  北陸新幹線の金沢開業は今月14日で10年となった。当時を思い起こすと、その日のマスメディアは新幹線一色だった。朝からテレビはどのチャンネルも中継番組、JR金沢駅周辺の道路では交差点に交通警察官が張り付き、空にはヘリコプターが飛び交うという、一種異様な感じさえした。JR金沢駅周辺は地価が上がり、今もマンションやビルの建設に加え、ホテルの開業が相次いでいる。

  開業10年を迎えた金沢駅前もてなしドームに行くとこれまでにない光景が目を引いた。能登の祭りのキリコだ=写真=。高さ6㍍ほどのキリコで、説明書きには「珠洲市上戸町のキリコ」と紹介されている。上戸のキリコは毎年8月の第一土曜日の地域の祭りに担ぎ出され、鉦や太鼓の響きとともに街中を練り歩く。今回のお披露目は、金沢開業10年のイベントが行われる15日に合わせて、金沢市の呼びかけで珠洲市から出張してきたようだ。それにしてもドームとキリコは風景として悪くない。そして、石川県民はキリコを見ると能登をイメージするので、能登半島地震を忘れてほしくないというメッセージが込められているのかとも思った。

  そのメッセージが込められたキリコ祭りが金沢の中心街で繰り広げられたことがある。去年8月16日にキリコ5基が、ソーレ、エイヤの掛け声とともに担ぎ出され街中を練り歩いた。能登と金沢の神社2社が中心となって企画した、「能登復興祈願キリコ大祭」と銘打った祭礼イベントだった。輪島の神社が能登半島地震で社務所と拝殿の全半壊したため、夏場の大祭の自粛を検討していたところ、ご神体を一時避難で預かっていた金沢の神社からの提案でキリコ祭りが金沢で開催された。担ぎ手には市民や学生、そして輪島市から駆けつけた有志らも参加し、300人が5基のキリコを担いだ。金沢で2次避難している能登の人たちを励まし、能登復興の機運を盛り上げた。

  金沢駅もてなしドームと能登・珠洲のキリコ。北陸新幹線の金沢開業10年を祝うとともに、震災復興をアピールするシンボルとしてこれからもドームで掲げてほしいと願う。

⇒16日(日)夕・金沢の天気    あめ

★能登半島地震 メディアが伝える北陸新幹線と被災報道

★能登半島地震 メディアが伝える北陸新幹線と被災報道

  北陸新幹線が金沢駅から福井県の敦賀駅まで延伸した。地元新聞各紙(17日付)は「新北陸 発進」「春を運ぶ沿線へ復興へ」と一面のフル見出しで取り上げている=写真・上=。地元メディアとすれば北陸新幹線の敦賀開業は久々の明るい話題として大きく伝えたかったのかもしれない。なにしろ元旦からこれまで能登半島地震で災害報道が圧倒的だった。暗いニュースが多い中で明るい話題を。これは読者や視聴者の心理を考えれば自然なことかもしれない。

  きのうの夕方、所用でJR金沢駅に行って来た。日曜日ということもあり。新幹線乗り場などはかなり混雑していた=写真・中=。「これは敦賀延伸の効果かもしれない」と人々の流れを思うと同時に、「能登半島地震は徐々に記憶の片隅に追いやられるかもしない」とも考えた。まったく根拠のない発想なのだが、不安を感じた。

  まもなく17年になる。2007年3月25日、能登半島で震度6強の地震が起きた。時間は午前9時40分過ぎだった。「能登沖を震源するする地震」とNHKニュースは伝え、崩れ落ちた家屋の映像を流していた。輪島市と穴水町を中心に住宅2千4百棟が全半壊した=写真・下=。いま、この2007年の地震のことを思い起こす人は少ないのではないだろうか。

  260年余り前、経済学者アダム・スミスは『道徳感情論』の講義で災害に対する人々の思いは一時的な道徳的感情であり、心の風化は確実にやってくると述べた。そう考えれば、心の風化や記憶の風化は人々の自然な心の営みなのかもしれない。ただ、変らないのは被災地の人々の心情だ。「忘れてほしくない」という言葉に尽きる。被災地の復興は一般に思われているほどには簡単に進まない。この被災地の人々と読者・視聴者の意識のギャップを埋めるために、新聞・テレビメディアには災害発生から定期的に被災地の現状と問題点、そして人々の心情を伝えてほしいと願う。

  「災害は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦)の教訓もある。メディアの定期的な災害報道でこの教訓も生かされる。

⇒18日(月)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

☆北陸新幹線の敦賀延伸 どうする「乗り換え」ストレス

☆北陸新幹線の敦賀延伸 どうする「乗り換え」ストレス

   時間をうまく短縮することを「タイパ」、タイム・パフォーマンスとよく言われる。移動手段での最高のタイパは新幹線だろう。北陸新幹線の金沢・敦賀間が来年3月16日に開業する。ところが、金沢に住む一人として、関西と中京が少々遠くなった気もする。それは「乗り換え」という煩わしさ、ストレスだ。

   北陸新幹線の金沢・敦賀間の開業によるJR西日本の運行計画概要(8月30日付ニュースリリース)=図=によると、金沢と大阪方面を結ぶ特急「サンダーバード」、そして、名古屋方面を結ぶ特急「しらさぎ」は敦賀止まりとなる。金沢から北陸新幹線に乗って大阪に行く際は敦賀でサンダーバードに乗り換え、名古屋に行く際も敦賀でしらさぎに乗り換えになる。時間は短縮されるだろうが、これまで直行だった列車が、乗り換えとなると不便さを感じるのではないだろうか。もちろん、当初から予定されていたことであり、いまさら言うのも適切ではないかもしれない。

   この乗り換えによって、戸惑っているのは関西や中京の客が多い北陸の温泉街ではないだろうか。「関西の奥座敷」とも呼ばれる加賀温泉郷(山中、山代、片山津)へはサンダーバードやしらさぎで関西や中京と直行列車で結ばれているが、来年からは乗り換えの手間が客に煩わしさを感じさせるのではないだろうか。(※イラストは、敦賀市役所公式サイト「新幹線敦賀駅前広場のイメージ図を作成しました!」より)

   懸念を深めているのは能登半島の代表的な温泉地である七尾市の和倉温泉かもしれない。現在、1日1往復だけだが、サンダーバードが大阪駅から乗り入れている。来年3月からは、関西の客は敦賀で新幹線「つるぎ」に、金沢で特急「能登かがり火」にと2度の乗り換えとなる。JRでは能登かがり火について、1往復増やして5往復で対応するとしているものの、2度乗り換えで客側に時間や不便さを感じさせるのではないだろうか。一方で、温泉への旅の感覚では乗り換えはそれほど苦にはならないかもしれない。

   この乗り換え問題にJRはどう対処するのか。地元メディアによると、金沢駅では新幹線ホームに向かって横に移動する必要があるが、敦賀駅では3階にある新幹線駅の真下、1階に在来線特急が到着する。上下の移動だけでホームを移動できるため、乗り換え時間は5分ほど。この仕組みの実現のため、敦賀駅舎は整備新幹線では最も高い37㍍となった(2023年3月16日付・北陸中日新聞)。まさに12階建てのビルに匹敵する。
 
   京都・大阪方面への北陸新幹線の延伸計画は、2046年度に新大阪開業が予定されている。それまで、敦賀乗り換えは、出張するサラリーマンにストレスを与え続けることになるに違いない。折に触れて、このテーマを検証してみたい。
 
⇒21日(木)夜・金沢の天気    くもり

★金沢名所めぐり~「金沢の玄関口」鼓門とドームの威容~

★金沢名所めぐり~「金沢の玄関口」鼓門とドームの威容~

   JR金沢駅に到着した知人たちを乗用車で迎えに行くとき言葉は決まって、「鼓門(つづみもん)の下で待ち合わせ」である。個人的というより、市民の間ですっかり馴染んだ言葉ではないだろうか。何しろ、鼓のカタチをした、高さ14㍍ほどの2本の太い柱に支えられた門構えは圧巻である=写真・上=。待ち合わせ場所としてはとても目立つ。列車で金沢を訪れた知人たちは必ずといっていいほど、ここで記念写真を撮影を。そして、「JRはすごい投資をしているね」と。

   「鼓門」のデザインのもととなっているのが、金沢で盛んな伝統芸能である能楽「加賀宝生」の鼓とされる。そして、鼓門とセットになっているのが、3019枚の強化ガラスで造られた「もてなしドーム」=写真・下=。中は広場になっていて1万9400平方㍍(東京ドームの半分足らず)の広さ。ドームのサイドにバスターミナル、タクシー乗降場などが連なる。雨や雪の多い金沢で、「駅を降りた人に傘を差し出す、もてなしの心」を表現したドームだ。鼓門とドームは2005年3月に完成し、その10年後の2015年3月に北陸新幹線の金沢開業が始まる。で、この金沢駅東口広場を整備したのはJRではなく金沢市で、投資額は170億円にもなった。

   JRは民営化(1987年)以降、徹底したコスト主義を経営の柱に据えていて、金沢だからと言って特別なフォルムの駅はつくらないし、つくれないのである。北陸新幹線の駅はどの駅ものっぺりしとした、ワンパターンの建物である。そこで、金沢市が先手を打って、駅の玄関口に170億円を投じた。「金沢の玄関口」に見合う立派な母屋=駅をつくってほしいとのメッセージをJRに対し送ったのだった。

   この投資がなく、金沢駅をのっぺりとした新幹線駅にしていたら、JRと同時に行政にも批判が沸き起こっていたに違いない。一方で、「新幹線の駅が完成していないのに、170億円もの税金を先行的に投入してよいのか、他に税金を回すべきではないのか」といった議論も議会で白熱した。

   結果論で言えば、先行投資は奏功した。東京駅で赤煉瓦の駅舎をイメージするように、鼓門とドームが金沢駅のシンボルにもなった。また、2011年にアメリカの旅行雑誌「TRAVEL + LEISURE」の「世界で最も美しい駅」14の一つに選ばれた。鼓門の写真とともに掲載された記事では「未来観を醸し出したデザインの玄関」をその理由にあげた。ちなみに、1位はベルギーのアントワープ中央駅。2位はイギリスのセント・パンクラス駅などで、金沢駅は6位。こうした効果もあって、2012年ごろから欧米からのインバウンド観光客が徐々に増え始め、2015年の北陸新幹線の開業でさらに増えることになる。

⇒5日(日)夜・金沢の天気      くもり

☆「金沢嫌い」と石川県知事選

☆「金沢嫌い」と石川県知事選

   けさの朝刊の一面見出しは、全国紙は「ロシア、ウクライナ進攻」、そして地元紙は「知事選 5新人立候補」だ=写真=。ウクライナ情勢めぐり世界をウオッチすると同時に、地元石川の将来のありようを知事選の各候補者の主張を読み解きながら考えるチャンスでもある。3月13日が投開票日で、金沢市長選もこの日に重なる。市長選もまた話題満載だ。

   地元に住む者として、知事選をめぐるポイントをいくつか点検してみたい。全国的に見れば、金沢市は百万石の伝統を現代に伝える優美な街というイメージで、観光需要は北陸新幹線の金沢開業(2015年3月)以来さらに高まった。石川の県庁所在地であり、市の人口は46万人と北陸3県(石川、富山、福井)でもっとも大きい。都市の強みや魅力など、いわゆる「都市力」を評価した2021年度版「日本の都市特性評価」(森記念財団都市戦略研究所)でも、神戸市、仙台市に次いで8位に金沢市がラキングされ、毎年全国ベスト10に入っている。

   では、「政治力」はどうか。金沢を中心に県内はまとまっているのか。金沢の市長がその政治手腕を県知事として発揮したことはあるのか。この59年間、15期にわたって知事を務めたのは中西陽一氏(故人)、谷本正憲氏の2人で、ともに官僚出身で副知事だった。官僚出身の知事は堅実に地域課題に取り組み、成果を出すという行政能力を請われて知事に擁立されるケースは全国的にも多いが、石川はその典型的なケースと言えるかもしれない。1947年4月に公選による知事選が始まって以来、金沢の政治家が知事となって県政を束ねたことはないのだ。

   県外の人が上記の話を聞けば、おそらく「えっ、なぜ」と驚くかもしれない。以下、想像を膨らませて書く。石川は能登、金沢、加賀の3つの地域に分かれていて、それぞれに独自の文化や歴史、それに基づく言葉がある。実はこうした文化風土の違いが、能登と加賀の人々の「金沢嫌い」を生んでいる。もう20年も前になるが、金沢市長が隣接の町長に合併を呼びかけたものの振られた。町長はその後再選されているので、自身は民意だったと解釈している。

   金沢のどこが嫌われるのか。日本史でも教わるように、戦国時代の北陸は「百姓の持ちたる国」として浄土真宗の本願寺門徒が地域を治めていた。その後、戦国大名・前田利家を中心とした武家集団が金沢に拠点を構えた。金沢の人は日常の言葉として「そうしまっし」と語尾にアクセントをつけて念を押すように話す。武家社会の上意下達の名残とも言えるが、初めて聞く人にとっては「上から目線」を感じることもある。金沢の観光パンフでよく使われる「百万石」。かつての栄華をいつまで誇っているのかと揶揄する向きもある。能登や加賀からの目線で、金沢はどこか「異質」に映る。

   とは言え、産業の集積など都市力で金沢は群を抜いている。県内の他の地域からすれば、やっかみや憧れが入り混じる。歴代の知事はそうした県民感情を巧みに政策として活かし、「能登と金沢・加賀の格差是正」をスローガンに能登半島の道路網などインフラ整備を積極的に進めてきた。知事選の候補者に必要なのはこうした地域の機微を理解した上でのバランス感覚なのだと感じている。

⇒25日(金)午後・金沢の天気      はれ

☆季節は移ろう、冷麺は消え台風シーズンに

☆季節は移ろう、冷麺は消え台風シーズンに

   北陸は高気圧に覆われたせいで、きょう5日も30度を超える暑さ、金沢では33度だった。昼ご飯に冷麺を食べようと、近くのラーメンチェーン店に入った。注文すると、店員が「冷麺はもう終わりました」と。思わず、「こんなに暑いのに冷麺を終わりにするなんて」と言うと、「ざるラーメンはありますが、いかがですか」と。そう言われると、こちらも少々ムキになって、「野菜ラーメンのしょうゆ味をください」と熱いものを注文した。

   チェーン店なので材料の調達は一元化されていて、9月のメニュー替えで夏物の冷麺を外したのだろう=写真・上=。これだけきつい残暑が続いているのだから、運営する会社側も臨機応変に対応してはどうかと。たまたま隣の席に腰かけたシニアの男性も「冷麺を」と店員に同じようなことを言っていた。笑い話のようだが、冷麺が消えて季節の移ろいというものを感じた。

            秋の訪れとともに台風がやって来た。北陸は今のところ台風10号の影響はないが、中心気圧が920ヘクトパスカルに達し、中心付近の最大風速は50㍍、最大瞬間風速は70㍍と強烈だ。気象庁は「記録的な暴風、高波になる恐れがある」と警告している(9月5日付・NHKニュースWeb版)。地震はマグニチュード、台風はヘクトパスカルでその大きさが判断できる。子どものころからよく耳にした、1959年の伊勢湾台風は「929ヘクトパスカル」だった。その伊勢湾台風より、さらに強烈なのが今回の台風10号だ。

   台風と言えば、去年10月13日、死者・行方不明者100人を出し、北陸新幹線120両を水没させた、あの台風19号が日本に近いづいてきたときが945ヘクトパスカルだった。北陸に住む自身にとっては、千曲川の堤防決壊で長野市にある新幹線車両センターの北陸新幹線の車両が水に浸かった画像はショックだった=写真・下=。

   そして、新型コロナウイルスの感染拡大は止まない。石川県の発表(5日)で新たに16人の感染が確認された。そのうちの13人が、兼六園と道路を挟んだ隣にあり、土塀に囲まれた総合病院「金沢医療センター」での感染者だった。同病院の関連感染者は44人となった。ある意味で金沢のシンボリックな医療機関だけに、クラスターの拡大はショッキングではある。

⇒5日(土)夜・金沢の天気      はれ