#冬来たりなば春遠からじ

★寒波襲来に雪国は耐える 「冬来たりなば春遠からじ」

★寒波襲来に雪国は耐える 「冬来たりなば春遠からじ」

   「10年に一度のレベルと言われている強烈な寒波が襲来し、きょう日本海側では大雪による災害に警戒が必要です」とテレビのニュースや情報番組では何度も繰り返されている。少々聞き飽きた感がある。雪国に住んでいると、これが当たり前だからだ。寒波は2波、3波とやってくる。強烈な寒波は昔から「冬将軍」と称して、メディアに言われなくても身構える。

   メディアがしつこく報道するのは、日本海側の大雪もさることながら、太平洋側にも雪雲が流れ首都圏などでの積雪が予想されるからだろう。日ごろ雪が降らない都市では少しの雪でも、生活を直撃する。スノータイヤを履いていない車はスリップ事故が起きる。電気や水道などの生活インフラにダメージが起きる。さらに、配送など物流が滞る。

   今回の寒波で身の回りのことを言えば、あす25日に出席予定だった金沢での会議が延期になった。きょう午後4時ごろ、風雪の中で車を運転すると、マイナス3度となっていた。そのせいで、フロントガラスやバックミラーになどに雪がこびりついて運転に危なさを感じたので=写真=、ほどなくして自宅に引き返した。

   北陸ではこうした強烈な寒波に備えて、乗用車をスノ-タイヤに履き替え、庭木には雪吊りを施してリスクに備えている。ただ、雪国で慣れているとはいえ、屋根雪下ろしは滑って落ちることもあり緊張する。屋根に1㍍余りも雪が積もると、天上からミシッ、ミシッと音がすることもあり、これも緊張する。

   夕方のテレビニュースによると、ヤマト運輸が猛烈な吹雪により高速道路の通行止めなどが見込まれることから、石川県など北陸3県と新潟県で荷物の配送や集荷を停止した。また、石川県内のほとんどの自治体で、あす25日は小中学校の臨時休校を決め、多くの県立高校も臨時休校を予定している。

   金沢地方気象台は雪のピークについて24日夜から25日朝にかけてと予想している。寒波襲来、冬本番だ。「冬来たりなば春遠からじ」(イギリスの詩人シェリー)の言葉を思い起こしながら、雪国に人々はこの季節を耐える。

⇒24日(火)夜・金沢の天気    ふぶき

★静かなる年末年始(8)「冬将軍と向き合う」

★静かなる年末年始(8)「冬将軍と向き合う」

   大晦日の雪景色が広がる。自宅周囲では正午過ぎに15㌢の積雪があり、きょう午後から元旦にかけてさらに「数年の一度の大雪」になるとの予報。大雪をともなった寒さが厳しい冬、まさに「冬将軍」の到来だ。

   北陸の人々は、長期予報で「ことしは暖冬」と伝えられていても、冬将軍の訪れに備えて自家用車のタイヤをスタッドレスに交換し、自宅では庭の雪吊りの備えを怠らない。たとえ期間は短くとも、冬将軍は必ずやってくるからだ。

   逆に、冬将軍が来ないと雪すかし(除雪)をしなくて楽なのだが、別の不安感もよぎる。暖冬だったある年に久しぶりに雪が降った。そのときのご近所さんとの会話だ。「ようやく降りましたね」と声がけすると、「もうちょっと降ってもらわんと心配やね」だった。北陸人にとっては降るべき時に降ってもらわないとこれからのシーズンで異常気象が起きるのではないかと不安が募るのだ。

  この季節感覚はなんだろう。北陸は四季がはっきりとしているからだと考える。日常の暮らしに季節の風景の変化があり、雪や雨の多少や温度や湿度の高低差がある。視野と肌感覚が実に敏感になっているのだろう。

  北陸人は粘り強いとか、めげないなどと評価されることがままある。「冬来たりなば春遠からじ」(イギリスの詩人シェリー『西風に寄せる歌』より)は北陸ではこの時節によく使われる言葉だ。辛いことがあっても辛抱しよう、そのうち良いことがあると心に言い聞かせながら耐え忍ぶ。季節感覚がそのような精神風土を育んでいるのかもしれない。

          ところで、民放テレビで気象ニュースを視聴していると、キー局の気象予報士が「吹雪で見通しが悪くなりますので、不要不急の外出は控えてください」といったコメントを繰り返している。新型コロナウイルスの感染を意識したようなコメントに聞こえ、違和感が残る。吹雪であっても小学生は学校に通っている。雪国で暮らす者にとっては余計なお世話と言いたくなる。言うのであれば、「スノータイヤに履き替えていない車での外出は控えてください」だろう。コメントに現場感を持たせてほしいものだ。雪国の人々は冬将軍と向き合って暮らしているのだ。

⇒31日(木)午後・金沢の天気    ゆき