#倒壊した五島屋ビル

☆酷暑は続く37度 なぜ7階建てビルはゴボウ抜きで倒壊したのか

☆酷暑は続く37度 なぜ7階建てビルはゴボウ抜きで倒壊したのか

  二十四節気の一つ「処暑」のころだが、暑さが和らぐどころか猛烈な暑さがきょうも続いている。金沢の自宅近くにある街路樹通りの気温計は「37度」を示していた=写真・上、午前11時51分撮影=。「暑さ寒さも彼岸まで」と伝えられているが、秋の彼岸の中日とされる秋分の日(9月22日)ごろまでに暑さが収まるのかどうか。

  元日の能登半島地震で、ある意味で震災のシンボルとなっているのが輪島市中心部で倒壊した漆器製造販売業「五島屋」の7階建てビルだろう。その倒れ方は壮絶だ。地面下に打ち込んで固定されていたビルの根っこ部分にあたるコンクリートと鉄による杭(くい)の基礎部分がまるでゴボウ抜きしたようにむき出しになっている。まったくの素人目線なのだが、バランスを崩して根っこから倒れた、そんなように見える=写真・下、2月5日撮影=。

  その五島屋ビルを解体する方向で動き出している。けさの新聞メディア各社の報道によると、公道の一部を塞いでいるビルの上層階部分から段階的に解体を進めていく。しかし、公費解体を進める輪島市役所によると、年内に着手はするものの、本格的な解体作業は年明け以降になるようだ。その遅れの理由となっているのが、ビルが倒れた原因についての調査だ。倒壊によってビルに隣接していた、3階建ての住居兼居酒屋が下敷きとなり、母子2人が犠牲となった。押しつぶされた店の男性店主はビル倒壊の原因の調査を国や市に求めていて、原因が明らかになるまでは撤去しないよう申し入れている。遺族の思いとすれば、ゴボウ抜きのような倒れ方に納得がいかないのだろう。

  一部報道によると、2007年3月25日の能登半島地震でもビルが揺れ、五島屋の社長は以来、ビルの耐震性を気にしていた。実際、地下を埋めて基礎を強化する工事も行っていた。それが倒壊したとなると、社長自身もビル倒壊に納得していないのではないか。

  7階建てのビルは築50年。なぜ、震度6強の揺れに耐えきれずに根元から倒れたのか。今後、調査によってビル倒壊の原因が分かってくれば、責任の所在もおのずと明らかになるだろう。現地では、国交省が外観や基礎部分の調査に着手し、近くボーリング調査などが始まる。

⇒23日(金)午後・金沢の天気   はれ

★「金継ぎ」の発想で能登復興の10年先、20年先をつなぐ

★「金継ぎ」の発想で能登復興の10年先、20年先をつなぐ

   輪島市や珠洲市など能登半島地震の被災地をめぐると、これまで行き来した能登での思い出などが蘇って来る。輪島で倒壊した7階建ての建物は、輪島塗の製造販売(塗師屋)の大手「五島屋」のビルだ=写真・上=。倒壊した内部の様子を外から見ると、グランドピアノが横倒しになっている。展示場で飾られてあった、輪島塗のピアノだろうと察した。

   もう40年も前の話だが、当時、新聞記者として輪島支局に赴いた。そのとき、当時の社長の五島耕太郎氏(1938-2014)と取材を通じて知り合った。チャレンジ精神が旺盛で、「ジャパン(japan)は漆器のことなんだよ」と言い、海外での展示販売などに積極的だった。また、「輪島塗は器や盆だけじゃない。ピアノも輪島塗でできる」と話していたことを覚えている。バブル景気の走りのころで、輪島塗業界には勢いがあった。その後、五島氏は1986年に輪島市長に就き、3期12年つとめた。そして漆器業界はバルブ経済絶頂には年間生産額が180億円(1991年)に達した。横倒しになったグランドピアノはそんなころに作られたものかと憶測した。

  話は変わるが、輪島塗は塗り物だが、焼き物との接点もある。「金継ぎ」と呼ばれる、陶器の割れを漆と金粉を使って器として再生する技術のこと。2022年1月に珠洲市の国際芸術祭の会場の一つ「スズ・シアター・ミュージアム『光の方舟』」にある大皿にも金継ぎが施されていた。松の木とツルとカメの絵が描かれ、めでたい席で使われたのだろう。それを、うっかり落としたか、何かに当てたのだろうか。中心から4方に金継ぎの線が延びている=写真・下=。大正か昭和の初めのころの作か。金継ぎの皿からその家のにぎわいやもてなし、そして「もったいない」の気持ちが伝わってくる。  

  「kintsugi」という言葉が世間に、そして世界に広がったきっかけは、東京パラリンピックの閉会式(国立競技場・2021年9月5日)でアンドリュー・パーソンズ会長が発した言葉だった。日本の金継ぎの技術について、「不完全さを受け入れ、隠すのではなく、大切にしようという発想であり素晴らしい」と述べた。その背景には、サステナビリティやサーキュラーエコノミー(循環型経済)を各国が推し進めていることもある。

  輪島で受け継がれている金継ぎ技術から連想するのは、震災で壊れた能登の復興だ。壊れた皿に漆と金箔を使うことでアートを施して芸術的価値を高める。能登の復興も単なる復興ではなく、不完全さを受け入れながらも住み易さや、未来への可能性を確信させる街づくりに向っていく。金継ぎの発想で能登の復興の10年先、20年先をつなぐ。そうあってほしい。

⇒13日(土)午後・金沢の天気    はれ