#世界農業遺産

★「奥能登あえのこと」田の神は何想う 耕す田んぼが激減

★「奥能登あえのこと」田の神は何想う 耕す田んぼが激減

  能登半島地震で伝統的な農村文化が失われるのではないか、そんな危機感が漂っている。前回ブログで、輪島市にある白米千枚田で多数のひび割れが入ったことから、1枚でも多く棚田を耕すことで復興の希望につなげたいと地元の愛耕会のメンバーが当初予定していた60枚を120枚に増やして田植えにこぎつけたいきさつを紹介した。

  白米千枚田は2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連世界食糧農業機関から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な存在。こうした評価の重荷を背負いながら愛耕会のメンバーは努力を重ねたものの、それでも「1000分の120」にとどまった。

  さらに、危機感を漂わせる事例がある。農耕儀礼の「あえのこと」。奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の農家の家々では、田んぼの実りに感謝し、目が不自由とされる田の神をごちそうでもてなす行事がある。1976年に国の重要無形民俗文化財に指定され、2009年に単独でユネスコ無形文化遺産に登録されている。千枚田と同じく能登の世界農業遺産のシンボル的な行事でもある。(※写真は、能登町「合鹿庵」で執り行われた農耕儀礼「あえのこと」。田の神にコメの出来高などを報告する農業者=2016年12月5日撮影)

  この農耕儀礼は各農家がそれぞれの家で行う行事であり、一般公開を前提としたものでも義務でもない。そのため、世代の替わりで儀礼の簡略化や止める農家が多く、農耕儀礼の継承そのものが希薄となっていた。そこに地震があり、奥能登では農地の亀裂など538件、水路の破損655件、ため池の亀裂や崩壊が165件、農道の亀裂や隆起などの損壊が398件に上った(3月26日時点・石川県農林水産課のまとめ)。このため、奥能登の田植えの作付面積は去年の2800㌶から1600㌶に落ち込む見通しとなった(同)。

  田んぼを耕さなければ農耕儀礼はない。田の神はこの奥能登の現実をどう想っているだろうか。

⇒13日(月)夜・金沢の天気    くもり

★春耕迎えた能登 つくれる田んぼは6割、畑は5割

★春耕迎えた能登 つくれる田んぼは6割、畑は5割

☆能登半島地震 遺産と伝統文化の気がかりな行く末

☆能登半島地震 遺産と伝統文化の気がかりな行く末

   石川県は昨夜から雨続きで、気象庁は能登の輪島市、珠洲市、七尾市、中能登町に大雨警報を発表し、きょう10日夕方にかけて雨や雪解け水により土砂災害の危険度が高まると注意を呼びかけている。メディア各社の報道によると、県は震災による死亡を203人(10日午前9時現在)、このうち地震や津波が直接的な原因でない、いわゆる災害関連死が7人と発表した。

   先日、能登町の実家に行く際、う回路の穴水町を経由した。道路はどこもかしこもヒビ割れて隆起し、傾いていまにも崩れそうな家屋も多い。のと鉄道「穴水駅」近くにある穴水大宮の前を通ると、鳥居や手水舎(てみずしゃ)が無残にも崩れ落ちていた=写真=。毎年9月に大宮などを中心に盛大なキリコ祭りが開催される。神輿やキリコ、山車などが曳き出され、提灯や奉灯で長い光の帯ができ、イヤサカヤッサイ、サカヤッサイと男衆の掛け声も勇ましく、笛と鉦、太鼓の囃子が町中に響き渡る。崩れた鳥居や周囲の家屋を眺めると、能登の伝統のキリコ祭りは今後どうなるのかと気がかりになる。

   珠洲市で木炭製造会社を経営する大野長一郎氏と連絡がつき電話で話した。伝統的な炭焼きを今も生業(なりわい)としている県内で唯一の事業所で、付加価値の高い茶道用の炭の生産に力を入れている。自宅と作業場は市内の山中にある。被害を尋ねると、「3つある(炭焼き)窯は全滅です」と。

   茶道用の炭は切り口がキクの花模様に似ていることから「菊炭」とも呼ばれ、炉や風炉で釜の湯を沸かすのに使う。クヌギの木を材料としていて、大野氏の菊炭はススが出ず、長く燃え、燃え姿がいいと評価が高く、全国から茶人が炭窯を見学に訪れている。大野氏は日本の茶道文化の一端を担えてうれしいと話していただけに、窯の全壊による落胆の様子が電話からも伝わってきた。

   能登の里山里海に伝承される農業や漁業、林業が国連食糧農業機関の世界農業遺産(GIAHS)に認定されたのは2011年6月のこと。FAOによる日本で初めての国際評価で、輪島の千枚田はそのシンボルだ。その千枚田に震災によって多くのヒビ割れができていると地元紙が伝えている(5日付・北國新聞Web版)。もともとこの地は地滑り地帯で、地元で語り継がれる「大(おお)ぬけ」と呼ばれる大規模災害が1684年(貞享元年)にあった。今でいう深層崩壊だ。その土砂崩れ現場を200年余りかけて棚田として復元したことから、「農業のレジリエンス(復興)」としてFAOは高く評価している。それが棚田に多くのヒビ割れとなると水耕栽培は当面は難しいかもしれない。

⇒10日(水)午後・金沢の天気   あめ

☆世界遺産めざす「佐渡金山」の価値とは

☆世界遺産めざす「佐渡金山」の価値とは

   ユネスコ世界文化遺産への登録を目指す「佐渡島の金山」をめぐって、ユネスコ側から推薦書類の不備が指摘され、来年の登録が困難になっている問題。さらに、霊感商法や献金強要によって巨額の金を集めが問題となっている「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)の名称変更をめぐる問題。所管する文科省と文化庁にとってはダブルパンチに違いない。

   去年10月、佐渡市で世界農業遺産(GIAHS)認定10周年記念フォーラムが開催され、個人として参加した。国連食糧農業機関(FAO)から2011年6月、日本で初めて佐渡と能登がGIAHS認定を受け、10年経ったことを記念するイベントだった。2泊3日のスケジュールの最終日にはエクスカーションがあった。

   ツアーのテーマは「佐渡GIAHSを形成したジオパークと佐渡金銀山、そして農村の営み」。佐渡の金山跡に入ると、ガイドの女性が詳しく説明してくれた。島内には55の鉱山があり、江戸時代から約390年間に産出された金は78㌧、銀は2330㌧に上った。佐渡金山は幕府直轄の天領として奉行所が置かれ、金銀の採掘のほか小判の製造も行われた。鉱山開発の拠点となった佐渡には国内各地から山師や測量技術者、労働者が集まった。最前線で鉱石を掘ったのは、「金穿大工(かなほりだいく)」と呼ばれた採掘のプロだった。

   鉱山特有の難題があった。地下に向かって鉱石を掘れば水が湧き出るため、放っておけば坑道が水没する。そこで、手動のポンプ「水上輪(すいしょうりん)」が使われた。紀元前3世紀にアルキメデスが考案したとされるポンプを応用したもので、ヨーロッパで開発されたものが幕府経由で佐渡にもたらされた。水を汲み上げて排水溝に注ぐ水上輪だが、ハンドルを回すのは相当な力仕事。水上輪だけでなく、桶でくみ上げる作業も必要となる。そうした坑道の排水作業は「水替人足(みずかえにんそく)」の仕事だった。

   そこで、ガイドの女性に質問した。「水替人足はどんな人たちだったのですか。島流しの人たちですか」と。すると、ガイドは「佐渡金山は流刑の地ではありません。水替人足は無宿人(むしゅくにん)と呼ばれた人たちが行いました。無宿人は凶作や親から勘当を受けるなどさまざまな理由で故郷を離れ江戸や大阪にやってきた人たちで、江戸後期(安政7年=1778)から幕末までの記録で1874人が送られてきたそうです」と。重い罪で島流しになった「流人」とは異なる人たちだった。

   島の農民はコメに限らず換金作物や消費財の生産で安定した生活ができた。豊かになった農民は武士のたしなみだった能など習い、芸能も盛んになった。現在でも島内に能舞台が33ヵ所もあり、国内の能舞台の3分の1が佐渡にある計算だ。

   世界文化遺産「佐渡島の金山」として申請対象になっているのは「西三川砂金山」と「相川鶴子金銀山」の2ヵ所。金銀の生産体制と技術に関して道具や記録、そして採掘された坑道が記録として残っている。さらに、鉱山と集落が「遺跡」として一体化して現存していることで世界遺産の価値が高まる。

   申請で問題もあった。対象時期を「戦国時代末~江戸時代」とした点だ。これまで報道があったように、この鉱山に戦時中、朝鮮半島からの人たちが強制労働をさせられたと韓国側からクレームがあった。もし、そのような歴史があるのであれば、無給で強制だったのか、有給だったのか、労働条件・待遇など、文書など記録を記載して、再申請すればよいのではないか。

   明治・大正、そして戦時下を経て、平成元年(1989)に資源枯渇のため長い歴史の幕を閉じた。最盛期の江戸時代だけではなく衰退に向かう歴史的事実もすべて説明したほうがよいのではないか。世界文化遺産は栄枯盛衰の歴史そのものに価値があるのではないだろうか。

⇒3日(水)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

☆スペクタルな能登が「里山里海国定公園」に

☆スペクタルな能登が「里山里海国定公園」に

   能登半島の海岸沿いには景勝地が連なっていることから、1968年に「能登半島国定公園」に指定されている。景勝地の特徴は大きく2つある。「外浦」と呼ばれる波風が荒い、千里浜海岸から能登金剛、曽々木海岸、木ノ浦、禄剛崎かけての西側エリアだ。禄剛崎は半島の尖端で、東側エリアに入ると「内浦」と呼ばれる波風が静かな、見附島や九十九湾、穴水湾、七尾湾、氷見海岸と連なる。まさに動と静が織りなすリアス式海岸の絶景だ。

   中でも自然のスペクタルショーを目にすることができるのは輪島市の曽々木海岸だ。秋の夕方、窓岩で知られる海に突き出た岩石の穴に夕日が差し込む。岩の穴と夕日がちょうど同じ大きさで、すっぽり収まったときは思わず拝みたくなるような神々しさだ=写真・上=。5分間ほどの光景である。

   前置きが長くなった。きょうの地元紙の朝刊は、海岸線が中心だった能登半島国定公園に内陸部の里山を含め広げる拡張候補地として選ばれたと、環境省の発表を報じている=写真・下=。その選定理由について、環境省公式サイト「国立・国定公園総点検事業フォローアップ結果について」(6月14日付)では以下のように記載されている。

「既存の国定公園周辺には、棚田や谷地田、塩田、まがき集落景観がみられ、気候や地形といった自然条件に適応した人の営みが里山の風景を形作っている。こうした人と自然との関わりが評価され、国内初の世界農業遺産に登録されている」「地域は昆虫類が豊富で、シャープゲンゴロウモドキをはじめとした二次的自然環境に依存する希少種も生息・生育し、生物多様性が高く、トキの本州最後の生息地であった」「これらの里山域は、隣接する既存の国定公園の風景を成す一体の要素と考えられる」

    能登半島は2011年に世界農業遺産(GIAHS、FAO国連食糧農業機関)に認定されていて、里山里海が一体化した風景は国際評価を得ているとの理由だ。生物多様性に富んだ能登では、ため池で見られるシャープゲンゴロウモドキなど希少種も多い。そして、本州最後のトキの生息地であったと記されている。ちなみに、本州最後のトキが絶滅したのは1971年、国定公園に指定されて3年後のことだった。

   今回の拡張候補地の選定によって、能登の里山里海そのものが国定公園化する。環境省は2030年度をめどに地元自治体とともにどの里山区域を指定するか作業を進める。今回の拡張候補地の選定で、環境省が進めている2026年度に向けた本州でのトキ放鳥の候補地としてさらに弾みがついたのではないだろうか。ブログ(6月12日付)でも紹介したコウノトリのひな3羽も能登で育っている。トキもコウノトリも国の特別天然記念物だ。人々に見守られて国定公園で羽ばたく日を楽しみにしている。

⇒15日(水)午後・金沢の天気    あめ

☆知事28年、グローバルスタンダードな花道

☆知事28年、グローバルスタンダードな花道

    石川県の谷本正憲知事が今月26日に退任する。7期28年にわたって県政をまとめ引っ張ってきた。就任は1994年3月、まさに日本のバブル経済が崩壊し、後に「失われた20年」と称された低成長期に入ったころだった。企業は競争力が問われ、コスト削減や非正規雇用などを進めた。一方で時代の価値観も多様性や個性の重視へと変わり始めた。そして、谷本氏も時代のニーズを県政に取り込もうと動いた。

    その意欲をキーワードで表現すれば、「グローバルスタンダード」ではないだろうか。1990年代半ごろからトレンドとなり、「世界に共通する理念」という意味で今でもよく使われている。谷本県政のその手始めが、金沢市と共同で1996年に設立した「いしかわ国際協力研究機構(IICRC)」だった。日本の里山・里海を科学的に評価し、伝統的な農林水産業や生態系の保全および再生に関する政策立案や情報提供を行う研究者の組織。さらに、このIICRCが前身となり、2008年に国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット(OUIK)が設立された。世界で6番目の国連大学の研究所であり、「里山・里海」「持続可能な農林水産業」「都市と生物多様性」の3つを研究テーマとしている。

   このころ、環境問題のグローバルスタンダードの一つに「生物多様性」が国際的にクローズアップされていた。谷本氏は2008年5月、ドイツのボンで開催された生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)に乗り込んだ。各国200人が集まったハイレベル会議でスピーチを行い、生物多様性と里山里海、持続可能な農林水産業を国連大学と協働して取り組んでいくとアピ-ルした。あわせて、アフメド・ジョグラフ条約事務局長を訪ね、名古屋市で2010年に開催されるCOP10で関連会議を石川で開催してほしいと要請した=写真・上=。ジョグラフ氏はその4ヵ月後に能登の里山里海を下見に訪れた。2010年10月にはCOP10公認のエクスカーションに石川が選ばれ、世界17ヵ国50人の政府関係者や研究者、環境NGOメンバーらが訪れた。

   このCOP9、10の成功体験をベースに谷本氏の目線は国際認証や国際会議の開催・誘致へと展開していく。次なるグローバルスタンダードの目標は「世界農業遺産(GIAHS)」だった。2011年6月に中国・北京で開催されたFAO国連食糧農業機関のGIAHS国際フォーラムで、能登と佐渡が申請した「能登の里山里海(Noto’s Satoyama and Satoumi)」と「トキと共生する佐渡の里山(SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis)」が認定された。日本で初めての認定だった。

   北京でのフォーラム閉会式で、次回は2013年にカリフォルニアワインの代名詞となっているアメリカのナパ・バレーでの開催が発表されていた。それがひっくり返って能登で開催されることになる。谷本氏が動いた。2012年5月、知事としてヨーロッパ視察に訪れた谷本氏はローマのFAO本部にジョゼ・グラジアノ・ダ・シルバ事務局長を訪ね、能登での開催を提案したのだ。FAOは次回開催が1年後に迫っていたにもかかわらず変更を決断した。谷本提案は説得力があった。「認定地でフォーラムを開催すべき」と。それ以前は2007年がローマ、09年がブエノスアイレス、11年が北京、そして13年はナパ・バレーだが、いずれも認定地ではない。認定地からの強い要望であり、FAOとしても受け入れざるを得なかったのだろう。

   2013年5月に能登半島の七尾市和倉温泉でGIAHS国際フォーラムが開催され、11ヵ国19サイトの関係者が集まった。能登で初の国際会議だった。GIAHSというグローバルスタンダードは現在、日本では11サイト、世界では22ヵ国62サイトに広がり、イタリアやスペインなどヨーロッパでも認定を求める動きが広がっている。

   去年11月、能登半島の和倉温泉で能登の世界農業遺産認定10周年を記念する国際会議が開催された。これには、国連大学高等研究所OUIKが主催した「GIAHSユースサミット2021 ㏌ NOTO」も併せて開催された=写真・下=。国内の3つの認定サイトから5校40人の高校生が集い、「世界農業遺産を未来と世界へ~佐渡と能登からつながろう~」をテーマに話し合った。開催の1週間前の11月17日、谷本氏は任期満了に伴う知事選には立候補せず、今期限りでの退任を表明した。自ら手掛けたGIAHS国際会議とOUIKのユースサミットは「知事の花道」になったのかもしれない。

   知事のグローバルスダンタードはこのほかにも小松空港の国際線化や金沢港の国際コンテナの取扱、ユネスコ無形文化遺産の登録など多岐にわたって貢献している。

⇒21日(月・祝)夜・金沢の天気     くもり時々はれ

★「能登GIAHS」10周年の国際会議から~下~

★「能登GIAHS」10周年の国際会議から~下~

   能登の世界農業遺産「能登の里山里海」が認定されて10年周年を記念する国際会議(11月25-27日)と連携して「GIAHSユースサミット2021 ㏌ NOTO」が26日に開催された。国連大学サスティナビリティ高等研究所OUIKが主催し、GIAHS認定サイトの能登地区から飯田高校、鹿西高校、日本航空高校石川、新潟県から佐渡総合高校、そして宮崎県から五ヶ瀬中等教育学校の5校が参加、生徒40人が集った。テーマは「世界農業遺産を未来と世界へ~佐渡と能登からつながろう~」。

        ユース宣言の力強さ、そして「知事の花道」

   ちなみに、OUIKのフルネームは「いしかわ・かなざわオペレーティングユニット」。国連大学サスティナビリティ高等研究所が世界に6ヵ所設けているフィールド研究拠点の一つで、2008年4月に金沢市で開設された。里山里海と生物多様性などを研究テーマとしている。

   生徒たちは8つのグループに分かれて世界農業遺産をテーマに生物多様性や農業の発展、産業の発展、伝統文化、食文化、教育、発信などについて、それぞれの地域(サイト)の特徴や課題を話し合った。その内容を「GIAHSユース宣言」(13項目)としてまとめた。以下抜粋。

   将来の農業に向けては「3. 小さなアクションが積み重なれば世界はかわっていくはずです! 地域経済をより身近なものとして、問題について考え続けます」「4. GIAHS地域に密着した商品やブログラムのアイデアを考えます」、認定地の大人たちへは「11. 私たちは、GIAHS地域の自然環境を守るために、開発の抑制や、その代替えとなる案を、共につくり出すことを希望します」、世界の認定地のユースへは「13. 私たちと一緒にGIAHSのことをもっと知り、地域とつながり、積極的に行動して、GIAHSの輪を広げて行きましょう」。生徒自らが作成した台本で宣言した=写真・上=。

   能登の世界農業遺産は10年を経て、さまざま課題も浮き彫りとなっている。それは、少子高齢化と人口減少によって能登が持続可能な地域社会であり続けられるのかどうかだ。里山里海の保全や農林水産業の事業継承、祭り文化の担い手を養成していくことが課題となっている。しかし、高校生が授業で自分たちの地域の世界農業遺産について学ぶチャンスはほとんどないのが現状だ。OUIKが「ユースサミット」を企画した狙いは、GIAHS地域の「サスティナビリティ」を高めることだ。自身も同じ想いでユースサミットを傍聴していたので、生徒たちのユース宣言を聴いて、その力強さに心が励まされた。

   話は変わる。この国際会議開催の提唱者は谷本正憲県知事と県庁関係者から聞いている。前々回のブログで述べたように、2013年5月の「GIAHS国際フォーラム」の能登誘致も、知事がローマのFAO本部に事務局長を訪ね、直談判で開催にこぎつけた。今回の国際会議の基調講演で、「能登GIAHSは国内で初めて認定された。トップランナーとしてさらに深化させていく」と強調していた。政策としてSDGsやカーボンニュートラルを先取りして、能登GIAHSをバックアップしていくと具体的な政策を述べた。国際評価を得ても、情報発信を続けなければ価値はないとの趣旨だった。

   谷本氏は現在7期目。76歳。今月17日には来年3月の任期満了に伴う知事選には立候補せず、今期限りでの退任を表明した。今回の国際会議はある意味で、「知事の花道」のようにも思えた。うがった見方だが。(※写真・下は「GIAHSユースサミット」で生徒たちに国際会議の開催について述べる谷本知事)

⇒28日(日)夜・金沢の天気     はれ

☆「能登GIAHS」10周年の国際会議から~中~

☆「能登GIAHS」10周年の国際会議から~中~

   能登の世界農業遺産「能登の里山里海」が認定されて10年周年を記念する国際会議(11月25-27日)が七尾市和倉温泉の旅館「あえの風」で開催されている。FAOの駐日事務所ほか、政府関係者や農業従事者ら200人余り、そして、ペルーとセネガル、ブルキナファソの3ゕ国の駐日大使も訪れ、会場はにぎやかな雰囲気だ。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大に配慮して、FAOのローマ本部のスタッフや海外のGIAHSサイトの担当者はオンライン(通訳付き)での参加となった。

      セネガル大使は「私もノト出身です」と

   冒頭で3人の大使があいさつした=写真=。セネガルの大使の話には驚いた。「私もノト出身です。日本のノトに興味がここに来ました」と。会場が一瞬、「えっ」という雰囲気に包まれた。スマホで調べると、確かにセネガルの西の方にティエス州ノト市がある。スペルも「Noto」と書く。さらに検索すると、JICA公式ホームページに「地域は海沿いのため一年を通して気候が良く、また地下水が豊富にあるため、玉ねぎやジャガイモ、キャベツの野菜栽培に非常に適した地域であり、セネガルの80%の野菜生産量を担っている」と説明があった。イタリアのコレシカ島にも「Noto」というワイン用のブドウ栽培の産地がある。日本、イタリア、セネガルの「Noto」で姉妹都市が結べないだろうか、そんなことがひらめいた。

   本題に入る。この国際会議では、経済、社会の2つのテーマに分かれて分科会が開かれ、世界各国のサイトの代表や研究者ら12人が取り組みの成果や課題を発表した。発言の中で注目されたのは、やはり開催地である能登のGIAHS認定10年は成果はどのように評価されているのか、ということだった。

   注目された発表の一つが、能登半島の尖端にある珠洲市の取り組みだった。同市の企画財政課長が述べた。同市で少子高齢化や転出が進み人口減少が進んでいるものの、ことし2021年上半期(4-9月)は転入が131人、転出が120人で転入が転出を初めて上回った。この社会動態の変化の要因として、GIAHSとSDGsを両立させた取り組みを目指し、海洋ゴミや廃校をアートに昇華させた国際芸術祭、企業や大学と連携して自然環境を活かしたビジネス人材の養成など、過疎地をイノベーションの場として活用することに共感する人々が増えている、と述べた。「人口減少が進む能登は日本の地域課題のトップランナーだ。能登で課題解決を探りたい、実践したいという若者や企業が珠洲に集まってきた」と。

    そして、GIAHSツーリズムという変化をビジネスチャンスに受け止めていると話したのは能登町の一般社団法人「春蘭の里」の代表理事だった。2011年に能登がGIAHS認定され、「Noto」が世界に浸透するとヨーロッパなどからインバウンド観光客が増えてきた。新型コロナウイルスによるパンデミックの前の2019年ごろまでは年間1万人の宿泊客のうち、2000人余りがインバウンド客という年もあった。地域の46の民宿に分散して泊まり、春は山菜、秋にはキノコをインバウンドの人たちといっしょに採取して、夕ご飯に料理として出して喜ばれた。言語の問題は、自動通訳機「ポケトーク」を地域の人たちで共有することで乗り越えている。コロナ後のGIAHSツーリズムを前向きに述べていた。

    石川県の谷本正憲知事は基調講演の中で、「能登にはさまざまハンディがあるものの、それをメリットに切り替える工夫をしてきた。世界農業遺産の認定が地域の魅力を掘り起こすきっかけになった」と能登におけるGIAHS効果をまとめて話していた。

⇒27日(土)夜・金沢の天気   くもり時々あめ  

☆トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(下)

☆トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(下)

   最終日のきょうはエクスカーションに参加した。テーマは「佐渡GIAHSを形成したジオパークと佐渡金銀山、そして農村の営み」。佐渡の金山跡に入った。2012年7月にも訪れている。ガイドの女性が丁寧に説明してくれた。金銀山を中心に相川地区などは一大工業地となった。島の農民はコメに限らず換金作物や消費財の生産で安定した生活ができた。豊かになった農民は武士のたしなみだった能など習い、芸能が盛んになった。

        トキが飛び交う農村の日常風景

   金山の恩恵を受けたのは人間だけではなかった。農家は農地拡大のため山の奥深くに棚田を開発した。その人気(ひとけ)の少ない田んぼは生きものが安心して生息するサンクチュアリ(自然保護地域)にもなった。臆病といわれるトキにとってこの島は絶好の住みかとなった。そのトキがいまでは佐渡の人々に農業の知恵と希望、そして夢を与えている。その大きなきっかけが、2008年に市独自で創った「朱鷺と暮らす郷認証米」制度だった。そのコメづくりをベースにした農村開発は、2011年6月、国連の食糧農業機関(FAO)が世界農業遺産に「トキと共生する佐渡の里山(SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis)」に認定された。

   GIAHS認定をステップにして、翌2012年7月に「第2回生物の多様性を育む農業国際会議」(佐渡市など主催)が開催された。この会議には日本のほか中国、韓国の3ヵ国を中心にトキの専門家や農業者ら400人が参加した。国際会議が開かれるきっかけとなったのが、2010年10月に生物多様性第10回締約国会議(COP10)だった。湿地における生物多様性に配慮するラムサール条約の「水田決議」をCOP10でも推進することが決まった。この決議で佐渡の認証米制度が世界各国から注目されることになる。

   ではどこが注目されたのか。認証米制度では「生きものを育む農法(減農薬)」の実施と、「生きもの調査」を義務づけていることだ。一方でトキにはGPSを付けて飛来のデータを観測している。これにより生きものを育む農法が、生物へ与える効果やトキが好む餌場の把握が科学的にできる。つまり、トキの生息環境を把握する科学的データの評価手法として導入されている。この取り組みは、農業の視点だけで見ると、作業量やコストの負担を増加させる。農業国際会議では、農地=食糧生産拠点という発想をしがちな中国や韓国の代表団も、水田がそれほど多面的な価値を持つという捉え方に、新鮮な驚きを覚えたと感想を語っていたことを覚えている。

   認証米制度によるコメづくりは佐渡の全稲作面積の2割(1200ha)に達している。トキの野生復帰活動を契機に始まった生物多様性の保全を重視した独自の農業システムは、日本の新たな農業の姿となり、また、世界の環境再生モデルとなりえる。そして、年間500人といわれる若者を中心とした移住者の受け皿にもなっている。

   エクスカーションの午後の日程では中山間地を訪れた。中山間地から平野を見渡すと、トキの群れが飛び交っている。そして、田んぼで羽を休め=写真=、また飛び立つ。その田んぼの近くでは子どもたちが遊んでいて、軽トラックも農道を走っている。日常の農村の風景の中にトキがすっかり溶け込んでいる。

⇒31日(日)夜・金沢の天気     くもり時々あめ  

★トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(中)

★トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(中)

   初日(29日)に記念講演があり、環境省環境事務次官の中井徳太郎氏が「トキ野生復帰の意義とGIAHS(世界農業遺産)」と題して、佐渡のトキの野生復帰に向けた環境省の取り組みなどについて話した。2008年9月に10羽のトキが放鳥され27年ぶりにトキが佐渡の空に舞った。その後も放鳥は続き、ことし9月現在で野生のトキの生息数は484羽になった。

       佐渡と能登をつなぐトキの「縁」と「愛着」

          一方で、地元の農家は農薬や化学肥料の削減により、魚や昆虫などの動物のほか水辺の植物を育み、トキが暮らしやすい生息環境をつくることにいそしんできた。それを「生きものを育む農法」や「朱鷺と暮らす郷づくり」認証制度というカタチで農法を統一化することでトキの生息環境とコメのブランド化を進めてきた。2011年6月、国連の食糧農業機関(FAO)が世界農業遺産に「トキと共生する佐渡の里山(SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis)」を認定した。中井氏が強調したのは「トキとの共生を目指す里地づくりの強みを生かした地域循環共生圏」という言葉だった。

      二日目(30日)の基調講演で、公益財団法人「地球環境戦略研究機関」の理事長、武内和彦氏が「日本の持続可能な農業とは~佐渡GIAHSの農村文化から考える~」と題して、「世界農業遺産は過去の遺産ではなく、生き続ける遺産」と説明した。「朱鷺と暮らす郷づくり」認証農家は現在407戸に。佐渡の積極的なトキの米づくりを目指す新規就農者は2019年度実績で67人に。学校ではトキとコメ作りをテーマに環境教育や食育教育が行われている。佐渡は多様な価値観を持った人たちが集う「コモンズ」共同体へと進化している。農業だけでなく観光や自然環境、コミュニティーの人々が連携することで横つながり、そして世代を超えるという新たなステージに入っている。武内氏が強調したのは「佐渡GIAHSにおける新たな農村文化の展開」という言葉だった。

   今回のGIAHS認定10周年記念フォーラムで発表された事例報告など聞いて、佐渡の人たちの「トキへの愛着」というものを感じた。そして、トキをめぐっては能登と佐渡の「縁」もある。1970年1月、本州最後の1羽だったオスのトキが能登半島で捕獲された。能登では「能里(のり)」の愛称があった。能里は佐渡のトキ保護センターに送られた。佐渡にはメスのトキ「キン」がいて、人工繁殖が期待された。しかし、能里は翌1971年に死んだ。キンも2003年10月に死んで、日本のトキは絶滅した。本来ならば、ここで人々のトキへの想いは消えるだろう。ところが、佐渡の人々、そして環境省はあきらめなかった。1999年から同じ遺伝子の中国産のトキの人工繁殖を始め、冒頭のように2008年9月に放鳥が始まった。(※写真・上は石川県歴史博物館で展示されている「能里」のはく製)

   きょうパネルディスカッション=写真・下=では「これからの日本農業への提言」をテーマに話し合った。能登GIAHSから参加した珠洲市長の泉谷満寿裕氏から意外な発言があった。「トキを能登で放鳥してほしい」と。この発言には背景がある。環境省は今後のトキの放鳥について、2025年までのロードマップをことし6月に作成し、トキの受け入れに意欲的な地域(自治体)を中心に、トキの生息に適した環境の保全や再生、住民理解などの社会環境の整備に取り組む(6月22日付・読売新聞Web版)。トキは感染症の影響を受けやすい。さらに、佐渡で野生生息が484羽に増えており、今後エサ場の確保などを考慮すると、佐渡以外での複数の生息地を準備することが不可欠との判断されたのだろう。泉谷氏の発言は地元佐渡で受け入れの名乗りを上げたことになる。

   これまで、佐渡のトキが海を超えて能登に飛来して話題になったことが何度かある。2014年2月にはメスのトキが珠洲市に飛来して、半ば定着したことから、地元の住民に親しまれ、「美すず」の愛称もつけれられた。15年4月にオスのトキも飛来してきて、美すずと巣をつくれば、本州では絶滅後、初めてのつがいとなる可能性があると能登の人々は想像を膨らませた。が、美すずもオスもいつの間にか佐渡に戻った。泉谷氏の発言は能登の人々のトキへの愛着を代弁していたようにも聞こえた。

⇒30日(土)夜・佐渡の天気     くもり