#リアリティ番組

★女子プロレスラー自死問題、TVメディアの禍根は残る

★女子プロレスラー自死問題、TVメディアの禍根は残る

   日本人には禍根を新年度に持ち越さないという暗黙の共通認識のようなものがある。その意味で3月は出来事の決着を促す「判断月」と言ってよいかもしれない。一つの判断が示された。このブログでテレビメディアの演出問題として取り上げてきた、女子プロレスラーの自死とリアリティ番組『テラスハウス』(フジテレビ制作、2020年5月19日放送)について、BPO(放送倫理・番組向上機構)放送人権委員会は30日付で見解をまとめ、公式ホームページで公表した。

   問題となったシーンは、シェアハウスの同居人の男性が女子プロレスラーが大切にしていたコスチュームを勝手に洗って乾燥機に入れて縮ませたとして怒鳴り、「ふざけた帽子かぶってんじゃねえよ」と男性の帽子をとって投げ捨てる場面だ。放送より先に3月31 日に動画配信サービス「Netflix」で流され、SNS上で批判が殺到した。この日、女子プロレスラーは自傷行為に及び、それをSNSに書き込んだ。番組スタッフがこのSNSを見つけ、本人に電話連絡をとってケアを行っていた。ところが、フジテレビは5月19日の地上波の本放送で、SNSで批判された問題のシーンをカットすることなく、そのまま流した。女子プロレスラーは5月23日に自ら命を絶った。 女性の母親は娘の死は番組内の「過剰な演出」による人権侵害としてBPOに申し立てていた。

   放送人権委員会は9月15日に審理入りを決定、6回の審理を重ね今月30日付で委員会決定の通知と見解の公表を行った。審理の論点は7点。「本件放送に過剰な演出はあったか」「予告編や未公開映像、副音声が視聴者に対する過剰な煽りとなっていなかったか」「帽子のシーンを台本によらない自然な行動として放送したことに、人権侵害や放送倫理上の問題はあるか」「出演にあたって締結した同意書兼誓約書が、女性の自由な意思表明や行動を過度に抑制する要因となったか」「Netflix 配信後の経緯において、本件放送を行ったこと自体に人権侵害や放送倫理上の問題はあるか」「Netflix 配信後の、フジテレビの女性への対応に問題はなかったか」「女性が亡くなった後のフジテレビの対応に問題はあるか」

   自身が注目していたのは、上記の「Netflix 配信後の経緯において、本件放送を行ったこと自体に人権侵害や放送倫理上の問題はあるか」の点だ。5月19日の地上波の放送でもSNS炎上が予想されたにもかかわらず、なぜ動画修正の措置などを講じなかったのか。追い詰められた出演者とテレビ局がどう向き合ったのか、だ。

   この点についての委員会の見解はこうだ。「出演者の身体的・精神的な健康状態に放送局が配慮すべきことは社会通念上当然のことであり、場合によっては契約の付随義務等として法的な義務ともなるのであって、出演者へのこうした配慮は放送倫理の当然の内容」と、放送倫理上の問題と判断した。その上で、「女性の精神状態を適切に理解するために専門家に相談をするなどのより慎重な対応が求められたのではないか」「制作責任者(チーフプロデューサー)、あるいはその他、社内の然るべき立場にある者の間ではこのことが深刻に受け止められていなかったのではないか」と指摘している。

   女性の自傷行為のケアをしていたのはフジテレビの局員ではなく、番組制作会社の制作スタッフだった。番組の制作現場は、局の制作プロデューサーやディレクター、制作会社ディレクター、孫請け会社の制作スタッフなど二重、三重の構造になっている。そのため、局の制作責任者は現場に目が行き届かず、ある意味で現場任せになりがちな構図がある。

   もう一つの問題が数字だ。地上波放送の場合、視聴率の評価基準である全日時間帯は6時から24時であり、この番組は深夜0時以降の放送で視聴率の対象外だった。リアリティ番組は出演者のありのままの言動や感情を表現し、共感や反感を呼ぶことで視聴者の関心をひきつけ、SNSコメントとしてそのまま現れる。共感であれ反感であれ、コメント数の多さが番組の視聴率に代わる評価指標のバロメーターとなる。そこで、テレビ的な発想で、SNSコメントの数を稼ぎたかったのではないか。結果的に、5月19日の地上波放送はそのまま流された。

   女性は享年22歳、プロレスラーとして知名度を得て、プロ意識も身につけただろう。縮んだコスチュームに怒りを感じて自身が演じたシーンであるがゆえに、テレビ局側に映像の修正を求めることはおそらくしなかった、できなかった。しかし、女性には「テラハから出てけ」「反吐が出そう」「ゴミ女」「出ていけクソブス女」「てか死ねやくそが」「花死ね」といった容赦ない誹謗中傷(BPO見解)が降り注がれた。耐えきれなかったのだろう。プロの自覚と誹謗中傷、このジレンマは相当なものであったことは想像に難くない。しかし、このジレンマの辛さは、現場任せの制作責任者とは共有されることはなかった。

   女子プロレスラーをツイッターで中傷したとして東京区検は30日、大阪府の20代の男を侮辱罪で略式起訴した。東京簡裁は同日、男に科料9000円の略式命令を出し、即日納付された(3月31日付・朝日新聞)。女性の自死問題の件はこれで決着したのだろうか。3月を期して収束したのだろうか。テレビ局の禍根は残したままではないだろうかか。(※写真は2020年5月23日付のイギリスBBCニュースWeb版で掲載された女子プロレスラーの死をめぐる記事から)

⇒31日(水)午後・金沢の天気     はれ

☆リアリティ番組、いよいよ「BPO沙汰」に

☆リアリティ番組、いよいよ「BPO沙汰」に

   台本のない共同生活を描いたリアリティ番は実話、損害賠償金つきの誓約書兼同意書によって、出演者たちが制作者側の意図に沿って演じていた番組だった、のか。フジテレビの番組『テラスハウス』に出演していた女子プロレスラーが自死した問題で、遺族がBPO(放送倫理・番組向上機構)の放送人権委員会に人権侵害を申し立てる書類を提出した(7月15日付・共同通信Web版)。

   番組の中で、同居人の男性が女子プロレスラーが大切にしていたコスチュームを勝手に洗って乾燥機に入れたとして怒鳴り、男性の帽子をはたく場面が流れ、視聴者から誹謗中傷のSNSなどが集中し、本人が追い込まれた。母親によると、このシーンについて、スタッフの指示があったと本人がかつて話していて、「暴力的な女性のように演出・編集され、過呼吸になっても撮影を止めてくれなかった。人格や人権が侵害された」と訴えている(同)。

   BPOがこの問題を審議することになれば、リアリティ番組の中で、女子プロレスラーが凶暴な悪役を演じさせられたのか、それが誰の指示によるものだったのか、損害賠償金つきの誓約書兼同意書の意図はどこにあったのか議論になるだろう。台本のないリアリティさを売りにしていた番組だったので、映像に描き出される彼女の言動そのものが、人格・個性と視聴者に受け止められた。これが、娯楽バラエティー番組であれば役者による演技と受け止められ、視聴者からのSNSによる誹謗中傷もそれほどではなかったのではないか。リアリティ番組で過剰な演技が要求されていたとすれば、まさに「人権侵害」といえるだろう。

   フジテレビの社長は7月3日の記者会見で、「現在、検証作業中であり、事実関係の精査などを行っている」と前置きし、「一部報道にスタッフが“ビンタ”を指示したと書かれているが、そのような事実は出てきていない。一方で、『テラスハウス』という番組は性質上、出演者とスタッフが多くの時間を過ごしており、多くの会話をしている中で、撮影では、出演者へのお願い・提案などはある。 」と述べている(フジテレビ公式ホームページ)

   この問題は「BPO沙汰」にすべきだと考えている。5月にこの問題が発覚し、女子プロレスラーの自死はSNSでの誹謗中傷が招いたと社会問題となった。自民党はインターネット上での誹謗中傷対策を検討するプロジェクトチームを立ち上げ、匿名による中傷を抑制する法規制などを検討を始めている。ところが、この問題の根本はテレビ局側が出演者に過剰な演技を要請したことが原因ということになれば、別次元の問題だ。視聴者もテレビ局側にある意味で騙され、煽られたことになる。

   BPOは放送や番組に対して政治や総務省が介入することを防ぐ目的で、NHKと民放が自主的に問題を解決する姿勢を示すために設けた第三者機関である。「人権侵害」と認定されれば、テレビ局側もそれ相当の自己改革が迫られる。この際、リアリティ番組の放送基準を明確にすべきだろう。このままうやむやにしてはならない事案だと考える。

(※写真はイギリスのBBCニュースWeb版が報じた女子プロレスラーの死=5月23日付)

⇒16日(木)朝・金沢の天気    くもり

★演出なきリアリティ番組はあるのか

★演出なきリアリティ番組はあるのか

   フジテレビのリアリティ番組『テラスハウス』に出演していた女子プロレスラーが5月23日に自死した事件がいまだにくすぶっている。視聴者から批判が殺到したビンタのシーンは番組スタッフの指示と母親が証言した(「週刊文春」7月2日発売号)。フジテレビ側は社長が今月3日の記者会見で「一部報道にスタッフが“ビンタ”を指示したと書かれているが、そのような事実は出てきていない」「感情表現をねじ曲げるような指示は出していないということだ」と述べている(フジテレビ公式ホームページ「6月度社長会見要旨」)。真向から対立している。

   番組のシナリオ台本はなかったとは言え、番組には必ずディレクターが立ち会い、視聴者の反応を意識した構成が練られていただろう。「台本なき演出」があったと考えるのが普通だ。

   かつて、テレビマンとして番組制作にかかわっていた。ドキュメンタリ-番組を制作するに当たって気をつけていたことは、「演出」の気持ちにかられないようにすることだった。なぜならば、ドキュメンタリーは事実を構成する番組なので、「演出」あるいは「やらせ」はタブーである。ところが、ディレクターとしては番組のストーリー性を常に考えるので、つい「こんなシーンがあると映像の流れ的にはリアリティがあっていいんだけれどな・・・」などと思ってしまう。番組の完成度を高めたいのだ。

   そのような思いを戒める「事件」が起きた。1992年に放送されたNHKスペシャル『禁断の王国・ムスタン』(9月30日・10月1日放送)。ムスタンはネパール領の自治王国で、「テレビ未踏の番組」が触れ込みだった。視聴率は14%をさらい、さすがNHKと好評を博した。それが一転、「やらせ番組」の代名詞の烙印を押されることになる。

   翌年1993年2月3日付の朝日新聞でスクープ記事が出た。疑惑はいくつもあった。登場した「国境警備兵」は実際は警察官だった。映像中の「少年僧の馬が死んだ」は実際は別の馬だった。「高山病に苦しむスタッフ」の映像は実際は演技だった。「岩石の崩落、流砂現象」のシ-ンは取材スタッフが故意に引き起こした、などの「やらせ」疑惑だ。NHKも内部調査を行い、「過剰な演出」「事実確認を怠り誇張した表現」と認めた。同年3月、電波行政を所管する郵政省(現・総務省)はNHKに対し虚偽報道であるとして大臣名で厳重注意の行政指導を行った。

   その後も、関西テレビの『発掘!あるある大事典Ⅱ』では捏造が発覚した。2007年1月7日放送「納豆でヤセる黄金法則」はアメリカの大学教授の研究をもとに「DHEA」と呼ばれるホルモンにダイエット効果があるとの説を紹介し、納豆に含まれるイソフラボンがその原料になるとし、被験者8人全員の体重が減ったとの内容だった。週刊朝日が関テレに質問状を送ったことがきっかけに、番組を制作会社に任せていた関テレが独自調査。コレステロール値や中性脂肪値や血糖値の測定せず、血液は採集をするも実際は検査せずに数字は架空といった捏造が明るみに出た。さらに、大学教授の日本語訳コメント(ボイス・オーバー)はまったく違った内容だったことが発覚した。

   結局、番組は打ち切りに。関テレも一時、民放連の除名処分を受ける事態になった。ある意味でこれは民放の構造的な問題ではなかったかと察している。当時、制作会社は制作9チーム(150人)で1チームが2ヵ月に1本の制作を担当していた。科学データが実証されるのを待っていると時間が必要で、放送に穴を空けることにもなりかねない。時間に追われたディレクターは「とりあえず、絵だけ撮れ」とカメラマンに指示したのだろう。「体にいいですよ」という番組の結論を導くために捏造したデータやコメントを構築していくことになった。

   話は冒頭に戻る。「リアリティ番組」と銘を打つから、演出だ、やらせだ、捏造だと批判を浴びる。最初から「娯楽バラエティー番組」にしておけば、演出は許される。そして、出演者も視聴者もそれほど抵抗感はなかったのではないか。番組づくりと演出はテレビ制作者の永遠の課題ではある。

⇒13日(月)夜・金沢の天気    あめ