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☆「ブログ開設6000日」の夢

☆「ブログ開設6000日」の夢

   きょうログインすると「ブログ開設から6000日」の表示が出ている。アップした本数は2143になる。初めてのブログは2005年4月28日。タイトル「★50歳エイ・ヤッと出直し」がスタートだった。その年の1月に民放テレビ局を辞して、4月から金沢大学の「地域連携コーディネーター」という仕事に就いた。まったくの異業種、エイ・ヤッだった。そのよう気持ちでブログを始めた。働く環境がまったく違ったので、周囲が実に新鮮に映った。身の回りでの出来事や動き、目にしたこと、聞いたことを自分なりに解説してコラム風な論調で発信してきた。「マイメディア」を得た感覚だった。

   ブログを書く際には手元に新聞用字用語集『記者ハンドブック』(共同通信社)を置いている=写真=。マイメディアとはいえ、誤字や脱字、そして表現方法には気を遣う。たとえば、このブログでは「眞子さま」と表現し、「眞子様」とはしない。ハンドブックの皇室用語のマニュアルに沿ったものだ。「皇后や皇太子など皇族は『さま』を使う。夫婦や家族単位で主語になる際は敬称を省いて『ご夫妻』『ご一家』などとする」と。このハンドブックを始めて手にしたのは新聞記者になった1978年4月だった。それからずっと新版を取り寄せながら43年間使っている。

     きょう10月1日はもう一つ思い出に刻んでいる。かつて務めていた金沢の民放テレビ局、北陸朝日放送が開局したのが1991年10月1日、きょうで開局30周年となる。開局と同時に新聞記者からテレビ報道のデスクに転職し、映像の世界を知った。朝日系は高校野球の中継番組が売りの一つで、甲子園伝説をつくった当時星稜高校の松井秀喜選手のことは印象深く記憶に残っている。1992年8月16日、2回戦の明徳義塾高(高知)戦で明徳側のピッチャーが4番打者の松井を5打席連続で敬遠した。実況アナの「勝負はしません」の声はいまでも耳に残る。

   視聴者の共感や感動を得る表現方法とは何か。テレビを通じて「マスメディア」の映像表現というものを学んだ。このテレビ的なモノの見方や文字表現はその後のブログに役立った。新聞記者だったら、おそらくブログを始めることはなかったろう。

   ブログを毎日書いてきたわけではない。冒頭で述べたようにアップしたのは2143本。どちらかといえばゆっくりペースだ。日々のニュースや身の回りの出来事に目を向け、「これはブログのネタになるかもしれない」などと常に思いを巡らしている。では、「ブログ開設から10000日」まで果たして続けられるか。年齢でいえば78歳。問題は記憶と感性を維持し続けることができるかどうかだ。

   新境地はAIの活用だと考えている。自身のデータ(日記、検診や診療記録など)、講演や講義の原稿、著作物、撮った写真、読んだ本のリスト、名刺、これまでのブログなどをすべてAIに読み込ませ、私の思考や感情、心理と論理、知識、対人関係を身に着けた「分身」になってもらい、ブログを日々書かせる。ただし、テ-マ設定は自身が決め、AIに1000字程度で書かせる。自身の記憶から失せたデータや経験知をAIによみがえらせて文章化させ、それを手直して完成する。「ブログ開設から6000日」の夢物語ではある。

⇒1日(金)午前・金沢の天気     あめ時々くもり

☆アメリカ大統領選から見えたメディアの有り様

☆アメリカ大統領選から見えたメディアの有り様

    それにしても「長い長い戦い」とはこのことを言うのだろう。アメリカ大統領選挙は、投票日(今月3日)から10日が経ちようやく、トランプ氏とバイデン氏の選挙人の獲得数が確定した。50州と首都ワシントンでの選挙人538人のうち獲得したのはバイデン氏が306人、トランプ氏が232人だったとメディア各社が報じている。

   フロリダ大学「選挙プロジェクト」サイトでの推計によると、今回の大統領選の投票数は1億5883万票で、アメリカの18歳以上の有権者数2億3925万人に対する投票率は66.4%だった。二者択一の投票率は高いものだが、たとえば、大阪市を廃止して4つの特別区に再編する「大阪都構想」の住民投票(今月1日)は今回62.4%だった。大阪より熱いアメリカだったとも言える。

   アメリカ大統領選について動画やサイトをチェックしていたが、アメリカのメディア、とくにテレビは日本の選挙報道と少し趣(おもむき)が異なる。現地時間12日付のCNNは「Trump fails to address election loss」(トランプ氏、選挙敗北への対応に失敗)とトランプ氏に対しては皮肉たっぷりに伝えている=写真=。選挙期間中を問わず、CNNはいつもトランプ氏には対して厳しい論調だ。

   日本では新聞やテレビに選挙報道の公正さを求める(公選法148-1)、テレビ放送に政治的な公平性を求める(放送法4)、テレビ放送に候補者の平等条件での放送を求める(放送法13)などだ。この法律に従って、マスメディアの選挙報道は公示・告示の日から投票時終了まで、候補者の公平的な扱いを原則守っている。

   アメリカでもかつてテレビ局に「The Fairness Doctrine」(フェアネスネドクトリン)、つまり選挙報道などでの政治的公平が課せられ、連邦通信委員会(FCC)が監督していた。ところが、CATV(ケーブルテレビ)などマルチメディアの広がりで言論の多様性こそが確保されなければならないと世論の流れが変わる。1987年、連邦最高裁は「フェアネス性を義務づけることの方がむしろ言論の自由に反する」と判決を下し、フェアネスドクトリンは撤廃された。このころから、テレビ局に政治色がつき始め、たとえば、FOXは共和党系、CNN、NBCは民主党系として知られるようになった。

   アメリカではむしろこの傾向が「テレビ離れ」に拍車をかけているのかもしれない。確かに、アメリカでは、ヘイトスピーチもフェイクニュースも表現の自由であり、むしろ、誰かが言う権利を否定することこそが忌まわしいという風潮は今もある。ただ、メディアの公平性というのは、フェイクやヘイトがネットで蔓延する社会だからこそ求められる報道スタンスであり、それが今、信頼性として評価される時代ではないだいろうか。FOXもCNNも脱共和、脱民主を追求してみてはどうか。

⇒14日(土)朝・金沢の天気     はれ