#ポリティカル・コレクトネス

☆同時多発テロとポリティカル・コレクトネス

☆同時多発テロとポリティカル・コレクトネス

          「9・11」から間もなく19年になる。2001年9月11日、現地時間で午前8時46分、日本時間で午後9時46分だった。当時帰宅して、報道番組「ニュースステーション」が始まったばかりの同9時55分ごろにリモコンを入れると、ニューヨ-ク・マンハッタンの高層ビル「ワールドトレードセンター」に民間航空機が追突する事故があったと生中継で放送されていた。食事を取りながら視聴していると、2機目が同じワールドトレードセンターの別棟に突っ込んできた。リアルタイムの映像で衝撃的だった。

   「9・11」をきっかけにアメリカ国民、とくに白人層の深層心理に変化が起き始めたのではないかと考えることある。そのシンボリックな現象の一つが2016年の大統領選挙でのトランプ氏の当選ではなかったか。トランプ氏は「メキシコとの国境に壁を建設」や「不法移民の流入に反対」、「イスラム教徒に対する入国の一時禁止」などを公約に掲げていた。同時多発テロはイスラム過激派「アルカイダ」による犯行だったので、有権者の支持を得るための公約だろうと当時思ったが、そのような単純なことではないようだ。

   1862年9月、大統領のエイブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言を発して以来、自由と平等、民主主義という共通価値を創り上げる先頭に立ってきた。戦後、ソ連や北ベトナムなど共産圏との対立軸を構築できたのは資本主義という価値ではなく、自由と平等、民主主義という共通価値だった。冷戦終結後も、共通価値はマイノリティや社会的弱者の立場に立ち、人種や宗教、性別などに対する寛容さへと深化した。アメリカ社会では、こうした共通価値を創ることを政治・社会における規範(ポリティカル・コレクトネス=Political Correctness)と呼んで自負してきた。

   ところが、同時多発テロをきっかけに、誰もが自由と平等だが、それが誰かの犠牲に上に成り立っているとすれば、それは偽善ではないか、とアメリカ国民、とくにポリティカル・コレクトネスを担ってきた白人層が考え始めた。ポリティカル・コレクトネスは社会規範だが、同時に本音が言えない閉塞感から、窮屈さや疲れを感じさせる。犠牲になっているのはわれわれだ、と。2003年にアメリカを中心とする有志連合が始めたイラク戦争は大量破壊兵器の廃絶を名目とした軍事介入とされた。そこには自由と平等、民主主義という共通価値はすでになかった。そして、トランプ氏はあえてポリティカル・コレクトネスの概念からかけ離れた公約を打ち立て、白人層から支持を得て当選した背景も同様ではなかった、か。

   では、ポリティカル・コレクトネスの犠牲の矛先は、次はどこに向かっていくのか。11月の大統領選なのか。あるいは、対立を深めている中国なのか。

⇒26日(水)午後・金沢の天気     はれ

☆アメリカ暴行死事件の複雑怪奇

☆アメリカ暴行死事件の複雑怪奇

     きのうの金沢の最高気温は31.3度だった。梅雨入りを感じさせる蒸し暑さ。外出の折にはマスクを着けたが、正直、苦痛だった。まさに「暑苦しい」という言葉が当たる。そしてきょう午前中から雨が降り出し、季節はいよいよ梅雨に入った。

    けさのロイター通信Web版日本語によると、白人警官に逮捕される際に暴行を受けて死亡した黒人男性の弟がアメリカ下院司法委員会の公聴会に出席し証言した。ミネソタ州ミネアポリス近郊で、20㌦の偽札を利用してたばこを買おうとして通報され、警察に取り押さえられたとの内容だ。記事では、弟が「兄は誰も傷つけなかった。20㌦のために命を落とす必要はなかった。黒人の命は20㌦の価値しかないのだろうか。今は2020年だ。こうしたことはもう終わりにしてほしい」と訴えたと記している。

   黒人差別反対の抗議活動が全米に広がった事件だが、発端が偽札の使用だったことは余り知られてなかったのではないだろうか。この事件の複雑さを感じる。アメリカ社会は、1862年にエイブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言を発して以来、自由と平等、民主主義という共通価値を創り上げる先頭に立ってきた。自由と平等、民主主義を共通価値と掲げ、さらに性や人種、信仰、移民へと広げてきた。こうした共通価値を創ることを政治・社会における規範(ポリティカル・コレクトネス=Political Correctness)と呼んでアメリカ社会は自負してきた。

   ところが、しかし、ポリティカル・コレクトネスは裏腹で、きれい事しか言えない、本音が言えないという言葉の閉塞感として白人層を中心に受け止められるようになってきた。こうした「ポリティカル・コレクトネス疲れ」の白人層に支持されたのがトランプ大統領でいまの在り様はポピュリズムと称される。ポピュリズムは、国民の情緒的支持を基盤として、政治指導者が国益優先の政策を進める、といった解釈だろう。トランプ氏が「アメリカ・ファースト」を唱え、世界に難題をふっかけているが、ある意味で支持層の気持ちを代弁しているとも言える。

   黒人差別問題ならば法的な規制など出口はいろいろあるだろう。しかし、偽札の使用が事件の発端となるとこれを貧富の格差の問題として単純に世論に問うことができるだろうか。たとえば、偽札を大量に印刷してばらまくマフィアの存在がバックにいたとすると話はより複雑怪奇に展開していくのではないだろうか。あくまでも憶測の話である。(※写真は、白人警官による黒人の暴行死事件が経済に与える影響を解説する11日付・ウオールストリートジャーナルWeb版)

⇒11日(木)午前・金沢の天気   あめ