#ヒガンバナ

★街路を彩る花、ムクゲ、ヒガンバナ

★街路を彩る花、ムクゲ、ヒガンバナ

   10月も半ばに入った。自宅近くの県道を歩くと、道路沿いにムクゲの花が競うように咲いている=写真・上=。真っ白な「祇園守」だ。花の中心部のシベが十文字になっていて、京都の八坂神社の護符の「祇園守」と似ているところから名付けられたとの説もあるが定かではない。清楚な花で、茶花として重宝される。ムクゲは梅雨の頃から咲き始めて夏に盛りを迎える。もうそろそろ見納めの頃だ。

   芭蕉の句がある。「道のべの木槿は馬にくはれけり」。道ばたのムクゲの花を馬がぱくりと食べた。芭蕉はその一瞬の出来事に驚いたかもしれない。花であっても、いつ何どき厄(やく)に会うかもしれない、と。中古車販売の「ビッグモーター」の店舗前の街路樹や植え込みのように、抜かれたり枯らされたりすることがないことを願う。

   道路の対面には赤い花が咲いていた=写真・下=。ヒガンバナ(彼岸花)は割と好きな花だ。ヒガンバナの花言葉は「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」「情熱」。秋の彼岸に墓参りに行くと墓地のまわりに咲いていて、故人をつい思い出してしまう。「悲しき思い出」を誘う花だ。

   植物に詳しい友人から、かつてこんな話を聴いた。ヒガンバナは茎にアルカロイド(リコリン)という毒性がある。昔の人は死体を焼かずに埋葬した。そこで、犬が近づいて掘り返さないようにと毒性のあるヒガンバナを墓地に植えたのだという。犬よけの花でもある。

⇒10日(火)午後・金沢の天気    くもり時々あめ

★白い花のヒガンバナ 「彼岸の入り」あれこれ

★白い花のヒガンバナ 「彼岸の入り」あれこれ

   きょうは「彼岸の入り」。これまでよく、「暑さ寒さも彼岸まで」と季節の会話を交わすことはあったが、ことしは使えそうもない。きょう金沢の予想最高気温は30度、最低気温は25度と真夏日だ。あすも32度だ。

   きのう近くのお寺の境内を歩くとヒガンバナが咲いていた。ヒガンバナというと、赤い花というイメージがあるが、この寺のヒガンバナは白い花で知られる=写真=。40年ほど前に白い花が咲いていたのを檀家が株分けして数を増やしていったという伝えがある。そのせいか、花だけでなく境内も整備されて、ちょっとした「お寺の公園」というイメージだ。

   話は少し逸れる。近くに「野田山墓地」という山そのものが墓苑という広大な墓地がある。加賀藩の藩祖・前田利家の墓などあり、金沢で由緒ある墓地といえる。たまに通るだけなのだが、10年ほど前に比べて「無縁墓」が増えている。放置されて雑草が生い茂っている。一部は墓石が傾いて、倒壊しそうなものもある。

   この光景を見て、能登の「一村一墓」のことを思い出す。能登半島の尖端・珠洲市三崎町の大屋地区での伝え話だ。江戸時代に人口が急減した「天保の飢饉」。能登も例外ではなく、食い扶持(ぶち)を探して、若者が大量に離村し人口が著しく減少した。村のまとめ役が「この集落はもはやこれまで」と一村一墓、つまり集落の墓をすべて集め一つにした。そして、ムラの最後の一人が墓参りをすることで「村じまい」とした。しかし、集落は残った。江戸時代に造られた共同墓と共同納骨堂は今もあり、一村一墓は地域の絆(きずな)として今も続いている。現在の「共同墓」の先駆けだったかもしれない。

   以前、東京に住む友人から共同墓の権利を購入したとのメールをもらった。費用が安く、供養してもらえるようだ。ただ、遺骨は永久供養ではなく33回忌で、他の遺骨と一緒に合祀されるとのこと。「家族に迷惑がかからない分、すっきりしていい」と本人は納得していた。

   葬式や墓造りには当然ながら多額の費用がかかる。墓を造ると墓守りもしなければならない。死後になぜこれほど経費をかけるのか、むしろ残された家族のために使うべきだという発想が現役世代には広がっているのではないだろうか。
   彼岸の入りにあれこれ思ったことをしたためた。意図した文脈があるわけではない。

⇒20日(水)午前・金沢の天気   くもり時々あめ