#パラリンピック

★オリ・パラの垣根払うパリの「オリンピック革命」

★オリ・パラの垣根払うパリの「オリンピック革命」

   前回ブログの続き。パラリンピックではオリンピックとは別の感動があった。卓球・男子シングルスで、エジプトのイブラヒム・ハマト選手は両腕の肘から先が欠損しているので、口にラケットをくわえ、ボールを打つっていた。サーブ時は足全体を大きく振り上げ、足の指でつかんだ球を上にトスする。首と身体を左右に大きく振りながらラリーを続け、強烈なレシーブを決める。10歳の時に列車事故に遭い障害を負った。「人に不可能はない」。人はここまでできると教えてくれているようで衝撃的だった。

   車いすラグビーも印象的だった。日本対デンマーク戦。ガツン、ガツガツと車いすの衝撃音が響く。ぶつかり転倒する。車いすのタイヤがパンクして取り換え。また、激しい試合が再開される。その繰り返し。車いすラグビーは別名「マーダーボール」、殺人球技といわれるほど激しくぶつかり合う。このマーダーボールでは、選手の障がいの程度に応じて持ち点が割り振られていて、障がいの軽い選手だけでなく、重い選手や女性選手も出場する。パラリンピックの多様性を象徴するような競技だった。

     パラリンピック競技を視聴していて、ふと気にしたことがある。自らの視聴目線は「感動ポルノ(Inspiration porn)」ではないのか、と。意図を持った感動シーンで感情を煽ることを「ポルノ」と表現するが、障がい者のパラ競技を視聴して、「感動をもらった、励まされた」と自らを煽っているのではないかと。そして、自らの目線は障がい者に対する「上から目線」ではないのかと自問自答した。

   パラリンピックに合わせて来日したフランスのソフィー・クリュゼル障がい者担当副大臣の記者会見も印象的だった=写真、在日フランス大使館公式ホームページより=。2024年パリ五輪・パラリンピックについて、「オリンピックとパラリンピックの垣根を取り払う大会にする」と述べていた。両大会のボランティアの6%を障がい者にする考えを示し、「すでに3000人の障がい者がボランティア参加できるようにトレーニングを始めている」と社会参画の必要性を強調した(2021年8月30日付・日テレニュース)。

   クリュゼル氏は都内のカフェを訪れ、重い障害のあるスタッフがロボットを遠隔操作して接客する様子を視察した。このカフェでは、難病や脊髄の損傷など障害のある60人が、自宅や病院にいながら、ロボットを遠隔操作して接客し、ロボットのカメラとマイクで客とコミュニケーションも取っている。クリュゼル氏は「多くの人が働き続けることを可能にする、すばらしい試み。パリ大会は私たちにとって大きな挑戦になるので、日本のアイデアを役立てたい」と話していた(同8月25日付・NHKニュースWeb版)。

   オリンピックとパラリンピックの垣根を取り払うという発想が心を打つ。クリュゼル氏の会見や視察の様子を見て、フランス革命のシンボリックな絵画、ウジェーヌ・ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』を思い浮かべた。銃剣を左手に、右手にフランス国旗を掲げ果敢な女性を描いた、あの絵画だ。

   24年パリ五輪の開会式はセーヌ川で、スケートボードはコンコルド広場で、マラソンや自転車のロードレースは競技時間を違えて一般市民も同じ日に同じコースで競う。前例にとらわれない開放感や華やかさ。「オリンピック革命」がパリで起きるのかもしれない。

⇒29日(金)夜・金沢の天気    くもり時々はれ

☆五輪とパラリンピックの垣根を取り払うという発想

☆五輪とパラリンピックの垣根を取り払うという発想

           パラリンピック競技をテレビで視聴していると、自らの視聴目線が「感動ポルノ(Inspiration porn)」ではないのかと考えたりする。この言葉が知られるようになったのは、2012年にオーストラリア放送協会(ABC)のWebマガジン『Ramp Up』で、障がい者の人権アクティヴィストであるステラ・ヤング氏が初めて用いた。意図を持った感動シーンで感情を煽ることを「ポルノ」と表現するが、障がい者が障がいを持っているというだけで、「感動をもらった、励まされた」と言われることを意味する(Wikipedia「感動ポルノ」)。

   話は変わるが、日経新聞Web版(8月30日付)のニュース。パラリンピックに合わせて来日しているフランスのソフィー・クリュゼル障がい者担当副大臣は30日、都内で記者会見を開き、2024年パリ五輪・パラリンピックは「オリンピックとパラリンピックの垣根を取り払う大会にする」と述べた。大会ボランティアの6%を障がい者にする考えを示し、あらゆる人々の社会参画の必要性を強調した。(※写真はソフィー・クリュゼル障がい者担当副大臣=在日フランス大使館公式ホームページより)

   NHKニュースWeb版(8月25日付)でも、クリュゼル氏が重い障害のあるスタッフがロボットを遠隔操作して接客する都内のカフェを訪れ、障害のある人の新たな働き方を視察したと報じている。このカフェでは、難病や脊髄の損傷などで重い障害のある60人が、自宅や病院にいながら、自分の分身のように、さまざまな大きさのロボットを遠隔操作して接客し、ロボットのカメラとマイクで客とコミュニケーションも取れる。クリュゼル氏は「多くの人が働き続けることを可能にする、すばらしい試みだと思います。2024年のパリ大会は私たちにとって大きな挑戦になるので、日本のよいアイデアを見て役立てたいと思っています。ハンディキャップのある人たちが解雇されることがないよう、人々の意識が変わっていくことを期待しています」と話した。

   オリンピックとパラリンピックの垣根を取り払うという発想が心を打つ。そして、ハンディを持った人が解雇されないよう、ロボットの遠隔操作という日本の技術を世界に広めてほしい。パラ競技を視聴していて、自らの目線が障がい者に対する「上から目線」ではないのかと自問自答しながらそんなことを想った。

⇒31日(火)夜・金沢の天気      くもり 

★パラリンピックで際立つNHKと民放の違い

★パラリンピックで際立つNHKと民放の違い

           前回のブログの続き。これまでパラリンピックの番組をテレビで観戦したことは、正直なかった。今回パラリンピックでは、国別のメダル数など気にせず、むしろ、迫力ある車いすラグビーや、エジプトの卓球選手イブラヒム・ハマト氏らのような「凄技」を見たいと思いテレビを視聴している。

   NHKはBS放送などを含め500時間の番組を組んでいる。ところが、新聞紙面のテレビ欄を広げても、民放によるパラリンピックの中継や特番がほとんど見当たらない。きょう28日付の紙面では、TBSによる午後2時30分からの車いすバスケットボール男子・日本対カナダ戦だけだ=写真・上=。民放の公式ホームページをチェックすると、テレビ朝日が競泳の中継(29日午前10時)、車いすテニスのハイライト番組(9月5日午後0時55分)、フジテレビは車いすバスケットボール男子5-6位決定戦(9月4日午後4時)など予定している。各局とも決まったように、競技の中継が1つ、ハイライト番組が1つか2つ、それも土日の日中の時間だ。いわゆるゴールデン・プライム帯ではない。

   オリンピックでは、NHKに負けじと生中継をしていたのに、パラリンピックは気が抜けた感じだ。なぜ、民放はパラリンピックを積極的に放送しないのか。単純な話、放映権料を払っていない。オリンピックについては、NHKと民放はコンソ-シアムを組んでIOCに対し平昌冬季大会(2018年)と東京大会の合算した数字で5億9400万㌦を払っている。しかし、これにはパラリンピックの放映権料は含まれていない。国際パラリンピック委員会(IPC)は独立組織なので、IOCとは別途払いなのだ。

   IPCと契約しているのはNHKのみ。2015年6月25日付のNHK広報のプレスリリースによると、平昌大会から2024年パリ夏季大会までの4大会の日本国内での放送権についてIPCと合意したと発表している=写真・下=。ただ、金額については記していない。

   以下はかつて民放局に携わった自身の憶測だ。2015年6月でのIPCとの契約に民放が参加しなかったのは、パラリンピックはスポーツ観戦としてのニーズが低いので視聴率が取れないと判断してのことだろう。スポンサーも付くかどうか分からない。ところが、視聴者の目線はこの数年で変化した。スポーツ観戦という意味合いだけでなく、障がいや逆境、限界を超えてスポーツに挑むパラアスリートたちから感動を得たいというニーズがある。そして企業側も、SDGs(国連の持続可能な開発目標)の主旨に沿った番組にスポンサー提供をしたいというニーズが起きている。

   民放自体もパラリンピック番組を無視できない状況になってきた。そこで、すでにIPCと合意しているNHKに依頼して「おすそ分け」をしてもらうカタチでパラリンピック番組を放送することになったのだろう。あくまでも憶測だが、NHK側の条件はおそらく、2026年ミラノ冬季大会以降のIPCとの契約はコンソーシアムを組むということではないだろうか。

⇒28日(土)午前・金沢の天気    はれ

☆パラ競技が教えてくれる「人に不可能はない」

☆パラ競技が教えてくれる「人に不可能はない」

            パラリンピックの競技映像がとても新鮮に映る。車いすラグビーの日本対デンマーク戦(8月26日)をテレビで観戦していた。見ている方がハラハラするくらいに激しい動きだ。ガツン、ガツガツと車いすの衝撃音が響く。そして、ぶつかって転倒する=写真・上=。車いすのタイヤがパンクして取り換え。また、激しい試合が再開される。解説者のコメントによると、車いすラグビーは「マーダーボール」、殺人球技といわれるほど激しくぶつかり合う。

   そして、マーダーボールに女性選手も参加している。車いすラグビーが男女混合競技だということを初めて知った。でも、なぜと疑問がわく。再び解説者のコメント。ルールでは、出場する選手には障がいの程度に応じて持ち点が割り振られていて、コート上の4人の合計点は8点以内に抑えなければならない。このルールによって、障がいの軽い選手だけでなく、重い選手も出場機会を得る。さらに、女子選手が出場すると0.5点がマイナスとなるルールがあり、その分、障がいの軽いポイントゲッターを配置できる。女子選手はデンマークチームのハイポインターの動きを封じるディフェンスの役割に徹していた。そして、日本チームは何度もボールを奪い取り、9点差をつけて2連勝。この競技こそパラリンピックの多様性を象徴しているのではないだろうか。

   25日の卓球・男子シングルスも感動的だった。エジプトのイブラヒム・ハマト選手は両腕の肘から先が欠損しているので、口にラケットをくわえ、ボールを打つ。サーブ時は足全体を大きく振り上げ、足の指でつかんだ球を上にトスする。首と身体を左右に大きく振りながらラリーを続け、強烈なレシーブを決める。10歳の時に列車事故に遭い、障害を負った。「人に不可能はない」。人はここまでできると教えてくれているようで衝撃的な感動だった。

  国際パラリンピック委員会(IPC)の公式ツイッターは、25日付でハマト選手を写真付き紹介している=写真・下=。「Only in the Paralympics. Ibrahim Hamato inspires everyone around the world.」。パラリンピックという競技があってこそ、人類は新たな感動を得る。そんなことをイブラヒム・ハマト選手は教えてくれている。

⇒27日(金)午前・金沢の天気     はれ

☆パラリンピックで学ぶ「おもてなし」の心

☆パラリンピックで学ぶ「おもてなし」の心

   きのう夜のパラリンピック開会式をNHKテレビで視聴した=写真・上=。各国選手の入場行進を見ていると、先天的な障がいだけではなく、事故での障がいなどさまざまなケースがあることに気づかされた。エジプトの卓球に出場する男子選手は、10歳の時に列車事故で両腕を失い、ラケットを口にくわえ足でボールをつかんでトスを上げてプレーすると紹介されていた。どのようなプレーなのか見てみたい。

   前回のオリンピック開会式(7月23日)との違いは主役がいて統一感があったことだ。とくに、車イスに乗って「片翼の小さな飛行機」の物語を演じた和合由依さんは実に表情豊かだった。中学2年の13歳。先天性の病気で、手足が自由に使えない。演技経験はなかったが、一般公募でオーディションに合格したと紹介されていた。その主役を盛り立てる演技も心に響いた。

   派手なデコレーショントラックで現れたロックバンドの布袋寅泰氏が幾何学模様のギターで、全盲のギタリストや手足に麻痺があるギタリストらとともに演奏し、ダンサーたちが音と光の中で迫力あるパフォーマンスを演じていた。じつに感動的な演出で、新国立競技場のスタジオと視聴者との間の一体感が醸し出されたのではないだろうか。

   パラリンピック開会式を見ていて、ふと、奥能登の農耕儀礼「あえのこと」を思い出した。2009年にユネスコ無形文化遺産にも登録されている。毎年12月5日に営まれる。コメの収穫に感謝して、農家の家々が「田の神さま」を招いてご馳走でもてなす、パフォーマンス(独り芝居)を演じる=写真・下=。もてなしの仕方は家々で異なるが、共通することが一つある。それは、田の神さまは目が不自由という設定になっている。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂でうっかり目を突いてしまったなどの伝承がある。   

   ホスト役の家の主人は田の神さまの障害に配慮して演じる。近くの田んぼに田の神さまを迎えに行き、座敷まで案内する際が、階段の上り下りでは介添えをする。また、供えた料理を一つ一つ口頭で丁寧に説明する。もてなしを演じる主人たちは、自らが目を不自由だと想定しどう接してもらえば満足が得られるかと逆の立場で考え、独り芝居の工夫をしている。

   これまで「あえのこと」儀礼を何度か見学させてもらったが、この儀礼は健常者のちょっとした気遣いと行動で、障害者と共生する場を創ることができることを教えてくれる。「もてなし(ホスピタリティー)」の原点がここにあるのではないかと考える。

   「能登はやさしや土までも」と江戸時代の文献にも出てくる言葉がある。地理感覚、気候に対する備え、独特の風土であるがゆえの感覚の違いなど遠来者はある意味でさまざまハンディを背負って能登にやってくる。それに対し、能登人は丁寧に対応してくれるという含蓄のある言葉でもある。「あえのこと」儀礼がこの能登の風土を醸したのではないかと想像している。

   13日間のパラリンピックをテレビで視聴する機会も増える。障がい者とどう向き合うかを考えるチャンスにしたい。そして、日本人にとってそれが当たり前の日常になれば、日本のホスピタリティーやユニバーサルサービスが世界で評価されるかもしれない。

⇒25日(水)午前・金沢の天気   くもり