#ノーベル平和賞

☆ノーベル平和賞が授与される日本被団協 「被爆者の証言活動は唯一無二」と評価

☆ノーベル平和賞が授与される日本被団協 「被爆者の証言活動は唯一無二」と評価

  「ノーベル平和賞」という言葉で思い出すのが、もう50年前の1974年に受賞した佐藤栄作元総理だ。佐藤氏の受賞は、非核三原則の宣言や核拡散防止条約(NPT)に署名したことが当時高く評価された。そしてきのう(11日)、ノルウェーのノーベル賞委員会はノーベル平和賞を広島と長崎の被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)に授与することを決めた=写真・上=。このほか「核」に関連する平和賞は、「核兵器なき世界」を掲げたアメリカのオバマ元大統領が2009年に、非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が2017年に受賞している。ノーベル賞委員会はまさに平和賞の授与を通じて、核廃絶・核軍縮の運動を後押し、国際世論を喚起してきたのだろう。

  平和賞の授賞を発表したノーベル賞委員会のヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長は授賞の理由を次のように述べている(「ノルウェー・ノーベル委員会」公式サイトの動画より)=写真・下=。以下抜粋。

  「広島、長崎での被害を生き抜いた被爆者の証言活動は唯一無二のものである」「歴史の証人として個人の体験を語り、自らの経験に基づく教育キャンペーンを張り、核兵器の拡散と使用に対する警告を発することで、核兵器に対する反対運動を世界中に広げ、定着させることに貢献してきた。被爆者の活動は、私たちが言葉で言い表せないことを表し、考えられないこと考え、核兵器によってもたらされる理解し難い痛みと苦しみを理解する助けとなっている」「アルフレッド・ノーベルの意図することの核心は、献身的な人々が変化をもたらすことができるという信念だ。ことしの平和賞を被団協に授与することで、肉体的な苦しみや辛い記憶を平和への希望や取り組みに生かす選択をしたすべての被爆者に敬意を表したい」

  うがった見方をすれば、今回の被団協への平和賞授与は、現在世界は核の脅威にさらされているとの警鐘なのかもしれない。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻以降、ロシアは核兵器の使用をほのめかすなど脅しを繰り返している。ノルウェーやスウェーデン、フィンランドの北欧はロシアと隣接している。ノルウェーはNATOにすでに加盟していたものの、 中立国を掲げていたスウェーデン、フィンランドはロシアのクライナ侵攻を機に相次いでNATO入りした。それほど北欧では切迫感があるのだろう。

  もう一つ、ノーベル賞委員会の日本政府に対するメッセージかもしれない。核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」は2021年1月に発効したものの、日本は批准も署名もしていない。むしろ、条約に一貫して反対してきた。なぜ反対してきたのか。日本政府は「条約に核兵器を保有する国々が参加しておらず、日本が加わっても、核廃絶にはつながらない」を繰り返してきた。アメリカの「核の傘」に入っている気兼ねがあるのか。被爆国であり、核兵器の非人道性を訴える非保有国のリーダーとなるべきは日本ではないのか、と。

  きょう12日に開催された日本記者クラブ主催の党首討論会で、立憲民主党の野田代表が石破総理に対し核兵器禁止条約について「せめてオブザーバー参加をしてはどうか」と質した。すると、石破氏は「核のない世界を究極的にはつくりたい」と述べたものの、「現実として核抑止力は機能している」と言及。オブザーバー参加ついての返答は避け、核の力で相手の攻撃を思いとどまらせる核抑止力を強調していた。石破氏は佐藤元総理、そして被団協のノーベル平和賞を受賞をどう受け止めているのだろうか。

⇒12日(土)夜・金沢の天気    はれ

☆米中の架け橋失われる キッシンジャー氏が死去

☆米中の架け橋失われる キッシンジャー氏が死去

   「バランス・オブ・パワー(勢力均衡)」という言葉を知ったのは半世紀も前、高校生のときだった。アメリカの大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャー氏が1971年7月に密かに中華人民共和国を訪れ周恩来首相と会談し、その後「来年2月にニクソン大統領が訪中する」と発表し、世界をアッと驚かせた。そのとき、日本のメディアも盛んに「アメリカのバランス・オブ・パワー」と取り上げた。当時、アメリカの最大の敵だったソ連より優位な地位を保つための現実主義的な外交で、「キッシンジャー外交」と評された。その後、ニクソン訪中が実現し、79年1月の国交正常化につなげた。

   ダイナミックな外交と裏腹に、予期せぬ事態も起きた。キッシンジャー氏がニクソン大統領の中華人民共和国への訪問を公表すると、国連がにわかに動いた。中国の場合、もともと常任理事国は第2次世界大戦の戦勝国である国民党の中華民国だった。それが中国共産党に追われ台湾に逃れた。71年10月にいわゆる「アルバニア決議」が国連で発議され、中国の代表権は中華人民共和国にあると可決され、中華民国は常任理事国の座から外され、国連を脱退することになる。中華人民共和国が国連に加盟し、台湾の常任理事国を引き継ぐことになった。アルバニア決議にはアメリカも日本も反対した。(※写真はキッシンジャー氏の訃報を伝えるCNNニュースWeb版)

   リアリストであるキッシンジャー氏は、中国の発展を受け入れつつ、中国とうまく付き合いながら、アメリカへのショックを和らげるというカタチで米中の関係を取り持ってきた。ことし7月にも、米中の対立が続く中、北京を訪問して習近平国家主席と会談、11月15日に行われた米中首脳会談に向けた根回しをしたとされる。

   そのキッシンジャー氏が今月29日、死去した。100歳だった。米中関係の改善だけでなく、73年には泥沼化していたベトナム戦争の和平交渉をまとめ、ノーベル平和賞を受賞している。バランス・オブ・パワーに尽くした人だった。

⇒30日(木)夜・金沢の天気   くもり

★安倍事件まもなく1年 明文化されない国葬の開催基準

★安倍事件まもなく1年 明文化されない国葬の開催基準

   安倍晋三氏が凶弾に倒れ亡くなり、去年9月27日に日本武道館で国葬が営まれた。中継番組をNHKなどで視聴していた=写真=。昭恵夫人が遺骨を抱いて車から降りて会場に入る。開式の辞で始まり、国歌演奏、黙とう、政府が制作した生前の安倍氏の映像を映写、追悼の辞(三権の長がそれぞれ、友人代表)、皇族による供花、献花(海外参列者、駐日大使ら)など淡々と進んだ。むしろ目立ったのは、きびきびとした動きの自衛隊の儀杖隊だった。

   追悼の辞で、友人代表として菅前総理が興味深いエピソードを紹介していた。平成12年(2000年)、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしていた。当選2回目だった菅氏は「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と自民党総務会で反対意見を述べた。これが紙面で掲載され、記事を見た安倍氏が「会いたい」と電話をかけてきた。このことが、安倍氏と菅氏が北朝鮮の拉致問題にタッグを組んで取り組むきっかけとなった。当時の森喜朗内閣や外務省は日朝正常化交渉を優先していて、拉致問題はむしろ交渉の阻害要因というスタンスだった。

   安倍政権の官房長官として苦楽を共にした菅氏は、明治の政治家・山県有朋が長年の盟友・伊藤博文に先立たれて故人をしのんだ歌を詠んで追悼の辞を締めくくった。「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」。追悼の辞で拍手があったのは菅氏だけだったことを覚えている。

   安倍氏の国葬は議論を呼んだ。戦後の総理経験者としては1967年の吉田茂氏以来で戦後2人目だった。安倍氏の国葬の理由の一つに挙げられたのが、通算在職日数が3188日と歴代総理の中でトップ(総理官邸公式サイト)だったことだ。ちなみに、戦後政治を立て直した吉田氏は同2616日で5位だった。ならば、同2798日で3位、ノーベル平和賞受賞者でもある佐藤栄作氏はなぜ国葬にならなかったのか、と素人ながら考えてしまう。

   国葬に関しては一定のルールを設けるようにとの意見があり、政府は去年12月に国葬を検証する有識者ヒアリングの結果を公表したものの、明文化には至っていない。これについて記者会見(きのう3日)で問いただされた松野官房長官は「国葬の検討に当たっては、時の内閣において責任を持って判断する」と述べている(3日付・共同通信Web版)。はたして国葬の開催基準をめぐっての問題にけじめはつくのか。菅氏が詠んだ山県有朋の歌「今より後の 世をいかにせむ」を、問題を棚ざらしにすべきではないと解釈すれば、まさにこのことだ。

⇒4日(火)夜・金沢の天気     くもり

☆ノーベル平和賞を隠す「不都合な真実」

☆ノーベル平和賞を隠す「不都合な真実」

   ノーベル平和賞を隠すということはどのような意味があるのだろうか。9日付のこのブログでノーベル平和賞について記した。ノルウェーのノーベル平和賞選考委員会は、ことしのノーベル平和賞にフィリピンのインターネットメディア「Rappler(ラップラー)」代表マリア・レッサ氏と、ロシアの独立系新聞「Novaja Gazeta(ノヴァジャ・ガゼータ)」の編集長ドミトリー・ムラトフ氏の2人を選んだと発表した(「ノーベル平和賞2021」プレスリリースWeb版)。

   やはりそうかと感じたことがあった。中国では今回のノーベル平和賞の受賞について、国営の新華社通信などの主要メディアは報じていない。独裁的な政権に立ち向かうジャーナリストの受賞決定に、中国政府が報道を規制した可能性がある(10月8日付・NNNニュースWeb版)。では、なぜ中国政府は今回のノーベル平和賞受賞を隠すのか。いわく因縁がある。

   中国政府に民主化を求めたことが国家転覆罪にあたるとして有罪判決を受けた、作家で人権活動家の劉暁波氏は服役中の2010年にノーベル平和賞を受賞した。肝臓を患っていたが、国外での治療を認められず2017年7月に死亡した。中国在住の中国人として初のノーベル賞受賞者だったが、劉氏は「この受賞は天安門事件(19896月)で犠牲になった人々の魂に贈られたものだ」と語ったことでも知られる。その遺体は火葬にされ、遺骨は海にまかれた。中国当局とすれば、「劉暁波」を人民の記憶から消し去ろうとしたのだろう。反骨のジャーナリストがノーベル平和賞を受賞したことを人民が知ると「劉暁波」が想起される。そこで報道をいっさい認めないのではないか。

   あるいはこの問題も避けたかったのかもしれない。ことし6月、中国政府への批判を続けてきた香港の新聞「蘋果日報(アップル・デイリー)」が発行停止に追い込まれ、紙面の主筆や中国問題を担当する論説委員も逮捕された。蘋果日報が狙い撃ちされたのは昨年8月だった。創業者の黎智英(ジミー・ライ)氏が香港国家安全維持法(国安法)と詐欺の容疑で逮捕され、ことし2月、禁固1年2月の実刑判決を受けている。中国政府とすれば、この点からも体制に批判的なジャーナリストのノーベル平和賞受賞は好ましくないと判断した可能性もある。

  いずれの理由にしても、中国政府にとってはジャーナリストのノーベル平和賞受賞は「不都合な真実」なのだろう。

⇒11日(月)夜・金沢の天気     くもり

☆ノーベル平和賞の遺伝子

☆ノーベル平和賞の遺伝子

   第二次世界大戦後長らく続いたアメリカとソビエト連邦のいわゆる「冷戦」を終結に導き、ソ連で最初で最後の大統領として知られるミハイル・ゴルバチョフ氏がノーベル平和賞を受賞したのは1990年だった。中距離核戦力の全廃条約に調印したことや、グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(再建)を掲げてソ連の民主化を進めたことが受賞理由だった。1991年に辞任に追い込まれたが、同時に賞金などを元手にゴルバチョフ財団を創設し、独立系新聞の創設を支援してきたことなど、後年、何度か出演した日本の民放テレビで語っていた。

   きのう8日、ノーベル平和賞のニュースをテレビで視聴していて、その記憶と同時に「ノーベル賞ストーリー」というものを感じた。

   ノルウェーのオスロにあるノーベル平和賞選考委員会は、ことしのノーベル平和賞にフィリピンのインターネットメディア「Rappler(ラップラー)」代表マリア・レッサ氏と、ロシアの新聞「Novaja Gazeta(ノヴァジャ・ガゼータ)」の編集長ドミトリー・ムラトフ氏の2人を選んだと発表した(「ノーベル平和賞2021」プレスリリースWeb版)=写真=。ノヴァジャ・ガゼータ紙こそ、ゴルバチョフ氏がファンドで支援した新聞だった。以下、プレスリリースを引用する。

   ドミトリー・ムラトフ氏は1993年創刊の独立系新聞「ノヴァジャ・ガゼータ」を立ち上げた一人。24年間、同紙の編集長を務めている。権力に対して批判的な論調を崩さず、権力の汚職、警察の暴力、不法逮捕、選挙詐欺の汚職など重要な記事を発表し、現在のロシアで最も独立性の高いメディアと評価されている。一方で、権力サイドからは嫌がらせ、脅迫、暴力、殺人にいたるさまざま迫害を受けていて、創刊から現在まで、チェチェンでの戦争に関する政府への批判記事を書いた女性記者ら同紙の6人のジャーナリスト記者が殺害されている。殺害と脅迫にもかかわらず、編集長のムラトフ氏は新聞の独立性を守り続けている。

   プレスリリ-スは、フィリピンのドゥテルテ大統領とロシアのプーチン大統領の名前を記していないが、両国での人権侵害や報道の自由が危うくなっていると指摘している。フィリピンでは麻薬犯罪の取り締まりで容疑者の超法規的な殺害が続き、ドゥテルテ大統領はこれを容認している。マリア・レッサ氏はこれを正面から批判している。また、ロシアではプーチン政権に批判的なジャーナリストへの迫害が相次いでいる。今回受賞した2人は政権に妥協しない報道の自由を死守している。その姿勢を高く評価したものだ。

   冒頭で「ノーベル賞ストーリー」と述べたが、ソ連の民主化を毅然と推し進めたゴルバチョフ氏。その賞金で支援した独立系新聞社の報道の自由を守る戦い。この部分を切り取って考えると、まさに「ノーベル平和賞の遺伝子」ではないかと想像してしまう。こんなことも考える。今回のノーベル賞受賞でフィリピン、ロシア政府がそれぞれに2人に対して圧力を強めるかもしれない。ノーベル賞というスポットライトを当てることで、国際世論を喚起することの効果をノーベル選考委員会は期待しているのかもしれない。

   プレスリリースはこう締めくくっている。「Without freedom of expression and freedom of the press, it will be difficult to successfully promote fraternity between nations, disarmament and a better world order to succeed in our time. This year’s award of the Nobel Peace Prize is therefore firmly anchored in the provisions of Alfred Nobel’s will.」(意訳:表現の自由と報道の自由がなければ、国家間の友愛、軍縮、そしてより良い世界秩序を促進することは困難である。したがって、今年のノーベル平和賞はアルフレッド・ノーベルの意志に合致している)

⇒9日(土)夜・金沢の天気    くもり時々はれ