☆ニュースは流れを読む
総務省幹部への接待問題は論点がまだ見えて来ない。東北新社だけでなくNTTにも広がり、公務員倫理の遵守が問われているが、メディア報道に国民は怒っているのだろうか、呆れているのだろうか、あるいは無関心なのだろうか。自身の周囲(職場の人や知人たち)と話していても、このニュースがほとんど話題に上らない。その理由を考察してみる。
率直に言えば、接待問題は贈収賄事件と展開しないと事件としての迫力がない。もちろん、公務員倫理の遵守意識を軽んじているのではない。なぜ総務省でこれほど接待問題が頻発しているのかと言えば、放送や電波、通信などの割り当てをめぐって巨大な権限を総務省が有しているからだ。根源的な課題として、この規制と権限にも目を向けないと、いつまでたっても接待問題はなくならないだろう。
この問題を定点観測していくポイントは3つあると考察する。一つは、東京地検特捜部などが動いているのかどうかだろう。昔からよく言われたきたことだが、許認可の判断を官公庁が持ち、政治家が仲介して企業・団体(受益者)に使用権が与えられる。もし、電波の割り当てをめぐって金が動いているのであれば、現職総理のファミリーを巻き込んだ贈収賄事件へと展開する。地検も接待の陰に政治家や金の匂いがしないか虎視眈々と捜査を進めているだろう。接待を受けた1人に総務省事務方のNo2の大物の名前も挙がっていて、検察とすれば「大捕り物」になるからだ。メディアの記者たちも横目で検察の動きを注視しているのではないか。
2つめのポイントは行政改革だろう。デジタル社会の要(かなめ)は電波だ。その電波割当に関わる権限を総務省から9月1日に設置予定の「デジタル庁」に移管してよいのではないか。ひょっとして菅総理は「デジタル庁」への移管を念頭に置いているかもしれない。
そして、3つめは規制改革ではないだろうか。電波の割当を省庁の権限ではなく、単純にオークション化すればいい。何しろ、携帯キャリアが国に納めている電波利用料は端末1台当たり年間140円。令和元年度でNTTドコモは184億円、ソフトバンクは150億円、KDDは114億円だった(総務省公式ホームページ「令和元年度 主な無線局免許人の電波利用料負担額」)。NTTドコモは国へ電波利用料184億円を納め、携帯電話の通信料としてユーザーから3兆943億円を売り上げている(2019年度)。電波をオークション化することによって、その利益を納税者に還元すべきではないだろうか。
上記の3つのポイントで接待問題の成り行きを注視したい。ニュースは刻々と変化していく。その流れを読んで行く。
⇒15日(月)午後・金沢の天気 はれ

記者ら3人については捜査が不十分として「不起訴は不当」と判断していた。きょうのニュースを見て、ようやく「けじめ」がついたとの印象だ。
き合う2頭の「あうん」の竜と、その間に宝の玉「宝珠(ほうじゅ)」が描かれている。「宝珠双龍文様」と呼ばれる図柄の彫刻で、正殿の玉座の背後にある「内法額木(うちのりがくぎ)」と呼ばれる部分に施してあった。下絵には「全体的に少し上げる」など、手書きの修正点や注意点が複数書き込まれている。
記事を読んで、ネット上にどのような批判が挙がっているのか検索すると、手厳しいコメントが。「ん?なんかさり気なくアイヌをぶっ込んできたが、『ア、犬』って、バカにしとるやないか!」「スッキリのアイヌのギャグのやつ昔実際にあった差別用語だよね。あれはないわ」「スッキリのhuluのアイヌの謎かけは本当に良くない! 差別用語で使われてた言葉だからしっかり調べてからそういうことをいって欲しい」
このサクセスストーリーを背景に、街は活気にあふれた。1864年から40年かけて、街の中心部にイギリスのゴシック様式による大聖堂が建設された。クライストチャーチ大聖堂=2006年8月撮影=だ。見学でガイドからこの大聖堂は大きな地震に3度も見舞われながら40年の歳月を費やし1905年に完成したと説明を受けたのを覚えている。その大聖堂が2011年2月22日にクライストチャーチ近郊で発生した大地震で、シンボル的存在だった塔は崩れ落ちた。そして、「ガーデンシティ(庭園の街)」と称されるまでに美しい街にがれきがあふれ、ビルの倒壊で日本人28人を含む185人が亡くなった。思い出のある街だけに、震災のニュースはショックだった。そして、17日後の3月11日に東日本大震災(マグニチュード9.0)が起きた。
12日午前中に東京・八重洲で畠山氏と会うことができた。頭髪、ひげが伸びていて、まるで仙人のような風貌だった=写真・上=。この折に、9月2日に輪島市で開催する「地域再生人材大学サミットin能登」(能登キャンパス構想推進協議会主催)の基調講演をお願いし、承諾を得た。4ヵ月後、畠山氏と輪島で再会した。人は自然災害とどのように向き合っていけばよいのか、実にリアルな話だった。以下、講演の要旨。
私の家は海抜20㍍近くだが、自宅すぐ近くまで津波は押し寄せた。津波は海底から水面までが全部動く。昨晩、(輪島市の)海辺の温泉のホテルに泊まらせていただいた。窓を開けるとオーシャンビューで、正直これは危ないと思った。4階以下だったら、山手の民宿に移動しようかと考えたが、幸い8階と聞き安心した。温泉には浸かったが、安眠はできなかった。あの津波の恐怖がまだ体に染み込んでいる。
津波が起きてしばらくは、誰もが元の所に帰るのは嫌だと言っていた。しかし、2ヵ月くらいすると、徐々に今まで生活した故郷を離れられないという心情になってきた。ただ恐れていたのは、海が壊れたのではないかということだった。震災後2ヵ月までは海に生き物の姿が全く見えなかった。ヒトデやフナ虫さえ姿を消していた。しかし2ヵ月したころ、孫が「おじいちゃん、何か魚がいる」と言うので見ると、小さい魚が泳いでいた。その日から、日を追ってどんどん魚が増えてきた。京都大学の研究者が来て基礎的な調査をしているが、生物が育つ下地は問題なく、プランクトンも大量に増えている。酸素量も大丈夫で、水中の化学物質なども調べてもらったが、危ないものはないと太鼓判を押してもらった。これでいけるということで、わが家では山へ行ってスギの木を切ってイカダを作り、カキの種を海に下げる仕事を開始した=写真・下=。
継続した。空からの取材をするため、14時49分に契約している航空会社にヘリコプターを要請した。しかし、仙台空港に駐機していたヘリは津波で機体が損壊していた=写真・上=。空撮ができなければ被害全体を掌握できない。さらに、21時19分、テレビ朝日からのニュース速報で「福島原発周辺住民に避難要請」のテロップを流した。震災、津波、火災、そして原発の未曽有の災害の輪郭が徐々に浮き彫りになってきた。
れて帰る取材スタッフへの声掛け、ねぎらいの言葉を張り出すなどした。情報共有のための「立会い朝会議」をほぼ毎日午前9時から実施した(3月16日-4月28日まで)。立会い朝会議は録音、議事録を当日中に作成し全社にメール配信した。非常事態であるがゆえに徹底した情報共有や気配りが必要なのだと教えられた。
大型巻き網漁船「第十八共徳丸」(330㌧)があった。津波のすさまじさを思い知らされた。
分」に黙とうが始まり、一瞬の静けさの中で、祈る人々、すすり泣く人々の姿が今でも忘れられない。
門が30日前後、子会社などから医薬品を仕入れ販売することなどを含む製造販売部門が20日前後となる見込み(3月2日付・北日本放送ニュースWeb版)。
あるとの見解を示していた。それを中国は「いかなる挑発行為にも断固対応する」と反発した。中国は明らかに尖閣支配に向けてギアを上げている。

