#ソーシャルディスタンス

☆コロナ禍で丸3年 「ブラボー」まだ叫べない

☆コロナ禍で丸3年 「ブラボー」まだ叫べない

   新型コロナナウイルスの感染拡大は第8波に見舞われている。その起点となる最初の感染が確認されたのが2020年1月15日だったので、ちょうど3年たったことになる。この間、マスク着用やソーシャルディスタンスなどは日常の自然の振る舞いのようにもなった。そして、さまざまな変化にも気づく。

   先日、金沢市にある県立音楽堂で開催されたコンサートに出かけた。新型コロナウイルスの感染を避ける観客席の制限はとくになかったものの、一点だけ注意のアナウンスがあった。「ブラボーの声掛けは控えてください」。素晴らしい演奏にブラボーが飛べば客席の気分がさらに盛り上がるものだが、確かにブラボーを叫べば前方につばが飛ぶだろう。今後、コロナ禍が沈静化しても、ブラボーは復活しないかもしれない。

   もう一つ。茶道の茶会で濃茶は茶碗の回し飲みをする「吸い茶」が流儀だったが、コロナ禍では各服点(かくふくだて)と呼ばれる、一人が一碗で飲む流儀になっている。この各服点は、百年前の大正期にスペイン風邪と呼ばれるインフルエンザが日本で大流行したときに導入されたが、風邪が治まって吸い茶が復活していた。コロナ禍で人々の衛生観念はかなり敏感になった。コロナ禍が終了したとして、回し飲みの流儀にすんなりと戻るのか。

   話は海外に飛ぶ。いま流行のオミクロン株は世界で派生型の種類が多いとされる。メディアが連日取り上げている、中国のゼロコロナ政策解除の爆発的な感染拡大、さらに、春節の休暇(今月21-27日)による中国人の海外渡航の問題。中国国内ではすでに集団免疫を獲得していて、渡航を許可しているのかもしれない。ところが、中国政府が感染者数や死亡者数をあいまいにしたことから、他国は疑心暗鬼に陥っている。

   逆なことを考えると、中国人が国内で集団免疫を獲得していたとしても、海外の旅先で別の変異株に感染すると、帰国後にそれが新たな感染拡大の要因になるのではないか。人とコロナウイルスのいたちごっこが繰り返される。もちろん、中国だけの話ではない。コロナ禍の収束までには相当な時間がかかりそうだ。

⇒16日(月)夜・金沢の天気   くもり

★さりげないディスタンス茶席に和の心

★さりげないディスタンス茶席に和の心

   新型コロナウイルス禍の影響で3年ぶりの開催となった金沢の「百万石まつり」(3-5日)に出かけた。このイベントは加賀藩初代の前田利家公が金沢城に入城するのを再現する「百万石行列」がメインで行われ、市内7ヵ所で茶道の各流派が茶席を設ける「百万石茶会」が開催される。出かけた先は7つの茶席の一つの「旧中村邸」。造り酒屋の一族の旧邸宅で、昭和3年(1928)に建てられ、切妻造りの建物は市の指定保存建造物でもある。

   茶席は2階の27畳の大広間。床の間に掛け軸「乕一声清風起(とらいっせい   せいふうおこる)」が掛けられていた=写真=。虎の鳴き声で一陣の清風が吹いて山や海の景色が変わる例えのように、百万石祭りが行われることでコロナ禍で沈んでいる金沢に再びにぎわいが戻ることを期待するという思いが込められているそうだ。茶席の亭主の解説を聞きながら薄茶をいただく。

   コロナ禍での注意も怠りはなかった。参加者の入れ替えなどで人数を制限していた。お菓子とお茶をいただく以外はマスクを着用し、間隔を空けて一定の距離を保つ。これまでのように1つの畳に3人か4人ではなく、「半畳に1人」という間隔を空けて座る。誰かの指示で着座するというより、参加者が自然とソーシャルディスタンスを保ちながら、席入りしていたので心得たものだ。

   3年ぶりの百万石茶会ということもあって、目立ったのは和服姿だった。見たところ女性の8割は和装だった。コロナ禍で和服を着る機会が少なかった。参加者は久しぶりで和の装いを楽しみ、そして茶道を満喫したのではないだろうか。

⇒5日(日)夜・金沢の天気    くもり

★「世は常ならず」 ニューノーマルな日々

★「世は常ならず」 ニューノーマルな日々

   きのう高校時代からの友人と3人でランチを楽しむために金沢のステーキ店に入った。それぞれがステーキとサラダバーを注文した。さっそく、サラダを取りに行く。バイキング形式で色とりどりのサラダが並んでいて、好きなものを取って自らの皿に盛る。友人の一人がつぶやいた。「これでコロナ対策は大丈夫なのか」と。野菜をつまむトングは盛り皿ごとにそれぞれついているが、つまむ客が10人いれば10人が同じトングを使うことになる。友人の指摘は同じトングを使い回すサラダバーは、ウィズコロナのこのご時世に不適切という見方だ。確かに、箸のように1人で一つのトングを使う形式が時代のニーズだ。

   新型コロナウイルスの感染拡大で「ニューノーマル(new normal)」という言葉が広がった。新たな常識、という意味で解釈している。ウィズコロナの時代を生き抜く知恵としてのニューノーマルだ。身近な事例を拾ってみる。

   やはり、筆頭は「ソーシャルディスタンス(social distance)」だろう。人と人の距離を置く。スーパーマーケットのジレでは買い物客がさりげなく距離を空けて列をつくっている。レジで精算するときに買い物カゴとマイバッグをいっしょに出すと、以前は店員が商品をダイレクトにバッグに入れてくれたが、今はそれがない。買ったものは自らがマイバッグに入れる。これは客と店員のソーシャルディスタンスではある。

   「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉が金沢にあるが、このご時世は「弁当忘れてもマスク忘れるな」である。外出するときにマスクは必携だ。マスクをしていないと常識や人格までもが疑われる。さらに、マスクをしていても咳やくしゃみの音に周囲が過剰反応する。先日訪れたあるオフィスでマスクを着けていたものの、むせて2度咳をした。すると、「保健所にはやく行ってよ」と言わんばかりのきつい目線を浴びた。

   マスクのニューノーマールで言えば、使い捨てから洗濯で再利用が当たり前になった=写真=。マスクの色も黒や花柄など実にバリエーションに富んでいる。マスクに人の個性が表れている。人とマスクとの長い付き合いが始まったのだろう。

   最近では聞かれなくなったが、外出を控える社会現象を「巣ごもり」という言葉でたとえた。このブログで「巣ごもり」の言葉を使ったのが3月20日だった。ちなみに、アメリカでは「シャットイン(shut in)」と言うそうだ。この巣ごもりがその後、「テレワーク(telework )」や「リモートワーク(remote work)」という在宅勤務へと大きく展開した。安倍政権が「働き方改革」を声高に唱えても定着しなかったが、コロナ禍で一気にニューノーマル化した。自らもリモートワークで、会議はオンラインだ。たまに職場に行くとリフレッシュした気分になる。オンライン飲み会も結構楽しい。

   病院でのニューノーマルもある。4月22日に金沢市内の病院で検査で胃カメラ(内視鏡)を入れた。えずき(嘔吐反射)がつらいので、これまでは口からではなく鼻から入れてもらっていた。ところが、病院側では鼻から内視鏡を出し入れすると検査室にウイルスが飛び散る危険性があるということで、現在は口からでしか入れていない、と説得された。受け入れざるをえなかった。鎮静薬を注射して口から入れた。つらさはまったくなかった。

   病院でのニューノーマルをもう一つ。待合室はいつも混雑していたが、予約待ちの人たちだけなのだろう、コロナ以前に比べ人の入りが少ない。他の病院でも同じだ。「病院は3密、ちょっとしたことで病院にかからない」という社会風潮かもしれない。病院の経営にとってはマイナスだろう。逆にドラッグストアが混雑している。金沢市内でもこのところ新しいドラッグストアチェ-ンの店が次々と開店している。

   身近な事例でも、この社会的な常識の変化は著しい。「世は常ならず」。人の世には何が起こるか分からない。せめて、悔いのない毎日を送ろう。60歳も後半に入った友人たちとのランチもそんな会話でお開きとなった。

⇒17日(金)午前・金沢の天気   はれ