#ジャーナリスト

★フェイクニュースをどう司法判断するのか

★フェイクニュースをどう司法判断するのか

   前回のブログに続き、今回も「ジャーナリスト狩り」をテーマに取り上げる。韓国の朝鮮日報Web版日本語(8月21日付)の記事は「韓国与党・共に民主党がいわゆる『言論懲罰法』と呼ばれる言論仲裁法の改正を強行採決しようとする中、各国の言論団体など海外のジャーナリストたちも批判の声を上げ始めた」と報じている。ネットでこれまで韓国の言論仲裁法については何度か読んだが、海外のジャーナリストを巻き込んで事が大きくなっている。

   この言論仲裁法は正式には「言論仲裁および被害救済等に関する法律」と呼ばれ、報道被害の救済を大義名分につくられた法律だ。今回の改正法案は、新聞・テレビのマスメディアやネットニュースで、取り上げられた個人や団体側がいわゆる「フェイクニュース」として捏造・虚偽、誤報を訴え、裁判所が故意や重過失がある虚偽報道と判断すれば、報道による被害額の最大5倍まで懲罰的損害賠償を請求することができる。つまり、メディアの賠償責任を重くすることで、報道被害の救済に充てる改正法案だ。国会で3分の2以上の議席を占める与党系が今月25日にも強行採決する見通し。

   改正法案を急ぐ理由には、韓国のネット事情もあるのではないか。「ネット大国」といわれる韓国では中小メディアが乱立し、臆測に基づくニュースが目に付く。フェイクニュースではなかったが、先の東京オリンピックでは2つの金メダルを獲得した韓国のアーチェリー選手が、短くした髪型が理由で、国内のネット上で中傷が相次いでいると報道されていた(7月30日付・日テレNEWS24Web版)。韓国ではSNSによる誹謗中傷で芸能人の自死が相次ぐなど社会問題化している。当事者に対して強烈な批判が沸き起こる社会的な風土があるのかもしれない。日本でも同様に、番組に出演していた女子プロレスラーがSNSの誹謗中傷を苦に自死した事件(2020年5月)があったように、他人事ではない。

         こうした韓国政府の言論仲裁法の改正の動きに対して、国際ジャーナリスト連盟(IFJ、本部ブリュッセル)は公式ホームページ(8月21日付)で「South Korea: Concerns over media law amendment」との見出しで韓国政府への懸念を表明している=写真=。また、朝鮮日報Web版日本語(8月21日付)によると、韓国に拠点を置く外国メディアの組織「ソウル外信記者クラブ(SFCC)」は20日、「『フェイクニュースの被害から救済する制度が必要』との大義名分には共感するが、民主社会における基本権を制約する恐れがある」と声明を出した。

   以下は持論。記事に目を通して、改正法案に矛盾点があるように思える。記事がフェイクニュースであるかどうかを判断するのは裁判所だ。先に述べたネット上の中小メディアが流した記事ならば、記事の入手方法や取材過程などについて裁判官がメディア側に尋問すれば記事の信ぴょう性を判断できるかもしれない。

   問題はマスメディアの記者、あるいはフリーランスのジャーナリストの場合だ。率直に自らの取材上のミスだったと認める良心的な記者ならば何ら問題はない。しかし、ミスを認めたくない記者の場合、そう簡単ではない。「情報源の秘匿」をタテに口をつぐむだろう。秘匿している限り、取材過程が明らかにされることはない。それを強制的に吐かせるとなれば、裁判所側が報道の自由の侵害とそしりを受けることになる。おそらく、裁判所側は状況証拠を積み上げて最終的に判断するしかない。これはそう簡単ではない。

   懲罰的損害賠償をもくろんであえて訴える人も出てくるだろう。「取材で答えたことと記事の内容が違う。名誉が棄損された、損害を被った」と。記者は「確かにそう言った」、訴えた側は「言ってない。捏造だ」と展開し、「言った・言わない」に審理は終始する。こうなると、裁判官が悩むことになる。むしろ、裁判官たちがこの改正法案を忌避しているのではないだろうか。

⇒22日(日)夜・金沢の天気    あめ時々くもり

☆タリバンの容赦ないジャーナリスト狩り

☆タリバンの容赦ないジャーナリスト狩り

    実にいたましい記事だ。そして、この記事の写真を見るとタリバンは獲物を狙う「山賊」のようにも見える。ドイツ国際放送「Deutsche Welle」(DW)は19日、アフガニスタン国籍の同社記者の家族がタリバンによって射殺されたと報じている=写真=。記事は、「Journalists and their families are in grave danger in Afghanistan. The Taliban have no compunction about carrying out targeted killings as the case of a DW journalist shows.」(意訳:アフガンではジャーナリストとその家族が重大な危険にさらされている。DWのジャーナリストのケースが示すように、タリバンは標的を絞って殺害を実行し、そこには何らの妥協もない)と報じている。

   DW記事によると、射殺されたのは「ストリンガー」と呼ばれる、アフガンで採用された現地記者の家族だ。記者はドイツの本社に来ていた。タリバンはその記者を探して家から家へ捜索を行っていた。家族を探し出して、射殺した。以下憶測だが、記者がドイツの本社にいることを家族から聞いて、見せしめに家族を射殺したのだろう。もともと記者本人を殺害するために探していた。

   タリバンによる「ジャーナリスト狩り」はこれだけではない。記事によると、アフガンの民間テレビ局ガルガシュトテレビの記者はタリバンに誘拐され、民間ラジオ局パクティア・ガグラジオの責任者は射殺されている。ドイツの週刊ニュース紙「Die Zeit」に投稿していた翻訳者が今月に入って射殺されている。そして、世界的にも有名なインドの写真家のデニッシュ・シディキ氏(ピューリッツァー賞受賞者、ロイター通信写真記者)が7月16日にカンダハルで武装勢力によって殺害されている。

   ドイツジャーナリスト協会(DJV)は、欧米のメディアで働いているストリンガーの家族が殺害されたことを受けて、「同僚が迫害され、殺害されている間、ドイツはぼんやりと立っていてはならない」と声明を発表して、ドイツ政府に迅速な行動を取るように求めている。また、国際ジャーナリストのNGO「国境なき記者団(RSF)」は国連安全保障理事会に対し、アフガンにおけるジャーナリストへの危険な状況に対処するための非公式の特別セッションを開催するよう要請した。

   では、なぜ、タリバンがジャーナリスト狩りを行っているのか。イスラム原理主義のタリバンが目指すところは、最高意思決定機関を据えた政教一致の体制だろう。ところが、世界のジャーナリストは権力への監視という重要な役割を担っていると自負している。タリバンにとっては、政権批判は忌み嫌う欧米の文化と映るのだろう。「山狩り」のように徹底したジャーナリストの排除を狙っているのではないだろうか。

⇒21日(土)午後・金沢の天気      くもり時々あめ

★書架にある立花隆氏の本を眺め、悼む

★書架にある立花隆氏の本を眺め、悼む

   ジャーナリストの立花隆氏が、ことし4月、急性冠症候群のため亡くなっていたことが分かったとメディア各社がけさ報じている。80歳だった。いわゆる「文春砲」、雑誌ジャーナリズムの先駆けをつくった人だ。1972年、テルアビブの空港で日本赤軍の3人が銃を乱射し24人が死亡した事件で、現地の警察に拘束されていた実行犯の岡本公三容疑者への一問一答の記事を「週刊文春」に掲載し、当時社会に衝撃を与えた。

   1974年には月刊「文芸春秋」に「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表。現職総理の政治手法を入念な取材と裏付け調査で明らかにし、退陣のきっかけをつくった。その後、「ロッキード事件」が発覚。田中氏や丸紅、全日空の役員らが受託収賄、贈賄などの罪で起訴される歴史的な疑獄事件となった。ジャーナリストとしての粘り強さ、徹底した調査報道は際立っていた。

   書棚を眺めて立花氏の本を手に取る=写真=。権力者の不正を追及するだけではなく、「科学する心」を持ったジャーナリストだった。宇宙や医療、脳、インターネットといった分野でも数々の著書を残している。科学・技術の最前線に立った人間がその体験を精神世界でどう受容し、その後の人生にどう影響したのか人物像も追っている。

   書棚の本をいくつかを紹介する。インターネットの普及期に読んだ『インターネットはグローバル・ブレイン』(1997)は示唆に富んでいた。著書名の通り、地球を生命体と見立てればインターネットは頭脳であり、プラットフォームやブログサイトなどはその神経細胞の一つというものだ。その細胞を活性化させることは、いかにして質の高い内容をアップロードし続けるかにある。自身はその後、この「インターネットはグローバル・ブレイン」というタイトルを会話や意見交換などで使わせてもらっていた。それが高じて、幻冬舎ルネッサンス新書『実装的ブログ論 日常的価値観を言語化する』(2017)を出版するきっかけにもなった。

   『臨死体験』と『証言・臨死体験』(文藝春秋社)は人間の脳の最期の姿を現すものだった。数々の臨死体験の中で、光の輪に入り、無上の幸福感に包まれるという臨死体験者の証言がある。立花氏は著書の中で「死にかけるのではなく本当に死ぬときも、大部分の人は、臨死体験と同じイメージ体験をしながら死んでいくのではないか」と推定している。この本を読んだのは1997年だった。17年後にこの本のことを思い起こすことになる。

   2014年2月、乳がんを患っていた妻の最期に立ち合うことができた。脈拍、心拍数がどんどん落ちていく。医師から臨終を告げられたのは午後8時50分だった。そのとき、妻の左目から涙がひとしずく流れた。死の生理現象なのかもしれないが、若くして逝った悔し涙だったのかなどと、その涙の意味をそれからずっと考えていた。ふと、以前読んだ『臨死体験』を思い出した。あのときの妻の涙は光の輪の幸福に包まれ流した涙だったに違いない、と。今でもそう思っている。書籍を通じてだが、教示いただいた立花氏に感謝している。そして、氏も臨終の際は光の輪の幸福に包まれていたことを祈る。

⇒23日(水)朝・金沢の天気    はれ

☆相次ぐジャーナリストの受難

☆相次ぐジャーナリストの受難

       ジャーナリストの受難が続く。イギリスBBCのWeb版(12月12日付)は「Ruhollah Zam: Iran executes journalist accused of fanning unrest」と、イランは不安を扇動したとして、ジャーナリストのルホラー・ザム氏を処刑したと報じている=写真・上=。ことし6月にザム氏はデモを扇動したとしたとして、ことし6月に死刑判決を言い渡されていた。

   BBCの記事によると、2017年12月に起きたイランの反政府デモは、物価高騰に市民による抗議活動だった。ザム氏はフランスのパリを拠点にして、通信アプリ「テレグラム」のニュースサイトを運営し、フォロワー140万人に向けて、抗議活動の映像などを情報発信していた。去年10月、いわゆる「ハニートラップ」でフランスからイラン入国したところを逮捕された。人権団体アムネスティ・インターナショナルは「抑圧の武器として、死刑が使われている」とイランを非難し、死刑の執行を取りやめるよう訴えていた。

   香港では、中国批判で知られる「蘋果日報(アップル・デイリー)」創業者の黎智英(ジミー・ライ)氏に対する詐欺罪での初公判が開かれ、保釈申請を却下して収監を命じた。黎氏は即日収監された。黎氏はことし8月に香港国家安全維持法(国安法)違反と詐欺などの疑いで香港警察に逮捕された後、保釈されていた。今回は逃亡や再犯の恐れを理由に保釈申請が認められず、収監された(12月3日付・BBCニュースWeb版)=写真・下=。

   詐欺罪はどのような内容だったのか。蘋果日報を発行する「壱伝媒」の本社があるビルで、不動産の貸借契約に反し、黎氏が別会社に一部を提供して不正に利益を得たとして詐欺罪に問われてた。「また貸し」が詐欺として罪に問われたというのだ。香港の転貸に関する法律を理解してはいないが、日本ならば、無断転貸の場合、ビルのオーナーは賃貸借契約を解除することになるだろう(民法612条「賃借権の譲渡及び転貸の制限」)。民事をあえて刑事事件として問い、収監におよぶところに政治的なむき出しが見て取れる。

⇒13日(日)朝・金沢の天気   くもり時々あめ   

★「領域外」に立ち入るということ

★「領域外」に立ち入るということ

   先日金沢市内の卯辰山公園近くの道路の入り口に看板がかかっていたので乗用車を停めると、「園内でクマが出没しました!」との注意書きだった=写真=。「7月22日」と記されているが、1ヵ月余り前の6月3日にも卯辰山山ろくの人家密集地にクマが出没し、7時間にわたる「大捕物劇」がニュースになっていた。いつまたクマが出没するかもしれないと考えると、金沢の紅葉の名所の一つでもあるものの、市民は敬遠するだろう。いつもならこの季節、バーベキューでにぎわうのだが。

   クマの暴走が止まらない。先月10月29日朝、小松市の小学校のグラウンドに1頭が入り、隣りにある高校の敷地内に逃げ込んだ。午前9時前に猟友会のメンバーが猟銃で駆除した。高校では15分遅れで授業を開始した。現場は市街地だ。小松市ではきょう1日に同市で実施される全国高校駅伝競走大会県予選について、一般道路を走るルートから陸上競技場のトラックを周回する方式に急きょ変更した。発着点付近でクマ出没が相次いだためだ。石川県自然環境課のまとめによると、ことしに入ってクマの目撃情報は502件(10月27日現在)で、うち小松市が133件ともっとも多く、次いで金沢市の118件だ。

   本来入るはずのないところに入る、本来入るべきところでないのに入る、それが問題だ。何もクマの話だけではない。菅内閣の総理補佐官に共同通信社の論説副委員長だった人物が10月1日付で就任したことが議論を呼んだ。いわゆる、権力をチェックする側のジャーナリストが一転して政権内部に入ってよいのか、と。政治部時代に菅総理と知り合い、また、同郷(秋田県)でもあった。総理からの要請を受けての就任で、政策の評価・検証をするポジションのようだ。

   ジャーナリストとして政権側に入ってよいものかどうか、本人が苦悶したであろうことは想像に難くない。以下は憶測だが、現在59歳、来年60歳という年齢が決断のきっかけだったかもしれない。ジャーナリストであっても、政治家であっても、経営者であっても、年齢というものを区切りに辞す、転職するなど別の世界を選択する。それを「人生の転機」と考えるものだ。ましてや、今回のように声がかかれば、「ご縁」、あるいは「運命」と位置付けてその道に入るだろう。

   今回、「ジャーナリストが政権側に身を売るのか」「それまでの政権批判は一体何だったのか」などとの手厳しい意見が身内からもあっただろう。ただ、ジャーナリストは多様である。菅総理に共感を持ちながら政権の有り様を質すジャーナリストもいる(「田原総一朗公式サイト」9月25日付コメント)。批判を覚悟しての政権入りであり、それも人生の貴重な選択肢だ。ただ、菅総理は人使いが荒そうなので、本人が問われるのはむしろこの先だろう。

⇒1日(日)朝・金沢の天気    はれ