#コラム

★北朝鮮の発射体は「はりぼて衛星」だったのか

★北朝鮮の発射体は「はりぼて衛星」だったのか

    5月31日朝、沖縄県にJアラート=全国瞬時警報システムが鳴り響いた。「北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中や地下に避難して下さい」と。間もなくして、「先ほどのミサイルは我が国には飛来しないものとみられます。避難の呼びかけを解除します」に切り替わった。Jアラートを報じるNHKニュースをチェックしていたが、スピード感のある速報だった。緊張が走ったのも、これに先立って北朝鮮が4月29日に「31日から来月11日までの間に『人工衛星』を打ち上げる」と日本に通告していたからだ。

   その後に韓国メディアのWeb版に切り替えた。すると、通信社の「聯合ニュース」は、韓国軍の消息筋の話として、北の宇宙発射体が予告された落下地点に行かず、レーダーから消失したと伝えていた。

   さらに北朝鮮の国営メディア「朝鮮中央通信」Web版をチェックすると、「午前6時27分に西海衛星発射場から軍事衛星『万里鏡1号』を新型ロケット『千里馬1型』に搭載・発射した」「1段目の分離後、2段目のエンジン始動に異常があり推進力を失って朝鮮西海(黄海)に落ちた」。失敗の原因を「千里馬1型に導入された新型エンジンシステムの信頼性と安定性が低く、使用された燃料の特性が不安定であることに事故の原因があった」とした上で、「国家宇宙開発局は衛星発射で現れた重大な欠陥を具体的に調査、解明し、可能な限り早期に2回目の発射を断行する」と報じていた。

   北朝鮮の衛星発射の失敗から36日。きょう6日付の韓国メディア「中央日報」のWeb版をチェックすると、その結末が報じられている。韓国軍合同参謀本部は黄海に落下した北朝鮮の衛星の残骸を引き上げて分析した結果をきのう5日に発表した。米韓が共同分析した結果では、搭載されていたカメラは横・縦1㍍が1個の点で表示されることを意味する「解像度1㍍級」よりはるかに解像度が落ちるもので、偵察を目的とした軍事的効用はまったくないことが分かった。(※写真、先月16日に引き揚げられた発射体の残骸の一部=撮影:韓国軍合同参謀本部)

   その上で、ミサイル防衛に詳しいマサチューセッツ工科大学の専門家のコメントとして、「技術的に発展した国というこ学を見せるためのもの」と紹介し、いわゆる「はりぼて衛星」をあたかも全世界を偵察できる能力があるように見せかける意図があったのではないかと指摘した。

   ただ、北朝鮮は再度の衛星打ち上げを断行すると表明している。必要な技術と部品、装備を調達するとなれば、ロシアの支援を受けるしかないのではないか。

⇒6日(木)午後・金沢の天気    はれ

☆季節外れの黄砂がやって来る

☆季節外れの黄砂がやって来る

   きょうも線状降水帯が九州地方にはびこるなど、異常気象ともいえる状況が続いている。そして、これも異常な空だ。気象庁公式サイト「黄砂情報」によると、あす6日は大陸から黄砂が飛んでくる可能性がある。これまで7月から9月かけて黄砂が観測されたことはなく、もし観測された場合、統計が始まった1967年以来初めてのこととなる。季節外れの黄砂だ。   

   日本から4000㌔も離れた中国大陸のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠から偏西風に乗って黄砂はやって来る。ただ、この時期に黄砂が来るということは、中国北部が高温少雨の干ばつに見舞われていて、砂が巻き上げられやすくなっているのではないか、と憶測してしまう。北京などでは猛暑が続き、観測史上初めて6月に3日連続で40度を超え、22日には過去最高の41度を記録したと報じれらている(6月25日付・AFP通信Web版日本語)。

   黄砂の日に外出すると、目がかゆくなる。黄砂そのものはアレルギー物質になりにくいとされているが、黄砂に付着した微生物や大気汚染物質がアレルギーの原因となり、鼻炎など引き起こすようだ。さらに、黄砂の粒子が鼻や口から体の奥の方まで入り、気管支喘息を起こす人もいる。日本海側の黄砂のルートにもなっている金沢では古くから「唐土の鳥」がまき散らす悪疫として、黄砂を忌み嫌ってきた。

   厄介もの扱いの黄砂だが、日本海に恵みをもたらすともいわれている。大量の黄砂が日本海に注ぐ3月と4月には、「ブルーミング」と呼ばれる、海の表面が白くなるほど植物プランクトンが大発生する。黄砂の成分といえるケイ酸が海水表面で溶出し、植物プランクトンの発生が促される。それを動物プランクトンが食べ、さらに魚が食べるという海の食物連鎖があるとの研究がある。確かに、地球規模から見れば、「小さな生け簀(す)」のような日本海になぜクジラやサメ、ブリ、サバ、フグ、イカ、カニなど魚介類が豊富に獲れるのか、いろいろ要因もあるが、黄砂もその役割を担っているのかもしれない。

   気象庁「黄砂情報」=予想図=によると、北陸地方にはあす6日午後3時ごろからが黄砂のピークだ。

⇒5日(水)夜・金沢の天気    くもり   

★安倍事件まもなく1年 明文化されない国葬の開催基準

★安倍事件まもなく1年 明文化されない国葬の開催基準

   安倍晋三氏が凶弾に倒れ亡くなり、去年9月27日に日本武道館で国葬が営まれた。中継番組をNHKなどで視聴していた=写真=。昭恵夫人が遺骨を抱いて車から降りて会場に入る。開式の辞で始まり、国歌演奏、黙とう、政府が制作した生前の安倍氏の映像を映写、追悼の辞(三権の長がそれぞれ、友人代表)、皇族による供花、献花(海外参列者、駐日大使ら)など淡々と進んだ。むしろ目立ったのは、きびきびとした動きの自衛隊の儀杖隊だった。

   追悼の辞で、友人代表として菅前総理が興味深いエピソードを紹介していた。平成12年(2000年)、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしていた。当選2回目だった菅氏は「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と自民党総務会で反対意見を述べた。これが紙面で掲載され、記事を見た安倍氏が「会いたい」と電話をかけてきた。このことが、安倍氏と菅氏が北朝鮮の拉致問題にタッグを組んで取り組むきっかけとなった。当時の森喜朗内閣や外務省は日朝正常化交渉を優先していて、拉致問題はむしろ交渉の阻害要因というスタンスだった。

   安倍政権の官房長官として苦楽を共にした菅氏は、明治の政治家・山県有朋が長年の盟友・伊藤博文に先立たれて故人をしのんだ歌を詠んで追悼の辞を締めくくった。「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」。追悼の辞で拍手があったのは菅氏だけだったことを覚えている。

   安倍氏の国葬は議論を呼んだ。戦後の総理経験者としては1967年の吉田茂氏以来で戦後2人目だった。安倍氏の国葬の理由の一つに挙げられたのが、通算在職日数が3188日と歴代総理の中でトップ(総理官邸公式サイト)だったことだ。ちなみに、戦後政治を立て直した吉田氏は同2616日で5位だった。ならば、同2798日で3位、ノーベル平和賞受賞者でもある佐藤栄作氏はなぜ国葬にならなかったのか、と素人ながら考えてしまう。

   国葬に関しては一定のルールを設けるようにとの意見があり、政府は去年12月に国葬を検証する有識者ヒアリングの結果を公表したものの、明文化には至っていない。これについて記者会見(きのう3日)で問いただされた松野官房長官は「国葬の検討に当たっては、時の内閣において責任を持って判断する」と述べている(3日付・共同通信Web版)。はたして国葬の開催基準をめぐっての問題にけじめはつくのか。菅氏が詠んだ山県有朋の歌「今より後の 世をいかにせむ」を、問題を棚ざらしにすべきではないと解釈すれば、まさにこのことだ。

⇒4日(火)夜・金沢の天気     くもり

☆安倍事件まもなく1年 旧統一教会の「献金の闇」

☆安倍事件まもなく1年 旧統一教会の「献金の闇」

   これを宗教というのだろうか。宗教の名を借りた集金システムではないのか。3日付の共同通信Web版によると、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の教団トップの韓鶴子総裁が6月末、教団内部の集会で「日本は第2次世界大戦の戦犯国家で、罪を犯した国だ。賠償をしないといけない」「日本の政治は滅ぶしかないだろう」と発言していたことが3日、関係者への取材や音声データで分かった。教団側は6月中旬までに、年間数百億円にも上るとされる日本から韓国への送金を今後も取りやめると説明していたが、トップが依然、韓国への経済的な見返りを正当化したことになる。

   あれから間もなく1年になる。2022年7月8日、奈良市で街頭演説中の安倍元総理が銃で殺害された。同市に住む山上徹也容疑者が殺人と銃刀法違反の罪で逮捕された。これから裁判員裁判で審理されることになるが、殺害の動機とされるのが、母親が旧統一教会へ高額な献金をしたことから家庭が崩壊し、恨みを募らせたことが事件の発端とされる。安倍氏は祖父・岸信介の代から三代にわたって旧統一教会と深いつながりがあり、山上被告は安倍氏にも恨みを抱いていた。   

   さらに、2022年12月9日の参院消費者問題特別委員会で、いわゆる「宗教2世」の女性が訴えた。「これだけ悪質な団体が活動の一時停止もなく、税制優遇を受けていることはあってはならない」「両親が親戚中を勧誘したり、お金を要求したり、そのことで怒られているところも見てきました。また、高校生から始めた5年間のアルバイト代200万円ほどの給与も没収され、一度も返ってきませんでした」(同日付・朝日新聞Web版の意見陳述)

   多額の献金は韓国の本部に集められた。それはどこに流れたのか。「文藝春秋」(2023年1月号)は「北朝鮮ミサイル開発を支える旧統一教会マネー4500億円」の見出しで報じている。旧統一教会と北朝鮮の接近を観察していたアメリカ国防総省の情報局(DIA)のリポートの一部が機密解除され、韓国在住ジャーナリストの柳錫氏が記事を書いている。旧統一教会の文鮮明教祖は1991年12月に北朝鮮を訪れ、金日成主席とトップ会談をした見返りとして4500億円を寄贈していた、と。

   さらにDIA報告書では、1994年1月にロシアから北朝鮮にミサイル発射装置が付いたままの潜水艦が売却された事例がある。売却を仲介したのが東京・杉並区にあった貿易会社だった。潜水艦を「鉄くず」と偽って申告して取引を成立させていた。韓国の国防部は2016年8月の国会報告で、北朝鮮が打ち上げたSLBM潜水艦発射型弾道ミサイルは北朝鮮に渡った「鉄くず」潜水艦が開発の元になっていたと明かした。この貿易会社の従業員は全員が旧統一教会の合同結婚式に出席した信者だった。

   高額献金をめぐる旧統一教会の「深い闇」をどう断罪するのか。断罪がなければまた繰り返される。

⇒3日(月)夜・金沢の天気     くもり

★「ならば自主返納」 マイナカードに渦巻く不安と不満

★「ならば自主返納」 マイナカードに渦巻く不安と不満

   きょうNHK「日曜討論」を視ていた。マイナンバーカードをめぐる一連のトラブル騒動について、河野デジタル大臣は陳謝した。そして、来年秋に健康保険証を廃止し、マイナンバーカードと一体化させる方針については「猶予期間が1年あり、現実にはこれから2年半ということになり問題はない」と述べていた。また、河野大臣は「次にカードを更新する時にはマイナンバーカードという名称をやめた方がいいと個人的に思っている」とも述べていた。このコメントそのものがますます国民に混乱を与えるのではないか。

         国民のマイナンバーカードへの不安や不満が、返納というカタチで表れている。 共同通信が都道府県所在地と政令指定都市の計52市区を対象に行った調査で、マイナンバーカードの自主返納について集計していたのは29市で、その合計は4月は21件だったものが、5月以降で少なくとも318件に上っていることが分かった(2日付・共同通信Web版)。最多は堺市の44件だった。金沢市では5月以降で21件の返納があった。返納届の記載には「信用できない」「問題が多い」があったという(同)。

   岸田総理はマイナンバーカードを「デジタル社会のパスポート」と位置づける狙いがあるようだが、国民世論とはズレている。世論調査(共同通信・6月17、18日調査)では、健康保険証の廃止について、「廃止を延期するべき」38.3%、「廃止を撤回するべき」33.8%と計72.1%ものが来年秋の廃止に違和感を持っているこのミゾをどう埋めるかが先決だろう。そもそも論ではあるが、マイナンバーカードは市区町村長が交付するもので、取得は義務ではなく任意である。なのに、健康保険証を廃止して、マイナンバーカードに一本化するなど本末転倒ではないかとの強い違和感が世論にはある。

   政府は国民にもっと丁寧に説明すべきだろう。ところが、政府はマイナンバカードの仕組みそのものに問題はなく、カードを発行する自治体で共用端末のログアウト忘れや事務処理の誤りなど人為的なミスが続発しているとの理解だ。これを受けて、政府は省庁横断の新たな対策本部「マイナンバー情報総点検本部」を総務省や厚労省などを中心に発足させた。総点検本部では、問題があるケースについて、データを点検し結果についてことし秋に公表する。簡潔に言えば、自治体に間違いなくやれと締め上げているようなものだ。   

   岸田総理の肝いりで立ち上げた総点検本部で、国民の不安と不満を払拭し、来秋の保険証の廃止に向けて道筋をつけることができるのかどうか。対応を誤れば間違いなく岸田政権に難局が訪れる。正念場を迎えている。

(※写真は6月18日、母校の早稲田大学で講演する岸田総理=総理官邸公式サイトより

⇒2日(日)夜・金沢の天気     くもり

☆能登大雨で熊木川の氾濫 大伴家持が詠んだ「熊来」伝説

☆能登大雨で熊木川の氾濫 大伴家持が詠んだ「熊来」伝説

   きょうから7月、その初日は能登半島は大雨に見舞われた。とくに中能登と呼ばれている七尾市中島地区の熊木川の一部流域では、氾濫危険水位を超えて農地や道路が冠水し、住宅では床下浸水の被害があった。中島地区など5800世帯・1万4100人を対象に避難指示が発令された=写真、1日付・夕刊各紙=。

   このニュースが気になったもの、中島地区で激しい雨を自身も経験したことがあるからだ。ちょうど6年前、2017年7月1日だ。能登へ乗用車で出かけ、自動車専用道「のと里山海道」の中島地区で、大雨に巻き込まれた。雨がたたきつけるようにフロントガラスに当たり、ワイパーの回転を一番速くしても前方が見えず、しばらく車を停車し小降りになるのを待った。再び出発すると、たたきつけるような雨に再び見舞われた。3度運転を見合わせた。波状的な激しい雨は初めてだった。このとき能登では1時間で53㍉の非常に激しい雨が観測され、七尾市の崎山川や熊木川などが一部氾濫した。   

   話は変わるが、熊木川にはちょっとした思い入れもある。川の河口の七尾西湾は「能登かき」で知られる養殖カキの産地でもある。里山の栄養分が熊木川を伝って流れ、湾に注ぎこむ。その栄養分が植物プランクトンや海藻を育み、海域の食物連鎖へと広がり、カキもよく育つとされる。とくに、里山の腐葉土に蓄えられた栄養分「フルボ酸鉄」が豊富にあると現地で学んだことがある(2010年5月・金沢大学「里山里海環境調査」)。学習的なことは別として、能登かきのファンにとっては気になる場所なのだ。

   和歌をたしなむ人々にとっても気にかかるのが「熊来」(のちに熊木村、現在の中島地区)かもしれない。天平20年(748)に越中国の国司だった大伴家持が能登を巡行している。そのときに詠んだ歌が万葉集におさめられている。「香島より熊来をさして漕ぐ舟の梶取る間なく都し思ほゆ」。以下、自己解釈で。(七尾の)香島から熊来の在所に向かって舟を漕いでいく。舟舵を取るのも忙しいが、それ以上に都のことがひっきりなしに思い浮かんでくる。

   作者は不詳だが、万葉集にはさらに2つの「熊来」が出て来る。「梯立の熊来のやらに新羅斧堕入れわし懸けて懸けて勿泣なかしそね浮き出づるやと見むわし」「梯立の熊来酒屋に真罵らる奴わし誘い立て率て来なましを真罵らる奴わし」(※七尾市「能登国府」パンフより)

   ある愚か者が鉄斧を熊来の河口の海底にうっかり落とした。海に沈んでしまえばもう浮かび上がることはないのに泣いてばかりいるので、しかたなく「そのうち浮かんで来るよ」とみんなでなだめた。熊木の在所の酒蔵でえらく怒鳴られている従業員がいたので、誘って連れ出そうかと思ったが、「怒鳴られているあんたはどうする」と。

   8世紀に成立した日本最古の和歌集に、おそらく当時の最先端の言葉であったであろう「酒屋」と「新羅斧」が出てくる能登はどのような風景だったのか。豪雨の熊木川から連想した。

⇒1日(土)夜・金沢の天気     あめ

★タカになりたかったトンビ

★タカになりたかったトンビ

   きょう久しぶりに金沢城公園を散歩した。コロナ禍を経て観光客が戻っているようで、団体やインバウンド観光客の姿が多く見られた。休憩所に入ると、「トンビに注意!」のポスターが数枚貼ってあった。

   休憩所にいたボランティアガイドの男性に尋ねた。「トンビに注意とありますが、どんな被害があるのですか」と。すると、ガイド氏は困ったような顔つきでこう話してくれた。公園の広場で弁当などを食べていると、トンビが空から降りて来て、人に危害を与えないが食べ物を取っていくという事例が目立っているという。これまでも、サンドイッチやおにぎりなどが狙われた被害があったそうだ。確かに、注意書きの下には、「食べ物をねらって、空から急降下してくることがあります」と記してある。

   タカ科の猛禽類のトンビはピーヒョロヒョロと鳴きながら、空でくるりと輪を描いているイメージだが、地上の獲物を狙っている。ヘビやカエルなどが好物のようだが、以前、能登の千里浜海岸で打ち上げられたの魚の死骸を突いている様子を見たことがある。雑食性の鳥だ。「トンビに油揚げをさらわれる」という言葉もある。自分のものになると思っていたものや、大切にしていたものが不意に横取りされることのたとえで使われる。このようなことわざがあるくらい油断ならない生き物なのだろう。

   悪いイメージだけではない。「トンビがタカをうむ」という言葉もある。平凡な親が優れた子を生むことのたとえ。そして、「トンビも居ずまいからタカに見える」という言葉もある。普通の人間であっても、立ち居振る舞いによって立派な人に見えるというたとえだ。

   前回のブログの続きになるが、ロシアのプリゴジンをトンビにたとえてみる。タカ(将軍)になりたかったトンビが軍勢を引きいてモスクワに進軍したが、ベラルーシのルカシェンコ大統領にトンビはトンビと諭されておじけづいた。しょせんトンビはトンビ、タカにはなれない、と。

⇒30日(金)夜・金沢の天気    くもり

☆粛清へと向かうのか 「プリゴジンの乱」の余波

☆粛清へと向かうのか 「プリゴジンの乱」の余波

   たった一日とは言え、私兵を率いて政府軍に盾突いたプリゴンジはプーチン大統領にとっては、いわゆる「反逆者」だ。はたしてプーチン氏は彼を許すだろうか。ロシアには「チーストカ(粛清)」の歴史がある。あのソビエト連邦時代の最高指導者だったスターリン(1878-1953)は反革命や不正者を徹底的に弾圧したことで歴史上で知られる。粛清は、ある意味で敵の脅威をつくり出すことで国民を恐れさせ、団結させることにあるとされる。プーチン大統領も国民の団結の「道具」として、プリゴジンの粛清を行うのではないか、との読みもある。(※写真は、6月25日付・BBCニュースWeb版)

   たとえは適切でないかもしれないが、ロシアにはもう一つの粛清の方法がある。それは墓などをつくらず、地上に存在したことを消去することだ。第二次世界大戦で、ヒトラー率いるドイツ軍は1945 年5月 8 日に無条件降伏したが、ヒトラーは降伏前の4月30日に自決する。遺体はヒトラーの遺言によって焼却されたものの、焼け残った遺体は当時ベルリンを占領していたソ連軍によって東ドイツのマクデブルクに運ばれ、ソ連諜報機関の事務所前の舗装の下に埋められた。1970年になって、ネオナチの崇拝目的になることを怖れ、遺体を再び焼却して遺灰をエルベ川に流したとされる(Wikipedia「アドルフ・ヒトラーの死」より)。

   この粛清の方法はロシアだけではない。第二次大戦後、極東軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた元総理の東條英機ら7人のA級戦犯の遺骨もそうだった。アメリカ軍は1948年12月23日、東京・巣鴨プリズンから遺体を運び出し、横浜市内の火葬場で焼かれ、遺骨は別々の骨つぼに納められた。そして、小型の軍用機に載せられ、上空から太平洋に散骨されている。

   また、ニューヨークの同時多発テロ(2001年9月11日)の首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンに対する斬首作戦が2011年5月2日、アメリカ軍特殊部隊によって実行された。パキスタンのイスラマバードから60㌔ほど離れた潜伏先を奇襲して殺害。DNA鑑定で本人確認がなされた後、アラビア海で待機していた空母カール・ビンソンに遺体は移され、海に水葬された。

   遺骨が遺族に返還され、墓がつくられることになれば、その墓が将来、聖地化や崇拝の地になることを想定しての処置なのだろう。「死をもって罪をあがなう」という発想ではなく、存在証明を許さないのだ。プリゴジンの処遇をめぐっての書き出だしだったが、話がずいぶんと逸れた。

⇒29日(木)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

★宗教画を強制移設 「聖戦」勝利はプーチンの願い

★宗教画を強制移設 「聖戦」勝利はプーチンの願い

          ロシアをめぐる騒々しいニュースは、「プリゴジンの乱」だけではないようだ。BBCニュースWeb版(今月5日付)は「Ukraine war: Holy Trinity painting on display in Moscow」の見出しで、ロシアでもっとも有名な宗教画とされる「聖三位一体」がプーチン大統領の命令で、国立美術館からモスクワ大聖堂に移され展示されたことが物議を醸している、と伝えている=写真=。

   宗教画は「イコン(Icon)」と称され、聖三位一体のイコンは15世紀初頭に描かれたもので、旧約聖書の一場面でとされる。16世紀にモスクワ教会はこれをイコンと定めて保管してきたが、ロシア革命の後は宗教活動が認められなくなったため、1929年から国立トレチャコフ美術館で所蔵されていた。それをプーチン大統領がロシア正教の総本山であるモスクワ大聖堂に強制的に移設し、6月4日から一般公開している。

  ただ、このイコンは壊れやすく、美術館ではこれまで温度と湿度が制御された部屋に置かれ、修復チームがメンテナンスを行ってきた。まさに、「it was like a person in intensive care(集中治療室にいる人のような)」状態だった(BBCニュースWeb版)。それほど破損が危ぶまれる作品を、プーチン氏はなぜ移設を命令したのか。

   ロシア正教の総主教はウクライナ侵攻を「holy war.(聖戦)」と称して、プーチン氏を支持してきた。そして、総主教は「This icon returns to the Church at a time when our Fatherland is confronting massive enemy forces」と信者に語っている。つまり、戦争中にイコンを大聖堂に戻すとロシアが勝利する、と。

   BBCはこう締めくくっている。「To make Russians believe that God is on their side. And to make them forget that it was their country that invaded Ukraine.」。プーチン大統領の狙いは、イコンがここにある限り敵国に勝てるとロシア人に信じさせる。それは、ウクライナを侵略したのはロシアであることを彼らに忘れさせるため、なのかもしれない、と。

   モスクワ大聖堂に展示されている聖三位一体のイコン。プーチン氏はイコンが奇跡をもたらすと本当に信じているのだろうか。

⇒27日(火)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

☆ホタル舞う田んぼ 自然との共生のドラマがある

☆ホタル舞う田んぼ 自然との共生のドラマがある

   石川県の白山ろくで農薬や化学肥料を使わない農業を営み、ホタルの保存活動を行っている知り合いから勉強会の誘いを受けて昨夜、出かけた。勉強会は白山市渡津(わたづ)町の集会所であった。テーマは「第12回白山麓わたづ町・蛍の里・ホタル観賞会~自然と共に環境は未来へ~」。勉強会に参加するのは9年ぶりだった。

   誘ってくれたのは稲作専業農家の大田豊氏74歳。先祖代々からの里山の田んぼを受け継ぐ。標高220㍍の棚田に無農薬、そして無化学肥料のコメづくりに取り組み、2011年に「渡津蛍米」を商標登録した。いわゆる「生き物ブランド米」だ。兵庫県但馬地域の「コウノトリ米」や新潟県佐渡の「トキ米」が有名だが、大田氏も「生き物は田んぼの豊かさを示すバロメーター」が持論で、独学で田んぼと生物多様性について学んでいる。多彩なゲストを招いての勉強会もその一環。
 
   60人余りが参加した勉強会は午後6時から始まり、6人のパネリストが発表した。印象に残った発表の一つが、NPO法人「日本ホタル再生ねっと」理事長の草桶秀夫氏(元福井工業大学教授)が説明だった。西日本と東日本ではゲンジボタルのオスの光り方が異なり、フォッサマグナ地帯を境とした西日本では2秒間隔、東日本では4秒間隔との内容だ。ゲンジボタルのミトコンドリア遺伝子につながる塩基配列を用い、全国108地域の個体間の遺伝的類縁関係を調べるなど調査した。その結果、進化の過程で遺伝的変異とともに、発光パターンが変化したとの解説だった。
 
   そして意外だったのは、「ホタルは遺伝的多様性が大きいので、むやみに放流をしないこと」という言葉だった。「ホタルの移植(放流)3原則」というのがあって、▽移植元と移植先が同一河川に限る▽大きな山の尾根を越えた移植はしない▽10㌔以上離れた場所からの移植はしない、とのこと。つまり、よかれと思い遠くから幼虫などを大量に運んで放流したとしても、遺伝的には繁殖につながらないとの説明。つまり、ホタルの環境保全という視点から、ホタルの大量放流や飼育はできる限り、避けるべきとの解説だった。
 
   午後8時ごろから、大田氏の水田でのホタル観賞会に参加した。水田に舞うヘイケボタル、そしてすぐ近くの河川に舞うゲンジボタル。夕闇の中、ホタルの群れが黄緑色の光跡を描きながら乱舞していた。ホタルが舞う田んぼには、耕す人たちのドラマがあるのだろうと感じ入った。そして、ホタルはきれいだという印象にとどまらず、農薬や化学肥料を使わずに自然との共生を考えるシンボルになってほしいとの思いを新たにして水田を眺めていた。
 
⇒26日(月)午前・金沢の天気     はれ