#コラム

☆能登半島地震 またもや緊急地震速報が鳴り響く

☆能登半島地震 またもや緊急地震速報が鳴り響く

   夕方にスマホの緊急地震速報が鳴った=写真=。夕食中に、グラリと揺れが走った。テレビのニュース速報が流れた。時間は午後6時42分、能登を震源とするマグニチュード4.8、震度5弱の揺れ。自身が住む金沢は震度1だった。

   気象庁によると、震度1以上の揺れを観測した地震は16日午前4時までに1400回以上になる。能登地方やその周辺を震源とする地震は徐々に減少しているものの、地震活動が活発な状態が続いている。気象庁が今後2、3週間は震度5強程度か、それ以上の揺れに注意が必要と呼びかけていた矢先に先ほどの震度5の揺れが起きた。

   石川県庁危機管理監室のまとめによると、県内の犠牲者は16日午後2時の時点で222人となった。このうち、避難所生活などで病気などが悪化したり、体調を崩したりして亡くなった災害関連死は14人となっている。重軽傷者は1036人に上る。

   県内の市や町が設ける避難所に避難している人はきょう16日午後2時現在、372ヵ所で1万6070人に上る。また、高齢者や妊婦など配慮が必要な被災者とその家族を優先して金沢市のホテルや旅館に入ってもらう「2次避難所」には42ヵ所に1278人が避難している。

   生活インフラの復旧が進んでいない。とくに断水は広範囲にわたっていて、8つの市町の5万5500戸に上っている。中でも大きな災害が出た輪島市、珠洲市、七尾市、穴水町、能登町、志賀町ではほぼ全域で断水が続いている。

   寒気の影響できょう日中は厳しい冷え込みとなった。あす17日の最低気温は輪島市でマイナス3度と予想されている。揺れが続き、厳冬の避難所生活ではなかなか展望が見いだせないのではないだろうか。

⇒16日(火)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

★能登半島地震 仮設住宅を3階建てに 珠洲市長が要望

★能登半島地震 仮設住宅を3階建てに 珠洲市長が要望

   元旦の能登半島地震から2週間経った。石川県危機管監室がまとめによると、きょう15日午前9時現在で犠牲者は221人(珠洲市99人、輪島市88人、穴水町20人、能登町6人ほか)、うち災害関連死は13人となっている。地元紙の朝刊に「おくやみ欄」がある。亡くなった人の通夜と葬儀の日時、喪主名、遺族の話が短文で紹介されている。震災で亡くなった人たちのおくやみも掲載されている。それは、死亡日が「1日」あるいは「2日」となっていることから推察できる。

   きょうの地元紙には、震災の犠牲者を荼毘に付すことすらままならない現状が記事として掲載されている。犠牲者が多く出た奥能登には輪島市、珠洲市、能登町の3ヵ所に火葬場があるものの、火葬炉計8基のうち6基が被災して使えない状態になっている。6基の復旧のめども立っていない。このため、災害時の協定に基づき、金沢市など他市町の火葬場に遺体を搬送することになる。このため、12日からは全国から寝台車15台の応援を受けて搬送を行っている(15日付・北陸中日新聞)。

   奥能登から金沢に遺体を搬送するだけでも5時間ほどかかる。そして、葬儀を終え、火葬を済ませたとしても納骨がままならない。前回のブログでも述べたように、奥能登の墓地は崩れるなどかなりのダメージを受けている。

   話は変わる。珠洲市の泉谷満寿裕市長は県が着工した応急仮設住宅に関し、建設用地不足への対応策として、東日本大震災で3階建て仮設住宅を手掛けた、建築家の坂茂(ばん・しげる)氏に設計を依頼できないか、県に働きかける意向を示している(15日付・北國新聞)。同市は約6千世帯で、今回の震災で仮設住宅を必要と市民は4千世帯と見込んでいる。

   坂氏は1995年1月の阪神淡路大震災を契機に世界各地で被災地の支援活動に取り組んでいて、2011年3月の東日本大震災では、住居用に加工した海上輸送用コンテナを使った3階建ての仮設住宅を宮城県女川町で手掛けている=写真・上、「坂茂建築設計」公式サイトより=。限られた土地により多くの戸数を確保するという画期的なシステムでもあり、泉谷市長が仮設住宅を手掛ける県に提案するのだろう。

   坂氏は去年5月5日に珠洲市を襲った震度6強の地震の際も避難所にプライバシーに配慮したダンボール製の間仕切りを寄贈している。坂氏の間仕切りは、今回の地震でも能登の被災者の二次避難所となっている金沢市の体育館にも寄贈され、使われている=写真・下、同=。個室には透けないカーテン布が張られ、中にあるベッドもダンボール。環境と人権に配慮した避難所なのだ。

⇒15日(月)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

☆能登半島地震 「利家とまつ」墓所の石灯籠くずれる

☆能登半島地震 「利家とまつ」墓所の石灯籠くずれる

   能登半島地震の被災地を視察するため、岸田総理が石川県を訪れている。その最中、北朝鮮はきょう午後2時53分に1発の弾道ミサイルを北東方向に向けて発射。最高高度50㌔以上で、少なくとも500㌔飛翔し、朝鮮半島東岸付近の日本海に落下した。日本のEEZ外と推定される(14日付・防衛省公式サイト)。石川県庁で岸田総理は「状況の把握と国民に対する適切な情報提供、船舶等の安全の確保、不測の事態に的確に対応するように万全を期すという3点の総理指示を出した」と記者団に述べた。

北朝鮮のミサイル等関連情報(続報)   能登半島地震の被害について、北朝鮮の金正恩総書記は5日、岸田総理に宛てて見舞いの電報を送った。これを受けて、林官房長官は記者会見で、「能登半島地震による被害には各国からお見舞いのメッセージを受け取っており、金総書記からのメッセージにも感謝の意を表したい」と述べていた(6日付・NHKニュースWeb版)。そして今回の日本海に向けた弾道ミサイルの発射だ。日本海側に住む者にとって不信感がさらに募る。

   話は変わる。今回の地震で金沢の最大震度は5強だった。その被害は、住宅地でのがけ崩れや金沢城の石垣の崩れ、兼六園でも石灯篭や石垣が崩れるなどした。そして、国の史跡でもある「加賀藩主前田家墓所」にも被害があった。見に行くと、加賀百万石の礎を築いた前田利家の墓碑、そして横にある正室まつの墓碑は無事だった。ただ、両墓碑の入り口などにある石灯篭の笠の部分が崩れたりしていた=写真・上=。前田家墓所は全体で敷地面積が8万6千平方㍍もあり、すべてを見たわけではないが、多くの石灯篭などが倒れていて、相当な数になる。国史跡なので金沢市文化財保護課が修復することになるのだろう。

   今回の地震で「庭の石灯篭が倒れた」という話をよく聞いた。和の雰囲気を醸す石灯篭は日本の庭文化のシンボルのような存在で、金沢の一般家庭の庭でもよく見かける。ただ、石灯篭は地震で縦揺れや横揺れにさらされると、上部にある笠や球体などが揺れ動き、崩れやすいのかもしれない=写真・下、金沢市内で=。

   同じ石でも墓石はどうか。前田家墓所の周辺は野田山墓地と言って、山頂から山腹に一般の墓地が広がる。見渡した限りでは、崩れている墓石はほとんどなかった。自宅近くの菩提寺の墓地でも崩れた墓石は見当たらなかった。逆に、5日に訪れた震度6弱の能登町の実家の墓地ではほとんど上の塔の部分化が落ちていた。墓石のカタチにそれほど違いがある訳でもない。震度5と6の揺れの違いを思い知らされた。

⇒14日(日)夜・金沢の天気   くもり

★能登半島地震 リアス式海岸で繰り返されてきた災害

★能登半島地震 リアス式海岸で繰り返されてきた災害

   集落の孤立状態が続いている。石川県によると、12日午後2時の時点で、輪島市、珠洲市、能登町の少なくとも17地区の1900人余りが孤立している。その最大の原因は、海と山が接するリアス式海岸でのがけ崩れなどで他の集落とつながる道路が寸断された状態になっているからだ。

   能登半島で孤立化している17の地区をチェックすると地理的に一つの傾向がある=図・上=。それは17のうち15の地区が半島の尖端部分で大陸に面する海岸沿いにあり、地元では「外浦(そとうら)」と呼ばれる地域だ。富山湾の側は「内浦(うちうら)」と呼ばれている。ちなみに、外浦と呼ばれるのには波が荒く、内浦は波が静かとのいわれがある。

   その外浦ではがけ崩れが頻繁に起きている。データがある。防災科学技術研究所が作成した「地滑り地形分布図データベース」(2012年)=図・下=によると、能登北部でがけ崩れ現場が集中している場所は外浦であり、今回孤立化している地域とほぼ一致する。

   なぜ、外浦ががけ崩れ地帯なのだろうか。以下、地質学の専門家でもない自身の憶測である。ウエザーニュースのまとめによると、元旦の震度7から4日夜にかけて観測された「震央」の分布図(震源の真上の地表の点)は能登半島の西の沖合から佐渡島近くまでの約150kmの範囲に広がっている。このため、断層活動による岩盤の破壊が広範囲におよんでいると推察できる。

   政府の地震調査委員会の資料「1700年代以降、能登地方で観測され、記憶が残るマグニチュード6級の震央の位置」(2023年)によると、能登では1729年8月のマグニチュード6.6から7と推測される揺れや、2007年3月25日の同6.9など、2023年5月5日の同6.5にかけて強い地震が12回も起きている。それ以前にも能登では相当の揺れが繰り返されてきたことは想像に難くない。このため、リアス式海岸が広がる外浦では地盤が広範囲に緩んでいて、山側のがけ崩れの要因になっているのではないだろうか。

   その典型的な事例が、国指定名勝である「輪島・白米の千枚田」=写真、2018年3月撮影=ではないか。この地区では貞享元年(1684)に大きな地滑りがあり、棚田があった山が崩れた。「大ぬけ」と地元では伝えられる。いまで言う深層崩壊だ。その崩れた跡を200年かけて棚田として再生した。いまも地滑りを警戒して、千枚田の真ん中を走る国道249号の土台に発砲スチロールを使用するなど傾斜地に圧力をかけない工夫がなされている。自然災害と向き合ってきた能登の人々の精神性をあらためて感じる。

⇒13日(土)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

☆能登半島地震 海底隆起で港が陸になった

☆能登半島地震 海底隆起で港が陸になった

   内閣が情報収集衛星を使って撮影した画像は特定秘密保護法に基づいて公開されることはないが、大規模災害の際、被害状況の把握や救助、避難活動に活用できると判断した場合には公開している。今回の能登半島地震は公開に相当するとの判断で、内閣衛星情報センターは内閣官房の公式サイトで今月2日から5日にかけて撮影した21枚を掲載している。

   その中でショックを受けたのは珠洲市長橋漁港が陸地化している写真だった。漁港は能登半島の外浦と呼ばれる大陸側の海岸にある。小さな集落の漁港で周囲には民宿などもあり、能登の漁村をイメージさせる。その漁港の防波堤を含めて周囲一面で隆起し、陸地化している。

   海岸線の隆起の規模はどのくらいか。国土地理院の地球観測衛星「だいち2号」による解析では、珠洲市から輪島市、志賀町にかけて、沿岸部の海底が総延長約85㌔にわたって隆起して陸地となり、輪島市の地点では約4㍍隆起し、地震前より最大約200㍍海岸線が海にせり出したこともわかっている(10日付・読売新聞Web版)。この写真は隆起した海岸線のごく一部だ。

   このような海岸線での海の隆起は、木彫りの仮面を被り太鼓を打ち鳴らす御陣乗太鼓の発祥地である輪島市名舟町の漁港でも起きている。現場の目の前に住む人からのまた聞きの話だが、海面だった部分が震災翌日には陸地化していて、「港も船も干し上がっていた。これでは漁業はできない」とぼう然としていたという。

   漁業だけでなく、伝統的な製塩方法が伝わる珠洲市清水町の「揚げ浜式製塩」ではこれまでの海岸線からさらに100㍍ほど海岸線が遠くなった(12日付・北國新聞)。揚げ浜式製塩では、浜士(はまじ)と呼ばれる塩づくりの職人が浜で海水を桶で汲んで塩田まで30㍍ほどを担いで運ぶ。機械化のモノづくりに慣れた現代人が忘れた、愚直な労働の姿でもある。その塩(海水)汲みの浜がさらに100㍍遠くなると果たして伝統の製塩を続けられるのか。

⇒12日(金)午後・金沢の天気   あめ時々くもり

★能登半島地震 生き物たちの「災害関連死」

★能登半島地震 生き物たちの「災害関連死」

   能登半島地震で亡くなった人は石川県庁危機管理監室の発表によると、きょう11日午後2時の時点で県内で213人、そのうち災害関連死が8人、重軽傷者が567人となっている。関連死は地震や津波などによる直接的な被害で亡くなるのではなく、避難生活などで病気などが悪化したり、体調を崩したりして命が失われるケースだ。2016年4月の熊本地震の犠牲者270人のうち、生き埋めになるなどして死亡した人は50人、災害と関連して亡くなったのは220人だった(内閣府政策統括官リポート「災害関連死について」より)。

   人の命だけでなく、さまざまな生き物の命も奪われている。七尾市能登島にある「のとじま水族館」の公式サイトによると、9日付で「1月1日の地震の影響で、のとじま水族館で飼育していましたジンベエザメの『ハチベエ(オス)』が死亡しました」と、そして翌日の10日付で「1月1日の地震の影響で、のとじま水族館で飼育していましたジンベエザメの『ハク(メス)』が死亡しました」とそれぞれ短文で伝えている。

   ハク(体長4.9㍍)とハチベイ(同4.6㍍)は、500種4万点の魚類がいるのとじま水族館の中では、まさにスターだった。体の大きさの割には威圧感がない。小魚やプランクトンがエサで、動きがゆったりしていて、眺めているだけで癒される思いがした。2匹は2022年9月から同館で飼育されていて、体長が6㍍になると再び海に放される予定だった。(※写真は、2018年9月に撮影した「のとじま水族館」のジンベイザメ)

   メディア各社の報道によると、地震発生の1日にはジンベイザメの水槽が水漏れで水位が半分以下となり、4日には循環ポンプの水没や濾(ろ)過設備が停止していることが確認された。応急措置として水槽に海水を投入して水位を保ったものの、水温が低くなりすぎるなど生育環境が悪化して死に至ったようだ。生き物たちの災害関連死ではある。のとじま水族館ではカマイルカやゴマフアザラシなどを「いしかわ動物園」(石川県能美市)や「越前松島水族館」(福井県坂井市)に移すなどの措置を講じている。

⇒11日(木)夜・金沢の天気   あめ

☆能登半島地震 遺産と伝統文化の気がかりな行く末

☆能登半島地震 遺産と伝統文化の気がかりな行く末

   石川県は昨夜から雨続きで、気象庁は能登の輪島市、珠洲市、七尾市、中能登町に大雨警報を発表し、きょう10日夕方にかけて雨や雪解け水により土砂災害の危険度が高まると注意を呼びかけている。メディア各社の報道によると、県は震災による死亡を203人(10日午前9時現在)、このうち地震や津波が直接的な原因でない、いわゆる災害関連死が7人と発表した。

   先日、能登町の実家に行く際、う回路の穴水町を経由した。道路はどこもかしこもヒビ割れて隆起し、傾いていまにも崩れそうな家屋も多い。のと鉄道「穴水駅」近くにある穴水大宮の前を通ると、鳥居や手水舎(てみずしゃ)が無残にも崩れ落ちていた=写真=。毎年9月に大宮などを中心に盛大なキリコ祭りが開催される。神輿やキリコ、山車などが曳き出され、提灯や奉灯で長い光の帯ができ、イヤサカヤッサイ、サカヤッサイと男衆の掛け声も勇ましく、笛と鉦、太鼓の囃子が町中に響き渡る。崩れた鳥居や周囲の家屋を眺めると、能登の伝統のキリコ祭りは今後どうなるのかと気がかりになる。

   珠洲市で木炭製造会社を経営する大野長一郎氏と連絡がつき電話で話した。伝統的な炭焼きを今も生業(なりわい)としている県内で唯一の事業所で、付加価値の高い茶道用の炭の生産に力を入れている。自宅と作業場は市内の山中にある。被害を尋ねると、「3つある(炭焼き)窯は全滅です」と。

   茶道用の炭は切り口がキクの花模様に似ていることから「菊炭」とも呼ばれ、炉や風炉で釜の湯を沸かすのに使う。クヌギの木を材料としていて、大野氏の菊炭はススが出ず、長く燃え、燃え姿がいいと評価が高く、全国から茶人が炭窯を見学に訪れている。大野氏は日本の茶道文化の一端を担えてうれしいと話していただけに、窯の全壊による落胆の様子が電話からも伝わってきた。

   能登の里山里海に伝承される農業や漁業、林業が国連食糧農業機関の世界農業遺産(GIAHS)に認定されたのは2011年6月のこと。FAOによる日本で初めての国際評価で、輪島の千枚田はそのシンボルだ。その千枚田に震災によって多くのヒビ割れができていると地元紙が伝えている(5日付・北國新聞Web版)。もともとこの地は地滑り地帯で、地元で語り継がれる「大(おお)ぬけ」と呼ばれる大規模災害が1684年(貞享元年)にあった。今でいう深層崩壊だ。その土砂崩れ現場を200年余りかけて棚田として復元したことから、「農業のレジリエンス(復興)」としてFAOは高く評価している。それが棚田に多くのヒビ割れとなると水耕栽培は当面は難しいかもしれない。

⇒10日(水)午後・金沢の天気   あめ

★能登半島地震 液状化現象でゆがむ街並み

★能登半島地震 液状化現象でゆがむ街並み

   日を追うごとに犠牲者が増えている。石川県庁危機管理監室のまとめによると、亡くなった人は202人、重軽傷者は565人に上る(9日午後2時現在)。道路の寸断などで輪島や珠洲など奥能登2市2町などでいまも24地区3300人が孤立状態に。生活インフラの復旧もまだ途上で、1万8000戸で停電、5万9000戸で断水が続いている。

   2万8000人が地域の公民館など400ヵ所に避難しているが、低体温症や感染症などに注意が必要なことから、県では金沢を含め県内外の宿泊施設に被災者を移す「2次避難」へと動いている。気象庁はきのう8日の会見で、地震活動は活発な状態が続いていることから今後1ヵ月程度、最大震度5強以上の地震に注意するように呼びかけた。

   今回の能登半島地震では能登の被災地が主に報道されているが、金沢市に隣接し、日本海に面した内灘町でも大きな被害が起きている。きのう現場を見に行った。シニア世代ならば聞き覚えがあるかもしれないが、内灘は1952年に在日アメリカ軍が砲弾試射場を砂丘に設置したことがきっかで起きた住民による基地反対闘争で知られる。その町の一部が今回の地震で道路がいたるところで隆起したり陥没したりしている=写真・上=。地面がゆがみ、多くの住宅や電柱が傾いている=写真・下=。道路が15度ほど斜めになっているところもある。

   元旦の地震では内灘町は震度5弱だった。震源となった能登からは距離がある地域だが、なぜこのように被害が大きくなってしまったのか。隆起した現場をよく見ると、土砂が噴き上げた様子があちらこちらにある。これを見て液状化現象だと思った。2007年7月16日に震度6強の揺れとなった新潟県中越沖地震の後、柏崎市を訪れたことがある。このときも道路に土砂があふれていて、初めて液状化現象の現場を見た。

   今回、液状化現象が見られた内灘町の西荒屋地区は、河北潟の西側に広がる。この地域は江戸時代から河北潟を埋め立てる干拓事業が進められてきた。もともと砂地だった場所なので液状化現象が起きたのだろうか。

⇒9日(火)夜・金沢の天気   あめ

☆能登半島地震 氷点下の被災地で「低体温症」が気がかり

☆能登半島地震 氷点下の被災地で「低体温症」が気がかり

   能登半島地震が発生してからきょうで1週間、朝は冷え込んでいる。天気予報によると、金沢の最高気温は4度、最低気温は1度、能登はさらに冷え込みが強く、輪島は最高気温は3度、最低気温はマイナス1度だ。雪も積もっている。金沢の自宅周辺は5㌢ほどだが、能登の珠洲市で12㌢、七尾市で11㌢、輪島市で9㌢などとなっている(8日午前5時現在・日本気象協会「tenki.jp」より)。今後さらに積雪が予想されるという。(※写真は、8日午前7時35分ごろの金沢市内の積雪の様子)

   積雪は去年12月22日、気象庁が北陸に「顕著な大雪」を呼びかけて以来だ。ここで気になるのは、雪の重みだ。北陸の雪はパウダースノーではなく、湿気を含んで重く、庭木の枝などがよく折れる。北陸の家々で雪吊りを施すのはこのためだ。被災地でこの重い雪がさらに積もると、どのような影響を及ぼすのか。屋根瓦が崩れた家に雪が積もると重圧となり、倒壊するのではないかと思ったりする。

   これまで確認された死者は128人に上る(7日午後2時現在)。そして石川県のまとめによると、県内15市町の約400の避難所に2万8000人が身を寄せているという。これは行政が把握している避難者の数で、孤立した集落などではビニールハウスや民家、神社・寺院などに自主的に退避している人も相当いると見込まれる。また、被害が大きい輪島、珠洲、能登、穴水の2市2町で2300人が孤立状態で、連絡の取れない安否不明者が195人に上っている。

   そのような中で断水と停電がいまも続き、さらに気温がマイナスとなった。そこで懸念するのが、いわゆる「災害関連死」だ。ネット上で公開されている内閣府政策統括官リポート「災害関連死について」によると、2016年4月の熊本地震の犠牲者270人のうち、生き埋めになるなどして死亡した人は50人、災害と関連して亡くなったのは220人だった。関連死の事例として、「83歳女性が慣れない避難所生活から肺炎状態となり入院先の病院で死亡」「78歳男性が地震後の疲労等による心不全で死亡」「避難中の車内で74歳女性が疲労による心疾患で死亡」「32歳男性が地震による疲労が原因と思われる交通事故による死亡」「43歳女性がエコノミー症候群の疑いで死亡」など。

   被災地では疲労に寒さが加わり低体温症などで体調を崩す人が続出するのではないかと心配になる。

⇒8日(月・祝)午前・金沢の天気    くもり

★能登半島地震 雪と雨でさらなるリスク

★能登半島地震 雪と雨でさらなるリスク

   きょうの朝刊各紙は「124時間ぶり 90代救出」を報じている=写真・上=。地震で倒れた家屋の生き埋めになるなど、石川県内の死者が120人を超える中、珠洲市の住宅地で90代の女性が救出された。報道によると、6日午後8時20分ごろ、倒壊した2階建て家屋1階部分のベッドの上にいた女性で、発見時、救助隊員との会話ができ、手も温かかった。救出は冷たいが雨が打ちつける暗闘の中、ライトをつけて行われた。生存率が著しく下げるといわれる「72時間の壁」を大幅に超える「救助劇」だ。

   未曽有の災害ながら、一筋の安堵感のあるニュースだった。一方で、5日に能登の実家を訪ねた際に不穏な話も耳にした。「片付けをお手伝いしますと言って、盗みに入る自称ボランティアがいるらしい」とのうわさだ。「関東ナンバーの車で来ているグループのようだ」とも。被災地ではとても緊張感が高まっていて、同時に警戒心も張りつめているので、こうした話はどこまで信憑性があるのか分からない。

   さらに、心配なのは天気だ。気象庁によると、北陸と新潟県の上空にこの時期としては強い寒気が流れ込んでいて、能登では雨が降っていて、平地でも雨は次第に雪に変わる見込みという。きょう7日夕方にかけて大雨となるところがあり、夜から8日昼前にかけて平地でも大雪となるおそれがある。

   大雨が降った場合、心配なのは山間地のがけ崩れで谷川がせき止められてできる土砂ダム、そしてため池の決壊だ。能登半島は中山間地での水田が多く、その上方にため池が造成されている=写真・中=。半島全体で2000ものため池があると言われている。元旦の最大震度7を含めきょう7日11時までに最大震度5弱以上の地震が15回観測されている。地震でため池の土手に亀裂などが入っていると、急に雨量が増すことでため池が決壊する可能性がある。こうなると、下流にある集落に水害が起きる。

   天気でもう一つ心配なのは、道路に降る雪だ。これは5日に実家に戻った際に体感したことだが、道路ではあちこちに地割れなどが起きていて=写真・下=、アスファルトの破片などが周囲に散っている。なので、道路表面を注意深く見ながら走行することになる。ところが、道路に雪が降るとそうした危険なエリアは見えなくなる。たとえば救急車がそうしたエリアに乗り上げた場合、横転やパンクといった被害が出る可能性が高くなる。

   能登の道路には救急車や救助車が多く行き交っている。車のナンバーを見ると雪国ではない地域からも多く派遣されている。不慣れな雪道での運転でスリップ事故など起きなければよいが、ついそんなことを思ってしまった。

⇒7日(日)夜・金沢の天気   あめ