#コラム

☆能登半島地震 住みたくなる「現代集落」どう再構築するか

☆能登半島地震 住みたくなる「現代集落」どう再構築するか

   きょうの夕刊各紙は「両陛下 来月下旬能登へ」の見出しで天皇・皇后両陛下が能登半島地震の被災者を見舞うため、3月下旬に石川県を訪問される方向で宮内庁が調整していると報じている=写真・上=。空路で向かい、輪島市や珠洲市などを視察し、被災者を励ます予定という。ニュースを読んで、ふと大丈夫なのかと案じた。何しろ地震は今でも毎日ように発生していて、きょう11日午前11時34分に震度3の揺れがあった。「千年に一度」「数千年に一度」と地震の専門家が称する今回の地震が数カ月や数年で収まるのかどうか。

   先日(2月16日)金沢市内で開催されたシンポジウム「能登半島地震を考える-現地からの声-」を聴講に行って来た=写真・下=。被災者や現地で活動している人の話を聞き、今後の復興の在り方を考察する主旨で、認定NPO法人「趣都金澤」が主催、公益社団法人「日本建築家協会北陸支部石川地域会」の共催だった。

   コメンテーターの声をいくつか紹介すると。輪島市の中山間地に居住する建築家、そして富山大学准教授の萩野紀一郎氏は元旦に帰省先の神奈川県で地震のニュースを知って自宅に戻った。自宅の建物は無事だったが事務所が倒壊した。地域は高齢者が中心で金沢などに2次避難している人も多いが、残った人たちは山水を引いて生活を続けている。「里山暮らしの人々はじつに辛抱強くたくましい」と話していた。そして提案として、輪島市の高校生たちは地震を体験しており、さらに地域の人たちから「聞き書き」することで、次世代にこの地震の記憶を伝えてはどうかと述べていた。

   金沢在住で珠洲市でまちづくり活動を行っている建築家の小津誠一氏は、東日本大震災の復興事業である気仙沼市の「四ケ浜防災集団移転プロジェクト」に関わった。津波被害を避けるため高台に集団移転する事業だったが、専門用語が飛び交う土木設計コンサルの言葉を住民にわかりやすく説明することから始めたという。小津氏は珠洲市真浦で「現代集落」プロジェクトを仲間と立ち上げている。水や電気や食を自給自足できる集落をつくり、自然のなかで楽しむ生活を「ビレッジDX」と位置付ける。30年計画を10年に早めて若者たちが帰りたい、住みたくなる現代集落をつくりたいと語っていた。

   能登半島は少子高齢化が進んでいるが、今回の震災で時計の針は大きく進んでしまった。元の状態を目指す復興ではなく、縮小していく地域社会をどう最適化させて再構築するかが復興の道筋ではないか。コメンテーター各氏から考えるヒントをいただいた。

⇒21日(水)夜・金沢の天気    あめ

★能登半島地震 「万博を見据えた」県予算は必要なのか

★能登半島地震 「万博を見据えた」県予算は必要なのか

   新年度の石川県予算ならびに今年度の補正予算に震災対応として7718億円が計上されることになった(2月15日・石川県発表)。この予算額は今年度の一般会計当初予算(6170億円)を上回る規模だ。県は新年度から「能登半島地震復旧・復興推進部」を設置し復旧を加速させる。

   震災関連予算は「生活の再建」「生業の再建」「災害復旧」の3本柱となっている。生活の再建については、仮設住宅の整備やみなし仮設住宅の確保、物資の支給といった「災害救助法に基づく応急救助」に2492億円を充てる。住宅の損壊(全壊、半壊、部分損壊)が6万戸にも及ぶことから、応急仮設住宅を3月末までに4千戸着工する。全壊の世帯を対象に300万円、半壊の世帯に最大で100万円を支給することにし、31億円を計上している。(※震災で焦土と化した輪島市河井町の朝市通り=2月6日撮影)

   また、被災地の復旧工事を加速させるため、輪島市にある「のと里山空港」の敷地にプレハブの宿泊施設(134人分)やキャンピングカーを借り上げて、復旧工事の作業をする人々の宿泊拠点を開設する。被害が特に大きい奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の民間や公的な宿泊施設がダメージを受けている。このため、外部から訪れた道路復旧の作業員は車中泊で寝泊まりしているのが現状だ。宿泊拠点の整備に15億4000万円を計上している。

   新年度予算案の発表にともなう記者会見での馳知事の発言が物議を醸している。予算の中で、「大阪・関西万博を見据えた国際文化交流の推進」として1000万円を計上している。国際交流プログラムの費用として友好交流協定を結んでいる韓国の全北特別自治道(旧・全羅北道)に県の文化団体を派遣する費用だ。手短に言えば、文化交流を通じて万博をPRするという内容なのだろう。

   メディア各社の報道によると、記者会見で「(大阪万博の開催を推進する「維新の会」に)かなり気を使っているのでは」 と質問され、馳知事は「私は大阪維新の顧問。馬場(伸幸)代表、松井(一郎)さん、吉村(洋文・大阪府)知事、また橋下(徹)さんとも古い友人です」と答えたという。

   先月、自民党の高市経済安保大臣が岸田総理に震災復興を最優先し大阪万博の開催延期を進言したことが注目された。全国的に建設業界の人手不足が叫ばれる中で、震災の復旧復興と万博会場の建設の両立は果たして可能なのか、との議論だ。震災の復旧復興を最優先で取り組むべき石川県の知事の言葉とは思えない、「古い友人」にくみした発言のように聞こえる。「万博を見据えた」予算をめぐっては、あさってから始まる県議会定例会で議論が起きるだろう。

⇒20日(火)夜・金沢の天気    あめ

☆能登半島地震 注目の坂茂「仮設住宅」 急がれる漁港復旧

☆能登半島地震 注目の坂茂「仮設住宅」 急がれる漁港復旧

   地元紙などメディア各社のニュースをチェックしていると、復旧に向けてようやく着手が始まった印象を受ける=写真・上=。北国新聞(2月17日付)によると、世界的な建築家で知られる坂茂(ばん・しげる)氏が半島の尖端の珠洲市で木造2階建ての仮設住宅の建設に近く着工する。場所は見附島を望む同市宝立町の市有地で、6棟で計90戸が建つ。小さな棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を使用する。DLT材を積み上げ、箱形のユニットを形成し、これを組み合わせて6、9、12坪の住戸をつくる。内装は加工せずに木のぬくもりを生かす。

   坂氏は1995年の阪神大震災を契機に世界各地で被災地の支援活動に取り組んでいて、去年5月5日に珠洲市で起きた震度6強の地震の際も、避難所となっていた公民館に間仕切りスペースを造って市に寄贈した。間仕切りはプラスティックなどではなく、ダンボール製の簡単な仕組み。個室にはカーテン布が張られているが、プライバシー確保のために透けない。中にあるベッドもダンボール。まさに環境と人権に配慮した間仕切りだった。(※写真・中は、坂茂建築設計公式サイト「令和6年能登半島地震 被災地支援プロジェクト」より)

   また、去年秋に同市で開催された「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)では、ヒノキの木を圧縮して強度を上げた木材を、鉄骨などで用いられる「トラス構造」で設計した「潮騒レストラン」が評判を呼んだ。何かと注目される坂氏の建築物、新たな工法で造られる仮設住宅は震災復興のシンボルになるかもしれない。

   石川県内で最大の漁港でもある輪島漁港の海底が隆起し、港内の200隻余りの漁船が出漁できなくなっている。今月5日に港を見に行くと、冬場はタラやブリ、ズワイガニなどの水揚げでにぎわうのだが漁港が静まり返っていた=写真・下=。北國新聞夕刊(2月16日付)や北陸中日新聞(同17日付)によると、震災前は漁港内は浸水が3㍍から4㍍だったが、現在は1㍍から2㍍前後の隆起が確認されていている。漁船が移動するには水深2.5㍍から3㍍が必要とされ、今月16日から海底の土砂をさらう浚渫(しゅんせつ)作業が始まっている。当面の工期は3月28日までだが、さらに延長される見通しのようだ。

   漁港の海底隆起は輪島漁港だけではない。能登半島の北側、外浦と呼ばれる珠洲市、輪島市、志賀町の広範囲で海岸べりが隆起した。隆起があった3市町22漁港の漁協の組合員は2640人、年間漁獲高は69億円(2022年実績)になる(北陸中日新聞調べ)。

   「板子一枚、下は地獄」は漁師がよく口にする言葉だ。自然への恐れや畏怖の念を抱きながら、海から恵みを得ようと生業を続けてきた。懸念されるのは、船が出せないとなると漁業就労者が激減するのではないだろうか。浚渫作業は北陸地方整備局が所管している。漁港の復旧の展望をはやく示してほしい。

⇒18日(日)夜・金沢の天気     はれ 

★能登半島地震 GIAHSで評価される能登のレジリエンス

★能登半島地震 GIAHSで評価される能登のレジリエンス

          山林ではがけ崩れ、そして漁港では海底隆起で漁船が出漁できない状態が続いている。輪島の千枚田=写真・上、2011年6月撮影=も棚田にひびが入るなどの被害が起きている。能登の里山や里海を生業とする農林漁業の一次産業が手痛い打撃を受けている。「能登の里山里海」は2011年6月に国連食糧農業機関(FAO)から世界農業遺産(GIAHS)の認定を受け、世界各地から能登の農林漁業を視察に訪れるようになった。FAOは「能登の里山里海」について公式サイトで以下のように紹介している。

The communities of Noto are working together to sustainably maintain the satoyama and satoumi landscapes and the traditions that have sustained generations for centuries, aiming at building resilience to climate change impacts and to secure biodiversity on the peninsula for future generations.(意訳:能登の地域社会は、何世紀にもわたって何世代にもわたって受け継がれてきた里山と里海の景観と伝統を持続的に維持するために協力し、気候変動の影響に対するレジリエンスを構築し、将来の世代のために半島の生物多様性を確保しようとしている)

   2011年6月の認定のセレモニーに能登を訪れた、当時のGIAHS事務局長パルビス・クーハフカン氏は輪島市の棚田「千枚田」を見学した。そのとき、梶文秋市長はこの地域では1684年に大きな地滑り(深層崩壊)があり、山ごと崩れた。それを地域の人々が200年かけて再生した歴史があるとの説明を受した=写真・下=。するとパルビス氏は「すばらしい景観と同時に農業への知恵と執念を感じる。千枚田は持続可能な水田開発の歴史的遺産、そしてレジリエンスのシンボルだ」と応えていた。

   能登半島地震のニュースは世界でも広まっている。FAOは能登の世界農業遺産が被害を受けたことについて、共同通信の取材に対し、「被災地の復旧を奨励し、その状況を見守る」「農業遺産がこれほどの被害を受けた例は過去になかったのではないか」と応え、こうした場合でも認定取り消しの規定はないと説明した(2月15日付・北國新聞)。

   能登のGIAHSでは千枚田だけでなく、揚げ浜式塩田や海女漁、農耕儀礼「あえのこと」(ユネスコ無形文化遺産)、伝統的な祭りなど、人と自然が共生する持続可能な社会のモデルとして評価を受けている。それは、これまでの歴史の中でさまざまな自然災害と向き合いながら伝統遺産を繋いできた能登の人々のレジリエンス(困難を乗り越える力)の証しでもある。

⇒16日(金)夜・金沢の天気    くもり

☆能登半島地震 祭りのシンボル「青柏祭でか山」中止に

☆能登半島地震 祭りのシンボル「青柏祭でか山」中止に

   きょう金沢は午前11時で20度の気温だった=写真・上=。そして、金沢地方気象台は北陸地方で「春一番」が吹いたと発表した。急テンポで冬から春へ移ろっている。

           ◇

   能登半島を代表する祭りとして知られ、ユネスコの無形文化遺産にも登録されている七尾市の青柏祭(5月3-5日)の曳山行事、「でか山」巡行が中止されることになった。新聞メディア各社が15日付で伝えている。   

   地元で「でか山」と呼ばれる山車(だし)の大きさは半端ではない=写真・中=。高さ12㍍だ。ビルにして4階建ての高さになる。そして車輪の直径が2㍍もある。山車としては国内最大級であり、上段に歌舞伎の名場面をしつらえるのが特徴だ。でか山を出すのは「山町(やまちょう)」と呼ばれる府中・鍛冶・魚町の3つの町内会。それぞれ1台の山車が神社に奉納される。(※写真は、七尾市役所公式サイトより)

   報道によると、3町でつくる「青柏祭でか山保存会」が昨夜(14日)総会を開き、でか山巡行の中止を決定した。巡行ルートの道路が地震で大きく破損しており、安全確保ができないとの一致した意見だった。中止は新型コロナウイルス禍の2021年以来3年ぶりとなる。

   でか山巡行はじつにダイナミックだ。何しろ民家の屋根より高いでか山がのっそりと街を練る光景はまさに怪獣映画に出てくるモンスターのようではある。そして、市民が積極的に参加し、にぎやかな雰囲気だ。中でもでか山を引く綱を携える元気な女性グループがいる=写真・下=。粋なスタイルで、なんと表現しようか、オキャンなのである。つまり「おてんば」。祭りを楽しんでいるという表情だ。彼女たちの存在が、この祭りをとてもあか抜けしたイメージにしている。

   今回は中止が決まった。あのオキャンたちには震災にめげず、乗り切っていってほしい。そして、来年また元気な姿を見せてほしいと願うばかりだ。

⇒15日(木)夜・金沢の天気   あめ

★能登半島地震 「耐震のDNA」を引き継ぐドラッグストア

★能登半島地震 「耐震のDNA」を引き継ぐドラッグストア

            きょう14日午前10時32分、能登半島の穴水町で震度4の地震を観測した。そのほかきょう能登で震度1以上が7回あった。

            ◇

   これまで何回か被災地を訪ね不便さを感じたのはコンビニなどの店舗が閉鎖していることだった。コンビニだけでなく、スーパーや飲食店なども被害が大きかった奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)に入ると静まりかえっていた。道路事情が悪く物資が運べない、電気や水道が使えないという悪条件が重なり、経営者や従業員が被災したこともあるのだろう。震災から7週間目に入り、そうした店舗が徐々に営業を再開している。

   震災後に奥能登に初めて入ったのは1月5日だった。金沢の自宅から能登町に行くまでにじつに6時間かかった。道路があちらこちらで崩れていて慎重に運転しないと道路の割れ目にタイヤを落とし込んでしまうことになる=写真・上=。また、救急車など緊急車両が頻繁に往復していてそのつど道路の左側に寄って道を譲る。この日、能登への往復だけで13時間かかった。帰りは夜になり暗闇に。穴水町に入ると1カ所だけ照明がついている店舗を見てホッとして店内に入った。ドラッグストア「ゲンキー」。入り口には販売用のペットボトルの水が積み上げてあった。震災翌日の2日から営業を再開しているとのこと。ただ、余震もあり棚の商品などが床に落ちて、店員が懸命に床を掃除していた=写真・下=。

   店長らしき人に片付けと営業を同時にやるのも大変ですねと声かけすると、「店をはやく開けることが地域の安心につながるということで、きょうは本社から片付けの手伝いに来てくれています」とのことだった。奥能登の2市2町には6店舗あり、営業を再開しているとのことだった。

   この言葉を聴いて、「共感」というものを感じた。ゲンキーの本社は福井県坂井市にある。同県あわら市で震度5強、坂井市は震度5弱の揺れに見舞われている。同社公式サイトのプレスリリース(1月2日付)をチェックすると、元日は休業だったが、従業員は全員無事だったことが確認されたので、翌日の2日から被災した店舗を含む全店で営業を開始した、とある。

   停電と断水、道路事情などにもかかわらず、なぜゲンキーが「店をはやく開けることが地域の安心につながる」と地震翌日から奥能登の店舗を含めて全店舗で営業を再開したのか。何か執念のようなもの感じる。以下、憶測だ。福井県は1948(昭和23)年6月28日に起きた震度7の地震で3700人余りの犠牲者を出している。戦時中の空襲による戦災、そして戦後の震災と続き、そこから復興した。県民の精神性には地震に負けないという「耐震のDNA」が受け継がれているのではないだろうか。元旦の地震以降の素早い行動からそんなことを感じた。

⇒14日(水)夜・金沢の天気   はれ

☆能登半島地震 山沿いで液状化現象のがけ崩れ住宅倒壊

☆能登半島地震 山沿いで液状化現象のがけ崩れ住宅倒壊

   元旦の能登半島地震では震源地から100㌔以上も離れている金沢市、そして隣接する内灘町でも住宅被害(全半壊・一部破損)が出ている。震度5強だった金沢市ではがけ崩れなどで4247棟、震度5弱だった内灘町では液状化現象などで1469棟に被害が及んでいる(石川県危機管理監室まとめ・2月9日現在)。   

   今回の地震で金沢市内も混乱した。JR金沢駅では改札口が大渋滞となり、コンコース中央部の天井から水がしたたり落ちて構内は一時封鎖された。海沿いに近い県庁舎には津波から避難する大勢の市民が建物に駆け込んだ。初詣でにぎわっていた市内の神社では参拝客が混乱した。市内のマンションでは火災ベルの発報が多発し、エレベーターが止まった。金沢城の石垣の一部が崩落し、兼六園の石灯籠も崩れた。元日の県都金沢は大混乱に陥った。

   そして、金沢大学の近くにある山手の住宅街でがけ崩れがあり、民家4軒が道路ごと崩れ落ちた。断続的に揺れが続いたことから、周辺の32世帯に避難指示を出していた。がけ崩れの現場を再び現場を訪れた。

   現場では、土嚢(どのう)を積むなどの応急工事が行われていた=写真=。避難指示は10日に解除になっていた。崩れ落ちた民家の一部では解体作業が行われていた。現場を眺めているシニアの女性がいた。この付近に40年余り住んでいるという。「このあたりで30年前にも大雨で土砂崩れがあって、2度目なんですよ」と。

   土砂災害に詳しい東京農工大学のチームの現地調査(1月3日)では、1600平方㍍の斜面が崩壊し、全壊した4棟のうち3棟が10㍍から20㍍西へ移動していた。地盤を調べたところ、大きさがほぼ均一の細かい砂地でできていて、斜面に設置された排水管からは地下水が流れ続けていた。このため、地下水を含んだ砂地に地震の揺れが加わったことで地盤が液体状になる液状化現象が起き、崩落したとみられる(1月6日付・NHKニュースWeb版)。

   この記事はたまたまネットで見つけたものだが、上記の女性の言葉と妙に一致している。液状化現象というリスクは内灘町で起きた湖畔の災害だけでなく(1月9日付・ブログ)、山沿いでも起きるのだと理解した。それにしても、30年前の液状化現象によるがけ崩れが教訓として活かされていなかったのだろうか。復旧工事を行ったのは宅地開発業者だったのか、あるいは行政だったのか。市民の一人として疑問の目を向けてしまう。

⇒13日(火)夜・金沢の天気    はれ

★能登半島地震 東京ドーム2個分の災害ごみをどう処分

★能登半島地震 東京ドーム2個分の災害ごみをどう処分

   被災地を訪ねるといや応なく目につくのが倒壊した建物の残骸だ。半壊でもあってもこのままでは住めず、いずれ解体することになる。こうした被災地の光景を眺め、想い出や人生が詰まった家が一瞬にして瓦礫と化したことに無念さを感じる。

   先日(1月29日)七尾市を訪れると、県道は廃棄物を積んだトラックや小型トラック、乗用車などが列をなして渋滞となっていた。同市では災害廃棄物の一時的な集積場を同市石崎町にある市営駐車場に設けている。災害ごみの仮置き場に行ってみると、ソファやベッドなどの家具、家電など10種類のコーナーがあり、市民が持ち込むことができるようになっている。写真は1ヵ所だけを撮影したもので、この数十倍に廃棄場所は広がっていて、相当なごみの量だった。 

   石川県のまとめ(2月6日)によると、地震で損壊した建物の解体で発生する災害廃棄物は推計244万㌧に上る。県内で発生する年間ごみ排出量の7年分に相当するようだ。被害が大きかった奥能登の4市町のうち、珠洲市では132年分、穴水町は96年分、能登町は46年分、輪島市は31年分に相当する量だとメディア各社が報じている=写真・下=。

   県では17市町で5万棟が全半壊、部分損壊したと推計し、うち2万2000棟の解体が必要になると仮定して災害廃棄物の発生量を見積もった。解体・撤去は所有者の申請に基づき市町が行い、公費での解体の対象となるのは「全壊」「半壊」と認定された建物。個人で業者に依頼して解体した場合も公費負担にできるケースもあるという。県では2025年度末までに処理を完了する目標を掲げている。

   来月3月から解体作業が本格化し、市町の仮置き場に、品目ごとに分類して一時保管。その後、ダンプカーや船舶で県内外の処理施設に運搬される。金属くずは売却・リサイクルし、コンクリートやブロックなどは復興資材などに再利用される。ちなみに、県全体の災害廃棄物244万㌧は、水をいっぱいに入れた東京ドームの約2個分に相当する量だという(2月6日付・朝日新聞Web版)。

   これだけ膨大な量を処分する人員とダンプカー、トラック、ショベルなどの必要数量は想像もつかない。全国から業者を集めて運搬作業などを行うにしても、国道であっても細く曲がりくねった半島の道路事情などを考えると計画通りにいくのかどうか。ましてや、震災で各地の道路はかなり損壊している。先月、自民党の高市経済安保大臣が岸田総理に震災復興を最優先し大阪万博の開催延期を進言したことが物議をかもした。震災復旧と万博開催の両立は果たして可能なのか、いよいよ現実めいた話になってきた。

⇒12日(月)午後 金沢の天気    はれ

☆能登半島地震 志賀原発は15㍍の津波に耐えうるのか

☆能登半島地震 志賀原発は15㍍の津波に耐えうるのか

   先ほどテレビを見ていると、緊急地震速報のアラームが鳴った。午後0時36分、能登半島の珠洲市を震源とするマグニチュード4.7、震度4が同市と能登町で観測された。輪島市と七尾市で震度3、金沢では震度1の揺れだった。元旦の震度7から40日経っている。前回のブログでも述べたが、日本海沿岸で発生した日本海中部地震(1983年5月26日)や北海道南西沖地震(1993年7月12日)では地震発生のおよそ1ヵ月後に規模の大きな地震が発生している。今回の震度4はさらなる大きな揺れの前兆なのか気が気でない。

   前回ブログの続き。この時季、半島の西端の志賀町では岩ノリが採れるものの、震度7の地震で津波が海岸に押し寄せたことから、沿岸部の人たちは「津波は3分でやってくる」と警戒して海岸に近寄ろうとしない。では実際どのくらいの津波だったのか。東京大学地震研究所のWebサイト「【研究速報】令和6年能登半島地震」(2月1日付)によると、地津波痕跡について調べた結果、志賀町富来漁港から同安部屋漁港までの区間で、漁港内外の倉庫内壁など残された痕跡が7ヵ所で確認され、場所によって津波の高さは異なるものの2.0㍍から2.6㍍だったことが分かった。

   大陸に面した半島北側の外浦(そとうら)は冬場の荒波で知られるが、漁港の倉庫に当たるほどの波ではない。そもそも、この地域では津波が起こらないと言われていた。なので、沿岸部の人たちは「津波は3分でやってくる」と恐れ始めた。以下憶測だ。北陸電力の志賀原発=写真=は志賀町赤住の海岸べりに位置している。地域の人たちの中には、「津波への備えは大丈夫か」と危惧する向きも出始めているのではないだろうか。

   なにしろ、2011年3月11日の東日本大震災では東京電力の福島第一原発が14㍍から15㍍の津波に襲われ、原子炉では浸水によって冷却装置が停止し、核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きた。現在、廃炉作業中ではあるものの巨大地震が発生した場合を想定し、海抜16㍍の高さの防潮堤を造っている。

   志賀原発は1号機と2号機とも2011年から運転を停止し、再稼働に向けて準備を進めている。北陸電力公式サイト(1月9日付)によると、今回の地震では1㍍から3㍍の津波が複数回到達しているが、志賀原発は海抜11㍍の高台にあり、さらに高さ4㍍、長さ700㍍の防潮堤を設置していて、津波による原発の安全性への影響はなかったとしている。

   ということは、数字で見ると福島第一原発を襲った高さ15㍍の津波にも耐えうるということなのだろうか。

⇒11日(日)午後・金沢の天気    はれ

★能登半島地震 干上がった岩ノリ畑、海岸にも近寄れず

★能登半島地震 干上がった岩ノリ畑、海岸にも近寄れず

           毎年この時節に能登の知人から「季節のものです」と一筆添えて「岩のり」が送られてくる。岩のりは半島の北側の外浦の岩場で採れた天然のノリで、干したもの。養殖のノリに比べて厚みがあり、食感はやや硬めだが、磯の香りが広がり食欲がわいてくる。(※写真・上は、赤い丸盆に乗せた岩のり)

   この冬の季節のノリを「寒ノリ」と言って、能登の海沿いの家々では、波が穏やかな天気を見計らって海岸の岩場に出かける。手で摘み、竹かごに入れて塩分を洗い流して水切りした後、自宅の軒下などで竹かごの上に乗せて陰干しする。干しかごが並ぶ様子は季節の風物詩でもある。

   その岩のりの作業はことしは大丈夫なのかと案じる。今回の地震で海岸が隆起して、これまで海藻が採れていた岩場などの状況が一変したからだ。先日(今月5日)撮影に行った志賀町の海岸沿いでは、岩のりの原藻であるウップルイノリを繁殖させるためにコンクリートで造られた「岩ノリ畑」が隆起して干し上がっていた=写真・下=。もちろん、ノリが採れる場所は岩ノリ畑に限られているわけではない。

   近くに住む人に話を聴くと、冬場に入った12月末まではノリがよく採れたそうだ。しかし、元旦の地震以降は誰も海岸には近寄ろうとはしない。それは、「津波は3分後に来る」という恐怖を今回の地震で共有したからだ、という。

   能登半島ではきょう10日午前中で震度1から2の揺れが4回観測されている。気象庁によると、地震の回数は増減を繰り返しながら緩やかに減少してはいるものの、地震活動は依然として活発な状態が続いている。日本海沿岸で発生した日本海中部地震(1983年5月26日)や北海道南西沖地震(1993年7月12日)では地震発生のおよそ1ヵ月後に規模の大きな地震が発生していることから、震度5弱以上の揺れに注意を呼びかけている。 

          能登の海岸では海藻がよく採れる。岩ノリのほかにも、この地方で「カジメ」と称されるツルアラメやモズク、ワカメ、ウスバアオノリ(あおさ)、ハバノリ、アカモク(ぎばさ)、ウミゾウメン、マクサ(てんぐさ)、ホンダワラなど。そして海藻ごとにそれぞれ料理があり、海藻は能登の食文化でもある。ところが、海岸にも近づけないような現状がいまも続いている。

⇒10日(土)午後・金沢の天気   くもり時々あめ