#コラム

☆あるシンポジウムへの誘い

☆あるシンポジウムへの誘い

  12月17日に金沢大学ではシンポジウム「人をつなぐ 未来をひらく 大学の森  ~里山を『いま』に生かす」を開催する。私は大学の「地域連携コーディネーター」としてシンポジウムの運営に携わっていて、先日、友人たちに誘(いざな)いの手紙を書いた。
                     ◇
  友人の皆様
  年末の気ぜわしいときに、シンポジウムの案内です。このたび朝日新聞社と共催で、里山をテーマにしたシンポジウム「人をつなぐ 未来をひらく 大学の森 ~ 里山を『いま』に生かす~」を開催する運びとなりました。

  去年から相次いで起きた身近な山でのクマの出没騒動に端を発して、一体いま山で何が起きているのか不思議でした。でも、よく考えてみれば、山と言えば白山や富士山、ヒマラヤを思い浮かべ、海と言えば沖縄やハワイの海に恋焦がれてきた私たちです。しかし、身近にある海や山には見向きもせず、随分とほったらかしにしてきました。

   その放置してきた身近な山々が荒れて、いつの間にかクマが行き交う「遠い山」になっていたのですね。「汝の隣人を愛せよ」、ではありませんが、私たちが幼い頃に遊んだ近くの野山に足を向けてみようよ、というのが今回のシンポジウムの主旨です。この発想で足元の環境問題や、教育問題(子どもたちがいつの間にか自然を怖がるようになっています…)を考える糸口をつかみたいと思います。

   基調講演には、81歳にして「いまが旬」の河合雅雄氏(京都大学名誉教授、霊長類学者)をお招きします。かつて芋を洗うサル、あいさつをするサルを発見し、河合氏のお弟子さんたちが今、サルに言語学習を施しています。何しろ、このお歳で子どもたちをボルネオのジャングルに連れて行き、いっしょにキャンプをしている天才にして野の人です。人間が自然の中で遊ぶことの奥深い意義と洞察についてお話をいただけるものと思います。

   お手紙にチラシと聴講券を同封しました。ぜひ会場に足をお運びいただければ幸いです。

 ⇒8日(木)朝・金沢の天気  くもり

★子育ての視点から

★子育ての視点から

   「高度に文明化した社会で、どう子どもを育てればよいのか」、この本の中で一貫して流れているテーマだ。これまでの伝統的な子育てのシステムが壊れてしまったことによる「ひずみ」があちこちに噴出していて、痛ましい光景が社会のあちこちで見られる。これに対し、「子どもと自然」(岩波新書)の著者の河合雅雄氏は、気を揉みながら人間の成り立ちをもっと見つめようと示唆している。

   河合雅雄氏は京都大学名誉教授で日本の霊長類学の創設に加わった一人。この12月17日に開催する朝日・大学パートナーズシンポジウム「人をつなぐ 未来をひらく 大学の森―里山を『いま』に生かす」で基調講演をしていただくことが決まり、河合氏を知る大学教授から薦められたのうちの一冊が上記の「子どもと自然」だ。

   霊長類学者という立場からサル社会の事例がこの本でよく出てくる。たとえば、京都大学霊長類研究所で行われているチンパジーの言語学習だ。その中のテーマで、罰型と報酬型という伝統的な調教の仕方がある。正解したチンパンジーに干ブドウを与えるのが報酬型で、不正解に罰として電気ショックを与えるのが罰型である。しかしチンパンジーの調教の方法では、罰型は学習の進度が遅く、報酬型が有効というのが定説になっている。しかも、ただ干ブドウを与えるだけでなく頭をなでたり、声をかける「ほめる」という行為がチンパンジーの学習効果をいっそう高める、と記されている。

  もう一つ事例。チンパンジーとオランウータンでは食べ物の入った箱の鍵の開けたが異なる。チンパンジーは騒がしく手でつついたり、叩いたりして試行錯誤を繰り返して鍵を開ける。オランウータンは最初はつついたりしているが、あきらめたかのように一端その場を離れボーッとしている。そのうちに確信に満ちた眼差しで一気に鍵を開ける。最終的にはチンパンジーもオランウータンも鍵を開けるまでの時間はほぼ同じ。つまり、知能にそう差はないのだ。

   翻って人間の社会、特にわれわれ日本人の社会はどうか。法律で禁止されていても、まだ体罰が後を絶たない教育現場。人間社会でも、チンパンジー型とオランウータン型などさまざまなタイプがいるのに、いまの日本の社会では大人も子どももチンパンジー型の「ハキハキ・行動」タイプが良しとされている。オランウータン型は「引きこもり」や「ニート」と言ったマイナスイメージで見られ、理解され難いのだ。

   上記の話を引き合いに出すと、サル社会と人間社会は違う、と目くじらを立てる人もいるだろう。自明の理だ。もちろん、河合氏も著書の中で、「サルの話がたくさん出てくるが、それらは比喩や相似として述べているのでなく…」とことわりながら話を展開している。ただ、「ひずみ」が生じているいまの社会の中で、進化したサルである人間を見つめ直すには、霊長類の進化をベースにそのレールの上に人間がいるという視点を持つと、見えてくる世界も多くあるのだ。

 ⇒1日(木)朝・金沢の天気  はれ

★50歳エイ・ヤッと出直し

★50歳エイ・ヤッと出直し

 ことし1月にテレビ局を退職し、4月から金沢大学の「地域連携コーディネーター」という仕事をしています。大学にはさまざまな「知的な財産」があって、それを社会に還流させていこうというのがその趣旨です。一口に「知的な財産」と言っても、それこそ人材や特許など有形無形の財産ですから、それを社会のニーズに役立てようとすると、そのマッチング(組み合わせ)は絡まった細い糸をほぐすような作業である場合もあります。この事例については差し支えない範囲で紹介していきます。

 ところで、「よくテレビ局を辞めたね。もったいない」とテレビ業界の仲間や友人から言われます。私自身、以前から「50歳になったら人生を見直す」と公言してきましたので「想定の範囲」なのですが、周囲からは奇異に見えるかもしれません。まず、性格的に言って、一つの仕事を最後まで務め上げて云々というタイプではありません。幼いころから寄り道や道草、よそ見が好きでよく親に心配をかけました。

 それともう一つ、50歳という年齢です。人生の折り返し点で、ニワトリのように強制換羽(きょうせいかんう)が必要なのです。ニワトリは卵を産み始めてから8ヶ月ほどで卵の質が落ちてきます。この時点で、絶食させられます。毛が抜け、衰弱したところでエサを豊富に与えると、また、良質の卵を産むようになるのです。人もまた同じ仕事を続けているといつか周囲が見えなくなったり、アイデアが枯渇したり、その延長線上に嫉妬、やっかみが出てくるのです。それは人生の劣化の始まりです。その年齢が50なのです。そのとき、「家族が大切…」と言いながら現状を続けるのか、収入減を家族に理解してもらい別の道を歩むのか、それぞれの選択です。私の場合、後者を選んだというわけです。