#コラム

☆続・岩城氏の「運命の輪」

☆続・岩城氏の「運命の輪」

  このブログ「自在コラム」では、指揮者・岩城宏之さんのことを何度か取り上げた。ことし5月14日付の「岩城流ネオ・ジャパネスク」では、日本からクラシックを繰り出す岩城さんの発信力を、また、6月10日と12日の「マエストロ岩城の視線」「続・マエストロ岩城の視線」では指揮者のすごみを岩城さんから感じた、と述べた。プロの音楽家でもない我々がマエストロ=巨匠の「運命の輪」に引き込まれるのはなぜか…。

  何しろ本人は「ステージ上で倒れるかもしれない。でも、それがベートーベンだったら本望だ」と言い切っている。73歳にして、9時間半もの「振るマラソン」にことしも挑戦するのである。去年3月ごろだったか、岩城さんの口からこの話が出たとき、「山本直純(故人)だったら派手にやったかもしれないが、何も岩城さんがやらなくても…」とちょっと冷ややかに見る向きもあった。ところが、やり遂げると海外からの高い評価もあって、賞賛の嵐となった。本来なら、この記録を一回打ち立てれば、それで十分だろう、と私を含め周囲は見ていた。ところが、上記の言葉通り、「ことしもやる」のである。

   しかも、それをやり遂げるため、ことし10月、自らつくり育てた所属事務所「東京コンサーツ」から、作曲家の三枝成彰氏の事務所「メイ・コーポレーション」に移籍した。金沢で岩城さんにお会いして、「なぜ」と聞いたら、その言葉が振るっていた。「あと10年、周囲は何回も手術をしたのだから無理せず穏やかにと言う。これでは面白くないと思ってね、三枝さんの所で暴れることにしたんだ」「大いに暴れるよ」と。私は呆気にとられた。「オレは指揮者だ、病院のベッドで死ねるか、ステージで死ぬんだ」と言っているように聞こえた。

   12年前の春、岩城さんを初めて取材したとき、あいさつで「岩城先生」と呼んだら、「私は指揮者です。医者や政治家ではありません」と酷くしかられた。それ以来、「岩城さん」あるいは「マエストロ」と呼ばせていただいている。こうした岩城さんを気難しいと見るか、違いが分かる人と見るかは、評する人の人間性だろう。私は後者で見ている。だからクラシックの門外漢でありながらも「運命の輪」に入って岩城さんの生き様を見させてもらっている。そして人生の大先輩として尊敬もしている。<次回に続く> <前編を読む>

⇒21日(水)午後   金沢の天気  ゆき

★岩城宏之氏の「運命の輪」

★岩城宏之氏の「運命の輪」

   「ステージ上で倒れるかもしれない。でも、それがベートーベンだったら本望だ」と指揮者の岩城宏之さんは言う。そして、ことしの大晦日にまたベートーベンの全交響曲(1番から9番)を9時間30分かけて演奏する。「岩城さんは本気だ」と共感した演奏者たちが続々と集まった。31日15時30分から東京芸術劇場で繰り広げられるコンサートは、さしずめ「運命の輪」の広がりか。

  去年の大晦日、ローカル民放テレビ局に在籍していた私は岩城さんの初めて試みをなんとか番組にしたいと思い、CS放送「スカイ・A」と共同制作でライブ番組にこぎつけた。自局ではその後2月に岩城さんの生き様を交えドキュメンタリー番組(全国放送)になった。そのドキュメンタリー番組が放送される前の1月に私は50歳を期して人生の一つの区切りとしたいと思いテレビ局を辞した。

   その数ヶ月後、ドキュメンタリー番組を担当したディレクタ-から、「岩城さんが再度、ベートーベンチクルス(連続演奏)に挑戦すると言っているんです。また、番組をつくれませんか」と聞いた。「番組をつくれませんか」というのは、つまるところ「お金をつくれませんか」との意味だ。 お金をつくれませんかといわれても、すでにテレビ業界から足を洗い、大学というアカデミックな場に身を置いていたので、これまでのように口八丁手八丁でスポンサーと掛け合うことはできる立場でもないし、番組とかかわる理由もなかった。だから、話は聞いてはいたが、放っておいた。

   そして、「運命の日」が巡ってきた。インターネットで地域の映像資産を配信する実証実験事業(経済産業省)に石川県映像事業協同組合の申請が採択された。この事業のコンソーシアムに金沢大学がかかわることになり、地域連携コーディネーターである私が担当となった。そして実証実験として県内のテレビ局が制作する優良な番組コンテンツをネットで配信することが決まった。季節は秋になっていた。

   番組の公募が始まり、くだんのディレクターに「岩城さんの番組の話、エントリーしてみたら」と促した。そして番組企画書がコンソーシアムに送られてきた。審査で採用が決まったが、それからが大変だった。演奏者の権利の処理問題など難問が山積していた。しかし、不思議な気がした。去年は放送でかかわり、今度はインターネットでかかわる。岩城さんの「運命の輪」に自分自身もいつしか絡まっていたのである。<次回に続く>

⇒20日(火)朝・金沢の天気    くもり

☆ブログの技術⑭

☆ブログの技術⑭

  この3週間(11月27日-12月17日)で「自在コラム」へのアクセスIP(訪問者)数は1300を超えた。コラムという、どちらかと言えば地味なページにようこそとお礼を言いたい。ただ、われわれは何のためにブログを書くのかという問いを自らしなければならない。いくら訪問者が増えたとしても、この問いがないと長続きしないからだ。

         テーマ「何のために書くのか」

  私が所属する金沢大学のブログ仲間との最近の会話はこうだ。「写真撮れた?」「青空だったから雪景色がきれいだったね」「そう雪には青空が一番」…といった感じだ。ブログ用の写真が撮れたかどうか、情報を交換しているのである。また、「撮ろうとしたら電池がなくなっていてね、残念…」「じゃ、一枚あげようか」といった互助的な話し合いもする。私の場合、ブログがコミュニケーションの一つのテーマとなっている。

   アクセスIP数が増えることはうれしいことだが、減っても別段落ち込むことはない。私の場合、この世に生きた証(あかし)としてブログを書いているような気がする。ビジュアルな視点や自分の考えをインターネットの大海原に投げ込んでおきたい。そして誰かがたまに沈没船の引き揚げようにサルベージしてくれて、「こんなこと書いたヤツがいたのか」と感想のひと言もあればそれでよい。

  ブログ仲間とこんな話をしたことがある。「墓守のため永代供養をお寺にすることがあるが、死後にネット上でブログを50年間保存してくれる信託会社があれば、永代供養のお金をその会社に回してもいい」と。ちなみに金沢での永代供養の相場は300万円とか。とすると年間で6万円、月5千円である。ちょっと高い気もするが、そのうち欧米系の銀行が「ブログ・トラスト業務」を始めるだろう。

   特にアメリカでは実名で政治を評論をしている玄人はだしのブロガーの猛者たちがごまんといる。命をかけたブログ評論であろう。また、人生をかけてつくり上げたブログは自伝あるいは遺言と同じ意味を持つ。そんな気持ちで日々ブログと向き合って人は世界中に数え切れないほどいる。そのような人たちのためのブログ・トラスト、なかなかよいアイデアではないだろうか…。

⇒19日(月)朝・金沢の天気   ゆき           

★NHK「民営化」の流れ

★NHK「民営化」の流れ

  NHKの「民営化」に向けた動きがあわただしくなってきた。政府の規制改革・民間開放推進会議が年末にまとめる最終答申案が明らかになった、と朝日新聞などが報じた(15日)。21日に予定している同会議での了承後、小泉総理に答申し、来年3月に閣議決定する「規制改革・民間開放推進3カ年計画」に内容を盛り込む計画という。

   報じられた具体案では、(1)05年11月時点で34団体ある子会社等の統廃合による業務の効率化(2)番組制作委託を含む外部取引での競争契約比率の向上(3)受信料収入の支出使途の公表(4)BSデジタル放送の有料化について06年度早期に結論を出し、アナログ放送をやめる予定の2011年以降の実施―などを求めた。このBSデジタル放送の有料化とは、暗号処理により受信料を支払った世帯だけに見せる「スクランブル化」を指す。また答申案では、保有チャンネル数の削減、つまり「チャンネルをリストラせよ」とも言っている。

   では、規制改革・民間開放推進会議がなぜここまで切り込んでくるのか。テレビ受信は全国で4600万件、うち未契約は985万件、1年以上の滞納は135万件、そして支払い拒否が130万件に及んでいる。つまり4件に1件は未払い。さらに相次ぐ不祥事の影響で未払いが加速度的に勢いを増していて、これはすでに構造的な問題と化しているからだ。また、インターネットによる調査(10月10日付・日経新聞)で、「NHKがなくなり、テレビ局が民放だけになったら困ると思いますか」の設問に、56.7%が「困らない」と回答した。「NHK受信料制度を今後どうしていくべきだと思いますか」の設問で、「廃止して民放のようにCM収入で運営」の回答が56%と過半数を占めた。「廃止して国の税金で運営」はわずか12%、「現状のままでよい」は10%である。つまり、NHKを民営化しろ、との意見が圧倒的に多い。

   このNHK民営化の流れに対し、NHKも民放も警戒感を強めている。きのう15日に開かれた自民党の通信・放送産業高度化小委員会に呼ばれた民放連の日枝会長(フジテレビ)は「NHKと民放の二元体制が崩れないようにすることが大事だ。NHKの経営基盤を強化してほしい」と述べ、政府・与党内にあるNHK民営化論に反対の考えを示した。また、NHKの橋本会長も、民営化につながりかねないBS放送のスクランブル化について「有料放送に近いものになり、公共放送としての放送の性格を変えてしまう」と述べ、受け入れられないとの立場を表明した。

   民放は、NHKの民営化につながるあらゆる動きを封じ込めたいのだろう。しかし、素朴な国民感情の「郵政公社も民営化するのに、なぜNHKが民営化してはダメなのか」という疑問に答えていない。民放の本音は「民営化するとパイ(広告マーケット)の奪い合いになるから」だが、国の参入規制に守られ高収益を誇る民放がそれを言っても説得力を持たないだろう。

   来年3月の閣議決定、そして「骨太の方針」へとNHK改革が立て板に水を流すが如く動き始めた。

 ⇒16日(金)朝・金沢の天気  あめ

☆寒波一服、ドカ雪の朝

☆寒波一服、ドカ雪の朝

     真冬並みの寒波が一服して、15日の朝はご覧の通りドカ雪である。金沢城石川門の櫓(やぐら)は分厚い雪を頂き、朝焼けに映える民家の雪つりはまるでクリスマスツリーのようになった。私のオフィスである金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」は雪に埋まった。

   「角間の里」の周囲で積雪が60㌢あり、おそらく12月としては記録的な大雪だろう。こうなると文字で語るより、写真の方が雄弁だ。

⇒15日(木)朝・金沢の天気  はれ

★まぶしき雪化粧

★まぶしき雪化粧

  雪は風景を一夜にして変える。本格的な冬の訪れである。金沢大学角間キャンパスの創立五十周年記念館「角間の里」もすっかり雪化粧が施された。時折り、雪雲の切れ間からのぞく日差しが雪原に輝きを放つ。

   10月下旬にまいた大麦と小麦の種が芽吹いて雪上に頭を出している。それがまるで、昔いた「やんちゃ坊主」のいがぐり頭のようにどこか愛嬌があって、シャッターを切った。

  この日の最低気温は金沢で0.1度、能登半島の輪島でマイナス0.3度、この冬一番の冷え込みだ。夕方には、「角間の里」周辺では15㌢ほどの積雪になった。ここを訪れた人たちに、「ついに来ましたね」とあいさつすると、たいていは「 来るべきものが来ました」といった禅問答のようなあいさつが返ってくる。

  夕方になっても寒気は衰えず、街路樹の枝に積もった雪はまるでイリュミネーションか満開の桜のごとくまぶしい。冬化粧の街にふとたたずみ眺める。

⇒14日(水)朝・金沢の天気    くもり

☆ブログの技術⑬

☆ブログの技術⑬

  動画を試みる。これまで「自在コラム」以外の自らのブログでムービ-を掲載したことが何度かある。自分なりに満足だが、見る人にとってどうだろう。制作者と視聴者の意識のギャップが大きく開くのがこの動画である。

       テーマ「ムービー掲載の見極め」

   冒頭の動画は金沢市内で雪が降る様子を撮影したもの(12日)。27秒のムービーだ。「goo」のブログサイトでは動画のデータ容量は240kが上限である。ちなみに241kの動画をアップロードしようとしたが、弾かれてしまった。「堅いことを言うなよ」とブツブツ言いながらムービーを編集し、240k以内に収めた。拡張子はAMC, 3GP, 3GP2のみ。カメラは携帯電話カメラ(ボーダフォン、J-SH53)のモーションカメラ(MPEG)モードで撮影した。

  撮影したファイルは携帯電話のSDカードにデータが保存される。これをブログの画像フォルダに取り込み、アップロードする。

    続いて、 この動画をご覧いただきたい。金沢大学「角間の里山自然学校」が運営しているブログサイトである。このムービーは「i2(アイ・ツー)モーション」と言って、動画再生ソフトを使用しない、JAVA技術を使ったPlayerだ。ウインドーズ、マック、リナックスで再生可能で、その上、映像フィアイルのダウンロードやユーザーのマシンにキャッシュされることがないため、肖像権や著作権の保護ができるという特徴を持つ。 この技術を提供しているのは金沢市のITベンチャー「i2(アイ・ツー)」だ。この場合、サーバー上の設定が必要だ。参考まで。

  結論を急ごう。では、何を動画にして、何を画像にするかである。本来、画像では表現できない動きのある映像を掲載すべきである。この意味では、動きの感じられない今回の雪の降る映像は「不可」、つまり一枚の降雪の写真があれば済む話だ。

  また、「goo」の場合、先ほども述べたように最大で240kもの容量を食うことになる。1枚の画像で表現できるのあれば、それを圧縮すれば30kほどで済む。さらに動画はどうしても画質が粗い。数十秒程度ならよいが、延々と続くものは見たくないものだ。動画を掲載する場合、意義のある動きが存在するのか、その見極めをまず優先したい。

⇒13日(火)朝・金沢の天気   くもり

★砺波平野の散居村から

★砺波平野の散居村から

  写真を撮る場合、アングルを自分なりに考えてシャッターを切ることを心がけている。だから一度の撮影でせいぜい3、4回だ。兼六園で秋の風景を撮った時も10回だった。ところが、きのう(11日)訪れた富山県砺波平野の散居村のお宅では実に31回もシャッターを切った。

   ことし5月9日付の「自在コラム」でも紹介した森満理(もり・まり)さんたちの子育てグループが収穫祭を開くというので友人たちと出かけた。森さんたちの活動については前回書いたので繰り返さない。ただ、一言で表現するなら、自らの住宅=古民家を「まみあな(狸穴)」と称して、「出会う、関わる、気遣い合う、支え合う」を実践している。

   撮影に夢中になった一枚はご覧の通り、壁の落ちた土蔵である。この壁の落ちた跡にのぞいた竹網に何とも言えないアジア的な風情を感じた。ビワの木の枝と重なり合ったアングルはどこか異国情緒さえ醸し出す。

  もともと散居村ではそれぞれの家が「屋敷森」をつくっていて、数十㍍四方にその森の世界が広がる。何世代もかけてつくり上げた森だ。笹の群生の向こうに石灯篭を配置することで、庭園の風格がにじむ。計算された敷石や樹木の配し方といった「屋敷森のプラン」を一つひとつ読み解いていくと、この家の先祖と語り合っているような楽しさがあった。

   最初の画像は、この家の式台(しきだい)で行われたもちつきの様子だ。式台はかつて客人を迎え入るための玄関だった。いまは集いの場である。人々の交流の輪が楽しく、携帯電話カメラでムービーを撮った。ブログサーバーではデータ容量は240kが限界なので30秒足らずの動画だが、その場の雰囲気が凝縮されてもいる。

   夜、金沢の自宅に戻り、野外で煮炊きに使った木の燃えた独特のすっぱいにおいがジャンパーについているのに気づいた。どこか懐かしいにおいだった。

⇒12日(月)午後・金沢の天気  くもり時々雪

☆鰤おこしとウォームビズ

☆鰤おこしとウォームビズ

  石川県など北陸に雷・強風・波浪注意報が出ていて、特にここ数日は雷鳴が断続的に響いている。金沢ではこの時節の雷を「鰤(ぶり)おこし」や「雪おこし」と言う。能登半島の輪島では、「雪だしの雷」と言ったりもする。それだけ季節が激変するころなのだ。

  金沢大学の近くに住む古老Mさんがこんなことを教えてくれた。「(金沢の)医王山に2回みぞれが降ったら、3回目には(大学がある)角間にもみぞれが降るよ」と。実際にその通りになった。写真でご覧の通り、ここ数日でみぞれがあられになり、金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」もうっすらと雪化粧した。雲や風の動きなどを観察して、経験をもとに天気を予想することを観天望気(かんてんぼうき)と言うが、恐るべし古老の観天望気術である。

  ところで、この「角間の里」は築280年の古民家をことし4月に移築したものだということは既に何度か記した。建物はかつて白山ろくの旧・白峰村の文化財だったものを譲り受けたもので、なるべく本来の姿を生かすという建築思想のもと、冷暖房の設備は最初から取り付けてなかった。このため、夏はスタッフ一同でクールビズを徹底した。また、土間を通る風は天然のクーラーのような涼しさがあり、扇風機を緩やかに回すだけで十分にしのぐことができた。

  しかし、問題は冬本番、これからである。今度はウォームビズで着込んではいるが、さすがに冷えるので事務室だけはエアコンを入れ、板の間の部屋には持ち運び式の石油ストーブを置いた。残るはこの建物の最大の空間である土間の暖房対策である。化石燃料である灯油を大量に消費して寒さをしのぐというだけではこの記念館の建築思想とも合致しない。さて、どう工夫するか、思案の冬を迎えた。

⇒10日(土)朝・金沢の天気   くもり

 

★ブログの技術⑫

★ブログの技術⑫

   シリーズ「ブログの技術」では身近なテーマをいかにブログ化していくかという点にこだわって解説している。実はこのシリーズを始めてアクセスIP数(訪問者数)が徐々に増えている。ブログを始めたものの、書き方がよく分からないというユーザーも多いのではないかと思う。そこで今回は身近なテーマの決定版である「食」を取り上げる。

       テーマ「食に食文化の味付け」

  ブログではラーメンの食べ歩きの感想や、どこそこのコンビニ弁当がうまい-などといった記述が多い。食は身近な、というより毎日2回から3回は接している日常である。これをブログ化するというのは簡単そうで実は難しい。難しいというよりネタがすぐ尽きてしまう。ただ、以下の点に心がければブログとしての広がりができる。

   <記述例・1>冬の金沢名物の一つが「だいこん鮨」である。取り寄せたものをお気に入りの器に盛り付けた。もちろんブログ用の写真を撮るため。携帯電話のカメラ(1メガピクセル)でも彩りがよければそこそこに映る。だいこん鮨は冬のダイコンに乾燥ニシンをのせ重石で加減しながら塩、麹(こうじ)を入れて漬け込んだ庶民の味だ。シャッキとくる歯触りがいい。日本酒に実に合う…。

   上記の表現だったらグルメ調だが、これに以下の食文化の味付けをしてみたい。

   <記述例・2>金沢の冬を代表する味覚の横綱が「かぶら鮨」ならば、さしずめ大関は「だいこん鮨」と言ったところか。だいこん鮨が大関なのはともに漬ける魚がニシン、横綱のかぶら鮨は出世魚のブリだから。ニシンは北陸で獲れる魚ではない。江戸時代に日本海を行き来した北前船によって北海道から運ばれた食材だ。 ところでこの時節、近所のあいさつは「上手く漬からんね」とか「もっと寒ならんとだめやね」と言った、だいこん鮨やかぶら鮨の漬かり具合が母親たちの会話となる。それほどに庶民の味なのだ…。

   「文化の味付け」はもったいぶったものではない。ちょっとした歴史的な文言や、人々の生活とのかかわりを記述するだけでも、広がりができる。歴史は縦の、生活は横の広がりである。つまり、話をいかに膨らませるか、という技術なのだ。記述例の1と2をつなぐとコラム風になる。

⇒9日(金)朝・金沢の天気   くもり