#コラム

☆ごついおっさん

☆ごついおっさん

  きょう(11日)朝、北陸鉄道バスの「泉一丁目」のバス亭から金沢大学行きのバスに乗った。次のバス亭が近くなると、バスの運転手の野太い声が聞こえてきた。降車の客一人ひとりに「はい、いってらっしゃい」「はい、いってらっしゃい」と声をかけている。気の利いた言葉だなとの好印象だ。さらに次のバス亭でも「いってらしゃい」は繰り返された。義務感ではなく、言葉に気持ちがこもっていた。

  バスが金沢大学に近づくとハプニングが起きた。乗っていた男子学生の一人が「このバスは北陸大学へ行かないんですか」と慌てた様子で運転手に話しかけた。おそらく新入生なのだろう、乗り間違えたようだ。バス亭で運転手は「まっすぐ歩いてスポーツジムの近くのバス亭で乗ると北陸大学に行くことができるよ」と教え、「でも、ここまでの料金はちゃんと払ってよ」と念を押したところで他の乗客からかすかな笑いが漏れた。

  一連の会話を聞いていて、後方に乗っていた私は運転手の顔のかたち、とくに顎(あご)の骨格が見たくなった。声の幅(太さ)、声の音質からして、民主党の新しい代表、小沢一郎氏と似ているのではないかと想像したのだ。それを確認するチャンスが訪れた。金沢大学中央のバス亭で下りるときの一瞬のタイミングで、その運転手の横顔をしかと見させてもらった。予想はピタリと的中した。左耳から下の太くアールを描いた顎線、肉付き…。目つきは小沢氏より優しい感じだが、全体にごつい感じがした。

  私は時折り、声を聞き、顎のかたちをイメージする。逆も推測したりする。だから、聞き覚えのある声が遠くから聞こえると、名前と同時に顎のかたちが浮かぶ。趣味というわけではない…。

  ところで、その小沢氏はきのう(10日)のNHK番組「クローズアップ現代」に出演していた。言っていたことは「選挙に勝って、政権を取る」それだけだった。実に分かりやすい。が、おそらく小沢氏の戦略には、民主党の独自色といった概念はないのではないか。自民党の候補者よりドブ板選挙を徹底して選挙に勝つこと、それが政権構想そのものだと言っているようにも聞こえた。

  その選挙手法はかつての自民党そのものだ。去年9月の郵政民営化を問う総選挙のように、政策の違いがはっきり理解できなければ有権者は戸惑い、しらける。その点で、民主党への期待や支持率はさほど上がらないのではないか。

  (※写真:バチカン宮殿「ラフェエロの間」の「アテネの学堂」。画像と文章の関連性はない)

⇒11日(火)朝・金沢の天気   あめ

★ブログの技術-21-

★ブログの技術-21-

 この「ブログの技術」シリーズはどれだけアクセス数を稼ぐかではなく、長くブログを続けるコツのようなものをさまざまな観点から追求している。私自身のブロはその意味で逆説的かもしれないがコラムという形式をとっている。基本的に日記風ではない。これはなぜだろう。コラムって難しく、長続きしないのでは…と誰しも思うだろう。

      テーマ「コラムの視界」

  コラムというのは面白い表現方法で、実は日記と評論を足して2で割ったような表現になる。三省堂の「大辞林」で、コラムをくると、「新聞や雑誌で、短い評論などを載せる欄。また、その記事。罫で囲まれることが多い」と。もともと活字メディアの大所がその豊富な体験や知識を生かして示唆に富んだ文章を展開するといったたぐい文章である。手法は、新聞記事のように客観性を重んじながら、経験や知識といった主観も入れていく。あるいは、少々「ずるい」のだが、先人の名言を引き合いに出して文章を膨らませたり、結論めいた締めくくり方をする。

  目線の高さということで表現すれば、日記風が地に足をつけて見渡す風景に対し、コラムはビルの3階か4階から街を眺めているような景色である。視野が広がって多様な文章が書けるというメリットの反面、日常の細かな動きとなると主観的すぎて表現しづらという点もある。もちろん、文章に手馴れたコラムニストは路傍の石にズームインしたかと思うと、今度は思いっきりズームアウトして話を宇宙にまで持ってゆく。こんな文章を読むと、ジェットコースターに乗ったようなスリス感を味わうことができる。

  コラムの表現はもちろん口語体である。私の場合は常体(だ・である体)を使い、敬体(です・ます体)は使わない。自在コラムでは、当初、敬体を使っていた。ところが、敬体だと表現範囲が随分と限られてくるのに気がついて、常体に戻した。他のブログを読むと、日記風は「しゃべり言葉」になっているものが多い。これだと敬体よりさらに表現する内容が限られてくるのではないかと思う。それこそ「ボキャ貧」(ボキャブラリーの貧困)に陥る。

  友人が「ブログは金がかかる」と嘆いたことがある。日記風で綴っていて、その日の出来事を内容とし、毎日書いている。だから、疲れて家で居眠りをしていてはブログは書けない。おいしいものを食べに行ったり、映画を観たり、美術展に出掛けたりと「ブログのネタ探し」に忙しい。で、「金もかかる」というわけだ。それはそれで本人は充実感を得ているのでいいとしても、私にはそのまねができない。春の休日は縁側で居眠りをしていたい。

 ⇒8日(土)午後・金沢の天気  はれ

☆サロンパスを貼った馬 !?

☆サロンパスを貼った馬 !?

 春は入学シーズン。金沢大学でもあす7日に入学式があり、1800人が新たに仲間入りする。この時期、彼らを手ぐすね引いて待っているのが部活の部員だろう。食堂にいると、「新勧(しんかん)」(新入生勧誘)という言葉があちこちから聞こえてきた。「あすは全員で入学式会場前で新勧のビラ配り」「新勧活動費に一人○○円かかる。大変よ」

 耳を澄まして聞いていると、ある文化系サークルは新勧のために一人5000円の臨時徴収があった。現在部員が60人なので新勧対策費はざっと30万円ということになる。面白いのは勧誘の仕方。直接部活動について語るのではなく、まず「履修の仕方を教えてあげるよ」とランチや喫茶に誘う。そして「花見をするから来ないか」と自宅や携帯電話の番号などの連絡先を聞きだす。押しの強い体育会系などはその日の夕方にはもう自宅を訪問するそうだ。

  そして生協食堂へと通じる廊下や階段には所狭しと立て看板が並ぶ。その中からビジュアル的に面白いものをいくつか紹介する。目立ったのが、ズバリ馬をかたどった看板。馬術部だ。この部は現在16人(2年-4年)の部員、そして馬が14頭。貼り付けてあるチラシには「家に一人でいるとさみしくても、厩舎(馬がいるところ)に来ると馬があたたかく迎えてくれ、とても癒されます」と。写真ではサロンパスを貼った馬のようにも見え、ちょっとユーモラスだ。

 こんな部あったのか、というのが「スポーツチャンバラ部」。護身術を学ぶクラブで、「武道にありがちな厳しい制約もなく、ルールもシンプル」という。日本には競技人口15万人、世界には5万人もいると看板でアピールしている。

  こちらは「間違えたで賞」かもしれない。ほんらい「ライフル」と書くところを「アイフル」と書いてしまった。仕上げて気がついて朱で×をつけてラと書き直した。元のままでは消費者金融の看板になってしまう。この看板は確かに目立つ。だからわざと気を引くように書いたのかと思ったりもした。

 大学キャンパスで、新勧の熱い春が始まるー。

⇒6日(木)夜・金沢の天気   はれ

★変わる時代の雰囲気

★変わる時代の雰囲気

  民主党の代表選は、小沢一郎氏(63)と菅直人氏(59)の争いとなる。7日に行われる代表選に向けて立候補を表明したが、現段階では、保守系や旧社会党系などに支持を広げる小沢氏が優勢と見られている。

 5日の記者会見を見る限り、ともに自民党との対立軸の明確化を強調し、送金メール問題で傷ついた党の「再生」を掲げていた。が、小沢氏は前副代表、そして菅氏は元代表なのでテレビで映るその姿や主張には新鮮味が感じられなかった。ちょっと酷な言い方かも知れないが、「時代が戻った」という印象なのだ。

 この懸念は自民党に対しても同じだ。おそらく小沢氏が代表になれば、9月の自民党総裁選にも影響が及ぶだろう。「小沢氏に対抗できるベテランを総裁に」との逆ネジ作用が働くからだ。そうなると人気が高い若手の安倍晋三氏の線が弱まり、福田康夫氏(元官房長官)らベテランが党内では浮上してくるに違いない。

 こうなると、経済でも若手の堀江貴文・ライブドア前社長が失速しており、政治からも経済からも若さが失われたような印象になる。ベテランが悪いと言っているのではない。時代の雰囲気に若さを欠くと、意識の上で停滞が起きる。それがなんとも暗く重く、鬱蒼(うっそう)としたように感じるものだ。そんな予感がしてならない。

⇒5日(水)夜・金沢の天気  くもり

☆「次の次」を読む

☆「次の次」を読む

 代表辞任を表明した民主党の前原誠司氏はきょう2日のテレビ番組などに出演していたが、精彩を欠いていた。去年9月18日、前原氏が新代表になった翌日にたまたま京都を訪れた。比叡山のふもとから大原にかけてが前原氏の選挙区でもあり、選挙用ポスターがまだ貼ってあった。そこで初めて、ここが民主の新代表の地盤と知ったのだ。あれから半年余りでの辞任劇である。しかし、これも対応を誤り国政を揺るがせた政治プロセスの一つと冷静に理解すれば当然の帰結なのだろう。

 2月23日付「自在コラム」の「★完結・『真偽の攻防』を読む」で今回の偽メール問題の行く末を読み解いた。大筋で外れていない。新しい代表が小沢一郎氏で決まればほぼ読み通りだ。きょう2日、小松空港に家人を車で送った帰り、小松市内を走っていて、去年9月の総選挙のポスターを見つけた。そのポスターにたまたま小沢氏が映っていたので携帯電話のカメラで撮影した。古びたポスターであるものの、「次なる時の人」が映っていると価値が出てくる。

 しかし、小沢氏はどちらかというと「黒幕」の人である。表に立つとかえって外交や安全保障で党内が鮮明に割れて収拾がつかなくなる懸念がある。それでもこの人が立たないとおそらくいまの民主党は治まらない。そこで党内のバランス論で菅直人氏が幹事長に就任という線が出てくる。

 そして問題は自民である。仮に民主が小沢氏ならば、9月の自民党総裁選は安倍晋三氏に有利に働くのだろうか。自民党内でもバランス感覚が働いて、「小沢氏に対抗できるもう少し毒気のある人物を」いう党内の雰囲気が出てくると、安倍氏の立場は微妙になる。「次の次」を読むポイントではこの点ではないかと思う。

⇒2日(日)夜・金沢の天気  くもり

★ブログと向き合った365日

★ブログと向き合った365日

 ブログを始めて丸1年になる。1年と表現すると感覚のデフレーションを起こしそうなので、あえて365日とした。事実、去年4月にブログを始めて一日一日の区切り、あるいは「けじめ」という充実感が日々あり、意味ある365日だった。

   ブログを始めたおかげで毎日の五感が研ぎ澄まされた。何かを文章表現しなければというある種の「知的な飢え」のようなものである。とくに視覚と言語感覚が連携を始めた。視覚、つまり撮影した1枚の画像から湧いてきた文章表現も多々ある。逆に文章表現によってこれまで視覚的に無視してきたモノに価値を持たせることができたケースもあった。

  「ブログを書く」という一つの行為が習慣を変え、習慣が変わることで思考方法が変わり、思考方法が変わることで人生観も変わった。これがブログを始めて一番大きな収穫ではなかったかと思う。「自在コラム」の365日を数字でまとめてみた。

  237 この1年間で書いた本数である。毎日書けば365本、これを100%とすると65%、つまり「ブログ化率」65%となる。始めたころは「意地でも毎日書こう」と張り切ったが、最近は「週3本ほど」を心がけている。私の書き方はタイトルでも銘打っているようにコラム形式を取っている。結論は出さないが、考え方を整理して書くという手法だ。日々のことを日記風に記録し云々という気負いはない。

  1187 週間のIPアクセス(訪問者)数で最高だった数字だ。「gooブログ」では毎日(7日分)と週間(3週間分)のアクセス状況(IPアクセスとページビュー)が表示される。3月19日から25日の1週間の間に1187人が訪れ、3665ページを見てくれたことになる。一時的だったがgooブログの50万サイトの中で700位ぐらいにランキングされた。この記念すべきヒット数の原動力となったのが「☆祈りの回廊‐野町和嘉ワークス」(3月20日付)だった。一日のIPアクセス数でも250を記録した。

  20 「自在コラム」では長文を避けるために1000字前後の文章を目安としている。このため、シリーズで小分けして書くことがままある。そのシリーズの最も長いのが20回。シリーズ名は「ブログの技術」。ブログ作成のノウハウをまとめたものだ。しかし、この企画は機会を見て再開しようと思っているので記録はさらに更新できそうだ。

 ⇒1日(土)午後・金沢の天気  はれ

☆鯉のぼり掲揚記念エピソード

☆鯉のぼり掲揚記念エピソード

 金沢大学の創立五十周年記念館「角間の里」でこの26日に「鯉のぼり」が揚がった。晴天が続き、気持ちも春へと高まったのだろう。市民ボランティアの人たちがひと足もふた足も早く季節を先取りした。その「角間の里」がオープンしてから間もなく1年、実にいろいろな人がここを訪れた。その時の言葉などをまとめてみた。

  イギリスの大英博物館名誉日本部長、ヴィクター・ハリス氏が訪れたのは去年7月9日だった。ハリス氏は日本の刀剣に造詣が深く、宮本武蔵の「五輪書」を初めて英訳した人だ。日本語は達者である。年季の入った梁や柱を眺めて、「この家は何年たつの?えっ280年、そりゃ偉いね。大英博物館は250年だからその30年も先輩じゃないか…」とハリス氏は黒光りする柱に向かって軽く会釈した。古きもの、価値あるもを大切にするイギリス人の所作を見た思いがした。

 文部科学副大臣の馳浩氏がこの「角間の里」で林勇二郎学長と広報誌向けの対談をしたのはことし2月4日のこと。文部行政から人づくり、さらに話は政治や外交にまで及び時事放談のように熱くなった。炬燵(こたつ)に入っての対談。最後に「こんなにボクをしゃべらせたこの家が悪い」と茶目っ気たっぷりにミカンをパクリと。それにしても、こんなにエキサイトした馳氏を見たのは久しぶりだった。

  金沢大学が外国プレスの東京特派員を招いたのは同じく2月の16日。女性記者のイリス・ジェラートさんはここで「劇的」な出会いをした。近寄ってきた金沢大の留学生ミハルさんと抱き合って喜んでいた。二人はイスラエル出身。初対面だったが、とても懐かしそうにヘブライ語で語り合っていた。その光景が何となく理解できるような気がした。極東の日本、しかも東京から離れた北陸。外は雪。こんな場所で同国人と出会ったら懐かしさが込み上げてくるのも無理はない。

  「人を懐かしくさせる場の演出」「価値ある古建築」「会話を醸し出す雰囲気」などこの建物にはいくつもの魅力がある。この家で交わった数々の人のエピソードの中からほんの触りを紹介した。

 ⇒31日(金)朝・金沢の天気   くもり   

★凍えるツクシ

★凍えるツクシ

 これを名残り雪という。戻り寒波の影響で、今朝(30日)の最低気温は金沢で2.6度、輪島の山間部で氷点下1.3度だったとテレビの昼のニュースで伝えていた。金沢大学角間キャンパスでも数㌢の積雪があった。

  積もったに雪に顔を出していたのが春の使者、ツクシだ。携帯電話のカメラで撮った凍えるツクシ。「せっかく陽気に誘われて顔を出したのに、無粋な雪や」と文句を言い合っていそうな立ち居姿ではある。

  あす31日まで寒波は残るという。クリーニング屋に持っていくために家人がたたんくれた厚手のセーターをまた広げた。そんな朝があとしばらくは続きそうだ。

⇒ 30日(木)午後・金沢の天気   ゆき

☆ミステリーゾーンを踏査する

☆ミステリーゾーンを踏査する

 さながら探検のようだった。きょう28日、金沢大学「角間の里山自然学校」の市民ボランティア「里山メイト」のM氏(75)のガイドで「ミステリーゾーン」を踏査した。地元では、御瀑野(おたきの)と呼ばれる地名で、昔から土地の人が近づきたがらない場所である。風が吹いていないのに木の葉が舞い、大木がそよぐ。誰も木を切っていないのに、大木が倒れる。ベテランが道に迷う。地元の多くの人が「不思議な体験」をしている場所だ。

 場所は金沢大学角間キャンパスの北側隣接地に当たる。尾根伝いに道があり、「仏教道」と土地の人は呼んでいる。15世紀の終わりごろ、浄土真宗の蓮如上人が北陸布教の折に利用した道と言われ、「蓮如の力水(ちらかみず)」という湧き水や「御講谷(おこうだん)」と呼ばれる地名も残っている。尾根の道は幅1㍍ほど。偉いお坊さんと村の人々がこの道ですれ違う度に、お坊さんは「極楽へいくために念仏を唱えるのじゃ」などと声をかけ、蓮如ファンを獲得したのだろうなどと想像しながら歩いた。

 ミステリーゾーンはその仏教道から横道にそれる。M氏が30年ほど前の記憶をたどりながら歩いて行く。途中で道はなくなった。笹薮だ。それをかき分けて進むとまた道らしきもものがあり、ようやく御瀑野にたどり着く。M氏はここで何度も何度も道に迷う不思議な感覚に襲われ、命からがら自宅に戻った。すると、父親から「よう戻った。あそこには魔物がいる。近づくな」と昔からの言い伝えを聞かされた。だからM氏がこの地に立つのは30数年ぶり。

 この地は海で言えば岬の突端にようになっていて、三方が谷にかこまれている。見晴らしがよい。向こうにはゴルフ場が見える。M氏は「ゴルフ場が見えるようじゃ、魔物の力も落ちたのかな」とつぶやいた。すると私を含め同行した4人のうちの1人が「あっ」と叫んだ。そして「あのゴルフ場はバブルの末期に造成したんですが、確か工事中に2人が死んでいますよ」と。この後しばらく沈黙が続いた。

 確かに薄気味が悪い、と私も感じた。とくに、谷から風がゴーッと鳴り響いているのである。どこかで聞いたことがある音だと。思い出した。1983年5月26日、能登半島の突端にある輪島市で日本海中部地震の津波に遭遇した。海の向こうから押し寄せてくる波。その時の轟(ごう)音と似ているのだ。三方からの谷風が絶え間なく吹き上げてくる。

 M氏によると、御瀑野という地名は、見下ろす谷に瀑布(ばくふ=滝)があって、その近くの洞穴に昔、修験者がいたとう言い伝えがある。ここには土地の人が近づかないので、いいジネンジョが採れるらしい。それでもM氏ら土地の人は近づかない。

 ここに30分ほどいて、道を戻って大学キャンパスに着いた。道すがら、オウレンやキンキマメザクラが可憐な花をつけていた。

(写真・上は「仏教道」と呼ばれる尾根の道、中は30数年前の不思議な体験を話すM氏、下は苔むしたアベマキの老木)

⇒28日(火)夜・金沢の天気   雨

★不思議な春の日差し

★不思議な春の日差し

 北陸にもようやく春がやってきた。風には冷たさが残るものの、金沢市の中心部、兼六園に通じる広坂通りには花見のぼんぼりが取り付けられ、春のムードを醸し出している。その広坂通りを歩いていると、旧・県庁の正面にある2本の巨樹の目立つ。

  この2本のシイノキは「堂形(どうがた)のシイノキ」と呼ばれ、この界わいのシンボルともなっている。樹齢が400年とも推定され、国の天然記念物(1943年指定)なのだ。幹のまわりが5㍍から7㍍もある巨樹だけに、枝葉を円形に広げてバランスをとっている姿がなんとも威風堂々とした感じだ。

  いつもは通勤バスの車窓から眺めるだけなのだが、きょうは春の日差しに誘われた歩いて近寄ってみた。不思議な感覚にとらわれた。まるで、森に入ったような気分になったのである。枝葉からこぼれる日差しがわずかな風に揺れている。野鳥のさえずりもして、「里の錯覚」に陥る。不思議な光景だった。

  このシイノキの持つオーラ(樹霊)なのか、単なる春の迷いなのかは分からない。話はこれだけである。

 ⇒24日(土)午前・金沢の天気  はれ