#コラム

☆おサルの学校

☆おサルの学校

 愛読している司馬遼太郎の「風塵抄」(中央公論社)の中に「おサルの学校」というタイトルがある。1988年(昭和63年)4月5日付の産経新聞に掲載されたコラムである。日本の霊長類研究の草分けである今西錦司博士が山口県の村崎修二氏と民俗学者の宮本常一氏に「おサルの学校」をつくってほしいと依頼した経緯について記されている。

 その学校は、芸を教える学校ではなく、人間の場合と同様の学校である。村崎修二氏が猿曳き公演と文化講演(5月3日、5日)のため金沢大学を訪れたので、その学校の「理念」についてじっくり伺った。実はその学校はいまでも続いているのである。 

 その学校の生徒たちの寿命は長い。「相棒」と呼ぶ安登夢(あとむ)はオスの15歳、銀が入ったツヤツヤな毛並みをしている。猿まわしの世界の現役では最長老の部類だ。ところが、何とか軍団とか呼ばれるサルたちの寿命は10年そこそことだそうだ。なぜか。人間がエサと罰を与えて、徹底的に調教する。確かにエンターテイメントに耐えうる芸は仕込まれるが、サルにとってはストレスのかたまりとなり、毛並みもかさかさ全身の精気も感じられない。村崎さんの学校に体罰はない。「管理教育」といえば周囲の人に危害を与えないようにコントロールする手綱だけだ。だからストレスが少なく長生きだ。

 村崎氏の芸は「人とサルの呼吸」のようなところがある。安登夢をその気にさせて一気に芸に持ち込む。「鯉の滝登り」のように輪っかを上下2段に重ねて、そこを跳びくぐらせる=写真・上=。あるいは、杖のてっぺんに安登夢を二足立ちさせる。背筋がピンと伸びているので、杖と猿が一本の木のように見える。これは「一本杉」=写真・下=と呼ばれる。ここまでにするには繰り返し仕込む。今回の公演でも、サルをその気にさせるための雰囲気づくりのために観客から繰り返し拍手と声援を求めた。そして芸ができればエサを与えるのではなく「ほめる」。

 よく考えれば、人間の学校も同じである。その雰囲気づくりをいかに醸し出し、自発的に学習に取り組む子どもをいかに育てるか。どうしたら生徒のやる気を引き出すことができるか。これが苦心なのだ。できない生徒ややらない生徒に体罰や言葉の暴力を与えてもストレスとして蓄積され、いつか爆発する。

 村崎氏には調教という発想はない。重んじているのは「同志的結合」だ。だから繰り返すが安登夢に決して体罰は与えたりしない。「粘り強く、あきらめない」。故・今西博士が村崎氏に残した宿題は、人間の2歳ほど知能のニホンザルにはたして教育をほどこすことは可能かという実にスケール感のある話だったのである。

⇒7日(日)夜・金沢の天気  くもり

★ウグイスの朝を録音する

★ウグイスの朝を録音する

  五月晴れとはまさにきょうの空模様のことを言うのであろう。風は木々をわずかに揺らす程度に吹き、ほほに当たると撫でるように心地よい。今朝はもう一つうれしいことがあった。ウグイスの鳴き声が間近に聞こえたのである。おそらく我が家の庭木か隣家であろう。ホーホケキョという鳴き声が五感に染み渡るほどに清澄な旋律として耳に入ってきた。

  今年の春は低温が続いく花冷えの天気が多かったせいか、ウグイスの初鳴きを聞いていなかったせいもある。それが間近に聞こえ、思わず手元にあった携帯電話のムービー撮影機能で録音した。画像は自宅2階から見える金沢市内の一角であるが、画質は粗く価値はない。録画は40秒ほどだったが、後半は往来の車の騒音が混じり始めたのでカットした。ウグイスは3度鳴いている。ほかの野鳥のさえずりもわずかに聞こえる。時刻は午前7時54分ごろ、金沢の朝の音色である。

  この音色を残しておきたいととっさの行動を起こした理由は、ブログのことが脳裏にあったからかもしれない。

⇒4日(木)朝・金沢の天気   はれ

☆マスメディアの風圧と法

☆マスメディアの風圧と法

 ゴールデン・ウイーク期間中の3日、珍事が起きた。有田陶器市が開催されている佐賀県有田町で強風で仮設テントが揺れ、中の棚に陳列してあった皿や小鉢などの陶器が次々と吹き飛ばされ割れた。被害は9点(19000円相当)だった。問題はその原因。午後2時10分ごろ、FBS福岡放送の取材ヘリコプターが上空を飛び、ヘリが低空で通過した直後に突風が吹き、テントの中にあった棚の上の陶器が飛ばされたという。

  テレビ局側は「当時は高度150㍍を維持していた。上空から吹き下ろしの風が吹いていて、ヘリの風と相まって被害が出たのかもしれない」と説明した。以上が新聞各紙からピックアップした内容だ。しかし、航空法では、ヘリの最低飛行高度は例えば人家の密集した地域の上空では半径600㍍の範囲の最も高い障害物の高さにさらに300㍍の高度を加えとなっている。カメラマンが被写体に近づこうとすれば、高度を下げるしかない。そこでカメラマンは強くパイロットに低空を飛ぶよう希望したのだろうかと推測する。今回は皿や小鉢だったものの、一歩間違えて、子どもが吹き飛ばされていたなら大事件になっていた。

  もう一つ、今度は法をめぐる風圧を新聞から拾った。4月に赴任した高松地検の川野辺充子検事正が就任会見で、男性記者が「年齢をうかがいたい」と質問した。検事正は「女性に年を聞くんですか、すごいですね」と答えなかった。今度は女性記者が「要職の方には年齢を伺っています」と食い下がったが、今度は「中央官庁でも公表しない方向になっています」と年齢の公表を断った。しかし、別の人事案件で法務省は一度は学歴と生年月日を非公表にしたものの、記者クラブが要求して、公表した例がある。川野辺検事正の場合は最終的に公表したものの、その混乱の原因となっているのが個人情報保護法である。

  もともと民間の情報を守ろうとしたのが個人情報保護法であり、官庁が独占している情報を出させようとするのが情報公開法なのである。なのに「官」がちゃっかりと個人情報保護法の隠れ蓑をまとっている。つまり、官庁が個人情報保護法を盾に情報を出し渋っているのである。そこをマスメディアは見抜いているから今回の川野辺検事正に対する生年月日の公表要求のケースのように、官が情報を出し渋れば渋るほどマスメディアの風圧も厳しさを増すという構図になる。

  端的に言えば、官庁の情報に関しては情報公開法の枠組みで整理したほうが一番すっきりするのである。まして公人である要職の人事などなおさらだ。

 ⇒3日(水)夜・金沢の天気  はれ  

★猿曳き人生、村崎さん

★猿曳き人生、村崎さん

 「あなたはサルのおかげで人間の大ザルとめぐり会えたんや」。作家の故・司馬遼太郎からこう声をかけられたことがあるそうだ。山口県周防を拠点に活動する「猿舞座(さるまいざ)」の村崎修二さん(58)と2日、あすから始まる金沢大学での猿まわし公演と文化講演の打ち合わせをした折りに出た話だ。

 村崎さんの大道芸はサルを調教して演じるのではなく、「同志的結合」によって共に演じるのだそうだ。だから「観客が見ると相棒のサルが村崎さんを曳き回しているようにも見える」との評もある。相棒のサルとは安登夢(あとむ)、15歳のオスである。村崎さんは「こいつの立ち姿が見事でね、伊勢の猿田彦神社で一本杉という芸(棒の上で立つ)がぴたりと決まって、手を合わせているお年寄りもいたよ」と目を細めた。

 同郷の民俗学者・宮本常一(故人)から猿曳きの再興を促され、日本の霊長類研究の草分けである今西錦司(故人)と出会った。司馬遼太郎が「人間の大ザル」とたとえたのは今西錦司のことである。商業的に短時間で多くの観客に見せる「猿まわし」とは一線を引き、日本の里山をめぐる昔ながらの猿曳きを身上とする。人とサルの共生から生まれた技。そこを今西に見込まれ、嘱望されて京都大学霊長類研究所の客員研究員(1978-88年)に。ここで、河合雅雄氏らさらに多くのサル学研究者と交わった。

 うぐいすの谷渡り、輪くぐり、棒のぼり、コイの滝登り同志的結合で間合いを見ながら演じること90分。玄人うけする芸だ。江戸時代の英一蝶(はなぶさ・いっちょう=1652-1724年)の絵を持っている。「生類憐(しょうるいあわれ)みの令」を揶揄(やゆ)して、伊豆・三宅島に島流しされたことでも知られる絵師だ。その反骨の絵師が描いた猿まわしの絵には、サルが長い竹ざおの上でカエルに化けて雨乞いをする姿が描かれている。中世、渇水期の里山で雨乞いの儀式にサルを舞わせたのが猿曳き芸能のルーツではないかともいわれる。「その当時の芸を再興してみたい」(村崎さん)と自らのライフワークを語る。

 猿まわしは3日と5日、それぞれ午前11時と午後3時から。金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」で。3日は午後5時30分から同所で「日本の里山と猿曳き芸能」と題する村崎さんの講演がある。入場は無料だが、大道芸だけに投げ銭を用意してほしいと主催者からの要望。それに演じるのがサルだけにイヌの同伴はご遠慮を。安登夢が気が散って演技に集中できないらしい。

⇒2日(火)午後・金沢の天気  くもり

☆観察好きな教養人の本

☆観察好きな教養人の本

  「この本は当社の唯一の商品です。買ってください」。昨年末、知人からそんな内容の書き付けが添えられて書籍が郵送されてきた。送り主は富山市の甲田克志さん(60)。北日本新聞社の金沢支局長だったころからの付き合いで、定年退職した。その後、父親名義の会社を引き継ぎ、さっそく商売を始めたというわけだ。その商品が書籍なのだ。

 代金を振り込んでそのままにしてあったが、年度末に部屋の整理をしていて、ひょっこり出てきた。その書籍は498㌻もある。タイトルは「ゆずりは通信~昭和20年に生まれて~」。自らのホームページで掲載していた、2000年から05までのエッセイ147編を本に仕立てた。自費出版ながら、ニュースキャスターの筑紫哲也氏が前文を添えている。「地に足のついた教養人の観察をお楽しみあれ」と。なぜ筑紫氏かというと、富山県魚津市で開催されているコミュニティー講座「森のゆめ市民大学」の学長が筑紫氏という縁からから親しくしているらしい。心強い応援団ではある。

 さっそくページをめくる。まず面白いのは147編のエッセイのタイトルだ。「純粋さにひそむファシズム」「おじいちゃんにもセックスを」「邪宗の徒よ我に集え」「こんな夜更けにバナナかよ」「済州島、消された歴史」「国際テロリスト群像」…。日常の話題から国際問題まで実に幅広い。

 「こんな夜更けにバナナかよ」って一体どんな内容だろうと読んでみると、「俺が生きて、日本の福祉を変えてやる」とボランティアを激しくこき使った、自称「カリスマ障害者」鹿野靖明さん(故人)を描いたルポルタージュの本の題名である。要介護1の父親、同じく3の母親を持つ甲田氏。そして自ら老いる先を見つめて、「老いたる鰥夫(やもお=妻を失った男)の尊厳を守る会を発足させたい」と結ぶ。書評なのだが、自らの生き様と対照されていてまるで我がことの様に描き切っている。

 「返り討ち」は自らの大腸のポリープの切除の話。手術は20分も要しないものであったが高校時代から入院するのを「ひそかな楽しみしていた」のでそれを実行した。引用している俳句が面白い。「おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒」(江国滋)。

 筑紫氏は前文で甲田さんの文章についてこうも述べている。「一言で言えば、あまり好きな言葉ではないが、『教養』が要る。世の中で起きていることを、世間が言っている通りに単純には受け取らず、自分なりに考えたり、感じ取る能力のことを、他によい言葉が思い当たらないので私はそう呼んでいる。知識やウンチクをひけらかせることでは決してない」。ウンチクをたれるのではなく、観察好きな教養人が甲田さんなのである。私は「磨かれた常識人」とも評したい。

⇒1日(月)夜・金沢の天気   あめ

★ホリエモンはどう動く

★ホリエモンはどう動く

 ライブドアの証券取引法違反事件で逮捕された堀江貴文前社長が27日夜、94日ぶりに保釈された。テレビ各社は、夜の9時40分ごろ、東京・小菅の東京拘置所の通用門から姿を見せた堀江前社長が「ご心配をおかけしました」と深々と頭を下げる様子をニュース番組で映し出していた。その時はさほど気には留めていなかったが、翌朝の朝刊各紙を手にして「おやっ」と思った。眼を輝かせているホリエモンの写真が大写しで掲載されている。逮捕以前の脂ぎったいかつい顔ではなく、まるで94日間の苦行を超えて悟りをひらいたか修行僧のような雰囲気ではないか。

 94日間で読んだ本は200冊に上ったという。百科事典のほか、中国の歴史書である「史記」や「白い巨塔」(山崎豊子著)、それに韓国語の勉強もしていたらしい。体重は8㌔減量。ダイエットした人なら想像はつくかもしれないが、3ヵ月で8㌔は無理のない数字である。適度な運動をし、間食せず、就寝前3時間は物を口にしなければ無理しなくともこのくらいの減量は可能だろう。

 それにしても、あれだけ物々しい捜査当局の動きの割には、問われた罪は粉飾決算、偽計、風説の流布である。構造汚職事件といわれ、未公開株を政官界に大量にばらまいたリクルート事件(1988年発覚)のような大騒ぎ。それだけに今回の事件の本質がいま一つ理解しにくい。大型脱税なら理解もでききる。ところが粉飾決算をしてまで税金を払っているのである。確かに、「市場を欺いた」行為であることは理解できるが、それでは、3月22日にNECが発表した連結対象子会社が5年間で累計363億円もの架空売上高と93億円の架空営業利益を計上していた問題はどうなった。決算をごまかし、連結から外したという点では同じ線上ではないか。「逮捕」という事実が本質以上に問題を大きく見せてしてしまうという点もある。

 あの事件を思い出す。石川県信用保証協会の代位弁済(肩代わり返済)をめぐる背任事件で、金沢市に本店がある北國銀行の現職の頭取が逮捕された事件(1997年)のことである。頭取は保証協会の役員3人と共謀し、北國銀行が93年に融資した直後に倒産した機械メーカーの債務8000万円を保証協会に不正に肩代わりさせ、損害を与えたとして逮捕、起訴された。2004年9月の最高裁判決は懲役2年6月、執行猶予4年とした一、二審判決を破棄、審理を差し戻した。差し戻し審判決も「元頭取が協会役員と背任の共謀を遂げたと認定するには合理的な疑いが残る」と判断された。結局、05年11月、名古屋高検は「適法な上告理由を見出せなかった」として上告を断念、元頭取の無罪が確定した。

 特捜の切れ味は鋭いものがあった。ただ、頭取の逮捕直後に名古屋の記者の間で「ちょっと無理があったかも知れない」とささやかれているのを聞いた。たずねると、当時は名古屋地検に特捜部が発足したばかりで、「東証一部の上場企業で、しかも現役の頭取なら大きな手柄になるので、功をあせったのではないか」という主旨だった。捜査のことだからその真偽は分からない。が、結果は無罪である。

 今回の事件で捜査手法に疑問を投げかけているわけではない。検察は「マスコミが騒ぎすぎるだけ」と言うだろう。ホリエモンは保釈中である。テレビ出演は裁判での証人に対する圧力とみなされる可能性があるので無理だろう。しかし、執筆活動や選挙に出ることは可能である。事実、受託収賄の罪に問われ保釈中の鈴木宗男氏は05年9月の総選挙で堂々と当選した。今後、ホリエモンはどう動くのか…。

⇒29日(土)午後・金沢の天気  はれ

☆ブログの技術-22-

☆ブログの技術-22-

 これはよく言われることだが、新聞やテレビなどマスメディアによる情報はそのまま鵜呑みにするのではなく、分析するという読み方が正しい。つまり、マスメディアは現実を伝えているというより、現実の断片を構成しているに過ぎない。だから読み手が情報を読み解く力を持たなければならない。この読み解く力のことをメディアリテラシーと言ったりする。

   テーマ「メディアリテラシー」  

 メディアリテラシーはさまざまな媒体にいえることで、今回は新聞の折込チラシを取り上げてみたい。きょう(06年4月23日付)の新聞に実に地味なチラシが折り込まれていた。B4版サイズの白紙に黒の単色印刷である。「新茶つみたて 本場 静岡より直送!」とのタイトルで、おそらくパソコンを使った自家製のチラシだろう。

  このチラシを丹念に読むと、読者心理を実によく研究していることが分かる。静岡の新茶を直販する内容だ。一番早い4月28日から発送を予定している「新茶手づみ茶早摘」は100㌘1680円、それ以降遅くなり「新茶手づみ茶」(4月30日発送)だと1365円、ハサミで摘み取る「荒茶一号」(5月3日発送)は1050円、そして一番遅く機械で摘み取る「荒茶四号」(5月20日発送)となると525円にまで値段が下がる。摘み取りの時期と方法で6段階に分けた価格設定になっている。

  荒茶というのは「余分な加工をせず、茶葉の持つの本来の柔らかい味」で、本来は茶農家の飲み茶であり、見た目には粗悪かもしれないが本来のお茶、と説明している。そして、価格設定について「私達は価格について何年も議論しました。味や香りだけで価格を決め手よいのだろうか?」と前置きして、最終的に手で摘んで労力をかけたものを高く、機械で摘んだ遅く出荷するもの安くしたと記している。

  このチラシの主は静岡市のある生産農家。単独でまいたチラシである。「家族でがんばる静岡のお茶屋」「本広告は私達親子で印刷した物です」とアピールしている。では、このチラシから何が読み取れるのだろうか。ある意味で生産者の誠実さや信頼性かもしれない。親子の実名を記し、さらにホームページには家族の写真まで掲載していて、「品質は保証します。逃げ隠れしません」と主張しているかのようである。

  私は一歩踏み込んで、この生産者に新聞メディアに対する読み込みの鋭さを感じた。これは想像だが、このチラシをまさか全国3700万の全世帯に配布したということではなかろう。仮に1枚2.5円の折込料でも莫大な金がかかる。むしろ、全国統計で日本茶に対する家計支出額が多い都市や地域に絞ってチラシを折り込んだ。あるいは長年の通販の体験からニーズのありそうな都市を選んでいる可能性がある。つまり、マーケット調査をした上で私が住んでいる金沢市を選んだということだろう。

  さらに新聞の読者層までも選んでいる。このチラシは他紙に入っていない。つまり、「A紙の読者だったらこのチラシがピンくるだろう」と想定しているのかもしれない。そのキーワードが環境問題。「ご家庭用は環境問題も考え包装は簡易包装とさせて頂きます」と言った文面を抜け目なく入れ込んでいる。一枚のチラシでニーズをつかみ取るトレーニングを積んだ人がこの家族の中にいるのではないか。マーケット調査をしながら遠方のエリアに新聞折込のチラシを駆使して販路を開拓していくという手法は、少なくとも普通の家族労働の成せる技ではない。ともあれ面白いチラシを手にした。以上が私なりの分析である。

 ⇒23日(日)午後・金沢の天気  くもり

★角間の古道を歩く

★角間の古道を歩く

 先月28日の周辺踏査に引き続き、今月18日も金沢大学周囲の古道を歩いた。その目的は歴史的に由来のある地名を記録し、近い将来「歴史散歩」のようなハイキングコースが組めないかと、「角間の里山自然学校」の仲間数人と検討しているのだ。この日は、キャンパス東側に当たる高地へと向かった。

  それは戸室(とむろ)の方面に当たる。この地区は昔から「戸室石」を産出してきた。赤戸室あるいは青戸室などといまでも重宝されているのは磨けば光る安山岩で加工がしやすいからである。それより何より10数万個ともいわれる金沢城の石垣に利用されたことから有名になった。戸室から金沢城へと石を運んだ道沿いには「石引(いしびき)町」などの地名が今も残る。

  今回の踏査でもかつての石切場の跡らしい場所がいくつかあり、いまでも石がむき出しになっている=写真・上=。案内役で地元の歴史に詳しい市民ボランティアのM氏が立ち止まり、「ここがダゴザカという場所です」と説明を始めた。

  地元の言葉ではダゴザカ、漢字では「団子坂」と書く。M氏によると、城の石垣を運ぶ際の最初の難所がこの坂=写真・中=だった。傾斜は20度ほどだろうか、それが200㍍ほど続く。この坂を上り切るとあとは下りになる。加賀藩三代藩主の前田利常(1594- 1658年)は石切現場を見回った後、この坂で運搬の労役者たちにダンゴを振舞って労をねきらったとのいわれからダゴザカと名が付いた。利常は江戸の殿中で鼻毛をのばし、滑稽(こっけい)を装って「謀反の意なし」を幕府にアピールし、加賀百万石の基礎を築いた人である。現場感覚のある苦労人だったのかもしれない。

  ダゴザカから北にコースを回り込んで、今度は「蓮如の力水」という池=写真・下=を案内してもらった。浄土真宗をひらいた親鸞(しんらん)は「弟子一人ももたずさふらふ」と師匠と弟子の関係を否定し、ただ念仏の輪の中で布教したといわれる。後世の蓮如(1415-99年)は生涯に5人の妻を迎え、13男14女をもうけた精力家だ。教団としての体裁を整えたオーガナイザーでもある。その蓮如が北陸布教で使った道というのが、越中から加賀へと通じるブッキョウドウ(仏教道)である。尾根伝いの道は幅1㍍。夕方でも明るく、雪解けが早い。蓮如の力水はブッキョウドウのそばにある周囲50㍍ほどの泉である。山頂付近にありながらいまでもこんこんと水が湧き出ていて周囲の下の田を潤している。

  力水というから、「目的地まであと一息」と一服した場所なのかとも想像する。この一帯は金沢大学の移転計画が持ち上がった20年ほど前、道路のルートになりかけたものの紆余曲折の末に開発は免れた。そして蓮如の力水は残った。アベマキ、コナラの林に囲まれた泉である。蓮如とその弟子たちが喉を潤す姿を想像できただけでも楽しく、この散歩コースに参加した甲斐があった。

 ⇒21日(金)夜・金沢の天気   くもり

☆金沢城、桜のアングル

☆金沢城、桜のアングル

  今月6日に開花宣言をしたソメイヨシノはまだ散らずに私たちを楽しませてくれている。花冷えのおかげで葉が出るのが遅い分、花は命脈を保っているかのようである。パッと咲いて、パッと散るの桜の本来の有り様なのだろうが、長く咲き続ける桜も人生に似て、それはそれなりに味がある。  

 金沢城周辺の桜はどこから撮影しても絵になる。つまりアングルが決まる。桜とお城は実に相性がいいのである。まず、古風な美を醸し出し、それは優美とも表現できる。梅では樹が低木すぎる。松では季節感が出せない。やっぱりこの時期、城と似合う花は桜なのである。        

  一番上の写真はまるで桜の雲に浮かぶお城とでも言おうか…。余談だが、天守閣のように見えるそれは櫓(やぐら)である。なぜ天守閣ではないのか。加賀藩は戦時には指令塔となる天守閣を造らなかったといわれる。初代の前田利家は秀吉に忠誠を尽くし、「見舞いに来る家康を殺せ」と言い残して床で最期を迎える。それ以降、加賀は西側と見なされ、徳川の世には外様の悲哀を味わうことになる。三代の利常はわざと鼻毛を伸ばし江戸の殿中では滑稽(こっけい)を装って、「謀反の意なし」を演じた。ましてや城に天守閣など造るはずもなかったというのが地元での言い伝えである。

   その下の写真は城の石垣とコントラストをなす桜である。無機質な石垣の鋭角的なフォルムを優しく植物の桜が覆う。ただそれだけのアングルなのだが、それはそれで見方によっては美のフォルムのように思えるから不思議だ。上から3枚目の桜は石川門にかかる架橋から見たもの。円を描いて、桜が納まる。黒と白のコントラスト。地底から天空を仰ぎ見るような錯覚さえある。

   一番下は石段と桜である。左下の暗と右上の明というコントラスはこの城の明と暗のようでもあり、何か想像力をかきたてる。江戸時代から幾多の人々が城を横目に見ながらこの坂を上り下りしたことだろうかと…。

   あと数日で散り去る桜。散り際に色気さえ漂わせている。これが金沢で一番美しいと私が思っている桜の見納めである。

⇒17日(月)午後・金沢の天気   はれ

★夢を売るおっさん

★夢を売るおっさん

 金沢のソメイヨシノは今月6日に開花宣言がされたものの、その後は雨や風の日が多く桜の季節の実感に乏しい。通勤の意欲さえそぐ雨が憎らしく思うこともある。

   花が三部咲きだった先週末、兼六園の近くの料理屋で開かれた会合に出席した。金沢大学と地元民放テレビ局が共同制作した番組の反省会である。番組は、大学のキャンパス(2001㌶)に展開する森や棚田を市民ボランティアとともに保全し、農業体験や動植物の調査を通じて地域と交流する、大学の里山プロジェクトの一年をまとめたものだ。ハイビジョンカメラで追いかけた里山の四季は「われら里山大家族」というドキュメンタリー番組(55分)となって先月25日に放送された。

   この番組に登場する市民ボランティアは、今の言葉で「キャラが立っている」と言うか、魅力的な人たちがそろった。その一人、男性のAさんは「夢を売るおっさん」というキャラクターで登場した。65歳。岐阜県大垣市の農家の生まれで、名古屋市に本社がある大手量販店に就職した。金沢に赴任し、北陸の食品商社に食い込んで、業界では知られた腕利きのバイヤーだった。定年後に里山プロジェクトに市民ボランティアとして参加し、棚田の復元に携わる。

  「人を幸せにする里山づくり」がAさんの身上とするところ。「自然体験は知恵の鍛錬になる。真の生きる力を育てる」「定年後は第二の人生というが、自分が熱中し楽しめることをやるのが一番よい。元気の素はボアランティア活動だよ」と言って憚(はばか)らない。一時、ヒゲを蓄え、黙して語らぬ仙人のような風貌になった。クワを持ち、小屋作りのためにヨイトマケをした。棚田づくりのために人の輪を広げた。そして最近では余分な言葉がそがれて「夢」という一語ですべてを語るようになった。

  宴席にはAさんも参加した。持病を抱えているので量は飲まなかったが、「いい気分で酔った」と満足そうだった。

  帰途、信号待ちのタクシーの窓から兼六園周辺にボンボリが灯っているのが見えた。現役のときは一生懸命にモノを売り、定年になっからはクワを握って夢を売る。まるで「いぶし銀」のように味わい深い人生。酔った勢いで、ひと回り以上も先輩であるAさんのことをそう表現してみたくなった。

 ⇒12日(水)朝・金沢の天気  はれ