#コラム

☆「総合学習」の新人類

☆「総合学習」の新人類

 私のオフィスがある金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」は昨年4月に完成した。この建物は白山ろくの旧・白峰村の文化財だったものを大学を譲り受けて、この地に再生した。築300年の養蚕農家の建物構造だ。建て坪が110坪 (360平方㍍)もある。黒光りする柱や梁(はり)は歴史や家の風格というものを感じさせてくれる。金沢大学の「里山自然学校」の拠点でもある。

 古民家を再生したということで、ここを訪ねてくる人の中には建築家や、古い民家のたたずまいを懐かしがってくる市民が多い。最近は学生もやってくる。その学生のタイプはこれまでの学生と違ってちょっと味がある。「こんな古い家、とても落ちつくんですよ」と言いながら2時間余りもスタッフとおしゃべりをしていた新入の女子学生。お昼になると弁当を持ってやってくる男子学生。「ボクとても盆栽に興味があって山を歩くのが好きなんです」という同じく新入の男子学生。今月初め、いっしょにタケノコ掘りに行かないかと誘うと、「タケノコ掘り、ワーッ楽しい」とはしゃぐ2人組の女子学生がいた。いずれも新入生である。

  「学生が来てくれない」と嘆いた去年とは違って、ことしは手ごたえがある。この現象をどう分析するか。同僚の研究員は「総合学習の子らですね」と。総合学習とは、2002年度4月から導入された文部科学省の新学習指導要領の基本に据えられた「ゆとり教育」と「総合的な学習の時間(総合学習)」のこと。子どもたちの「生きる力」を育みたいと、週休2日制の移行にともない、教科書の学習時間を削減し、野外活動や地域住民と連携した学習時間が設定された。その新指導要領の恩恵にあずかった中学生や高校生が大学に入ってくる年代になったのである。

  当時、批判のあった画一教育の反動で設けられた総合時間だが、その後、「ゆとり」という言葉が独り歩きし「ゆるみ」と言われ、総合学習も「遊び」と酷評されたこともあった。しかし、私が接した上記の「総合学習の子ら」は実に自然になじんでいるし、「ぜひ炭焼きにも挑戦したい」と汗をかくことをいとわない若者たちである。そして、動植物の名前をよく知っていて、何より人懐っこい。それは新指導要領が目指していた「生きる力」のある若者であるように思える。

  もちろん、新入生のすべてがそうであるとは言わない。今後、金沢大学の広大な自然や里山に親しみを感じてくれる若者たちが増えることを期待して、数少ない事例だが紹介した。

 ⇒24日(水)朝・金沢の天気   くもり

★ノンフィクションの凄み

★ノンフィクションの凄み

 優れたルポルタージューというのは最初からひたすら客観的な文章で構成されているため、森の茂みの中を歩いているように周りが見えない感じだが、あるページから突然に視界が開けて森全体が見えるように全体構成が理解できるようになる。読み終えると、あたかも自身がその場に立っているかのような爽快な読後感があるものだ。

 アメリカのネット革命の旗手とまでいわれたAOLがタイムワーナー社との合併に踏み込んだものの、その後に放逐されるまでの栄光と挫折を描いたルポルタージュ、「虚妄の帝国の終焉」(アレック・クライン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン社刊)を読んでいる。実はまだ第3章「世紀の取引」を読んでいる途中で、茂みの中である。それでも、アメリカのメディアとインターネット産業をめぐる大事件として記憶に新しい。370㌻の出だしの3分の1ほどしか読み進んだあたりから、人間の相克と葛藤が次ぎ次ぎと展開されていく。このブログを書いている時点で私も読んでいる途中だが、それでも書評をしたためたくなるほどのボリユーム感がすでにある。

 マイクロソフトがAOLの買収を仕掛けたとき、AOL側が「もし、オンラインサービスが技術の問題だと考えているのなら、これはマイクロソフトにとってベトナム戦争になるよ」とすごんだ話や、マイクロソフトがネットスケープとの「ブラウザー戦争」でAOLを味方に引き入れて、ネットスケープを追い落としたいきさつなど実に詳細にリアリティーをもって描かれている。

 AOLの転落はタイムワーナーを飲み込むかちで合併を発表した2000年1月が「終わりの始まり」で、これからページにはAOL側の不正会計疑惑の発覚、そしてスティーブ・ケースの放逐、そして瓦解への道と進んで行く。事実は小説より奇なり、とはこの著作のことかもしれない。そしてこの場合、野望より司直を巻き込んだ滅びの構図により真実味を感じさせる。

⇒22日(月)朝・金沢の天気  くもり

☆続・韓国経済のキナ臭さ

☆続・韓国経済のキナ臭さ

  18日付「韓国経済のキナ臭さ」のタイトルで韓国経済についての朝鮮日報と中央日報の記事を紹介した。不動産バブルが弾けそうだが、金利の引き上げなどでバブルを沈静化させようとすると今度は、カード破産者が一気に増大し、ひいては金融破綻へと連鎖するのではないかというのがその主旨だった。偶然にも20日付の中央日報インターネット版(日本語)で、ノ・ムヒョン大統領が19日、「投機者によって全国不動産価格が高騰し、その結果、経済が深刻な状況になるというのに、政府がこれを放置できるはずがない」と述べ、大統領が不動産バブル崩壊の可能性について憂慮していると伝えている。

  これまで述べてきたのは、突き詰めれば金利の話だが、実は産業構造そのものが問題点を抱えている。キーワードは中国である。以下は20日付の朝鮮日報の記事だ。訪韓中のシンガポールのリー・クワンユー前首相が講演し、「20年後には中国が、現在韓国が行っているすべての産業を代替するようになる」「今は韓国の企業が中国に進出しているが、10ー20年後には中国が韓国に投資する時代が訪れる」とし、「中国がついてこられないような完全に新しい産業、新しい製品を絶えず開発しなければならない」との提言した。

  韓国が世界市場でシェア1位を占める品目は2003年には63品目だったが、04年には59品目に縮小した。逆に中国は760品目から833品目に拡大した。テレビや洗濯機のような家電製品を含む中級技術の分野では、すでに中国製にシェアを奪われている。しかも、移動通信、ディスプレー、2次電池などの先端分野でも2010年には韓国と中国の間の技術格差が1年分ほどに狭まる(朝鮮日報)、という。

  問題は技術だけではない。中国では生産過剰となっており、国内であふれかえった製品が世界市場へダンピングして売られ、韓国のシェアをさらに奪っている。たとえば、中国全体でおよそ3億㌧程の生産実績があるものの、その40%にあたる1億2000万㌧が過剰となっている。これが韓国製などとバッティングし、世界市場における価格の下落を招き、各国の企業収益を圧迫している。韓国では為替市場でウォン高が続き、輸出産業をさらに疲弊させている。

  こうした経済の負のスパイラルがジワリと大統領の支持率を下げている。03年4月で59.6%(韓国ギャロップ)あった支持率が上がり下がりを繰り返して最近では37.5%(東亜日報)。日本の小泉内閣の支持率は50%(ことし4月・朝日新聞)である。国が違うので比較にはならないが、直接選挙で選ばれた大統領の支持率が37.5%というのは、実感としてかなり低いのではないか。

  このところノ・ムヒョン大統領は「靖国、独島(竹島)」と外交面で声高に叫んでいる。しかしこれは、ナショナリズムを刺激して支持を訴え、内政上の経済失政(不動バブル、カード破産者の増大、輸出企業の疲弊など)を覆い隠そうとしているようにも見える。しかし、経済破綻を想定していまから手を打たないと、「日本の失われた10年」どころではなくなる。韓国の新聞記事を読みながら思ったことを2回に分けて記した。

 ⇒20日(土)午後・金沢の天気  くもり  

★韓国経済のキナ臭さ

★韓国経済のキナ臭さ

 韓国の新聞のインターネット版(日本語)をたまに読む。日韓関係がぎくしゃくしているので、隣は何を考えているのだろうかと思うからである。今月15日付、17日付の中央日報の記事を読んで外交以上に韓国の経済に関心を持った。

 17日付の記事。見出しは「アジア太平洋地域諸国のうち、ゴールドカードを最もたくさん使っているのは韓国人」。ビザカード・コリアによると、今年3月現在、韓国人が保有しているビザ・ゴールドカードは1400万枚で、アジア太平洋地域全体のビザ・ゴールドカードの34%を占め、日本(480万枚)より3倍も多い。ゴールドカードよりワンランク上のプラチナカードの場合、韓国は260万枚(日本5万枚)になる。この数字を見る限り、4600万人の国民の3人に1人がゴールドカードを持つ、アジアでもっとも裕福でエクセレンな国が韓国となる。

 ところが、15日付の記事。見出しは「国民1人当たりの総所得は1万4000㌦、世界50位」。韓国銀行が世界銀行の「世界発展指数」を整理した資料によると、市場為替レートを基準に、韓国の04年の1人当たり国民総所得は1万4000㌦で、比較対象208ヵ国のうち50位。この数字はポルトガル(1万4220㌦、49位)に次ぐ。ちなみに世界1位は1人当たり5万6380㌦のルクセンブルク、米国は4万1440㌦で5位、日本は3万7050㌦で9位だ。

 日本でゴールドカードの保持者と言えば、年齢30歳以上で年収500万円以上、プラチナカードだと役員クラスが持つものと一応見られている。となると、個人所得が世界で50位ほどの韓国がクレジットカード利用ではアジアで一番の顧客というのは、一体どういうカラクリがあるのかと疑問がわく。そこでインターネットで調べてみると、以下のような実態が浮かび上がってきた。

 韓国政府は内需拡大策の一環としてクレジットカードの普及を推進してきた。中学生までもが複数のクレジットカードを持つケースもあるという。大人の場合、1人で20枚も所有している人もいる。その結果、使い過ぎてカード破産する人が続出し、カード破産者は400万人に達する。また予備軍も含めると国民のおよそ20%の人がクレジットカードの支払いに苦しんでいるという。以上は、韓国経済に詳しい深川由紀子氏(東京大学大学院教授)が日本の衛星放送「BS-i」の経済番組「グローバルナビ」(05年5月)で語った内容だ。

 しかも、18日付の朝鮮日報の記事「膨らみ続ける韓国の資産バブル」や「バブル崩壊は迫っているのか」を読むと、ソウル中心部の1平方㍍当たりの地価は6000~6500㌦に急騰している。同じ面積の東京の不動産価格は1万ドルで、ニューヨークのマンハッタンは1万1000ドル程度だが、日本人の国民所得が韓国の2.6倍程度であることを考えると、ソウルの不動産価格の方が格段に高い。しかも韓国では個人資産の80%が不動産投資に回っているという。1980年代後半の日本の不動産バブルと似ていて、朝鮮日報が報じるように、そのバブルはいつ弾けても不思議ではない段階なのだ。

 庶民はカード破産、資産家はバブル崩壊の危機と何やらキナ臭い。こうなると、金融当局が不動産バブルを鎮めようと金利を上げれば、今度は国民全体の20%といわれるカード破産者とその予備軍の首を絞めることになる。これがひいては金融破綻へと連鎖するのではないか。にっちもさっちもいかなくなっているのである。早晩、ノ・ムヒョン大統領の失政が問われることになろう。

⇒18日(木)夜・金沢の天気  はれ

☆権力を挑発するメディア人

☆権力を挑発するメディア人

 ジャーナリストの田原総一朗氏が司会をするテレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」や「朝まで生テレビ!」を視聴していると、田原氏の手法はあえて相手を挑発して本音を引き出すことを得意技としている。アメリカCNNのトーク番組「ラリー・キング・ライブ」のインタビューアー、ラリー・キング氏の手法は執拗に食い下がって相手の感情をさらけ出してしまうというものだ。手法は似て非なるものかも知れないが、要は相手に迫る迫力が聞き手にあるということだろう。

 田原氏の近著、「テレビと権力」(講談社)を読んだ。内容は、権力の内幕をさらけ出すというより、田原氏がテレビや活字メディアに出演させた人物列伝とその取材の内幕といった印象だ。岩波映画の時代から始まって、テレビ東京のこと、現在の「サンデープロジェクト」まで、それこそ桃井かおりや小沢一郎、小泉純一郎まで、学生運動家や芸能人、財界人、政治家の名前が次々と出てくる。

 田原氏の眼からみた人となりの評し方も面白い。週刊文春で連載した「霞ヶ関の若き獅子たち」の宮内庁の章。民間の妃と結婚した皇太子(現・天皇)は同庁の中での評判が悪かった。75年7月、沖縄訪問でひめゆりの塔を参拝したときに火炎瓶を投げつけられた皇太子は「それをあるがままのもとして受けとめるべきだと思う」と発言した。それについても庁内では、威厳がない、あるいは弱気すぎるなどと批判があったそうだ。その皇太子の姿は官僚の操り人形にはならないぞとの姿勢にも見えて、「皇太子時代の頑張りは、天皇となった現在も続いていると私は見ている。(…中略…)声援したい気持ちでいる」と田原氏は好意的に記している。

 冒頭で紹介した「挑発する田原総一郎」はテレビ朝日「朝まで生テレビ!」が始まりだ。スタートが87年4月だからかれこれ20年になる。ソ連にゴルバチョフ書記長が登場し(85年)、東西ドイツの「ベルリンの壁」が崩壊する(89年)。そして日本でも自民党の安定政権が揺らいだ時代だ。このころの田原氏はジャーナリストとしてフリーとなっている。おそらくテレビ局員だったらこの番組は成立しなかったかもしれない。何しろ、タブーとされた天皇論、原発問題など果敢に切り込んでいくのである。とくに原発問題はテレビ局自身が営業的な観点から最もタブーとした事柄だ。この意味で番組と「内なる権力」との相克があったことが述べられている。

 政治権力との相克は「サンデープロジェクト」から始まる。著書の「政局はスタジオがつくる」の項は、佐藤栄作から軍資金をもらいにいった竹下登と金丸信のエピソードが書き出しだ。その金丸の後ろ盾で小沢一郎が自民党内を牛耳る。小沢が海部俊樹を総理に担ぎ上げる。そのとき、「トップは軽くてパアがよい」と小沢がいったとのうわさが広がる。ここあたりになると私自身の記憶も鮮明に蘇ってくる。

 この本の面白さはこうした場面展開が次々と出てきて、そういえばかつてそんなテレビ画面があったと思い起こさせてくれる点だ。映像のプレイバックとでもいおうか、読み進むうちに時代の記憶を誘発して呼び起こす駆動装置のようでもある。そのスタートはそれぞれが田原氏の番組と視聴者としてかかわった年代となる。これまで政治に無関心であった人にとっては、この著書を読んでもその記憶の駆動はスタートしないだろう。

⇒17日(水)夜・金沢の天気   くもり 

★夢のサイズを大きくした男

★夢のサイズを大きくした男

 怪我(けが)というダメージを受けたスポーツ選手を励ます広告というのを初めて見た。きょう15日の全国紙に掲載された建設機械メーカー「コマツ」の広告である。そのコピーには「日本人の夢のサイズを大きくしたのは、この男です。」と書かれてあった。この男とはニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手。

 コピーの続き。「松井は野球の天才ではない。努力の天才なのだ」と言い、「コマツは、どうだろう。自分たちの技術に誇りを持ち、よりよい商品づくり心がけているだろうか。」と問う。そして、最後に小さく、「松井選手の今回のケガに際し、一日も早い復帰をお祈りしております」と締めている。松井の出身地である石川県能美市に近い小松市に主力工場を持つコマツは、ヤンキース入りした直後から松井選手のスポンサーになった。嫌みのない、実にタイムリーな広告企画ではある。

 松井選手は日本時間の12日、レッドソックス戦の1回表の守備で、レフトへの浅い飛球をスライディングキャッチしようとして左手首を負傷、そのまま救急車で病院に向かい、骨折と診断された。これで巨人入団1年目の1993年8月22日から続いていた日米通算の連続試合出場は前日までの1768試合(日本1250試合、米国518試合)でストップした。現在は自宅療養が続いている。

 松井選手は逆境に強い。1992年(平成4年)、甲子園球場での星稜と明徳義塾の戦い。あの物議をかもした「連続5敬遠」が彼の名を一躍全国区に押し上げた。松井選手の父親、昌雄さんはこう言って息子を育てたそうだ。「努力できることが才能だ」。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と。ホームランの数より、一見して地味に見える記録だが連続出場記録にこだわったのもプロ努力とは本来、出場記録なのだと見抜いていたからだろう。

 記録ストップは残念だろうが、新たな目標を設定し、再びバッターボックスに立ってほしい。

⇒15日(月)夜・金沢の天気   はれ
 

 

☆東京の「金沢町内会」

☆東京の「金沢町内会」

 東京で「金沢町内会」と呼ばれているエリアがある。東京都板橋区の一角である。その「町内会」の話は、先日訪れた国立極地研究所で聞いた。同研究所の広報担当のS氏が「金沢大学の人ですか、この地区の人たちは金沢に親しみを持っていますよ。金沢町内会と自ら呼んでいます」と。

 確かに、同研究所は板橋区加賀1丁目9番10号が所在地だ。加賀といえば加賀藩、つまり金沢なのである。加賀という地名は偶然ではない。かつて、加賀藩の江戸の下屋敷があったエリアなのである。それが今でも地名として残っている。

 歴史をたどると、参勤交代で加賀藩は2000人余りの大名行列を編成して金沢を出発し、富山、高田、善光寺、高崎を経由して江戸に入った。金沢-江戸間約120里(480㌔㍍)、12泊13日の旅程だった。そして江戸に入る際、中山道沿いの板橋に下屋敷を設け、ここで旅装を粋な羽織はかまに整え、江戸市中を通り本郷の加賀藩上屋敷(現在の東京大学)へと向かったのである。この参勤交代は加賀藩の場合、227年間に参勤が93回、交代が97回で合計190回も往来した。

 ところで、板橋区と加賀藩について調べるにうちに面白い史実を発見した。明治以降の加賀藩下屋敷についてである。新政府になって、藩主の前田氏は下屋敷とその周囲の荒地を開墾する目的で藩士に帰農を奨励した。その中に、備前(岡山)の戦国武将、宇喜多秀家の子孫8家75人がいた。実は、加賀藩の初代・利家の四女・豪姫は豊臣秀吉の養女となり、後に秀家に嫁ぐ。関が原の戦い(1600年)で西軍にくみした夫・秀家とその子は、徳川家康によって助命と引きかえに八丈島に遠島島流しとなる。豪姫は加賀に戻されたが、夫と子を不憫に思い、父・利家、そして二代の兄・利長に頼んで八丈島に援助物資(米70俵、金35両、その他衣類薬品など)の仕送りを続けた。

 この援助の仕送りは三代・利常でいったん打ち切りとなった。物語はここから続く。秀家一行が八丈島に流されるとき、二男・秀継の乳母が3歳になる息子を豪姫に託して一家の世話のため自ら島に同行した。残された息子はその後、沢橋兵太夫と名乗り、加賀藩士として取り立てられた、この沢橋は母を慕う気持ちを抑えきれずに幕府の老中・土井利勝に直訴を繰り返し、八丈島にいる母との再会を願って自らを流刑にしほしいと訴えた。同情した土井の計らいで、母に帰還を願う手紙を送ることに成功する。しかし母の返事は主家への奉公を第一とし、これを理解しない息子を叱り飛ばす内容だった。

 母に会いたいという沢橋の願いはかなわなかった。が、この話はその後、意外な方向に展開していく。当時の幕府の方針である儒教精神の柱「忠と孝」の模範として高く評価され、幕府は加賀藩に八丈島の宇喜多家への仕送りを続けるよう命じたのである。加賀藩の仕送りは実に明治新政府が誕生するまでの270年間に及んだ。そして、新政府の恩赦で流罪が解かれ、一族は内地に帰還し、加賀藩預かりとなる。一族は浮田を名乗り、前述の加賀藩下屋敷跡と周辺の開墾事業に携わることになる。前田家の援助で浮田一族の八丈島から板橋への移住は成功したのである(「板橋区史 通史編下巻」)。

 板橋区史に出ているくらいだから当地では有名な話なのだろう。とすれば、加賀という文字が地名となり、「金沢町内会」と親しみを込めて呼ばれる歴史的な背景が理解できなくもない。

⇒13日(土)夜・金沢の天気  くもり

★都市の輪郭

★都市の輪郭

 ヨーロッパの中世都市では城を中心に都市を囲む城壁が築かれた。ことし1月に訪れたイタリアのフィレンツェでも石垣で構築された城壁が残っていて、防備ということがいかに都市設計の要(かなめ)であったのか理解できた。多くの場合、川の向こう側に城壁が設けられ、その城壁が破られた場合、今度は橋を落として堀にした。城壁と川の二重の防備を想定したのだ。

  先月15日に金沢市の山側環状道路が開通した。寺町台、小立野台という起伏にトンネルを貫き、信号を少なくした。このため、この2つの台地をアップダウンしながら車で走行したこれまでに比べ15分ほど時間が短縮したというのが大方の評価となっている。この道路は金沢市をぐるりと囲む50㌔に及ぶ外環状道路の一部で、今回は山側が開通し、海側は工事中だ。

 この道路を車で走りながら、思ったことは、外側環状道路は金沢という「都市の城壁」を描いているかのようである。これまで、金沢の都市計画が市内の中心部がメインに構成され、道路の幅何㍍などといったことが中心だった。が、この道路が完成するにつれて金沢という都市の輪郭がある意味ではっきりしてきたというのが実感だ。これは今後の都市計画を策定する上で、キーポイントとなる。道路計画や民間の宅地開発プランが外側がはっきりしたことで策定あるいはセールスがしやすくなったのではないか。

 先に述べたフィレンツェも城壁の内側がすこぶる整備された都市なのである。人が濃密に交流する場ができ、そこへのアクセスが容易になることは都市機能としては重要だ。これによって、都市で熟成される文化もある。フィレンツェの場合、ミケンランジェロやラファエロ、レオナルド・ダ・ビンチなどイタリア・ルネサンスの巨匠を生んだ。現在でもたかだか37万人ぐらいの都市で、である。

 金沢の外側環状で面白いのは、偶然かもしれないが、金沢大学、金沢星稜大学、金沢工業大学、北陸科学技術先端大学院大学(JAIST)など大学のロケーションが外側環状道路でつながっていることだ。その意味で、道路を介してさらにお互いが近く親しくなればと思っている。それにして面白い道路ができたものだ。あとは地元の人がこの「都市の輪郭」という道路をいかに活用するか、であろう。

⇒12日(金)夜・金沢の天気   はれ 

  

☆サッカーボールを手にする松井

☆サッカーボールを手にする松井

 あの松井秀喜選手はどうなっているのか、楽しみにしていた。きょう(9日)、久しぶりに東京のJR浜松町駅にきた。なんと、松井選手はサッカーボールを持っていた。駅構内の広告のことである。なぜ松井がサッカーボールをと思うだろう。答えは簡単。松井のスポンサーになっている東芝はFIFAワールドカップ・ドイツ大会のスポンサーでもある。その大会に東芝は2000台以上のノートパソコンを提供するそうだ。理由はどうあれ、サッカーボールを持った松井選手というのは珍しいので、その広告をカメラで撮影した。

 JR浜松町駅近くに東芝の本社があり、ここでしか見れない、いわば「ご当地ポスター」のようなもの。去年の大晦日に見た松井選手の広告は本物のゴジラと顔を並べていた。

 そのヤンキースの松井選手は日本時間の8日、レンジャーズ戦で5番・指名打者で先発出場し、5号となる3ランホームランを放ってヤンキースを勝利に導いた。絶好調のようだ。

 話は戻るが、サッカーボールの松井の表情が実に硬く、ゴジラと並ぶ松井とは大違いだ。以下は想像である。この広告のクリエイターはおそらくサッカー日本代表のユニフォームを松井に着せたかったに違いない。しかし、内部で反対論が出た。松井がサッカーボールを持つことに違和感を持つファンもいるはずで、ましてやユニフォームとなると反感に変わるかもしれない。そこはスポンサーならびに松井のマイナスイメージにならないよう慎重に、と。で、「にやけた松井」ではなく「しまった松井」で日本代表の心強い応援団というイメージを演出することになった。ダークブルーのスーツも感情の抑えの心理的効果がある…などなど。この広告を眺めながら、デザインをめぐり揺れ動いたであろうコンセプト論議を想像してみた。

⇒9日(火)午後・東京の天気  はれ

★ブログの技術-23-

★ブログの技術-23-

 季節の変化を追いかけよう。季節の変わり目は実は多様な写真が撮れるし、それに伴って文章もかけるものだ。ブロガーにとって一番生き生きとするのがこの季節の変わり目だろう。

    テー「季節の変わり目を撮る」  

 春から初夏への表現は文章で書くより、写真で見せたほうが一番分かりやすい。写真は、私のオフィスである金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」の前庭にある菜の花畑と鯉のぼりが泳ぐ風景である。夕方の逆光写真であるものの、日差しが注いで初夏への切り替えが行われる自然の季節移動というものがまさに実感できる瞬間だった。

  少々大仰に表現すれば、鯉のぼりに生命感を、菜の花に季節感を、そして里山の古民家に人間の存在感を感じないだろうか。私はそんなテーマでアングルを構成してみた。実は、上の写真は午前中から狙っていたが、風が少なく鯉のぼりに勢いがなかった。夕方になって山からの海に向かう風が強くなってきたので、ようやく思いのアングルになってくれた。

  ところでカメラだが、私は携帯電話のカメラでも十分という主義だ。ブログの場合は画像を圧縮するので、それだったら最初から1メガピクセルの携帯電話カメラで撮ればよいとも思っている。問題はシャッターチャンスだと思っているので、常に持ち歩いているカメラが便利だ。思いのアングルを決めてチャンスを待つ。どの場所、角度から撮ったらよいかイメージトレーニングをしておくのもよい。

 ⇒8日(月)夜・金沢の天気   はれ