#コラム

☆「猿岩石」的な詐欺師

☆「猿岩石」的な詐欺師

 詐欺師という犯罪者をほめるつもりはまったくない。ただ、その手口が人の心理を手玉にとっていて、思わず笑ってしまう。それが詐欺という被害であったことをまだ知らずにいる人の中には、「ささやかな夢」をいまだに抱いている人もいることだろう。そして、私もその詐欺師とどこかで遭遇していいれば、その手口にひっかかったかもしれない。

  その詐欺とはきょう(10日)の地元紙に載った寸借詐欺の記事である。富山市で逮捕された詐欺師は長崎県大村市出身の28歳、無職の青年である。手口はこうだ。「北海道出身だが、バッグを盗まれた。北海道の自宅に帰ったら金を返す」と見ず知らずの人に無心する。そして、「そのお礼にカニとウニのどちらかを後ほど送るので住所を教えてほしい」と借りた現金に添えて海産物を送る約束をする。この手口で去年12月以降、50人から合計50万円をだまし取ったというのが容疑だ。

  人間の心理を巧みについているのは、「北海道」と「カニ」と「ウニ」のキ-ワードを相手に提示し、「お礼に送る」とダメ押しをする点である。余罪は50人、50万円なので、おそらく1万円を貸してほしいと持ちかけたのだろう。日本人は「北海道」「カニ」「ウニ」にほれ込んでいる。金沢市内のデパートでも北海道物産展は人だかりである。1万円を貸して北海道のカニかウニなら利子としては悪くはない。しかも、北海道から海の幸が送られてくるという「ささやかな夢」がある。詐欺師はそこにつけ込んだ。

  もう一つ、この寸借詐欺を容易にした伏線がある。詐欺をはたらいた場所は関西、そして北陸である。以下想像をたくましくして書く。28歳の青年は放浪の旅をしながら日本列島を北上していた。ここであるテレビの場面を思い出さないだろうか。10年ほど前に高い視聴率をとった日本テレビの番組「進め!電波少年」のタレント猿岩石が繰り広げたヒッチハイクの旅である。ヒゲも頭髪もぼうぼうだが、旅人である青年たちの眼は輝いていた。多少のヤラセ臭さはあったが、そのような点を差し引いても人気のある番組だった。

  昔から土地の人は旅する人に情けをかけた。むしろ旅する人に対するあこがれかもしれない。この青年が猿岩石のような風貌だったらどうだろう。ひょっとして被害にあった50人の人たちは、多少のうさん臭さは感じながらも旅する28歳の青年に励ましのつもりで金を渡したのかも知れない。

 逮捕された青年はだました相手の住所を控えていた。青年には更正して働き、そして被害者に現金を弁済し、カニかウニを送ってほしい。それは金額からして可能な目標である。これは人の厚意に報いるということであり、何より自分自身のメイクドラマになるではないか。

⇒10日(土)午後・金沢の天気  はれ 

★梅雨間近、モリアオガエルは鳴く

★梅雨間近、モリアオガエルは鳴く

  北陸地方は間もなく入梅なのだろう。私のオフィスがある金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」横のビオトープではモリアオガエルの鳴き声が高々と聞こえてくる。

 携帯電話の動画撮影で録音してみた。それになりに雰囲気はつかんでいただけるかもしれない。風で木々は揺れている。曇天の空、うっとうしいという表現もあるだろうが、私にとっては、心地よい自然のリズムでもある。

 耳を澄ませば、天然のビオトープを流れるせせらぎの音も聞こえる。遠くではリズム感で調子づいてきたウグイスの鳴き声も聞こえ、モリアオガエルのバックコーラスのよう。それが森のオーケストラのようであり、体内で響く心の鼓動のようでもある。生きているという実感はこのことかもと、年齢に似合わない青臭い詩人のような気分に少々浸った。

⇒9日(金)午後・金沢の天気  あめ

☆「ネットどぶ板選挙」を読む

☆「ネットどぶ板選挙」を読む

 小沢一郎という人物が民主党の代表になって、どちらが民主でどちらが自民か分からなくなったという声をよく聞く。何しろ4月の代表就任早々でその小沢氏は政策を語るのではなく、開口一番「選挙に勝って、政権を取る。そのためにどぶ板選挙を徹底してやる」(4月10日・NHK番組「クローズアップ現代」)、それだけだった。

 確かに実に分かりやすい。小沢氏の戦略には、民主党の独自色といった概念より、自民党の候補者よりどぶ板選挙を徹底して選挙に勝つこと、それが政権構想そのものだと訴えたに等しい。しかし、その選挙手法はかつての自民党そのものだ。去年9月の郵政民営化を問う総選挙のように、政策の違いがはっきり理解できなければ有権者は戸惑い、しらける。

 逆に「民主党的」なのが自民党だ。きのう6月4日、自民党青年局を中心にした全国一斉街頭行動を行った。「次世代へ繋ぐ安心と安全」をテーマに各都道府県レベルで街頭に立ち、北朝鮮による拉致問題の早期解決や街の安全、食の安心などを政策推進を求めるという内容だ。注目を集めたのが、武部勤幹事長がラジオCMで統一行動への市民参加を呼びかけ、「詳しくは自民党ホームページを見て下さい」とコメントしていたことだ。その自民のホームページを見ると各都道府県でキャンペーンが行われる場所や内容が詳しく掲載されていた。ラジオからインターネットへのメディアを連動なのである。放送媒体やインターネットを使って呼びかけ、全国一斉くまなく街頭に立つという意味ではこれもある意味でのどぶ板と言えるかもしれない。

 そもそも統一行動の呼びかけにラジオを使ういう発想は従来の自民党にはなかったのではないか。おそらく、党広報本部副本部長の世耕弘成氏(参院議員)ら若手が仕掛けたに違いないと思った。というのも、世耕氏らは来年夏の参院選挙で解禁される予定の選挙のインターネット利用を念頭に置いて、すでに党内でワーキンググループを結成し、選挙対策をすでに始めている。つまり、来年の参院選挙は「ネット選挙」が注目され、いかにインターネットをメディアとして駆使するか、放送メディアとインターネットを連動させるか、という選挙戦略に練っているのである。今回の統一行動のラジオCMもそのシュミレーションの一つと見てよい。

 従来の「労組まわり」や「地盤」を歩くどぶ板戦略を踏襲する小沢・民主と、放送メディアとインターネットで「どぶ板」戦略を打ち出す自民が鋭く対立するのが来年の選挙である。どちらのどぶ板が勝つのか。こんな視点で見ると、随分と選挙も面白く見えてくるのではないだろうか。

⇒5日(月)午前・金沢の天気   はれ

★メディアの「あだ花」

★メディアの「あだ花」

 ゴッホらかつての画家は自然の花を描いた。アメリカのポップアートの旗手といわれたアンディ・ウォーホル(1928-87年)が描いた花はメディアの世界に咲く花だった。マリリン・モンローやエルヴィス・プレスリー、ジョン・F・ケネディー…。しかし、彼のシルクスクリーンで描かれたのは華やかな花だけではない。メディアで騒がれた交通事故や人種暴動、ピストル事件、凶悪殺人犯ら徒(あだ)花も数多く描かれた。そして、ウォーホルはこんな言葉を残した。「人は誰でも、その生涯の中で15分間は有名になれる時代がくる」

 このウォーホルの「15分間」という言葉をそのまま映画のタイトルにしたのが「15ミニッツ」(2001年・ヘラルド)だ。先日、DVDで見た5年前の映画なのだが、なぜか鮮度が高い。現実が後からついてきているからだろう。

  映画のあらすじ。チェコ人とロシア人の二人組のギャングがニューヨークへやってくる。放火、殺人を重ねるギャングたちはバイオレンスの映像がアメリカのテレビ局に高く売れることに気づき、盗んだビデオカメラで殺人を撮影していく。彼らを追うのはニューヨーク市警の殺人課刑事(ロバート・デニーロ)と消防捜査官(エドワード・バーンズ)である。ギャングはその刑事の殺害をもビデオで収録しテレビ局に売り込む。「血が流れればトップニュース」とテレビ局のニュース・ショーは飛びつく。その映像が流される番組名が「15ミニッツ」。この殺人映像が放送された後、犯人は自首する。弁護士の巧みな世論操作によって、連続殺人犯はいつの間にか悲劇のヒーローのようになっていく。ラストシーンは消防捜査官が護送中の殺人鬼を銃で撃ち、殺害された刑事の無念を晴らす「あだ討ち」のカットだ。

  アメリカのテレビ局の歪んだ視聴率競争が映画のテーマになっている。が、もう一つ、犯罪をめぐる法律への問いかけも根底にある。映画では、殺人犯は罪を逃れるために精神異常者を装って自首する。精神病院に収容された後に、「自分は正気だ」と主張して社会復帰を狙う。アメリカでは二重処罰の禁止(=ダブルジョバディー法)があるから、同じ罪に問われないというわけだ。悲劇のヒーローとなった殺人鬼が「将来伝記を書いて、映画化権を売り巨万の富を得る」と豪語し、弁護士とその取り分を駆け引きするシーンがアメリカにおける法と民主主義の矛盾を鋭くえぐっている。

  冒頭のアンディ・ウォーホルに戻る。ニッポン放送株の売買を巡る「村上ファンド」のインサイダー取引疑惑で、村上世彰氏(46)と幹部らが週明けにも取り調べを受ける模様と新聞各紙が伝えている。その前は堀江貴文氏らの「ライブドア事件」だった。あたかもメディアが事件のシナリオを構成し、矢継ぎ早に展開しているようにも思える。だからメディアに咲く花の命は短い。ホリエモンは1年余りだったろうか。ウォーホルにはもう一つの有名な言葉がある。「僕は退屈なものが好きだ。まるっきり同じことが、幾度も繰り返されるのが好きなんだ」。15分間の徒花を咲かせてやまないメディアに向けた皮肉である。

 ⇒3日(土)夜・金沢の天気  はれ

☆不逮捕特権を持つハクビシン

☆不逮捕特権を持つハクビシン

  「またイチゴをやられた」。市民ボランティアの残念無念という声が今朝も聞こえた。金沢大学の中の農園でのこと。ボランティアはメロンやイチゴのほか野菜を栽培している。そのイチゴがハクビシンに先取りされたのだ。ボランティア氏によると、ことし人間が食べたのはイチゴ10個ほどで、ハクビシンには200個くらいは食べられている。「ちょっとでも赤くなっているのを上手に見つけて食べている。青いのには手と付けていない。敵ながらあっぱれですわ」と賛辞も。

  金沢大学の森には確認されているだけで2匹のハクビシンがいる。ハクビシンはジャコウネコ科の動物。この雑食性がたたって、里に出てきては果樹園などを食い荒らす。「鳥獣保護及び狩猟に関する法律」では狩猟獣にも指定されている。「白鼻芯」の当て字がある通り、額から鼻にかけて白い線がある。大きく目立つ動物でありながら、国内に生息しているという最初の確実な報告は1945年の静岡県におけるものが最初で、それ以前の古文書での記載や化石の記録もない。北海道の奥尻島には昔から生息しているとの報告もあり、日本の固有種なのか外来種なのかはっきりしてない。

  話は戻る。イチゴ畑が荒らされ、畑の畝(うね)にネットがはられた。しかし、「上手に破られた」。では捕獲して、ほかの場所に移すことはできないのか。実はできない。ここのハクビシンは「不逮捕特権」を持っているのだ。国会議員の不逮捕特権(憲法50条)でもあるまいし、「なぜ」と思われるだろう。種明かしをしよう。

 大学の森は「学術の森」でもある。そこでハクビシンに発信機をつけてその行動を調査している修士課程の院生がいる。朝、昼、夜、そして雨の日も寒空の中でもラジオテレメトリーの装置を持ちながら追跡調査をしている院生の姿はさながら犯人を尾行している刑事のようだ。つまりハクビシンはマスターの論文がかかった研究対象なのだ。

 ボランティア諸氏もそこは十分に理解しているので、「ほかの場所に移す」などという野暮なことは言わない。ただ、農園をエサ場にしておくわけにはいかない。収穫の喜びを得るためには防御はしなけらばならない。そこで知恵の出し合いがある。後ほど妙案が出たら紹介する。

 ⇒2日(金)午後・金沢の天気   はれ

★その後の「南極物語」

★その後の「南極物語」

  動物はどちらかというと苦手で、犬は飼ったことがない。しかし、犬をテーマに映画では2度涙を流した。「ハチ公物語」(神山征二郎監督)と「南極物語」(蔵原惟繕監督)だ。南極物語はことし2月に、ディズニーが登場人物をアメリカ人に差し替え、「Eight Below」(直訳すれば「華氏8度以下」)というタイトルでリメイクした。どうも、この種の映画は日本だけではなく、万国共通して涙腺を緩ませるらしい。

  物語をおさらいしておこう。1958年(昭和33年)2月、先発の南極地域観測隊第一次越冬隊と交代するため海上保安庁観測船「宗谷」で南極大陸へ赴いた第二次越冬隊が、長期にわたる悪天候のため南極への上陸・越冬を断念した。その撤退の過程で第一次越冬隊のカラフト犬15頭を首輪と鎖でつないだまま無人の昭和基地に置き去りにせざるを得なくなった。極寒の地に取り残された15頭の犬がたどる運命や、犬係の越冬隊員の苦悩が交錯する。そして1年後、たくましく生き抜いた兄弟犬のタロとジロ、再び志願してやってきた越冬隊員が再会をする。余韻を語らず、この再会のシーンでバッサリと物語が終わるのでなおさら感動が残る。実話に基づいた作品。犬係の越冬隊員を演じる言葉少ない高倉健の存在感が全体の流れを締めている。

  ドキュメンタリー・タッチで描いた動物映画だが、蔵原監督が映画の中心に据えたかったテーマは一つだろう。置き去りにすると分かった時点で人間の責任として薬殺すべきだったのか、どうかの問いかけである。映画の中で、外国人の女性記者がマイクを向けて、「生きながらに殺す、残酷なことだと思いませんか」と元の飼主にお詫びにまわる犬係の潮田隊員(高倉健)に迫るシーンがそれである。これは重いテーマだ。

   ところで、映画では感動の再会のシーンで終わっているが、タロとジロのその後の運命である。タロとジロは、そのまま第3次越冬隊とともに再度任務についた。が、1960年(昭和35年)7月にジロが南極で死亡、翌年に帰国したタロは1970年(昭和45年)8月に北海道大学農学部付属植物園で死亡する。ともに南極観測犬の貴重な資料としてはく製にされ、タロは北海道大学農学部博物館(札幌)に、ジロは国立科学博物館(東京・上野)で展示されている。離れ離れになっているタロとジロをいっしょにさせてやりたいという運動が北海道・稚内市で起こり、平成10年に同市の市制施行50年を記念する行事として一時的ながら2頭そろって「稚内への里帰り」が実現した。その後もタロとジロは極寒で生き抜いた英雄として日本人の心の中で生き続けている。

                    ◇

 金沢大学は6月17日(土)午後1時から自然科学系図書館で「南極教室」を開く。金沢大学助手で越冬隊員の尾崎光紀氏にテレビ電話で結んで生活の様子などの話を聞く。(写真は南極のオーロラ=提供:尾崎光紀氏)

 ⇒31日(夜)金沢の天気   はれ

☆ブログの技術-24-

☆ブログの技術-24-

 ブログを綴るには視点の多様性が必要である。一つの視点で「こだわり」を見せる手法もないわではない。しかし、これだと長続きしない。今回のテーマは身の回りで気がついたことを自分なりに検証する方法の書き方のヒントである。ボーダフォンの新機種を例に実際に手にとった感想を書く。

          テーマ「自ら検証し、実感する」

  「自在コラム」のことし3月19日付では、ソフトバンクが携帯電話3位のボーダフォン日本法人を1.7兆円で買収すると表明したニュースを受けて、ソフトバンクの戦略を自分なりに推測した。それは、「通信のオールインワンサービス化」ではないか。つまり、ADSL事業に加え、日本テレコム買収(2004年)によって入手した光ネットワークインフラ、そして携帯電話事業、これらをひとまとめにして定額でいくら、といったビジネス展開だ。

  そのオールインワンサービス化への大きなステップが5月27日付で新聞各紙に掲載されたボーダフォンのワンセグ放送対応機の全面広告だろう、と私は見る。少々説明が必要だ。この広告はシャープの液晶テレビ技術を取り入れた「アクオスケータイ」をボーダフォンのワンセグ放送対応機の中心に据えると表明したものだ。携帯電話のテレビ化戦略を鮮明にすることで得られるもの、これはすでにヤフーBBなどパソコンで実現している映像コンテンツへの誘導である。「PCからもケータイからもヤフー動画が閲覧できる、定額で月いくら」というのが次なるステップだろう。

  こうしたソフトバンク・ボーダフォンの戦略を一応頭に置いて、新発売されたアクオスケータイの使い勝手はどのようなものか検証するため、金沢市内の家電量販店に出かけた。残念ながらデモ機はまだ届いていない。その代わり、サンプル機があった。私の関心はどのようにしたらこの2.6インチのディスプレイが90度に回転するのかという点だ。

  店員に聞くと、この回転はこれまでにない新しい構造で「サイクロイドスタイル」というそうだ。実際に上の写真のように、ディスプレイの左下を押し上げる感じで回す。回転が実に軽くスムーズである。この回転で自動的にテレビのスイッチが入る。最大で5時間20分の録画が可能という。また、テレビを見ながら電話やメールもできる。サンプル機なので、重さが実感として分からなかった。

  実際に画面を見ることができなかったのだが、画質面では新開発のカラーフィルターを使って屋外でも鮮明な画像が見ることができるというのが売りだ。この店の店頭価格は23940円だった。「機種変更による価格のサービスには対応していない」との注釈も。

  実感とすれば面白い機種との印象だ。これだけでも随分と収穫があった。新聞広告を見ただけでは理解できない。はやり自分の手で使い勝手を感じ取るしかない。そして店員に聞くことだ。オールインワン化の見通しなどについては、5月30日にボーダフォンの決算発表があるので、孫正義社長のコメントをメモ(あるいは切り抜き)しておくものよい。

 ⇒28日(日)夜・金沢の天気   くもり 

★「地球8分の1」の実感

★「地球8分の1」の実感

  「人生七掛け、地球八分の一」とよく言われる。それだけ、人生は長く、地球は小さくなったという意味だが、今回は「地球八分の一」が実感できるような話だ。

  第47次南極観測隊に加わっている尾崎光紀隊員(金沢大学助手)と26日、テレビ電話で話しする機会があった。6月17日に開催する「南極教室」のための接続テスト、つまり金沢大学と南極の昭和基地を実際につないでテレビ電話がうまくいくかどうかのテストである。

  南極と日本は遠い。では実際にどのような回線ルートでつながっているのかというと。南極の昭和基地からのデータは電波信号にして、太平洋をカバーしている通信衛星「インテルサット」を介して、山口県の受信施設に送られる。山口から東京の国立極地研究所は光ファイバーでデータが送られ、さらに金沢大学に届くという訳だ。それを双方向で結ぶとテレビ電話になる。

  尾崎隊員の話では、南極は本格的な冬に入るころだ。マイナス20度の寒気の中を観測に出かける。上の写真は、昭和基地の外に通じる扉だ。ブリザードが続いた翌日、その扉を開けるとご覧の通り(写真下)、外はびっしりと雪で埋まっている。でも、基地の中は快適で、しかも3度の食事がきちんと食べることができ、「14㌔も太った」とか。

  こんな対話を南極と日本でリアルタイムで交わすことができるようになったのだ。当日は、基地の中での生活、観測の様子など紹介してもらうことになっている。(写真提供:尾崎光紀隊員)

⇒27日(土)夜・金沢の天気   あめ

☆ウォールストリート最大の失敗

☆ウォールストリート最大の失敗

  アメリカ史上最大の合併といわれ、ウォールストリート最大の失敗に終わったAOLとタイムワーナー社との合併劇の結末を描いたルポルタージュ「虚妄の帝国の終焉」(アレック・クライン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン社刊)を先日読み終えた。その感想を多くの経済誌や専門誌が評論しているが、失敗に終わった合併劇の報告書という観点から冷静に見つめれば、ワシントン・ポストの「スピード違反をしていたのは誰か、居眠り運転をしていたのは誰か、サイレンの音が近付く中、逃走したのは誰か…アレック・クラインの語り口は鮮やかだ」と交通事故にたとえた書評が一番的確に思える。

   ルポルタージュは小説ではない。ノンフィクション、つまり事実の積み上げである。交通事故にもフィクションは一片もない。警察官が両者からその原因を丹念に事情を聴取すれば、その事故は起こるべくして起きた事故なのである。

  2000年1月にAOLのスティーブ・ケースとタイムワーナーのジェリー・レビンが合併をぶち上げた。01年1月にようやく政府から合併が承認され、AOLタイムワーナーとなったものの、AOL側で広告収入のうち1億9000万㌦を不適切に処理してしていたことが発覚。この過程でAOL側の最高幹部が次々と辞職を余儀なくされ、そして03年1月にスティーブ・ケースも会長職を辞任する。隆盛を誇ったオランイン事業は1部門に属する1部署に降格され、同年10月には社名から「AOL」の文字が削除される。

   この合併劇の失敗は「放送と通信の融合の失敗」とも日本では喧伝されている。が、果たしてそうなのか。私はこの著書を読むに当たって、CNNなどを擁しメディア帝国と呼ばれたタイムワーナーがなぜ企業風土も違う新興のAOLとの合併を決意したのかという点を注視した。つまり、タイムワーナーのジェリー・レビンがなぜ「合併のアクセル」をかけたのか、である。そこを読み解かなければ放送と通信の融合はいつまでたってもこの失敗例が引き合いに出され、話が前に進まないのだ。

   このルポを読む限り、実はAOL側のボブ・ピットマンらが放送と通信のシナジー(相乗効果)を盛んに唱え、協調を促したのに対し、タイムワーナー側は「礼儀知らずで利益追求に余念がない」とAOL側を嫌悪した。AOLのEメールプログラムを使うことにすら抵抗したのはタイムワーナー側の社員である。AOL側からすれば、「保守的で意欲がない、お高くとまっている」と見えただろう。では、なぜタイムワーナーのジェリー・レビンが意欲的に合併を打ち出したのか。レビンはこうしたタイムワーナーの企業風土にネット企業のDNAを注入することで現状を打破したいと考えていたからだ。

   というのも、タイムワーナー自身に結婚歴があった。映画のワーナー・ブラザーズと、活字文化の雑誌タイムが合併(1989年)したものの、「契約のみで結ばれた中世の封建制度のような結束力のない集合体」だった。収益は上がっていたが、デジタルへの取り組みが遅れ、それを何とも思わない現場にレビンは業を煮やしていたのである。そんなタイミングでAOLの勇ましい連中がやってきて、求愛が始まった。求愛に積極的だったのはタイムワーナーのレビンの方だったのである。

   AOLの不適切な経理処理もどちらかというとタイムワーナーとの合併を何とか成功させようとした結果の「ボロ隠し」ともいえる。合併効果で得られるはずのシナジーが十分に得られなかったのは、その言葉にすら嫌悪感を持ったタイムワーナーの現場のせいではなかったか。江戸時代、武家に嫁いだ宮家の姫が「なじまぬ」とダダをこねるさまを想像してしまう。

   こうなると放送と通信の問題というより、それぞれの生い立ちによる企業風土の問題ともいえる。失敗するべくして失敗した。ネットバブルの崩壊という時代状況も重なった。どちらが正しく、どちらが悪いとも言えない。それぞれに原因がある。で、冒頭の交通事故のたとえである。ただ、「タイムワーナー」が生き残ったので、「AOL」が悪役を引き受けてしまった。

⇒26日(金)朝・金沢の天気  くもり 

★ペンギンのドミノ倒し

★ペンギンのドミノ倒し

  この話の真贋をあなたはどう思うか。ある時、南極の皇帝ペンギンのルッカリー(集団繁殖地)の上空を低空飛行のヘリコプターが飛んだ。一羽のペンギンが空を見上げ、頭上をヘリが通り過ぎるとそのまま後ろにひっくり返った。ペンギンは集団でいたので、次々とドミノ倒しのような状態となり大混乱に陥った。その光景を目撃したイギリス軍のヘリの操縦士は自責の念にかられ、「ペンギンのルッカリーの上空を飛んではいけない」と仲間に話したという。この話が世界に広まった。

   南極では、地上に敵なしのペンギンだが、空には卵やヒナを狙うトウゾクカモメがいるので、上空を常に警戒している。でも本当にひっくり返るだろうか。確かに、写真のように不安定な流氷の上では、サルも木から落ちるのたとえがあるように、ペンギンも氷上でバランスを崩して転ぶかもしれないと思ったりもした。

   この話が日本のマスコミの話題にも上るようになったころ、南極に調査団が派遣された。2000年12月のことである。以下は本当の話だ。イギリス極地研究所のリチャード・ストーン博士らがサウスジョージア島の皇帝ペンギンのルッカリーで、イギリス軍のヘリが上空230-1768㍍の高度で数回飛行を繰り返し、ペンギンの反応を観察した。すると抱卵していないペンギンはヘリが近づくと逃げ出した。抱卵しているペンギンは逃げなかったが、縄張り行動(突っつきあいや羽でたたく行動)が見られ、明らかに動揺している様子が見て取れた。しかし、ひっくり返るペンギンはいなかった。軍から出たうわさを軍が否定したかたちだ。以上の調査結果は01年8月、アムステルダムで開かれた南極研究科学委員会のシンポジウムで発表された。(※国立極地研究所ホームページより一部抜粋)

  ところで、最後に疑問が残る。なぜ唐突に「自在コラム」の筆者が専門でもないペンギンの話をしたのか。実は、6月17日(土)13時から、金沢大学では小学高学年と中学生を対象に「南極教室」を開く。私はこのイベントを担当するワーキンググループの一員なのだ。この話は仲間と雑談をしている中で出てきた。南極教室では実際に南極の昭和基地と金沢大学をテレビ電話で結んで、金沢大出身の隊員と対話する。こんな楽しい話がいくつも聞くことができるかもしれない。(写真提供は第47次南極越冬隊、尾崎光紀隊員=金沢大学自然科学研究科助手)

 ⇒25日(木)朝・金沢の天気   はれ