#コラム

☆メディアのツボ-06-

☆メディアのツボ-06-

 先日、年齢がひと回りも上のテレビ業界の先輩と話す機会があった。年齢にして64歳、テレビの成長期、一番よい時代を経験したといわれる世代である。その先輩が言う。「われわれの現役のときはテレビ局は時代の寵児(ちょうじ)といわれた。しかし、いまは『テレビ局という会社もある』といった普通の存在になったね」

    米紙ダウンサイジングの衝撃

  確かに、アナウンサー職を除けば、テレビ局に応募者が殺到するという現象は見られなくなったという話を最近、ある局の人事担当者から聞いた。これは何もテレビ局に限った話ではない。春の選考で予定していた人数を採りきれず、秋にも引き続き採用活動を行う新聞社などマスコミ企業が増えている。マスメディアのダウンサイジング現象である。

  読んで字の如く「縮小する」動きも現れてきた。アメリカの大手紙ニューヨーク・タイムズが紙面の幅を2008年4月から3.8㌢縮小すると発表したニュースだ(7月18日)。紙面の縮小により、記事スペースは11%減るが、増ページも行って減少を5%に抑えるという。紙面サイズの縮小とともに、印刷工場も統合する。アメリカを代表する大手紙の紙面のリストラだけに、そのインパクトは内外の新聞業界に他人事ではない衝撃を与えたはずである。

  この紙面縮小の背景には、新聞部数の減少がある。アメリカでは新聞発行部数が去年、全米で5300万部だった。これはピークだった1984年に比べ15%も落ちている。その原因はといえば、インターネットの普及による購読者数や広告収入の減少に尽きる。もう少し詳しく説明すると、新聞のビジネスモデルがインターネット企業によって侵食されているからである。情報を掲載して読む人の数の多さに比例して広告単価を上げるというネット広告の手法は、新聞の発行部数で広告単価を決めてきた従来の手法と重なる。こうして経営基盤が揺らぎ、傘下に32紙を持つ全米第2位の新聞グループ「ナイトリッダー」が身売りするという事態も起きた。

 日本の新聞業界は宅配制度によって部数(5252万部・05年10月の日本新聞協会調べ)を維持しているものの、それでもピークだった1999年(5375万部)に比べ減少傾向にある。また、日本の新聞社は株式を公開していないので、アメリカのように株主がその経営実態に不安を抱いて経営改善を要求するといった実態が表に現れない。表面化した時は、倒産か身売りというせっぱ詰まった状態になってからだろう。

 テレビのビジネスモデルもネット企業によって侵食されつつある。USENのブロードバンド放送「Gyao」(ギャオ)はユーザーが好きな時にネットを通じて番組が無料で視聴できるビデオオンデマンド方式を採用している。収益はサイトの広告収入がメインである。そのギャオの視聴登録者がすでに1000万人に達した。映画やアニメなど常時1500番組をそろえ、サービスを開始したのは去年4月である。すさまじい勢いで登録者を増やしたことになる。まだ黒字化はしていないものの、登録する際に入力する属性情報で、性別や年齢に応じた効果的な広告配信を試みている。また、7月からは地域・県別の広告配信も行っている。こうした小回りの効いた広告対応は既存の民放テレビ局ではできない。

 ネット企業が情報メディアを目指して台頭すれば、それだけ既存のマスメディアの存在感が薄れる。そんな構造なのである。それはかつて圧倒的な存在感を誇っていた新聞メディアが高度成長期に乗って台頭してきた放送メディアによって影が薄くなったプロセスと重なる。

⇒4日(金)朝・金沢の天気   はれ

   

★メディアのツボ-05-

★メディアのツボ-05-

 いま金沢大学「角間の里山自然学校」の研究員がはまっているのが「デジタル昆虫図鑑」である。市販のスキャナで撮った昆虫の画像だ。スキャナなのでフタをするが、直に載せると虫が潰れてしまうので、フタとガラス面の間に薄手の雑誌など挟んで隙間をつくる。1㌢ほどの大きさならば十分に足の毛まで写るのである。小さなものをこうして撮影できるとなると格段に昆虫への理解も深まる。

     クローズアップのジャーナリズム

  実はこれは放送でいうクローズアップの手法なのである。普段見ない小さなもの、肉眼では見えないもの大きく拡大することで新鮮さを演出したり、人々を驚かせたり、ひきつけたりする。科学番組などでよく使う手法だ。NHKには「クローズアップ現代」という番組もある。

 テレビ朝日の政治討論番組「サンデ-プロジェクト」のキャスターを務めるジャーナリストの田原総一朗氏は実はこのクローズアップの演出方法に精通した一人だ。著書「テレビと権力」(講談社)の中で、「『たのしい科学』が私のルーツ」という小見出しがあり、岩波映画社時代のことを振り返ってこう書いている。 「…たとえば、シャ-レの上に、細いスポイトでミルクを一滴落とす。その瞬間を日立ハイタックスという、通常のカメラの1万倍の速度で回るカメラで接写する。すると、うまくいくと水滴(しずく)がゆっくり跳ね上がって見事な王冠のかたちをつくることができる…」

 田原氏はこうした岩波映画で培った見せ方のノウハウを、東京12チャンネルに入ってドキュメンタリー番組に応用していく。大きな社会の中のミクロの人間模様をクローズアップの手法で描き出す。たとえば、少年院を出た青年がどのように社会復帰を果たしていくのか、というテーマである。田原氏のクローズアップの手法はさらに、人々がこれまでタブーとして、直視しなかった天皇制や差別問題といったジャンルにまで討論という形式を用いて映像化していく。小さなもの、見えないもの、見ようとしないものすべてを「これでもか」と拡大してテレビ画面に露出させていく。

 見えてしまえば、驚きとなり、感動やイメージがわく。そして、考えさせる。田原氏のジャーナリズは反権力という政治的な立場を鮮明にするものではない。政治課題や問題点をテレビ映像で鮮明に浮き上がらせることで、争論化させるのである。

 ところで写真はスジクワガタである。本来なら2㌢ほどの大きさがA1サイズ(59㌢×84㌢)の大判にプリントされている。このプリントを子どもたちに見せると、たいていは「すげぇっ~」と声を出し、好奇の目をらんらんと輝かせる。そして触ろうとする。

⇒3日(木)朝・金沢の天気   はれ 

☆メディアのツボ-04-

☆メディアのツボ-04-

 前回は「映像表現と政治家」というテーマでカメラ撮影が投げかけた問題を取り上げた。続いて今回は生番組におけるキャスターのコメントと政治家を取り上げる。話は去年6月にさかのぼる。自民党の岡田直樹参院議員(石川県選挙区)がテレビ朝日の番組「報道ステーション」で事実に反する内容が取り上げられたとして、放送法に基づく訂正放送と謝罪を求める通知書をテレビ朝日あてに送った。

   コメント表現と政治家

  いきさつはこうだった。05年6月10日、北朝鮮への経済制裁を検討する参院拉致問題特別委員会で、参考人として呼んだ拉致被害者の家族代表の横田滋さん夫妻に、岡田氏は「聞くに忍びないことをお聞きしますけれども」と前置きし、北朝鮮に経済制裁をすれば、めぐみさんが本当に殺されるかもしれない、その覚悟のほどはどうですか、とたずねた。それに対し、横田氏は「それを恐れていれば結局このままの状況が続く」と経済制裁を強く求めた。岡田氏とすれば、「家族はリスクを覚悟して経済制裁を求めている。だから、政府もやるべきだ」というセオリーで、慎重な言い回しだった。これには、横田夫妻も、参考人として発言の機会が与えられたことに対して、岡田氏に感謝をしていた(05年6月16日付「救う会全国協議会ニュース」)。

  ところが、横田さん夫妻が参考人として出席した特別委員会の様子をニュースとして取り上げた同日夜の「報道ステーション」で、古舘キャスターが、岡田氏の質問に対し、「北をとっちめたいと思うあまり、まるで非常に苦しい立場にいるご夫妻に、この覚悟はありやなしやと聞いているふうに聞こえる」などとコメントし、「無神経な質問」と決めつけたことから、岡田氏は「事実とは違う、名誉を毀損された」と謝罪と訂正放送を求めたのだった。これに対し、「報道ステーション」(7月4日放送)の番組の中で古舘伊知郎キャスターが岡田氏に謝罪し、一応けりがついた。

  確かに映像の一部だけを見れば、無神経な質問に見えるかもしれない。しかし、前後の隠れた文脈をきちんと伝えてこそニュースとしての論理が成立するのである。自分に都合のよい部分の映像を抜き取って構成すれば、ただのプロパガンダ映像である。テレビの報道番組では、想像でものを言うこと自体、信憑性が失われ負けである。

⇒1日(火)朝・金沢の天気  はれ  

★ブログ300回、印象に残る1枚

★ブログ300回、印象に残る1枚

 ブログ「自在コラム」は2005年4月にスタートして、今回で数えること300回となった。ブログを思わなかった日はない。「これをネタに書こうか」と思いながらも書かなかった日もあれば、書く予定ではなかったものの弾みで書いたこともある。ブログはすっかり私の生活習慣に根を下ろしている。ブログ率はおおよそ60%、5日に3日は書いている計算になる。

  写真も随分と撮った。画像ファイルがハードディスクの容量を占めるようになってきたので、外付けのハードディスクを急きょ購入した。この300回を振り返って、一番多くシャッターを切ったのがことし1月に訪れたイタリアだった。ローマで撮った中世街並みや文化財クラスの絵画や像の数々、遺跡、ミラノでのファッショナブルな街並みや人々など。こうしてみるとイタリアは絵になる国なのである。そこでその中から心に残る1枚の写真を掲載する。

  国立フィレンツェ修復研究所を訪れたときの画像だ。もともとこの研究所は16世紀に「美術のパトロン」といわれたメデイチ家が珍しい鉱石(貴石)の収集と細工を目的に設立した。いま世界でトップクラスの修復のプロたちが集う。研究所内を許可を得て撮らせもらった。ベッドに横たわる聖像があった。修復士たちが何やら聖像の声に耳を傾けているようにも見えた。聖像は右手を上げ、「病んでいる私を助けてほしい」と訴えかけているよう。まさに病院の医者と患者の光景であった。美術王国イタリアのひとコマである。

⇒31日(月)夜・金沢の天気   はれ    

☆メディアのツボ-03-

☆メディアのツボ-03-

 このところテレビメディアの事件が多い。それも傾向がある。NHKならば番組関係者による出張費などの横領、フジテレビは一時期「やらせ」が続いた。そしてTBSは政治家がらみの表現の問題である。それにしても今月21日(金)のTBSの報道番組「イブニング5」で問題となったシーンはよく理解できない。

   映像表現と政治家

 実際に「イブニング5」の問題シーン(当日午後6時13分ごろ)を見ると、池田裕行キャスターが「旧日本軍の731部隊の石井隊長の日記の中に、終戦直後、上陸するアメリカ軍を細菌兵器で攻撃しようと計画していた記述があったことが分かった」と前ふりをしてVTRがスタートする。カメラマンがドーリー撮影をしながら、小道具置き場から数㍍離れて電話取材をする記者がいるブースまでの数秒間を移動する途中で、床にある安倍晋三官房長官の写真パネルが映っている。1秒間も映ってはいないが、安倍氏とはっきり認識できる。

  何点か疑問がわく。第一、なぜ雑然とした道具置き場でドーリーショットで撮影しなければならなかったのか、という点だ。電話をする記者を強調したいのならばムーズインでもよかったのではないか。しかもこれはVTRの冒頭のシーンである。このドーリーのシーンには「終戦直後もゲリラ活動」という女性のナレーションが入る。ひょっとしてこのコメントをイメージさせるためあえて雑然とした雰囲気が必要だったのか…。

 それにいくら使用済みの写真パネルとはいえ、あれほど雑然と、うっかりすると踏みつけてしまいそうな場所に置くものなのだろうか。次期首相を狙う政治家の写真である。普通に考えれば、再度あるいは緊急にスタジオで利用すことも想定して、パネルに傷がつかないように保管しておくのが常識だろう。キー局だったら大道具小道具を整理し保管する担当者がいるはずだ。

  新聞報道によると、TBSの広報は「決して意図的なものではありませんでした」とコメントしている。が、TBSは03年11月の「サンデーモーニング」で、石原慎太郎東京都知事の「日韓併合の歴史を100%正当化するつもりはない」という発言を「100%正当化するつもりだ」と字幕を付けて放送。知事から告訴と損害賠償訴訟を起こされた。そして、ことし6月の「ニュース23」で、小泉総理の靖国神社参拝について「行くべきでないと強く感じているわけではない」と語ったヘンリー・ハイド米下院国際関係委員長(共和党)のコメントを、「行くべきではないと強く思っている」との日本語字幕を付けて放送。今月5日になって、番組中で釈明した。意図的ではなかったにしろ、何度か続いた後だけに「またか」と思ってしまうのだ。

  関連法として、「放送法」の第三条の二には、テレビが番組の編集に当たって守るべき点が強調されている。一・公安及び善良な風俗を害しないこと。二・政治的に公平であること。三・報道は事実をまげないですること。四・意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。今回は、三のポイントが焦点だろう。事実を曲げる意図があったかどうか。テレビ局側のお詫びのコメントだけで安倍氏が納得できるかどうか。

 ⇒30日(日)夜・金沢の天気  はれ

★メディアのツボ-02-

★メディアのツボ-02-

  地上デジタル放送対応の受信機、つまりテレビはかつて「1インチ1万円」といわれた。ところがいまは37インチのフルハイビジョン液晶テレビが19万円という価格革命が起きている。この激安戦法で薄型テレビ市場に殴りこみをかけているのはベンチャー企業の「バイ・デザイン」(東京)だ。この会社は工場を持たないメーカーで、部品メーカーからパネルなどを買い、主に中国のアモイの工場で組み立てを行う。しかし、この会社がせっせと低価格テレビを製造したとしても、おそらく「2011年7月24日」問題は解決しない。

    「2011年7月24日」問題~下~

   日本の世帯数は4600万以上といわれる。世帯数の4分の3近くを占める「2人以上世帯」のテレビ所有台数は1台と2台がほぼ3割ずつで、3台以上がほぼ4割を占める。以上を計算すると、家庭分だけで少なくとも8000万台から1億台以上のテレビが存在することになる。家庭以外の事業所、公共施設などの分も数えれば1億数千万台になるだろう。前回記したようにことし6月末時点での地デジ対応受信機の普及台数は1190万台だ。あと1億台ぐらいのテレビを5年間で普及させなければならない。経済的に余裕ある家庭は買い替えに積極的かもしれない。

   が、独居老人宅などではどうだろう。総務省の「2005年国勢調査抽出速報集計結果の概要」によると、65歳以上の「一人暮らし高齢者」は405万人となっている。この数字は急速に増加していて、2000年の統計と比べると102万人(34%)増となっている。さらに5年後となると500万人を超えても不思議ではない。中には余命いくばくもない独り暮らしのお年寄りの世帯もあるだろう。37インチのフルハイビジョン液晶テレビが19万円という価格革命が起きたとしても、こうした独居老人や生活保護を受けているの傷病や母子世帯に「まもなくアナログが停波するので19万円出してテレビを買い換えてください」と催促できるだろうか。この現状を無視してアナログ波を止めれば、「情報難民」が続出する。あるいは「弱者切り捨て」との批判が渦巻くだろう。これが「2011年7月24日」問題だ。

    改正電波法以前は、「地デジ対応受信機の普及率が85%に達し、放送局のエリア内のカバー率が100%に達するまでは、現行のアナログ波を終了しない」となっていた。しかし、国費を使ってアナログ周波数変更対策(アナ・アナ変換=デジタル放送用チャンネル確保のためのアナログチャンネル変更)を実施したことによって、期限を切らざるを得なくなった。それはデジタルとアナログの同時並行放送(サイマル放送)を続けるテレビ局の経営負担を軽くすることにもなる。今回の地上デジタル放送化は行政が主導する「大いなる産業実験」とも言われる。5年後、この「2011年7月24日」問題が間違いなく浮上する。  

  テレビの買い替えではなく、デジタルのチューナーを取り付けるなどの方策はあり、これはテレビ業界か行政がそれこそ戸別訪問して取り付けなければ解決しない問題かもしれない。  

 ⇒28日(金)夜・金沢の天気  あめ

☆メディアのツボ-01-

☆メディアのツボ-01-

  マスコミあるいはマスメディア、メディアとも言う。マスコミ業界では「媒体」とも呼ぶ。新聞やテレビのことである。では一体、メディアとは何かと問われるとなかなか端的に表現するのは難しい。そこで、メディアのさまざまなテーマを切り取りながらそのポイントを押さえるという手法で、メディアの全体像がぼんやりとながらでも浮かび上がらせたいと思う。このシリーズを「メディアのツボ」と名付ける。

    「2011年7月24日」問題~上~

 きょう7月24日、東京・霞ヶ関の総務省では総務大臣の竹中平蔵氏をテレビキー局(NHKを含む)の6人の女子アナたちが囲んで「地上デジタル移行まであと5年! カウントダウンセレモニー」を行われた。2011年7月24日に地上アナログ放送が終了するちょうど5年前ということで、銀座数寄屋交差点付近の「モザイク銀座阪急ビル」の広告スペースに「カウントダウンボード」が設置され、そのボードのスタートのボタンを押すというのがセレモニーの内容だった。竹中大臣らのスイッチオンで、カウントダウンボードには「あと1826日」と現れた。この様子は今夜、各テレビ局がニュースで報じていた。  

 セレモニーの席上、竹中大臣は「つい先日、ようやく我が家にデジタル対応のテレビセットを買うことができました。私が買うぐらいだから、相当普及しているということでしょう」と語っていた。社団法人地上デジタル放送推進協会(D-pa)も「今年度にアナログ終了の認知率50%以上、地上デジタル対応受信機の普及2000万台以上を達成する」と目標を掲げていた。では、実際の認知率や普及率はどうか。総務省の3月の調査で、アナログ放送の終了時期を正しく知っている人は32.1%である。さらに、6月末時点での地デジ対応受信機の普及台数は1190万台だ。目標と現実の差はかなりある。キー局の人気の女子アナを並ばせての派手な演出も理解できるような気がする。

  そもそも、なぜ2011年7月24日なのだろうか。総務省北陸総合通信局のホームページによると、平成13年(2001年)の電波法改正で、アナログ周波数変更対策(アナ・アナ変換=デジタル放送用チャンネル確保のためのアナログチャンネル変更)に電波利用料(国費)を当てるための要件の一つとして、アナログテレビ放送による周波数の使用は10年以内に停止することと規定された。

  もう少し詳しく説明が必要だ。アナ・アナ変換は、テレビ電波が過密状態にあるため、アナログからデジタルへの周波数変更の前に必要となる、アナログからアナログへの周波数変換をいう。具体的には、デジタル地上波はUHF13~32チャンネルを使うため、その周波数帯を使っている中継局を、別のアナログ周波数帯に移す。地域によっては家庭のテレビ1台1台のチャンネルを設定し直したり、アンテナを交換した。これには国費850億円が投じられた。つまり、国費を出して周波数を変更する以上は、古いシステムから新たなシステムへの移行が速やかに行われなければならず、古いシステムがダラダラと居座るようなことは困る、というわけだ。そこで、アナログ地上波は切りよく今後10年という期限が設けられた。改正電波法によるアナ・アナ変換計画の公示の日(平成13年7月25日)から起算して10年目の日、つまり平成23年(2011年)7月24日がアナログテレビ放送で使用する周波数の使用期限となったのである。

  ところで、この電波利用料はテレビ局も払っているが、そのほとんどは携帯電話会社が払っている。もともと目的税で使途が決まっていたため、改正電波法で「特定周波数変更対策業務」を新たに追加したのである。2011年7月25日以降、それまでテレビ局が使っていたVHF帯は携帯電話用に開放される見通しで、すでに「取引」は成立しているというわけだ。

  余談だが、改正電波法以前は、「地デジ対応受信機の普及率が85%に達し、放送局のエリア内のカバー率が100%に達するまでは、現行のアナログ波を終了しない」となっていた。この方針に不満を持っていたのはテレビ局側だった。つまり、受信機の普及が進まなければ、デジタルとアナログの同時並行放送(サイマル放送)を果てしなく続けることになり、経営を圧迫する。改正電波法で10年のタイムリミットが設けられ、テレビ局側も胸をなで下ろしたのだ。

  しかし、テレビ業界は安心したかもしれないが、一般の視聴者にそのツケが回ることになる。それは次回で。

 ⇒24日(月)夜・金沢の天気 くもり

★人質の論理

★人質の論理

   一連のニュースを読み込んでいくと、これまで気づかなかったことが見えてくることがある。今回はとっさにそのタイトルが浮かんだ。「人質の論理」である。

  20日付の新聞各紙によると、北朝鮮が来月に予定された南北離散家族再会行事を取り消し、金剛山面会所の建設を中断すると韓国側に通報してきたという。この韓国と北朝鮮の離散家族の再会は南北の赤十字が窓口になって開催されているが、8月9日-11日、21-23日に予定されていたのを北朝鮮側が一方的に中止すると通告してきたというもの。

  北朝鮮側の中止理由は「南側がコメや肥料など人道的な事業を一方的に拒否した」である。この中止通告には伏線ががある。今月13日に韓国・釜山で開かれた南北北閣僚級会談で、北朝鮮代表団が「韓国の一般国民は金正日総書記の先軍政治の恩恵にあずかっている」と発言し、その代価としてコメ50万㌧の援助を要求した。しかし、この要求に対し、ミサイル発射問題から韓国側がコメの援助を凍結すると回答したのである。今回の南北離散家族再会行事の中止の直接の原因はおそらくこの韓国側の措置に対する主意返しである。

  もちろん、ミサイル発射問題で国連安保理が対北朝鮮決議を採択(15日)、国際的に四面楚歌になっている北朝鮮が「立場をはっきりせよ」と韓国政府に揺さぶりをかけているという見方があっても不思議ではない。20日付の中央日報インターネット版によると、盧武鉉大統領は19日の青瓦台での安保関係閣議で、北朝鮮がミサイルを打ち上げたことについて「状況の実体をこえて過度に対応し不必要な緊張と対決の局面を作っている一部(日本など)の動きは、問題解決にプラスにならない」と述べたといわれる。北側に配慮したコメントである。

  話を元に戻す。離散家族とは言うものの、先日話題になった金英男さんら韓国人拉致被害者も含まれる。拉致をしておきながら、韓国に帰さずに止めておき、韓国から家族を呼び寄せる。これは一体どういうことか。日本でも欧米でも、家族を誘拐されたらあらゆる手段を使って、奪還することを考える。だから、こうした「犯人」の意に沿った「離散家族の再会」などという手法には乗らない。日本人拉致被害者の横田めぐみさんの両親が北朝鮮には行かないのも、これは人質奪還闘争だからだ。

  ところが、今回の離散家族の再会問題にしても、北朝鮮の立場は人質を取った側の論理で、相手の弱みにつけ込んで身代金を要求するのは当たり前と考えている。一方、韓国側も人質を取られた側の弱みで、身代金を払う(コメや肥料の支援事業など)のは当たり前との考え方のようだ。これはまさに犯人側の人質の論理である。

  これに対し、日本は人質奪還の論理だ。日本と韓国の政府の立場は人質奪還闘争を展開するか、しないかの腹のくくり方の違いのように思える。かつて、日本も犯人側の人質の論理にすっぽりはまっていた時期が長らく続いた。「こちらが帰せと騒げば、(北で人質となっている)家族が殺される。それだったら穏便に日本政府としてコメでも援助して、肉親と会えるチャンスをつくってあげよう。それが人道というものだ」との考えだ。その論理で、寺越武志さんと家族の再会が演出された。おそらく森喜朗前総理まではこの発想だったろう。

 ⇒20日(木)夜・金沢の天気   あめ

☆そのニュースでほくそ笑む者

☆そのニュースでほくそ笑む者

 ニュースの陰でほくそ笑む者がいる。パロマ(本社・名古屋市)が販売した瞬間湯沸かし器で一酸化炭素(CO)中毒事故が相次いだ問題で、経済産業省から指摘された17件以外に10件の事故が起こり5人の死亡者が出ていたと、同社は18日になって発表した。判明した事故は合計27件、死者数は20人に上る。

  記者会見したパロマの社長は「経営者としての認識の甘さや社会的責任に関して、本当に申し訳なく思う」と謝罪し、事故が起こる恐れのある7機種について無償で交換すると述べた。この一連のニュースを見ながら高笑いしている電力会社の経営陣の姿が目に浮かぶ。「ガスの連中もこれでお仕舞いだな」と。

  ガスと電力の攻防はすさまじい。都市ガスを供給している金沢市企業局のチラシを見ても、その一端が伺える。それは新築を希望している人に向けたチラシ。要約すると「(企業局が所管している)水道引き込み管工事は42万円、しかし都市ガス引き込み工事とのワンセットなら19万円となりお得です」という触れ込み。ガスを引いてくれれば双方の工事を水道工事費の半分以下に落とす、と。ある種の捨て身の作戦である。

  これに対し、電力会社は住宅メーカーを巻き込んで「オール電化で安全、クリーン」とキャンペーンを張っている。家庭の光熱費をめぐってガスと電力それぞれの関連会社が争奪戦を繰り広げている。今のところ勢いに乗っているのは電力側だ。今回のパロマ事件は会社単体の話ではない。「ガスはやっぱり危ない」との印象が国民に広がり、家庭のガス離れが加速する。ガス業界全体の敗色は濃厚だ。

  では、電力は安泰か。これまで電力会社が独占してきた電気の販売事業が2005年から本格的に自由化された。参入を始めている商社系企業と大口需要のシェア争いに勝つことが電力会社の本命、さらに小口の家庭も「オール電化」によって基盤固めをするのが電力側の戦略だろう。

  しかし、電気は米や水のように産地や生産者によって風味が異なるというものではない。差別化できない分、価格勝負、つまり値下げするしかないのである。安閑としていると隣のエリアの電力会社が攻めてくる。この市場原理を考えれば、どの電力会社もコストを削減し生産効率を上げ、どこよりも低価格を売りにするしかないのである。つまりエンドレスの戦いなのだ。

 ⇒18日(火)夜・金沢の天気  あめ  

★京に見る町家の美学

★京に見る町家の美学

 京都を仕事で訪れた16日は祇園祭の宵山の日だった。先方と待ち合わせた円山公園は、浴衣がけの女性らも繰り出して大勢の人でにぎわっていた。園内にある野外音楽堂では、高石ともや、上条恒彦、永六輔らが出演する「宵々山コンサート」と銘打ったコンサートが午後4時から本番とあって、リハーサルにもかかわらず、上条恒彦のボリューム感のある声が園内に響き渡っていた。人のにぎわいと音で騒然としていた、と表現した方が分かりやすいかもしれない。

  その音楽堂近くの路地の一角の民家にふと目をやると、一瞬、雑踏が遮断されたかのような静寂の世界に入る思いがした。すべての感覚がその光景に集中してしまったのである。民家の玄関入り口は一坪もないほどの庭である。その庭にはジグザグに敷石と波型の瓦の縁を幾何学模様に配してあった。瓦と瓦の間隙には緑色のコケがはえて、これが何ともいえない色彩美を醸し出しているのである。この種の瓦を配した作庭は以前、金沢でも見たことがある。が、京都のそれは時間に馴染んで趣(おもむき)があった。

  心を動かされたのは庭だけではない。屋根もである。かやぶき。京都の市内中心部で初めて見た。かやぶきとこの玄関の庭の絶妙なバランスが周囲にこの民家の風格をにじませているようにも感じる。

 しばし眺めているだけで、この家に住む人びとの美的センスというものを感じさせ、ひょっとしてこの家に京都の美的エッセンスというものが凝縮されているのはないか、と思ったりした。素材にしても、フォルムにしても西洋的なにおいを一切感じさせない、純粋な和の質感。隙のない建築美。それでいて、この屋根の形状からも伺える伸びやかで柔軟なフォルム。この家には和の輝きがある。それはまた、グローバルに通じる美の世界ではないだろうか。

⇒17日(月)朝・大阪の天気  くもり