#コラム

☆メディアのツボ-44-

☆メディアのツボ-44-

 情報番組「発掘!あるある大事典2」の捏造問題は随分と面白い展開になってきた。きょう21日、関西テレビの千草社長が自民党通信・放送産業高度化小委員会に出席した後、記者団に対し、番組を制作した番組制作会社に損害賠償を請求する可能性を示唆したという(日経新聞インターネット版)。

    「賠償請求」の意味を考える

  記事を引用する。関テレの社長は、自らの責任問題を尋ねた記者の質問には直接答えず、「責任は重く受け止めている。再発防止、原因究明に努め信頼回復を図る」と話し、さらに「制作会社との契約では賠償責任があり、検討する」と語った。これが「賠償請求の可能性」として報道された。

  今回の問題の一連の報道で見えてこないのは、関テレ自身が番組の欺瞞性に気づいていたのかどうかという点である。放送法第四条(訂正放送)の2項に「放送事業者がその放送について真実でない事項を発見したときも」、訂正放送をしなけらばならないと記している。要は、当事者から指摘を受けなくても、常日ごろから放送の内容に留意し、事実の誤りや人権侵害などは自ら見つけ、糾(ただ)すよう求めているのである。このため、各テレビ局は「考査」というセクションを置いている。

  この考査セクションでは、編成あるいは業務局に置かれ、CMや番組の表現内容をチェックして、時に営業から持ち込まれた誇大表現が含まれるCMなどをストップさせたりする。問題視したいのは、このセクションが520回にも及ぶ番組でいささか疑問を感じなかったのだろうか。あるいは、番組づくりの手の内を知り尽くしている制作部からは何の疑問の声も上がらなかったのだろうか。このテレビ局内のいわば自浄機能を伏して、制作会社の責任だけを問うのは無理がある。放送の最終的な責任はテレビ局にある。

  社長が述べた「制作会社との契約では賠償責任があり」云々は本来、納品が間に合わず番組にアナを開けた場合などであって、番組の構成やつくりにはテレビ局のプロデューサーやディレクターが参加し、チェックしゴーサインを出しているのだから、これも話の筋が間違っている。日本語の吹き替え捏造などはオリジナルのVTRをチェックすれば簡単に分かる。

  それでも関テレが制作会社の賠償を問うのであれば、相当の返り血を浴びる覚悟でやらなければならない。裁判の過程では「関テレ側の黙認」あるいは「暗黙の了解」という、番組の「闇」の部分があぶりだされるはずである。ウミを出し切るためにはむしろ裁判をやったほうがよいのかもしれない。

 ⇒21日(水)午後・金沢の天気   はれ

★メディアのツボ-43-

★メディアのツボ-43-

 日本のテレビは2011年7月にアナログ放送が完全停止され、デジタル放送に全面移行する。その大前提として、デジタル対応テレビの普及率の問題がある。11年に機械的に現在のアナログ波を停波すれば、テレビ視聴ができない大量の「テレビ難民」が出るなど、下手を打つと国政を揺るがすほどの問題となる。だからデジタル化という国策を進める政府も慎重だ。

     「テレビ難民」問題化に国の先手

  そんな中、短文ながら日経新聞のインターネット版でこんな記事を見つけた。2月17日付である。「地デジチューナー、低所得者に無料配布―政府・与党が検討」という見出し。要約すると、政府・与党はテレビの地上波がデジタル放送に全面移行をスムーズに進めるため、低所得の高齢者世帯などへ、外付けのデジタル受信機(チューナー)を無料配布する支援策を検討している。外部取り付け型の受信機は2万円弱から市販され、簡易型なら1台数千円程度で調達可能とみている。配布は地方自治体が担い、国が財政支援する。新たな交付金のほか、地方債発行を認めて元利償還費用を交付税で賄う案を軸に調整。自治体の負担は1割程度に抑える見通しだ。

  つまり、政府とすれば、「テレビ難民」が問題化する前から手を打っておこうというものだ。すでに47都道府県でデジタル放送の視聴が可能となっているので、この4年余りで対策を講じるというわけだ。

  しかし、問題はそう簡単ではない。対象となるのは低所得の高齢者宅など。確かに、余命いくばくもない独り暮らしのお年寄りが今後10数万円もするテレビを購入するとは想像し難い。そこで、独居老人宅の統計を拾う。総務省の「2005年国勢調査抽出速報集計結果の概要」によると、65歳以上の「一人暮らし高齢者」は405万人となっている。この数字は急速に増加していて、2000年の統計と比べると102万人(34%)増。さらに5年後となると500万人を超えても不思議ではない。この数字は生易しくはない。

  1台1万円のチューナーとして500億円である。これに取り付けの人件費やPRなどを加えて1000億円という対策費が必要だろう。「一人暮らし高齢者」対策だけでこの数字である。配布の対象を生活保護や母子家族などに広げるとさらに数字は膨らむ。

  デジタル放送を日本より早く始めた韓国では、当初2010年としていたアナログ停波の期日を2年延期したようだ。デジタルテレビの普及率は06年末で24%と想定され、このペースでは10年になっても50%余りと試算、当初もくろんでいた95%とは程遠い数字になるからだ。このため、アナログ放送の停止時期を12年12月31日とし、生活保護300万世帯にチューナーの購入費用を支援するという方針を打ち出している。

  日本と韓国の対応を比べると、韓国の方が現実的に思えるが、ロスという面では韓国の方がダメージが大きいのではないか。2年の延長で、さらにデジタル対応テレビの普及のテンポが落ちる。するとさらに対応が困難となり、再延期となる可能性も出てくる。こうなると政争の具にもなり、長い議論が始まる。何しろ韓国ではデジタル放送の方式をヨーロッパ方式(DVB-T)にするのかアメリカ方式(ATSC)にするのかで5年近くももめた。

  日本でも今後、いろいろな論議が出てくるだろう。経費の負担をめぐって「テレビ業界にも応分の負担をさせよ」とする意見などである。ちなみに、アナログ放送の周波数を変更して、デジタル放送のための周波数を空ける「アナアナ変換」対策で投じられた国費は1800億円だった。このときも論議を呼んだ。その第二幕が始まる。この論議に、例の番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」データ捏造問題が絡められると、話はややこしくなる。「国と自治体は借金までして(デジタル化)対応しているのに、民放業界は偽のデータを垂れ流し、ぬくぬくと収益をむさぼっている。こんなことで国民の理解が得られるのか」とったたぐいの意見が必ず噴出する。

 ⇒17日(土)夜・金沢の天気  あめ

☆「ニュース異常気象」3題

☆「ニュース異常気象」3題

 1月の積雪がゼロという金沢地方気象台始まって以来の暖冬異変。この異変は何も気象だけではないようだ。「ニュースの異常気象」を3題まとめてみる。

  関西テレビの番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」で捏造問題が発覚して以来、テレビ業界全体の信頼度が落ちたように思える。そしてついにというか、きょう13日の閣議後の記者会見で、菅義偉総務相は「捏造再発防止法案」なるものを国会に提出すると述べたそうだ。その理由は「公の電波で事実と違うことが報道されるのは極めて深刻。再発防止策につながる、報道の自由を侵さない形で何らかのもの(法律)ができればいい」と。放送法第三条と第四条は、放送上の間違いがあった場合は総務省に報告し、自ら訂正放送をするとした内容の適正化の手順をテレビ局に義務付けている。さらにこれ以上の防止策となると、罰則規定の強化しかないのではないか。個別の不祥事イコール業界全体の規制の構図は繰り返されてきた負のスパイラルではある。

  「団塊の世代」を中心とした55~59歳の男性が自宅の火災で死亡するケースが全国で増えているそうだ。死者は「無職」「独り暮らし」の割合が高い。明確な理由は分かっていないが、家族との別居、深酒、タバコ火の不始末、火災へとこれも負のスパイラルである。北海道では、05年の男性の死者は57人おり、このうち56~60歳が全体の4分の1にあたる13人を占めたという。個人的な話だが、金沢の高校時代の知り合いがこれまで2人もアパートで孤独死している。2人とも上場企業の元サラリーマンだった。交通事故などの不祥事による退職、離婚、深酒、病死である。病死はアルコールによる肝硬変。60歳の定年時に熟年離婚がはやっているそうだ。おそらくろくなことはない。男は逆境に弱いのだ。

  「発掘!あるある大事典Ⅱ」の捏造事件の続報が大きく扱われ、目立たない扱いで記事になっていたが、朝日新聞のカメラマンが写真に付ける記事を書く際に読売新聞の記事を盗用していたという事件もある意味で異常である。1月30日付の夕刊社会面に掲載された富山県立山町の「かんもち」作りの写真の記事を盗用したというもの。ローカル記事をインターネットで探して拝借するという構図だ。それにしても、ローカル記事なら東京で盗用してもバレないだろというのは安易に考えたものだ。カメラマンは実名公表のうえ、解雇となった。「もち」のツケは大きかった。

⇒13日(火)夜・金沢の天気  はれ

★メディアのツボ-42-

★メディアのツボ-42-

 それにしても関西テレビは番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」の不祥事で大きな負債を背負ったものだ。自業自得と言えばそれまでなのだが、ひょっとして再起不能ではないかと思ったりもする。何しろ、一度や二度ではすまない、520回という気の遠くなるような時間との戦いなのである。

     捏造番組の大きな負債

  捏造問題で、関テレの社長が2月7日、総務省近畿総合通信局を訪れ、捏造についてまとめた報告書を提出した。ところが、近畿総合通信局側は納得しなかったと、報じられている。なぜか。疑惑が次から次と出てきて、7日の説明は説明にならなかったからである。どとのつまり、「520回すべてを調査し報告しなければ、調査したことにはならない。これはあくまでも途中経過説ある」と監督官庁である近畿総合通信局側から灸を据えられたに違いない。こんなことは素人でも想像がつく。

  では、どのように520回の調査を行うか、手順はこのようなものだろう。まず、①第三者の専門家による55分番組の検証、②シナリオ台本のチェック、③当時のプロデュサーとディレクター、カメラマンからのヒアリング、④放送後の視聴からの苦情の分析など、これらをワンセットにした報告書の作成しなけらばならない。これが1回分である。

  その道の専門家を探し出し、番組をチェックしてもらい、当時の関係者を呼び寄せる。疑義があれば、その理由をチェックし、さらに第三者の専門家のコメントを聞く。つまり、一本の番組を制作するくらいの労力が発生する。これを520回やり遂げて、ようやく報告ができる。1回につき1㌢の報告書を積み上げれば520㌢となる。

  近畿総合通信局を訪れた後、記者のインタビューに答えた関テレの社長は「調査委員会で検証する」と12回も繰り返し、「3月中旬に全容を解明して報告する」と述べたそうだ。これは無理だ。毎日1本の番組について検証したとしても、520日かかる。ここで、なぜ520回すべてを検証しなけらばならないのか。理由は簡単である。もし、3月中旬の報告で「問題なし」と報告した番組に後日疑惑が生じた場合、今度は「検証が甘いのではないか」というさらなる不審を生み、検証のやり直しが要求される。だから、520回について徹底して検証をしなければ、この問題は収拾がつかいない。

  ちなみに、電波法では「総務相は無線局の適正な運用を確保するため必要があると認めるときには、免許人などに対し、無線局に関し報告を求めることができる」(81条)と記されている。つまり、報告は義務なのである。

  番組検証の現場の様子が目に浮かぶ。外部調査委員の厳しい査問、当時の制作スタッフ同士の責任のなすりつけ合い、責任逃れに終始する弁明、罵倒…。おそらく誰も責任を取ろうとしないから、収拾はつかない。こんな後ろ向きの調査をさせられる外部調査委員会(委員長=熊崎勝彦・元最高検公安部長)はたまったものではない。3月中旬に全容を解明するなどというのはそもそも見通しが甘い。

 ⇒9日(金)夜・金沢の天気   あめ  

☆メディアのツボ-41-

☆メディアのツボ-41-

 連絡や意見調整をEメールでやり取りしていて気づくことがある。それは、マスメディア業界からのレスポンスが遅いとう点だ。とくに、テレビ業界は格段に遅いように感じるのは私だけだろうか。もちろん、全員というわけでない。すばやく返信をもらえる人も中にはいるが、全体として遅いと感じる。

      視聴者の顔は見えているか

  先日、あるテレビ局から金沢大学に取材の申し込みが電話あった。ニュースリリースなどの詳細をメールで送る旨を伝え、教えてもらったメールアドレスに送り、届いたら返信をくださいとお願いしたが、それがない。果たして送信できたのかとこちらが心配になって電話で確認すると、相手は「受け取りました」と。それだったら、受け取った旨の返信をくれればよいのにと思うことはしばしばある。その点、地元紙と呼ばれる新聞社は割とこまめに返信をくれる。

  この違いは何か。自らの経験も踏まえて言うと、おそらく視線の差ではないか、と思う。テレビ局の場合、「系列」という世界がある。東京キー局を中心とした放送ネットーワークのことである。金融ビックバン以前は旧・財閥と呼ばれる銀行を中心とした系列や、自動車メーカーなど部品の裾野が広い産業でも系列があった。しかし、その旧・財閥系の銀行そのものが合併するなどしたため系列意識は薄れた。いまのビジネス界で「系列」は死語と化している。ところが、テレビ業界では系列という言葉も意識も脈々と生きているのである。

  番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」のデータ捏造事件で、制作していた関西テレビとキー局のフジテレビの関係は、厳密に言うならばフジテレビは番組の購入者側であり、テレビ局の信頼を著しく傷つけられた「被害者」でもある。ところが、フジの社長は1月29日の定例会見で「視聴者、スポンサー、放送業界全体に迷惑をかけた」と陳謝している。この不祥事は系列全体の責任との意識だろう。ことほどさように系列の絆(きずな)は強いのである。

  話を元に戻す。言いたかったことは、系列というある意味でのムラ社会にいると、足元の地域の人たちや視聴者よりキー局や系列の動き、あるいは同業他社の動向が気になる。すると地域とのかかわりが意識の上で薄れる。現場から離れた管理職になり、上にのぼるほど薄いのではないか。それがEメールのレスポンスの遅さとどう関係するのかという論理とは直接結びついてこない。が、系列局間のやりとりで、メールを放っておくだろうか。

  「発掘!あるある大事典Ⅱ」のプロデューサーやディレクターにしても、視聴者の顔は見えていたのだろうか。視聴率という数字だけが見えていたのではないか。視聴者の視線を感じれば、ごまかしはできないし、怖くなる。人の顔は納豆の粒か、白インゲンか、カボチャぐらいにしか映らなかったのかもしれない。

 ⇒6日(火)夜・金沢の天気 はれ

★奇跡の雪だるま

★奇跡の雪だるま

  1月の金沢は「雪なし暖冬」で観測史上の新記録。それが2月1日から雪が降り、きょう3日には金沢大学角間キャンパスで市民交流イベント「雪だるままつり」が開催できた。開催をめぐって、「雪がないのに雪だまるまつりができるのか」と論議をした1月の空模様に比べれば、ほぼ奇跡に近い。

  今回の雪だるままつりは、2日朝から雪を10㌧トラックで9台分も運ぶという仕込みがあって可能となった。この日の夕方、地元テレビ局が夕方のワイド番組で金沢大学から中継をした。「雪だるままつり雪輸送大作戦」。

 金沢市民にとって雪の感触は久しぶり。また、テレビ中継のPR効果か、きょうのイベントには次々と見学の家族連れが会場を訪れ、雪像の見学を楽しんだ。夜は雪だるまのお腹にろうそくを灯すライトアップの催しがあり、見学の人出は終日途切れることはなく、1000人余りの市民が訪れた。それほどことしは雪が珍しいのである。

 もう10年も前の話だが、テレビ朝日の「ニュースステーション」でピアニスト羽田健太郎氏のピアノ中継が金沢・東山茶屋街であった。江戸時代の花町の雰囲気を残す古民家の土間でのピアノ演奏。この年も暖冬だったが、番組中に雪がしんしんと降ってきて、ピアノ中継のラストカットは、和傘を差した芸妓さんが足元を気にしながら雪化粧した通りを楚々と歩くという、まるで映画のようなシーンになった。雪は雨と違って、ローケーションを一変させる劇的な演出効果がある。

⇒3日(土)夜・金沢の天気  はれ

☆メディアのツボ-40-

☆メディアのツボ-40-

 大学でマスメディア論の授業を持っていることから、新聞の切り抜きは絶やさないが、きょう30日の朝刊ほどマスメディア関連の記事スクラップが多い日はなかった。

     「期待権」とメディアの奇観   

 列記すると、各社一面を飾ったのが、NHKの番組が放送直前に改変されたとして、取材を受けた市民団体がNHKなどに総額4000万円の賠償を求めた控訴審判決で、東京高裁が取材された側の「期待権」を認めてNHKに200万円の賠償命令を命じたニュース。さらに同じ一面で、裁判員制度フォーラムを共催した産経新聞社などが謝礼を払ってサクラ(参加者)を集めていたこと。

  そして、社会面や特集面などでは、「あるある大辞典」の納豆データ捏造事件の続報の見出しが躍っている。「関テレ、看板失墜で広告減も」「ひっかかりやすい中高年女性に照準」など…。  NHK、民放、新聞社がこれだけそろって、マスメディアネタになることは稀有なこと。しかも、一面と社会面のトップを独占しているのである。まるで、マスメディアが自家中毒でも起こして悶え苦しんでいるような、まさに奇観である。また、その当事者のコメントを読むと、版で押したように、「信頼回復に努める」と。

  欧米のメディアは今、新聞の紙面改革や身売り、放送メディアは合併の嵐が吹き荒れている。インタ-ネットの普及拡大で、メディアそのものの利用価値が揺らいでいるからだ。いわば存在価値が問われ、構造改革に迫られている。ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は新年から従来の紙面の横幅を38㌢から30㌢に縮小し、つまりスリム化してコスト削減と紙面の改革(解説・分析記事を50%から80%に拡大)を図っている。改革の痛みに身悶えしているのである。早晩、日本にもこの改革の嵐が来る。あるいはその序章としてスキャンダルが噴出しているのかもしれない。

  それにしても、NHKの今回の裁判はこれも奇観である。取材される側が番組内容に対して抱く「期待権」を高裁が認めたのである。こうした「期待権」が取材のたびに常に成立するとなると、おかしなことになる。たとえば、あるテーマで政治家にインタビューしたとする。ところが取材を重ねていく過程で編集方針は変化するものである。そして別の政治家にインタビューすることになり、先の政治家のインタビューを反故(ほご)にするとういケースが生じる。放送後に「期待権」を盾にとってその政治家が「なぜ私のインタビューを使わない。だいたい番組は私がイメージしていたものと異なる」などとねじ込んでくる可能性があるのだ。

  こうなると「編集の自由」はどうなるのか。判決では今回の「期待権」は例外的としているが、それでも一度認められると拡大解釈される。そのつど裁判をやり、このケースは例外であるのか否か認定をしなければならなくなる。この意味で、今回の判決は単にNHKではなく、メディア全体にかかわるやっかいな判決であると言っても過言ではない。

 ⇒30日(火)夜・金沢の天気  あめ

★メディアのツボ-39-

★メディアのツボ-39-

 1月7日放送の番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」で、週刊朝日が11項目のデータについて関西テレビに質問状を送ったのが18日。その返事を催促したのが20日。しかし、関テレが応じたのは社長の緊急記者会見だった。その会見も、関テレ社長は当初は「納豆のダイエット効果の有無は学説で裏付けられている」として、「番組全体は捏造ではない」と主張していた。しかし、捏造データの余りにも多さ(関テレ発表だけで5ヵ所)を記者陣から追及されてしぶしぶ捏造を認めたのだった。

   フードファディズム煽ったツケ

  関テレが20日にホームページで公表した内容によると、捏造は3パターンである。一つは「データの捏造」。今回、被験者のコレステロール値、中性脂肪値、血糖値の測定せず、また、比較実験での血中イソフラボンの測定せず、さらに血液は採集をするも実際は検査せず、数字はすべて架空だった。二つ目が「コメントの捏造」である。米国テンプル大学アーサー・ショーツ教授の日本語訳コメントは内容は本人の話したものとはまったく違っていた。三つ目が「写真の捏造」である。やせたことを示す3枚は被験者とは無関係の写真だった。

  「納豆でやせる」の結論ありき番組なので、裏付け事実(データ)の構成をする番組ディレクターは結局、作為に走った。調べてみると、この番組の制作は9チーム150人で回している。つまり、1チームが2ヵ月(9週)に1本のローテーションで制作することになる。科学データを取り、結果を出し、分析する事実構成を60日余りですべてそろえるには時間的に無理がある。

 たとえば、テンプル大教授のインタビュー取材は2泊4日の取材旅程だったという。正味2日の取材で、キーマンから研究の核心をインタビューするわけである。研究者の立場からすれば、日本からわざわざ来た取材クルーとは言え、苦労して積み上げた研究成果をホイホイと出すはずがない。普通なら、取材の狙いや番組の構成、自分のコメントの使われ方まできちんと聞いた上でようやく自分の研究の触りを語る程度だ。取材クルーの方も、アメリカで納得いくまでインタビューをする、あるいは片っ端からデータを収集するというつもりはなく、アリバイ的に取材をしたかたちにしたかっただけだろう。

  1992年9月30日と10月1日の2夜で放送されたNHK番組「禁断の王国・ムスタン」の「やらせ」とは違う。ムスタンの場合は、番組の完成度を求めて、イマジネーションを膨らませて(一面で楽しく)捏造した。しかし、「あるある大事典」の場合は時間に追いかけられながら、あたかもネズミのサキュレーションのごとく回転しても、事実を構成することは時間的にできなかった。だから、その時間を埋め合わせるために捏造したのである。その現場の苦境を放置しておいたツケが関テレに回ってきた、と言える。

  その後、「みそ汁で減量」(06年2月放送)、「レタスで快眠」(98年10月放送)などで疑惑が出ている。おそらく520回の番組すべてについての検証を関テレはしなければならない。監督官庁である総務省近畿総合通信局からそのようなお達しが来ているはずである。大きな負債を関テレは抱えたことになる。特定の食品の効能を信じ偏食するフードファディズム(food faddism)を視聴者に煽り、利益をむさぼったたツケでもある。同情の余地はない。

 ⇒29日(月)夜・金沢の天気  くもり

☆メディアのツボ-38-

☆メディアのツボ-38-

 宮崎県の官製談合事件での前知事の辞職に伴う出直し知事選がきのう21日行われ、新人の元タレント・そのまんま東氏(49)=無所属=が初当選を果たした。知名度を生かし、草の根選挙を展開。入札制度改革や農産物を「そのまんまブランド」として売り出すことなどを訴え、激戦を制した。

   「そのまんま東」トップにせず

  当初、「泡沫候補」とも言われていた元タレント候補が激戦を制したとあって、各新聞やテレビはトップニュースの扱いで報じた。ところが、このニュースを朝日新聞大阪本社はトップ扱いにしなかった。同じ朝日新聞でも、東京本社はトップだったのにである。大阪本社の一面トップは生活福祉資金の貸付金の272億円が未回収であることを報じたものだ。ホットなニュースである「そのまんま東氏当選」は準トップだった。なぜか、である。

  きょう、私が担当する「プロと語る実践的マスメディア論」の授業の中で、その答えを直接聞くことができた。授業で講義をお願いした朝日新聞大阪本社の嶋田数之編集局長補佐が授業の中でこう説明した。「確かに、(そのまんま東氏の)当選はニュースだ。しかし、未知数のものをトップで扱って、最初から持ち上げることはできない」と編集判断で抑制を効かせたことを語った。

  その背景の一つは、「横山ノックの記憶」がまだ新しいからだろう。大阪府知事だった横山ノック氏は1999年、APECの成功など実績も評価されて2期目の選挙で235万票という大阪新記録の得票によって再選された。しかしその選挙活動の際に自陣営の運動員をしていた女子大生にセクハラをしていたことが選挙終了後に発覚し、当初は否定して2期目に就任したものの、同年12月に強制わいせつ罪で在宅起訴され、2000年1月に辞職に追い込まれた。

  嶋田氏が「未知数」というのも、今回の選挙は官製談合事件が背景にあり、田中康夫氏(前長野県知事)の「脱ダム宣言」のように新しい政治の風をつくったというわけではない。さらに、1998年に当時16歳の少女からいかがわしいサービスを受けて、児童福祉法違反で事情聴取を受けるなど、「横山ノックの記憶」と微妙にダブってくる。トップ扱いにするには、確かに「未知数」な部分が多い。

  当選後の会見で、そのまんま東氏は本名の東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお)で今後、政治活動をしていくと言う。確かに、選挙中もかつての同僚のタレントの応援を断って草の根運動を「マラソン」で展開した。それだったら、「脱タレント宣言」をして、立候補の段階から本名を名乗るべきだったろう。

  当選のニュースを聞いて、何人かと話題にした。すると、「宮崎県政はさらに混乱するのではないか」との話になり、巷間では決して好意的には受け止められていない。当選は驚きであったが、期待感がついてこない。この意味でも、ニュース価値としてトップにしなかった朝日新聞大阪本社の扱いはプロの冷静な判断であったと言える。

 ⇒22日(月)夜・金沢の天気  くもり

★メディアのツボ-37-

★メディアのツボ-37-

 これからのテレビメディアを考える上で、ポイントとなるのがデジタル化後のビジネスモデルだ。広告収入の伸びが期待できない現状で、ITを使って、さらに地デジという新たなメディアツールを駆使してテレビ局はどのように広告放送以外の収入(以下、放送外収入)を得ればよいのか…。このテーマで、「地デジとコマース~新たな事業の可能性を探る~」研究会(月刊ニューメディア編集部主催)が昨年10月、金沢大学などで開かれた。全体コーディネーターを担当した立場から今回の論議のポイントをまとめてみた。

  テレビ局がモノと向き合う時

 「単なる物販サイトではない。地域おこしの心意気でやっている」。北陸朝日放送(HAB)業務部、能田剛志部長は力を込めた。講演タイトルは「ECサイト『金沢屋』の6年で得たローカル独自のコマース展開とは」。放送エリアである石川県の地場産品にこだわり、この6年で生産者とともに100余りの商品を開発した。商品の採用が決まると、プロの写真家とライターが現地に入り、取材する。生産者の人となりや商品ができるまでの物語がテキストベースで紹介される。単に商品の画像を並べただけのショッピングモールとは異なり、手間ひま(コスト)をかけている。そのせいもあり、売上は緩やかな右肩上がりであるものの、単年度の黒字決算には至っていない。「(単年度黒字は)08年を目標にしている」と。今年5月、姉妹サイトとして「山形屋」(山形テレビ)が誕生した。システムと運営ノウハウを系列局にのれん分けするほどになったのである。

  「注文を受けた豆腐が崩れて配達されたらどうするか」。金沢屋での意見交換のときに出た実際にあったケースだ。HABは配達先(北海道)からの苦情で即、同じ商品を別便で送り注文主の許しを得た。と同時に、最初に配送した運送会社には集配上のトレーサビリティ(追跡可能性)に弱点があると判断して別の運送会社に変更した。こうして受注、生産、配送、決済という一連の流れの中で発生した大小の問題点を一つひとつ改善した結果、受け取り拒否や返品は極めて少ない。能田氏は、放送外収入としてコマースはすぐに儲かる事業ではないとした上で、「これまでテレビ局は視聴者の顔を見ないで視聴率ばかり気にしていた。その延長線で、売上高だけを気にして顧客対応をおろそかにしたらビジネスは成り立たないだろう」と従来のテレビ局の発想でコマース事業を展開することを戒めた。

  「地元テレビ局は商店街とIT連携をどう展開すればよいか」のタイトルで講演した金沢大学経済学部、飯島泰裕助教授はITを駆使して地域をどのように活性化するかをテーマに数多くの事例を手がけてきた。輪島市の山村集落である金蔵(かなくら)地区では、お年寄りたちが稲はざで天日干した米を「金蔵米(きんぞうまい)」のネーミングで売り出している。ところが地元の店頭ではなかなか売れない。そこで飯島ゼミの学生たちがブログで金蔵の丁寧な米作りづくりを紹介して、食にこだわりを寄せている人たちのブログに片っ端からトラックバックを貼った。すると徐々に手応えが出てきて、生産量は少ないもののブランド米としての道を歩むきっかけをつくった。「Web2.0」のコミュニティ形成力を活用して、学生が支援に乗り出した事例である。そこで、飯島氏は、「表現者のプロとしてのテレビ局ならばもっと多彩なことが展開できるはず。ITを組み合わせれば、地域の特色ある生産者や商店街の人たちとテレビコマースを連動させた多様なコンテンツができる」と指摘した。

  続いて、「生産者にとって使い勝手のよいECサイトと放送局への期待」の演題で話した「夢一輪館」(石川県能登町)、高市範幸代表は生産者として熱く語った。「頑張っている生産者というのは得てして口下手、売り込むのも下手。ホンモノを掘り起こし伝えてくれるメディアこそ生産者にとって使い勝手がいいのです」と。高市氏は前述の金沢屋に出品する生産者の一人。「畑のチーズ」(豆腐の燻製)や「牡蠣いしり」(魚醤)のヒット商品はコマースがなければ世に出なかったかもしれない。むしろ、コマースサイトの運営側と生産者のよい関係から生まれたシナジー(相乗効果)とも言えるだろう。

  ホンモノの時代とテレビではよく叫ばれるが、テレビ局自身はリアルな「モノ」を扱ってこなかった。2000年ごろからテレビ局の何社かはショッピングサイトを立ち上げた。しかし、その多くはテレビのメディアパワーを背景にした「テナント」であって、自らモノを扱ったわけではない。結局、楽天など「銀座の目抜き通り」となったサイトに店子は流れていってしまった。そして、地デジ時代という新たなメディア環境に入って、コマース事業の再構築に迫られている。そこで何を売ればよいのか、どう商品の独自開発を行うのか、テレビ局が本気でモノと向き合わなければならない時代になったと、今回の研究会で改めて実感した。

 ⇒17日(水)午後・金沢の天気  くもり