#コラム

★能登の地震と津波

★能登の地震と津波

 30年ほども前に読んだ小松左京のSF小説「日本沈没」では、ユーラシアプレートに乗っている能登半島など日本列島は太平洋プレートに押され沈没するが、最後に沈むのが能登半島という設定だったと記憶している。そんな印象から、能登は地震の少ない地域だと、思っていた。ところが、今回は2004年10月23日の新潟県中越地震(震度7)に次ぐ、震度6強である。新潟では59人が死亡、4800人以上が負傷し、新幹線が脱線した。今回の能登でも庭で倒れた灯篭の下敷きになって52歳の女性1人が亡くなっている。

  能登では1993年2月7日にも震度5の地震があった。22時27分、能登半島北方沖を震源とするマグニチュード6.6の地震が発生。輪島で震度5、金沢震度4を観測した。輪島での震度5は観測史上初めて、金沢の震度4は1948年の福井地震以来であった。震源地に近い珠洲市では場所によって震度6に達していた可能性があり、被害は同市を中心に発生した。裏山の崩土による神社の本殿・拝殿の倒壊のほか、住宅の損壊22棟、木ノ浦トンネルの崩落など道路被害141ヵ所、陥没した道路へ車が突っ込んで運転者がケガをしたのをはじめ屋内で29人が転倒物や落下物によって負傷したが死者はなかった。(「能登半島沖地震被害状況調査報告」=1993年2月11日調査・金沢大学理学部 河野芳輝・石渡明=より)

 このほか、私自身、津波を体験している。忘れもしない1983年5月26日正午ごろ、秋田沖が震源の日本海中部沖地震が起きた。確か、輪島では震度そのもは3だったが、猛烈な津波がその後に押し寄せた。高さ数㍍の波が海上を滑って走るように向かってくるのである。ご覧の写真は当時の新聞記事(北國新聞)だ。当時、私は輪島で新聞記者の支局員だった。輪島港が湾内に大きな渦が出来て、写真のように漁船同士が衝突し、沈没しかかっている船から乗組員を助け上げているアングル。この写真は新聞の一面で掲載された。現場に近づいて、数回シャッターを切って、すぐ逃げた。大波が間近に見えていたからである。

⇒25日(日)午後・金沢の天気  くもり

★メディアのツボ-47-

★メディアのツボ-47-

 関西テレビの「発掘!あるある大事典」のデータ捏造問題で、関テレが委嘱した外部調査委員会は3月23日、調査報告書を公表した。報告書は150ページ余り。小委員会で元検事の弁護士18人を配置し、事件捜査の手法で、かつての番組関係者、広告代理店担当など70人から「事情聴取」を行った。延べ5000時間、2ヵ月かけて520回の番組すべてをチェックし報告書をまとめた。内容は相当に厳しい。報告書要旨に関しては24日付の朝日新聞が詳しい。

     浮かび上がった「捏造現場の闇」

  問題があった番組は「納豆ダイエット」(07年1月7日放送)を含め16番組。その内訳は、日本語のボイスオーバー(吹き替え)による捏造4件、データ改ざん4件、そのほか実験方法が不適切であったり、研究者の確認を取ってないものが8件となっている。「調査委員の指摘」の欄では委員の憤りを感じることができる。「足裏刺激でヤセる」(06年10月8日放送)では「中性脂肪などの数値で実際には増加している被験者もいるのに減少者のみ(のデータ)を採用している」と指摘し、「狡猾(こうかつ)に番組テーマに沿って視聴者の心理を操作する演出をしている」とコメントをつけている。これが刑事事件だったら、詐欺罪が成立しそうな「論告文」の書き方ではある。

  報告書では関テレの責任についてこう記述している。番組を捏造した責任は再委託(孫請け)先の制作会社(「アジト」など)にあるものの、委託した日本テレワークとのその制作担当者、さらにその管理・監督する立場にある関テレのプロデューサーら番組制作担当者はその不正をチェックし、防止することができなった。また、これまで健康情報を扱った番組の不祥事が相次いだが、放送責任を負う関テレの経営幹部には危機意識が薄く、再発防止のための内部統制の仕組みを構築するなどしてこなかった。これは「(関テレの)構造的な要因」とし、「関テレの取締役と番組の制作担当者らの社会的責任は極めて大きい」と指摘している。

  問題は、これら一連の不正が放送法3条の2第1項3号にある「報道は事実をまげないですること」に抵触しているかの解釈についてだ。新聞掲載の報告書要旨によると、「『発掘!あるある大事典』は報道そのものには当たらないとし、さらに関テレ側は捏造を見過ごし、結果として事実に反する内容を放送したものの、「この規定に違反したとまではいえないと考える」としている。つまり、関テレが意図的に事実を曲げたわけではない、との解釈である。

  放送法との照らし合わせによる指導や処分は、関テレが総務省に3月27日に提出する最終報告書を見ての総務省判断となるが、行政指導ならば「厳重注意」「警告」、あるいはもっと重く行政処分ならば「電波停止」「免許取り消し」となる。ただし、日本のテレビ放送の歴史53年間で行政処分が発動されたことはない。

  今回の報告書で注目したいのは再発防止への提言。ポイントは2点である。一つは経営側のコンプライアンス(法令遵守)。取締役会決議による番組制作ガイドラインや倫理行動憲章の制定と情報開示、社外取締役の選任など。二つ目は番組制作現場のコンプライアンス。番組を制作する過程での注意事項をまとめたチェックフローを作成し、捏造や人権侵害を内部的に監視する考査部門を増強することなど。中でも、制作現場における制作者の良心を養護する役割を担う「放送活性化委員会(仮称)」の設置提案は目を引く。

  この意味は、逆に言えば、これまでの制作現場は自由闊達な論議の上で成り立っていたのではなく、制作ノルマに縛られ、一部のディレクターが有無を言わさぬ雰囲気をつくり、硬直化した制作現場だったことを伺わせる。業種は違っても、「不正の現場」の雰囲気はおおむね共通している。番組の問題点を洗い出した「ヤメ検」たちはこの「捏造現場の闇」を鋭く見抜いたのである。

 ⇒24日(土)夜・金沢の天気  雨

☆「雲を測る」スケール感の人

☆「雲を測る」スケール感の人

 金沢21世紀美術館の屋上に据え付けられているブロンズ作品は「雲を測る男」である。その作者であるヤン・ファーブル(ベルギー)はあの有名な昆虫学者ファン・アンリ・ファーブルのひ孫だ。が、この作品を実際に見た人はブログの写真と実物はちょっと違うと言うだろう。そう、男が胴から腰にかけて白い布をまとっている。この写真を撮影した2004年9月、台風16号と18号が立て続けにやってきた。何しろ屋上に設置されているので台風で倒れるかもしれないと、まず布を胴体に巻いて、その上にワイヤーを巻いて左右で固定したものだ。

   美術館はオープン前の一番あわただしいとき。案内役だった館長の蓑豊(みの・ゆたか)氏のそのときの言葉が振るっていた。「金太郎さんの腹巻のようでしょう」と。場を和ますユーモアの人である。その蓑氏が3月31日付で館長を退任する。

 蓑氏は初代館長として、子どもが訪れやすい美術館というコンセプトで運営。開館2年余りで来館者は300万人を突破した。いまや兼六園や武家屋敷と並ぶ金沢の名所となった。金沢生まれ、慶應義塾大学(美学美術史)を卒業し、米国ハーバード大学で博士号取得。シカゴ美術館東洋部長などを歴任、現在、全国美術館会議会長も務めている。

 その華麗な経歴に似合わず、話し振りは「人懐っこいオヤジさん」という感じ。アイデアがポンポンと飛び出す。開館当時語った目標の入場者は「1日千人」。この数字をいかに日々達成していくか。たとえば、館内にはこの建物に工事にかかわった2万人の名前を金属板に刻んで掲げてある。「その家族や兄弟、子孫が名前を見に足を運んでくれる。いいアイデアでしょう」とニヤリ。「その積み重ねで賑わいや30億、40億の経済の波及効果が生まれはず」とも。アメリカ仕込みの人の心をつかむアイデアと計算の緻密さが買われ、05年4月には金沢市助役にも抜擢された。

 その蓑氏の手腕を、世界的な美術品オークション会社「サザビーズ」も欲していたようだ。退任後、蓑氏は再び米国ニューヨークに渡り、この5月からサザビーズ北米本社の副社長に就任する。「10年以上前からサザビーズに誘われていた。渡米後は世界の超一流の美術品に囲まれて暮らしたい」(20日付の朝日新聞)と語った。雲の大きさを測るような、スケール感のある人なのである。

 ⇒20日(金)夜・金沢の天気  くもり

★「不都合な真実」という授業

★「不都合な真実」という授業

 トヨタの株が2月末に3000円の大台に乗り、いまは調整局面に入っているものの、再び上昇するだろう。何しろ、アル・ゴア氏が主演するドキュメンタリー映画「不都合な真実」=写真は映画パンフ=では、トヨタが排気ガス規制車のトップをいっていると図表で説明し、最後のロール字幕では「車の燃費を良くすれば、無駄なエネルギー消費を防げます」と呼びかけている。このところトヨタがじりじりとアメリカでの自動車シェアを伸ばしているのも、おそらくこの映画のおかげだ。

  ゴア氏ほど有能なコピーライターはいないだろう。映画の冒頭で自らを紹介するのに「一日だけ大統領になったゴアです」と。2000年に大統領に立候補。全国一般投票では共和党候補、ブッシュ氏より得票数で上回ったが、フロリダ州での開票手続きについての問題の後、落選が決定した。そのアメリカの選挙史上の前代未聞の出来事をこのワンフレーズで言い切るのである。

 クリントン政権の副大統領を1993年から2001年まで務めた間、ゴア氏が企画した「情報スーパーハイウェイ構想」が呼び水となって、インターネットが爆発的に普及した。当時、日本のどのローカルにあっても、「○○情報スーパーハイウェイ構想」があった。その元祖である。  さらに、クリントン政権末期にナノテクノロジー研究に対して資金投下をした。これが、ナノテクノロジーという研究分野が世界的に注目されるきっかけになった。この意味で、彼は世界で有数の「トレンドメーカー」とも言えるかもしれない。そして、次なるトレンドが「不都合な真実」となる。

  そのゴア氏が世界を飛び回って、「地球は人類にとって、ただ一つの故郷。その地球がいま、最大の危機に瀕している。キリマンジャロの雪は溶け、北極の氷は薄くなり、各地にハリケーンや台風などの災害がもたらさえる」と訴えている。地球温暖化の環境問題を切り口にしたスライド講演。そのままを映画化した。だからドキュメンタリー映画であり、教育映画であり、科学映画といった、従来の映画の域を超えて、映画メディアを使った「ゴアの授業」と言える。

  この映画の凄みは、環境の危機を訴えているだけではなく、政治家らしい透徹した眼で「戦争の危機」をも訴えている。オイルの争奪戦ではない。水飢饉による、「水戦争」である。「ヒマラヤの氷が解ければアジアの水不足は深刻になる」とゴア氏は淡々と説明する。以下は映画では言及されていないが、上流の中国と、下流のインドで起こりうる「貯水ダムをめぐる戦争」といった事態を予感をさせるのに十分なのである。そして、中国でスライド講演をした折に、中国の大学生に「(思想ではなく)科学で論じよう」と訴えるシーンがある。この言葉の意味は中国においては実に政治的である。

  この映画のまとめは、「地球温暖化に対する議論の時代は終わった。唯一残された議論は、どれだけ早く行動に移るかということ」。 そして誰に対して不都合かというと、石油メジャーや米国の自動車産業界をかばって、京都議定書(Kyoto Protocol)の批准を拒否している共和党の現政権ということになる。(3月15日、「金沢フォーラス」イオンシネマで鑑賞)

⇒17日(土)午前・金沢の天気  くもり

☆「報道被害」と「報道不信」

☆「報道被害」と「報道不信」

 マスメディアの記者もベテランの域に達してくると「取引」というものを心得るようになる。一つの情報材料を相手につかませ、さらに別の情報を得るのである。もちろんこれは闇のトレードなので上手にやらないと自分の首を絞めることになる。

  土地取引に関して国会で質問した衆院議員(国民新党)が脅迫された事件にからみ、議員を取材した録音データが漏洩し、インターネット上のブログに掲載された問題で、毎日新聞社は3月12日付でデータを外部に漏らした41歳の記者を諭旨解雇とした。記者が取材した録音データが入ったICレコーダーを議員の了解なしに第三者の取材協力者に渡したのである。その取材協力者とは元暴力団組長だったので背景の根深さと波紋を広げた。

  取材協力者とはいえ、記者より25歳も年上、しかも、その世界の修羅場をくぐってきた相手との取引である。相手の貫禄勝ちだったかもしれない。ともあれ、記者は取引に失敗した。

                 ◇

 きょうの本題は書評である。梓澤和幸氏の「報道被害」(岩波新書)は実に読みやすい本だった。ベテランの弁護士だけに、論点の組み立てがしっかりしていて、贅肉のないの文章はまさに立て板に水を流すように整然としている。

  内容のポイントは2点。「警察情報に過度に依存したマスメディアの取材のあり方の見直し」と「ルーティーンワーク化した取材のあり方の見直し」である。この2点をメディア自身が改革しないと、いつまでたっても松本サリン事件や桶川ストーカー殺人事件にみられたステレオタイプの取材が横行し、メディア・スクラム(集団過熱取材)といった報道被害はなくならない、と著者は問題提起をする。

  その解決策として、新人記者の教育に「警察まわり」があるように、「弁護士まわり」も組み込んだらどうかと提案は具体的であり実行可能である。また、ユニークな改革案として、あえて警察情報とは別の視点で事件を取材する記者を配置してはどうかという点。警察情報を得て、被害者宅を取り巻くメディア包囲網とはまった別の角度から取材する記者を配置すべしというのだ。これに関しては、伝統的に社会部の遊軍が担当してきたジャンルではあるが、編集局内の制度として試みるのであれば斬新な改革ともなりうる。

  こうした具体案の以前に、取材そのもの、たとえば編集権は一体どこにあるのか、記者たちにあるのか経営者なのかというところをきっちりと内部論議をしないと、改革論議が進まないのは言うまでもない。

  ことしに入り、冒頭に記した毎日記者の不祥事のほか、関西テレビ「発掘!あるある大事典Ⅱ」のデータ捏造問題や朝日新聞カメラマンの記事盗用などマスメディアをめぐる問題が噴出している。著者は弁護士なので「報道被害」をタイトルにして「メディアの改革を急げ」と述べているが、裏腹に「報道不信」も深刻なのだと指摘している。ここでメディアが自ら対策を講じないと、国民のメディア不信を背景に権力がメディアの首を絞めにくる。そう警告を発している。

⇒13日(火)午後・金沢の天気  はれ 

★「ベト7」のこと(下)

★「ベト7」のこと(下)

  「ヒトはどこから来て、どこへ行くのか」というフレーズは、これまでお会いした中で霊長類学者の河合雅雄氏から、そして動物行動学者の日高敏隆氏からご教示いただいた言葉である。それぞれの研究の立場からのアプローチは異にするものの、この先、人類はどこに向かっていくのか、進化か退化といった遠大な命題が仕込まれたフレーズなのである。

  ヒトは都市化する動物であるとすれば地域の過疎化は当然至極、流れに棹をさす地域再生に向けた研究自体は無駄である。しかし、商品経済にほだされて、都会へと流れ生きる現代人の姿がヒトの一時的な迷いであるとすれば、自然と共生しながら生きようとするヒトを地域に招待し応援することは有意義である。私なりにこの命題を自問自答していたとき、これまで聴こうとしなかった7番の第1楽章と第2楽章に耳を傾けたみた。第2楽章の短調の哀愁的な響きにヒトの営みの深淵を感じ、目頭が熱くなるほどの感動を得た。そして、ベートーベンの曲想の壮大なスケールに気づき、7番の主題は「ヒトはどこから来て、どこへ行くのか」のテーマそのものではないのか、と考えるようになった。ここから「つまみ食い」の愚かさを知り、第1楽章から第4楽章までをトータルで聴くようになった。1月上旬のことだった。

  2月下旬、研究費の申請を終えて、自宅に帰り、ある意味で孤独な戦いを精神的に支えてくれたベト7に、そして指揮した岩城さんとオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)に感謝した。

  私は音楽的な教養や才能を持ち合わせてはいない。ネットで調べると、ベートーベンは5番運命を1808年に完成させ、スランプに入り、4年後に7番を完成させた。42歳のとき。初演は1813年12月。ナポレオンに抗したドイツ解放戦争で負傷した兵士のための義援金調達のチャリティーコンサート(ウィーン大学講堂)で自ら指揮を執った、という。戦時中なので聴衆の士気を高めるテンポのよさ、未来へと突き進む確信とっいったものが当然込められていた。そして、静かに心を振るわせる前段の葬送風の響きはこの戦争で亡くなった者たちへの弔い、あるいは戦争の理不尽さを嘆き悲しむメッセージかもしれないとも想像する。

  先日、学生の携帯電話の着メロで7番が鳴っているのを聴いた。テレビドラマの「のだめカンタービレ」で人気だとか。7番はいろいろなCDが出ている。私だったら、岩城指揮のOEKのベト7を推薦する。1番から9番までを2度も連続演奏するほどにベートーベンを愛した指揮者の演奏には「違い」というものあるからだ。

 ⇒11日(日)午後・金沢の天気   雪

☆「べト7」のこと(上)

☆「べト7」のこと(上)

 ベートーベンの交響曲第7番のことをオーケストラの奏者たちは「ベト7(べとしち)」と読んでいる。そのベト7を去年12月中ごろから、愛用のICレコーダーにダウンロードして毎日聴いている。通勤の徒歩、バスの中、自宅で聴いているから1日に3回は聴く。ということはもう300回ぐらいか。実はいまも聴いている。はまり込んでいるのである。

  聴いているベト7は2002年9月にオーケストラ・アンサンブル金沢が石川県立音楽堂コンサートホールで録音したものだ。指揮者は岩城宏之さん(故人)。はまり込んだきっかけは、岩城さんがベートーベンのすべての交響曲を一晩で演奏したコンサート(2004年12月31日-05年1月1日・東京文化会館)での言葉を思い出したからだ。演奏会を仕掛けた三枝成彰さんとのトークの中で岩城さんはこんな風に話した。「ベートーベンの1番から9番はすべてホームラン。3番、5番、7番、9番は場外ホームランだね」「5番は運命、9番は合唱付だけど、7番には題名がない。でも、7番にはリズム感と同時に深さを感じる。一番好きなのは7番」と。

  そのトークを耳にしたころ、7番は第4楽章の狂気乱舞するような強いリズム感ぐらいの印象しかなかった。が、去年の12月、文部科学省への研究費の申請書類で宿題を背負い、行き詰ったときがあった。苦しさ紛れに、ふと岩城さんの言葉を思い出し、岩城さんが指揮した7番のCDを買い求めた。狂喜乱舞するリズム感に救いを求めたのである。だから、当初は、葬送風の暗い響きがある第1楽章と第2楽章を飛ばして、第3楽章と第4楽章をダウンロードして聴いていた。効果はあった。書類の作成作業はテンポよく進みアイデアも湧く感じで、「ベト7のおかげで何とか乗り切った」とも思った。

  ところが、これが打ちのめされるのである。実は申請書類のテーマは大学がかかわる奥能登の地域再生である。奥能登に何度も足を運び、現地でヒアリングをした。奥能登は過疎・高齢化が進む。ある古老がこう言う。「この集落はそのうち誰もいなくなる。今のうちから(集落の)墓をまとめて一つにして、最後の人が手を合わせくれればよい。一村一墓だよ」と。

  その帰り道、ふと奥まった道に入ると、廃村となった集落があった。崩れ落ちた屋根の民家、草木が生い茂り原野化するかつての田畑がそこにあった。その光景に立ち尽くしてしまった。おそらく数百年、千年にもわたって先祖が心血注いで開墾したであろう田畑があっけなく原野に戻ろうとしている。そこでの人の営みや文化はおろか、その痕跡さえも消えようとしている。おそらく子や孫は都会に出たまま帰ってこない。親を引き取ったか、親が亡くなって廃村となった。これが過疎が行き着く先である。

  それでは、その地を捨てた子孫はいま都会で幸せに暮らしているのだろうか。さらにその子や孫に「私たちはどこから来たの」と聞かれたら、「それじゃ先祖の地へ行ってみようか」と言えるのだろうか。その廃村の光景をその子や孫に見せるには躊躇するだろう。暗鬱になった。そのとき思い出したのは「ヒトはどこから来て、どこへ行くのか」というフレーズだった。その打ちのめされた気分をなんとか救ってくれたのもベト7だった。(つづく)

⇒10日(土)夜・金沢の天気   あめ                

★メディアのツボ-46-

★メディアのツボ-46-

 日本の裁判で、弁護手法はこれでよいのか、と思う。被告を精神鑑定に持ち込んで、量刑を軽くする。その落とし込み先は決まって、外見は健常のように見えるが、健常ではない、いわゆる発達障害である。しかも、発達障害の中でも名前が聞き慣れない、アスペルガー症候群である。「病名からして精神病様状態なんです、だから量刑を軽く」と弁護士は公判の中でまくしたて、あえて争点にする。

  精神鑑定という弁護手法

  2005年12月、京都・宇治市の学習塾で女児(当時12歳)がアルバイト講師に刺殺された事件の裁判の判決が6日あり、被告に懲役18年の刑が言い渡された。この裁判で、責任能力の有無のために精神鑑定があり、上記のアスペルガー症候群と診断された。

  きょうの記事を丹念に読むと、「アスペルガー症候群に罹患(りかん)し…」という記事(朝日新聞)が出てくる。発達障害は先天性であり、伝染病などのように罹(かか)る病気ではないのである。この罹患という言葉を弁護側が使ったのか、裁判官が使ったのか、この記事では定かではないが、アスペルガー症候群や発達障害がきちんと理解がされないまま公判が進んだように思えてならない。

  発達障害ならば過去の診断歴があるはずである。第一段階として、小学校に入る前の予備検診があり、普通教育なのか養護教育なのかの判断にされる。中学、高校ではどうだったのか。発達障害でよく見られる奇声や繰り返し行動、言葉のオウム返し、ノッキング(体の前後ゆすり)などの行動のうち、いくつかあったはずである。裁判で罹患という言葉が使われていたとなると、「何かのきっかけ(後天的)に病気になった」という誤った認識が法廷にあったのではないか。

  これまでの公判では、謝罪の言葉を述べる一方、「僕を殺してください」「助けてください」と大声をあげるなど、異常な言動も目立った、と記事にある。アスペルガー症候群を裁判官に印象づけるための陽動作戦ではないのか、と私は勘ぐる。発達障害者は自分を対象化することができない。だから罪を苛(さいな)んで「僕を殺してください」などとは言わない。言うとすれば、死刑に対する恐怖から「僕は死ぬのですか。僕は死ぬのですか」と繰り返し叫ぶだろう。

  罪を軽くするために、精神鑑定で発達障害に持ち込み、それを声高に争点にすることに不信感を持つ。一人の被告の量刑を減らすために、罪なきアスペルガー症候群の人たちに「犯罪者予備軍」のレッテルを貼っているのと等しい。発達障害者支援法ができるなど社会救済の法整備が進んでいる一方で、このような障害を背負った人たちを巻き添えにする弁護手法がまかり通っている。一度ではない。犯罪が繰り返される度にエンドレスに病名が使われる。これこそ発達障害者に対する人権侵害ではないのか。

  判決を傍聴した被害者の父親は「反省はしていないと思う。『うそつき。娘を返せ』と言いたい」と話したという。被告は、被害者の入塾から事件当日まで9ヵ月間、個別指導と称して女児を繰り返し呼び出していた。公判を傍聴してきた母親は「平然と反省もなく娘のことを悪く言い、うそをつき、罪を逃れようとしています。人間ではありません。悪魔です」と非難した、という。一連の記事を読んで、桶川ストーカー殺人事件を連想した。 計画的な執拗さ。発達障害者と人の病(やまい)のジャンルが違う。

⇒7日(水)夜・金沢の天気   雪

☆メディアのツボ-45-

☆メディアのツボ-45-

 3月5日付の読売新聞インターネット版で、「スポーツ」に関する全国世論調査の結果が出ていた。少し不可解に思ったのは、聞き慣れないキーワードでの設問だった。

   世論調査と設問

  そのキーワードは「ポストシーズンゲーム」(PSG)。世論調査の結果によると、「ポストシーズンゲームによって、プロ野球が面白くなると思うか」との設問で、「そう思う」が44%となり、「そうは思わない」14%、「どちらとも言えない」28%を上まわったとの内容だ。

  そこで「ポストシーズンゲーム」でインターネット検索をかけてみる。Googleで56000件余り(6日2時現在)。プロ野球改革の目玉として、今季新たに取り組むにしては、件数がちょっと少ない。しかも、この論議は04年からスタートしているのに、である。ともあれ、ポストシーズンゲームとは、ペナントレースで優勝チームを決めた後、各リーグの上位3チームが日本シリーズ出場権をかけて戦う。2位と3位が戦い、勝者が1位と対戦する。「クライマックスシリーズ」という名称だ。翻して言えば、リーグ優勝チーム同士で日本一を争ってきた、57回の歴史を持つ日本シリーズは昨シーズンを最後に消滅している。

  話を世論調査に戻す。それほど認知されていないようなPSGについて、「プロ野球が面白くなると思うか」と質問されて、「そう思う」と答える人が果たして44%もいるものだろうか。そこで調査方法を検証する。調査時期は2月17、18日に実施し、方法は面接方式だった。世論調査における面接方式は、調査員が調査対象者を自宅を訪問し、口頭で質問を行い、その回答を調査員が調査票に記入する方式である。ここがポイントだが、設問がいかにも誘導的な場合がある。これは私の想像だが、「新しいプロ野球改革で、日本シリーズと違ってこんな面白さが特徴としてあります。名称はクライマックスシリーズといいます…」と設問にあって、それを調査員が読み上げた場合、対象者は「初めて聞いた名称だけど、面白そう」などと答えてしまう。こんな調査現場のやりとりが目に浮かぶのである。

  国民に広く認知されていないアイテムの設問には無理があるのではないか。Googleで56000件余りしかない設問アイテムである。むしろ、「日本シリーズがなくなったことをご存知ですか」と聞いたほうがスポーツ世論調査としては意義があったのではないだろうか。

  プロ野球に対する関心度が落ちていることは否めない。2月26日、日本テレビの久保伸太郎社長が記者会見でプロ野球巨人戦の中継で放送延長はしないと述べた。すると翌日27日の日テレの株価は社長発言を好感して、一時前日比420円(2.15%)高の1万9940円まで上昇した。この数字は現実である。

 ⇒6日(火)朝・金沢の天気    あめ

★気になるニュース3題

★気になるニュース3題

 3月に入った。季節の変わり目である。こんなときに面白い、奇妙な、驚くニュースが飛び込んでくるものだ。

  ミツバチの集団失踪が相次いでいる。アメリカでのこと。全米養蜂協会によると、元気だったハチが翌朝に巣箱に戻らないまま数匹を残して消える現象は、昨年の10月あたりから報告され始め、フロリダ州など24州で確認された。しかし、ハチの失踪数に見合うだけの死骸は行動圏で確認されないケースが多く、失踪したのか死んだのかも完全には特定できないという。そんな中、原因の一つとされているのが、養蜂業者の減少で、みつの採集などの作業で過度のノルマを課せられたことによる“過労死説”だ。国家養蜂局(NHB)が緊急調査に乗り出した。ハチを介した受粉に依存するアーモンドやブルーベリーといった140億ドル(約1兆6000億円)規模の農作物への深刻な影響が懸念され始めた。(3月1日・産経新聞インターネット版より)

  「発掘!あるある大事典Ⅱ」のデータ捏造問題の続報。2月28日、総務省へ再報告書を提出した後、関テレの千草社長が記者会見した。再報告書をまとめるにあたって、社員220人以上が作業延べ1860時間かけ520回の番組をすべてチェックした。さらに調査が必要な回に関しては社員20人が延べ4000時間以上をかけて精査した。疑問点などを洗い出し、外部の調査委員会に提出し、検討してもらうのだという(3月1日付・朝日新聞より)。ここからは私見が入る。ざっと6000時間をかけた社内調査だが、むしろダイエットの専門家による調査が必要ではないのか。外部調査委員会にしても5人の委員の職業構成は大学助教授(メディア論)、弁護士、大学大学院教授(メディア法)、メディア・プロデューサー、作家であり、医学的な見地から述べる人がいない。最終的な報告書をまとめ上げるにしてはバランスが悪い。

  江戸時代に加賀藩主に仕えた料理人の史料を読み解いている富山短大の陶智子(すえ・ともこ)助教授が2月28日に金沢市内で講演をした。その講演内容の紹介記事(3月1日付・北陸中日新聞)。17世紀の前田家の料理人、舟木伝蔵が子孫にレシピや食材を伝えるために多数の文書を残した。その分析から、陶氏は「金沢は北前船がもたらした昆布でだしを取る文化だが、前田家は赤いみそを多く使い、尾張に近い味付けをしていた」と。藩祖の利家は赤みそ文化の尾張国愛知郡(現・名古屋市中川区)の生まれ。味覚というのは、その後の前田家ではDNAのように引きつがれていたようだ。いまのご当主は18代目、関東に住んでおられるが、許されれば、「いまでも赤みそですか」とたずねてみたいものである。食の文化史の事例研究になりそうだ。

 ⇒1日(木)夜・金沢の天気    はれ