★カニ食い名人の話
昔からカニを食べると寡黙になる、というのが常識だが、この日は様子が違った。同席したのは宮崎、福岡、大阪、奈良、東京、仙台と出身はバラバラ。すると、食べ方が慣れないせいか、「カニは好きだが食べにくい」「身をほじり出すのがチマチマしている」などという話になる。出されたカニには包丁が入っていて、すでに食べやすくしてある。これを「食べにくい」といってはバチが当たるというものだ。つまり、カニの初心者なのだ。
そこで、席上でこんな話をつい偉そうにしてしまった。「私の友人で丸ごと一匹を5分間で食べる名人がいるんです」と。すると周囲の話がピタリと止んだ。「とにかく、包丁が入っていないので、脚を関節近くで折り、身を吸って出す。その音はパキパキ、ズーズー、その食べる姿はまるでカニとの格闘ですよ」「何とかチャンピオンでカニ食い選手権があったら間違いなく、その人が優勝です」「私はまだその域には達していないが、これまでのタイムでだいたい7分。メスのコウバコガニだったら5分で食べます」と。周囲は「さすが北陸の人はカニに対する思い入れが違うな」と、話だけで満足した様子。「カニと格闘する宇野さんの姿をぜひ見たい」という話にもなったが、さらに丸ごと一匹注文するとなるとさすがに値段が張るので話はたち切れになった。内心、ホッとした。
その名人は実在する。福井県武生の人。私と同年代で、マスコミ業界にいたころからの友人だ。20代後半にその人とカニを平らげる時間を競争したことがある。その時のタイムが5分だった。福井の人はカニを食べ、さんざん飲んだ後、ソバを食べて仕上げる。カニとそばのことは福井の人にはかなわない、と思ったものだ。
ついでにその名人の話。先日電話があり、福井から金沢大学の私の職場にやってきた。会社を辞めて、農業をやるという。武生は福井市と近いので出荷がしやすい。ハウス栽培で小松菜やホウレン草などを中心に作るのだという。人生が吹っ切れた感じで、ハツラツとしたいい顔だった。「50過ぎたら自分の人生。会社や家族のためではない。これからの時間、自分の人生を刻もう」と別れた。彼とカニ食い競争をしてから、かれこれ25年ほど経っている。
⇒13日(火)夜・金沢の天気 はれ
確かにキャリーバッグはよく入る。改めてどんなモノが入っているのかチェックしてみた。1泊の出張の場合である。一日分の着替え、パソコンのACアダプター、シェーバー、くし、財布、手帳、単四電池3本、プリベイト式の乗り物カード(北陸鉄道アイカ、スイカ、地下鉄用プリベイトカード)と大学職員証)、名刺入れ、ボ-ルペン2本、マーカー(ピンク)、メモリースティック、通信用のFOMAカード、書類、ICレコーダー、デジタルカメラ、携帯電話それにモバイルPCである。重さにしてざっと10数㌔だろうか。これに、会議資料が何十セットが加わると、さらに重くなる。でも、全部一つのバッグに収納できるから不思議だ。
今月21日と22日、中越沖地震で震度6強の震災に見舞われた新潟県柏崎市を訪ねた。被災直後、同市では避難所が71カ所で開設され、ピークで9859人の被災者が避難所生活を余儀なくされた。JR柏崎駅のすぐ近くに仮設住宅が建てられていた。9万4千人の都市のど真ん中が被災地だった。
きのう19日(金)は3週目の講義だったが、ハプニングが起きた。講義タイトルは横浜国立大学・松田裕之教授の「身近に起きる生態系のリスク」。教授は羽田空港から能登空港に飛び、午後3時5分に到着予定だった。ところが、能登空港の上空まで飛行機は来たが、霧のため着陸できず、30分も上空を旋回した後に羽田に引き返した。「しかたない。今回は休講にしよう」と話し合っていた。すると、フラントインフォメーションで「再び能登空港にフライトする」というのである。その時間は、午後5時50分に羽田発で到着は午後6時30分。教授からも連絡があった。「この時間だと開始は遅れるものの授業は内容的にできる」と。「休講はしない。準備を始めよう」と教員スタッフの動きは再び慌しくなった。
生という4文字に敢えて挑むプログラムに携わっている私に友人はエールを贈ってくれたのだ。
能登半島はキリコ祭りで有名だ。秋田の竿灯(かんとう)、青森の「ねぶた」と並び称される。キリコは担ぐものだが、写真のようにキリコに車輪をつけて若い衆が押している。かつて、集落には若者が大勢いた。しかし、人口減少と担い手不足で地域コミュニティーで運営されるキリコ祭りが成立しなくっている現実がある。車を付けてでもキリコを出せる集落はまだいい方だ。そのキリコすら出せなくなっている集落が多くなっている。
たとえばこんな話。金沢の野田山は加賀藩の歴代藩主、前田家の墓がある由緒ある墓苑だ。7月の新盆ともなるとにぎやか。市街地とも近い。そんなところにクマが出る。お供え物の果物を狙って出没するのだ。だから、「お供え物は持ち帰ってください」という看板が随所にかかっている、と。もう一つ。クマは柿が大好物だ。一度食べたら、また翌年も同じところに柿を食べにくる。ある日、痩せたクマが市街地の民家の柿木に登って、無心に柿の実を食べていた。通報を受けたハンターが駆けつけたが、その無心に食べる姿を見て、「よほどお腹がすいていたのだろう」としばらく見守っていた。満足したのか、クマが木から下りてきたところをズドンと撃った。クマはたらふく食べることができてうれしかったのか、クマの目に涙が潤んでいた…。
したくないと自制心が働いて、そこそこの時間で店を出て帰宅した。
に、 drowned valley)ともいうそうだ。
(1961年映画化)の舞台となった「ヤセの断崖」の近くにある「義経の舟隠し」である。
サンマの話の続きである。サンマを七輪コンロで焼いていると、この自然学校で藍(あい)染を研究しているのグループ(市民)がやってきた。日本の伝統的な染色「あい染め」を藍の種まきから栽培、葉の収穫、染めまでを研究する女性たちのグループだ。どうすれば藍をうまく栽培できるか,染めるときのコツなど試行錯誤を繰り返し、もう5年目になる。