#コラム

★「へんざいもん」の味

★「へんざいもん」の味

 金沢大学が能登半島で展開している「里山里海自然学校」は廃校となった小学校の施設を再活用して開講している。ここでは生物多様性調査や里山保全活動、子供たちへの環境教育、キノコ山の再生などに取り組んでいる。もう一つの活動の目玉が「食文化プロジェクト」だ。

   学校の施設だったので、給食をつくるための調理設備が残っていた。それに改修して、コミュニティ・レストランをつくろうと地域のNPOのメンバーたちが動き営業にこぎつけた。その食堂名が「へんざいもん」。愛嬌のある響きだが、人名ではない。この土地の方言で、漢字で当てると「辺採物」。自家菜園でつくった野菜などを指す。「これ、へんざいもんですけど食べてくだいね」と私自身、自然学校の近所の人たちから差し入れにあずかることがある。このへんざいもんこそ、生産者の顔が見える安心安全な食材である。

   地元では「そーめんかぼちゃ」と呼ぶ金糸瓜(きんしうり)、大納言小豆など、それこそ地域ブランド野菜と呼ぶにふさわしい。そんな食材の数々を持ち寄って、毎週土曜日のお昼にコミュニティ・レストラン「へんざいもん」は営業する。コミュニティ・レストランを直訳すれば地域交流食堂だが、それこそ郷土料理の専門店なのである。ある日のメニューを紹介しよう。

ご飯:「すえひろ舞」(減農薬の米)
ごじる:大豆,ネギ
天ぷら:ナス,ピーマン
イカ飯:アカイカ,もち米
ユウガオのあんかけ:ユウガオ,エビ,花麩
ソウメンカボチャの酢の物:金糸瓜、キュウリ
カジメの煮物:カジメ,油揚げ
フキの煮物:フキ
インゲンのゴマ和え:インゲン

  上記のメニューがワンセットで700円。すべて地域の食材でつくられたもの。郷土料理なので少々解説が必要だ。「ごじる」は汁物のこと。能登では、田の畦(あぜ)に枝豆を植えている農家が多い。大豆を収穫すると、粒のそろった良い大豆はそのまま保存されたり、味噌に加工されたりして、形の悪いもの、小さいものをすり潰して「ごじる」にして食する。カジメとは海藻のツルアラメのこと。海がシケの翌日は海岸に打ち上げられる。これを細く刻んで乾燥させる。能登では油揚げと炊き合わせて精進料理になる。

  里山里海自然学校の研究員や、環境問題などの講義を受けにやって来る受講生や地域の人たちで40席ほどの食堂はすぐ満員になる。最近では小学校の児童やお年寄りのグループも訪れるようになった。週1回のコミュニティ・レストランだが、まさに地域交流の場となっている。金沢大学の直営ではなく、地域のNPOに場所貸しをしているだけなのだが、おそらく郷土料理を専門にした「学食」は全国でもここだけと自負している。

 ※写真・上は「へんざいもん」で料理を楽しむ。写真・下は文中のメニュー。赤ご膳が祭り料理風で和む

 ⇒19日(金)朝・金沢の天気   くもり

☆人形は悲しからずや

☆人形は悲しからずや

 私のオフィスがある金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」にけさ(19日)出勤すると、室内に異様な光景が広がっていた。おびただしい数の人形やぬいぐるみが並んでいたのである。「これ一体なに」。思わず叫んでしまった。

  女性スタッフの話では、記念館の入り口左側にある薪(まき)棚に置いてあった。45リットルのゴミ袋4つ分もである。今月13日にぬぐるみの入った袋の存在は確認されていたが、誰かまた取り戻しにくるかも知れないとしばらくそのままにしておいたというのだ。それから1週間近く経つので開封して並べてみたというわけだ。薪棚には木々が積まれているので、ちょっと見るとゴミの貯蔵場所に見える。そんな状況から捨てられたものと判断した。

  数えて見ると、抱き人形5、大きなもの14、小さいもの70、合計89個。プーさん人形やディズニーのキャラクターのぬいぐるみも。中にはタグシールがついたものもある。女児を持つスタッフの話では買うと数千円するものもあるとか。でも、なぜぬいぐるみは捨てられなければならなかったのか。金沢には有名な人形供養のお寺がある。愛着があるものでも不要になれば、そのお寺に持っていく人が多いのだが。

  年の瀬。経済不況を伝える殺伐としたニュースが日々流れる。おそらく、やむを得ずにこっそりと捨てられたものと想像する。というもの、女の子の名前が記されたぬいぐるみもいくつかあった。名前を消す余裕もなかったのだろう。ともあれ、このまま廃棄物として出すには忍びないと、女性スタッフたちは記念館の縁側に並べ=写真=、しばらく飾っておくことにした。

⇒19日(金)昼・金沢の天気   はれ

☆科学に「常識」はない

☆科学に「常識」はない

 科学記事がメディアに登場しておおむね50年が経つという。では、科学記事がメディアの中でどんな役割を果たしてきたのだろうか。金沢大学で私が担当している朝日新聞特別講義「ジャーナリズム論」(後期・毎週火曜3限)の第11回目(12月16日)は、尾関章氏(論説副主幹)に登壇していただき、冒頭の内容で講義していただいた。題して「理系シフト時代への社説」。以下、講義のまとめを試みる。

  教育界では子供たちの理科離れが進んでいるとよくいわれるが、メディアの世界では科学記事の割合が広がり、たとえば朝日新聞社では30年前に20人ほどだった科学担当記者は現在では50人ほどに増えている。戦後は60年安保、70年安保と大学キャンパスでも政治闘争の嵐が吹き荒れた。が、高度成長に伴ってハイテク、ロボット、宇宙、IT、新型感染症、医療・生命倫理、食の安全と危機管理、そして環境へと、メディアの記事テーマは政治・社会から科学への「理系シフト」が起きている。それが極まったのが、ことし8月の洞爺湖サミットだ。地球温暖化についての科学的な研究の収集、整理のための政府間機構であるIPCCの科学者たちが動いて、地球環境問題をサミットの主議題に押し上げたといわれる。少なくとも、政治家が地球環境問題を無視できないような状態になった。科学者のメッセージで世界が動く時代に入ったともいえる。

  メディアにおける科学記事の役割というのは尾関氏の表現だと、70年前途までは「啓蒙の時代」、公害問題が噴出した70年前後以降は「批判の時代」、そしていまは「批評の時代」に入っているという。この批評の時代というのは、たとえば04年のアメリカ大統領選挙で、中絶反対の立場に基づいて「ES細胞(受精卵から作る万能細胞)を使った再生医療の研究」に反対を表明したブッシュと、賛成だったケリーが激しく争った。生命倫理のハイテク化なのだが、これ一つをとっても早急に決を出せるテーマではない。むしろ評論や批評というスタンスで臨まないと、世論をミスリードする可能性があり、「メディアが厳に戒めなけらばならなことである」(尾関氏)。

  科学記者に必要な素養、それは10年先、20年先を読むイマジネーションなのだろう。そして、決して結論を急がない。たとえば、低炭素社会や医療の未来図をいま性急につくり上げることはできない。先に述べたアメリカ大統領選におけるES細胞をめぐる議論は発端にすぎない。議論はこれからなのである。この議論を科学記者はどうタイムリーに提供していくか、ということなのだ。

  「科学には『常識』がない」。尾関氏が講義の最後に強調した言葉である。遺伝子、代理母、クローン、原子力、捕鯨などの問題は社会通念で推し量れない。推し量れないから議論を尽くさなければならない。一方で科学のマーケットはどんどんと広がっている。それを支える公的な研究費は膨らむばかりだ。だから納税者の理解や提案、研究者との意見調整が必要だ。「科学はみんなで考える」。そんなスタンスが双方に必要になってこよう。その間に立ち、的確な記事を発信していく。科学記者が心得なければならない科学ジャーナリズムの原点ではある。

 ⇒18日(木)朝・金沢の天気    あめ

★ナメクジと危機管理

★ナメクジと危機管理

 どれほどインフラ整備を施してもフイを突かれ、パニックを起こすことがある。我が家で起きた話だが、どの家で起こりうることなのでブログに記す。昨夜(16日)、午後8時半ごろ帰宅すると我が家だけが真っ暗な状態だった。この時点でいろいろなことを想像してしまう。家人が一人もいないということは、事前の連絡がない限りあり得ない。「何か変だ」と緊張が走る。玄関ドアの鍵を開けて、そっと入る。

 想像したのは強盗が入るなどの最悪の事態。すると奥の方で懐中電灯の明かりが揺れている。「やっぱり」と思い。大声で「誰かいるのか」と凄んだ。すると奥から家内の声、「停電なの」。力が抜ける。

 数分前から停電になったという。配線用遮断器を調べると、漏電ブレーカーが落ちていた(「OFF」状態)。ブレーカーをオンにしても、カチッとならずにすぐ下に戻ってしまう。そこで、我が家の電気工事を担当した会社に電話した。勤務外時間だったが運よく電話がつながった。事情を話すと、「それでは配線用遮断器にある各室用の子ブレーカーをすべてオフにしてください。それしてから漏電ブレーカーを再度オンにして、子ブレーカーを一つ一つオンにしてみてください」という。その通りに子ブレ-カーをすべてオフにして、漏電ブレーカーを上げて、子ブレーカーをオンにしていく。すると、浴室用の子ブレーカーをオンすると漏電ブレーカーが落ちることが分かった。再度、会社に電話し状況を説明すると、「それは浴室周りの漏電ですね」といい、即来てくれた。

 浴室周りの外壁の外灯、ガス給湯機といろいろと調べ、会社の人が「あやしい」とにらんだのが、外付けのガス給湯機と直結している屋外防水コンセントだった。コンセントから電線を抜いて、配線用遮断器を絶縁抵抗器で検査をすると正常値が出て、やはりここだと分かった。同じ型の屋外防水コンセントを会社の持参してくれていたので付け替えてもらった。

 で、その原因は何か。コンセントを開いてよく見ると、長さ3ミリくらいの黒いナメクジがコンセントの中に入っていた。「ナメクジがコンセントに入ってきて電極に挟まってショートを起こすことはたまにありますよ。ナメクジは水と同じですから」と会社の人は苦笑した。外壁を伝ってコンセントの差し込み口のわずかな隙間から侵入したらしい。ナメクジは感電して死んでいた。ナメクジを指先で触ると確かに水っぽい。

 住宅を新築する際、それなりに危機管理を意識して住宅メーカーには「震度8に耐える耐震設計」「積雪3メートルの雪の重み耐える屋根設計」「耐火外壁」をお願いした。ところが、ナメクジ一匹で停電パニックが起きるとは・・・。
 ※写真は屋外防水コンセントの漏電の原因となったナメクジ(真ん中の黒)

⇒17日(水)朝・金沢の天気    はれ
 

☆病める森林に希望が

☆病める森林に希望が

 昨日(11月14日)聴講した森林をテーマにした講義に思わずのめり込んだ。「面白い。山にも希望がある」。金沢大学が主催する「能登里山マイスター」養成プログラムの「地域づくり支援講座」(能登空港ターミナルビル)。地域の再生をテーマに各界のスペシャリストを呼んで講義を聴く。今回、15シリーズの13回目は「環境に配慮し地域に密着した組合を目指して」と題しての有川光造氏の講義だった。

 有川氏が組合長を務める「かが森林組合」は日本海側で唯一FSC認証を取得している。FSC(Forest Stewardship Council=森林管理協議会)は国際的な森林認証制度を行なう第三者機関。この機関の認証を取得するには4000万円ほどの経費がかかり、毎年、環境や経営面での厳しい査察を受ける。林業をめぐる経営環境そのものが厳しいのにさらに環境面でのチェックを受けるは、普通だったら資金的にも精神的にも体力は持たない、と思う。ところが、その「逆境」こそがバネになるというのが今回の講義のポイントなのだ。

 初めて聞く言葉をいくつか紹介すると。「渓流バッファゾーン」。谷川に沿って植林がされると樹木の枝葉が茂り、谷川には光が差し込まなくなる。すると、渓流の生態系が壊れるので、川べりから5㍍は枝打ちや間伐を行い光を入れる。FSC基準ではそのバッファゾーンの毎年植生の変化を確認するという継続調査を行う。かが森林組合でも小松市や加賀市の4カ所で林内照度や植生変化の調査を行っている。次に、「境界管理」。森林には私的所有権が設定されているが、実のところオーナーが健在である場合、その隣地との境界は代々からの言い伝えで分かるが、代を重ねるごとにあいまいになり、分からなくなる。これが日本の山林の大きな問題となっている。そこで有川氏らは、GIS(地理情報システム)を導入して、GPS(人口衛星)測量を行っている。全体の図面は引けなくても、所有地の入り口だけでも何点か分かれば、あとは植林の樹齢などによってだいたいの境界の検討がつくという。これを組合が一括管理していれば、集団間伐や出荷のための伐採にはオーナーにもメリットがある。

 ロシア産の外材など海外の安価な木材の輸入で国内の林業はここ30年で低迷し疲弊した。スギ花粉などアレルギー源として都会人から森林は嫌われた。山に一歩入れば家電ゴミの不法投棄。さらに、最近のクマの出没で森林は一気に危険、暗闇の心象が広がった。こんな所には若者も来ない。経済価値もどん底。そんな病める山林、負のスパイラルが起きていた。ところが、いったん落ちた森林の価値が国際的な資源の争奪戦(経済)の中で再び起き上がってきた。ロシアが丸太の輸出に高い関税をかけ、加えて、丸太のままでは輸出しないといい始めてきた。また、インドと中国を巻き込んで、資源としての木材争奪戦が繰り広げられている。そこで、国内の木材価格がじわりと上昇している。柱となるA材はもちろんのこと、少々曲がりのあるB材でも引き合いが来るようになり、C材でもチップ化すれば製紙会社が引き取るようになった。不安定な外材より、安定供給が見込めるならば国内産のものを確保しておきたいという意識が働くようになった。

 さらに、有川氏の話で興味深かったのは、「使い物にならず野積みされている木の皮にも引き合いがくるようになってきた」と。石炭と混ぜて燃焼させることによって燃焼効率が高くることに国内の火力発電所などが注目し始めているのだ。「今後、この木の皮も市場取引される時代がくるかもしれない」と。そして、有川氏は「山には捨てるものがない。そんな時代がきたのです」と締めた。山に風が吹き始めている。

⇒15日(土)午前・珠洲の天気  はれ

★能登再生「待ったなし」

★能登再生「待ったなし」

 きょう(10月23日)、共通教育「公共政策入門Ⅱ」の授業で講義を依頼され、「大学と地域連携」をテーマに話した=写真=。学生は100人ほど。講義場所を古民家の創立五十周年記念館「角間の里」にした。ほとんどの学生はここを訪れたことがなく、「昔にタイムスリップしたみたい」「田舎のおじいちゃんの家(ち)みたい」「木のにおいがする」と天井を見上げたり、柱を触ったり。授業はこんな雰囲気で始まった。

  以下、講義の概要。大学の地域連携とは何か。国立大学の担当セクションを見渡してみると取り組み方法はインドア型とアウトドア型の2つのタイプに分類できそうだ。インドア型は、窓口を開いておいて来客があれば対応するというもの。持ち込まれた課題に関して、その課題の解決に役立ちそうな教授陣(教授や准教授)を紹介する。この方法は多くの大学で実施されていて、金沢大学でもさまざまな案件が持ち込まれる。多種多様な相談事が持ち込まれるものの、すべての案件に十分対応できるわけではない。さらに、仮に相談には乗ることができても、時間を割いて現場に足を運んでくれる熱意のある人材となるとそう多くはなく、もどかしさを感じることもままある。これは何も金沢大学に限った話ではない。

  だからといって、「大学の殻に閉じこもって、学生だけを相手にしている教授陣に地域連携なんてやれっこない」などと思わないでほしい。果敢に地域課題に取り組むアウトドア型もある。地域に拠点を設け、そこに人材を配置して課題に真っ向から取り組むタイプである。これから紹介するアウトドア型の取り組みは稀なケースといえるかもしれない。ひと言で表現すれば「大学らしからぬこと」でもある。そして、キーワードを先に明かせば、「連携効率」と「連携達成度」、そして「ビジョン」と「仕掛け」の4つである。

  能登半島の先端にある石川県珠洲市三崎町。廃校となった小学校を再活用した「能登学舎」で07年10月6日、社会人を対象にした人材養成プログラムの開講式が執り行われた。開講式では、受講生も自己紹介しながら、「奥能登には歴史に培われた生活や生きる糧を見出すノウハウがさまざまにある。それを発掘したい」「能登の資源である自然と里山に農林水産業のビジネスの可能性を見出したい」などと抱負を述べた。志(こころざし)を持って集まった若者たちの言葉は生き生きとしていた。あいさつと看板の除幕という簡素な開講式だったが、かつて小学校で使われていた紅白の幕を学舎の玄関に張り、地元の人たちも見守ってくれた。5年間に及ぶ金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムはこうして船出した。では、このプログラムは地域連携を通じて何を目指して、どのようなビジョンを描いているのか述べてみたい。

  まず、能登の現状についていくつか事例を示す。能登半島の過疎化は全国平均より速いテンポで進んでいる。とくに奥能登の4市町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の人口は現在8万1千人だが、7年後の2015年には20%減の6万5千人、65歳以上の割合が44%を占めると予想される(石川県推計)。この過疎化はさまざまな現象となって表出している。能登半島では夏から秋にかけて祭礼のシーズンとなる。伝統的な奉灯祭はキリコを担ぎ出す。キリコは本来担ぐものだが、キリコに車輪をつけて若い衆が押している。かつて集落に若者が大勢いた時代はキリコを担ぎ上げたが、いまは人数が足りずそのパワーはない。車輪を付けてでもキリコを出せる集落はまだいい。そのキリコすら出せなくなっている集落が多くあり、社の倉庫に能登の伝統的な祭り文化が眠ったままになっている。

  さらに、07年3月25日の能登半島地震。マグニチュード6.9、震度6強。この震災で1人が死亡、280人が重軽傷を負い、370棟が全半壊、2000人余りが避難所生活を余儀なくされた。自宅の再建を断念し、慣れ親しんだ土地を離れ、子や孫が住む都会に移住するお年寄りも目立つ。能登の過疎化に拍車がかかっている。能登の地域再生は「待ったなし」の状態となった。(次回に続く)

 ⇒23日(木)夜・金沢の天気   あめ

☆屋下に屋を架す

☆屋下に屋を架す

 金沢大学では地域連携推進センターのコーディネーターという仕事を頂いている。この仕事の前例やマニュアルはないので、すべて手探り、自らイマジネーションを膨らませて行動に移している。では地域連携とは何かを考えてみる。

   2004年の国立大学法人化をきっかけに、大学の役割はこれまでの教育と研究に社会貢献が加わった。大学によっては、「地域連携」と称したりもする。金沢大学もその担当セクションの名称を地域貢献推進室(02-04年度)、社会貢献室(05-07年度)、地域連携推進センター(08年度~)と組織再編に伴い変えてきた。民間企業だと、さしあたりCSR推進部といったセクション名になるだろう。CSRは企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)をいい、企業が利益を追求するのみならず、社会へ与える影響に責任を持ち、社会活動にも参加するという意味合い。しかし、よく考えてみれば、大学はもともと利益を追求しておらず、本来の使命は教育と研究であり、そのものが社会貢献である。金沢大学でも社会貢献セクションの設立に際して、「大学の使命そのものが社会貢献であり、さらに社会貢献を掲げ一体何をするのか」といった意見もあったようだ。

  同じことを旧知の新聞記者からも聞いた。「新聞社にはCSRや社会貢献という発想は希薄だと思う。もともと社会の木鐸(ぼくたく)であれ、というのが新聞の使命なので、仕事をきっちりやることがすなわち社会貢献」と。この意味で大学が社会貢献を標榜することは「屋下に屋を架す」の例えのようにも聞こえ、それより何より個人的には気恥ずかしさを感じる。むしろ、地域連携とうたった方がシンプルで分りやすいと思っている。

  他の国立大学を見渡すと、社会貢献あるいは地域連携にはまなざまなカタチがある。大別して2パターン。多くの場合は、地域から大学に持ち込まれた課題を専門の研究者に橋渡しすること。たとえば、金沢大学でも「砂浜が細った。よい手立ては」「特産の野菜は昔から糖尿病によいといわれてきたが、医学的な見地から分析してください」「過疎高齢化の地域の交通問題を解決したい。大学の教授に諮問委員になってもらいたい」などいろいろな課題が地域のNPOや自治体から持ち込まれる。橋渡し、あるいはマッチングで解決できない大きな問題もある。それは地域再生だ。地域全体を浮揚させる策である。もう一つのパターンはこれにがっぷり四つになって取り組むことだ。

  事例を紹介しよう。北海道のある工業大学は、国の公共事業が先細りになって土木建設業者が喘いでいるのを何とかしようと、ある提案を地域に投げた。土木機械の優れた操作技術を持った人材を農業人材に振り向けようという提案だ。現場監督クラスに農業の基本を教え、その機械と操作技術を農業に生かす試みである。試行錯誤を繰り返しながらこのプログラムは成功している。土木にはないと悲観していた若手が飛びついた。農業という新しい分野に進出できるチャンスがめぐってきたからだ。

  2パターンのうち前者をインドア型とすれば、後者は積極的に地域に打って出るアウトドア型である。では、金沢大学は何をしているのか。それは次回述べる。

 ⇒19日(日)午前・金沢の天気   はれ

★おいしい話

★おいしい話

 「地域のニーズ(要望)を研究のシーズ(種)に変える」。大学で社会貢献を担当する者にとってこんなにおいしい話はない。地域の課題解決そのものが大学の研究となって実を結ぶのだから一挙両得とも言える。

  先日、石川県から「ヘルスツーリズム」の研究委託を受けた准教授(栄養学)から相談があった。「能登の料理を研究してみたいのですが・・・」と。委託したのは県企画振興部で、健康にプラスになるツアーを科学的に裏付けし、新たな観光資源に育てるという狙いが行政側にある。キノコや魚介類など山海の食材に恵まれた能登は食材の宝庫だ。准教授の目の付けどころは、その中から機能性に富んだ食材を発掘し、抗酸化作用や血圧低下作用などの機能性評価を行った上で 四季ごとにメニュー化する。能登の郷土料理でよく使われる食材の一つであるズイキの場合、高い抗酸化作用や視覚改善作用が期待されるという。

  以前、能登半島にある珠洲市から食育事業に大学の知恵を貸してほしいとの依頼があり、郷土料理のレシピ集の作成をお手伝いした。金沢大学が設立した「能登半島 里山里海自然学校」の地域研究の一つとして、地元の女性スタッフが100種類の郷土料理を選び、それぞれレシピを作成するという作業を始めた。その手順は①普段食べている古くから伝わる家庭料理を実際に作り写真を撮る②食材や料理にまつわるエピソードや作り方の手順をテキスト化し、写真と文をホームページに入力する③第三者にチェックしてもらい公開する‐という作業を重ねた。普段食べているものを文章化するというのは、相当高いモチベーションがなければ続かない。スタッフは「将来、子供たちの食育の役に立てば」とレシピづくりに励んだ。それが1年半ほどで当初目標とした100種類を達成。それなりのデータベースとなり、同市の学校給食や、PTAによる食育イベントに生かされるようになった。

  准教授はこのレシピづくりの経緯を知って、県から依頼されたヘルスツーリズムの研究に生かしたいと協力を申し入れてきたのだ。こうして地域の食育事業の支援、郷土料理のレシピづくり、そしてヘルスツーリズムの研究へと一連の流れが出来上がった。こんな「おいしい話」ばかりだとよいのだが…。

 ⇒18日(土)午後・金沢の天気   はれ

☆「パラダイス鎖国」

☆「パラダイス鎖国」

 「パラダイス鎖国」という言葉を初めて聞いた。10月10日夜、能登空港4F講義室で開かれた金沢大学「地域づくり支援講座」で、ゲストスピーカーの金子洋三氏(元JICA青年海外協力隊事務局長、社団法人「青年海外協力協会」会長)が使った言葉だ。「青年海外協力隊のボランティアに応募する若者が減っている。パラダイス鎖国という言葉がありますが、日本に安住して、外に向かって何か挑戦しようという意識が薄れているのかもしれない」と述べた。

  もともとは、ことし3月に出版された「パラダイス鎖国  忘れられた大国・日本」 (海部美知、アスキー新書)のタイトルから引用された言葉だ。ことし1月のダボス会議で、「Japan: A Forgotten Power?(日本は忘れられた大国なのか)」というセッションが開かれ、国際的に日本の内向き志向が論議になったという。高度経済成長から貿易摩擦の時代を経て、日本はいつの間にか、世界から見て存在感のない国になってしまっている。その背景には、安全や便利さ、そしてモノの豊かさ日本は欧米以上になり、外国へのあこがれも昔ほど持たなくなったことがある。明治以来の欧米に追いつけ追い越せのコンプレックスは抜け切ったともいえる。ハングリー精神とかチャレンジ精神という言葉は死語になりつつあり、リスクを取らないことが美徳であるかのような社会の風潮だ。これでは人は育たず、社会も会社も停滞する。

  古代ローマ帝国が滅亡もしたのもこうした社会の活気が減退したのが原因といわれていいる。ローマ市民や、ローマに奉仕した属州民の特権であったローマ市民権を属州のすべての人々に無条件に与えたことで、ローマ市民権の価値が下落して、地中海最強とうたわれたローマの重装歩兵のアイデンティティ(自負心に根ざしたローマ防衛の意志)も拡散してしまった。また、ローマ市民としての歴史性と自尊心を持つ兵士の数が減少したことにより、ローマ軍の質的な低下を招いた。さらに、ローマ市民内部に固定的な経済階層が生まれたことで、経済の活力や市民の上昇志向は衰退したといわれる。

  パラダイス鎖国が産業面で蔓延したらどうなるのか。ブロードバンドのインフラで世界に先行しているにもかかわらず、ITの新興勢力となる企業はどこにいるのか見えない。高品質、高性能、先進的というジャパン・ブランドは確かに健在であるものの、売れているのは日本だけで、海外では押されているのではないか。ソーラー発電のパネルなどかついてはお家芸といわわれた分野がいまではワン・オブ・ゼムではないのか。このままでは日本はいずれパラダイスですらなくなる。※写真は古代ローマ帝国のコロセウム

 ⇒12日(日)夜・金沢の天気    くもり

★能登の旋風(かぜ)-7-

★能登の旋風(かぜ)-7-

 2005年4月にスタートした「自在コラム」はきょうで500回を数える。簡単な統計を算出してみる。月換算(42ヵ月)で平均11.9回を掲載。ざっと3日に1回という計算。スタート当初は毎日書いていたが、ここ1年はサボリが多くなっている。アクセス数は昨日(29日)は98、ページビューは385だった。42ヵ月の平均値はデータがないので出せないが、毎日平均アクセスはざっと80ほどか。意外な人から突然に「先日のコラムで書かれていた○○さんの話の中で…」と質問され面食らうこともある。いろいろな方に読んでいただいている、というのが実感だ。

         次なるステップへ

  さて、シリーズ「能登の旋風(かぜ)」は里山里海国際交流フォーラム「能登エコ・スタジアム2008」のイベントで拾った話題を紹介している。9月13日から17日にかけての「能登エコ・スタジアム2008」は3つのフォーラム、6つのプログラム、1つのツアーから構成されていたが、17日にシニアコース(シニア短期留学)の修了式をもって、すべてのメニューを完了した。また、同日は生物多様性条約のムハマド・ジョグラフ事務局長の能登視察も終了した。一連のイベントメニューの中でのVIP視察だった。

  今回のイベントは、キックオフシンポ(13日)であいさつに立った中村信一金沢大学学長も谷本正憲石川県知事も強調したように、2010年の国際生物多様性年に向けての予行演習の意味合いもあった。ひとまずはホップ、ステップ、ジャンプのホップを踏んだわけだが、もう次なるステップへ向けて動き出している。2009年の能登エコ・スタジアムの持ち方、それを2010年の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の関連イベント「金沢セッション」「能登エクスカーション」に結びつけるかについての方向性だ。無から有を生じさせる、前例なき模索でもある。

  今回のイベントで印象に残った2枚の写真。持続可能なこと、それは地下に封じ込められた化石燃料を掘り出して、燃焼させ、二酸化炭素を排出することではない。二酸化炭素を吸収し、光合成によって成長した植物をエネルギー化すること。里の生えるススキ、カヤ類を燃料化する試みが始まっている。それらをペレット化して燃料、あるいは家畜の飼料にする。奥能登では戦後、1800haもの畑地造成が行われたが、そのうち1000haが耕作放棄されススキ、カヤが生い茂っている。それをなんとかしたいとの発想でバイオマス研究から実用化の段階に向けて試行が続いている。能登エコ・スタジアムのコース「バイオエコツーリズム」ではその試みに興味を持った若者たちが大勢集まってきた。そして実際にススキを刈り取り、ペレット化を体験したのである。上の写真はその刈り入れの様子だ。地域エネルギーの可能性を感じさせる光景に見えた。

  もう一枚は生物多様性条約事務局長のアハメド・ジョグラフ氏。COP10の能登エクスカーションの視察で輪島市金蔵地区を訪れた=写真・下=。里山に広がる棚田、そして律儀に働く人々の姿を見たジョグラフ氏は「日本の里山の精神がここに生きている」と痛く感動したのだった。精神論ではなく、この里山に多様な生物が生息しており、自然と共生し生きる人々の姿にジョグラフ氏は感動したのだ。このジョグラフ氏の感動をそのまま2010年の国際生物多様性年への取り組みとして具体化させることになる。

 ⇒30日(火)夜・金沢の天気    くもり