#コラム

☆過疎地がホープ・ランドに

☆過疎地がホープ・ランドに

 「過疎の村を応援するミュージカルがある。地球温暖化や生物多様性もその内容」と聞いて、ミュージカルとしては骨っぽいと興味がわいて、先日(1月10日)、金沢市文化ホールに観劇に行ってきた。ざっと500人の入り。環境という地味なテーマの割には多いと思ったら、環境保全に取り組んでいる大手住宅メーカーがしっかりとスポンサーについていた。

 なかなかの深みのあるストーリーだった。公演は、劇団ふるさときゃらばん(東京都小金井市)による「ホープ・ランド(希望の大地)」=チラシ・写真=。地球温暖化で、海に沈んでしまった赤道直下の島・モルバルの人々が手づくりの船に乗ってニッポンにやってくる。酋長がニッポンの友人、実業家オカモトから、過疎というニッポン特有の病気で、見捨てられ、荒れはてた山里があると聞いたからだ。過疎という病はニッポン人しから罹らず、モルバル人には感染しないから大丈夫と、夢と希望を持ってやってくる。南国の底抜けに明るい人たちだ。

 ニッポンの山里ムジナモリに無事着いたモルバル人たち12人は荒れ果てた限界集落の様子にカルチャーショックを受けながらも、島での経験から緑を育む大地と水と太陽の光があれば人間は生きていけると信じている。一方、過疎の病に罹ったニッポン人たちは、山里では仕事(工場やオフィス)がないのでお金が稼げず生きていけないないと思い込んでいる。ムジナモリの村の長(おさ)トンザブロウ夫妻の指導でモルバル人たちは荒れた棚田や畑を耕してコメや大豆をつくり、山の下刈りをして山菜やキノコが出る豊かな里山をつくり上げていく。順風満帆のシーンだけではない。イノシシに棚田が荒らされ、深刻な状態に陥って、「イノシシとの戦争」を始める。さらに毒キノコにあたって踏んだり蹴ったりの場面も。この毒キノコのシーンでは、山仕事が大好きだが、モルバル人に先祖伝来の田畑を耕させることを良しとしない、頑固者のガンちゃんの悪巧みが明かされる。

 そんな緊張した物語がありながらも、実業家オカモトがイノシシの肉を販売するショップを提案したり、水車を利用した発電でテレビが見れるようになったり。そしてトンザブロウの息子シュンスケがモルバルの娘と恋仲になって、過疎の村ムジナモリは少しずつホープ・ランドになっていく。

 ミュージカルとはいえ、生物多様性に対する考えがしっかり入っている。オカモトの秘書マリコは都会育ちで、木の下刈りの場面では「緑は切らずにそのままにしておいた方がよいのでは」と釈然としない。それに役場の職員(合併して市職員)のコウジまでもが同調したので、トンザブロウはコウジの頭をコツンを叩いて、「おめえまで何いっている」としかるシーンがある。山は「弱肉強食の世界」で、放っておけば荒れて光が入らなくなり植物の多様性が失われる。イノシシやカモシカ、クマが里に降りてくるのもヤブと化した里山を動物の領域と勘違いして出没するのだ。うっそうとした山は若返りがきかないので二酸化炭素の吸収力も弱い。「豊かな山は人がつくっている」とトンザブロウは諭す。

 さらに、なぜイノシシが棚田を荒らすのか、という疑問に答えている。イノシシの好物はミミズ。そして、イノシシが泥地で転げ回って体に泥を塗る場所を「ぬた場」という。泥まみれになった後は近くの木で体を擦り、毛並みを磨く。つまり水田はイノシシにとってお風呂になのだ。ミュージカルとして盛り上がってくるのは「イノシシとの戦争」のシーンからだ。

 個人的には満足度は高かった。「地球温暖化を大人と子供と一緒に考える」とチラシにあり、親子連れの姿も多くあった。しかし、私の横に座った小学生たちには恐らく言葉もシーンも断片的にしか理解ができなかったのか、所在なげで落ち着かなかった。また、モルバル風にアレンジした日本語のしゃべりがお年寄りには聞き辛かったかも知れない。熱心に鑑賞していたのはお母さんたちだった。

⇒12日(祝)午前・金沢の天気   ゆき

★金蔵というところ

★金蔵というところ

 能登半島にある輪島市の金蔵(かなくら)という在所は不思議なところだ。緩やかな傾斜の棚田と5つの寺がある。人口は160人ほど。時がゆったり流れているようなそんな空間なのだ。ただ、日本人のDNAを呼び覚ますかのような強烈な原風景が目に飛び込んでくる。「そこにたたずむと涙で目が潤む」と金蔵を初めて訪れた知人が言った。その金蔵が「にほんの里100選」(朝日新聞社、森林文化協会主催)にこのほど選ばれた。推薦した身としては、「選ばれた」ということが素直にうれしかった。

 朝日新聞のホームページで自薦・他薦の募集があったのは07年12月のこと。大学でかかわっている「角間の里山自然学校」の名前で申請した。推薦文は以下のような短文だった。

「能登半島の山間地。棚田が広がり、160人余りが住む。集落に寺が5つあり、寺と棚田の風景は日本の里山の原風景のよう。8月に万灯会が催され、2万本のロウソクがともされる。人々は律儀に田を耕し、溜め池を守っている。その溜め池にはオシドリがやってくる。夜の星座が近くに見える。そして、人々は道で出会えば、見知らぬ人にも軽く会釈をする。「能登はやさしや土までも」と言われるが、金蔵の人々にはそんなやさしさが感じられる。古きよき日本の風景と人が残る里である。」(推薦文・07年12月29日)

 選定の記事が掲載された6日付の紙面を読むと、全体で4474件の応募があったようだ。候補地としてはおおよそ2000地点。書類審査、現地調査を経て100に絞り込まれた。その選定の基準となったのが「景観」「生物多様性」「人の営み」の3点。冒頭のようなノスタルジックな原風景だけではなく、生物多様性という環境的な視点や、人の営みという持続可能な社会性が必要とされた。金蔵の場合、地元のNPOが中心となって、はざ干しによるブランド米の取り組みやお寺でのカフェの営業、ワンカップ酒の小ビンを2万個も集めた万灯会の催しなど棚田と寺を活用した地域づくりに熱心だ。金蔵の人たちと話していると、人間関係が砂のように希薄となった1万人の町よりも、金蔵の160人の方が生き生きして勢いがあるのではないかと思ったりもする。万灯会ともなると百人近い学生たちがボランティアにやってくる。

 この土地には歴史の語り部、世話好きがいて、そしてよそ者や若者が集まる。金蔵はそんなところである。

⇒7日(水)午後・金沢の天気  くもり

☆時代の先端に立て

☆時代の先端に立て

 元旦に届いた年賀状。パソコンで加工できるようになり、さまざまに工夫が凝らされカラフルに、そしてメッセージ性にあふれたものが多くなったように感じる。動物写真家F氏からもらったものは、寝そべったニホンカモシカがじっとこちらを睨んでいる凄みのある画像が印刷されていた。国際ジャーナリストのK氏からは中国・四川大地震の取材で最も震源地に近い映秀の被災現場をバックに撮影した自身の姿がプリントしたものをもらった。そして、「今年も《この国の行方》と共に、中国、朝鮮半島の《現場》を取材したいと思っています」と抱負が記されてあった。それぞれが体を張って現場に、あるいは最先端に立っているのだ。

  さまざまなジャンルの職業の方々から年賀状が届いた。が、グチがこぼれていた業界もあった。新年のあいさつなので、新年早々から「グチはこぼさない」のが通り相場なのだが、どうやらテレビ業界は「グチをこぼさないとやっていられない」といった感じだ。旧知のあるローカル局の幹部からは「閉塞感漂うTV業界です。ローカルの役割が見直されて欲しい時代です」と、また、別の局の若手からは「厳冬のTV業界で寒さがひとしおです」とそれぞれ添え書きがしてあった。また、これはグチではないが、他の局の若手からは「テレビの世界も激動の時代に入りました。地方局として存在感を持ちたいと思います」と覚悟のほどが伺えた。ため息が漏れるのも、過日の「株価に見るテレビ業界」で述べたように、キー局、準キー局ですら中間決算が赤字となっていて、ローカル局も相当厳しい数字になっているからだろう。

  気持ちは理解できる。むしろ、閉塞感、厳冬、激動の時代だからこそテレビ業界は時代の先端に立ってほしいと思うのである。たとえば環境問題。テレビ局は「装置産業」といわれるほど編集、CM送出、送信などのために巨大な装置(システム)を構築し、電気を使っている。環境のためにカーボン・ニュートラルの発想で、二酸化炭素(カーボン)を相殺(ニュートラル)するための植林活動を率先して行ったらどうだろうか。テレビ局は環境問題に対し「啓発番組」をつくればそれで事足りるという傾向がある。テレビ局の社会的責任(CSR)というのはそれだけに留まらない。番組を放送すると同時に率先垂範しなければ、視聴者は「本気」とみなさないのである。つまり、信用を得ることにはならない。

  デジタル化にしても、放送画面はハイビジョンでクリアにはなったが、ワンセグ放送やデータ放送による視聴者との双方向性はどうなったのだろうか。コンテンツに革新性がなく、視聴者からはすでに飽きられているのではないか。もし、こんなことのために2011年7月24日にデジタル波へ完全移行するとなると、視聴者から「割に合わない」と大ブーイングが起きそうな気がする。デジタル放送が実感できるような放送イノベーションを起こしてほしいと願う。

  もう一つ。地域の放送局は地域のためのメディアであることを前提に国から放送免許をもらっている。ところが、地域に根ざした自社制作番組はどうだろうか。すべての局とはいわないが、各局とも自社制作番組の本数、あるいは自社制作比率が減っているのではないだろうか。そして、この経営状態が厳しい中では、「番組をもっとつくろう」という制作サイドの意欲さえ削がれているのではないか。最先端のメディアであるテレビ局が時代の先端に立たず、「内こもり」になることを危惧する。

  試しに、コストをかけずに番組をつくり、環境保護活動に全社員が参加する。そんなキャンペーンを張ってみたらどうだろうか。まず一点突破で実践してみる。そこから拓かれる知恵もある。

※【写真説明】トキ、ニホンカモシカ、タヌキと今年の年賀状にネイチャー志向が見える。

 ⇒2日(金)午後・金沢の天気   くもり

★喜べないレギュラー99円

★喜べないレギュラー99円

 大晦日、恒例の我が家の大掃除で私の役目は三つあった。一つは換気扇の掃除。ファンにこびりついた油分との闘いなのだが、パーツをばらして組み立てるのに時間がかかる。ガスレンジを覆うようにして天井から吊り下げるタイプの換気扇でボルトやビスのたぐいがやたらと多い。掃除をする人の身になって製造されていないと毎年、憤慨している。二つめが台所のシンクと排水パイプをつなぐL字状のつなぎ目の掃除。最後に愛車のガソリンを満タンにして終わりだった。今回のブログのテーマは大掃除ではない。ガソリンだ。

 31日の夕方、いつも利用する金沢市内のガソリンスタンドに向かった。電飾看板の「レギュラー99円」の文字が目に飛び込んできた。先の夏ごろまでは1リットル180円もした。幾分安くなったとはいえ、これまで5000円札を入れて、30数リットルしか入らなかった。それが徐々に下げて、先日は1リットル105円で入れた。それがあっさり100円を割ったのである。「現金会員」という条件つきでの「レギュラー99円」ではあるものの、円高を実感した。家計が助かる。

 しかし、ガソリンが安くなって、これで安心だろうか。そうではない。「レギュラー180円」を経験した消費者心理というものはそう簡単に警戒心を解かないものだ。では、消費者心理はどこに向かっているのかというと、燃費のよいハイブリッド車への買い替えにシフトしている。安くなったからといって、いまさら燃費性能のよくない大型車を乗り回す気にはなれない。ただ、燃費のよい大型車には関心は向くだろう。これは何も車だけではない。洗濯機や冷蔵庫など家電製品でもデザインやブランドではなく、たとえば洗濯機ならば水が節約できて、消費電力が少ないものを選ぶようになってきた。

 ガソリンの高騰は家計を直撃しただけではなかった。石油という地球資源がどれほど貴重なものか身にしみて分かったのである。さらに、二酸化炭素と地球温暖化という問題にだれしもが関心を持つようになった。去年7月に金沢を直撃したゲリラ雨(3時間で254㍉、5万人に避難指示)などは、地球温暖化による気候変動を連想させた。ゲリラ雨は金沢だけでなく全国的に猛威を振るっている。「自然からの警告」と受け止められるようになったのではないだろうか。

 ここで話はアメリカに飛ぶ。ピックアップトラックなど燃費性能が劣る大型車を中心に生産してきたビッグスリーは破綻が懸念され、公的支援を受けることになった。が、果たして蘇生できるのだろうか。低所得者に住宅ローンを組ませ、その債権を束にして証券化するといったサブプライムローンの行き詰まりがビッグスリーの経営にも影響を与えたかのようにいわれるが、それ以前から破綻の懸念は指摘されていた。ここ数年のアカデミー賞では、リムジンではなくハイブリッドの日本車でやって来てくるハリウッドスターが増えている。レオナルド・デカプリオはその代表選手だ。すでに、かっこよさの基準がアメリカでは崩れつつあったのだ。

 では、その日本車のシンボル、トヨタはどうか。確かに年の瀬に6000億円の黒字から1500億円の赤字決算の大幅修正があり、世界を驚かせた。トヨタの赤字の理由は「無理なグローバル化」にあったといわれている。世界各地に50近くもの工場を稼動させている。アメリカではピックアップトラックの生産販売もしている。ただ、トヨタの場合は2兆円ものキャッシュによる内部留保があり、ビッグスリーにように「赤字決算=経営危機」という図式にはならない。「売れる車」「つくるべき車」とそうでない車の選別作業と製造ラインの再構築が始まるのだろう。

 「レギュラー99円」。円独歩高の恩恵である。家計は助かるが、素直に喜べない背景を大晦日に考えてみた。さて新年。総選挙、経済不況とすべての案件が年越した。未来をあきらめてはいけない。これから社会の変革が始まる。ピンチはチャンスである。

⇒1日(祝)未明・金沢の天気  くもり

☆寝まり牛起きて猛進す

☆寝まり牛起きて猛進す

 これから世界を変えていくのは、おそらく「100年に一度」の経済不況だ。この状況は従来の価値観を崩し、イノベーションを起こす転機になるだろう。この変革は発想の転換をわれわれに迫る。都市集中から地域分散へ、化石燃料からバイオマスや太陽光などの新エネルギーへ、外需頼みから内需喚起へ、そしてグローバルな市場主義から地域経済主義へと発想の切り替えだ。面白いことに、さまざまな企業が農業参入を試み、そして農と商と工の連携を模索している。地域や里山や里海というフィールドに人々が再び復帰する。近い将来そんな日がくるかもしれない。

 「金沢大学の地域連携」の一年を振り返る。大きく三つある。一つは、能登半島に大きく展開したということ。二つには、生物多様性条約第9回締約国会議(CBD-COP9、ボン)に参加し、石川県と国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットなどと連携して、COP10関連会議の誘致に向けて足がかりをつくったこと。三つ目として、里海とトキの研究事業に新たに着手できたということだ。

 一つ目の能登半島に展開するプログラムでは、「能登半島 里山里海自然学校」と「能登里山マイスター」養成プログラムに加え、大気観測・能登スーパーサイト(黄砂研究)のチームが能登学舎に仲間入りし、能登における環境研究は3本柱となった。このほかにも能登で展開する研究チームと協力体制をつくり、「能登オペレーティング・ユニット」といった学内機構化を目指すバックグラウンドができた。こうした研究プログラムを地域に紹介し理解と協力を得るため、11月から12月にかけて輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の4ヵ所で地区懇談会も開催した。あわせて190人の参加があり、援軍を得た喜びがあった。

 石川県と国連大学高等研究所オペレーティング・ユニットとの関係構築も大きな一歩だ。2010年のCOP10では関連会議を誘致するが、それに先立って生物多様性条約事務局(カナダ・モントリオール)のアハメド・ジョグラク事務局長を能登視察(9月16日、17日)に招待できた。1泊2日で能登を回ったジョグラフ氏は輪島市金蔵(かなくら)地区で棚田で稲刈りをする人々の姿を見て、「日本の里山の精神をここに見た」と高く評価したのだった。金蔵はいわゆる限界集落の村。それでもよき日本の里山の景観を維持し、自然と調和しバランスを保っている。

 これまで里山の生物多様性や保全活動などを通して地域とかかわってきたが、里海にも目を向けた。手始めは「七尾湾創生プロジェクト」(環境省の事業助成)。これも大学単体ではなく石川県、国連大学高等研究所オペレーティング・ユニットなどと協働して進める。来年2月22日には環境省などとシンポジウムを開催する段取り。また、トキの分散飼育地に石川県、島根県出雲市、新潟県長岡市の3ヵ所が選ばれた(12月19日)。石川県能美市の「いしかわ動物園」に来年度、2つがい4羽のトキがやってくる。中村浩二教授が研究代表となり、トキが能登で生息するための生態学的な調査、地域合意形成のための調査を県からの委託で始めている。能登は本州最後の1羽のトキがいた場所だ。「まだ、生態学的な環境は十分残されている」と中村教授は強調する。環境に配慮した農林業が広まることでトキが生息する環境は再生できる。「トキが再び能登の空を舞う」をキーコンセプトに地域との連携を図っていく。

 来年は「能登半島における里山里海復権と持続可能型の地域再生」をさらに追求していきたい。この復権という意味合いはそこで人の生業(なりわい)が成立する、端的にいえばビジネスができるということである。われわれはよく「自然との共生」を口にする。が、目指すべきはむしろ「自然との調和と活用」だろう。活用しなくなったから里山や里海が荒れた。つまり自然が持つ価値が失われた。もう一度、そこに価値を見出すことが必要になってきた。それが復権への行程の一歩だ。

 「寝まり牛」は起きて猛進する…。新年をそんなダイナミックな変革の年にしたい。文章は少々粗いが、備忘録として書いた。

※写真は、伝統工芸のテーマパーク「ゆのくにの森」(小松市)で展示されている牛をモチーフにした竹細工

⇒31日(水)朝・金沢の天気   あめ

★株価に見るテレビ業界

★株価に見るテレビ業界

 株価が市場のバロメーターなら間違いなく「恐慌」ではないか。きょう(30日)の東京株式市場で日経平均株価の終値は8859円となり、前年の終値と比べて42%安となった。年間の下げ幅としては、バブル経済が崩壊した1990年のマイナス38%だった。ことし9月のアメリカのリーマン・ブラザーズの破綻以降、株価は日本でも大きく売られる展開となり、10月27日には1982年10月7日以来、26年ぶりの安値となる7162円まで下落した。しかし、メディアは「国民の不安心理を煽る」として「恐慌」の文字を使わないようにしている。が、数字は強烈に物語っているではないか。

  それではメディアの株価を見てみよう。テレビ朝日を例に見てみる。1年前は18万円台。きょうの取引値は12万500円。ここ3ヵ月で見れば10万円台もある。TBSも2500円台が1364円。視聴率が5年連続して3冠王(ゴールデン、プライム、全日)のフジにしても、1年前18万円台だった株価がきょうは12万8100円だ。軒並み落ち込んでいる。

  では、来年の展望はどうか。正直言って、明るい材料はない。先月、民放キー局は中間連結決算を発表したが、テレビCM(スポット、タイム)が落ち込んでおり、日本テレビは37年ぶりに純損失(12億円)を計上した。とくにスポットCM収入は化粧品、飲料、自動車の分野が落ち込み、日本テレビの場合は前年同期比49億円の減の470億円。ざっと10%のマイナスである。下半期期はもっと厳しい数字だろう。

  テレビ業界全体ではテレビCM収入は減ってはいるが、番組外収入を伸ばしているところもある。先に述べたテレビ朝日の場合、スポット収入は10%減の440億円だが、映画「相棒~劇場版~」のヒットや「ケツメイシ」などの音楽出版事業で落ち込み分をカバーしたかっこうだ。異色なのはTBSだ。売上高を2ケタ増の12%余り伸ばし1784億円だった。実はスポット収入は16%も減っている。では何でカバーしているのか。不動産収入が寄与している。輸入生活雑貨店「プラザ」などを傘下に持つスタイリングライフ・ホールディングスの株式を取得、連結子会社化したことがプラスとなったほか、「赤坂サカス」関連の不動産事業が寄与し、増収を確保した。不動産収入で足場を固めるTBSは通期の売上高を前年比17%増の3700億円と見込んでいる。

  話はTBSに偏るが、売上高を通期で17%増やすのなら株価はこのご時勢だから上がってもよいはず。そこで株価チャートを読んでみると、中間決算の発表は11月5日。TBSの「売上増」の発表を見込んで、その10日ほど前から株価は値上がりし、中間決算発表の翌日6日には1800円台をつけた。ところが、7日からは再び続落し、一時1200円にまで落ちた。なぜか、業績はそれほどよくはならないという市場の読みだろう。

 11月12日、テレビ業界にさざ波が立った。トヨタ自動車の奥田碩相談役が政府の有識者会議「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」で、年金記録問題などで厚労省に対する批判的な報道が相次いでいることについて、「朝から晩まで厚労省を批判している。あれだけ厚労省がたたかれるのはちょっと異常。何か報復でもしてやろうか。例えばスポンサーにならないとかね」とメディアへの不満をあらわにしたのだ。会合の最後になっても「個人的な意見だが、本当に腹が立っている」と厚労省に関する報道への不満を切り出し、こうした番組などからのスポンサー離れが「現実に起こっている」と述べた(産経新聞インターネット版)。

  企業首脳のテレビ批判はよくある話だ。ところが、テレビ業界ではこれが現実になるかも知れないと危機感を募らせる向きもある。12月22日、トヨタが通期の営業損益予想を6000億円の黒字から1500億円の赤字に大幅修正する発表をしたからだ。今後、トヨタは「黒字」に転換する方法を必死に模索するだろう。そこで取り沙汰されているのが、広告宣伝費の大胆な削減。現在トヨタ単体の広告宣伝費は1000億円余り。どのテレビ局を見ても最大の広告主=スポンサーはトヨタだ。これだけメジャーな企業になると、「1年間の広告宣伝費をゼロ」にしても、トヨタの名声に傷がつくことはない。ユーザーのトヨタに対する認知が下がることもない。「かつてない緊急事態」。渡辺捷昭社長がコメントしたように、相当思い切った手を打ってくるに違いない。ホンダも1900億円の赤字見通し。奥田氏の言葉が現実になるかもしれないのだ。テレビ業界の広告費は年間2兆円ほど。これが急速にしぼみ始める。

  不動産収入など放送外事業でテコ入れしても、広告収入の減少を補うのは難しいのではないか。ちなみに、不況感が強まっている関西地区の朝日放送、毎日放送、関西テレビ、読売テレビの4社の中間決算は営業損益、純損益ともに赤字に転落した。「発掘!あるある大辞典」で捏造問題を引き起こした関西テレビは落ち込んだ広告収入が回復せず、売上高は前年比15%のマイナス。通期も営業赤字の見込みという。

  こうなるとテレビ局も守りの態勢に入る。つまり大幅に番組制作費を減らすのである。中間決算で純利益を45%も減らしたフジは上半期で番組制作費を前期比で60億円削減。今後3年間で設備投資額を100億円減らすという。先日、TBSは来年春の番組改編で、ゴールデンタイムでの大型ニュース番組(平日午後5時50分-7時50分)を制作すると発表した。ゴールデンタイムにニュース番組を持ってくる試みは他系列でもプランはあったが実現していない。それを大胆に編成替えする理由はコストダウンだ。番組制作費の上でVTRの使い回しがきくなどニュース番組はバラエティ番組をつくるよりはるかにコストカットできる。その他のキー局もおそらく追随して、ニュースの時間を増やしてくるだろう。すると、先述の奥田氏が言ったように「朝から晩まで厚労省を批判する」現象がさらに増長されるかもしれない…。

  テレビメディアが順風満帆であった時代はすでに過ぎ去った。景気の失速に加え、テレビ業界には次なる難題が待ち受ける。地上デジタル放送への完全移行(2011年7月24日)だ。果たしてスムーズに地デジへ移行できるのか。あと936日。

 ⇒30日(火)夕方・金沢の天気   風雨

☆旅館的ホスピタリティ

☆旅館的ホスピタリティ

   年の瀬のちょっとした休日を利用して加賀市の山代温泉へ家族旅行に出かけた。冬の料理は彩りが鮮やかだ。「香箱蟹 琥珀ゼリー」(ズワイガニのメスの剥き身と二杯酢のぜリー固め)=写真=から始まって、「寒鰤山椒焼 焼大根」「鯛の白山蒸し」「ずわい蟹宝楽焼」など海幸が豊かだ。ズワイガニの甲羅に熱燗を入れて「甲羅酒」としゃれ込んだ。

  食を豊かにするのは味付けや食材の多さだけではない。「もてなし」という情感のこもった気づかいや応対が伴ってこそ、膳に並ぶ食も輝きを増す。もてなしは英語でホスピタリティといい、最近では学問として研究されてもいる。ところで、このもてなしの原点ともいえる農耕儀礼が能登半島に伝承されており、先ごろ、文化庁はユネスコ(国連教育科学文化機関)が無形文化遺産保護条約に基づき作成するリスト(09年9月)の登録候補の一つとして申請した。「あえのこと」である。「あえ」は饗応(ご馳走をしてもてなすこと)を意味する。

  あえのことで、もてなす相手は「田の神」である。神社で執り行うのではなく、それぞれの農家が毎年12月5日と2月9日に行う。この日、羽織袴の主(あるじ)は襟をただして田の神をお迎えし、そしてお見送りする。ここで読者のみなさんは「田舎の農耕儀礼をなんでわざわざユネスコの無形文化遺産に」と思うかもしれない。でも、ここからが見所なのである。実は田の神は稲穂で目を傷め不自由であるとの設定になっている。まず、田に出迎えに行き、その家に田の神を招き入れる。敷居が少々高ければ、「お気をつけください、敷居が高くなっておりますので・・・」と、田の神が転ばぬように配慮しながら案内して進む。

  家の中ではまず座敷に上がって一服していただく。お風呂に入ってもらい、ご馳走を召し上がっていただくという手順になる。食前に甘酒、煮しめ、ブリの刺身、酢の物など能登の山海の幸が並ぶ。料理は二の膳、三の膳の献立をすべて口頭で判りやすく、そしてどの料理がどの位置にあるかきちんと説明する。主は自ら目が不自由だと仮定して、イマジネーションを働かせながら田の神をもてなすのである。ここが形式化した儀礼とは決定的に違うところなのだ。相手の身になって、自らの感性でもてなす。傍から見ればジェスチャーだ。言葉や所作に手を抜けば単なる田舎芝居に見える。が、磨きがかかったもてなしを演じ切れば名優のごとく、どこに出しても恥ずかしくない。見ていてすがすがしい。

  稲作や農業に感謝の気持ちが薄れつつある昨今、あえのことの後継者も減り、伝承農家は十指に足りぬほどになった。しかし、千年も続いているといわれるあえのことの精神・文化は風土としてこの地に染み渡っている。「能登はやさしや土までも」。能登を訪れ人々と語らうと、食も心も和むのだ。

⇒27日(土)午前・加賀市の天気  あめ 

★竹で復元、内灘砂丘

★竹で復元、内灘砂丘

 整備された竹林にはすがすがしさを感じる。日本人のメンタリティに合う。しかし、薮(やぶ)と化した竹林は手の施しようがない。はやり切るしかない。今回は竹を利用した取り組みを紹介する。

  金沢大学地域連携推進センターが主催する「金沢大学タウン・ミーティング in 内灘」が12月20日、内灘町役場で開催された。金沢大学はタウン・ミーティングを平成14年度からこれまで石川県内7地区(輪島市、加賀市、鶴来町、珠洲市、能登町、羽咋市、穴水町)で開催しており、今回で8回目.。地域からの話題提供の中で、内灘町のボランティア団体「クリーンビーチ内灘作戦」代表の野村輝久さんが「内灘砂丘を蘇らせる」と題して、角間の里山から切り出したモウソウチクを利用した砂丘の復元運動を紹介した。

  内灘海岸は砂が盛り上がった砂丘で有名だが、最近は平らな砂浜になりつつある。そこで砂丘を復元しようと野村さんたちが取り組んでいるのが里山でやっかい者となった竹の利用だ。ことし2月、内灘のボランティアの人たちが100本ほど竹を切り出した。150センチほどに切りそろえ、さらに竹を割って、砂丘地に垣根をつくった。砂丘地につくる竹垣のことを地元では静砂垣(せいさがき)と呼ぶ。

  当初の予定では、砂はゆっくりと3年ほどかけてたまっていくだろうと予想していたが、今年設置した静砂垣はかなり埋まり、一部ではすでに砂丘ができ、美しい風紋が描かれていた=写真=。3年間で1キロメートルの静砂垣を作るこの計画。角間の里山自然学校だけでなく石川工業高等専門学校やいしかわフォレストサポーター会、河北森林(もり)づくりの会などとも協力体制がスタートしており、活動の輪がどんどん拡がっている。さらにクリーンビーチ内灘作戦の皆さんは伐採しても竹垣に使えない部分をチップ化し、河北潟の水質浄化や肥料としての利用も考えているようだ。

  写真家でもある野村さんは「風紋のある砂丘の景観こそ内灘のシンポル。復元活動を続けて生きたい」と話をしめくくった。

 ⇒25日(木)朝・金沢の天気   あめ  

☆「それでも地球は動く」

☆「それでも地球は動く」

 イタリアのフィレンツェはユネスコの世界遺産に登録されている歴史の都である。「美術のパトロン」といわれたメデイチ家が庇護した街でもある。このフィレンツェの精神的な拠りどころがサンタ・クローチェ教会。何しろ、この教会の聖堂には「近代科学者の父」と呼ばれるガレリオ・ガリレイや彫刻家のミケランジェロ、政治理論家のマキアヴェッリなど世界史に燦(さん)然と名を残す偉人たちの墓がある。写真は2006年1月にサンタ・クローチェ教会を訪れたときに撮影したガレリオ・ガリレイの墓である。この偉人の棺の上には望遠鏡を持ち、空を仰ぐ大理石の胸像が配置されている。カトリック教会から異端者として審問にかけられ、自説を取り消さなかったため、軟禁され8年後にこの世を去った(1642年)。裁判の後、ガリレオはつぶやいたという。「それでも地球は動く」

 けさ(23日)の新聞でローマ法王ベネディクト16世がガレリオの地動説を公式に認めたとの記事が掲載されていた。記事を一瞥しただけでは、これまでローマ法王庁は地動説を認めてこなかったのかと勘違いするが、そうではない。1992年に前の法王ヨハネ・パウロ2世が、1633年に有罪とした宗教裁判の非を認め謝罪している。では、なぜベネディクト16世が地動説を認めたことがニュースになったのか。ことし1月17日、ベネディクト16世はイタリア国立ローマ・ラ・サピエンツァ大学で記念講演を予定していたが、90年の枢機卿時代にオーストリア人哲学者の言葉を引用して、ガリレオを有罪にした裁判を「公正だった」と発言していたことを問題視する学生が大学を占拠するという騒ぎがあり、講演は中止になった。それ以降、べネディクト16世がいつ地動説を認めるのかということにメディアが注目していたというわけだ。

 記事によると、ベネディクト16世は21日、ローマ法王庁で信者らを前に、ガレリオについて「彼の研究は(キリスト教の)信仰に反していなかった」「ガレリオは神の業と自然の法則をわれわれに教えてくれた」と述べた。ベネディクト16世が地動説を公式に認めたのはこれが初めてという。

 話はガレリオ裁判に戻る。1633年の裁判は2度目だった。容疑は1616年の裁判で有罪の判決を受け、二度と地動説を唱えないと誓約したにもかかわらず、それを破って「天文対話」を発刊したというものだった。判決は終身刑、その後、軟禁に減刑されたが、死後も名誉は回復されずにカトリック教徒として葬ることも許されなかった。ガリレオの庇護者であったトスカーナ大公が、ガリレオを異端者として葬るのは忍びないと考え、ローマ教皇の許可が下りるまでガリレオの葬儀を延期した。しかし許可はこの時代には出ず、トスカーナ大公の願いがかなったのはガレリオの死後95年たった1737年のこと。埋葬は冒頭で紹介したサンタ・クローチェ教会の聖堂で行われた。

 以前の自在コラムで「科学には『常識』がない」との尾関章氏(朝日新聞論説副主幹)の言葉を引用させてもらった。時代の支配者が常識をつくる。科学はその常識を打ち破る。「それでも地球は動く」と自説を曲げない不屈の精神が時代を変えていく。一つの記事からそんなことを考えた。

⇒23日(祝)午前・金沢の天気  くもり

★テレビは進化するのか

★テレビは進化するのか

 先日、TBS系列のテレビ局の知人と会食した。話題になったのが、来年春の番組改編で始まるゴールデンタイムでの大型ニュース番組(平日午後5時50分-7時50分)について。ゴールデンタイムにニュース番組を持ってくる試みは他系列でもプランはあったが実現していない。ある種の賭けだ。が、知人は「いや、時代の流れだ」と改編のポイントを3つ紹介してくれた。一つには、ゴールデンタイムにお笑いタレントを動員して視聴率を稼ごうとするするテレビ局の意図に少なからぬ反発が視聴者にある。二つめのとして、ニュース番組は50代以上の世代に視聴されており、高齢者化社会に対応した番組づくりとなる。三つ目の要素は、番組制作費の上でVTRの使い回しがきくなどニュース番組はバラエティ番組をつくるよりコストダウンになるということだ。経済リセッションが、「番組の構造改革」ともいえる大胆な編成に背中を押した、ともいえる。

  金沢大学でメディア論を講義していて、私自身よく使う言葉は「テレビにあすはあるか」である。国の免許事業で成り立つビジネスモデルは「最後の護送船団」であり、同じメディアでも新聞などと比べると経営の足腰が「ひ弱」に思える。経済不況の荒波を乗り越え、次世代に進む秘策はあるのか。このヒントとなるのが、「テレビ進化論~映像ビジネス覇権のゆくえ~」(境真良著・講談社現代新書・2008)である。著者は経済産業省メディアコンテンツ課などを経て、早稲田大学で教鞭を執る。コンテンツ流通のプロである。

  著者は挑発的だ。「メディア・コンテンツ産業の本質は娯楽産業」だと言い切り、しかし、「『娯楽の価値』を認められない官僚の心理傾向が、問題の奥底に潜んでいる」と。単純に読み込めば、護送船団の枠の中でいる限り(監督官庁の顔色を伺っていると)、コンテンツの本流である娯楽に徹した産業にはなり得ない、と。挑発がもう一つ。「コンテンツ産業にとってパソコンと付き合うことは、常にビジネスが海賊版によって壊滅的な打撃を受ける可能性に晒されることと同義なのである」と。マイクロソフトなどはパソコン(PC)を「テレビを呑み込む商品」と見定めて戦略を練り、PC上で動画が自由に動く仕組みを構築してきた。そのおかげで、ユーチューブやGyaoとったサービスが始まった。ところが、テレビはPCとの連携を標榜しながらも、心の奥底に「放送と通信の融合」を避けている。実は前述のようにテレビがPCが呑み込まれることを恐れている。もう一つ、家電メーカーもPCがテレビに置き換わることを恐れている。PCは利益率が低いからだ。それでも著者は「情報と通信の融合」を恐れるな、恐れていては「次のテレビ」はないとぞと、ギョーカイ(テレビ業界)を叱咤しているように感じる。

  では、「次のテレビ」とは何か。著者は2004年にネット上で話題になった「グーグルゾン(Googlezon)」をイメージして説明している。要約する。マイクロソフトと戦ってきたグーグルとアマゾンが合併し、その情報サービスの開発競争の中で、ネット上にある新聞ニュースを始めとする様々なデータから新聞記事のような意味ある情報に再編集する技術を開発してしまう。つまり、ネット上で公開された情報がすべてグーグルゾンに利用されてしまうことになった。憤慨したニューヨーク・タイムズ社がグーグルゾンを相手に著作権訴訟を起こすが、敗訴する。ニューヨーク・タイムズ社はネット上から退場し、単なる紙媒体の企業となる。一方のグーグルゾンは世界中のネット上の情報とPC利用者の個人情報を管理する巨大企業へと成長するというストーリーだ。

  「次のテレビ」の要は、視聴者が欲しがる番組をネット上で取り出せる仕組みをつくることだ。グーグルゾンは極端な話ではあるが、使ってよい番組コンテンツを限定し、ユーザーが「マイ・チャンネル」をつくれるような巨大なハードディスクレコーダをネット上で構築することである。著者は、「つまり、『次のテレビ』とは、ニューヨーク・タイムズとケンカをしないような、穏健型の映像版『グーグルゾン』なのである」と説明している。

  著者が紹介する「次なるテレビ」のくだりから、「10年後、新聞とテレビはこうなる」(藤原治著・朝日新聞社・2007)で紹介されている「eプラットフォーム」を連想した。冒頭に述べたように、いまテレビ業界では編成上での「番組の構造改革」が起きようとしている。おそらく次の改革は経営改革(系列の持ち株会社)、そして2011年の完全デジタル化にともなうメディアとネットの融合・再編へと進むシナリオだろう。そのときに「次のテレビ」あるいは「eプラットフォーム」が熱く論じられることに期待したい。

 ⇒21日(日)朝・金沢の天気   くもり