#コラム

☆被災地の復興に想い込め 金沢でTSUKEMENコンサート

☆被災地の復興に想い込め 金沢でTSUKEMENコンサート

  能登半島地震の復興を支援するチャリティーコンサートがあると誘われ、きのう15日午後、会場の石川県文教会館ホールに出かけた。国際ソロプチミスト金沢が主催するコンサート。ソロプチミストは女性たちによる国際的なボランティア組織で、経済的支援を必要とする女性と子どもたちへ支援を行っていて、国際ソロプチミスト金沢は設立から52年の活動実績を積んでいる。2022年には、緊急な災害時に支援を必要とする地域の人たちへのタイムリーな援助を行うための独自の基金を設立していて、今回のコンサートはその一環。

  コンサートはピアノとバイオリン、ビオラによるアンサンブル・ユニットで知られる「TSUKEMEN」の演奏。ホール(590席)はほぼ満席の状態となっていた。メンバーはTAIRIKU(タイリク)、SUGURU(スグル)、KENTA(ケンタ)の男性ミュージシャン3人。演奏はクラシックからオリジナルまで9曲。ただ、それぞれの曲がまさに変幻自在にアレンジされていて、クラシックの入りなのだが、映画音楽やジャズ、ポップスなどを「ごちゃまぜ」にしてクラシック風に演奏することで楽しく聴かせる。

  2曲目に演奏した『Take five for Elise』は、ベートーベンの『エリーゼのために』とジャズの名曲『Take five』をミックスさせたもの。3曲目の『トルコ天国地獄行進曲』はモーツアルトの『トルコ行進曲』とオッフェンバックの『天国と地獄』を短縮してミックスさせたもの。そしてオリジナル曲の『蝉時雨』では日本の夏の情景を映し出すために、なんとバイオリンでセミや鳥の鳴き声を弾き出す。1曲1曲が予測不能な楽曲として流れていくのだ。(※写真は、TSUKEMENの15日付インスタグラムより)

  こうした変幻自在な楽曲を3人が呼吸を合わせて演奏できるのは、グループ結成16年というキャリアの長さもあるだろう。そもそも、グループ名の「ツケメン」も妙だ。「つけ麺」をイメージする。グループリーダーであるTAIRIKUの父親、シンガーソングライターさだまさしから「イケメンまではいかないからツケメンぐらいだろ」といわれたことがきっかけで、グループ名をTSUKEMENとしたようだ。

  国際ソロプチミスト金沢ではこれまで避難所や仮設住宅に赴いて、小型家電(電子レンジや電気ポット、炊飯器など)などを手渡している。コンサートの開幕のあいさつで、ソロプチミスト金沢の会長は、被災地へは息の長い支援が必要で、チャリティーコンサートでの収益金はその活動に充てていくと述べていた。そして、コンサートのパンフを読むと、グループの一人、バイオリンのKENTAは熊本県出身とある。2016年4月に震度7の揺れが2回あった熊本地震。能登の被災地への想いとダブらせながら、心を込めたコンサートだったのではないだろうか。

⇒16日(日)夜・金沢の天気    くもり

★能登地震「長く静かに始まり、向きや傾斜の異なる断層を次々と破壊」

★能登地震「長く静かに始まり、向きや傾斜の異なる断層を次々と破壊」

  元日の能登半島地震で港の海底が隆起して漁船が動けなくなっていた輪島漁港が早ければこの夏にも出漁できるようになるとの石川県農林水産部の見通しをメディア各社が伝えている(6月14日付)。「この夏」の具体的な日程は報じられていないが、現在片側通行となっている金沢と能登を結ぶ幹線道路「のと里山海道」を7月末までに全区間で対面通行ができるようになるとの見通しを国土交通省が発表しており、交通インフラの復旧の動きと連動した日程になるのではないか。

  話は変わる。今回の地震の特徴はなんだろう。メディア各社のインタビューで専門家や研究者は、半島の北東から南西にのびる150㌔の活断層がずれ動いたことを特徴の一つとして挙げている。1995年1月17日の阪神・淡路大震災を引き起こした活断層は50㌔ほどとこれまで言われているので、長さはその3倍にもなる。(※図はウエザーニュース公式ホームページより)

  また、発災以来よく聞いた言葉は「液状化現象」。能登の震源地から100㌔以上も離れ、金沢市に隣接している内灘町では道路がいたるところで隆起したり陥没した。同町の東側は河北潟に面していて、埋立地の地域では地面がゆがみ、多くの住宅や電柱が傾き、道路が15度ほど斜めになっているところも。現場では土砂が噴き上げた様子があちらこちらにあった。

  そして元日の地震以前から指摘されていたのが「流体」だ。去年5月5日に半島の尖端部分でマグニチュード6.5の地震があり、珠洲市では震度6強の揺れを観測した。翌日6日に国の地震調査委員会が臨時会合を開き、まとめた見解が「流体」だった。2020年12月から能登で活発化している一連の地震は、地下深くの流体が誘発しているとみられ、活動域は半島尖端の北側の海域に広がっていることが確認された、と。ただ、今回の地震では「流体」の言葉はあまり聞こえてこない。

  以下、ネットで見つけた京都大学での研究論文の概要。「2024 年 Mw 7.5 能登半島地震における複雑な断層ネットワークと前駆的群発地震によって制御される複合的な破壊成長過程」(研究者代表:奥脇亮・筑波大学生命環境系助教、深畑幸俊・京都大学防災研究所附属地震災害研究センター教授)。概要を引用する。世界中で観測された地震波形データを解析し、能登半島地震の破壊過程を推定した。その結果、この地震は複数の破壊エピソードから成ること、特に地震の発生から 10 秒ほど続いた初期破壊は、地震前に観測されていた活発な地殻活動域に重なっていたことが分かった。さらに、初期破壊後に進展した主破壊は初期破壊域を挟んで西と東に分かれ、それぞれ向きや傾斜の異なる断層を次々と破壊しながら大きく成長していった様子が明らかになった。

  上記のことを論文では簡潔な言葉で、「長く静かに始まり、向きや傾斜の異なる断層を次々と破壊した」と表現している。東西に150㌔にのびる活断層がずれ動いて、向きや傾斜の異なる断層が次々と破壊されていった。その過程で4㍍もの隆起や地盤沈下など大規模な地殻変動が起きた。能登半島地震の複雑なメカニズムを端的に言い表している。

⇒15日(土)夜・金沢の天気    はれ

☆酷暑の避難生活 エアコンと冷蔵庫が命を救う

☆酷暑の避難生活 エアコンと冷蔵庫が命を救う

  元日の能登半島地震からきょうで165日目。季節は移ろい、きょうも夏の日差しが照り付ける。気象庁によると、きのう12日は七尾市で32.8度、輪島市で32.7度、珠洲市で31.1度と能登は軒並み真夏日だった。避難所で生活をしている被災者の人たちにとってはまさに酷暑ではなかっただろうか。

  石川県のまとめによると、被災地の体育館や公民館に身を寄せている1次避難者は1317人(6月11日時点)。長期化する避難生活に加え、この暑さが体にこたえるのではないだろうか。先日(今月6日)輪島市の被災地で倒壊した家屋で作業をしている中年夫妻らしき男女に、「たいへんですね」と声がけすると、「服を取り出しに来たんや」と男性から返事があった。それ以上は尋ねなかったが、2人はビニール袋に衣類を詰めていた。避難所あるいは仮設住宅に入ったときは冬服だったが、この暑さで半袖などの衣類を取り出しに来たようだった。それにしても、日照りの被災地で作業をしている人たちを見かけると、他人事ながら熱中症は大丈夫かとつい心配になる。(※写真は、輪島市の仮設住宅=6月4日撮影)

  そして、避難所や仮設住宅で懸案となっているのが、「夜間熱中症」だ。昼間に壁や天井に蓄えられた熱が、夜になって室内に流れ込んで室温が上昇する。すると、寝ている間に熱中症になる。夜間熱中症は自分でも気づきにくく、かなり進行してから症状が出てくるので危険だ。このため、輪島市などの避難所では布団を軽い夏用布団に切り替えているようだ。

  この時節、暑さとともに蚊やアブなどの虫が大量に発生する。山あいの避難所ではヤブ蚊に悩まされているのではないだろうか。虫よけスプレーは欠かせない。蚊などは虫が室内に次ぎ次ぎと入ってくるので戸を閉める。そうするとエアコンがないときつい。30人が身を寄せている輪島市の小学校の体育館では今月10日に県から支給されたエアコンが5台設置されたものの、配線の電気工事が間に合わず作動していない(6月12日付・メディア各社のニュース)。しばらく我慢の日が続く。

  避難所での暑さ対策でもう一つ急がれているのが冷蔵庫の設置。この暑さでは、避難者に配られる弁当を常温で保存するのには限界があり、食中毒なども懸念される。ところが、弁当を保管する冷蔵庫が足りていない。輪島市ではタイミングよく支援物資として冷蔵庫35台が届けられ、各避難所に設置した(6月11日付・NHKニュースWeb版)。食品の衛生管理を徹底するためには必要だ。

  避難所や仮設住宅では慣れない暮らしが続く。夏場は、食品の衛生管理と熱中症対策に注意を。

⇒13日(木)午後・金沢の天気   はれ

★スルメイカ求め日本海に 能登・小木港から7隻が出漁

★スルメイカ求め日本海に 能登・小木港から7隻が出漁

  今月10日付のコラムで、能登半島地震で岸壁が地盤沈下した漁港、そして海底が隆起した漁港を取り上げた。それぞれに漁業という生業(なりわい)の再生を目指して港の復興にチカラを入れている。今回は別の難題抱えている漁港を取り上げる。能登半島の尖端部分にある能登町九十九(つくも)湾にある小木漁港はスルメイカの水揚げでは国内でも有数の漁獲高で、元旦の地震で岸壁が崩れ落ちるなどの直接被害はなかった。今月に入り、同港から7隻の中型イカ釣り船が順次出港している。

  きょうも2隻が家族や関係者に見送られながら出港した。船は大漁旗を海になびかせ、また見送る側は操業の安全と大漁を願うカラーテープを船に投げ、海に彩りを添えている。(※写真は、小木を拠点に里海の教育と研究に取り組んでいる一般社団法人「能登里海教育研究所」の浦田慎氏提供)

  イカ釣り船が向かうのは日本海。日本の排他的経済水域(EEZ)にある大和堆はスルメイカの好漁場だ。冒頭で「別の難題」と述べたのは、中国漁船の違法操業だ。EEZ内ではわが国の許可を得れば外国漁船も操業できるが、許可を得ずに入り、イカ漁場を荒らしている。日本側のスルメイカの漁期は6月から12月だが、中国漁船は4月ごろから大和堆などに入り込んでいている。日本の漁船に先回りして、漁場を荒らすという無法ぶりだ。水産庁漁業取締船による大和堆周辺での外国漁船へのEEZからの撤退警告は68隻に上り、うち44隻が中国漁船、24隻が北朝鮮漁船だった(2023年統計・水産庁公式サイト「外国漁船に対する取締りの状況」)。

  さらに無法ぶりが目立つ行為もある。EEZでは水産資源は沿岸国に管理権があると国連海洋法条約で定められている。ところが、北朝鮮は条約に加盟せず、日本と漁業協定も結んでいないことを盾に、日本海は自国の領海であると以前から主張している。1984年7月、北朝鮮は一方的に引いた「軍事境界線」の内に侵入したとして、小木漁協所属のイカ釣り漁船「第36八千代丸」を銃撃、船長が死亡する事件が起きている。

  あれから40年、小木漁港の漁船員は今でも語り継がれるこの事件の教訓を肝に銘じながら、スルメイカの豊漁を求めて出港していることだろう。過去に取材した事件のことを思い出しながら、この一枚の写真を眺めている。

⇒12日(水)午前・金沢の天気    はれ

☆6・3緊急地震速報 震源2つほぼ同時で「ごちゃまぜ」予測に

☆6・3緊急地震速報 震源2つほぼ同時で「ごちゃまぜ」予測に

  今月3日朝に能登半島で起きた震度5強で鳴り響いた緊急地震速報は東北から関東、近畿地方にかけて広範囲に出されていたので、「巨大地震が来る」と身構えた。金沢では震度3だった。まもなくして、気象庁は会見で、地震の規模を示すマグニチュードが実際の揺れより大きな予測を出したことに訂正を入れていた。あれから1週間、気象庁はきのう(10日)の記者発表の中で、その経緯を説明した。以下、記者発表の内容を引用する。

  3日朝に26都府県に出された緊急地震速報は「マグニチュード7.4、震度4以上」の予測だった。だが、実際のマグニチュードは6.0で、震度5強の揺れが能登半島の輪島市、珠洲市、震度5弱が能登町、震度4が能登半島の七尾市、穴水町、新潟県の上越市、長岡市、柏崎市などであり、震度4以上の地域は限定的だった。そして、緊急地震速報が出されていた東北から関東、近畿地方では震度1から2程度の揺れが多かった。(※図は、左が6月3日朝に出された緊急地震速報の第1報エリア、右が第2報エリア=6月10日付・気象庁公式サイト「地震活動及び火山活動について」資料より)

  マグニチュードは1大きくなると地震のエネルギーが32倍大きくなるといわれている。では、なぜ気象庁は今回、「6.0」と「7.4」を間違えたのか。気象庁の発表によると、震源の能登で近接した場所で1秒以内に2回の地震が起きたのが原因だと説明している。地震波を分析した結果では、3日午前6時31分39.6秒と31分40.3秒の2回、地震が起きていた。震源はいずれも半島の先端付近で2㌔の近さだった。1回目のマグニチュードは不明、2回目が6.0だった。実際の揺れは2回目の地震が引き起こしたとみられる。

  気象庁は、およそ1秒の間にほとんど同じ場所で2つの地震が発生したことなどにより、実際の震源よりも南東に20㌔ずれた富山湾が震源と推定された説明。さらに、地震波には、早く伝わる弱い揺れの初期微動(P波)と、ゆっくり伝わる強い揺れの主要動(S波)の2種類の波があるが、震源の推定がずれた影響で強いS波の観測データを弱いP波として計算が行われ、実際のマグニチュードよりも過大に推計された、と分析している。

  つまり、1回目の地震のP波を地震システムが解析中に2回目の地震のP波、そしてまもなく1回目のS波が届いた。すると、システムは同一の地震によるP波と誤認して、過大な予測を出した。2つの震源地が近く、ほぼ同時だったので「ごちゃまぜ予測」となった、ということだろうか。

⇒11日(火)夜・金沢の天気    はれ

★沈下した港、隆起した港 地域の生業どう復興していくか

★沈下した港、隆起した港 地域の生業どう復興していくか

  その港に行くと岸壁や道路、そして神社の境内の一部も冠水していた。さらに住宅の軒下にも。潮位が上昇したらさらに一帯の住宅や倉庫の床下に浸水する。もし、台風が来たらと思うと、地域住民の不安は尽きないだろう。きのう(9日)七尾市石崎町の漁港で見た光景だ=写真・上=。

  このブログで輪島市の輪島漁港や鹿磯(かいそ)漁港での海底の隆起を取り上げた。同じ能登半島の海でも石崎漁港などでは地盤沈下が起きている。延長800㍍余りの岸壁のうち、県漁協七尾支所近くの一部のコンクリートが崩れていて、海面より沈下している。周辺に土のうは積んであるが、それでも海水が道路に流れ込んでいる。排水ポンプも作動しているが、追いつていない。岸壁から30㍍ほど離れた道路も冠水している。近くには川も流れている。冒頭で述べたように大潮と暴風雨などのリスクが重なれば、住宅地にまで被害が及ぶのではないだろうか。

  さらに残念なこと。石崎漁港はナマコ漁で有名だ。そのシーズンである1月から3月の間は操業ができなかった。地震や津波で生じたガレキや漁業用ロープ、漂着した漁網などが七尾湾内に流れ込み、底引き網漁ができなかったからだ。当面はイカリを使って海底のガレキなどを回収することになるようだ。

  輪島市の鹿磯漁港では海底が4㍍近く隆起した(国土地理院・2月20日公表)=写真・下=。同漁港は日本海のスルメイカ漁の拠点の一つとなっていて、本来ならばこの時季5月から7月にかけて最盛期となるが、ことしは同漁港が使えないことから、スルメイカ漁の漁船の入港と水揚げを金沢港にシフトして操業している。

  漁港と地域の生業(なりわい)は一体化している。港の再生は地域の復興でもある。どう港を再生していくのか。

⇒10日(月)夜・金沢の天気    はれ

☆仮設住宅に寄り添う花々 金沢城の石垣修復に15年以上も

☆仮設住宅に寄り添う花々 金沢城の石垣修復に15年以上も

  先日(6月6日)、輪島市杉平町の仮設住宅の前の道路を通ると、ペットボトルに入れた花が並んでいた。つい立ち止まって見ると、アジサイ、ニッコウキスゲ、シャクヤクなど季節の花だった=写真・上=。金沢では5月の花だが、能登では少し開花時期が遅れるので、今が見頃かもなのかもしれない。ふと思った。おそらく、この仮設住宅の住人が倒壊した自宅に行き、庭に咲いていた花々なのだろう。いつもなら、自宅の玄関で生けて飾っていたかもしれない。その花々を眺めていとおしく思ったのだろう。さりげなく仮設住宅の軒下で生けた。

  話は変わる。兼六園の向かいにある国史跡の金沢城跡。見どころの一つは城をぐるりと囲むように広がる石垣の城郭だ。壮観なのは菱櫓(ひしやぐら)、五十間長屋(ごじっけんながや)、橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)の石垣だ。「打ち込みハギ積み」と呼ばれる技法で、形や大きさをそろえた割石を用いて積み上げたもの。そうした石の種類の多さや積み方の多様性、そして美的な造形から、金沢城跡の城郭は「石垣の博物館」とも言われている。

  その金沢城跡の石垣が元日の地震で28ヵ所で被害が出て、うち5ヵ所で崩落が起きていると、石川県議会6月定例会の一般質問で馳知事が述べた。石垣の復旧には少なくとも15年以上はかかる見通しという(6月8日付・メデイア各社)。

  その崩れは城跡の南西側を囲む外堀「いもり堀」から見ても分かる。石垣が上部から中間部まで崩れ落ちている=写真・下=。震災のあった翌日の1月2日に撮影したものだ。このときは、城跡の被害の全容は見ることはできなかったが、5ヵ所も崩落が起きていたとは。

  金沢の最大震度は5強だった。その被害は、城郭の石垣の崩れだけでなく、同じく国史跡でもある「加賀藩主前田家墓所」にも被害がある。加賀百万石の礎を築いた前田利家の墓碑、そして横にある正室まつの墓碑は無事だったが、敷地面積が8万6千平方㍍にもおよぶ前田家墓所では相当な数の石灯篭などが倒れている。国の史跡なので金沢市文化財保護課が修復することになるのだろう。城跡の石垣と同様にかなりの時間がかかりそうだ。

⇒9日(日)午後・金沢の天気   くもり時々あめ

★「のと里山海道」復旧道半ば 「まれぞら」流れる日を待つ

★「のと里山海道」復旧道半ば 「まれぞら」流れる日を待つ

  金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」(90㌔)は元日の震災から徐々に復旧してきたものの、現在も一部区間(徳田大津IC-のと里山空港IC、33㌔)は奥能登方面への片側通行となっている。復旧工事を行っている国土交通省は7月末までにおおむね全区間で対面通行ができるようになると見通しを発表している(4月23日付)。「おおむね」の表現は、穴水町の能登大橋付近では路面が一部崩落しており、7月以降も当面の間は工事用信号で行き交う片側交互通行が続くとの見通しのようだ。

  おおむねであっても全区間で対面通行が可能になれば、がれき撤去などの復旧工事車両の移動時間も削減されて、復旧・復興が進むだろう。実際にのと里山海道を走行すると、進捗状況は道半ばではないかと思いをめぐらせてしまう。

  もちろん国の直轄事業だけあって、着実に復旧工事が進んでいると実感するポイントもある。道路は盛り土の部分が崩れているが、復旧工事では何ヵ所かを鉄橋にする作業が進められている=写真・上、6月6日撮影=。一方でまったく手つかずの状態の現場も散見する。道路のアスファルトに大きなひび割れが入り陥没している。崩落した道路を走行した乗用車が転落した現場はいまもそのままの状態だ=写真・中、同=。転落した車の現場は、のと里山海道の「被災のシンボル」のようにも見える。

  道路を走ると、2015年にNHKで放送された、能登半島が舞台の連続テレビ小説「まれ」の主題歌「希空~まれぞら~」のメロディが道路で流れる場所がある=写真・下、同=。ここも道路のひび割れなどで継ぎはぎとなり、部分的にしか聴こえない。本来ならば時速70㌔の速度で1分間ほど楽しめる「おとのみち」なのだが、現在は時速40㌔に制限されているため、どろんとしたテンポだ。

  歌詞を思い出す。「風が強く冷たいほど教えてくれる 出会うべき人のことを どうか希望の地図をそっと開いてみてね あたたかい未来たちが僕らを待っているよ」。被災した能登の人々を勇気づけてくれる歌詞のようにも感じる。この「希空~まれぞら~」の道を復興してほしいと願う。

⇒8日(土)午前・金沢の天気   はれ時々くもり

☆震災にもめげず コウノトリが能登で3年目の営巣

☆震災にもめげず コウノトリが能登で3年目の営巣

  きのう輪島市朝市通りの被災地をめぐった帰りに、同市と隣接する志賀町富来(とぎ)地区に立ち寄った。同地区には元日に震度7の揺れを観測した地点がある。気象庁や国土地理院の分析によれば、能登半島西端から新潟・佐渡島近くの日本海まで長さ130-150㌔に達する断層が破壊されたとみられている。その半島西端の部分が富来地区にあたる。訪れたのはことし1月31日以来だった。

  富来地区で気にかかっていたことがあったからだ。コウノトリの営巣がことしも行われているだろうか。同地区は国の特別天然記念物のコウノトリの営巣地としては日本で最北に位置する。1月31日に訪れたときはまだ南方から飛来していなかった。地震の揺れでも電柱の上につくられた巣は無事で、電柱は傾いてもおらず、巣も崩れてはいないようだった。ただ、巣がかなり小さくなっていて、見た目で2分に1ほどだった。巣の下を見ると、営巣で使われていたであろう木の枝がかなり落ちていた。住宅に例えれば、「半壊」状態だろうか。

  それ以来気にかかっていたというのも、鳥類の専門家でもないので憶測にすぎないが、ことしもコウノトリのつがいが営巣に春ごろやって来て、巣が小さくなっているを見て、別の場所に行こうとするのか、あるいは枝を足すなど修復してこの地で営巣を続けるのか。どうなんだろう、ということだった。

  きのう夕方5時少し前に現地に着いた。見上げると、いたいた。写真も数枚撮った。もう少し近場で撮ろうと近づくと今度は見えなくなった。下からの撮影なので、コウノトリが立っていれば撮影は可能だが、見えなくなったということは巣に座り込んだのだろう。どこか飛び立った様子もない。しばらく様子を見ていたが、立ち上がる様子もないので、「もう寝たか」と勝手に思い現場を離れた。

  巣は1月に見たときより大きくなっていた。ということは、枝を加えた補修したのだろう。写真を見ると、親鳥のほかにひな鳥が1羽がいて、合わせて3羽が見えた=写真、6日午後4時59分撮影=。コウノトリは今季で3年連続での営巣だ。ひな鳥はかなり成長している。去年5月23日に訪れたときは、3羽のヒナがいた。ヒナを育てているつがいは足環のナンバーから、兵庫県豊岡市で生まれたオスと福井県越前市生まれのメスで、一昨年と同じペアだった。おそらくことしも同じペアではないだろうか。

  とすれば、元日の地震では能登にいなかったものの、去年5月5日の震度6強を経験し、先日6月3日の5強も耐え忍んだことだろう。そう考えると、妙な同情心というものもわいてきて、エサ場は土砂崩れになっていないか、電柱の上は揺れが大きく、今度また大きな揺れがあるとひな鳥が落下しないかなどと心配したりする。台湾など南方との「二地域居住」ではあるものの、すっかり能登のコウノトリ。能登の住人のように思いやってしまう。

⇒7日(金)午後・金沢の天気   はれ時々くもり

★輪島・朝市通りで公費解体 現場で見える次なる難題

★輪島・朝市通りで公費解体 現場で見える次なる難題

  輪島市朝市通りのがれきの撤去作業である公費解体がきのうから始まったので、きょう現場を見に行った。市内の中心部を流れる河原田川の近くで、ショベルカーなど10台による作業が行われていた=写真・6月6日撮影=。重機による建物などの取り壊しや鉄やがれきの仕分け作業などだ。ガンガンガン、ゴトッゴトッと重機の音が周辺に響き渡っていた。地域の人々はこの音をどう感じ取っているだろうか。騒音なのか、復旧・復興への響きなのか。

  現場ではショベルカーが動いていたが、がれきなどを運ぶトラックは見当たらなかった。以下は憶測だが、鉄やコンクリートを現場で仕分けして積み上げ、輪島港の浚渫(しゅんせつ)作業が終わり次第、トラックで港に持って行き、運搬船で各地に運び処理をするのだろうか。発災から5ヵ月余り、焦土と化した朝市通りはまるで時間が止まっていたが、ようやく動きだした。

  メディア各社の報道によると、法務局の職権で朝市通り周辺の264棟が「滅失」したとの登録手続きが先月30日までに完了したことで、所有者全員の同意がなくても、災害廃棄物として解体が可能になった。公費解体の申請は現在100棟余りあり、輪島市役所は申請のあった建物から順次、解体に取り組む。ただ、申請は全体の4割に留まっており、作業の完了時期は未定だ。

  それにしても、朝市通りのがれきの量は半端ではない。全壊・半壊建物の廃材や家具、家電などのいわゆる災害廃棄物は輪島市全体で34万9000㌧と推測され、同市の年間ごみ排出量の31年分に相当するとされる(2月6日・石川県まとめ)。朝市通りでは焼失したビルが多く、災害廃棄物のかなりを占める。

  朝市通りの公費解体は動き出したが、さらにこれを撤去、運び出しをするとなると気が遠くなるような時間がかかるのではないだろうか。復旧・復興に立ちはだかる壁のように見えてきた。現場を見ながらそんなことを思った。

⇒6日(木)夜・金沢の天気   はれ