☆沖縄の風~上~
大型連休を利用して、沖縄に来ている。きょう1日に小松空港から羽田空港、羽田から那覇空港へと乗り継いだ。小松から羽田は若干の空席も感じられたが、羽田から那覇はほぼ満席だった。羽田からの便の中で、大陸からの偏西風が強く、それに向かって飛ぶので、少々揺れが予想され、到着時間も15分から20分ほど遅れるとのアナウンスがあった。揺れはさほど感じられなかったが、アナウンス通り20分遅れで那覇についた。気温25度、夏日だった。
海のサファリパ-ク
空港では恩納村のホテルまで送ってくれるタクシーを手配してあったで、空港では迎えが待っていた。せっかくだからと思い、高速道路「沖縄自動車道」を走ってもらい、オプションで名護市の「パイナップルパーク」と「ブセナ海中公園」に立ち寄ってもらった。現地までは60分ほどの時間があったので、タクシーの運転手と話が弾んだ。54歳だという運転手は子どもが4人、孫がすでに7人いる。「沖縄には大きな企業がなくて、息子のうち2人は本土(東京と山口)で会社員をしている」「企業といえば、オリオンビールぐらいかね」と。高速道路から見える家並のほとんどが2階建て、あるいは3階建てのコンクリート造り。守り神として有名なシーサーが乗る赤い瓦の屋根は少ない。「沖縄は台風が強くてね、かつて私の家は茅葺屋根だったんだけれども、吹き飛ばされることもあって、台風のたびに親戚の家に避難したものでしたよ。いまは瓦屋根の家でさえ、立て替えてコンクートの家にするのが当たり前ですよ」
「屋根がコンクリートになった理由がもう一つある」という。「よく見てください」といわれ目を凝らすと、各家々の屋根には必ずステンレスのドラム缶が乗っている。高さは2㍍ほどもあるだろうか。「貯水タンクなんですよ」。沖縄の泣き所は台風と並んで水不足だという。「沖縄は島だから、本土のように隣県から水道水を簡単に融通してもらうということはできないですよ。そうそう、昭和38年(1962)ごろだったか、鹿児島などから船で水が送られてきたこともありましたよ」。沖縄本土復帰(1972)以降、水の安定供給のためダム建設が集中的に進められ、沖縄本島だけでも9つのダムがある(「内閣府沖縄総合事務局」ホームページより)。
そんな話を聞きいているうちに、パイナップルパークに到着した。人でごった返していた。大型観光バスのほか乗用車が駐車場にびっしりと並んでいる。くだんの運転手が「ほどんどが本土の観光客ですよ」という。「沖縄わ」ナンバーはレンタカーなので判別できるのだという。よく見ると、「沖縄Y」というものある。「Y」は駐留アメリカ軍の関係者のナンバーという。パイナップル園を電気自動車で周遊した。前の車には米兵とおぼしき体格のよい若者が女性とペアで乗っていた。タトゥー(刺青)がびっしりと描かれた左腕を車体から出して、手振りが忙しそうだった。会話が弾んでいたのだろう。
ブセナ海中公園の入り口で「海中展望塔」のチケット(1000円)を求めると、窓口の女性が「階段が50段ほどありますが、大丈夫ですか」と聞いきてきた。展望塔というとタワーをイメ-ジするが、海中の場合は逆で、海中に降りていくことになる。らせん状の階段を50段降りると深さ5㍍の海底に達する。円形の窓があり、海中を眺めることができる。透明度が高く、魚群や海藻の見渡しもいい。時折、ヌッと色鮮やかな魚体が目の前に現れる。こちらをキッとにらむ凄みのある魚たちだ。飼いならされた水族館の魚とはどこか違う「野生の魚」だ。海原の様子は、さしずめ「海のサファリパーク」とでも言おうか。(※写真の魚は「オヤビッチャ」。岩礁やサンゴ礁に普通にみられる。日本海では少ない。スズメダイの仲間。沖縄では食用に=「東海大学海洋科学博物館」ホームページを参照)
⇒1日(土)夜・沖縄県恩納村の天気 はれ
夜、能登の農山漁村。玄関の明かりは消えているが、奥の居間でテレビ画面だけがホタルの光りように揺らいでいる家々がある。高齢者の節約は徹底していて、家の明かりをすべて消してテレビだけをつけている。お年寄りにとってテレビは単に寂しさを紛らわせるためだけの存在ではない。喜怒哀楽を織り交ぜながら情報を与えてくれる友なのだ。総務省が2009年度にアナログ停波のリハーサル事業を予算計上しているとの情報を得て、同市は真っ先に手を挙げた。現在、45歳の市長は「2011年7月24日の地デジ完全移行になってお年寄りが困らないように、早めに準備しておきたいという気持ちだった」と言う。
1970年1月、能登半島では「能里(のり)」の愛称で呼ばれていたオスが繁殖のため、この地で捕獲された。その後、人工繁殖のため佐渡トキ保護センターに移送された。能里は翌年死んで、本州のトキは絶滅する。当地の人たちにすれば、トキの姿を目にしたのは実に40年ぶりということになる。
政権交代で、「地域主権」という言葉がクローズアップしてきた。前政権では「地方分権」という言葉だった。分権という言葉は「分け与える」というお上が権限を払下げるというイメージがあり、現政権では「地域のことは地域で」というという意味合いなのだろう。言葉遊びのような感じもするが、それはどうでもよい。中央政府が「分権だ」「地域主権だ」と言いながら、これほど有権者レベルで上がらない議論もない。なぜか。それはすでに国のミクロなレベルではすでに「自分たちでやっている」という意識があるからだ。つまり、この論議というのは、中央政府と県や市町村との間の権限をめぐる駆け引きの話である。一方で、すでに地域では自治会や町内会で自主的に暮らしにかかわるさまざまな議論をしている。その論議は、「行政に頼ろう」や「国に頼ろう」という論議ではない。いかにしてこの地域をよくしていくか、コミュニケ-ションを絶やさず、お互いを気遣って、どうともに生きていくかの論議である。そんな論議や現場の話し合いの姿をいくつも見てきた。
この記事を読んで、「日本の未来を担う子どもたちよ頑張れ」と共感した大人はいるだろうか。確かに、国際的な学力調査で日本の順位が下がったことを意識して、応用力などを育てることなどに力点を入れた内容を盛り込んでいると記事で説明がされている。が、極論すれば「詰め込み」にすぎない。多くの読者はそう感じたに違いない。電車の中や家庭でテレビゲームに熱中する子どもたちの姿や、「詰め込み」重視の学校での姿を現実的に見てきて、これでよいと思う大人はいないだろう。なぜか、いまの子どもたちに欠けているのは「人間力」、あるいは「生きる力」ではないかと思うからだ。
黄砂研究の第一人者といえば、金沢大学フロンティアサイエンス機構の岩坂泰信特任教授だ。シンポジウムの開催のお手伝いをさせていただく傍ら、岩坂氏の講演に耳を傾けていると、いろいろな気づきがある。印象に残る言葉は「能登半島は東アジアの環境センサーじゃないのかな」である。黄砂と能登半島を考えてみたい。
帯の上空で亜硫酸ガスが付着すると考えられる。日本海の上空では、海からの水蒸気が黄砂の表面に取り付き、汚染物質の吸着を容易にしているのではないかと推測される。
『なぜ飼い犬に手をかまれるのか』(日高敏隆著、PHPサイエンス・ワールド新書、09年)はタイトル名で注文してしまった。「飼い犬に手をかまれる」という言葉は、部下の反逆を意味する。それに、「なぜ」と付されると、科学の領域のような感じがして手を伸ばしたくなるものだ。動物行動学者の日高氏については、個人的に一度だけ
修了生はどんな研究課題に自ら取り組んできたのか紹介する。ある40歳の市役所の職員は、岩ガキの養殖を試み、それが果たして経営的に成り立つのかと探求した。年々少なくなる地域資源を守り、増やして、生かしていこうという意欲的な研究だ。さらに、その実験を自費で行った。コストをいとわず、可能性を追及する姿こそ尊いと心が打たれた。また、32歳の炭焼きの専業者は、生産から販売までに排出する二酸化炭素が、全体としてプラスなのかマイナスなのかという研究を行った。土壌改良剤として炭素が固定されることを考慮に入れて、全体としてマイナスであると結論付けた研究だった。膨大なデータを積み上げ、一つの結論を導いていくという作業はまさに科学そのものである。しかし、自らの生業を科学することは、なかなかできることではない。その結果として逆の答えが出たら怖いからだ。そこに、果敢に挑戦し自らの生業の有用性を立証していくという勇気は感動ものである。
まず、この本を手にした経緯から。今月4日と5日、金沢大学が能登半島で展開して「能登里山マイスター」養成プログラムなどを見学させてほしいと、愛媛大学社会連携推進機構から村田武特命教授ら3人が訪れた。村田氏は欧米の農業政策などが専門で、CSAやスローフードなど生産者と消費者を結ぶ動きにも詳しい。そこで、能登に足を運ばれたついでに、新年度の同プログラムの授業をお願いしたところ、快く引き受けていただいた。講義は「世界の農業と家族農業経営~アメリカの『コミュニティが支える農業』(CSA)運動~」と題して。その講義の参考文献としてリストアップして頂いたのが、村田氏が執筆に加わった上記の本である。ちなみに、講義は4月23日(金)午後6時20分から、能登空港ターミナルビルで。一般公開型の授業なので誰でも自由に聴講できる。
珠洲市三崎町にあるコミュニティ・レストラン「へんざいもん」。小学校の廃校舎の調理室を利用した、毎週土曜日のお昼だけのレストランだ。近所の主婦たち4、5人が食材を持ち寄って集まり、700円の定食メニューを提供してくれる。秋になると土地で採れるマツタケを具材に「まつたけご飯定食」が目玉となる。特に宣伝はしていなが、どこからうわさが立ってこの日は利用者がぐっと増える。そのほか、魚介類や山菜類、根菜、菜っ葉ものすべて近くの海、山、畑で採れたもの。ちなみに「へんざいもん」とは、この土地の方言で、漢字を当てると「辺菜物」。つまり「この辺りで採れた物」のこと。地産地消を地でいく屋号なのである。