#コラム

☆地デジ化の扉・中

☆地デジ化の扉・中

 珠洲市が総務省が募集した地デジへのリハーサル候補地に手を挙げ、先行モデル地区に採択された理由に一つに能登半島の地形をうまくアピールしたという点がある。それは、三方を海に囲まれ、実験的にアナログを停波しても近隣の市町には影響がほどんどないということ。もう一つはエリアが8800世帯(珠洲市6600世帯と能登町の一部2200世帯)という、実験としては適切な規模であり、また、少子高齢化の過疎地として全国の「地デジ化モデル」となりうることだった。もちろん、切実感を持って取り組んだ首長の意欲もあり、総務省とすると実験地としては最適だったに違いない。もう一つ上げるなら、国の事業として、能登空港があることで、東京からのアクセスが良かったということだろう。

      「珠洲モデル」といわれた町の電器店の働き

  地デジ化ほぼ100%にこぎつけたもっとも大きな理由は2つある。一つは、ケーブルテレビ加入率が高いこと。珠洲市の場合は65%、能登町は94%に達している。珠洲市のケーブルテレビは「デジアナ変換」をで、加入世帯は現行のままの状態で視聴できる。そのコストは工事費3万9900円、年間の利用料1万2100円が少なくともかかる。二つの理由は、チューナーの無料貸与があげられる。これは、デジタル波を直接受信する世帯(約3000世帯)を対象に無料で貸与されるもので、1世帯当たり4台を限度に貸し出される。チューナーはデジタル波をアナログ変換するので、従来のアナログテレビで取り付けて視聴する。3000世帯の中にはデジタル専用テレビに買い換えた世帯もあるが、家庭内の2台目や3台目にまで手が届かない場合はチューナーでとなる。希望があったホテルや事業所、民宿などにも対応した。その総計が4200台にも及んだ。

  では、テレビ電波の直接受信世帯にチューナーを貸与さえすれば、人々は上手に取り付けて、それでOKなのだろうか。能登は少子高齢化のモデルのような地域なのだ。珠洲同市では6600世帯のうち40%が高齢者のみの世帯で、さらにその半分に当たる1000世帯余りが独居である。問題はここから始まる。高齢者世帯を町の電器屋が一軒一軒訪問し、チューナーの取り付けからリモコンの操作を丁寧に教える。このリモコンにはチューナーとテレビの2つの電源がある。一つだけ押して、お年寄りからは「テレビが映らないと」とSOSの電話が入る。このような調子で、「4回訪ねたお宅もある」(電器店経営・沢谷信一氏)という。おそらくこれからもフォローが続くだろう。

  24日の記念セレモニーの中で、泉谷満寿裕市長は「高齢者世帯を一軒一軒回っていただき、電器店のみなさんには本当に感謝したい」とあいさつの中で2度も述べた。今回地デジに対応に一肌脱いだ町の電器屋は珠洲が11軒、能登町が4件の15軒。もちろんボランティアではない。ただ、ボランティア以上に「お年寄りのお宅は何度も何度も、丁寧に丁寧に」対応した。

  地元をよく知る電器店だから動くことができたといえる。この働きは予期せぬ効果を上げたことから、「珠洲モデル」と評価されている。記念セレモニーのステージで、デジタル放送推進協議会の木村政孝理事が一人ひとり電器店の店主の名前を読み上げ感謝状を贈った=写真=。泉谷市長が2度も「感謝したい」と述べた理由がここにある。

  地デジ受信機の世帯普及率は83%(ことし3月、総務省調べ)であり、地デジに対応していない世帯数は1000万近く残っている。全国的には、大型家電店の進出で町の電器屋は減っているという。「珠洲モデル」が果たして、全国のお手本となるのか、どうか。

 ⇒25日(日)夜・金沢の天気  はれ   

★地デジ化の扉・上

★地デジ化の扉・上

 アジアで初めて、放送の地上アナログ波が停波した。こう表現すると、少々おおげさに聞こえるかも知れないが、実際にはそのくらいのインパクトはある。きょう7月24日正午で能登半島・能登町明野地区にある珠洲中継局から発信されていたテレビのアナログ放送を終了し、デジタル放送へ移行した。珠洲市の「ラポルトすず」で開催された記念セレモニー(午前11時30分開始)に出席した。

            扉を開いた人のリスク・マネジメント

  停波に向けたカウントダウンの声が上がったのは、正午より30秒ほど前だ。地元の民放テレビ局の社長らが「スイッチオンセレモニー」に立ち会い、定刻にステージ上に並べた民放とNHKのアナログ放送のモニター放送が一斉に砂の嵐状態になった。すかさず、北陸総合通信局長の吉武洋一郎氏による「珠洲地区デジタル化完了宣言」があった。つまり、ここにアジアでの地デジの第一歩を記したと宣言したのだ。

  きょうは「日本全国地デジカ大作戦」と題して各地で広報イベントが繰り広げられたが、東京の帝国ホテルでは「~地上・BS 完全デジタル移行まったなし1年前の集い~」(主催:デジタル放送推進協会)が開催され、珠洲会場と東京会場が双方向の中継で結ばれた。原口一博総務大臣から「珠洲市は全国に先駆けて完全デジタル化の扉を開いた。今後の発展に期待したい」と珠洲市に向けてお祝いのメッセージが送られた。  新しい構想が打ち上げられた。珠洲市での記念セレモニーであいさつに立った総務省官房審議官の久保田誠之氏が、珠洲で停波で空いた周波数帯(ホワイト・スペース)で、観光目的などに利用する「エリア・ワンセグ放送」の実証実験を行うと述べたのだ。アナログ放送の停波に伴うエリア・ワンセグの実験は全国初ということになる。ホワイト・スペースに関しては、マルチメディア放送や携帯電話、道路交通システムなどへの電波割り当てが検討されている。当初は珠洲市役所周辺の数百㍍、徐々にエリア拡大して地域振興を目的としたエリア・ワンセグにする構想という。ホワイト・スペースの活用によって、地デジの意義付けが実感できるものとなるに違いない。

  ところで、完全デジタル化の扉を開いた珠洲市だが、その旗振り役は同市の泉谷満寿裕市長だった=写真=。総務省のアナログ停波リハーサル事業(2009年度)の候補地に名乗りを上げた。2007年3月25日の能登半島地震では、多くの家庭で屋根のアンテナが落下あるいは向きがずれ、またテレビ本体が棚から床に落ちてテレビ視聴ができなくなった。家電量販店の進出で数少なくなった地元の電器店が右往左往する光景を目の当たりにしてきた。さらに同市では過疎・高齢化が進む。6600世帯のうち40%が高齢者のみの世帯で、さらにその半分に当たる1000世帯余りが独居である。

 泉谷市長には、「地デジに高齢者世帯は対応できるのか。地震のときのように市民がうろたえるのではないか」と、予想されるこの事態をどう乗り切るか常に問題意識としてあったという。「2011年7月24日」は、表現は適切でないかもしれないが、「予定された災害」である。こうした首長の切実感が停波リハ-サルにいち早く名乗りを上げ、着実に地デジ化100%の道をつけた。これはリスク管理といった方が分かりやすいかも知れない。

⇒24日(土)夜・金沢の天気  はれ

☆切れている関係

☆切れている関係

 農産物の直売場がちょっとした人気だ。市場を通した店舗販売より安価で、生産地が近いという安心感も、受けている理由の一つなのだろう。金沢市北部にも、JAが運営する直売場=写真=が来月(8月)にオープンする。ただ、その建築物を見ていて、違和感を感じるのは鉄骨製の金属張り、木がまったく使われていないのだ。山と緑をバックにしながら、まず風景的に違和感を感じる。施工者の発想の中で「農と林の関係性」が切れているのではないかと直感した。

 農と林は本来一体である。かつて、野菜を耕す土壌は落ち葉を堆肥化してきたし、人々は農と林の仕事の組み合わせで里山の生業(なりわい)を立ててきた。ところが、農は化学肥料に依存し、外材の輸入による価格低迷で林の仕事はコスト的に見合わなくなった。1960年代からの高度成長期を経て、その有り様が鮮明になり、農と林の関係性はまったく別ものになってしまった。

 同じことが陸と海、つまり里山(農山村)と里海(漁村)でも言え、その関係性が切れている。古くから漁村では、魚は森に養われているという意味で「魚付林(うおつきりん)」と呼び、森を大切に保全してきた。里山と里海は個別に考えられがちだが、川を通じてつながっており、「自然のネットワーク」がかたちづくられている。この自然のネットワークの仕組みを解き明かすキーワードは「物質循環」である。栄養塩で言い表される、陸と海が一体となった食物連鎖であり、海の生態系と陸の生態系とのつながりを示す言葉である。魚付林はそのような自然のネットワークを守る人間のネットワークのことだった。

 さらに、人と自然の関係性も切れつつある。人と自然が離れれば離れるほど、自然は荒れ、人は自然を失って、社会も行き詰ると考える。物質循環から自然のネットワークの仕組みをもっと分かりやすく解明すれば、おのずとお互いがステークホルダー(利害関係者)であるとの認識を科学が教えてくれる。これを公共の理念として再構築できないだろうか。いわば、今風の「魚付林の再生」である。人や組織が有機的に結びつくことで、市場では得られない価値、それを「関係価値」と呼んでおこう。従来の物質的な豊かさや利便性だけを追求する価値観とは異なり、環境を理念とする関係価値という新たな公共の概念となるのではないか。

 話は前段に戻る。鉄骨製の金属張りの農産物の直売場はおそらく、コスト性を追求した結果だろう。そのために犠牲になったもの、それは周辺を含めた景観であり、農と林の総合的な直売という発想だろう。農だけで品揃えができるのだろうか。林から提供できる商品も多々ある。冬場は何を売るのだろうか。農と林という着想があれば、外観で木材を使おうといった設計になり、周囲に溶け込んだものになっただろう。

 人と自然、農と林、里山と里海、下流域と上流域、さまざまな関係価値を失って、荒涼として殺風景な世界が広がっている。それが今の日本だ。おめでたい開店を前に、ある直売場の建設現場から見えた心象風景を吐露した。

⇒22日(木)夜・金沢の天気  はれ   

★選挙のテレビ関係者

★選挙のテレビ関係者

 参院の新議員51人の顔ぶれを見ると、その党が選挙ポリシーが理解できる。まず目に付くのは、民主はテレビ関係者が多いことだ。TVリポーター(北海道)、テレビ局記者(滋賀)、蓮舫氏も元テレビ局のキャスターだった。落選したが、大阪ABCの人気番組「探偵…」の女性司会者や、富山の元テレビ局アナウンサーなどかなりの数でテレビとかかわった人たちが今回、選挙を戦った。その点、自民は県議、市議ら地域で基盤を築いてきた、いわゆる「叩き上げ」が多い。ざっと数えただけで県議出身が7人も。

 民主党は、知名度が抜群なテレビ局関係者をイメージ戦略として利用したのだろう。国政選挙にあるいは、政界に打って出たいというテレビ関係者はいくらでもいる。ちょっとした人脈を得て、候補者として起用されたであろうことは想像に難くない。また、こう述べると、「テレビ局関係者はタレントとは違うので、軽々に選挙に出るべきはない」と言っているのではない。自らのポリシーを持って、国政に出ればよい。

 ただ、言いたいのは有権者の多くは、テレビ関係者とタレントを同列視する傾向がある。視聴者からすれば、司会者であっても、キャスターであっても、テレビのモニターに映る人はみんな同じタレントに見えるのである。テレビ局側もその司会者やキャスターのキャラ(個性)を生かして、番組を構成している。そのキャラとは話し方や仕草など番組のコンセプトに違和感のない人物を登用しているのだから、いわばタレントである。視聴者がそう思うのも当然である。

 昨日(12日)のテレビ朝日「報道ステーション」で、有権者がこのような趣旨のことをインタビューに応えて述べていた。「大阪は、横山ノックさんでタレント候補はもういらんと思っている」と。2000年に強制わいせつ罪で在宅起訴され、知事を辞職した横山ノック(山田勇)大阪府知事のこと。大阪人の「タレント候補アレルギー」は相当なものだと日ごろ思っていた。07年1月にそのまんま東(東国原秀夫)氏が宮崎県知事が当選したとき、朝日新聞大阪本社は大阪の世論に配慮して、一面トップとはせず、準トップとして扱った。同じ朝日新聞東京本社や各紙は一面トップだった。

 これは大阪だけの傾向なのだろうか。民意や世論は必ずしも有名人を欲してはいない。有名人は票が取れなくなっているのではないか。むしろ、県議や市議といった、有名ではないが、基盤を持っている候補者は信頼感がある。無党派層の取り込みを狙ったタレント候補時代、あるいはテレビ関係者候補の時代は終わったように思う。政党はワンパターン化したイメージ戦略を見直すべきなのだ。

⇒13日(火)朝・金沢の天気  あめ

☆当確打ちの舞台裏

☆当確打ちの舞台裏

 11日の第22回参院選の選挙特番は各局、チカラが入っていた。テレビ朝日の「選挙ステーション2010」(午後7時57分スタート)は、投票が締め切られた午後8時で出口予想として、「民主47-自民50」とした。結果は、民主党は2004年の50議席に及ばない44議席にとどまり、自民党の51議席を下回る大敗となった。自民党は「改選第1党」に復調。みんなの党も改選第3党となる10議席に躍進し、民主党は国民新党との連立与党で過半数を割り込んだ。続々と出てくる当確に、テレビ各局の当確(当選確実)打ちの技術はスキルアップされたと印象を受けた。

 昨日は家族といっしょに投票場に出かけた。ここ数年、市議選から国政選挙まで欠かしたことがない。政権交代など流動化している政治が面白いし、当落予想は楽しみだ。その実感をつかむには投票行動を起こすことが何よりと考えているからだ。投票場の出入り口には、NHKと地元新聞社の調査員が待機していた。出口調査のためだ。新聞社の調査員が寄ってきて、「ご協力をお願いします」と依頼され応じた。今回の選挙区では誰に、比例ではどの政党にのほかに結構細かな質問がある。「石川県知事を評価するか」などといった、今回の参院選に直接関連しない項目もある。地元新聞社なので、県内の動向をつかんでおきたいのだろうと、むしろその姿勢に好感が持てた。この出口調査の結果は新聞社系列のローカルテレビ局にもデータが共有され、当確打ちの判断材料となっているはずだ。

 このテレビ局の当確打ちの根拠となるデータは出口調査だけではない。投票が締め切られる午後8時以降、調査の舞台は開票場に移る。各投票場から投票箱が続々と開票場に集まってくる。そして9時過ぎごろから実際の開票が始まる。投票箱が開けられ、票がばらまかれる台は「開披台(かいひだい)」と呼ばれる。その票を自治体の職員が候補者ごとに仕分けしていく。その職員の手元を双眼鏡で覗き=写真=、どの候補者が何票得ているかカウントする。この作業は、マスメディアの業界用語で「開披台調査」と称している。開票場は普通、体育館で行われるので、観覧希望者は2階に上げられる。その2階から覗くのである。双眼鏡で覗くので「違法性」があるのではと一般の観覧者は思うのだが、メディア各社は選挙管理委員会に「双眼鏡で調査する」旨を届けており、選管も了解済みだ。

 開披台調査はペアが基本だ。一人が双眼鏡で仕分けされる候補者の名前を読み上げ、もう一人それを数字でチェックしていく。「A候補が100、B候補が59、C候補が10」というように、軸となるA候補が100になるまでカウントして、その他の候補の数字と比較する。こうしたペアが同じ開票場に5組ほど配置され、それぞれ異なった開披台を調査する。A候補が100になった時点で電話でデータ集計本部に連絡される。開披台調査では、A候補が2000になった時点で、実際の開票終了時との集計誤差はプラス、マイナス3%にまで高められるとされる。この開披台調査では大学生らが新聞-テレビの1系列で数千人規模でアルバト動員され、各局が当確打ちの速さを競うことになる。

 選挙特番を視聴していると、その番組のスタジオの裏舞台が見えてくる。どのテレビ局が確実なデータを収集して、それを当確打ちにいち速く反映しているのか…。テレビ局の総力が試されているのが、選挙である。

⇒12日(月)朝・金沢の天気  あめ

★所信表明を読み解く

★所信表明を読み解く

 6月11日の菅総理の所信表明演説が翌日、新聞各紙に掲載された。つぶさに読むと、「生物多様性」という言葉が2度、ほかに「グリーン・イノベーション」や「ライフ・イノベーション」「少子高齢社会を克服する日本モデル」「一人ひとりを包摂する社会」とい新たな言葉がちりばめられた演説文となっている。菅氏と言えば、市民運動家というイメージが浮かぶ。有名な話は、市民からの寄付の領収書代わりに「菅直人株」を発行し、配当する利益は「良い社会」というアイデアを打ち出し、ボランティアによる「市民選挙」を進めたことだろう。母親から「子ども手当て」をもらってぬくぬくと育った前総理とは違って、目線が広く鋭い。そんなことを思いつつ、所信表明演説を読み解いてみる。

 面白いと思ったのは、「少子高齢社会を克服する日本モデル」だった。少子高齢化は日本だけでなく、ヨーロッパを含めて問題だ。ただ問題とするのではなく、積極的に打って出て、「克服する日本モデル」をつくろうと提唱している点だ。これは年金、介護、子育て支援を含めた社会保障をトータルでハンドリングできる仕組みづくりを進めるという意味合いだと読める。そのために、過去さまざまに論議をされてきた「社会保障や税の番号制度」などに踏み込んで基盤整備を進めるとしている。確かに、「崩壊」が危惧され、若者が見限りつつある年金制度にしても、問題が個別化してしまって見えにくくなっている。この際、「揺りかごから墓場まで」の強い社会保障の再構築が必要であり、それを国際モデル化するという発想なのだろう。さらにその信念のほどについて、演説では「企業は従業員をリストラできても、国は国民をリストラすることができない」と述べている。市民目線の貫きを感じる。

 市民派宰相の地域への目配りはどうだろうか。農山漁村を有り様を意識して、「農山漁村が生産、加工、流通までを一体的に狙い、付加価値を創造することができれば、そこに雇用が生まれ、子どもを産み育てる健全な地域社会が育まれます」と述べ、さらに、林業は「低炭素社会で新たな役割が期待される」としている。残念ながら、地域の有り様は総論なのである。

 ここで提起したいのは、先に菅氏が強調した「少子高齢社会を克服する日本モデル」は何も都市現象ではない。農山漁村の方がテンポが速い。さらにこれは国内問題ではなく、国際的な問題でもある。そこで、たとえば、海外の類似の人口形態系の国、イタリア、イギリス、フランスなどヨーロッパ諸国と連携して、日本が先端を切って少子高齢化と農山漁村の問題に立ち向かうアピールした方が説得力がある。 

 演説文で違和感があったのは外交問題だ。北朝鮮に関して、「不幸な過去を清算し、国交正常化を追及します」とまず述べ、その後に「拉致問題については、国に責任において、すべての拉致被害者の一刻も早い帰国・・・」と綴っている。これは逆だろうと誰もが思うだろう。現在進行形の問題(拉致問題)が優先である。6月8日付のアサヒ・コムによると、自民党の安倍晋三氏は、北朝鮮による拉致事件の実行犯とされる辛光洙(シン・グァンス)容疑者の釈放運動に菅氏が土井たか子氏(元社民党首)と関わった事実を挙げて批判していると報じている。今後の国会で、この釈放運動に関する過去問題と今回の演説の絡みが追及されそうだ。

 「自在コラム」でも述べてきた普天間基地の移設問題については、『平和の代償』を著した国際政治学者、永井陽之助氏を引き合いに出して、「現実主義を基調とした外交を推進する」と前置きして、「日米合意を踏まえつつ、同時に閣議決定でも強調されたように、沖縄の負担軽減に尽力する覚悟」と述べるに止まった。ただ、「今月23日、沖縄全戦没者追悼式が行われます。この式典に参加し、沖縄を襲った悲惨な過去に思いを致すとともに、長年の過重な負担に対する感謝の念を深めることから始めたい」と沖縄行きを明かした。これが菅氏が沖縄問題に踏み込む第一歩となるのだろう。

⇒13日(日)午前・金沢の天気  くもり 

☆ただ風が吹いている

☆ただ風が吹いている

 5月3日に沖縄のアメリカ軍海兵隊基地「キャンプ・シュワブ」、そして辺野古の基地反対の座り込みテントを訪れてから1ヵ月余り、日本の政治が凝縮されたようなさまざまな政治局面が展開された。その結果、ついに鳩山総理は退陣して、あす8日には菅直人氏が総理の座に就くことになるのだが、沖縄の問題は何一つ変わってはいないのだ。

  この1ヵ月余りの間、鳩山氏は5月4日と23日2度沖縄を訪れ、仲井真弘多知事らに対し、アメリカ軍普天間基地飛行場を、キャンプ・シュワブ沿岸部のある辺野古崎に移設する方針を表明した。「県外移設」を明言していた鳩山氏が、自ら「公約違反」のデモンストレーションを行ったわけで、訪問先の沖縄県庁や名護市の万国津梁館では、「怒」と書いた紙を持った県民が集まり「裏切りだ」と声を上げる様子がテレビで繰り返し伝えられた。「友愛」を口にする鳩山氏ならば、ここで車を降りて、もみくちゃにされるのを覚悟で県民に直接詫びるべきではなかったか。ところが、鳩山氏が乗った車の列は、その声を無視するように猛スピードで通過したのだった。友愛を行動で示す度胸がなかったのだろう。

  そして、政治局面は急展開する。5月28日。日米外務・防衛閣僚(2プラス2)共同声明に続き、閣議決定でも米軍普天間基地の移設先として「辺野古」を明記した鳩山氏は、閣議決定への署名を拒んだ福島みずほ消費者・少子化担当大臣(社民党党首)を罷免。これを受け、社民党は30日に全国幹事長会議を開き、鳩山連立政権からの離脱を決定した。福島党首は会議のあいさつで「平和と基地の問題は党の1丁目1番地」と述べた。この政権離脱が決議された当たりで、マスメディア各社は一斉に世論調査を実施した。30日付の朝日新聞で内閣支持率は17%、31日付の読売新聞では内閣支持率は19%と伝えた。内閣支持率は20%がデッドラインとされ、それを割り込んだ。

  6月2日、鳩山氏は決断する。民主党の衆参両院議員総会で「社民党を政権離脱という厳しい道に追い込んだ責任を取らねばならない」と退陣を表明。同時に小沢氏も幹事長辞任で話のケリがついたことが明かされた。4日の閣議で総辞職した鳩山内閣、その日の午後に衆参両院本会議で菅氏が新しい首相に指名された。ところが、このブログを書いているこの日、つまり7日はまだ鳩山内閣のままである。あす8日の皇居での任命式を終えるまで、憲法71条に基づき鳩山内閣は職務を執行することになる。心はすっかり一議員に戻った鳩山氏なのだが、この「政権空白」のときに、大陸からミサイルが撃ち込まれたら誰が責任ある行動を取るのだろうかと危惧するのは私だけだろうか。この危機意識のなさが、これまでの鳩山内閣のすべてを物語っているような気がする。ちなみに、鳩山氏の総理としての在職日数は、菅内閣が4日に発足していれば262日で、自らが官房副長官として仕えた細川護煕氏に1日及ばずだったが、組閣が8日にずれ込んだことで、細川氏を上回る266日(2009年9月16日‐2010年6月8日)になった。現行憲法下では6番目の「短命政権」となる。

  さて、菅内閣があす8日発足する。朝日新聞が6日付で報じた緊急世論調査(電話)では、菅新首相に「期待する」とした人が59%で、「期待しない」33%を大きく上回った。共同通信社の世論調査でも期待が57%を占め、「総理交代効果」あるいは「ご祝儀相場」は高い。民主党は鳩山内閣から菅内閣へと衣替えをすることで、イメージダウンを一気に盛り返した観がある。おそらくこのまま7月に予定される参院選挙になだれ込んで、過半数を制したいところだろう。

  ここで振り返ってみたい。民主党はこれで万々歳なのかもしれないが、あの沖縄の「怒」は収まってはいない。むしろ辺野古への移設を閣議決定で固定化したために、この「怒」はさらに大きくうねっているだろう。日本の政治の現状は何も変わってはいない。ただ風が吹いているだけである。

 ⇒7日(月)朝・金沢の天気   はれ

★沖縄の風~続編~

★沖縄の風~続編~

 鳩山総理の沖縄訪問の目的は一体何だったんだろう、と考えてしまう。きょうのメディアの論調と同じだ。各紙の一面見出しはおおむね「首相 県内移設を初表明」「普天間問題 理解求める」である。つい先日までは、「極力、県外に移設させる道筋を考えたい」(3月26日付・中日新聞)と述べていた。ところが、きのうの鳩山総理の会見(沖縄)で、「県外、国外」発言については「党としての発言ではなく、私自身の代表としての発言」と述べ、話をさらにややこしくしている。真意はどこか多くの有権者は図りかねているのではないだろうか。かつて、先達から「アマは問題を複雑化し、プロは問題を単純化する」という訓を聞いたことがある。この訓に照らし合わせれば、総理の一連の発言は少なくとも「プロの言葉」ではない。

             普天間問題 ワジワジの風

  3日午後、沖縄旅行の折、沖縄県名護市辺野古の在日米軍海兵隊の基地「キャンプ・シュワブ」のゲートで写真撮影をした。すると、門兵が駆け寄ってきたので、その場を速やかに立ち去った。その後、辺野古で住民が座り込むテント村も訪れた。笑顔で声をかけてくれたが、総理の沖縄訪問を前にピンと張り詰めた雰囲気がテント内に漂っていた。総理を迎えた沖縄は、その一挙手一投足を注視していたのではないか。その総理に対し、4日の現地では「恥を知れ」の罵声が飛んだ。

  総理の記者会見(沖縄)でキーワードとなった言葉はおそらくこの一言でなないだろうか。

「学べば学ぶにつけて、沖縄におけるアメリカ海兵隊の役割は、全体と連携しているので、その抑止力が維持できるのだと理解できた」。これを素直に解釈すれば、海兵隊の基地であるキャンプ・シュワブは簡単に動かせるものだと思っていたが、その役割を考えるとはやり、普天間飛行場の代替施設は辺野古しかないということをようやく学んだ、ということだろう。「ようやく学んだ」ということの意味は、「これまでの発言は勉強不足からくるもので改めたい」と同義語だ。つまり、これまでの「県外、国外」発言を帳消しにしたい、という解釈になる。「恥を知れ」の罵声には、沖縄の人々にとって愚弄されたという怒りがあるのではないだろうか。

  外交を司る総理の発言かと耳を疑って、きのうの会見をテレビで見ていた。誰もが聞いても、明らかに言葉が「浮いている」のだ。さらにきょうのテレビ朝日「ワイド!スクランブル」の激論で出演していた民主党の議員の言葉がさらに話をややこしくしていた。「沖縄県民から反対の声をもらって、『県外・国外』について、これからアメリカとの交渉が始まるんです。これが第一歩です」と擁護発言を。防衛と外交はある意味で政府の専権事項だと解釈している。政府が主導権を持って外交と防衛に当たらねば、その任務を誰が成し遂げるのか。「御用聞き」のような発言に、その自覚はないのかと、愕然とする発言だった。そう感じたのは私だけではないだろう。

  バスガイド嬢から教わった沖縄言葉にワジワジがある。もともと南国のおだやかな性格から、ナンクルナイサ(何とかなるさ)という楽観的な人が多い。そんな人でも、腹の底からわき上がってくる怒りのことをワジワジと言うそうだ。沖縄はいま、普天間問題でワジワジしているのだ。(※写真は、辺野古の海とキャンプ・シュワブ)

 ⇒5日(祝)夜・金沢の天気   はれ 

☆沖縄の風~下~

☆沖縄の風~下~

 滞在しているホテルは恩納村の山懐にある。沖縄本島の中ほど、地形的には随分とくびれたところにあり、ここから見渡す海は名護湾、そして東シナ海、背にした山のすぐ向こうは辺野古(へのこ)崎、そして太平洋が広がる。いま日本の政治が揺れているのはまさにこのスポットをめぐってである。

         辺野古から吹く「民意の風」

 きょう午後、辺野古を訪れた。現地では普天間飛行場の代替施設の建設に反対する住民の座り込み行動「辺野古テント村」=写真=がきょうで2206日目となった。テントの中には5、6人が海を見つめながら話し合ったりしていた。記者と間違えられたのか、「どこの新聞社なの」と向こうから尋ねられた。ニュースの現場を見に金沢からやってきた旨を告げると、代替施設の建設計画地などを説明してくれた。人魚のモデルとして知られるジュゴンが生息するという辺野古の海は透き通った緑の海だ。砂浜を挟んだ陸地には在日米軍海兵隊の基地「キャンプ・シュワブ」が広がる。

  2004年8月13日、アメリカ軍普天間基地の大型輸送ヘリコプターが訓練中にコントロールを失い、沖縄国際大学(宜野湾市)の建物に接触し、墜落、炎上した。乗員3人は負傷したが、夏休みということもあり、学生や職員など民間人に負傷者は出なかった。原因は、整備不良によるボルトの脱落とされた。沖縄の住宅地にアメリカ軍のヘリコプターが墜落したのは1972年の復帰後初めてのこと。昼夜の低空飛行で「もしかしたら」と沖縄県民が恐れていたことが現実になった。

  アメリカによる冷戦後の軍配置の見直しの機運があったことに加え、この墜落事故をきっかけに、日米両政府による在日米軍再編協議が進み、2006年5月1日に正式に合意された。沖縄に関しては、沖縄に駐留する海兵隊司令部と隊員・家族1万7000人のグアムへの移転、沖縄本島中南部にある5基地の全面返還、1基地の部分返還が盛り込まれた。その前提条件が、V字形に2本の滑走路を備えた普天間飛行場の代替施設をつくることだった。そのロードマップ(工程表)として、2014年までに名護市辺野古沿岸(キャンプ・シュワブ側)に代替施設を建設するという方針が自民党から示された。

  その後、自民党から民主党へと政権交代があり、さらに代替施設受け入れを容認してきた名護市の現職市長が、代替施設受け入れ反対・県外移転を主張する新人候補に破れた(2010年1月24日)。

  鳩山総理はあす4日、総理就任後、初めて沖縄の地を踏む。そして、仲井真弘多県知事と話し合いをする。沖縄の地元メディアは今の政府に疑心暗鬼の論調だ。訓練の一部を鹿児島県徳之島などに分散することで、沖縄の負担を減らすが、最終的に辺野古沿岸への移設する自民党政権時代の「現行案」の受け入れを県民に求めにやってくるのは許さない、と。現地では「県外・国外を軸に修正を図れ」と日増しに論調を強めている。

 普天間と辺野古。この二つの場所は、沖縄本島の人たちが中頭(なかがみ)と言う島の真ん中あたりのことで、実に近い。直線距離にして40㌔足らずではないだろうか。沖縄の人の感覚だと、ちょっと北に移動するだけで、現状は変わらない。鳩山総理もテント村を訪れ、2206日も座り続けている住民の声を耳を傾けたらどうだろうか。

 ⇒3日(祝)午後・沖縄県那覇市の天気  はれ  

★沖縄の風~中~

★沖縄の風~中~

 沖縄の海の文化が紹介されているというので、本部(もとぶ)町の海洋博公園を半日ゆっくり回った。興味を引いたのが「沖縄美ら海水族館」で特別展「海の危険生物展」だった。中でも危険な静物して紹介されているのがハブクラゲ。初めて聞くおどろおどろしい名前の生き物だ。なにしろ、ハブと聞いただけで危険と直感するのに、それにクラゲがついている。写真のようにいかにもグロテスクだ。何が危険かというと、水深50㌢ほどの浅瀬にいて、カサの部分が半透明なため、接近されてもよく見えない。それでいて、触手は150㌢にもスッと伸び、刺胞(毒針が毒液が入ったカプセル)を差し出す。これ触れると毒針が飛び出し、毒を注入される。姿が見えない、それでいて超越した戦闘能力を持つ、まるでSF映画『プレデター』に出てくる異星人なのだ。

            海のプレデターと「山羊薬」

  刺されると激しい痛みがあり、ショックで死亡するケースもある。このハブクラゲだけで年間200件余りの被害が報告されている(沖縄県福祉保健部のリーフレット)。そこで、沖縄県は本島だけで「クラゲネット」という防護ネットを33ヵ所も設けて、ネットで中で海水浴を楽しむように呼びかけている。ちなみに英単語「predator」は動物学用語で「天敵」「捕食者」の意味である。沖縄のハブクラゲは日本海のエチゼンクラゲと並んで、人の天敵と化している。

  「人と海は近かった」と感じた展示物があった。海洋文化館にある「バジャウの家船(えぶね)」だ。フィリピン南方のスルー諸島を航海するのに使われ、「レパ」とも呼ばれ、現地の人にとって移動手段だけでなく、食事や就寝という生活全般に使われていた。展示されている船は1975年まで実際に漁師の一家が住んで漁を営んでいたものだと説明されていた。日本でも、能登半島の輪島市の海女たちが「灘(なだ)回り」といって、魚のヌカ漬けなどを冬場の行商で売り歩くときに乗っていた家船とそっくりであることを思い出した。私は実際に見たことはない。25年ほど前、新聞記者時代に同市海士町を取材した折、昭和20年代の写真を見せてもらったことがある。それを連想したのだ。

  波の音、風の音、そして揺れ、寒さ、すべてを受け入れる生活である。もともと人はサルから起源を発した「森の動物」だった。それが海上で暮らすのだから、相当の肉体的、精神的な負荷を伴ったろうことは想像に難くない。

  話はがらりと変わる。海洋博公園に屋台の店が出ていた。なにげなくのぞくと除くと「ヤギ汁」と手書きの看板が出ていた。きょうのバス・ツアーのガイド嬢の説明によると、沖縄ではヤギ(山羊)料理をヒージャーグスイ(山羊薬)と呼ぶほどの名物だという。新築とか出産のお祝いのときに、ファミリーが集まって食する。料理は「山羊刺し」が一般的で、ショウガとニンニクを乗せて、しょう油で食べるそうだ。ただ、「ヤギ汁」はウチナンチュ(沖縄の人)でも、その匂いで苦手な人も多いとか。ガイド嬢は「沖縄に来たら一度はチャレンジしてくださいね」と言っていた。そのヤギ汁が目の前にある。挑戦すべきか否か…。値段は「ヤギ汁(小)」が500円、「ヤギ汁(大)」は1000円もする。そこで、ささやかに挑戦することに意を決し、小盛を注文した。ヨモギの葉入り、ショウガ味で臭みが思ったほど感じられなかった。が、肉が弾力的で歯ごたえがある。ギュッと噛む。野ウサギの肉も、クマ肉、野鳥の肉も食したことがあるが、これら「けもの臭い」ジビエとは違った食感だ。薬だと思えば、気にするほどではない。

  立って食べていたので、最後の肉片を食べ終えたときに肉に付いていた骨を地面にうっかり落とした。そのときにカチッと金属のような音がした。数㌢の骨だが、手に取ると硬く重い感じ。ヤギの存在感が伝わってきた。

 ⇒2日(日)夜・沖縄県恩納村の天気  くもり