#コラム

☆『里山復権』~中~

☆『里山復権』~中~

 単行本『里山復権~能登からの発信~』(創森社)は、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の開催をめがけて出版された。そこには、条約事務局長アハメド・ジョグラフ氏と能登半島の関わりがあった。

      ジョグラフ条約事務局長が見た能登の里山里海

  2008年5月、ドイツのボンで開催された生物多様性条約第9回締約国会議のハイレベル会議でのことだ。この会議では、「日本の里山里海における生物多様性」をテーマに、生物多様性条約事務長のジョグラフ氏や国連大学高等研究所(UNU-IAS)のA.H.ザクリ所長(当時)のほか、環境省の審議官、石川県と愛知県の知事、名古屋市長らが顔をそろえ、生物多様性を保全するモデルとして里山について言及した。120席余りの会場は人であふれた。COP9全体とすると、遺伝子組み換え技術や、バイオ燃料が生物多様性に及ぼす負の影響を最低限に抑え込むことなどが争点だったが、<SATOYAMA>が国際会議の場で、新しいキーワードとして浮上した感があった。これは、次回COP10の開催国が日本に固まっていたことや、先立って開催されたG8環境大臣会合(神戸)で採択された「生物多様性のための行動の呼びかけ」で、日本が「里山(Satoyama)イニシアティブ」という概念を国際公約として掲げたというタイミングもあった。

  このハイレベル会議でのジョグラフ事務局長の言葉が印象的だった。「人に魚の取り方を教えると取りすぎてしまう。けれども、里山(SATOYAMA)という概念はそれとはまったく異なる」と述べて、人と自然が共存する里山を守ることが、科学への偏った崇拝で失われつつある伝統を尊重する心や、文化的、精神的な価値を守ることにつながると強調した。そのジョグラフ氏が能登半島を訪れたのは、COP9から4ヵ月後の2008年9月のことだった。金沢大学、石川県、能登の自治体が連携して開催した里山里海国際交流フォーラム「能登エコ・スタジアム2008」の催しの一環で開催した1泊2日の里山里海の現地見学にジョグラフ氏の参加が実現したのである。

  輪島の千枚田やキノコの山をスタッフが案内し、人々の生業(なりわい)や里山里海を保全する取り組みについて見聞きし、また、金沢大学が取り組む「能登里山マイスター」養成プログラムにも耳を傾けていただいた。そして、子供たちの環境教育のためにつくられたビオトープ(休耕田を活用)では、自らカメラを構えて撮影した=写真=。翌日は、早朝1時間半も一人で海岸を散策されたという。日程の最後に訪れた「にほんの里100選」の輪島市町野町金蔵(かなくら)地区では、ため池を使った田んぼづくりの見学や、民家を訪ねて人々の暮らしぶりを目の当たりにして、次のようなコメントを得た。

  「(条約事務局がある)モントリオールで日本の里山里海について勉強してきたが、実際に里山里海を訪問し、本物に触れることができとても勉強になった。里山里海は、生き物と農業、そして人の輪が調和して成り立ち、そこには人の努力があることを実感した。生物多様性については、生き物を保護するだけではうまくいかず、人の暮らしと結びついた取り組みが必要であるが、里山里海はまさにそのモデルとなるものであり、このことを世界に向けて発信してほしい」

 このコメントから分かるように、ジョグラフ氏にとって、能登は日本の里山里海をつぶさに見てまわる初めてのチャンスにだったに違いない。

  ジョグラフ氏が能登を訪れた意味合いは大きく2つあったと考えられる。1つは、そこで見た里山里海は「生き物と農業、そして人の輪が調和して成り立つ」一つの社会モデルであった。それは何のモデルかというと、名古屋市で開催される生物多様性条約第10回締約国会議で論議されることになる、「生物多様性の持続可能な利用」のモデルである。平たく言えば、環境保全と人間の社会経済活動(農業や漁業など)の両立を、どのように進めていけばよいのかというイメージをこの能登の視察からつかんだのではなかろうか。

  2つ目は、ジョグラフ氏が「そこには人の努力があることを実感した」と述べたように、キノコ山を手入れする人々や、休耕田をビオトープとして学校教育に生かす教師たち、村内に5つある仏教寺院を長らく守ってきた金蔵地区(人口は160人余り)の人々の姿ではなかったか。金蔵では、「自然と人、農業、文化、宗教が共生していることに感動した」ともジョグラフ氏は述べている。里山里海に生きる人々のモチベーションの高さを見て取ったに違いない。COP9のハイレベル会議でジョグラフ氏が強調した、失われつつある伝統を尊重する心や、文化的、精神的な価値を守る人々の姿を実際に能登で見たのである。

  生物多様性条約事務局長として、COP10を取り仕切ることになるジョグラフ氏はこの能登視察で里山(SATOYAMA)の有り様、そして里山と里海とのつながりを心に深く刻んだに違い。その後、ジョグラフ氏はコウノトリ野生復帰計画を支援する兵庫県豊岡市における農業と環境の取り組みについても視察(2010年3月)するなど、日本各地の里山里海に関心を寄せている。

 ⇒5日(火)夜・金沢の天気  くもり

★『里山復権』~上~

★『里山復権』~上~

 今月中旬から名古屋市で開催される生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)に向けて、一冊の本が出版された。金沢大学「里山里海プロジェクト」の研究代表、中村浩二教授・学長補佐と農業経済学者の嘉田良平教授(総合地球環境学研究所)ら編者となり、複数の研究者らが執筆した単行本『里山復権~能登から発信~』(創森社)である。私も執筆に携わった。本文を少々引用しながら、内容を紹介したい。

     ささやかな夢に計り知れない社会的価値       

  能登半島の先端・珠洲市に「里山里海自然学校」という看板が掲げられて4年あまり、里山里海という言葉がようやく地域内に定着しつつある。当初、里山里海といっても、地域の人々には何を意味するのか、さっぱり理解されなかった。しかし今では、その意味と大切さが地域住民の間にかなり浸透して、広く理解されるようになっているという。おそらくその背景には、「能登里山マイスター」養成プログラムによって、次世代を担う人材が地域の農林漁業の現場に配置され、また常駐研究員たちが地元の人々と共に日常的に汗を流してきたことがあると思われる。

  ところで、能登里山マイスターの三期生と四期生45人の中には、県外からのIターン、Jターン、Uターンの受講生が計13人もいる。能登での人生設計の夢を抱いてやってきた人たちばかりだ。特にIターンやJターンの場合、都会での生活に終止符を打って能登に移住してくるので、その期待度は大きい。もちろん、夢の実現は決して簡単ではなく、現実にはさまざまな壁があるにちがいない。受講生たちの夢がはたして能登で叶えることが可能なのかどうか、実は大問題なのである。

  能登に移住してきた受講生たちの夢は、おしなべて実にささやかである。しかし、その夢を実現したいという熱意は大きく、その取り組み姿勢は受け入れ側を真剣にさせ、地域によい刺激を与える。埼玉県から輪島市の山間部に移住してきた女性は、集落に宿泊施設がないので、自らが住む空き家だった家を「ゲスト・ハウス」として衣替えした。すると、農村調査の学生や棚田の保全ボランティアにやってくる都市住民や一般客が口コミでやってくるようになった。地域社会へのインパクトはすこぶる大きいのだ。

  サカキビジネスを展開する金沢の男性は、農家の耕作放棄地にサカキを植えて栽培し、金沢に出荷する。サカキは摘みやすく、高齢者でも比較的楽な作業である。これはしかも地域資源の有効利用であり、過疎・高齢化で進む耕作放棄地と、お年寄りの労働力に目をつけたビジネスである。地域の実情やニーズにあった、「コミュニティ・ビジネス」といえる。一見、ささやかな夢、小さな事業ではあるが、そこには計り知れない社会的価値が存在するように思われる。

  「よそ者」である彼らには、むしろ客観的に地域の実態や課題がよく見えるらしい。それを自分の夢と合致させながら、自己実現を図ろうとしているのである。もちろん、里山プログラムでは担任スタッフが受講生の相談に応じ、ときには地域連携コーディネーターを交えてアイデアを具体的に提案して試行錯誤が始まる。

  こうしたオーダーメイド型の対応によって、ささやかな夢、小さな事業の第1歩が踏み出されるのであるが、それは地域社会にとっても少なからぬ刺激と勇気が与えられる。『里山復権~能登からの発信~』はこのような事例が詰まっている。

 ⇒4日(月)夜・金沢の天気  はれ

☆猛暑一転、波立つ

☆猛暑一転、波立つ

 先日までの猛暑が嘘のように一気に秋めいてきた。昨日は「夏じまい」の日だった。夏場で汚れた自家用車を洗った。ところどころに鳥のフンがついていた。家族から「むさくるしい」と言われ、6月以来の散髪に行った。ひと夏でこんなに伸びたのかと実感した。

 ところで、尖閣諸島で海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件が起きて、外交が波立っている。中国の例の大人気ない「対日圧力」が続いた。中国側が招待した千人規模の日本青年上海万博訪問団の受け入れ延期や、日本向けのレアアース(希土類)の輸出を全面禁止など、思いつくまますべての約束事を棚上げ、禁止して圧力を強めているという感じだ。きょう24日になって、河北省で、ゼネコンの邦人社員4人が軍事管理区に無断で侵入し、軍事目標を違法にビデオ撮影したとして検挙されたというニュースが流れている。報復措置と見られている。そしてダメ押しは中国の温家宝首相が「日本側に、(船長を)即刻、無条件で解放することを強く促す。日本が独断専行するなら、中国は一歩、行動を進める。発生する一切の深刻な結果は、すべて日本側の責任だ」と非難していることだ。なんとなく北朝鮮の非難声明と似た論調に聞こえる。

 漁船の衝突でなぜ中国がこれほど過敏に反応するのか、なぜ中国側がいきり立っているのかと誰しもが思っている。理解できない。こうまでされると、この漁船には何か漁業以外の目的があったのではと推測してしまう。今思い出したが件、毒ギョーザ問題(08年)でも「日本側の捏造だ」と当初、中国政府がコメントを出していた。

 前原外務大臣は23日、ニューヨークでクリントン米国務長官と会談し、尖閣諸島沖の海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件について、国内法に基づき刑事手続きを進める方針を説明した。これに対し、クリントン長官は尖閣諸島について「日米安全保障条約は明らかに適用される」と述べ、アメリカの対日防衛義務を定めた同条約第5条の適用対象になるとの見解を表明した。また、クリントン長官は衝突事件に関し「日中両国が対話によって、平和的に早期に問題を解決するよう望む」との期待を示した、と報じられている。尖閣諸島はどこの領土かを第三者によって外交的に確認し、その上で日本の国内法で処罰の手続きを進めるという中国側に対するメッセージだろう。日本側は、法にのっとり粛々と進めるという方法をとっている。

 さらにこんなことも考えてみる。もし、先の民主党代表選挙で小沢一郎氏が勝ち、総理大臣になっていたとすると、どんな手法をとるだろうか。そこで思い出してしまうのが、昨年12月に問題となった、宮内庁の「30日ルール」を官邸側が強引に破って、天皇と中国国家副主席との会見を設定した一件だ。民主党の幹事長だった小沢氏はこのとき、反対した宮内庁長官に対し「内閣が決めたことを一官僚が記者会見まで開いて言うものではない。言うのなら、辞めてから言うべきだ」と言ったのを覚えている。この小沢氏のスタンスなので、もし総理になっていれば、「人道に基づき、船長を中国に帰す」など言っていたかもしれない。小沢氏の強引な政治手法は、中国側のそれと少々似たところがある。

 問題はさらに根深い。前原外務大臣がかっこくよクリントン国務長官の言質を引き出したおかげで、「思いやり予算」(在日米軍駐留経費負担)は事業仕分けどころか、アメリカからの増額要求を飲まざるを得ないかもしれない。これはこれで問題なのである。「安上がり」のことを考えれば小沢流の超法規的措置なのかもしれない。小沢流か前原流か、外交は複雑である。

⇒24日(金)朝・金沢の天気  くもり
 

★猛暑とスパム

★猛暑とスパム

 連日、真夏日(30度)を超える暑さ。そんな中、さらにヒートアップするような事件の数々が。アラカルトで思いつくまま。

 昨晩(1日)、知り合いのイラン人研究者の名前で「Help」という件名の英文メールが届いた。メールの内容は、イギリスでパスポートやクレジットカードの入ったカバンを盗まれたので、お金を工面して欲しいというもの。日本人の知り合いに多数届いていて、そのうちの1人が研究者の所在を電話で確認したところ、昨日も金沢にいることが分かった。つまり、メールはスパムメールだったのだ。

 今晩、本人で電話で話をした。すると、彼が使っているGメールがハッキングされ770人のメールアドレスに上記のメールが送られていることが分かった。履歴をたどるとハッカーの所在地はナイジェリアだった。当然、本人には朝から確認と問い合わせの国内外の電話がかかってきた。私で「100本目だ」という。中には、メールを返信したところ「もう空港から飛行機に乗るので、送金を急いでほしい」と哀願され、口座番号の確認のため彼に電話して被害を免れた人もいた。メール版オレオレ詐欺だ。

 先のブログで、「ニュースは毒を飲まされてしまった」のタイトルで肉親の死亡を隠して年金をだまし取る詐欺の横行について書いた。案の定、全国で続々と発覚している。誰も読みたくない、奇妙、奇怪、おぞましい、空恐ろしい人の心の闇が次々と暴かれている。

 きのう(1日)は大阪・和泉市の91歳の男性が、洋服ダンスからポリ袋入りの白骨遺体で見つかった。男性は50代の娘と2人暮らしだった。元銀行員で厚生年金など年約200万円が支給され、2007年9月と09年9月には、市から敬老祝い金合わせて3万円が贈られていた。おそらくこのようなケースは今後続々と出てくるだろう。ニュースを読むのが嫌になるくらいに。

 2日付の朝日新聞に「日本で一番暑い夏」の記事があった。1898年からの気象庁の統計上で、平年(6-8月)よりも1.64度高く、一番暑い夏ということだった。仙台では平年より2.8度、金沢でも1.7度高い。この猛暑で熱中症で死亡が連日伝えられ、総務省消防庁の速報値で搬送直後に死亡が確認されたのは計158人という。殺人的な暑さ。

写真は、石川県羽咋市にある「なぎさドライブウエイ」で撮影した砂像。何かを怒っているように見える。

⇒2日(金)夜・金沢の天気  はれ

☆庭園の美と草むしり

☆庭園の美と草むしり

 趣味を問われれば、あえて「草むしり」と答えている。我が家には庭園というものはないが、庭に雑草が生えれば無心に取る。そんな所作とは縁遠いテーマだが、「日本庭園の美」と題した講演会があり、魅かれるものがあり出かけた。

 講師は、西洋美術から名園鑑賞まで幅広く解説する立命館大学非常勤講師の門屋秀一氏(京都市)。以下はレジュメを基に講演をたどる。庭園は時代の思想を反映している。11世紀中ごろから、仏法の力が弱まる末法になると信じられ、公家は阿弥陀如来に帰依して来世である西方極楽浄土に救われるため、阿弥陀堂を池の西側に配置する浄土式庭園をつくらせた。

 1185年、源頼朝の時代になり、武家が台頭してくると、書院造りが好まれる。新しく到来した禅宗の思想に帰依した武家は、公家のように舟で詩歌管弦を楽しむことはせず、仏道修行として池泉の周囲を回遊して思索することを好んだ。さらに書院から庭を眺める座観賞式庭園も生まれた。

 禅の修行の厳しさを表現するのが枯山水。臨済宗の僧であった夢窓疎石は、水を使わず象徴的に山水を表現した。鯉に見立てた石を配置した。「鯉の滝登り。滝を上り詰めれば、鯉は竜になると。それだけ修行を積まねばならない鯉なので、修行を尊ぶ禅宗では絵のモチーフにした」。苔寺で知られる西芳寺や天龍寺の庭はその代表作だ。

 鎌倉幕府が崩壊して、室町時代、そして応仁の乱(1467-1477)で都は荒廃する。無を標榜する禅宗が隆盛し、枯山水庭園が発展する。臨済宗の僧でもあった足利義満は金閣寺を造営する。「この建物は実にちぐはぐ。3階建ての1階は公家の寝殿造風、2階は武家の書院造風、そして3階は仏殿風で、結局、仏教で世を治めたいとの表れになっている」

 江戸時代になると、大名は将軍や他大名の迎賓館の一部として庭園を整備した。それは幕府に謀反の意がないことを示すことでもあった。加賀藩の兼六園はその代表格でもあった。

 「ところで」と門尾氏は続けた。「その兼六園の写真スポットは琴柱灯籠(ことじとうろう)が有名。琴柱に似た灯籠なのだが、写真は灯籠だけが写っているものが多い。本来は、灯籠の手前にある琴に似た虹橋を入れると、その琴と琴柱の雰囲気が出るんですね」。これは、長年金沢に住んでいる私も気づかなかった指摘だった。

 以下は、「庭園の美と草むしり」について門尾氏が言及した部分。「日本の庭園は美しい。これは雑草を抜き去り、落ち葉をかいてきれいしているから、その美は保たれる。まるで雑念を払う修行のような作業です」と。草むしりとは禅の修行のようなものである、というのだ。眼からウロコと言うべきか。

※写真は、京都・龍安寺の庭園で撮影した雑草取りの作業=2010年3月

⇒25日(水)朝・金沢の天気  はれ

 

 

★ニュースは毒を飲んだか

★ニュースは毒を飲んだか

 テレビの電源を入れれば、新聞を広げれば、ニュースは目に入ってくる。最近はパソコン画面でインターネットを経由してニュースを読むことも多い。われわれはそのニュースを脳に入れて生活している。最近は、痛ましいニュースが多すぎると感じている。幼児への虐待死、保険金殺人、高齢者の死亡放置と年金詐取など。このようなニュースに毎日接すれば、視聴する側の精神構造は一体どのようになってしまうのかと考えてしまう。

 「不明100歳超 279人に」「京阪神3市に集中」との見出しがきょう13日付の朝日新聞に躍った。朝日新聞社が集計した、不明100歳超279人のうち221人が京阪神、つまり京都府、大阪府、兵庫県の3自治体なのだ。また、東北や北陸など26県は1人もいなかった。人口が1300万人の東京都が13人なので、人口比としては京阪神は異常に多いことになる。すると、印象として「行政の怠慢」「年金詐取」「老人への虐待死」などいろいろと考えてしまう。もし私が京阪神に住んでいたら、思いはもっと複雑だろう。

 こんなニュースを書いてもらって迷惑だと言っているのではない。このようなニュースで心が憂鬱になったり、会話の話題が暗くなる。京阪神の人たちはこのニュースをいつものように、明るく笑い飛ばせているのだろうか。こんなニュース、誰も目にしたくはない。不快なのである。

 この「不明100歳超 279人に」のニュースは始まりであって終わりではない。いまは住民登録上の話であるものの、実態調査が行政と警察が一体となって今後進むはずである。すると何が暴かれるのか。想像しただけでさらに身震いが起きるほどの現実が見えてくることになる。そこに「金(かね)」という現実が見え隠れしてくると「詐取」という刑事事件となる。

 このニュースに終わりもない。さらに、世論に突き動かされて、「不明100歳超」から「不明90歳超」の実態調査へと進んでいくだろう。恐らく何年と実態解明に時間がかかるだろう。奇妙、奇怪、おぞましい、空恐ろしい…。これから続々と出てくるであろう「ニュース」である。肉親、家族にまつわる深淵が暴かれる。

 このニュースを突破口に浮かび上がるのは日本の社会の現実だ。フランスの社会学者デュルケームはかつて、社会の規範が緩んで崩壊に至る無規範状態をアノミー(anomie)という言葉を使って説明した。個人レベルでは、欲求と価値の錯乱状態、つまり葛藤(かっとう)が起きている。「不明100歳超279人」のニュースが今後映し出していくのは、まさに社会の混乱や崩壊へと至る個人の葛藤の数々ではないか。それにしても、そのようなニュースを取り上げざるを得なくなったメディアには同情せざるを得ない。「ニュースは毒を飲まされてしまった」あるいは「お気の毒」と。

⇒13日(金)夜・金沢の天気  くもり

☆「森は海の恋人」の方程式

☆「森は海の恋人」の方程式

 「森は海の恋人」。この詩情あふれる言葉が多くの人々を広葉樹の植林活動へと駆り立てている。先日(8月6日、7日)、金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムの講義に来ていただいた畠山重篤氏(宮城県)=写真=は「森は海の恋人」運動の提唱者だ。気仙沼湾のカキ養殖業者にして、「科学する漁師」としても知られ、著書に『鉄は地球温暖化を救う』(文藝春秋)がある。2日間にわたった講義のテーマは「森は海の恋人運動の22年」「物質循環から考える森は海の恋人」である。以下、要約して紹介する。

 畠山氏らカキ養殖業者は気仙沼湾に注ぐ大川の上流で植林活動を1989年から20年余り続け、約5万本の広葉樹(40種類)を植えた。この川ではウナギの数が増え、ウナギが産卵する海になり、「豊饒な海が戻ってきた」と実感できるようになった。漁師たちが上流の山に大漁旗を掲げ、植林する「森は海の恋人」運動は、同湾の赤潮でカキの身が赤くなったのかきっかけで始まった。スタート当時、「科学的な裏付けは何一つなかった」という。雪や雨の多い年には、カキやホタテの「おがり」(東北地方の方言で「成長」)がいいという漁師の経験と勘にもとづく運動だった。この運動が全国的にクローズアップされるきっかけとなったのは、県が計画した大川の上流での新月(にいつき)ダム建設だった。

 このとき、畠山氏らの要請を受けた北海道大学水産学部の松永勝彦教授(当時)が気仙沼湾の魚介類と大川、上流の山のかかわりを物質循環から調査(1993年)し、同湾における栄養塩(窒素、リン、ケイ素など)の約90%は大川が供給していることや、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせないフルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)が大川を通じて湾内に注ぎ込まれていることが明らかとなった。ダムの建設は気仙沼湾の漁業に打撃となることを科学的に示唆した。この調査結果は県主催の講演会などでも報告され、新月ダムの建設計画は凍結、そして2000年には中止となる。

 畠山氏が強調したのは、松永教授に依頼したのは、ダム反対運動の論拠を示すというより、むしろ「漁師が山に木を植えることの正当な理由が科学的に解明すること」であった。ダム反対のスローガンを掲げずに取り組んだ「森は海の恋人運動」はソフトな環境保護運動として人々の共感を得たのだった。

 ここに人と自然を関係を考える大きなヒントがある。里山と里海が、川を通じて自然がネットーワ化されているように、そこで暮らす人々もまたネットワークを結んで地域を再生していく理念となりうるということなのだ。つまり、「森は海の恋人」という詩情と物質循環という科学で裏打ちされた、流域の民の共有理念とも言える。

 話はくどくなるが、里山や地域を再生するには、人と自然をつなぐ理念が必要だろう。理念がなければ、人と自然はどんどんと離れていく。人と自然が離れれば離れるほど、自然は荒れ、人は自然を失って、社会も行き詰ると考える。本題に入る。物質循環など自然のネットワークの仕組みをもっと分かりやすく解明すれば、おのずとお互いがステークホルダー(利害関係者)であるとの認識を科学が教えてくれる。これを個人が有するというより、地域に生きる人々の理念として共有できないだろうか。公共の福祉や利益の実現のために人々がかかわること、あるいはもっと積極的に言えば、助け合うことである。

 このネットワークが、上流域の里と下流域の都市、あるいは大陸では上流域の国家と下流域の国家となろう。人や組織が有機的に結びつくことで、市場では得られない価値、それを「関係価値」と呼んでおこう。従来の物質的な豊かさや利便性だけを追求する価値観とは異なり、環境を理念とする関係価値という新たな公共の概念となり得るのではないか。

 畠山氏は講義の最後にこう述べた。「日本には2万1千もの河川がある。下流と上流の人々が手を携えて、山、川、海の再生に取り組めば、環境や食料、コミュニティなどの問題解決に大いに役立つのではないか」。「森は海の恋人」は地域再生の方程式なのかもしれない。

⇒12日(木)朝・金沢の天気  あめ

★過疎とコミュニティビジネス

★過疎とコミュニティビジネス

 人の営みによって支えられる里山にとって、過疎・高齢化によって地域の担い手を失うことは存亡の危機であり、人の手が入らなくなった里山は荒廃して原野に戻ってしまう。それを防ぐには、地域を活性化して、共同体や文化守っていかねばならないという視点は一貫している。では、地域を活性化するとはどのような意味かと突き詰めると、地域の課題を地域住民がビジネスの手法でどう解決するかということに行き着く。

 金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムの修了生による「サカキビジネス」はそのよい事例である。耕作放棄率が30%を超える奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)にあって、土地は有り余る。そこに、花卉(かき)市場では品質がよいといわれる能登のサカキを放棄した田畑に挿し木で植えて栽培する。しかも、サカキは摘みやすく、高齢者でも比較的楽な作業である。過疎や高齢化で進む耕作放棄地と、お年寄りの労働力に目をつけたビジネスなのである。いまでは2地区のJAがサカキ生産部会を結成し、高齢者を中心に組織的な取り組みが始まって入る=写真=。

 埼玉県から輪島市の山間部に移住してきた女性は、集落に宿泊施設がないので、自らが住む空き家だった家を「ゲスト・ハウス」として衣替えした。すると、農村調査の学生や棚田の保全ボランティアにやってくる都市住民、一般客が口コミでやってくるようになった。また、近くでは地元の女性グループがお寺の渡り廊下でカフェを営み、地方でも希薄になりがちな近所の人々の憩いの場として重宝されている。この地域に足りないもの、欠けているものは何か、それを自分たちのアイデアで解決しようとする発想なのである。今、能登ではこんな人々が草の根で増えている。このような地域資源を生かしながら地域に役立つビジネス手法は「コミュニティビジネス」と呼ばれている。

 「能登里山マイスター」養成プログラムでは現在、49人の受講生のうち、13人がIターンやJターンなどの移住組である。彼らもまた能登で生きていく生業(なりわい)としてコミュニティビジネスを目指している。驚くのは、「よそ者」である彼らには、地域の課題がよく見えるということである。IT技術者が農業青年グループのリーダーに、広告マンが特産の地豆を使った豆腐屋の店長に、青年海外協力隊員でアフリカ帰りの女性はハーブや地元食材を使った調理師に。彼らの身の処し方を見ていると、まるで地域の空白地帯を埋めるようにはまり込んでいるのである。そして、里山や里海という地域環境は彼らの可能性を無限に引き出しているようにも思える。

 そのささやかなビジネスの経済的な成果は決して大きくはない。ささやかな発想だから、課題解決にもビジネスにも失敗もあるかもしれない。しかし、農村と都市、自然と人間など、今、われわれはさまざまな関係性を失っている。彼らの試みは、新しいつながりを見つけることで少しでも豊かになり、地域に自信と誇りをもたらす動きになるに違いない。これが地域再生、あるいは地域活性化の姿であろうと思う。まだミクロな動きで顕在化はしていないものの、いまここに確かな未来があると感じるからである。日本全国にこうした若者の動きはある。なかで、あえて能登モデルと言ってもよいかもしれない。

⇒11日(水)午後・金沢の天気   はれ

☆人々の死の告知

☆人々の死の告知

 ローカル紙あるいは全国紙の地方版には、新聞社が独自に判断して著名人の死を掲載する記事死亡や、企業経営者ら名士の死を告知する死亡広告とは別に、「おくやみ欄」や「おくやみページ」というものがある。掲載は無料で、短信ながら、市町村別に亡くなれた方の名前や年齢、死亡日、葬儀の日程と場所、喪主、遺族の言葉で構成され、このページのニーズは高い。

 おくやみ欄に目を通すといろいろなことが脳裏をよぎる。若い人の死亡が散見される。20代、30代、40代での死亡は、その死亡原因を想像してしまう。病死か、交通事故死か、あるいは自殺か、と。その喪主が父母だったりすると心中をはかるに忍びない。遺族の言葉に「やさしい子でした」とあると病死か、「精一杯頑張りました」とあると自殺かとつい思いをめぐらしてしまう。喪主が妻だと、妻子の生活や将来を他人ながらつい案じてしまう。

 ことし5月の連休に訪れた沖縄では、地元紙に日々掲載される死亡広告の多さに圧倒された。おそらく、沖縄では名士でなくとも、人の死を電話ではなく、地元紙に死亡広告を出して親族に知らせるのが普通なのだろう。その方が、迅速に広範囲に告知できるからだ。現地で「カメヌクー」と呼ばれる亀甲墓はとにかく大きい=写真=。1000坪の敷地の墓もあると観光ガイトから聞いた。このお墓の大きさからして、確かに数十人の参列の葬儀は合わない。死亡広告でファミリーに広く知らせるのが沖縄流なのだろう。ちなみに、沖縄の亀甲墓の形は母親の胎内を象徴しているのだという。死者は常に産まれた所に還り、ご先祖さまはまたいつか赤ん坊になって還って来るという「あの世観」があるそうだ。

 人の死を告知する「おくやみ欄」は、地方紙の販売戦略という意味合いもあるが、それは別として、この欄があることで、人々の死はオープンであり、身近な存在に感じる。もちろん、遺族によっては掲載してほしくないというケースもあるだろう。ともあれ、朝刊で知って、弔電を打ったり、数珠を持って出社して夕方帰りに通夜に参列したりということも日常である。ところが、全国紙の東京都内版ではこの「おくやみ欄」はない。都内版で「おやくみ欄」を入れると数が膨大でニュースのスペースが圧迫されるからだろう。せいぜいが著名人の死亡記事が散発的に掲載される程度だ。

 ここで、東京・足立区で111歳の男性とみられる白骨遺体が見つかった事件を、「人の死の告知」という観点で考えてみる。地方に住む者にとって、「おくやみ欄」を通じて、人の死は告知されるのが普通と考える。では、都内はどうだろうか。おそらく、人の死の告知は死亡記事で書かれるような名士、つまり上場企業の元経営者、作家、あるはよく知られた芸能人とか限られたケースと考えられているのではないか。

 人の死の告知というシステムがなければ、人の死は遺族が知りえる親戚、限られた友人、知人だけの周知にとどまってしまう。ところが、人生は遺族が知りえるほどの狭さではない。その人に会社というステージがあれば、さまざまにかかわってきた人がいて、喜怒哀楽があったはずである。葬儀場に赴かなくとも、どこかで哀悼してくれる人がいるはずである。自身もそうだ。お世話なった人の名が「おくやみ欄」にあればその場で悼む。

 「111歳の男性」は告知されるどころか、その死すら否定されてきた。その後の報道によると、100歳以上の10数人の生存が確認されていないという。これは氷山の一角だろう。生死観は人間のモラルの原点である。人の死の尊厳とは何か。放置される死もあれば、放置される命もある。生と死に関する人々の関与が希薄になっている。

⇒4日(水)朝・金沢の天気  はれ

★地デジ化の扉・下

★地デジ化の扉・下

 7月24日の「地デジカ大作戦」は1年前イベントであり、全国で展開された。あえて沖縄での様子を各メディアのニュースで拾ってみる。今年3月に総務省が実施した地デジ世帯普及率調査で、沖縄県は全国平均の83.7%に対し65.9%と17.8ポイントも低く、全国最下位にあまんじている。

         沖縄の「いちでージーサー」

  沖縄の地デジカ大作戦は、那覇市で実施された。イベントには「沖縄県地デ~ジ支援し隊」をはじめ、沖縄県の放送局各局のキャラクターたちも参加し、うちわを配布するなどして地デジ化をアピール。また、舞踊集団がパフォーマンスを披露し、イベントを盛り上げたという。このまま地デジ完全移行の日が近付くと、テレビの購入や工事などが同時期に殺到し、環境整備が遅れる可能性があり、イベントでは早めの地デジ対応を県民に呼び掛けたのは言うまでもない。

  イベントとは別に、沖縄県では、県地上デジタル放送受信者支援事業として「地デ~ジ支援し隊」のキャンペーンを張り、市町村役場に相談窓口を設置している。とくに、経済的困難などの理由で地デジ受信が困難な世帯に対する支援が中心で、市町村の公営住宅などを中心にキャラバンを行うなどしている。補助の対象は県在住で世帯全員が市町村民税非課税であること。支援金は地デジテレビ関連機器購入費用のうち最大12,000円(対象経費を超えない額)となる。この支援を受ければ、少なくともデジアナ変換のチューナーが買える。

  こうした手厚い支援がこの一年でどこまで浸透するのか、注目したい。実は、地デジの延期論が起きている一つの根拠に県別の普及率が大きすぎるとの意見がある。普及率トップの富山県(88.8%)と沖縄の差は22.9ポイントもある。このまま格差が開けば、日本の地デジ政策を揺るがす火ダネとなりかねない。沖縄県庁のホームページを閲覧すると、情報政策課の地デジ対策のアイコンで「早く地デジにしないと いちでージーサー」とシーサー(沖縄の魔よけ)キャラクターが呼びかけている=写真=。「いちでージーサー」は「一大事だ」の意味だ。

 基地問題と同様に、地デジ問題も「沖縄の憂鬱(うつ)」の一つになっているのは想像に難くない。なにしろ、アナログ停波は「予定された災害」なのである。「ナンクルナイサー(なんとかなるさ)」では済まされない事情を沖縄で検証してみた。

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