#コラム

☆「老兵」は能登で復権

☆「老兵」は能登で復権

 愛車について。2004年に購入した「アベンシス」は、当時、トヨタがイギリスで生産している「欧州車」が売りだった。購入の動機は、デザインがよかったからだ。当時49歳という年齢でもあって、派手さはなく、どちらかと言えば渋めでトータルデザインが落ち着いて、飽きがこない車を求めていた。何台か見て周り、その中でアベンシスが一番しっくりときた。車体の色は濃紺にした。

  デザインだけではなかった。乗り心地もよかった。車の基本性能の面でも、シートはしっかりとしていて、操縦に安定性がり、遮音の良さ、ドアを閉める時にボンと心地よく響く。ただ一つ不満があった。それは燃費だった。レギュラーガソリンでの市内走行は、1㍑当たり7㌔がせいぜい。2、3年前からそろそろハイブリッド車にとの思いが募っていた。

 そのころから大学のブログラムを運営するために能登通いが始まった。当初は大学の共有車(プリウスやプレサージュなど)を予約を入れて使っていた。その能登通いも頻繁になる連れて、予約もままならぬようになってきた。そこで、昨年秋ごろから、アベンシスを能登の往復用に使うことにした。大学から能登半島の目的地までざっと150㌔の距離になる。往復で300㌔だ。6年目の「老兵」に、わが身をだぶらせながらムチ打つつもりで使い始めた。

 ところが、これがよく走る。金沢の山側環状道路から白尾インターチェンジを経由して能登有料道路を走るが、能登空港までの約100㌔は信号がない(料金所は4ヵ所ある)。さらに半島の先端・珠洲市まで主要地方道を使うが、信号は数えるくらいだ。セルフの石油スタンドで満タンにして往復し、また満タンにしてガソリン消費量と走行距離とを計算すると1㍑当たり20㌔なのだ。

 今ごろになって調べてみると、エンジンは直噴式ガソリン仕様の2Lエンジンとの説明がある。特徴は、排出ガスのクリーンさで、超-低排出ガスレベルを達成しているという。確かに欧州の排出基準をクリアしたとの「三ツ星」のステッカーが貼ってある。さらに、連続高速走行の多い道路では、抜群の安定感と燃費を発揮する、とある。つまり、金沢のような城下町の都市構造はクネクネとした、信号だらけの道路で、アベンシスが持っている本来の性能が発揮できないのだ。

 さらに、往復300㌔運転しても疲れないのだ。大学の共有車のプリウスで何度も通ったが、疲労感が出る。ところが、アベンシスはシートのしっかり感と、操縦の安定性、遮音の良さで体と精神への負荷が少ないことに気がついた。

 気づかなかった。見た目のスタイルだけで判断して購入していた。市内走行で燃費が悪いとグチッていた。本来の車の走りについてもっと知るべきだった、と今さらながら反省の弁だ。こうなると、不思議と「老兵」に対する敬意やら、いとおしさが出てくる。老兵は能登で復権したのだ。輸入採算性の悪化で、トヨタはイギリスからの輸入を2008年に停止すると発表している。もうしばらく、いたわりながら能登の往復300㌔を走らせてやりたい思っている。

※写真は、輪島市曽々木海岸をバックにした愛車

⇒9日(木)夜・金沢の天気  雷雨

★むべなるかな

★むべなるかな

 ムベという果実をご存知だろうか。先日、その実を初めて食べた。アケビ科なのだが、熟すると裂けるアケビとは違って、ムベは赤くなるが裂けない。筋目を読んで両手で裂くと、半透明の果肉をまとった小さな黒い種子が多数あり、ほのかに香りを漂わせている。これをアケビのように種子ごとほうばるようにして口に入れる。甘い果汁が口の中で広がる。

 ムベは、いただいた能登半島の珠洲市でオンベと呼ばれている。インターネットで方言名を調べていると、グベ(長崎県諫早地方)、フユビ(島根県隠岐郡)などいろいろある。ニホンザルが好んで食べる、とある。「むべ」の語源を示唆するようなページもあった。面白いので、以下、引用して紹介する。

 琵琶湖のほとりに位置する滋賀県近江八幡市の北津田町には古い伝説が残っているそうだ。7世紀のこと。狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の男子を持つ老夫婦に出会った。「汝ら如何(いか)に斯(か)く長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で取れる珍しい果物が無病長寿の果実であり、毎年秋にこれを食するためと答えた。これを賞味した天皇は「むべなるかな」と納得して、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた、という。そのころから、この果実をムベと呼ぶようになったという。10世紀の「延喜式」には、諸国からの供え物を紹介した「宮内省諸国例貢御贄(れいくみにえ)」に、近江の国からムベがフナ、マスなど、琵琶湖の魚と一緒に朝廷へ献上されていたという記録が残っているそうだ。この地域からのムベの献上は1982年まで続いた。

 「むべなるかな」は、「まったくそのとおり」の意味で使う。大量のアメリカ外交公電を公表し、オバマ政権と世界の外交当局を揺るがせている内部告発サイト「Wikileaks(ウィキリークス)」。外交公電のほとんどは、過去3年間にアメリカ国務省と270の在外公館の間で交わされたもので、大使館員らと駐在国の閣僚や政府高官の会話が中心となっている。では、ウィキリークスで公表された内容は果たして内部告発なのか。4日付の各紙によると、中国の外務次官が2009年4月にアメリカ大使館幹部に「北朝鮮は大人の気を引く『駄々っ子』のような行動をする」「中国も北朝鮮のことが好きではないかもしれない」と語ったとの公電が暴露されたとあった。中国高官が本音を語ったものだが、「むべなるかな」ではないのか。普段ニュースに接していれば、誰だってそう思うだろう。どこに告発性があるのか。

 アメリカ政府の外交公電流出については、イラク駐留当時に秘密文書を閲覧できる立場にあった陸軍上等兵の関与が濃厚になっている。25万点という数には驚くが、ロシアのプーチン首相の評価「プーチン首相がバットマンでメドベーチェフ大統領は相棒のロビン」、イタリアのベルルスコーニ首相の評価「軽率でうぬぼれが強い」、北朝鮮の金正日総書記の評価「体がたるんだ年寄り、精神的、肉体的なトラウマを抱える」などは、どれも「むべなるかな」であり、どこに機密性があるのだろうか。ただ、アメリカの外交公電とは、悪口に満ちた外交官の内緒の話だとうことはよく理解できた。

 内部告発は、ある種の目的を持って発掘するものだろう。歴史の舞台裏で権力者によって隠されていた事実を赤裸々にしてこそ価値がある。内部告発サイトならば、「むべなるかな」ではなく、「げにあるまじきこと」の暴露だ。

⇒5日(日)夜・金沢の天気  はれ

☆街のつぶやき

☆街のつぶやき

 今回も金沢市長選(11月28日)の話だ。選挙の前日、金沢市役所の近くにある商店街の世話役がこんなことをつぶやいていた。「山出さん(現職)の取り巻きに危機感がないね。応援演説で『絶対的な多数で再選をお願いします』と言っていた。あれじゃ、当選確実と言っているようなもので、演説を聴いている人は投票場に行こうという気が削がれるね」。その言葉は的中した。投票率は、現職が5選を果たした前回(2006年)を8・54ポイント上回る35.93%だったが、現職は1万2千票近くも得票を減らし、新人に1364票差で破れた。

 共産以外の各政党の支援を受け、県会議員と市会議員40人ほどが支える山出陣営は当初から「横綱相撲」と言われていた。候補者は79歳、6期目への挑戦だった。今回の選挙は「多選」というより、「高齢」の是非が大きな焦点となった。新人の山野之義氏(48)は「79歳の市長と古い政治を続けるか。48歳の私と一緒に新しい市をつくるか」と訴えていた。私が投票場(小学校)への道を歩いていると、前を歩いていた3人の中高年の女性たちから「コウキコウレイシャ(後期高齢者)やね・・・」という言葉が漏れていた。続く言葉は聞こえなかったが、後期高齢者はよいイメージで使われることはないので想像はついた。

 現職に不利な訃報もあった。金沢市と隣接する白山市の現職市長が急性心臓疾患のため死去した。79歳。金沢市長選のほぼ1ヵ月前の10月24日のこと。女性たちが話していたのはこのことだったかもしれない。

 告示前、「山野不利」との下馬評だった。今回の市長選では市議39人のうち、過半数を超える議員が現職・山出氏を支援し、山野氏についたのはわずか8人の一期目の若手市議だったからだ。ことしの9月議会でこの若手市議グループが市長の任期を原則3期12年とする「市長の在任期間に関する条例案」を提出し、否決された。最終的にこの若手市議グループが山野氏出馬を後押しするカタチとなった。裏を返して言えば、若くて勢いはあるが、強力な支持基盤も動員力もなかった。

 当然、選挙運動は組織動員を頼む個人演説が中心の現職と、街頭演説が中心の新人の対照が際立った。多い1日で40回も街頭に立った新人には、神奈川県の松沢成文知事、前横浜市長の中田宏氏らが相次いで応援に駆けつけ、多選批判を訴えた。また、日本創新党(党首は前東京都杉並区長の山田宏氏)の単独推薦を受けており、山田党首らも最終日に訪れ、歯切れのよい演説をぶった。一方の現職の戦いぶりについて、冒頭の商店街の世話役は「個人演説会のたびに候補者を紹介するビデオを見せられた。われわれのような動員組は4回、5回と見せられ、さすがに嫌になったよ」と。

 厳しい言い方をすれば、35.93%の投票率であり、新人は戦いには勝ったかもしれないが、選挙で勝ったといえるかどうか。一方、6選を目指した現職の敗因は高齢・多選のせいだけだろうか。これまで勝ちパターンだった組織選挙は今では旧態依然として、あるいは制度疲労を起こしているようにも思える。組織への帰属意識より、有権者としての個の意識だ。金沢の選挙のスタイルもようやく普通になった、ということか・・・。

⇒2日(木)夜・能登の天気  はれ

★流れ行く記憶

★流れ行く記憶

 当時は「ワッカマワシ」と言っていたような記憶がかすかにある。昭和33年(1958)年に日本の子供たちの間で大流行した、腰を使って回すフラフープのことである。ワッカとは輪のことで、それを回すのでワッカマワシ。当時、幼稚園だったお寺の渡り廊下で遊んでいた。フラフープというしゃれた呼び名ではなかったように思うが、4、5歳ころの記憶で定かではない。

 過日、能登半島・輪島市の公園を通りかかると、子供たちがフラフープに興じていた=写真=。腰を振って、実に楽しそうにこちらに手を振ってくれたので、思わずカメラに収めた。昔取った杵柄(きねづか)で、いまでも自分もできそうだと思うのが不思議だ。フラフープが再び日本でブームになっているようだ。

 記憶がまた蘇る。当時、そのフラフープが突然消えた。幼稚園の遊具場に朝一番乗りでやってきた数人が「ワッカがない」と叫んでいた。記憶はそこまでだ。それ以降、フラフープは脳裏からぷっつりと消えるのだ。

 その理由を先日の新聞紙面(11月28日付・朝日新聞)で知った。記事によると、1958年11月に千葉県内の小学校が「フラフープ禁止令」を出した。腰で回すことで「おなかが痛くなった」と病院で手当てを受ける子どもが各地で出た。腸捻転(ねんてん)を起こすなどの風評が広がり、旧厚生省もフラフープの人体への影響を検討する事態になった。それが新聞やラジオ、まだ黎明期だったテレビなどのメディアで報じられ、健康被害をもたらすという根拠のない風評でブームはあっという間に去った、というのだ。

 当時から、健康に関する情報伝達は異常に速かったのだろう。その状況はいまも変わらない。健康の悪い情報に加え、メタポリック症候群(腹囲の基準に加えて、高脂血症、糖尿病、高血圧のうち2つ以上に該当)によいとか、ダイエットによいとかといった情報まで含めると、流行り廃れが実に激しい。昭和40年代、健康食品としてブームとなった紅茶キノコもそうだろう。結局、一杯も口にすることがなく流行は去った。「紅茶キノコ」という名前だけが脳裏に記憶されている。

 人はブームに踊らされ、そして移り気だ。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」という一文(松尾芭蕉『奥の細道』)がある。これになぞらえば、ブームというのは永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。だから「流れ行く」と書く。そのブームの対象に健康だけでなく、政治も入るようになった観があり怖い。

⇒1日(水)朝・金沢の天気  はれ

☆多選と民意

☆多選と民意

 地域の政治的な風土にはタイプがある。首長が一期か二期ごとに交代する「共和国タイプ」と、一度決まると長期政権化する「君主国タイプ」である。君主国タイプは、既に定められた政策を維持して不測の事態に対処するだけで統治は事足りて、この場合、首長は平均的な能力さえ持てば有権者にも好感を持たれる。ただ、行政機構の中では、首長が多選化する過程で絶対権力化し、行政職員は有権者や市民の民意より、首長の意図を読むようになり、「(首長の)ご意向はこうだろう」などと忖度(そんたく)し合っている。金沢という土地柄は加賀藩の膝元にあったせいか、君主国タイプである。有権者もまた、首長の政策的な個性より、「間違いがない人」という安定的な首長を選んできた。その金沢の政治的な風土が破られた。

 任期満了にともなう金沢市長選挙は28日投票が行われ、無所属の新人で元金沢市議会議員の山野之義氏(48)が初当選を果たした。5万8204票と5万6840票。現職で6選をめざす山出保氏(79)と1364票の僅差だった。投票率は前回に比べ8.5ポイント高い35.9%だった。

 今回の市長選には面白い構図があった。山野氏は自民党の市議だったが今回は無所属で出馬した。山出氏は社会民主党、国民新党、民主党石川県連の推薦を受けた。地元財界人も山出支援に動いた。自民党県連は自主投票だった。選挙前から山出氏有利が伝えられていた。そんな中で、山野氏を応援をしたのは、自民党を含む若手の市議会議員(とくに一期目)のグループだった。

 山出氏は市の助役から選挙を経て市長の座に就いた。そのころから、市長は職員人事を掌握し、労組との関係も手堅かった。ところが、冒頭に述べた君主国タイプの「異臭」を放つようになってきた。それは、同じ庁舎にある議会で活動する市議だったら、とくに、一期目の新人だったらその異臭を敏感に感じ取ったはずだ。若手グループの一人は「いつまでも殿様政治やっていたら、金沢市は潰れてしまう。全国の笑いものや」と私に語っていた。若手の市議会議員のグループはそれほど現市政の有り様に危機感を持っていた。つまり、山出VS山野の対決構図は、市長VS議会若手グループでもあったのだ。
 
 山野氏は金沢市出身。IT企業「ソフトバンク」の社員を経て、平成7年から金沢市議会議員を4期連続で務めた。慶応大学時代には弁論部に所属し、街頭に立って市民に直接訴えると言うノウハウを身に着けた。出馬表明が遅れたことによる知名度不足をカバーするため、選挙戦では市内各地で街頭演説をする戦法に徹して、多い日には40回も街頭に立ち有権者に政策を訴えた。金沢における「高齢・多選」の弊害と、「世代交代」を訴えて街頭に立つ手法は、いわゆる無党派層からの支持を受けた。それは、午後から投票率から伸びるという現象でも見て取れた。

 山野氏は自らのマフェストでこう述べている。「月1回の定例記者会見を実施します」「市長多選自粛条例を制定します」「市民ブレイン制度を導入します」「市内公衆無線LAN化を実現します」など。そして、市の動きを分かりやすく市民に伝えるため、広報システムを見直し、「広報プロデューサー制度」を導入するという。情報発信力を高める必要がある。同時に、市内公衆無線LAN化は、ネット環境を整えるためにぜひと願う。ハコモノ行政ではなく、時代のニーズに合うインフラこそ急ぐべきだ。時代を先取りした、市民に分かりやすい政治を期待したい。

※写真は、山野氏のマニフェストより

⇒29日(月)朝・金沢の天気 はれ

★里山イニシアティブ

★里山イニシアティブ

 この「自在コラム」の2010年10月26日付「COP10の風~下~」で「里山SATOYAMAイニシアティブ」について紹介した。里山イニシアティブは生態系を守りながら漁業や農業の営みを続ける「持続可能な自然資源利用」という概念で、今後、生態系保全を考える上で世界共通の基本認識となりつつある。

 その背景には、国際条約への流れがある。2008年5月に神戸で開催されたG8環境大臣会合で里山イニシアティブの国際的な推進が合意され、ドイツ・ボンでの生物多様性条約COP9では日本がその促進を国際社会に表明し、2009年4月にイタリア・シチリアで開催されたG8環境大臣会合でもシラクサ宣言に盛り込まれた。そしてことし10月、名古屋で開催されたCOP10では、世界各地域の自然共生の事例をもとに、二次的な自然資源管理の考え方や具体的な方法を整理し、自然資源管理の国際モデルとして里山イニシアティブを促進する決議案が採択された。

 決議案の採択と並行して、COP10会場で国際組織「里山イニシアティブ国際パートナーシップ(IPSI)」が発足した。国際パートナーシップは、里山イニシアティブを提唱する日本政府が呼び掛けで、アジア・アフリカなど9ヵ国の政府や企業、非政府組織(NGO)や研究機関など51団体が参加した。その中には金沢大学も名を連ねる。その国際パートナーシップの第一弾とも言える「JICA研修プログラム」がさっそく実施され、JICA(国際協力機構)の招きでアジアやアフリカ、中南米13ヵ国の14人が今月17日から3週間の日程で石川県を訪れている。もちろん、金沢大学も協力している。

 JICAの研修員はそれぞれの国の政府の自然保全や環境担当の専門官やマネージャー、生物資源研究所の研究員だ。石川プログラムのテーマは「持続可能な自然資源管理による生物多様性保全と地域振興~『SATOYAMA イニシアティブ』の推進~」。能登半島や白山ろくで、日本の里山や里海の伝統的知識や生物多様性に配慮した農林漁業の取り組みを学んでいる。25日は能登の炭焼きの窯場や塩田を訪ね、26日は実際に漁船に乗って、富山湾の定置網漁の現場に出た。雨降る早朝3時。網を引くとことろから、魚の選別、出荷までを見学し、定置網のどこが環境に優しく持続可能なのか、魚の品質管理とその経済性について、400年続く日本の漁業の知恵を学んだ。

 そして、きのう27日は輪島市にある「石川県健康の森」交流センターでJICA主催のシンポジウムが開かれた。アカマツ林に囲まれたホール。シンポジウムのテーマは「世界は里山里海に何を学ぶのか」。国連大学高等研究所上席局員研究員の名執芳博氏、金沢大学教授・学長補佐の中村浩二氏が講演した。パネルディスカッションは壮観だった。先述の両氏のほか環境省自然環境局、石川県環境部、国際協力機構地球環境部の職員ほか、研修を受けれた製炭工場の経営者、製塩会社のスタッフ、これに研修生14人が加わり、総勢22人のパネリストが「SATOYAMA イニシアティブの実践に向けて~地域のそれぞれの立場から~」をテーマに報告や意見交換をした=写真=。

 自身これまでシンポジウムを含め5つのプログラムに参加し、うち2つのプログラムでは講師やパネル討論のコーディネターとしてかかわった。彼らの質問が経済合理性や科学的論拠など多岐にわたる。「SATOYAMAイニシアティブの到達目標はどこにあるのか、そのイメージを示してほしい」と質問をされたとき、私自身がドキリとした。確かに、その解はまだ誰からも提示されていないのだ。「伝統的に磨かれた里山の知恵や技術を、21世紀型の持続可能な英知としてさらに磨きをかけていきましょう」と答えるのがせいぜいだった。以下は質疑応答のやり取りの一例だ。

イスタント氏 (インドネシア林業省国立公園長):SATOYAMAイニシアティブ(SI)というのはEcosystemの一つだと思う。里山における生物多様性を守るためのガイドラインのようなものはあるのか。
宇野:ガイドラインはないと思う。地域の人々の自然と共生しようという気があるかないかによって、生物多様性を守ることができる。
ジャイシャンカ氏(インド国立生物多様性局技術支援員):日本のSIは現在どの段階か。
宇野:能登は日本の産業化の影に隠れていた。石油の問題や地球温暖化などにより、今は持続可能な利用や人と自然が共生している能登のスタイルが見直されている。日本ではSIはまだイントロダクションの段階だと思う。
ジャイシャンカ氏:イニシアティブを始めるときに共通の課題はあるか。
宇野:現地の人の生活や考えを尊重する必要がある、SIという概念を押し付けてはいけない。
ジャイシャンカ氏:では、SIを市民にどう教えますか、具体的な行動は・・・。

 上記のように里山イニシアティブへの具体論な質問がどんどんと投げかけられる。世界には里山と同じような地域(ランドスケープ)があり、フランスでは「テロワール」、スペインでは「デヘサ」、フィリピンでは「ムヨン」、韓国では「マウル」と呼ばれている。こうした地域には共通して、市場合理性の波や、若者が都市に流出するなどの現象が表れている。

 シンポジウムでふと考えた。里山イニシアティブをこんな言葉で表現してみるとどうだろう。「里山イニシアティブは世界の地域興しだ」と。地域興しなら日本は長年やっている。地域興しの3つの条件がある。「若者」「よそ者」「バカ者」の3つの人的ファクターだ。若者は地域の担い手、よそ者は客観的な価値判断、バカ者は専門性が特徴だ。ならば、よそ者を外国人、バカ者を大学・研究機関の研究者に置き換えて、世界の人々と協力して里山イニシアティブ=世界の地域興しをやっていきましょう、と。

⇒28日(日)金沢の天気  くもり

☆能登から金沢への視線

☆能登から金沢への視線

 金沢に住んで、能登を仕事で行き来しながら最近思うようになった。「金沢のこの停滞感は何だろう」と。能登、とくに奥能登の自治体(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の首長たちの迫力が違う。「珠洲市が乗るか反るか、この10年が勝負です」と泉谷満寿裕市長は4年前に名刺交換をしたときに語った。それから、金沢大学のプログラム誘致に動いた。奥能登には高等教育機関がなく、「大学を」との地域のニーズとマッチしたことが背景にある。さらに、大学が研究交流施設として使いやすいようにと、改修工事のため4600万円の予算付けに市長自ら動いた。決して楽ではない財政の中でのやり繰りに、自治体の期待と熱意が伝わってきた。

 昭和29年(1954年)の合併時に3万8千人だった人口が半世紀余りで1万7千人と2万1千人も減った。そして高齢化も急テンポです進む。ことし7月に全国に先駆けて地上デジタル放送への完全移行を成功させたのも、高齢世帯の対策をどうするかということが市長自らを走らせた。6月に再選を果たした泉谷氏は「あと6年」と自ら到達年を設定して、手探りながら環境問題や財政建て直しなど次世代に引き継ぐ政策を打つ。市長だけではない。市職員からも切実感が伝わってくる。大学のプログラムに参加する都会からの移住者への対応も実に丁寧だ。

 そんな珠洲市のいまの姿を見ていると、金沢市のことが気になる。行政や商店街からは「金沢が停滞しているのは、金沢大学が郊外に移転したからだ」「2014年に新幹線が開通すれば景気浮揚のチャンスだ」との声が聞かれる。この言葉を聞いただけで、「金沢はいつから他人依存症になったのだろう」と愕然してしまう。

 歴史や文化的な背景を探ると、金沢は2度没落している。明治維新後と戦後だ。武家社会に成り立った政治経済の構造は根底から崩れた。映画化され話題になっている著書『武士の家計簿』を読めば、その悲惨さがにじみ出ている。武士の惨憺たる姿である。そして戦後、陸軍第九師団司令部があり「軍都」と名乗った時代が去り、一時低迷した。こうして振り返ってみると、金沢の人々がオリジナルに創り上げた地域再生のための独自の工夫というのは一体どこにあるのだろうかと考えてしまう。殿様任せ、国政任せ、奇妙な風土が定着した観があると感じるのは私だけだろうか。

 新幹線が来るのならば、どう魅力的な街づくりをしたらよいのか、市民サイドから湧き上がるアイデアが必要だ。官製ではなく、民が動く仕組みを。あす28日は金沢市長選だ。そんなことを考えて、一票を投じたい。

※写真は加賀藩大名の隠居所・成巽閣(せいそんかく)の石垣

⇒27日(土)・七尾市の天気  くもり
  

★対岸の戦火

★対岸の戦火

 昨夜、中国に出張している知人からメールがあった。「北朝鮮の件の影響で、上海空港で飛行機の中に2時間以上缶詰になってました。おかげで仕事ははかどりましたが。地球環境うんぬん以前の問題が、まだ地球上には山積みのようですね」と。課題の優先順位から言えば、地球環境問題というのは、平和が達成されないと難しいとの感想だ。

 それにしても、「戦争」を伝えるメディアは内容もすさまじい。以下は、各紙の引用だ。

 「これは訓練ではない。実戦だ」と呼び掛ける放送が響き、何の前触れもなく砲弾が降ってきた。北朝鮮の朝鮮人民軍による砲撃を受けた韓国・延坪島。集落では次々と火柱が上がり、韓国メディアは、なすすべもなく逃げ惑う住民の様子を伝えた。(24日付・フヤーでの「共同通信」記事)

 韓国大統領府によると、李明博(イミョンバク)大統領は、北朝鮮の砲撃直後、韓国軍合同参謀本部とのテレビ会議で、「何倍でもやり返せ」と指示し、強硬姿勢を示した。3月の北朝鮮による韓国海軍哨戒艦「天安(チョンアン)」沈没事件では46人が死亡しており、再び被害を出す事態は看過できないからだ。(24日付・読売新聞インターネット版)

 24日の東京株式市場で、日経平均株価は朝鮮半島情勢の緊迫化を嫌気して3営業日ぶりに1万円を割って取引が始まった。(24日付・朝日新聞インターネット版)

 「戦闘状態」に入り、すべてのニュースが対岸(朝鮮半島)の火に目を向けている。メディアは、閣僚の放言など問題にしている暇はないとばかりに、報道姿勢が「戦時モード」になる。おそらくこれで、菅内閣はホッと胸をなでおろしているに違いない。そして、有事では現政権というのは結束して「磐石」になるものだ。

 結論を急ぐが、私は「メディアの限界は戦争にある」と思う。メディアの絶対価値というのがあって、何が何でも一面トップの記事はすでに決まっている。「大地震」「政権交代」「天皇崩御」、そ市て「戦争」だ。ニュースというのは、優先順位がつけられていること、内容が裏づけされていること、速報することで価値が高まる。しかし、ひとつのニュースが日常化されたかのように報じられると、取材する側も視聴・読者側もそのほかのニュース感覚がマヒしてくる。

 近年では湾岸戦争、同時多発テロ、イラク戦争などにわれわれは毎日、まるでエンターテイメントのように関心を示したものだ。こうした「戦争報道」の裏で、本来ニュースとして価値のあるも出来事がどれほど葬り去れたことか。

⇒24日(水)朝・金沢の天気 くもり

☆小さな夢の可能性

☆小さな夢の可能性

 金沢大学が能登半島の先端で開講している社会人プログラム「能登里山マイスター」養成プログラムには県内外からの受講生が現在45人が毎週土曜日を中心に学んでいる。受講の可否は、一人一人の面接で最終決めている。45人の中にはIターン、Jターン、Uターンが13人もいる。都会での生活に終止符を打って、能登での新たな人生設計の夢を抱いてやってきた人たちだ。面接で語られるその期待度は高い。ただ、つぶさに話を聞くと、実現不可能な夢ではなく、本人の努力と周囲のちょっとした支援があれば実現しそうな夢もある。

 36歳のKさんは、神奈川県でIT企業に勤めていた。「歩くツーリズム」を自分で企画することが夢で能登のやってきた。昨年、パートナーといっしょにスペインのカミーノ・デ・サンティアゴという道を850㌔歩く旅をし、「豊かな自然、人、文化を歩いて旅をし、味わう道をつくりたい」と面接で熱く語った。4月に夫妻で能登に移住した。そのKさんは、ノルディックウォーキング「SUZUあるき」という企画を仲間たちとつくっている。珠洲市の自然資源を自分の足で感じつつ、地域の人々と参加者同士で交流し、汗を流したあとは季節の味覚を味わうという毎月開催のイベントだ。

 私にも案内メールが来た。今回のコース(11月28日)は、珠洲市野々江町。秋の紅葉の中、田園と池を爽やかに歩きます。八丁田で白鳥観察、亀ケ谷池での野鳥観察と、渡り鳥ウォッチングの予定。ノルディック・ウォーキングの後は、古民家レストランで昼食という内容だ。私は、2008年5月にドイツのシュバルツバルトの森を訪ねた折、泊まったホテルの企画で体験した。スキーのストックを手に山を登り、中腹の山小屋で食事をしながら語らい、そして戻るという往復7㌔ほどのコースだった。

 Kさんの夢はほんの入り口だろう。受講生たちは、自己実現を図ろうとしている。一見、ささやかな夢、小さな事業であったとしても、そこには計り知れない社会的価値が存在するのではないか。近い将来、こうした60人の里山マイスターたちが能登の風景を明るく変えていくのではないかと楽しみにしている。

※写真はチラシの一部、【問い合わせ】090-9762-3298 加藤 【メールアドレス】
suzu.nordic.walking@gmail.com

⇒22日(月)夜・珠洲市の天気   くもり

★こだわり農家の未来

★こだわり農家の未来

 能登半島の北の方は「奥能登」と呼ばれる。自治体で言えば、輪島市、珠洲市、穴水町、能登町となる。この2市2町の人口は現在7万9100人だが、10年後の2020年には21%減の6万2500人、高齢化率(65歳以上の年齢割合)は46%を占めると予測されている(「石川県長寿社会プラン2009」より)。過疎化が進む理由には、若者の働き場所が少ないなどの条件不利地という面がある。ただ、日本地図を広げて、日本海に突き出た能登半島は実にわかりやすい。「能登産」という食材はスーパーマーケットなどでは通りがよい。

 奥能登で生産された米の販売会が、20日と21日に金沢市にあるスーパー「どんたく金沢西南部店」であった。店頭に並んだ奥能登の米は、海洋深層水を利用したもの、鶏ふんなどの有機肥料を用いたり、棚田ではざ干し、女性たちが耕す棚田米などそれぞれ特徴を打ち出した「こだわり米」なのだ。NPOや農業法人、生産組合など10つの団体が出品した=写真=。

 どのくらいのこだわりかいくつか紹介する。農業法人すえひろ(珠洲市)が耕す田んぼは見ればわかる。一面に稲のじゅうたんの水田で飛びぬけて草(ヒエなど)が生えている田んぼがそれ。「農家では普通3回、除草剤をまくが、うちは1回しかまかないから」(北風八紘さん)。さらに売りは「完熟堆肥」だ。。牛ふんにもみ殻や糠(ぬか)、小豆の殻を入れて混ぜ、それを一冬寝かせて堆肥をつくる。完熟した堆肥は臭みがほとんどない。この堆肥を、苗を植える前の春先に田んぼに混ぜて土づくりを行う。いまでは350戸から耕作委託を受け、水田を65㌶に広げている。

 川原農産(輪島市)のこだわりは、米も人間と同様に「伸び伸びと元気良く育てる」をモットーとしてる。稲株の間隔を広げ、葉っぱを伸ばさせる植え方をしている。一坪(3.3平方㍍)で45株が目安だ。普通は60から70株と言われるので、随分ゆとりある環境だ。自家製の堆肥は米糠ともみ殻を使い、田んぼに還元するやりかた。売れ筋は「能登ひかり」だ。一昔前まで能登の気候に合う品種ということで生産されていたが、モチモチ感のあるコシヒカリに押されて生産する農家は少なくなった。ところが、京都や大阪といった関西の寿司屋から見直されている。「ベタベタとした粘りがない分、握りやすく、食べたときにも口中でパラッとバラけるので、寿司によいのだという」(講談社新書『日本一おいしい米の秘密』)。さらに、このバラける食感がスープ料理にも合うということで、川原農産の能登ひかりは金沢市のレストラン「ポトフぅ」(同市里見町)で使用されている。

 さらなるこだわりが、川原伸章さんにはある。「能登の米がおいしいのは、新潟・魚沼地方と同じ緯度にあるからって、よく農家自身が説明するでしょう。でも、こんな表現をしたらいつまでたっても能登の米は魚沼を超えられない。一番になれない」と心意気にもこだわる。川原農産も耕作委託を受け、水田を20㌶に広げている。平地に比べ、条件不利地であるがゆえに奥能登の生産農家はこだわらなければ生きていけない。その精神がものづくりのマインドを高める。

 TPP(環太平洋経済協定)の論議が白熱している。加盟国間で取引される全品目の関税が2015年を目標に撤廃される。もし日本がTPPに加盟すれば、農家が生き抜く道は2つだろう。経営の大規模化か、黒毛和牛のような高品質の「こだわり農産品」だろう。面白いことに、先に紹介した「すえひろ」「川原農産」のように、こだわった米づくりに挑戦し続ける農家には耕作委託が舞い込み、期せずして経営規模も広がる傾向にある。これは奥能登だけでなく全国の傾向だろう。TPP時代のパイオニアとして光り輝き、生き抜くのはこうした「こだわり農家」ではないだろうか。そんなことをスーパーの店頭で思った。

⇒21日(日)夜・金沢の天気  はれ