#コラム

☆震災とマスメディア-3-

☆震災とマスメディア-3-

  今回の震災で、これまでのテレビ局画面と違うことがいくつかある。連日の放送体制でNHK、民放とも生放送の番組を拡大させている。そんな中、字幕の放送を積極的に行っていることだ=写真=。リアルタイムで話すインタビュー内容も「生字幕」化している。これは放送で一番難しいといわれてきたことだ。日本語特有の同音異義や、専門用語の表記の対応、誤植や誤記を行わない確認体制が必要となる。聴覚障がいの人はもちろんのこと、耳に不自由を感じる高齢者、さらに避難所で1台のテレビを見るときは遠巻きの健常者にとっても字幕表示は役立つ。夜、周囲で寝ている人がいて音声を絞る場合に字幕は見やすい。

       ユニバーサル・サービスに好感、では7・24はどうなる

  健常者でも障がい者で同じようにマスメディアから情報を得ることをユニバーサル・サービスという。内閣の、たとえば総理や官房長官の会見では、小画面に手話通訳者が出ている。会見場に手話通訳があることで、聴覚障がい者がリアルタイムでテレビから情報を得ることができる。今回の震災は原発事故と連動したため、メディアによるリアルタイムの放送に被災者の耳目が集まる。内閣の伝えようとする意志が見える。災害会見の手話放送はこれ以降、定番化するのではないだろうか。

 好感の持てることばかりではない。震災でCMスポンサーが減っているせいで、CMの空き枠に公共広告機構(AC)のCMがやたらと入っている。しかも、「思いやり」や「生物多様性」など種類が少なく、繰り返しの放送で、このACが画面に流れると、チャンネルサーフィン(切り替え)を始めてしまう。もう条件反射のようになっている。それに、最後の「AC」というサウンドがうるさいと思う。これは視聴者が誰しも感じていることではないだろうか。番組のフォーマットでCM枠がすでに固定化されているので、CMスポンサーが少ないからと言って、CM枠を間引くことはできないのだ。民放の宿命だろう。

 被災地の民放には同情する。放送そのものもさることながら、電波を視聴者に届ける前線である中継設備では、ミニサテと呼ぶ小さな局が多数損傷を受けているだろうことは想像に難くない。電気不通によるトラブル、それをカバーする自家発の燃料を届けられないこともあるだろう。テレビ局には、国の放送免許と引き換えに放送電波を人々が「あまねく」受信できるように設備を整えることが使命として課せられている(放送法第2条の6)。震災という困難なときほど使命が問われる。

 3月17日、民放連会長による定例会見があった。注目されたのは、ことし7月24日に予定されているアナログ停波(デジタル完全移行)のスケジュールをそのままで進めるのかという点だった。東北地方はデジタル未対応の世帯が少なくない。広瀬道貞会長は「7月24日に(アナログ波を)停波できるような環境作りに対し、歩みを止める必要はない。全国一斉が原則。私自身は(震災でも)引き延ばす理由はないと思っている」、「人とお金をかけ、(地デジへの)切り替えができる環境を作ることが大切」とし、支援策としてデジタル対応テレビを支給するよう政府に求めていきたいと述べた(毎日新聞インターネット版)。難題が次々と。

⇒22日(火)朝・金沢の天気  くもり

★震災とマスメディア-2-

★震災とマスメディア-2-

 私は大学を卒業してから満50歳になるまで、新聞記者とテレビ局報道のセクションに携わった。津波も経験した。日本海中部地震。1983年(昭和58年)5月26日11時59分に秋田県能代市沖の日本海側で発生した地震で、10㍍を超える津波で国内での死者は104人に上ったが、そのうち100人が津波による犠牲者だった。

      報道目線と被災者目線のギャップをどう埋めたらよいのか

 そのころ、能登半島の輪島市で記者活動をしていた。デスクから電話があり、輪島漁港に行ってみると、足元まで波が来て、危うく逃げ遅れるところだった。1枚だけ撮った、渦に飲み込まれる寸前の漁船の写真は翌日の一面を飾った。2004年にテレビ局を退職し、大学の地域連携コーディネーターという仕事をしている。2007年3月25日の能登半島地震(震度6強)、翌日26日に被害がもっとも大きかった輪島市門前町に現地入りした。そこで見たある光景がきっかけで、「震災とメディア」をテーマに調査研究を実施することになる。

 震災当日からテレビ系列が大挙して同町に陣取っていた。前回のコラムで述べた現場中継のため、倒壊家屋に横付けされた民放テレビ局のSNG(Satellite News Gathering)車をいぶかしげに見ている被災者の姿があった。この惨事は全国中継されるが、被災地の人たちは視聴できないのではないか。心象的だったのは、半壊の家屋の前で茫然(ぼうぜん)と立ちつくすお年寄り、そしてその半壊の家屋が壊れるシーンを撮影しようと身構えるカメラマンのグループがそこにあった=写真=。「でかいのがこないかな」という言葉が聞こえてきた。「でかいの」とは余震のこと。余震で、家が倒壊する瞬間を狙っているのである。周囲では余震におののいて子どもが泣き叫ぶ声も聞こえる。カメラマンのこの身構える姿は被災者の人たちにどう映っただろうか。

 私が前職(テレビ局報道担当)だったら、違和感を感じなかっただろう。むしろ、「倒壊の瞬間を撮ったら、すぐネット上げ(全国放送)だ」とカメラマンや記者に発破をかけていただろう。もともと26日現地を訪れたのは学生ボランティアの派遣が可能かどうかの見極めだったので、被災者の目線だった。報道目線と被災者目線はこれだけ違うのである。もちろん、被災者目線を大切にしたいというカメラマンもいた。共同通信の腕章をしたカメラマンは、半壊となり、割れたガラスが散乱している被災者宅でも、決して靴で上がろうとはしなかった。靴を脱いで、被災者に許可を得て、家屋に上がった。ちょっとした被災者への気遣いで十分なのだ。

 そのようなことを「震災とメディア」の調査報告にまとめた。報告書では以下のような提案もした。「(今回のメディアのありようは)阪神淡路大震災や新潟県中越地震など震災のたびに繰り返されてきた光景だろうと想像する。最後に、『被災地に取材に入ったら、帰り際の一日ぐらい休暇を取って、救援ボランティアとして被災者と同じ目線で、現場で汗を流したらいい』と若い記者やカメラマンに勧めたい。被災者の目線はこれまで見えなかった報道の視点として生かされるはずである」(「金沢大学能登半島地震学術調査部会平成19年度報告書」より)

⇒21日(祝)朝・金沢の天気  くもり

☆震災とマスメディア-1-

☆震災とマスメディア-1-

 16日朝、金沢は氷点下の冷え込み、雪だ。山沿いの一部では大雪注意報も出ている。被災地の東北地方もマイナス3度から4度と真冬並みの寒さという。農山漁村の集落で9200人が未だに孤立している。被災地に派遣されている自衛隊のヘリコプター190機のほか消防ヘリが捜索や救助活動を進めているが、学校や公民館などで肩を寄せ合って寒さと飢えをしのいでいる姿を想像すると心が痛む。

        その情報は被災地に届いているのか、問いかけて欲しい

 一方、今朝のニュースは、ニューヨーク外国為替市場で、円相場が一時1ドル=76円台に急騰し、1995年4月19日につけた1ドル=79円を超えて史上最高値となった。3月末の決算期を控えた日本企業の円需要が増しているのと、保険金の支払いに備え、保険会社が外貨資産を売るといった思惑、さらに日本政府が外貨準備として保有するアメリカ国債を売るのではないかとの観測まで広がっている。日本政府が国債増発ではなく、外貨準備に手をつけ、米国債を売却するのではないか、という憶測だ。アメリカとの外交問題が絡む。注視したい。

 今回の大震災でマスメディア(とくにテレビ)がネット上で批判を浴びている。その主なものは、「記者会見で東京電力の社員が必死になって説明しているのに、記者たちはの質問はまるで吊るし上げではないか」、「ニュース読むアナウンサーがヘルメットを被っていたが、そのバックヤードで働いくスタッフたちは被っていない。これも演出か」などなど。確かに、震災発生の11日の民放各社の報道番組で、スタジオのキャスターたちのヘルメット姿には違和感を感じた。東京も震度5強だったので、被災地といえば被災地だ。スタジオの天井には照明機器が吊るされている。ただ、言葉は悪いが、「私たちも被災者の目線でニュースをお伝えします」という意識が浮き上がっていて、「くさい」のである。スタジオ後方で走り回るスタッフが被っていなかったからなおさらに。

 そのスタジオのキャスターが現地で中継リポートをする記者に、最後に「気をつけて取材を続けてください」と声をかけている。その記者の背後では家が潰れ、乗用車がひっくり返り、まさに地獄絵図が広がっている。クギ付けになった。「気をつけて…」など通り一遍の記者へのねぎらいの言葉など不要である。「取材を続けてください」でいいのである。視聴者と伝える側の温度差を感じた。

 写真は、2007年3月25日に発生した能登半島地震の被災地、輪島市門前町での写真である。倒壊した家屋に横付けしたSNG車(衛星回線を利用した映像伝送車)をにらむように見つめる被災者。被災地にドカドカと入ってきて、最初は「悲惨な被災地の現場」を見せるだった。ところが2日、3日もすると、テレビ各社のリポーターは美談を探し始めた。「愛犬が救った飼い主の命」などワイドショー仕立ての取り上げ方が目立つようになった。そして1ヵ月もするとあれほどいた取材クルーは潮が引くようにいなくなった。

 その取材の行動パターンは、被災地ではどこも同じである。悲惨な映像、美談仕立て、行政の対応批判、そしてさっといなくなる。被災地の様子をいち早く現地から全国の視聴者に伝えることは大切なことだ。メディアでしかできない。でも当時、現地に赴いて思った。被災地におけるメディアって何だろう、と。

⇒17日(木)朝・金沢の天気  ゆき

★畠山重篤氏の無事

★畠山重篤氏の無事

 「森は海の恋人」運動の提唱者、畠山重篤さんの安否の続報を書く。畠山さんの消息が知りたいと切望している方々は多いと思う。15日付の『自在コラム』で畠山さんの安否について書いたところ、3件ものコメントが寄せられた。前回のブログで引用した『牡蠣復興および被災地救援対策会議』のサイトでの記事を今回も紹介する。畠山さんに関する新しい情報が入っている。畠山さんの親戚という人(「オイスターマイスター(OM)小屋めぐみさん」)が、畠山さんの娘(「愛子さん」)からの情報として安否情報を以下のように掲載している。読みやすくするために、掲載順番を新しいものを上にする。
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⇒ 03-15-16:00|OM小屋 さん|娘さんの畠山愛子さんから皆様へのメッセージ 本日午前に、父畠山重篤、長男哲と直接話すことができ、祖母をのぞいてですが、一家が無事であることが確認できました。祖母小雪は、震災当時気仙沼鹿折におり、亡くなったとのことです。現在唐桑地区は通信網が一切遮断されており、唐桑からの発信は全くできないそうです。父からの電話も、室根からかけているとのことでした。舞根地区で重篤の自宅の高台に非難していた2,30名の地域の皆さんはいま避難所(おそらく唐桑小学校)へ移動されたそうです。父重篤には、全国各方面からご心配と励ましをいただいている事も伝えました。父からも皆様へお礼と引き続き被災者へのご支援をお願いしますとのことです。携帯のバッテリーが不足しており、短時間での会話だったため、今わかっている情報は以上です。今後も連絡が取れ次第、ご報告します。畠山哲の家族、耕、信も無事です。

⇒ 03-14-19:48|OM小屋 さんより|畠山愛子さまより以下のメッセージがありました(安否の掲示板より); メッセージをいただいた皆様へ 畠山重篤一家について全国各方面から沢山のご心配と励ましのメッセージをいただき、また情報の拡散などご協力をいただき本当にありがとうございます。その後、家族とはまだ直接連絡はできておりませんが、唐桑の孤立状態は解消されたとのことですので、少し安心しました。ここで、皆様にお願いです。現地では引き続き通信の混乱が続いておりますので、現地家族への安否確認のご連絡は控えていただければと思います。私自身東京にいるので、確認の連絡をぐっとこらえて、現地からの連絡を待っている状態です。家族と直接連絡が取れ次第この掲示板にてすぐにご報告いたしますので、ご協力お願いします。
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 ※写真は、2010年8月7日、金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムでの畠山重篤さんの講義の様子。
 
⇒16日(水)朝・金沢の天気 はれ

☆畠山重篤氏のこと

☆畠山重篤氏のこと

 気仙沼市在住で、漁民による広葉樹の植林活動「森は海の恋人」運動の提唱者、畠山重篤さんのことを今月12日付の『自在コラム』で書いた。畠山さんの消息が知りたいと思い、ネット上で探した。「畠山重篤」「安否」で検索すると、『牡蠣復興および被災地救援対策会議』のサイトに当たった。カキの愛好家がカキ養殖業者を支援するサイトだ。ここに畠山さんの親戚という人(「オイスターマイスター(OM)小屋めぐみさん」)が、畠山さんの娘さん(「愛子さん」)からの情報として安否情報を以下のように掲載している。
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⇒ オイスターマイスター小屋 さん(畠山氏親戚)が気仙沼の知り合いとメール(11日18時頃)。海から離れた少し高台の学校の三階に取り残された先生から情報。二階まで水没。車等周りの物は全て流され孤立。畠山氏含め親戚の牡蠣漁師は全員連絡取れず。他家族とも連絡取れず。自分は学校の先生になっていたので高台の三階にいた。以上メールで。ただし現在連絡が途切れている。

⇒ OM小屋 さんより|畠山重篤の娘、畠山愛子です。3月11日22時時現在、メールで、一家は高台の自宅に避難して生きているということです。その後は連絡がとれません。舞根地区は壊滅状態で、自宅も孤立していると思われます。舞根だけでなく、唐桑の避難所も含め情報が全くないので、唐桑の多くの場所が孤立していると思います。唐桑が孤立しているであろうことを広めてください。

⇒ 03-14-19:48|OM小屋 さんより|畠山愛子さまより以下のメッセージがありました(安否の掲示板より); メッセージをいただいた皆様へ 畠山重篤一家について全国各方面から沢山のご心配と励ましのメッセージをいただき、また情報の拡散などご協力をいただき本当にありがとうございます。その後、家族とはまだ直接連絡はできておりませんが、唐桑の孤立状態は解消されたとのことですので、少し安心しました。ここで、皆様にお願いです。現地では引き続き通信の混乱が続いておりますので、現地家族への安否確認のご連絡は控えていただければと思います。私自身東京にいるので、確認の連絡をぐっとこらえて、現地からの連絡を待っている状態です。家族と直接連絡が取れ次第この掲示板にてすぐにご報告いたしますので、ご協力お願いします。
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 支援者のサイトでの、しかも具体的な地名が入った情報なので畠山氏の消息にはリアリティがある。無事を祈りたい。

⇒15日(火)朝・金沢の天気 くもり

★福沢諭吉と上野戦争

★福沢諭吉と上野戦争

 チェーンメールが飛び交っている。昨日もこのようなメールが知人より届いた。「■お願い■ 関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、本日(3月13日)18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!こんなことくらいしか関西に住む私たちには、祈る以外の行動として出来ないです!このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!1人1人が意識し、電気の使用を少し控えるだけで、助かる命があるかも知れません。ご協力お願い致します。」

 この巨大地震の被害は甚大であり、あるい意味では国難でもある。知人は善意でこのメールを知り合いに届けた。このメールを疑問に思った知人がさらに、次のようなメールを受け取った知人らに回した。

 「件名の趣旨、大変理解できますが、周波数が違うのに、その様なことが可能なのかと疑問に思い、関西電力のHPを見ました。以下に転記致します。○このたびの東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。○今回の震災復旧に際して、当社名でお客さまに節電に関するチェーンメールを送ることはございませんので、ご注意ください。○当社はお客さまへの安定供給を維持した上で、11日夕方から、電力各社と協力しながら最大限可能な範囲で電気の融通を行っております。○平素より皆さまには省エネ・節電にご協力を頂いておりますが、今のところ、お客さまに更なる特別な節電をお願いするような状況にはございません。」と。

 そして疑問に思った知人はさらに以下の注釈をつけた。「[注]東日本と西日本では、電気の周波数が違います。従って、関西電力の電気を東日本に送るには、周波数を変換しないといけません。この周波数変換施設の容量には上限があります。」と。感情論ではなく冷静にメール対応することで、チェーンメールの知人らに諭した。チェーンメールを最初に送ってきた知人から再び、「先日お送りしたメールですが、混乱を招くような内容を発信してしまったこと、軽率だったと反省しております。以後、正確な情報か見極めたうえで行動したいと思います。」とお詫びのメールが流れてきた。

 メール情報が飛び交うのは、それだけ人々の心が揺れているからだ。このような場合、われわれはどう心の動揺を抑えたらよいのか。一つのエピソードがある。1868(慶応4)年5月、新政府軍と旧幕府側の彰義隊が上野で戦闘を開始した。慶応義塾を創設した福沢諭吉はこのころ、芝新銭座の有馬家中屋敷(現在の東京都港区浜松町1丁目)で英語塾を開講(のちに慶応義塾)していた。福沢は、噴煙があがるのを見ながらも、塾を休むことなく、塾生たちに英書『ウェーランドの経済書』を講義した。

 挿絵は、戦火を眺め動揺する塾生を背に粛然と講義を行う福沢の姿である。師が動揺しては塾生も動揺する。自らの使命を遂行することが肝要と自信に言い聞かせていたのだろう。

 ※写真は、2009年に開催された福沢諭吉展で市販された挿絵より。

⇒14日(月)朝・金沢の天気  はれ

☆豊饒の海を襲った津波

☆豊饒の海を襲った津波

 11日午後2時46分、三陸沖を震源とする国内観測史上最大の巨大地震が発生した。強い揺れと最大10㍍と推定される津波が襲い、火災も発生、岩手、宮城、福島3県で壊滅状態の地区が続出し、110万人が住む太平洋岸三陸地域を中心に犠牲者は相当数に及ぶ。宮城県栗原市で震度7、仙台市など宮城県各地、福島、茨城、栃木各県で震度6強を記録した。マグニチュードは8.8。観測史上最大規模と報じられている。三陸沖から茨城県沖にかけての震源域が連動して揺れが頻発しているようだ。

 気仙沼港に6㍍の津波が到来し、市内は広範囲にわたって水没しているとメディアは伝えている。朝日新聞社のホームページ「アサヒ・コム」は、同社気仙沼支局長の報告として次のように報じている。「気仙沼港は火の海。すごいことになっている。午後5時半すぎ、気仙沼港口にある漁船用燃料タンクが津波に倒され、火が出た。その火が漂流物に次々に燃え移っている。さらに、波が押し寄せるたびに、燃え移った漂流物が街の中に入り、民家に延焼している。周辺は暗くなっているが、一面、真っ黒な煙と炎が覆っている。あちこちで火が上がり、『バーン、バーン』という爆発音もあちこちで聞こえる。気仙沼市街地北側で火柱が3本見える」。記事を読む限り、戦場を想像させる。

 去年(2010年8月)と2008年3月、「能登里山マイスター」養成プログラムの講義に能登に来ていただいた畠山重篤氏(気仙沼市)。講義のテーマは、「森は海の恋人運動」だった。畠山氏らカキの養殖業者は気仙沼湾に注ぐ大川の上流で植林活動を1989年から20年余り続け、約5万本の広葉樹(40種類)を植えた。この川ではウナギの数が増え、ウナギが産卵する海になり、「豊饒な海が戻ってきた」と畠山氏はうれしそうに話していた。漁師たちが上流の山に大漁旗を掲げ、植林する「森は海の恋人運動」は、同湾の赤潮でカキの身が赤くなったのかきっかけで始まった。

 宮城県が計画した大川の上流での新月(にいつき)ダム建設では、畠山氏らの要請を受けた北海道大学水産学部の松永勝彦教授(当時)が気仙沼湾の魚介類と大川、上流の山のかかわりを物質循環から調査(1993年)し、同湾における栄養塩(窒素、リン、ケイ素などの塩)の約90%は大川が供給していることや、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせないフルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)が大川を通じて湾内に注ぎ込まれていることを明らかにした。この調査結果は県主催の講演会などでも報告され、新月ダムの建設計画は凍結、そして2000年には中止となった。畠山氏らの、ダム反対のスローガンを掲げずに取り組んだ「森は海の恋人運動」は結果的にソフトな環境保全運動として実を結んだ。

 畠山氏らが心血を注いで再生に取り組んだ気仙沼湾が「火の海」になった。心が痛む。畠山氏らの無事を願う。

⇒12日(土)朝・金沢の天気  くもり

★オイルは暴騰す

★オイルは暴騰す

 金沢市内で良く使うガソリンスタンドで3日、レギュラーが店頭価格143円をつけた。今月に入って市内でガソリン1㍑当たり140円台が相場となった。昨年末は120円台だったので、一気に20円も上がったことになる。今回のガソリンの値上がりは分かりやすい。「中東産油国の政情混乱」だ。問題は、これが一時的な現象なのだろうか、さらに値上がりするのではないか、ということだ。

 3月2日のニューヨーク・マーカンタイル取引所では、原油先物相場の国際的な指標の米国産標準油種(WTI)4月渡しの終値が1バレル=102.23ドルと、2年5ヵ月ぶりに100㌦の大台を突破したと報じられた。

 世界の原油産出国はロシア、サウジアラビア、アメリカ、イラン、中国、カナダ、メキシコ、UAE、イラク・クエートの順(外務省資料)になる。さらに、日本の原油輸入先は、サウジアラビア、UAE、カタール、イラン、ロシアの順(資源エネルギー庁)で、中東への依存率は85%だ。今回の反政府デモの動きは、チュニジアからエジプト、そしてリビアに波及している。

 日本はリビアから原油を輸入していないが、問題はサウジアラビアだ。そのサウジは、アブドラ国王が高齢で病気療養中、さらに大卒者の6割が職に就けないという「不満の火種」を内在している。仮に政情混乱がサウジに波及し、中東からの原油供給不安がさらに強まれば、WTIの価格は2008年7月に記録した過去最高値(1バレル=147㌦)を超えるのは確実との見方も出てくる。このときのガソリンの高騰は、アメリカのリーマン・ショックで行き場を失った投機マネーが先物取引市場に向かい原油価格を吊り上げた。当時の店頭価格は金沢市内で180円だったと記憶している。いまのガソリン価格の上昇は序の口なのだろう。

 政情混乱と投機マネー。国際的な金融緩和で投機マネーが先物取引市場に流れ込むという構造は続くだろう。しかも、ガソリン需要は春先から夏場にかけて高まり、価格が上昇する傾向にある。ガソリン価格を下げる要素は何一つない。

 円高(1㌦=80円台)が続く日本でこの価格である。ちなみに、このブログではガソリン価格について何度か取り上げている。それを拾うと、2005年10月31日付「1㍑当たり122円」、2009年1月1日付「1㍑当たり99円」。そしてきょう2011年3月4日付が「1㍑当たり143円」と。

 ガソリン価格は常に乱高下し、世界の政情を映す。その価格が高騰すれば、原油生産シェア世界1位(12.9%)の隣国・ロシアは経済力をつけるという構造に変わりない。

⇒4日(金)朝・金沢の天気  ゆき 

☆この横着モノ

☆この横着モノ

 大学入試の公正性がハイテクで損なわれるということは断じてあってはならない。京都大など4大学の入試問題が試験時間中にインターネットの質問掲示板「ヤフー知恵袋」に投稿された事件が世間を騒がせている。警視庁などは、投稿に使われたNTTドコモの携帯電話の契約者を山形県新庄市在住の人物と特定し、その息子(19歳)の強制捜査(逮捕)に踏み切るだろうと、マスメディアは一斉に報じている。

 京都大学側が2月28日に京都府警に被害届を提出し、さらに世間の注目を集めた。おそらく大学側は対応できないと判断したのだろう。京都府警もネットを使った犯罪にはチカラを入れていて、生活安全部のハイテク犯罪対策室が対応を担っている。その罪は、偽計業務妨害罪。つまり、偽計を用いて人の業務を妨害した、というもの。3年以下の懲役または50万円以下の罰金に処せられる。

 ところが、世間の関心は一方で別なところにある。監視員がいる中で、どうやってケイタイを使って投稿できたのか、という技術的な驚きだ。これまで、入試に関しては、集団カンニングや裏口入学、替え玉受験など入試の公正性をめぐる事件があった。今回のように、偽計業務妨害罪という刑法犯の特定にまで至るというケースは初めてだろう。

 過去の替え玉受験問題(1991年の明治大学の入学試験)では、有印私文書偽造など3人が逮捕されているが、これは大人が絡んだ事件だったから逮捕に至ったのだ。今回は世間を騒がせたものの、19歳の悪知恵である。もし、当の本人がゲーム感覚でしたことで、これほど大事(おおごと)なるとは思ってもいなかったと反省しているのであれば、警察が「この横着モノ。世間を騒がせたらいかん」と一喝しておきゅうを据えるだけで済む話ではないか。逮捕して、断罪して、それで世間がすっきりするのだろうか。むしろ、少年の出来心に対して寛容性がなくなった日本社会のあり様が返って問われることになりはしないか。この方がむしろ後味が悪い。

 もちろん、この事件の背後に協力者として大人が絡んでいる、あるいは未成年であっても他との共謀性があれば別の話になる。

⇒3日(木)朝・金沢の天気   ゆき

★続・追想クライストチャーチ

★続・追想クライストチャーチ

 ニュージーランド南島の中心都市クライストチャーチ付近で22日に発生した大地震。救出された富山外国語専門学校の男子学生(19)の被災体験が朝日新聞の24日付紙面で掲載されていた。学生はビルの4階にいた。昼食をとっていて、大きな揺れを感じた。いきなり、足元の床ごと、体が落ちた。周りの学生も「痛い」などと言いながら、一緒に落下していった。気づいたら、周囲は暗闇だった。右足が動かない。何かに、挟まれていた。奈落の底に落ちるような恐怖だったに違いない。学生は右足を切断し、救助された。

 2006年8月、家族旅行で訪れたクライストチャーチの街は、ビジネス街もあるものの、歴史が止まっているかのように感じられた。その理由は、若者の姿が少なからだった。同じ年の1月に訪れたイタリアのミラノは古い街並みを若者がかっ歩するという歴史の連続性を感じた。が、クライストチャーチには人々のみずみずしさが感じられなかった。

 若者の姿が見えない理由の一つが、学生がいないことだった。ニュージーランドに7つある大学の一つ、学生数1万3千人のカンタベリー大学がクライストチャーチの中心街から郊外に移転した。金沢の街の事情と少々似たところがある。もう一つの理由が、若者が仕事を求めてオークランドに流れていた。オ-クランドは北島にある人口110万人を数えるニュージランド最大の経済都市である。いうならば一極集中の構造になっているこの国では、2番目の都市規模を誇る35万人のクライストチャーチであっても「ストロー現象」で若者が吸い上げられていたのだ。

 そこにきて今回の震災である。この街のシンボルであり、観光名所でもある大聖堂も崩れた。そして、「ガーデンシティ(庭園の街)」と称されるまでに美しい街であったクライストチャーチは一瞬にしてがれきの街と化した。あの美しい、古都のような街が早く復興していほしいと願う。ただ、この街の復興は前途多難であろうことは、想像に難くない。

 写真は、街路でチェスを楽しむ市民たち(上)、イングリッシュガーデンが見事なクライストチャーチの住宅のたたずまい(下)。2006年8月15日撮影。

⇒24日(木)朝・金沢の天気  はれ