☆天からの雪便り
ただ、この挨拶も度が過ぎるというのもある。ちょうど6年前の2005年12月17日、いきなり金沢市内で50㌢という積雪に見舞われた。こうなると挨拶どころか、ケンカを売っているようにも思える。「人間ども見ておれ、自然をなめるなよ」といった感じだ。すると、人々は「ちょっと待ってくださいよ。二酸化炭素の排出などで地球は温暖化に向かっているのではないですか。それなのになぜ大雪なのですか」と思ってしまう。すると自然の声もさらに荒々しくなる。「地球温暖化は人間が引き起こしていると思っているようだが、オレに言わせれば、地球の寒冷期がたまたま温暖期に入ったわけで、これはオレが差配している自然のサイクルだ。今後雪を降らせないとか少なくするとかは一体誰が決めたんだ、それは人間の勝手解釈だろう。オレは降らせるときはガツンと降らす。2008年1月にはバクダットにも雪をプレゼントしてやったよ」と。北陸という土地柄では、冬空を見上げながら自然と対話ができる。1936年に世界で初めて人工雪を作ることに成功し、雪の結晶の研究で知られる中谷宇吉郎(1900-62、石川県加賀市出身)は「雪は天から送られた手紙である」という言葉を遺している。
さて、この時期、雪は生活の一部だ。積雪に備え庭の樹木に雪つりを施す。乗用車のタイヤをスタータイヤに交換する。除雪用のスコップを玄関に用意する。雪靴をゲタ箱に入れておく。慌ただしく準備をして、積雪期を迎える。きょうはさっそく除雪用のスコップの出番だった。道路に面した家の間口分だけ道路を除雪するのが暗黙のルールになっている。しかも、側溝付近の人が歩く側だけだ。不思議なもので、早朝近所の誰か始めると町内の人々が入れ替わりに出てきて除雪する。お昼ごろにはだいたい道路の歩道部分の除雪が終わっている。町内一斉の除雪というのもあるが、これはドカ雪で道路機能がマヒし、除雪車も来ないというときに、非常措置として町内会が音頭を取って実施する。5年か6年に一度ほどある。
北陸の雪は長野や北海道と違って、湿り気が多く重い。五葉松などの庭木は雪つりがないとボキリと枝が折れる。写真は、きょう9時に撮影したもの。パラソルのように広がった縄が五葉松の枝を雪の重みから支えている。自然に対応する先人の知恵というのはかくも確かで、そのフォルムは美しい。
⇒17日(土)朝・金沢の天気 ゆき
金沢大学の共通教育授業でマスメディア論を教えている。その中で、学生たちに問いかけるテーマの一つが、「マスメディアはなぜ遺体、あるいは死体の写真や映像を掲載・放送しないのか」という論点である。東日本大震災での遺体写真の掲載については、新聞各社は原則、死体の写真を掲載していない。被災地の死者(死体)の尊厳を貶めることにもなりかねないとの各社の判断があり、あえて掲載していない。リアルな現場というのは、遺体(死体)の写真をストレートに見せることはしなくても、なんらかの見せ方によって、犠牲者の多さや無念の死というものを表現することは可能との意見が多い。そのような話を周囲の研究者にすると、「では、これを読んでみてください」と薦められたのがこの本だった。マスメディアで掲載・放送するしないの論議以前の話として、日常生活で遺体(死体)と接することがめったになく、遺体(死体)そのものについて我々は無知である。これでは何も語れない、イメージと感情だけで論じることに等しいと思い、向学のために本を注文した。
最初の訪問地は能登ワイン株式会社(石川県穴水町)。2000年からブドウ栽培をはじめ、2006年より醸造を開始している。初出品した国産ワインコンクールで、「能登ロゼ」(品種マスカットベリーA)が銅賞(2007年)、「心の雫」(品種ヤマソーヴィニヨン・赤)が銅賞(2010年)、そして、ことし2011年で「クオネス」(品種ヤマソーヴィニヨン・赤)が銀賞を受賞した。年々実力をつけている。
ていく。もう一つ。能登の土壌で育つブドウはタンニン分が少ない。それをフレンチ・オークやアメリカン・オークの樽で熟成させることでタンニンで補う。するとワインの味わいの一つである渋みが加わる。そのような話を聞くだけでも、「風味」が伝わってくる。
石巻日日新聞。イシノマキヒビシンブンと読む。ニチニチではない。夕刊紙が専門で、宮城県東部の石巻市や東松島市、女川町などをエリアに震災前は1万4000部を発行していた。従業員は6人の記者を含め28人。典型的な地域紙と言ってよいだろう。この日(3月11日)は夕方から雪の予報が出ていて、夕刊は午後2時半ごろ早めに配達が始まっていた。地震の発生は午後2時46分、その3分後に大津波警報が発令、さらにその50分後の3時40分に石巻市内の同社に津波が到達した。社屋の倒壊を免れたものの、1階にある輪転機の一部が水に浸かり、さらに電気が止まった。来年には創刊100周年を迎える歴史ある新聞を発行できないという危機に陥る。社長の近江弘一は決断する。「今、伝えなければ地域の新聞社なんか存在する意味がない」「紙とペンさえあれば」「休刊はしたくない。手書きでいこうや」と。そして、3月12日付=写真=から6回にわたって壁新聞づくりが始まり、避難所などに貼り出された。
帰国する6日、台湾の国立故宮博物院(台北市士林区)=写真=を見学した。山中にあるが、付近は高級住宅街が広がる。第二次世界大戦後、国共内戦が激化し、中華民国政府が台湾へと撤退する際に北京の故宮博物院から収蔵品を精選して運び出した。その数は3000箱、61万点にも及んだ。それが世界四大博物館の一つに数えらるゆえんとされる。
く工人はまずこの色合いからイメージを膨らませ、白菜を彫ったのではないか。これが逆で、白菜を彫れと言われて原石を探したのであれば大変な作業だったに違いない。清く真っ白な部分と緑の葉。その葉の上にキリギリスとイナゴがとまっている。
ことし6月に北京を訪れた折、紫禁城(故宮)を見学した=写真=。明朝と清朝の旧王宮である歴史的建造物。「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」の一つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。72㌶の広大な敷地に展開する世界最大の宮殿の遺構だ。1949年、毛沢東は城門の一つである天安門で中華人民共和国の建国を宣言した。訪れたとき、この現代中国の歴史的なシンボルの場所で、突然激しく叩きつけるような風雨に見舞われた。雷鳴とともに逃げ惑う多数の観光客の姿はまるで映画のシーンのようだった。
5日午後、今回の台湾訪問の主な目的である国立台北護理健康大学=写真=旅遊健康研究所(大学院ヘルスツーリズム研究科)での講義。講義内容を簡単に説明すると、日本の温泉ツーリズムは「温浴効果」と「もてなし」による「癒し」である。海外でも温浴効果の高い温泉はあちこちにある。これに「もてなし」というメニューを加わえたのが日本流である。その「もてなし」の独自の進化が能登にある。以下、講義の概略を。
この田の神様には特徴がある。田の神様は稲穂で目を突いて、目が不自由であるという設定になっている。どちらか片方が不自由であったり、両目という場合、夫婦そろって不自由という、家々によってその設定が異なっている。目が不自由な神様をおもてなしするためにどうすればよいのか、それぞれ家々で考える。神様が転ばないように「神様、敷居が高いのでまたいでください」と本当に手を引くようにして座敷まで迎えたり、「どうぞ、お風呂でございます。熱いです」といって目の不自由さを家の主がカバーしいる。「もてなし」をホスピタリティ(hospitality)と訳する。あえのことは病院での介護や介助に近い意味合いのもてなし方になる。しかも、自分の家の構造によって、それぞれもてなし方が違う。自らイマジネーションを膨らませ、自身が不自由であったと仮定すれば、どのように介助してほしいかとあれこれ自ら考えることになる。全知全能の神様であったり、不自由さがない神様だったら一律でパターン化された儀礼になっていたかもしれない。
この天母地区というのは、台北市の北部にあり、日本人学校やアメリカンスクール、大使館などがある、ちょっとした高級住宅街でもある。中心街には日系デパートの高島屋もある。「士東市場」と書かれたビルがあり、のぞくと市民の台所といった感じの食材市場が広がっていた。2階建てで、1階が食材市場、2階がグルメ店や小物店などがずらりと並ぶ。鮮魚の店ではサケやタイ、マグロに並んで食用カエルを盛った皿も並んでいた。冷蔵庫に目をやると「松葉蟹」の冷凍ものも。精肉の店では、店員が烏骨鶏とおぼしき足の黒いニワトリをさばいていた。日本の食材市場と違うのは、その場で解体と処理と販売をする点だ=写真・上=。日本の場合、鮮魚は目の前でさばくにしても、精肉となると客にそこまでは見せないだろう。この市場では、トサカのついたニワトリの首がまな板の周辺に転がっていた。それぞれの国民の感性の違いはあるにしても、精肉の鮮度が「見える化」されていて、それが価値だと思えば、日本人も納得できるかもしれない。
米屋があった。台湾産、タイ産など並ぶが、地元台湾産で一番値段が高かったのが「鴨間米」で一斤(600㌘)で65台湾ドル。「有機米」とも書き添えられてあったので、カモを水田に放ち、肥料と除草をまかなう栽培方法かと想像した。さらに値段でひと際目を引いたのは「越光米」、コシヒカリである。一斤(600㌘)85台湾ドル、今のレート換算で日本円にして240円ほど。1キロ計算では400円ほど。日本のスーパーマーケットで売られている米の値段と比べても、1キロ400円は高い。
「台湾では、日本語ができて、格式を誇る旅館の最前線の社員ですので、日本でいえばスチュワーデスのような憧れの職業なんです」。 後日、台北・北投温泉の加賀屋を経営する株式会社「日勝生加賀屋」の副社長、徳光重人氏に取材するチャンスを得た。会社は台湾のデベロッパー「日勝生活技研」と日本の「加賀屋」がともに出資する合弁会社だが、主な出資と土地建物の所有は日勝生活技研である。2004年6月に日勝生加賀屋が日本の加賀屋とフランチャイズ契約(20年間)を結び、台湾の加賀屋は建築から料理、もてなしの様式、すべてが日本の加賀屋流だ。
セプトなどにやり取りをしていると「それでは能登の里山里海が世界農業遺産(GIAHS)に認定されたこととツーリズムについて、宇野さん、話して」と指名を受けてしまった。講義をする大学は、国立台北護理健康大学の旅遊健康研究所(大学院ヘルスツーリズム研究科)。日程は11月5日、テーマは「世界農業遺産(GIAHS)に登録された能登半島のツーリムズ」と決まった。
ている。温泉ツーリズムといえば能登半島の和倉温泉、そして「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(主催:旅行新聞社)で31年連続日本一の加賀屋を引き合いに出さないわけにはいかない。北投の加賀屋の取材予約はあす5日の夕方だった。まずは挨拶に思い向かったのだが、現地のマネージャーから丁寧に館内を案内され、取材が事実上早まったかたちになった。
この文庫のコンセプトそのものが意義深い。ヨーロッパでは、中世まですべての知識は口伝か写本として伝達されるのみだった。つまり、知識は限られた人々の占有物だった。ところが、グーテンベルクの活版印刷術の発明によって、知識の流通量が爆発的に広がった。科学と技術の発展の速さは知識の伝達の速さに関係するとも言われる。つまり、「グーテンベルク以降」が科学・工学の夜明けという訳である。