#コラム

☆2012ミサ・ソレニムス~2

☆2012ミサ・ソレニムス~2

 「地球は温暖化しているはずなのに、この寒さは何だ」と叫びたくなる。朝起きてみると、自宅に周囲は20㌢ほどの積雪だ。2005年12月の異常寒波を思い出す。当時、厳しい寒波の原因として気象庁や専門家が注目したのは「北極振動」と呼ばれる現象だった。北極振動(AO、Arctic Oscillation)。北極は寒気の蓄積と放出を繰り返している。蓄積中は極地を中心に寒気の偏西風は円状に吹くが、ひとたび放出に切り替わると、北半球では大陸の地形から寒気が三方向に南下し、日本列島を含むユーラシア大陸などを蛇行する。今回はサンタならぬ、クスマス寒波だ。さて、「2012ミサ・ソレニムス~2」は事件簿を振り返る。

     善良な市民であり、凶悪な警察官であり…

 ことし記すべき事件簿ならば、本来、兵庫県尼崎市の連続変死事件だろう。ところが、殺人と逮捕監禁容疑で逮捕されていた主犯とみられる角田美代子容疑者(64歳)は留置場内での自殺(12月12日)。周辺で6人の遺体が見つかり、なお3人が行方不明の事件の捜査はこれから本格化するところだった。事件すら、衆院総選挙ですっかりかすんでしまった。

 年末に驚く事件が報じられた。現職の警察官が殺人と放火という前代未聞の罪を犯した。富山県警が22日、警部補で休職中の加野猛容疑者=54歳、富山市=を殺人と現住建造物等放火、死体損壊の疑いで逮捕したと発表した。ただ、続報でも、その殺しの動機が一切伝わってこない。なぜだ。

 報じられていることをまとめると、加野容疑者は高岡署留置管理課に勤務していた2010年4月20日正午ごろ、富山市大泉のビル2階の住居で、会社役員(当時79歳)と妻(同75歳)の首を、ひもで絞めて殺したうえ、持ち込んだ灯油をまいて放火し、死体を損壊した疑い。容疑者はこの日休みだった。殺された夫妻は2004年まで容疑者の住む同市森地区に住んでいて、夫妻とは30数年来のつきあいがあった、という。容疑者は消費者金融などから200万円前後の借金があったとも伝えられている。

 殺害があった5ヵ月後の2010年9月、自宅で睡眠導入剤を大量に飲み、自殺を図ったこと。当時勤めていた高岡署の上司や家族に宛てた複数の遺書が見つかっていたが、自殺を図った動機を「健康問題や家族の悩み」と説明していたという。夫婦殺害には触れていなかった。容疑者は当時、殺害された夫妻とつきあいがありマークされてた。ことし10月と11月に2度、地方公務法(守秘義務)で2度逮捕されている。9月、勤務していた高岡署内で、留置人の差し入れに訪れた男性に、男性の知人の暴力団員が近く逮捕されることを、別の知人男性には覚醒剤事件の捜査情報を漏らした疑い。

 一方で、容疑者はことし4月から町内会長を務めていた。世話好きだったらしい。また、採集した昆虫の標本を地区の文化祭に出展したり、育てたカブトムシを子どもたちに配ったりして、「昆虫博士」として地域で知られていた、と。

 奇妙なキャラクターではある。自殺を図る心理状況と、町会長を引き受けるテンションの高さ。昆虫標本の作成と生物分類の集中力と、捜査情報をつい知人に漏らすルーズさ。善良な市民であり、凶悪な警察官、この2面性は何だろう。

⇒25日(火)朝・金沢の天気  ゆき 

★2012ミサ・ソレニムス~1

★2012ミサ・ソレニムス~1

 昨夜(23日)金沢市の石川県立音楽堂コンサートホールで開催された、荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)の演奏を聴きにいった。石川県音楽文化協会などの主催で、もう50回目となり、県内では季節の恒例のイベントとして定着している。80分の演奏時間は、高揚感と緻密で清明感にあふれる。決して「長い」とは感じなかった。年末に荘厳ミサ曲や「第九」が響く都市というのはどれだけあるのだろうか。これが都市の文化力のバロメーターなのかも知れない。「キリエ (Kyrie)憐れみの讃歌」、「グロリア (Gloria)栄光の讃歌」、「クレド (Credo)信仰宣言」、「サンクトゥス (Sanctus)感謝の讃歌」、「アニュス・デイ (Agnus Dei)平和の讃歌」と進むちうちに心が高まり、金沢の地でこうして鑑賞できることに感謝した。

 作曲したベートーベン(1770~1827)が生きた時代、ヨーロッパでは貴族が没落し、都市から新しい価値観や思想が噴き出す過渡期だった。2008年5月、ドイツのボンに出張した折、ベートーベンの生家に立ち寄った。正確に言うと、夕方ですでに閉館だった。周囲に当時から変わらない広場があり、居酒屋が立ち並んでいた。そのうちの一軒に入ると、ビールのジョッキを手に語らう人々であふれていた。ベートーベンの時代に一瞬タイム・シフトしたような思いにかられたものだ。さて、今回のコンサートを聴きながら2012年を振り返るよいチャンスにもなった。「2012ミサ・ソレニムス」と題して、この1年を回顧したい。

       イフガオの棚田で考えた、「田の神」ブルルの今と未来    

 去年の今頃、気持ちはフィリピンにあった。年賀状で書いた文面はこうだった。「能登の里山里海が国連食糧農業機関の世界農業遺産(GIAHS)に認定されました(昨年6月)。半島の立地を生かした農林漁業の技術や文化、景観が総合的に評価されたものです。世界に12ヵ所あるGIAHS地域とネットワークを築くため、手始めに今月11日から6日間、フィリピンの『イフガオの棚田』に行きます。ささやかながら能登の明日に向けた新たな取り組みになればと思っています。2012年元旦」

 イフガオの棚田=写真=を実際に訪れたのはことしの1月13日だった。マニラから車で8時間余り。道路事情も決してよいものではない。にもかかわらずバスも運行している。1995年にユネスコの世界遺産として登録された世界最大規模の棚田(rice terrace)だからだ。標高1000から1500㍍、1万平方㌔㍍の山岳地帯に散在する棚田がある。もっとも美しく規模が大きいとされるのがバナウエの棚田といわれる。耕運機どころか、水牛のような家畜すら入れない斜面地だった。

 バナウエ市のジェリー・ダリボグ市長を表敬に訪れた。訪れたのは、金沢大学チームと、同日に合流した同じ世界農業遺産の佐渡市の高野宏一郎市長、国連食糧農業(本部・ローマ)のGIAHS担当スタッフ、石川県の関係者だった。バナウエは人口2万余りの農村。平野がほとんどない山地なので、田ぼはすべて棚田だ。バナウエだけでその面積は1155㌶(水稲と陸稲の合計)に及ぶ。市長の話では、その棚田は徐々に減る傾向にある。耕作放棄は332㌶もある。さらに、マニラなどの大都市に出稼ぎに出ているオーナー(地主)も多い。市長は「棚田の労働はきつい上に、水管理や上流の森林管理など大変なんだ」と将来を案じた。農業人口の減少、耕作放棄など、平地が少ない能登とイフガオで同じ現象が起きていると感じた。むしろ、共通の課題を探ることができた。

 興味が湧いたのは、現地では「田の神」ブルル=写真=の信仰があることだった。イフガオに米づくりをもたらした神様として崇められている。ここで日本では想像できない問題もある。フィリピンは多民族国家だが、9400万人の人口の8割はキリスト教徒だ。16世紀から始まるスペインの植民地化や、20世紀に入ってからのアメリカの支配による欧米化でキリスト教化されていったからだ。しかし、この地に根付くイフガオ族は歴史的にこうしたキリスト教化、地元でよくいわれる「クリスチャニティ(Christianity)」とは距離を置いてきた。コメに木に田んぼに神が宿る「八百万の神」を信じるイフガオ族にとって、キリスト教のような一神教は受け入れ難い。

 一方で、少数民族が住む小中学校では、欧米の思想をベースとした文明化の教育、「エデュケーション(Education)」が浸透している。現地、イフガオ州立大学で世界農業遺産(GIAHS)をテーマにしたフォラーム「世界農業遺産GIAHSとフィリピン・イフガオ棚田:現状・課題・発展性」(金沢大学、フィリピン大学、イフガオ州立大学主催)が開催された。発表者からはこのクリスチャニティとエデュケーションの言葉が多く出てきた。どんな場面で出てくるのかというと、「イフガオの若い人たちが棚田の農業に従事したがらず、耕作放棄が増えるのは特にエデュケーション、そしてクリスチャニティに起因するのではないか」との声だった。これに対し、行政関係者からは一方的な見解との反論もあった。

 このフォーラムで自ら「純イフガオです」と語る気さくな研究者がいた。フィリピン大学のシルバノ・マヒュー教授(国際関係論)、日本には2度にわたって13年の留学経験を持つ。この問題で、マヒュー教授はこう話した。「イフガオ族には歴史上、王政というものはなかった。奴隷のような強制労働はなく、人々は平等な関係と意志で営々と棚田をつくり上げた。われわれイフガオの民はそのことに誇りに思っている。しかし、現代文明の中で、世界中どこでもそうだと思いますが、イフガオでもそうした昔のことを忘れてしまっています。昔と今とのギャップがどんどん開いていくと、保存する価値は薄くなってしまいます。ですから、例えばイフガオの人が、自分は別の所に住みたいと言って、祖先から伝えられた土地を忘れて離れていってしまうという問題を解決する方法があればいいと切に願っています」

 来年1月14日、シルバノ・マヒュー教授らを招いて、「国際GIAHSセミナー」(金沢市文化ホール)を開催する。我々はこの文明の中で、里山や農業、米づくりをどのように価値づけしていけばよいのか、そのような話をしていきたいと願っている。

⇒24日(振休)朝・金沢の天気  ゆき

☆「ネット選挙」その後

☆「ネット選挙」その後

 今頃になって、ようやくである。今回の衆院総選挙で大勝した自民党の安倍総裁が21日、来年夏の参院選からインターネットによる選挙活動を解禁したい意向を示したと各メディアの報じた(22日付)。安倍氏は記者団に「次の選挙までに解禁すべきだ。投票率の上昇につながっていくと思う」とネット解禁の効用を強調した、という。もともと自民は今回の衆院選挙の公約の「政治・行政・公務員改革」の項目の中で「インターネット利用選挙解禁法案の制定」を明記している。

 現行の公職選挙法は、公示・告示後の選挙期間中は、法律で定められたビラやはがきなどを除き、「文書図画(とが)」を不特定多数に配布することを禁じている。候補者のホームページやツイッターなどソーシャルメディアの発信は、こうした文書図画に相当し、現行では認められていない。これまで、ネット選挙解禁についての論議は何度もありながらも、政治の混乱の中で法案は提出されてこなかった。たとえば、2010年の参院選挙の前に、民主、自民、公明の与野党は候補者・政党が選挙期間中にホームページやブログを更新できるとする公選法改正に合意していたのに、である。

 来年夏の参院選挙からネット選挙が解禁されることが明確に打ち出されたことで、いよいよ現実になる。ただ、問題がないわけではない。「なりすまし」など他人の名をかたって中傷が書き込まれる可能性などいろいろと問題は懸念材料はあるだろう。そのために、虚偽の名前を記載することが罰則対象となるなどの法的な整備も必要だろう。

 ネット選挙の解禁によって、選挙活動をいわゆる「地盤・看板・ドブ板」に重きをおいたベテランたちの選挙運動の在り様も劇的に変化するだろう。とくに地方での選挙区では、インターネットを有権者のニーズに対応するスタッフが少ない。若者たちの雇用の場にもなる。候補者の選挙活動の一日を画像や動画でリアルに伝える、そんなスタッフがいてもよいのではないか。多様な活動、多様な意見をネットを通じて広める。有権者もそれを投票の判断材料にするといった効果が期待できる。選挙は多様でなければ盛り上がらない。ようやくその扉が開かれようとしている。

⇒23日(日)午前・金沢の天気  はれ

★メディアの当確の精度

★メディアの当確の精度

 このブログで何度か述べた衆院総選挙での「開披台調査」や「出口調査」が、今回の投開票日にその威力を発揮した。16日の投開票日は近くの投票場に行き、出口調査の様子を観察し、同日の21時から開票場で開披台調査の様子をつぶさに観察した。そして、その予想と結果を数字で比較した。

 テレビ朝日『選挙ステーション』では、20時34分に石川一区(金沢市)の出口調査の得票数をパーセントで発表していた。そのポイント。馳浩(自民)47.6%、奥田建(民主)23.4%、小間井俊輔(維新)19.3%、熊野盛夫(未来)5.5%と続いた。では、実際の得票率はどうだったのか。翌日の北陸中日新聞で掲載された確定票をもとにした獲得率は、馳浩47.87%、奥田建22.88%、小間井俊輔19.82%、熊野盛夫5.11%だった。馳の誤差はマイナス0.2、奥田プラス0.6、小間井マイナス0.5、熊野プラス0.4なのである。つまり、どの候補者も出口調査と確定票の得票率の誤差は1.0ポイント以下だったことになる。

  テレビ朝日『報道ステーション』での石川一区の出口調査が結果が流れたのは20時34分だった。同区の開票開始時間は21時30分だった。開票が始まる1時間ほど前に、テレビ視聴者は精度の高い「当選確実」の情報を得たわけである。テレビ朝日と朝日新聞は共同で9000ヵ所で出口調査を実施、54万人からサンプルを収集した。1ヵ所60サンプルである。調査員1人が10ヵ所回って調査したとて900人の調査員が動員されたことになる。投開票日だけでなく、期日前投票でも出口調査は行われていた。さらに、開票場での開披台調査では、石川の開票場だけでも70人余りが配置された。全国規模の調査で、その経費は億単位であろうことは想像に難くない。今回、テレビ朝日のフライング(当確を発表した後に落選)はゼロだった。調査の精度はそれほど高かったことになる。

 選挙報道と言えば、これまでNHKが圧倒的な強さ、つまり視聴率が高かった。では、今回はどうだったのか。ビデオリサーチ社が公表したデータでは、衆院選挙開票速報の特別番組で、関東地区の視聴率が最も高かったのは、NHK総合『衆院選2012開票速報』(19時55分~21時)17.3%、次はテレビ朝日『選挙ステーション・第2部』(22時~23時30分)10.1%だった。やはり、NHKが圧倒的に強い。ただ、今回、面白い現象が散見された。候補者はこれまで民放が早々と当確を打っても万歳をしなかった。NHKに当確が流れて、初めてバンザイの声を上げたものである。それが今回、民放の当確で選挙事務所が沸き立つ場面があった。たとえば石川三区では、20時過ぎに「北村茂男(自民)当確」を民放が報じ、20時20分ごろ万歳だった。NHKの当確打ちはさらにこの後22時半ごろだった。民放の当確打ちの精度が上がったということが徐々に認知されてきたということだろうか。

 でも、これでは各選挙事務所がメディアの開票速報で一喜一憂していると誤解されかねない。実は、陣営独自の票読みもある。独自の票読みというのは、たとえば北村氏の場合、対抗馬の近藤和也氏(民主)の地盤とも言える中能登地区のうち羽咋市と宝達志水町では投票時間が繰り上げられ、20時00分に開票作業が始まった。この2市町で北村氏が近藤氏と互角ならば、奥能登(輪島市など)を地盤とする北村氏の優位は確実となる。おそらく北村陣営の目利きが2市町の開票作業をウオッチして、「ほぼ互角」の一報をもたらした。事実、確定票(羽咋市で北村5990、近藤5456)は互角だった。民放の当確打ち後に、その一報がもたらされ、勝利のムードが盛り上がったのだろうと想像する。バンザイをもたらすものはメディアの速報もさることながら、陣営の独自の票読みというものがあるということを確認しておきたい。

※写真は、16日(日)21時40分ごろ、開票場となった金沢市中央市民体育館でのテレビ局による開披台調査の様子。ネットが張ってあるのは、これ以上身を乗り出さないように選管が配慮したもの。 

⇒22日(土)朝・金沢の天気   あめ 

☆東京の青いバラ

☆東京の青いバラ

 衆院総選挙ともう一つ注目すべき選挙が東京都知事選だった。ダブル選挙で目立たなかったが、13年余り続いた「石原都政」の後継指名を受けた猪瀬直樹氏が圧勝した。得票は433万票、投票率は前回より5ポイント高い62%だった。テレビが早々と当選確実を報じた。午後8時過ぎ、猪瀬氏は青いバラの花束を受け取り、勝利を祝った。作るのが不可能とされていた青いバラは、14年の年月をかけてサントリーが開発した。花言葉は「夢 かなう」である。

 猪瀬氏のキャラクターが面白い。国にものを言う前職の石原慎太郎氏とイメージがだぶる。さらに、小泉政権時代に、道路公団の民営化で無駄を徹底的に追及した行動力と改革力は記憶に新しい。そして、今回の選挙では、勝利したにもかかわらず、あえて万歳はせず、「東京は日本の心臓。東京から日本を変える」「東京が日本沈没を防がないといけない」など、官僚や国の規制に立ち向かう姿勢を強調した。前例の踏襲を嫌うタイプという。

 400万票の迫力は人気というより、計算づくの大技だった。以下、各メディアが報じている。マーケティング理論とインターネットを駆使し、アメリカ大統領選挙のような選挙をやろうと、ソーシャル・メディア(SNS)やイメージアップ戦略の専門家らが加わり選挙プランを練った。その名は「プロジェクトi(アイ)」。告示8日前まで出馬について沈黙を続けたが、この時期に27万人のフォロワー(読者)がいるツイッターに頻繁に書き込み、ホームページには告示までに30本以上の動画をアップした。分析を待たねばならないが、こうしたネット利用で若者層の取り込みを図った。

 自民は294席の大勝で過半数を制した。維新の会は54議席。猪瀬氏は自民、公明、維新の会の支持を得ての勝利である。「東の猪瀬、西の橋下、国会(維新の会)の石原」、この強烈な3人のキャラが連合すれば、本当に日本に変革をもたらすかもしれない。少なくとも、この3人が日本をかき回すだろう…。政治が面白い時代に入った。

⇒17日(月)朝・金沢の天気   はれ

★自民「まだまし」大勝

★自民「まだまし」大勝

 それにしても実に淡々とした選挙だった。国民に選択を迫るようなキャッチフレ-ズがあったわけではない。新たな時代の気分が醸成された訳でもない。自民が絶賛されるような公約を打ち上げわけでもない。第46回衆院選挙の投票率(小選挙区)は、59%前後となりそうで、前回(2009年8月30日)より10ポイントほど下落し、第41回(1996年10月20日)と並んで戦後最低水準に落ち込んだようだ。要は面白くない選挙だった。

 その理由のいくつかを考えてみる。民主が分裂したこと。さらに、政党の離合集散で12政党が候補者を出し、まさに多党乱立。前回の「政権選択」といった明確な選挙の構図に比べ、争点が分かりにくかったことだろう。

 自民は第44回(2009年9月11日)の郵政選挙以来の大勝で、単独過半数(241議席)を大幅に超えた。それほどに魅力ある公約を打ち出しての勝利だったのか。「民主政権はひどかった。自民の方がまだまし」というが、今回の大勝の背景ではないだろうか。

 私自身、選挙にはなるべく行くようにしている。そうしないと選挙の実感がわかないからだ。一票を投じると、その選挙がよく見える、選挙を考えるものだ。きょう午後1時過ぎに、自宅近くの投票場(小学校)に行った。毎回同じ時間に投票に行っている。駐車場の混み具合は前回並みだった。投票場は体育館だが、これまでは、入り口で上履きを脱ぎ、スリッパに履き替えて入場したが、今回はビニールシートが床の上にはってあり、上履きでも行けるようになっていた。周囲を観察すると、心なしか、高齢者の姿が少なかった。20代とおぼしき、若い人がいた。出口では地元のテレビ局が出口調査を行っていた。

 午後9時、金沢市の開票場となっている中央市民体育館に行った。同9時30分から開票作業が始まった。ここでは、2階の開票場の様子が3階から見渡すことができる=写真=。新聞社やテレビ局の調査スタッフがざっと60人近く開披台調査を行っていた。双眼鏡で開票者(自治体職員)の手元を覗きながら、小選挙区の候補者名をチェックしていく。石川1区(金沢市)の場合、自民の馳浩(はせ・ひろし)氏と民主の奥田建(おくだ・けん)氏、維新の小間井俊輔(こまい・しゅんすけ)氏、未来の熊野盛夫(くまの・もりお)氏、共産の黒崎清則(くろさき・きよのり)氏の候補者5人がいる。双眼鏡で覗くスタッフが「ハセ、ハセ、オクダ、ハセ、コマイ…」などと読み上げる。それを、別のスタッフが○でチェック記入して、多い候補者が50ポイントなるまで読み上げる。すると、「馳50、奥田23、小間井22、熊野7、黒崎6」などと数字が出てくる。この時点で、いったん終了し、別の開票者の手元をチェックする。

 午後9時50分に選挙管理委員会が開票速報の第1回をボードに貼り出した。各候補者はまだゼロとなっていた。が、この時点である新聞社と系列のテレビ局の合同の開披台調査では、「馳1000、奥田430、小間井400、…」の数字を掴んでいた。

 北陸は「保守王国」とも言われ、自民が比較的強い。ただ、石川1区(金沢市)の投票行動は選挙全体の縮図のようなところがあり面白い。石川1区の選挙結果(確定票)を分析してみる。当選の馳(自民)は99,544票、2番目の奥田(民主)47,582票、小間井(維新)41,207票、熊野(未来)10,6291票、黒崎(共産)8,969票だ。2009年の前回では奥田12万5千、馳11万7千だった。これまで3回の衆院総選挙では馳、奥田はそれぞれ10万票前後で競ってきた。つまり基礎票がそれぞれ10万なのだ。

 ところが、今回は奥田、小間井、熊野でほぼ10万票、ということは奥田のもともとの基礎票10万を3人で分け合ったカタチとなった。馳が伸びたのではなく、奥田が半減したのだ。乱暴な言い方をすれば、「自民まだまし、民主には幻滅、維新に少し期待」という有権者の思いが数字に表れた、とも言える。裏返しで言えば、自民は数字の上では大勝だが、これは敵失での勝利だ。むしろ、本格的な政変の始まりなのかもしれない。

⇒16日(日)夜・金沢の天気   はれ   

☆続・過剰適合の悲劇

☆続・過剰適合の悲劇

 金沢と韓国を往復しながらITビジネスを展開している企業の日本人社長と先日、語らう機会があった。社長は、19日に投開票日がある韓国大統領選で、国民がフェイスブックやツイッターを使った選挙運動が盛り上がっていると話してくれた。韓国は人口4800万人のうち3000万人がスマートフォンを有すると言われる。韓国の憲法裁判所が昨年12月、ネット選挙の法的な規制を違憲と判断した。低コストや機会の均等というインターネットの特質が選挙に合致するとの判決理由だった。

 一方、先日、金沢の知人から「あなたの英知に判断ゆだねる」とある候補者の推薦の葉書が届いた。能弁な友人なのだから自分の思いを葉書ではなく、電話なり、直接の会話で表現すればよいだろうと思う。日本全体がこの時期、人に向かって「私は○○候補に一票を投じたい。それの理由はこうだ」と話すことを控え、まるで自粛しているようだ。そのくせ、新聞やテレビの世論調査に目を凝らし、耳を傾けている。そして、最近声がかすれた候補者の乗った選挙カーが市内を走り回っている。この風景は何十年も変わらない。盛り上がらない、まさに、選挙停滞の風景なのだ。

 この日本の停滞した、淋しい選挙戦は今の日本を象徴している。いや、日本そのもののように感じる。何も友人や知人たちと選挙の議論もしないまま、もう明後日に投開票の日を迎える。選挙運動の公平さを期する余り、選挙期間中に指定している枚数のビラなど以外の文書図画を配ることを禁じている。このためホームページやブログ、ツイッターなどは指定外の文書図画とみなされ、公示後の更新などは公選法にふれるおそれがあると選挙管理員会は警告する。選挙に過剰に適合したがゆえに選挙運動の柔軟さや多様性を拒否してしまっている。ネット選挙をしている候補者はいないかと監視している選挙管理委員会よりも、法律をそのまま放っておいた政治家の方に罪があるだろう。

 もちろん、選挙のネット解禁で投票率が上がるかとなるとこれは別のレベルの話かもしれない。フェイスブックやツイッターで飛び交う言葉には、誹謗や中傷、不確かな情報も少なくない。これを民意だと錯覚しては、民主主義はおぼつかない。なぜなら、ネット上で支持されても投票行動に結びつくかどうかは分からない。ネットは民意の集合体を形成しうるかはまだ先の話だ。

 それでも、この選挙期間の停滞感は人々の気持ちを暗くしている。なぜなら、誰しもがなぜネット選挙が許されないのか、「韓国にも先を越されているではないか」と惨憺たる思いでいるからだ。過剰適合の悲劇のスパイラルに落ち込んでしまっている。盛り上がらない選挙ムードをつくっている状況こそが問題なのだ。

⇒14日(金)夜・金沢の天気  はれ

★スペースデブリ

★スペースデブリ

  何の利用価値もなく、地球の衛星軌道上を周回している人工物体のことをスペースデブリ(space debris)と呼ぶそうだ。debrisは破片または瓦礫(がれき)と訳される。つまり、宇宙ゴミのことだ。宇宙開発に伴ってその数は年々増え続けている。耐用年数を過ぎ機能を停止した、または事故・故障により制御不能となった人工衛星から、衛星などの打上げに使われたロケット本体や、その部品、多段ロケットの切り離しなどによって生じた破片など。多くは大気圏へ再突入し燃え尽きたが、現在も4500㌧を越える宇宙ゴミが残されている(「ウイキペディア」より)。

 昨日、北朝鮮が弾道ミサイルの技術を使って、自前の運搬手段で人工衛星を打ち上げた世界10番目の国になったと報じられた。最初に打ち上げたのはソビエト(当時、1957年)で、韓国も人工衛星を打ち上げているが、自前のものではなく、ランキング上では北朝鮮に抜かれた格好だ。

 今回のニュースで感じるのは「タイミング」ということである。韓国は11月29日に人工衛星「羅老(ナロ)」の打ち上げを中断した。その直後、北朝鮮は今月12月1日に、人工衛星「光明星3号」の2号機を搭載した銀河3号ロケットを12月10日から22日までの間に打ち上げると発表した。今年4月13日に同型ロケットの打ち上げ失敗しているので、今回の打ち上げは失敗の原因を分析し、性能を向上させた上での満を持した再チャレンジとも推測できる。発射時期のこのタイミングは単なる偶然か。

 韓国の「中断」、北朝鮮の「成功」で、政権を世襲した金正恩第一書記は今ごろ優越感に浸っているだろう。今年を「強盛国家」建設の年と位置づけているので、その求心力を高めることにも成功したことになる。

 それにしても、北朝鮮は今月10日、1段目のエンジン制御システムに技術的欠陥が見つかったとして、発射予告期間を29日まで1週間延長すると発表していた。その舌の根も乾かない2日後の短期間で発射できたのか。発射にまつわる情報操作だったのか、なぜそのようなことをしなければならなかったのか、など次々と疑問が浮かぶ。

 今回の北朝鮮の打ち上げ成功で、アメリカ本土にまで到達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)の完成に一歩近づいたとも言われ、世界の新たな脅威がまた一つ増えたことになる。そして、「衛星」については「実質的な衛星の役割をできない非常に初歩的な水準」とも指摘されている。つまり、スペースデブリがまた一つ増えたことになる。

⇒13日(木)朝・金沢の天気   はれ

☆過剰適合の悲劇

☆過剰適合の悲劇

 「過剰適合の悲劇」は、文明評論家でもある月尾嘉雄氏の講演(2012年7月6日・金沢市)で耳にした言葉だ。南米大陸に棲息するヤリハシハチドリは体長10cm、クチバシも10cmあるアンバランスな恰好をした鳥。これはトケイソウという細長い花弁からミツを吸引するのに最適の形状になっている。つまり、トケイソウのミツをヤリハシハチドリが独占でき、トケイソウも受粉できる共生関係にある。逆に、火山の噴火や気候変動などでトケイソウが絶滅すればヤリハシハチドリも消滅する共倒れの関係でもある。

 この過剰適合の悲劇は実際に日本の社会のあちこちで起きている。人種も言語も多様ではない、この国の社会は画一性を生み、工業化社会では断トツのチカラを発揮した。しかし、多様性が発揮される情報化社会では出遅れてしまった。その代表例が「民主主義と選挙」の関係ではないかと考える。

 選挙運動の公平さを保つため、選挙ポスター、選挙チラシ、選挙看板、選挙看板立札、選挙ちょうちんなど細かな規制をつくった。公職選挙法は、選挙期間中に指定している枚数のビラなど以外の文書図画を配ることを禁じている。候補者1504人、現憲法下で最多となった今回の選挙は、それだけ原発政策、消費税増税などの経済政策、憲法観などをめぐって多様な争点がある。ところが、公示後、候補者は情報発信することを一斉に止めてしまった。ホームページやブログ、ツイッターなどは指定外の文書図画とみなされ、公示後の更新などは公選法にふれるおそれがあるのだ。つまり、多様な争点がありながらも、公選法違反の疑いありとして候補者が有権者と直接コミュニケーションを取ることをネット上では止めざるを得ないのである。

 この国の行方を左右する大事な総選挙での、ネット上の沈黙は何だろう。候補者ではないので実名をあげるが、橋下徹氏(大阪市長)の言葉が印象的だ。「今のネット空間の重要性を考えたら、こんな公選法なんてバカげたルールは政治家が一喝して変えなきゃいけない。こんな状況を変えられない今までの政治家に何を期待するんですか。もしかすると僕は選挙後に逮捕されるかもしれません。その時は皆さん助けて下さい。公選法に抵触するおそれがあるとかいろんなこと言われてました。僕はそれはないと思うんですけどね」(9日、東京・秋葉原での街頭演説で)=朝日新聞ホームページ(12月10日付)
 
 冒頭の話に戻る。選挙の公平さを期する余り、息苦しい選挙になっている。これでは情報化社会はおろか、議会制民主主義の共倒れになりはしないか。日本社会の過剰適合の悲劇はまだまだある。

⇒10日(月)朝・金沢の天気  ゆき

★メディアの選挙モード

★メディアの選挙モード

きょう4日、衆院総選挙の公示された。この日をもって、テレビや新聞の報道は選挙モードに切り替わる。たとえば、候補者はすべて同じ扱い、たとえば新聞では取り上げる行数、テレビでは音声の取り切り秒数など同じだ。A候補が20秒で、B候補が30秒ということはない。こうした平等扱いをもって「政治的な公平」と称している。

 では、なぜそうしなけらばならないのか。これは法律で決められている。「新聞紙(これに類する通信類を含む)又は雑誌が、選挙に関し、報道及び評論を掲載する自由を妨げるものではない。但し、虚偽の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない」(公選法第148条)

「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。1.公安及び善良な風俗を害しないこと。2.政治的に公平であること。3.報道は事実をまげないですること。4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」(放送法第4条)

 私がテレビ局に在籍していたころの経験だ。「神の国」発言で森喜朗内閣が解散して行われた第42回総選挙(2000年6月25日)のときだったと記憶している。公示の日、候補者の第一声で12秒ほどの取り切りを使った。ところが、ある党の選挙事務所から「おたくのテレビは扱いが平等ではない」とクレームがついた。調べてみると、その党の候補者は10秒だった。昼のニュースだったので、時間がなかったのと、ちょうど10秒で切れがよかったのでそのまま放送したのだった。意図的ではなかった。選挙事務所では録画してチェックしていたのである。率直に詫びて、夕方のニュースでは12秒にした。話の内容ではなく、公平な扱いにこだわるというのが選挙期間のシビアのところではある。

 とくに今回の選挙は多党乱立。困っているのはテレビ局だ。比例代表には12党が届け出ている。2日に放送されたNHK「日曜討論」は壮観だった。この日は11党の幹部が勢ぞろいしていた。司会者が「1回の発言は1分以内」と念押ししていた。全員が発言を終えたときには、放送開始から20分経過していた。番組として争点や論点を戦わせるというより、「なるべく公平に話してもらう」という司会者の気遣いが目立った。こうなると番組の体をなさないため、とくに民放テレビ局は選挙期間中はニュース番組でも選挙ネタをなるべく避け、経済や環境といったテーマにシフトさせる。

 「テレビ選挙」といわれるアメリカでもかつて、フェアネスドクトリン(Fairness Doctrine)があり、番組の内容を政治的公平にしなければならないとされていた。ところが、ケーブルテレビなどマルチメディアの発達で言論の多様性こそ確保されなければならないとの流れになる。1987年にこのフェアネスドクトリンは撤廃された。つまり、フェアネスドクトリンは、チャンネル数が少なかった時代のもので、多チャンネル時代にはそぐわないという考えだった。

 日本の場合、全国紙の系列であるテレビキー局が固定され、一長一短はあるが多チャンネル化とはいまだにほど遠い。

⇒4日(火)夜・金沢の天気  くもり