#コラム

☆医療と薬を遠ざけて

☆医療と薬を遠ざけて

  昨年暮れに中国・雲南省のハニ族の棚田での学術交流に参加した研究者から聞いた話だ。ハニ族の人たちはとても前向きな性格で、「水が飲めたら酒を飲め、声が出たら歌え、歩けたらダンスを踊れ」というそうだ。一言でいうならば、人生を楽しもう、これが長生き健康の秘けつである、と。先祖が創り上げた、壮大な棚田を維持するすためには、勤労意欲、そして健康で長生きでなければならない。そのような前向きな民族性がこの棚田を守る精神的なベースとしてある、というのだ。

  もう一つ健康に関する話題を。政府の規制改革会議が、一般用医薬品のインターネット販売に関し、原則として全面自由化を求める方針を固めたとメディア各社が報じている(7日)。あす8日に規制改革会議を開き、厚生労働省に対して薬事法の改正などを求める、という。これまで副作用のリスクが高い第1類など薬のネット販売は省令で禁止されていたが、ネット販売会社が起こした訴訟判決で最高裁はことし1月、省令について「薬事法の委任の範囲を超えて違法」と判断、事実上ネット販売が解禁されている。規制改革会議としては、全面自由化の前提として、販売履歴の管理や販売量の制限といった安全確保策に関して議論する。

  医薬品のネット販売は一見、選挙運動のネット解禁とイメージがだぶり、規制改革のシンボルのように思える。が、個人的な感想で言えば、「これ以上、国民を薬漬けにするな」との思いもわく。高血圧患者4千万人、高コレステロール血症(高脂血症)3千万人、糖尿病は予備軍含めて2300万人・・・と、日本にはすごい数の「病人」がいる(近藤誠著『医者に殺されない47の心得』より引用)。たとえば、高血圧の基準が、最高血圧の基準は160㎜Hgだったものが、2000年に140に、2008年のメタボ検診では130にまで引き下げられた。50歳を過ぎたら「上が130」というのは一般的な数値なので、たいい高血圧患者にされ、降圧剤を飲んで「治療」するハメになる(同)。その結果として、1988年には降圧剤の売上は2000億円だったものが、2008年には1兆円を超えて、20年間で売上が6倍に伸びた計算だ。

  高血圧の原因は、9割以上が不明という。また、日本人の血圧が下げることによって死亡率が下がる、心臓病や脳卒中などが減ると実証されたデータは見当たらない(同)。近藤氏の著書を読んで、話を総合すると、日本人ほど医者と薬を信用する民族はいない。信じ切っている。そして「信じる者は救われる」と思っている。一方で、さして根拠もなく、数値データで「病気」にされ、薬を飲む。

  個人的な感想と言ったのも、じつは自分自身も「高血圧症」でもう10年余り前から降圧剤を服用している。首筋あたりが重く感じられ、病院で血圧を測ったところ160だったので、それ以来ずっとである。そのとき医者から「このまま放っておくと血管がボロボロになりますよ」と言われたのが病院通いのスタートだった。毎日4種の降圧剤を飲み続けている。

  近藤氏はこう書いている。フィンランドで75歳から85歳までの「降圧剤を飲まない」男女521人の経過の調査で、80歳以上のグループでは、最高血圧が180以上の人たちの生存率が最も高く、140を切った人たちの生存率はガクンと下がる。なのに日本では、最高血圧130で病気にされる、薬で下げさせられている。もし、このようなデータが日本で調査されているのであれば、ぜひ公開していほしいと望む。

  本の副題は「医療と薬を遠ざけて、元気に長生きする方法」。なるべくならば薬は飲みたくない、医者にもかかりたくない。持病があったとしても、ハニ族のように「水が飲めたら酒を飲め、声が出たら歌え、歩けたらダンスを踊れ」と前向きに人生をまっとうしたいものだ。

⇒7日(木)夜・金沢の天気   はれ

★シェアの呪縛

★シェアの呪縛

  「呪縛」とは、まじないをかけて動けなくすること。あるいは、心理的な強制によって、人の自由を束縛することの意味である。日本人ほど、シェア(市場占有率)にこだわり、自ら呪縛されている国民はないのではないかと最近考えている。

  シェアにこだわること、それは、そこそこ品質がよいものを低価格で売り、市場の占有率を高めることだ。シェア1番でなければ存在意味がないと、ライバルが現れると価格競争でしのぎを削り、競り勝つ、それが勝利の方程式だった。ところが、2007年に起きたサブプライム問題に端を発したリーマンショック以降、世界的な金融不安が市場を覆い、リスク回避の流れからヨーロッパやアメリカのヘッジファンドなどが円買いに走った。円高にぶれてきて、日本の家電製品も自動車も価格競争という手を打てなくなった。もともと商品はそこそこの品質だったので、韓国や台湾、中国といったメーカーの追い上げを食らうようになる。日本のメーカーは、円高で価格競争ができない分、多機能化することで魅力をアップしようとした。ただ、多機能化の行き過ぎが製品の魅力を低下させることもある。

  むしろ、多機能より単純で使いやすい方がその機能のチカラというものを発揮させるものだ。海外が住む友人から、「日本製はやたらと多機能で値段が高い。韓国のサムスンなどは求められている、あるいは必要な機能に絞って販売している。結果、使いやすい」と聞いたことがある。世界の人々は日本人ほど器用でない。その日本人でさえ、地上デジタルテレビのリモコンに今でも辟易している。デジタルカメラもボタンが多く、静止画を撮ろうしして、動画撮影になったりすることがままある。日本企業にめぼしい技術革新もなかった。リーマンショックから5、6年が過ぎて、日本製品は海外で随分とシェアを落とした。

   ここで最近、よく話題になるのが、日本製品とドイツ製品はどこで違いが出てきたのか、ということである。『日経ビジネス』(2013年2月25日)の記事が興味深かった。ドイツ人実業家ハーマン・サイモン氏の言葉を引用して、「日本企業はブランドや高級感の創出力に欠け、技術的な強みを活用しきれていない」と。つまり、「ソニーやパナソニックがなぜ10~20%上乗せの価格で売り、消費者を引きつけることができないのか」「市場シェアを追求する追及する限り、値下げによる価格競争に巻き込まれざるを得ない」と。シュアを落としてでもブランドイメージを創造すべきだというのだ。知名度の高さとブランドイメージを混同してはならない。ドイツの中小企業は高価格で売ることに努力を惜しまなかった。シェアより、利益にこだわったからだ。

  シェアにこだわるのは何も工業製品だけと限らない。これは直観だが、国内ではマスメディアがこのシェアの罠に落ちている。部数というシェア争いを新聞社は演じている。かつて広告費はテレビに食われ、いまはインターネット広告に浸食されている。それでも、何とか各社が新聞を発行し続けることができているのは宅配制度という強固な販売システムに支えられているからだろう。では、紙面の中身はどうか。1面から社会面まで各紙ほとんど同じなのである。我先にセンセーショナリズムに走っている。しかも、うがった見方をすれば、発表を先取りすることを「スクープ」と称している。ここのところ、昨今の新しい日銀総裁の人事案件などはその典型だろう。数日経れば発表される記事を、各社血まなこになって先を争い追いかけた。

  日経新聞はもともと別だが、全国紙のうちの1紙ぐらいは「クオリティペーパーを目指す」と宣言して、発表の先取り型から独自の調査報道に重心を置く新聞社が現れないものだろうか。ただ、報道現場は賛成しても、販売や広告の現場が反対するかもしれない。「シェアを落とす」と。「読者はテレビやネットに出たニュースを最終的に新聞で確認したいと思っている。新聞はニュースのアンカーだ」として、独自の調査報道路線には承服しないだろう。

  シェア(視聴率)を取れる番組とは何かを追求しているテレビ局も同じだ。大衆迎合だと視聴者から言われても、子どもに見せたくない番組だと言われても、ゴールデン番組はお笑いタレントが占める。番組タイトルは違うが、どこもコンセプトはどこかよく似ている。短いキャッチフレーズでお笑いを取り、視聴者も満足している。そして、いま、日本国中がB級グルメ選手権ばやりだ。A級グルメを目指さない風潮になった。A級では人が集まらないからだ。

  シェアには、市場に対する影響力や発言力の拡大や、顧客の囲い込みといったメリットがあるものの、世界的な競争の中でシェアは崩されやすく、消耗度が高い。ドイツ企業はシェアより利益をどう高めるかを模索した。

⇒2日(土)朝・金沢の天気    くもり 

☆福島から-下-

☆福島から-下-

  2月25日に福島市で開かれた三井物産環境基金交流会シンポジウムは、除染と復興、放射能と人の心情、安心と安全のパーセプションギャップなど問題が凝縮されていて、迫力のある内容だった。パネル討論が終わり、さらに分科会=写真=に出席した。テーマは「除染と健康、放射能と対峙するには」。放射能の土壌や健康への影響、そして除染の状況、今後の課題について、鈴木元・国際医療福祉大学教授、野中昌法教授が専門家の立場から口火を切った。

      放射線リスクは「安全のお墨付き」より「値ごろ感」

     鈴木教授の専門は放射線病理、放射線疫学。最初に「低線量遷延被ばく、内部被ばくの健康リスクとどう付き合うか」と題して話した。「遷延被ばく」とは、福島第一原発の事故のように、環境中にばらまかれた放射性降下物からのゆっくりとした被ばくのこと。「内部被ばく」は放射性物質が含まれている飲み物や食べ物、空気体内に摂取したり吸ったりすることで起きる被ばくのこと。鈴木教授は、放射線リスクは「ある」「ない」で論じられるが、この世にゼロリスクはない。「リスクは低ければ低いほどよい」と一般的に認識されるているが、低めるに当たり失うものを考慮しないと、誤った価値判断に陥る。「低線量被ばく、内部被ばくは、急性被ばく(たとえば原爆による被ばく)よりリスクが何百倍も高い」との話が広まっているが、これを裏付ける疫学的なデータはない、と述べた。以上の点から、専門家としては「安全のお墨付き」というものを与えることはできないが、放射線リスクの「値ごろ感」というものを伝えることができる。そのために、「個々人、あるいは地域のみなさんに『受容レベル』を価値判断するための材料を提供できる」と慎重な言い回しで語った。

  いくつかの事例が紹介された。原爆による人体への影響を調査している放射線影響研究所(広島市)による「原爆被爆生存者調査結果」によると、肺がんや消化器がんなどの固形がんは、被爆後15年ごろから増え始め、現在も続いている。被ばく線量とがんのリスクについてはこのようなデータがある。日本人男性ががんで死亡する確率は30%とされる、10歳の男の子が100ミリ・シーベルトの急性被ばくをしたとすると、30%だった生涯のがん死亡確率が32.1%、つまりプラス2.1%になる。女の子だと、20%だったのが22.2%になる。被曝量が10ミリ・シーベルトだと、その10分の1に減り、男の子は30%が30.2%、女の子は20%が20.2%になる。50歳の男性と10歳の男の子を比べると、7倍ぐらいの差になり、子供のほうがリスクが高いという評価が出ている。つまり、リスクを考えていくとき、どんなに小さい線量になっても、線量に応じてリスクは残ると考ええていると鈴木教授は述べた。

  福島に関連して以下言及した。放射性セシウムのセシウム134、セシウム137は、それぞれの半減期が2年、30年と長いため、環境中に長くとどまる。ただ、雨風によりセシウムが表土から流出するので、実際の環境中から半減する期間は、30年よりはずっと短くなること。そのセシウムは体に入ると、カリウムと同じような動きをし、消化管から吸収され、細胞に取り込まれる。代謝によって排せつされる。尿中に90%ほどが排泄され、大人だと100日で半分が排泄される。子供の場合は早くて、2週から3週で半分が排泄されることがわかっている。

  海外の事例が紹介示された。インドのケララ地方は、モナザイトという岩石から放射線が出て、高いガンマ線による被ばくがある地区。年間平均4ミリ・シーベルトぐらいで、多い人では1年間に70ミリ・シーベルトを被ばくする。ところが疫学調査が進められているが、ガンのリスクの上昇は認められていない。10年目の途中経過の報告なので、今後の報告が待たれる。

  「悲しい現実」として紹介されたのが、チェルノブイリ事故後の精神健康に対する影響。旧ソ連では自殺が増加し、心因性疾患が増加したと報告されている。また、旧ソ連だけではなくて、ヨーロッパ各国で堕胎が増加したという報告(一説にポーランドだけで40万人)がある。放射線に対する過剰な不安が、国民を不合理な行動に走らせ、そして堕胎という生命損失を招いた。福島でそのようなことがないように情報を提供していきたい、と。

  最後にキーワードは「リスクの認知と受容」だと述べた。年間5ミリ・シーベルトの被曝による健康への影響は、10歳の子供が生涯にがんで死亡するリスクが最大で0.1%上昇するといった大きさ。国際放射線防護委員会(ICRP)は、低線量の遷延被曝の場合、リスクは半分になると言っており、0.05%ということになる。そうなると、生涯がん死亡リスクは、10歳の男の子で、30%が30.05%になる、リスク上昇はそのくらい、と。むしろ、低線量被ばくのリスクを恐れて、園児に外遊びさせないということになれば、肥満によるガンのリスクが高まる。野菜不足も栄養面でマイナスだ。家にこもることも、心の健康を害したり、家族やコミュニティの崩壊を招く。リスクを自分なりに整理して、それをコントロールする知恵を身に付けてほしい。それが、環境中の放射線レベルを低減しながら、生活を守るということだ。あわてずに、計画的に生きよう、と。

  土壌学が専門の野中教授は「福島の90%の農地は除染が必要ないと考える」と述べた。大切なのは、農家が自分の田畑の土壌を「測定すること」の重要性、そして直売所で農産物の放射線測定をして「消費者に伝えること」が大切だ、と。これ以上田畑を汚染させないために、稲わら、落ち葉などを入れて腐植土をつくり、作物への吸収を減じることが可能だと述べた。そして「何百年と引き継がれた肥沃な土づくりを、除染で表層土壌を取り除いたり、深耕したり、天地返しで20㌢より深い土壌と入れ替えることは、農業者が農業を続けられなくすることに等しい」と強調した。

  野中教授は「除染よりむしろ大切なのは、事故前より、より良い農業・農村づくりを目指すことだ。それは可能であり、放射能を測って農村を守ること」と話し、「Man has lost the capacity to foresee and to forestall. He’ll end by destroying earth.(未来を見る目を失い現実に先んずるすべを忘れた人間。その行く先は自然の破壊だ)」と、医療と伝道に生きたアルベルト・シュヴァイツァーの言葉を引用して、会場を訪れた農業者を励ました。

⇒1日(金)朝・金沢の天気    はれ

★福島から-中-

★福島から-中-

  三井物産環境基金の交流会シンポジウムで、緊急地震速報のアラームが携帯電話に一斉に鳴り響いたのは午後4時24分08秒だった。キューキューという鈍いアラーム音だ。会場が騒然となった。「栃木で地震が発生」とある。まもなく、シンポジウム会場の「ラコッセふくしま」4階ホールでも軽い揺れを感じた。日光市では震度5強の地震だった。

     安心と安全のパーセプションギャップ

  この地震速報の前後でパネルディカッションが熱気を帯びていた。そのキーワードは「徐前の費用対効果」だった。飯館村村長の菅野典雄氏は、放射能で汚染された土壌の改良、つまり除染に関しては、国家プロジェクトでやってほしいと述べた。つまり、避難している村民が戻ってきて、仕事や生活ができるような環境は、除染が大前提である、と。費用3200億円(20年間)をかけて除染を急いでいる。「放射能とは長い戦いになる。しかし、除染をすれば数値は下がる。これ(除染)をやらなければ避難している村民に戻ろうと言えない」、「それを『費用対効果』で語る政治家がいるのは残念だ」と述べた。

  さらに、村長は「このままでは勤労意欲の問題にもかかわる。村に戻って農産物などモノづくりを始めなければ」と。モノは売れないかもしれないが、「つくれる」ことが人の気持ちを前向きにさせる、と。「除染・帰村」が村長の方針だ。

  これに対し、放射線病理や放射能疫学が専門の鈴木元・国際医療福祉大学教授は、「除染に関してはグランドデザインやプランが必要」と述べた。除染の暫定基準値は「仮」の数字で科学的ではない。「不安をあおっただけではないか。何も全域除染する必要はないのではないか」と。「元に戻る」ことは、元の生産活動形態を戻すことでなくてもよいのではないか、と。その一例として、チェルノブイリでジャガイモやナタネが生産されている。これは食料を生産するのではなく、セシウムを除いてエタノール、つまりバイオエタノールを生産するすために栽培されている事例を上げた。村に必要なのはこうした、再生のための産業デザインであって、「除染ありきではないのではないか」と提案したのだ。冒頭のアラームはこのときに鳴り響いたのである。

  また、鈴木教授は、「安心と安全のパーセプションギャップ(perception gap)が起きている」と強調した。リスクの受け止め方は人によって異なる。原発事故で、科学的に安全であっても、安心ではないという認識のずれが起きているいう。その安心を優先させるために膨大なコストをかける必要があるのか、との問いである。

  村長の言葉も印象的だった。「(原発事故で)故郷を追われて出た者の気持ちとして、すくなくとも全部除染してほしい。住民同士が寄り添う気持ちはこうした環境から生まれる」

⇒26日(火)朝・福島市の天気  はれ

☆福島から-上-

☆福島から-上-

  福島市に来ている。積雪はJR福島駅周辺で25㌢ほどだろうか=写真=。新聞やテレビのニュースを見ていると、地吹雪や視界不良で磐越自動車道が一時交通止めになったり、山形新幹線が一時立ち往生、南会津町でスキー大会が中止、きょう25日の国公立大学2次試験で会津大学の試験時間を2時間繰り下げたと報じている。

       飯館村村長の「までいライフ」

  福島を訪れたのは、三井物産環境基金で助成を受けた団体の交流会に参加するためだ。金沢大学は2006年から3年間「能登半島 里山里海自然学校」事業、2009年から3年間「能登半島における持続可能な地域発展を目指す里山里海アクティビティの創出」事業で支援を受けた。この支援で画期的だったのは、能登半島の最先端で廃校となっていた小学校校舎(3階建て)を借り受け、その後も大学の能登における地域人材の養成やフィールド研究(大気観測など)、地域交流の拠点となっていることだ。つまり、三井物産環境基金の助成金が「シードマネー」となり、能登での研究や地域貢献活動が広がったのである。

  交流会のテーマは「民間の力を活かした福島復興を考える」。同基金は2005年から「地球気候変動問題」や「生物多様性および生態系の保全」、「水資源の保全」、「表土の保全・森林の保護」、「水産資源の保護・食糧確保」、「エネルギー問題」、「持続可能な社会の構築」の6分野で研究や活動、復興(2011年度から)の支援を行っていて、きょうの交流会には助成を受けたNPOやNGO、大学などの機関などから100人余りが参加した。

  交流会の基調講演では、飯館村村長の菅野典雄氏が「日本人の忘れもの」と題して、合併しない「自主自立の村づくり」を基本に、小規模自治体の機動力を活かした子育て支援や環境保全活動、定住支援など施策を述べた。そのキーワードは「までいライフ」。「までい」とは「丁寧に、心を込めて、大切に」という意味の方言の「真手(まで)」と「スローライフ」の組み合わせた造語だ。この「までいライフ」を村のモットーとして掲げている。ところが、4期目在任中の2011年3月15日の原子力事故が発生した。福島第一原子力発電所から20km圏外にある福島県内5市町村(飯舘村など3千世帯、1万人)が計画的避難区域に指定され、飯館村民の9割に当たる4000人が村外へ避難し、村役場も福島市へに移転した。村長は講演の締めくくりに、「支援してほしいことは人でも金でもない。『忘れないでください』とだけ言いたい。我々は前に向き進んでいく。それを見守ってほしい」と。

⇒25日(月)夜・福島市の天気   はれ
  

★天上のワイン

★天上のワイン

 かつて、大学の薬学の教授から教わったことだ。酒はビールだけ、あるいは日本酒だけというのは体によくない。なるべくウイスキー、白酒(パイチュウ)、ワイン、ウオッカなど多種類を飲んだ方がよい。つまり、麦だけでなく、米も、モロコシも、ブドウもというわけだ。それを「アルコール多様性」というそうだ。その教授は「常時100種類ほどの酒を自宅にスットクしていて、少しずつ飲んでいる。健康だよ」と笑っていた。それまでどちらかいうと「ビールのち日本酒」だったが、その話を聞いてから、ワインも白酒もウオッカも飲むようになった。今は一巡して、どちらかというと、ワインの量が多くなった。

 先日、誘われて金沢のワインバ-が主催する「メドック格付1級 5大シャトーの違いを知る」というワインの講座に出かけた。ワインはまったくの初心者でどちらかというと、イタリヤやチリ、南アフリカといった国別で選んで買っていた。シャトー(ワイナリー)は知っていたが、「5大シャトー」は正直知らなかった。フランスに何度か勉強に行っているソムリエの辻健一さんが解説する。

 「5大シャトー」は、1855年のパリ万国博覧会で、皇帝ナポレオン3世は世界中から集まる訪問客に向けて、フランスのボルドーワイン(赤)の展示に格付けが必要だと考えた。 そこで、ボルドー・メドック地区で、ワイン仲買人が評判や市場価格に従って、ワインをランク付けした。その格付けで4つのシャトーに「第一級」の称号を与えられた。それ以来、ボルドーワインの公式格付けとなった。その4つとは「Ch.Lafite-Rothschild(シャトー・ラフィット・ロートシルト)」、「Ch.Margaux(シャトー・マルゴー)」、「Ch.Latour(シャトー・ラトゥール)」、「Ch.Haut Brion(シャトー・オー・ブリオン)」のこと。これに、1973年の格付けで昇格した、「Ch.Mouton Rothschild(シャトー・ムートン・ロスシルド)」を加え、これら5つが世界トップクラス・シャトーといわれるようになった。インターネットで調べてみても、それぞれ1本5万円は下らない。ちなみの、今回の講座の会費は2万3千円。グラスに1杯ずつ5大シャトーが飲めるのだから。一生に一度のチャンスと思えば、案外お得かも知れない。

 問題は味わいの表現力だ。これは、素人ではなかなか出てこない。辻さんはソムリエらしく、ラフィット・ロートシルを「長く残る深みのある味わい。森の中に白いお城のようですね」と。「熟成したときに醸し出す杉の香り」(ムートン・ロスシルド)、「重厚でありながら優雅さを崩さず、複雑極まりない風味の豊かさ」(ラトゥール)、「甘くそして芳ばしい香水のような」(シャトー・マルゴー)、「若い間から楽しめる芳醇でソフトな果実味。スミレとトリュフの香り」(オー・ブリオン)と次々と鼻と舌の感覚を言葉にしてにおい立たせる。ここまでくると、まさに「天上のワイン」のように思える。

 各シャトーのデータによると、ブドウの品種はカベルネ・ソービニオンが圧倒的に多い。ブドウの品質管理を徹底するために、どこのシャトーもブドウ畑の面積を100㌶以内にしている。そして、「プルミエ・ド・プルミエ(1級の中の1級)」を維持するために、ブドウのクローン選別や土壌改良、コンピューター制御の発酵管理などのたゆまぬ品質向上に向けた取り組みも紹介された。利より格付けを重んじる風土がワインに沁みこんでいる。

※写真は、コルク栓のついたものが5大シャトーのワイン。ソムリエの辻健一氏。

⇒17日(日)夜・金沢の天気    くもり

☆七種粥の誤解

☆七種粥の誤解

  2月6日付「唐土の鳥」の続き。金沢市の料亭「大友楼」の主人・大友佐俊さんが加賀藩ゆかりの行事「七種(ななくさ)粥」を実演した。古い料亭の土間での行事なので、周囲の薄暗さが、時代が江戸か明治にタイムスリップしたような感じになった。

  大友さんによると、室町期に書かれ、元旦から大晦日までの宮中行事100余を記した『公事根源』に、「延喜11年(911)」の年に「後院より七種を供す」と記述があり、当時すでに宮中で唐土(中国大陸)からの厄病を運ぶ鳥の退散を期する七草の行事が行われていたようだ。この季節の風習は行事は、徳川期に入っても「若菜節句」と称して幕府の年中行事に取り入れられ、諸大名が将軍家へ登城してお祝いを述べ、将軍以下全員が「七種の粥」を食したようだ。次第に諸大名から武家へ、商家へ、庶民へと広まった。ただ、現在では「七種の粥」が一般の家庭で行われている話は見たことも聞いたこともない。食糧自給や予防医学の発展で、人々の健康体が保てるようになったからかもしれない。あるいは、「唐土の鳥」という迷信の正体が黄砂ではないのかと知れ渡るようになったからではないか、とも推察している。

  ところで、大友楼での「七種の粥」の実演を見せてもらい、後刻、その粥を食した。この粥がなんとも言えない「絶品」なのである。粥の味付け、米のふっくら感、七草の刻みと歯触りが何とも言えず上品で旨い。そして、粥というものに対する偏見、あるいは誤解が吹き飛んだ。今回初めて「粥は料理だ」と気がついた。

  その粥を、大友楼では輪島塗のさじ(スプーン)で食する。輪島塗が唇と舌に触れるときの滑らかか触りはこれ自体が味になっているから不思議だ。参加者が絶賛する。「お粥さんと輪島塗がこんなに合うとは…」と。かつて、こんな話を聞いたことがある。赤ちゃんが食事をミルクから離乳食へ切り替える際のエピソードで、金属製のスプーンではどうしても受け付けなかったが、輪島塗の小さなスプーンを使用したら赤ちゃんが受け入れてくれたというのである。その赤ちゃんの気持ちが分かるくらいに、粥とマッチしているのである。料理と食器のまさにアリアージュ(適合)ということか。

  これまで何度も粥を食した。小さいころ、腹痛を起こした時で、母親に食べさせてもらった記憶がある。長じて、宴席の締めで粥を食したこともある。粥は胃袋にやさしい、補助食というイメージが強かった。この偏見、ないし誤解が粥というものを「あれば料理ではない」と脳裏にすりこんでしまったのだろう。自身の人生で初めて、お粥というものの本来の料理としての「食い初め」となった。少々大袈裟か…。

※写真は、大友楼の七種粥と輪島塗のさじ

⇒9日(土)朝・金沢の天気   ゆき

★鯛の唐蒸しの誤解

★鯛の唐蒸しの誤解

  金沢では、郷土の伝統料理のことを「じわもん」と呼ぶ。治部煮(じぶに)は結構有名でお手軽料理かもしれない。そぎ切りにした鴨肉を小麦粉をまぶし、だし汁に醤油、砂糖、みりん、酒をあわせたもので鴨肉、麩(金沢の「すだれ麩」)、しいたけ、青菜(せりなど)を煮て煮物碗に盛る。肉にまぶした粉がうまみを閉じ込め濃厚な味にある。これまでじわもんを結構味わったつもりだったが、誤解もあった。

 前々回に紹介した金沢の料亭「大友楼」でいただいた「鯛の唐蒸し(たいのからむし)」=写真=が誤解の一つだった。二匹の鯛の腹に卯の花(おから)を詰めて大皿に並べたもの。婚礼に際して供される料理。、「にらみ鯛」や「鶴亀鯛」と呼ばれることもある。嫁入り道具とともに花嫁が持参する鯛を、婿側が調理して招待客にふるまうのがならわしである。子宝に恵まれるように、銀杏・百合根・麻の実・きくらげ・人参・蓮根などを入れた卯の花を鯛の腹一杯に詰め、雌雄二匹の鯛を腹合せにして並べる。これまで、知人や同僚の婚礼の披露宴に出席して、何度か口にした。が、正直見栄えだけ豪華でおいしくない料理との印象が残っていた。それが誤解だった。

 大友楼で、食事を運ぶ仲居さんからこう説明された。「おからを召し上がってくださいね。タイよりおからがおいしいのですよ」と。その通りにした。なんと、あのおからが芳醇な香りと旨味のする、まるで鱈子の煮つけのように味わい深い。そして、麻の実がほどよい歯触りのアクセントになっているのだ。そして、鯛の身はというとこれまで味わってきた味気のない、脂の抜けた身なのである。つまり、蒸す過程で鯛の肉の旨味がおからに吸収されているような感じだ。

 婚礼料理と聞いていたので、「めでたい」鯛が主役だと思って、これまでおからには手を付けなかった。つまり、パサパサの鯛の身ばかり食べていた。おからは鯛を膨らませ、大きく見せる「演出」だと思っていたのである。知らなかった。見栄えは鯛、味はおからなのである。くだんの仲居さんは「そのような方は土地(金沢)の方でも多いですよ」と。主役は鯛だと勘違いして、鯛の身ばかりをつまんでしまう。どちらかというと男性の客に多いそうだ。

 ところで、「唐蒸し」の由来だが、「おから蒸し」がいつの間にか「から蒸し」となった説、また、長崎を訪れた加賀藩の留学生が中国料理風の鯛のけんちん蒸しの調理法を持ち帰ったことが「唐蒸し」となったとする説などいくつかある。

⇒8日(金)昼・珠洲市の天気     ゆき

☆匿名と実名の間

☆匿名と実名の間

  日本のマスメディア(新聞やテレビ)の報道には「夜討ち」「朝駆け」という言葉がある。事件の取材や政治のネタを扱う場合、ネタを取るのにもスピード感が必要で、相手方(ライバル紙)に先んじればスクープとなり、同着ならばデスクにしかられることはない。先を越されれば、「抜かれた」と叱責をくらう。警察取材(サツ回り)の新人には、「夜討ち」「朝駆け」は記者教育の基本として教えられる。

  これはニュースにおけるスクープやスピードだけのことなのだろうか。先日、現役の新聞記者と話す機会があり、話題になった。記者によると、「夜討ち・朝駆けという取材手法があるのは世界で日本と韓国だけらしい」と。続けて、「複数の記者たちを前に事件が経緯や概要を発表するのはある意味で建て前だ。ただ、捜査の経緯の中で隠されたことや、謎の部分で公表したくてもできない場合がある、つまりその本音を聞きたい」と。

  面白いのはそれが日本と韓国だけらしい、という点だ。確かに、両国とも本音と建て前の精神性がある。かしこまっての公の場ではなかなか本音が出ない。ならば、裏の非公式な場でその本音の話を聞こうとなる。ただ、本音の話を聞き出せても、実名はなかなか書けない。そこで、「警察幹部によると」などの書き出しで始まることになる。匿名である。

  これが政治の世界の取材となると、「オンレコ」と「オフレコ」になる。オン・レコードはメモ取り、オフレコはオフ・レコードはメモ取りなし。オンレコは記者会見といった実名で発言内容がニュースになることが多い。オフレコは一応記事にしないことを前提とした取材を指す。情報のニュースが高く記事にする場合は、オフレコの発言者を「与党幹部」や「政府筋」といった匿名の表現にとどめる。発言内容も一切報道しない完全オフレコという場合もある。

  では、読者の方が「なぜ匿名だ、実名にしないのか」と訴えたことがあるか。未聞である。むしろ、個人情報保護に関する過剰反応によって、社会の匿名化が進んでいる。学校の名簿から先生の住所、電話番号が削除されたり、町内会が災害に備えて1人暮らしの高齢者の名簿をつくろうとしても個人情報保護の壁に阻まれてできなかったりした例などいくらでもある。

  新聞社やテレビ局などでつくる日本新聞協会は、こうした行政などの「匿名発表」は容易に拡大し、やがて意図的,組織的な隠ぺい、ねつ造に発展するおそれがあると警告している。「実名発表」は「事実の核心」であり、実名があれば「発表する側はいい加減な発表や意図的な情報操作はできなくなる」として、読者や視聴者の「知る権利」に応えるために「実名発表」が必要だと主張している。が、肝心の新聞やテレビが上記で述べたように、取材元を匿名化しているので、なかなか説得力を持たない。

  ましてや、先月起きたアルジェリアで起きた人質事件で、日本政府は当初、事件に巻き込まれた大手プラントメーカー「日揮」の意向に配慮し、被害者の氏名を明らかにしなかった。日揮の意向とは、被害者遺族へのメディアスクラム(集団的過熱取材)を案じてのことだ。

  匿名を一律に否定している訳ではない。メディアの取材源の秘匿は言うまでもない。ただ、安易に匿名化することに日本の新聞やテレビは慣れきっている気がしてならない。テレビでも、映像にホカシや音声を変えているケースが多々ある。「実名が取材のスタート」であろう。新聞やテレビがこの「実名改革」を推し進めない限り、信頼が増々失われるのではいないか。最近そんなことを思っている。

⇒7日(木)夜・金沢の天気     風雨

★「唐土の鳥」

★「唐土の鳥」

 あす7日は旧暦に1月7日、七草粥の行事が各地で行われる。先日、「シニア短期留学in金沢」というスタディ・ツアーに同行し、金沢市の大友楼という老舗料亭で行われた加賀藩ゆかりの行事「七種(ななくさ)粥」を見学した。

 七草は、大友楼ではセリ(野ぜり)、ナズナ(バチグサ、ペンペン草)、五行=御行(ハハコグサ)、ハコベラ(あきしらげ)、仏の座(オオバコ)、すず菜(蕪)、スズシロ(大根)のこと。これを台所の七つ道具でたたき=写真=、音を立てて病魔をはらう行事で、3代藩主利常の時代から明治期まで行われたという。面白いのは、たたくときの掛け声だ。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボトノー」と。つまり、旧暦正月6日の晩から7日の朝にかけて唐の国(中国)から海を渡って日本へ悪い病気の種を抱えた鳥が飛んで来て、空から悪疫のもとを降らすというので、この鳥が我家の上に来ない様にとの願いが込められている。「平安時代からの行事とされる」と、藩主の御膳所を代々勤めた大友家の7代目の大友佐俊さんは言う。

 おそらく、病魔をもたらす「唐土の鳥」とは、黄砂のことではなかったか。現代で解釈すれば、まさに今問題となっている中国の大気汚染だ。石炭火力発電所に先進国では当たり前の脱硫装置をつけるが、中国では発電施設の増強が優先され設置が遅れている。だが、それより発電施設の増強が優先される、その結果、大都市やその周辺では、空も河川も汚染にむしばまれている。特に大気汚染が深刻なのは、北京市や河北省、山東省、天津市などで、肺がんやぜんそくなどを引き起こす微小粒子状物質「PM2・5」の大気中濃度が高まっているようだ。

 その大気汚染が偏西風に乗って日本にやってきた。金沢でも車を外に置いてくとフロントガラスがうっすらとチリが積もったようになる。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボト」と言いたい。ちなみに、「かち合せてボートボト」と言うのは、金沢の方言で「鳥同士を鉢合わせでドンドンと落とせ」という意味だ。

⇒6日(水)朝・金沢の天気    くもり