#コラム

★セウォル号とテレビ報道

★セウォル号とテレビ報道

  セウォル号沈没事故で問われているは、何も救助体制だけではなさそうだ。韓国のテレビメディアが矢面に立たされている。日本のメディアの報道を見てみると。

事故当日の16日、テレビ局JTBCが救助された女子高校生にインタビューし、「友人の死について知っているか」と質問。この高校生が泣き出す場面が放送された。悲しみにくれる高校生に追い打ちをかけるものもで、不適切と非難が集中した、という。局の看板アンカーが番組で「どんな弁明もない。深く謝罪する」と頭を下げたようだ。

  18日のテレビ局MBNは生放送で、民間の潜水士だという女性が「海洋警察が民間潜水士の救助作業を阻んでいる」と訴えた。また、この女性は「船内で(行方不明者と)会話した潜水作業員もいる」とも語ったという。しかし、この女性は潜水資格も持たない偽ダイバーで、警察の取り調べを受けたようだ。

  18日午後、KBS第1テレビは報道特別番組で、「救助当局が船内で遺体を多数発見」と速報した。しかし、誤報だった。出所不明の情報だったらしい。

  同じくKBS第2テレビは21日午前に流した情報番組で、女子高校生のチャット記録だとして、「お姉ちゃん、きょう修学旅行に出掛けるんだって? いってらっしゃい! お土産忘れないでね」「お土産を買って帰ることができなそう。ごめん」というやりとりを紹介した。番組では、このチャットでのやりとりをセウォル号に乗っていた女子生徒といとこの間で交わされたものと紹介したが、虚偽だと分かっていて放送したようだ。

  緊急時には、裏付けを取らずにコメントを流してしまい、結果的に誤報になったり、また、つい場の雰囲気に流されて、涙を誘うコメントをしたりするということは、日本のテレビ局でもままある。ただ、韓国のテレビ局のこうした放送の失敗例を見てみると、ある特徴がある。それは、誤報と知りつつあえて流しているケースが見られるということだ。チャットはその例で、偽ダイバーのコメントしても、海上警察の裏取りをすればウソだと分かる。

  つまり、ノーチェックで先を競うように流してしまう。テレビの習い性といえば、それまでなのだが。

⇒23日(水)午後・金沢の天気    はれ

☆続・セウォル号の悲劇

☆続・セウォル号の悲劇

  セウォル号の沈没事故で韓国内が騒然としていると日本の報道各社が伝えている。19日にはこのような報道が目を引いた。子どもの生存を願う行方不明者家族の心理を悪用し、「金を出せば救出してあげる」と持ち掛ける詐欺が横行している、とのこと。民間潜水業者の関係者と名乗る人物が行方不明者家族に接近し、「1億ウォン(約990万円)を出せば子供たちを船から救い出す」と誘う事例があったという。混乱に乗じた火事場泥棒や詐欺商法は日本でも東日本大震災の折、ニュースにもなったが、これだけ限定された行方不明者家族に持ち掛けるとなると、犯人も特定されるのではないか。

  韓国のテレビ局の無神経なインタビューも話題になった。テレビ局の記者が事故現場付近での取材で、助かった女子生徒に対し、「友達死んだの、知ってるか」と質問し、その生徒は「知らない。聞いていない」と大声で泣きだした。このシーンが放送され、視聴者の批判が殺到したのはいうまでもない。現場では緊張感がみなぎっているので違和感なく記者がインタビューしたつもりでも、視聴する側の茶の間感覚では悲しみにくれる生徒にさらに追い打ちをかけるような行為に見えるものだ。気になったのは、このシーンは生中継で送られた映像なのかどうかということだ。普段このような映像が現地から送られてきた場合、本社での編集段階で問題となって、映像を使うのを取りやめるケースが多々ある。しかし、生中継の場合はダイレクトに各家庭に映像が飛び込んでくるので、こうした問題の画像は防ぎようがない。今回はどのケースだったのだろうか。

  
  誤解を招く行動も問題となった。セウォル号の沈没事故に近い港に派遣されていた韓国・安全行政省の幹部職員が、記念写真を撮ろうとしたとして、安否不明者の家族らの猛反発を招いた。批判は国内中に広がり、大統領府(青瓦台)は21日、幹部職員を解任したと報じられた。「李下に冠を正さず」という言葉がある。単なる写真撮影でも自分自身のバックに現場が入ったアングルならば記念撮影ととられても仕方がない。現場はそれほどにナーバスなのだ。

  19日、事故後に救出された安山市檀園高校の教頭(52歳)が首をつって死亡しているのが発見された。教頭は、行方不明者の親族らが宿泊している珍島の体育館近くの木で、自分のベルトで首をつったという。自責の念にかられたのだろうか、あるいは、行方不明者家族から、生徒たちを船に残し、自ら助かったこを糾弾されたのだろうか。沈没事故にまつわるニュースの多様さが、混沌とした現場の様子を物語る。

⇒21日(月)夜・金沢の天気  くもり

  

★セウォル号の悲劇

★セウォル号の悲劇

 昨年8月に韓国・済州(チェジュ)島にシンポジウム参加のための渡島した。それゆえ、今回の旅客船「セウォル号」の珍島(チンド)付近での沈没事故が気になる。そして、テレビや新聞、インターネットでの報道をチェックすると、改めて日本と韓国の国民性の違いなども浮かび上がってくる。

  「セウォル」という韓国の言葉は、日本語でいう「歳月」と説明されている。歌手の天童よしみが「珍島物語」を歌っていたので、この島の名前くらいはかすかに覚えていた。その島で起きた済州への修学旅行に向かう高校生が主に犠牲者となった。まさに悲劇だ。

  不明者の家族らがきょう20日未明、抗議のために事故現場からソウルの大統領府に向かおうとして、警察と揉みあいになったとのニュースがあった。朴槿恵(パク・クネ)大統領への直訴が目的と伝えられている。沈没船の捜索活動が進まないことに対し、行方不明者の家族の怒りの行動だろう。この行動は、日本だったら起きるだろうか。おそらく、海洋警察(日本だと海上保安庁)の捜索をじっと待つ。日本の場合、捜査機関や救助隊への信頼感がある。もちろん、中には情報を早く開示しろといった抗議の声は上がるだろうが、大統領府のある青瓦台への抗議行動にはならないだろう。

  数字の訂正が相次いだことは、どのような背景があるのだろうか。16日午前の事故直後、旅客船を運航している海運会社は乗船者数を数回訂正した。事故発生当初は477人と発表していた。まもなくして、459人に訂正、さらに462人と変更し、同日夜には475人に訂正した。そして、18日には乗船者名簿に記載のない死亡者が見つかったと発表している。チケットを買わずに乗船していた人がいるらしい、との理由だ。では、なぜノーチケットで乗船できるのかと次なる疑問が出てくる。これは会社の内部の問題なのか、何か社会的な慣行でもあるのだろうか。

  船長が真っ先に船を離れるという事実があった。船長(68歳)、事故当時に操船していた3等航海士(25歳)、操舵手(55歳)の3人が逮捕された。3等航海士は「現場付近で速度を落として右に曲がるべきなのに、ほぼ全速力で進んで方向を変えた」と供述しているという。この方向転換によって、船がバランスを崩し、統制不能になったというのがどうやら沈没の原因らしいとメディア各社が報じている。救助されたがゆえに、事故原因も早々に分かったのだが、その次に船長として、操縦者としての責任論が浮かんでいる。乗客の誘導をなぜ行わなかったのか、救命ボートはなぜ下ろされなかったのか、なぜ任務を放棄して、真っ先に現場を離れたのか。これは個人的な行動なのか、会社のコンプライアンスの問題なのか、地域の気風なのか、国民性なのか、そんなことを考えてしまう。悲劇の要因もいくつもありそうだ。

⇒20日(日)午後・金沢の天気   くもり

☆イフガオへ-下

☆イフガオへ-下

フィリピンの1000ペソ紙幣の裏側に棚田が描かれている=写真・上=。高度1欧米人000-1500㍍に展開する棚田。この風景を見た欧米人は「天への階段」とイメージするそうだ。1995年にユネスコの世界文化遺産に登録されてから、海外からのツアー客が格段に増えた。25日に宿泊したイフガオのホテルのレストランでは、英語だけでなく、おそらくオランダ語が飛び交っていた。アジア系の顔は我々だけだった。何しろ、マニラから直行バスで9時間ほどかかる。コメ作りが日常で行われているアジアでは、それだけ時間をかけて、田んぼを見に行こうという観光客はそういないのかも知れない。

       人材養成でソフト協力事業の国際モデルをめざす

 そのイフガオのホテルのレストランに一枚の棚田の大きな写真が壁面に飾られていた。写真の横幅は3㍍もあるだろうか。白黒の、おそらく数十年前の写真。紙幣にあるような、山並に一面に広がる見事なライステラス(棚田)だ。26日朝からさっそくそのビューポイントに撮影に出かけた。確かにスケール感があり、日本の棚田と比べても、イフガオ族の米づくりに対する執着というものが伝わってくる=写真・下=した。
 
 数十年前の写真と比較をしてみる。右下の三角状の小山は現在も同じカタチだが、全体に樹木が広がっている。とくに左下の棚田は林に戻っている。また、そして右真ん中くらいに展開していた棚田はすでに耕作放棄されているのが分かる。私は農業の専門家ではないが、素人目でもこのエリアは数十年前の写真を見る限り、20%ほどの棚田が消滅しているのではないだろうか。写真を撮っていると、民族衣装を着たお年寄りの男女が数人寄ってきた。「1人20ペソでいっしょに撮影できる」という。お年寄りの小遣い稼ぎだろうが、この現在の棚田の現状を見て、その気にはなれなかった。

 話は「イフガオ里山マイスター養成プログラム」に戻る。20人の受講生は月2回程度の集中講義を受ける。教員は6人体制で行う。その中心を担うのが、フィリピン大学オープン・ユニバーシティーのイノセンシオ・ブオット教授(生態学)。今回のプロジェクトの発案者の一人でもある。2013年1月、金沢大学里山里海プロジェクトが主催した「国際GIAHSセミナー」の基調講演で、「イフガオ棚田の農家が耕し続けるために、景観を商品として扱うのではなく、コミュニティの中で持続的に守るべきもの」と話した。その後、能登を訪れ、能登里山マイスター養成プログラムの修了生たちと懇談した。修了生の前向きな取り組みを聞き、「ぜひイフガオの若者のために、里山マイスター養成プログラムのノウハウを教えてほしい」と中村教授と話し合ったのがきっかけだった。

 受講生たちの学びの場はイフガオ州立大学となる。セラフィン・L・ゴハヨン学長は、「受講生には、イフガオのために自らが何かできるか考えてほしい。大学も彼らのために何ができるかを考えたい。今回のイフガオ里山マイスター養成プログラムをイノベーションモデルと位置付けている。そして、彼らに考える、研究するノウハウを生涯学習として提供していきたいと思う。それが大学ができることだ」と。日本からJICAプロジェクトが来たから、何か特別なことをするのではなく、地域の大学として持続的に支援していく。それが地に足のついた人材養成というものだ。

 よき提案者と理解者がいて、このプロジェクトは国をまたいでスタートする。人材養成というソフト協力事業の国際モデルとなるかどうか、いよいよ新たなチャレンジが始まる

⇒26日(木)夜・イフガオの天気   はれ

★イフガオへ-中

★イフガオへ-中

 25日午前、イフガオ州立大学でプロジェクトを推進する現地の組織「イフガオGIAHS持続発展協議会(IGDC=Ifugao GIAHS Sustainable Development Committee)が設立され、受講生20人を迎えての開講式とワークショプが開催された。目を引いたのが、「イフガオ・ダンス」。男女の男女円を描き、男は前かがみの姿勢でステップを踏み、女は腕を羽根のように伸ばし小刻みに進む。まるで、鳥の「求愛ダンス」のようなイメージの民族舞踊だ。赤と青をベースとした民族衣装がなんとも、その踊りの雰囲気にマッチしている。

     伝統の上に21世紀の農業をどう創り上げていくか     

 イフガオGIAHS持続発展協議会の設立総会には、プロジェクト代表の中村浩二金沢大学特任教授、イフオガ州のアティ・デニス・ハバウェル知事、イフガオ州立大学のセラフィン・L・ゴハヨン学長、フィリピン大学オープン・ユニバーシティーのメリンダ・ルマンタ副学長、バナウエ町のホン・ジェリー・ダリボグ町長らが出席した。持続発展協議会の設立目的は、能登半島と同様に、大学と行政が同じテーブルに就き、地域の人づくりについて手を尽くすということだ。中村教授は「希望あふれるGIAHSの仲間として、持続可能な地域づくりをともに学んで行きましょう」と挨拶。また、協議会の会長に就任したハバウェル知事は「金沢大学の人材養成の取り組みは先進的で、国連大学などからも高く評価されている。イフガオだけでなく、フィリピン全土でこのノウハウを共有したい」と述べた。

 午後からは、イフガオ里山マイスター養成プログラムの開講式が、第1期生20人を迎えて執り行われた。受講生は、棚田が広がるバナウエ、ホンデュワン、マユヤオの3つの町の20代から40代の社会人。職業は、農業を中心に環境ボランティア、大学教員、家事手伝いなど。20人のうち、15人が女性となっている。応募者は59人で書類選考と面接で選ばれた。

 受講した動機について何人かにインタビューした。ジェニファ・ランナオさん(38)=女性・農業=は、「最近は若い人たちだけでなく、中高年の人も棚田から離れていっています。そのため田んぼの水の分配も難しくなっています。どうしたら村のみんなが少しでも豊かになれるか学びたいと思って受講を希望しました」と話す。インフマン・レイノス・ジョシュスさん(24)=男性・環境ボランティア=は、「これから学ぶことをバナウエの棚田の保全に役立てたいと思います。そして、1年後に学んだことを周囲に広めたいと思います」と期待を込めた。ビッキー・マダギムさん(40)=女性・大学教員=は、「イフガオの伝統文化にとても興味があります。それは農業の歴史そのものでもあります。そして、イフガオに残るスキル(農業技術)を紹介していきたいと考えています」と意欲を見せた。

 ユネスコの世界文化遺産でもあるこの棚田でも農業離れが進み、耕作放棄地が目立つ。若者の農業離れは、日本だけでなく、東アジア、さらにアメリカやヨーロッパでも起きていることだ。一方で、農業に目を向ける都会の若者たちもいる。パーマネント・アグリカルチャー(パーマカルチャー=持続型農業)を学びたいと農村へ移住してくる若者たち。ただ農業の伝統を守るだけではなく、伝統の上に21世紀の農業をどう創り上げていくか、その取り組みがイフガでも始まったのである。

⇒25日(火)夜・イフガオの天気  あめ

  

☆イフガオへ-上

☆イフガオへ-上

  フィリピンのマニラにいる。これからルソン島北部の山脈にあるイフガオに向かう。今回で3度目のイフガオ訪問だ。2012年1月、翌年2013年11月、そして今回だ。マニラから車で移動すること9時間余り。昨日も、正午すぎに小松空港から韓国・仁川空港へ、そしてマニラ空港に着いたのが夜中の11時ごろだった。つまり、2日がかりで現地に入ることになる。

           イフガオを支援する意義は何なのか

  金沢大学が7年間、能登半島で培ってきた里山の人材養成(「能登里山里海マイスター」育成プログラム)のノウハウをイフガオ棚田(FAO世界農業遺産、ユネスコ世界文化遺産)の人材養成に活かすプロジェクトが、国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業(地域経済活性化特別枠)として採択された。

  このプロジェクトを促進するため、同じ世界農業遺産の能登と佐渡を中心とした「イフガオGIAHS支援協議会」の設立総会=写真=が3月8日に能登空港で開催された。設立総会と記念ワークショップには、フィリピン側からアティ・デニス・ハバウェル (イフガオ州知事)、グレース・ハビア・アルフォンソ (フィリピン大学オープンユニバーシティ学長)、セラフィン・L・ゴハヨン (イフガオ州立大学長)の3氏が参加。金沢大学からは中村信一学長、山辺芳宣能登地域GIAHS推進協議会(羽咋市長)、石川県の堀畑正純環境部長らがホストだった。

  なぜイフガオ支援なのか。世界遺産遺産にも認定されている世界的に有名な棚田だが、近年、若者の農業離れや都市部への流出により、耕作放棄地の増加が懸念されるほか、地域の生活・文化を守り、継承していく人材の養成が急務となっている。そのため、同様の課題を有する日本の世界農業遺産認定地域(能登・佐渡含む5サイト)が協力し、金沢大学の持つ地域と連携した人材育成のノウハウを移転し、同地において魅力ある農業を実践し、地域を持続的に発展させる若手人材を養成するプログラムの構築を支援することになった。また、GIAHS 理念の普及を通じた国際交流・支援を実施することにより、国内のGIAHSサイトにおいて、国際的な視点を持ちながら地域の課題解決に取り組むグローカル(グローバル+ローカル)な人材の育成にもつなげていきたいとの思いもある。

  ピロジェクト代表の中村浩二特任教授の司会のセンションが「イフガオの現状と期待」と題して行われた。「能登と佐渡、そしてイフガオが抱える若者と農業の問題は世界の問題。この解決モデルを共に創りましょう」とハバウェル知事が訴えた。

  そしてあす25日、イフガオで「イフガオ里山マイスター養成プログラム」の開講式がある。いよいよプロジェクトが始動する。

⇒24日(月)朝・イフガオの天気   くもり

★3月の「大雪」

★3月の「大雪」

 きょうの朝(10日)起きて驚いた。一面の銀世界。さっそく自宅前の道路の「雪すかし」を行った。20数㌢の積雪だ。「雪すかし」は先のコラム(2月9日付)でも紹介したように、金沢の町内会の伝統的な暗黙のルールとも言える。一方で、朝の通学の児童たちのために道を確保するという、ちょっとした「思いやり」を持って除雪にあたっている人もいるかもしれない。

 ただ、今朝の雪はとても重く感じられた。雪をかいて溝に運ぶスコップがずしりと腕と肩にくる。よく見ると屋根の雪もすでに落ちているところもある。外気温は3度。湿り気のある雪なのですでに溶け始めている。つまり、水分をたっぷり含んだ雪なのだ。ここで気になるのが、庭木の枝である。「雪つり」をほどこしている樹木はよいが、そうでないたとえば、ツバキやキンモクセイなど(それぞれの家庭によって異なる)はとても重そうで、枝がいまにも折れそうだ。そんなことを思いながら、子どもたちの声が聞こえ始める7時ごろまでに自宅前の雪かきを終えた。

 これまで3月中旬になってブログネタにした雪は「名残り雪」だった(2009年3月26日付)。ところが、きょうの雪は久しぶりの大雪といった風情の積もり具合である。こうしてブログを書いている間も降っている。ここ数日の冬型の気圧配置が居座っている。ただ、あすからは回復して晴れ間ものぞきそうだ。

 ことしの金沢は全般に「少雪」だった。東京で雪が降っても(2月14日)、金沢ではほどんど積雪がなかった。今回の「大雪」で少しは冬の名残をとどめた。そして、雪つりを施した甲斐があった、などと金沢の人は悠長に思っているのではないか。自分も含めて。

⇒10日(月)朝・金沢の天気   ゆき

☆ブラックアウト

☆ブラックアウト

これまでの携帯電話(ガラケイ)からスマホ(au「URBANO」)に替えた。そのときに携帯電話の取扱店からアドバイスされたのが、「落とさないこと」だった。確かに液晶画面がガラケよりも広く大きく、落とすと割れると思うと慎重になる。実は、これまでのガラケイも何度も落として、特に角がすり減ったようになっていた。

 過日、電器店でスマホのカバーを買った。全体のカバー(透明)と液晶画面の保護シート(フイルム)のセットだった。その翌朝から異変が起きた。スマホの液晶表示の画面が、電話の通話が始まると真っ暗にブラックアウトしてしまうのだ。それでも、相手と通話しているときには特に不自由もなかったので放っておいた。電話が切れると、液晶表示画面が回復すしたからだ。焦ったのは、相手が留守電なり、録音して切りボタンを押そうにも、ボランがどこにあるかわからないことだ。焦った。「3分間」延々と電話につながったままになった。

 その理由を「スマホ 通話になると画面が暗くなる」で検索し、調べた。するとauのイサイトでこんな質問・回答があった。「通話時に液晶画面が突然が真っ暗になる」。「ディスプレイに市販の保護シートを貼られていませんか。近接センサー等が誤動作している可能性があります。保護シートを一旦はがして、動作をご確認ください。」とういうものだった。

 近接センサーとは、本体に顔が近づいている状態で、スマホ本体から顔が離れた状態を検出して、自動的にタッチパネルのオンとオフを切り替える機能。顔を近づけるとタッチパネルをオフにして誤動作を防ぐのだという。すばらしい、近接センサーの機能なのだが、意外にも、保護シートで貼ることで、誤作動を起こし、通話が始まった段階でずっとブラックアウトしてしまうのだ。

 結局、せっかく1200円も払って買ったカバーセットだが、液晶画面の保護シート(フィルム)を外すことにした。落下によるスマホの損傷を防ぐために、保護シートを貼ったが、それが今度はスマホ本体の近接センサーの機能を阻害することになる。複雑な現代社会の一面がこのスマホに見て取れた思いだった。

⇒8日(土)夜・金沢の天気   くもり 時々 ゆき

★雪かきのご近所ルール

★雪かきのご近所ルール

  昨日、東京都内の知人に電話した。すると、「雪が降っていて、電車も止まって、とにかく怖いので外に出れない」との返事だった。雪が降るだけで、身震いしている様子が容易に想像がついた。きょう9日のテレビニュースでも、都心(大手町)の積雪が25㌢を観測するなど、関東甲信を中心に記録的な大雪となったと伝えている。都心で20㌢を超える積雪は1994年2月以来、20年ぶりとか。気象庁は東京に大雪警報を発表している。こんな中、午前7時から東京都知事選の投票が始まっている。

  それに比べ、なんとも金沢らしくない天気が続く。自宅周辺は割と金沢中心部より積雪がある。数日前は降ったものの、積雪は20㌢に満たない。この冬は青空が多く、「(雪が降らないので)助かりますね」というのがご近所さんとの会話だ。きょうは朝から雨。さらに雪が溶けそうだ。

  金沢の雪にまつわる「金沢のしきたり」の話を紹介する。「しきたり」とは暗黙のルールとでも言おうか、明文化された決まりではないが、「昔から(伝統的に)そういうことになっている」ことなのだ。ちょっとアカデミックに言い方をすれば、「コミュニティを存続させるための伝統的な集団行動(知恵)」となるかもしれない。前書きはさておき、雪が降った朝、金沢では持ち家の前の道路を除雪する。それを「雪かき」あるいは「雪すかし」と言う。「かき」は「掻き」で「押しのける」の意味、「すかし」は「透かし」は「取り去る」という意味だ。

  時間的には朝、それも学校の児童が登校する前に7時ごろだろうか。誰がするのかはその遺家々の人だが夫であったり、妻であったりと決まりはない。問題はタイミングである。ご近所の誰かが、スコップでジャラ、ジャラと「掻く」あるいは「透かす」とそれが合図となる。別に当番がいるわけではないか、周囲の人たちがそれとなく出てきて、始める。「よう降りましたね」「冷え込みますね」が朝のご近所のあいさつとなる。

  「掻く」あるいは「透かす」の範囲はその家の道路に面した間口部分となる=写真=。角の家の場合は横小路があるが、そこは手をつけなくてもよい。家の正面の間口部分の道路を除雪するのである。しかも、車道の部分はしなくてよい。登校の児童たちが歩く「歩道」部分のみである。雪をどこに「掻く」のか。それは、家の前の側溝である。そこにどんどんと押しのける、積み上げる。晴れて気温が落ち着くと、側溝に水が流れ、積み上げた雪が溶ける。冬場の側溝は雪捨て場と化す。

  「しきたり」破りに制裁はあるのか。とくにない。雪はそのうち自然に溶けて消える。誰も実害を受けることはないからだ。でも、ご近所の人たちは、その家の雪に関する対応意識(危機管理のガバナンス)など見抜いてしまう。「雪かきもできない。あの家は大丈夫か」と見透かされてしまうのだ。

⇒9日(日)朝・金沢の天気   あめときどきくもり 

☆学生とメディア

☆学生とメディア

  金沢大学では「ジャーナリズム論」「マスメディアと現代を読み解く」といった共通教育の科目(それぞれ2単位)を担当している。講義の中では、「ニュースは知識のワクチン」と繰り返し言っている。それは、間違った情報やうわさに惑わされないために、普段から新聞やテレビのニュースを読んだり見たりすることで、間違いのない情報の判断ができる、と。

  大学生はどのくらい新聞と向き合っているのか、昨年(2013年)10月に授業でアンケート調査を試みた。任意提出で112人が回答してくれた。「世の中の出来事を知る媒体は主になんですか」(複数選択可)の問いでは、①インターネット(47%)、②テレビ(42%)、③新聞(6%)の順だった。媒体としての新聞の存在感は薄いのだ。「新聞に対する印象」では、好きになれない理由として、「政治に関することが多く書かれており、内容がかたい」「おじさんが読む、かつ、おじさんが作っているもの」「文字を読むよりテレビで見た方が情報の取得が早く、読んでいる時間がもったいなく思える」「手が乾燥する、紙質が悪いのであまり触りたくない」「フニャフニャで読みにくく、手が黒くなる」「文字が多い。字が小さく目が疲れるので、あまり良い印象をもっていない」「家でゆっくり見るのには便利だけど外では見ることができないので不便なもの」など。

  一方、好意的な理由として、「ネットニュースと比べると情報量が多く、種類も豊富であると思う。誤報をできるだけ少なくするために取材が丁寧になされていると感じる」「書かれているイラスト等がとても分かりやすい。これによって難解な問題も簡単に分かる」「情報を得る媒体としては非常に人間的なスマートなもの、様々な情報があり、良い意味で興味のない記事にも出会える」など。

  新聞の現状は、情報としては一流だが、媒体としては学生たちからの支持が少ないとう現実が浮かび上がってくる。

  「新聞などメディアは特定秘密保護法になぜ反対しているのか」。そのような授業をこれまで何度か行った。報道機関は「権力のチェックが仕事」と自ら任じている。それは、民主主義社会は三権分立だが、権力は暴走しやく腐敗しやすいからだ。権力が隠そうとする秘密を暴くことで、浄化作用を促してきた。しかし、特定秘密保護法によって、権力側の取材のガードが強固になる。メディアの最大の懸念は、「国民の知る権利」「報道の自由」「取材の自由」が侵害されるということ。

  「掲載されない写真と映像、あなたはどのように考えるか」を授業で問いかけた。日本のマスメディア(新聞・テレビなど)は通常、遺体の写真を掲載していない。読者や視聴者の感情に配慮してのことだ。一方で、海外メディアはリアリティのある写真を掲載している。学生にこのメディアの有り様を問うと、「現状でよい」61%、「見直してもよい」39%だった。「現状でよい」の主な理由は、「見る側への心理的な影響(トラウマ、PTSDなど)が心配される」「遺体にも尊厳がある。プライバシーの問題もある」「インターネット掲載など別の方法がある」「これは日本人の独自の文化、メンタリティーである」など。一方、「見直してもよい」の主な理由は、「現実、事実を報道すべき」「メディアはタブーや自己規制をしてはならない」「見る側の選択肢を広げる報道を」など。

  「新聞記者の数が激減したアメリカで起きていること」をテーマにした授業も大きな反応があった。リーマン・ショック(2008年9月)以降、アメリカで212の新聞社が休刊。1990年代に6万人を数えた新聞記者は現在4万人に減った。「取材空白域」ではさまざまな事件も起きている。こうした、アメリカの「取材空白域」を調査したスティーブン・ワルドマン氏の言葉を授業で紹介した。「ニュースの鉱石を地中から掘り出すのは、現在でももっぱら新聞です。テレビは新聞の掘った原石を目立つように加工して周知させるのは得意ですが、自前で掘るのは不得手です。ネットは、新聞やテレビが報じたニュースを高速ですくって世界中に広める力は抜群ですが、自ら坑内にもぐることはしません。新聞記者がコツコツと坑内で採掘する作業を止めたらニュースは埋もれたまま終わってしまうのです」(2011年10月29日付・朝日新聞)

 
  学生たちにはこのようなメディアへの考察を通じて、「知識のワクチン」を打っている。

⇒5日(水)夜・金沢の天気    ゆき