#コラム

★報道被害

★報道被害

  金沢大学の共通教育授業で「マスメディアと現代を読み解く」の科目を担当している。課題リポートで「あなたがジャーナリストになったとして、インタビューしたい人物を一人あげてください。そして、あなたが何故その人物を選んだのか、理由を簡潔に書いたうえで、その趣旨に沿うような相手への質問3点をあげてください」と設問した。

  リポートを提出した200人の学生がインタビューしたい相手として選ばれたトップは小保方晴子さん(「STAP細胞」研究者)。24人の学生が選んだ。主な質問は「STAP細胞の再検証実験により、STAP細胞の存在を証明する自信はありますか」というものだった。2番目に多かったのが、安倍晋三・総理大臣の23人。主な質問は「集団的自衛権の行使を憲法改正ではなく憲法解釈により容認した理由は」。3番目がサッカー選手の本田圭祐氏。主な質問は「優勝を目標に掲げて挑んだ今回のW杯の結果についての感想は」というものだった。学生のインタビューの相手は時代の世相を反映している。ちなみに、あの泣きの野々村竜太郎・元兵庫県議には8人の学生がインタビューを望んだ。

  2010年12月の課題リポートでも同じように、インタビューしたい相手を書いてもらった。4年前である。この時は188人の学生から回答を得た。1位が野球選手のイチローだった。主な質問は「どうしたらプレッシャーに打ち勝つことができますか」「セコイという質問にどう答えますか」だった。このセコイというのは外国人の眼で、内野安打を確実に稼いでいくイチローの野球に対して、ホームランの一発を期待する海外のファンの見立てをそのまま質問にしたのだろう。冒頭の課題リポートは7月下旬に提出してもらった。その後、予期せぬことが起きた。

  NHKスペシャル「STAP細胞不正の深層」(7月27日放送)の事前取材(同月23日)で、小保方氏を追いかけ、全治2週間のケガを負わせたと報道された。さらに、放送の9日後の8月5日朝、小保方氏の研究指導の中心メンバーだった理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長、笹井芳樹氏(52)が自殺した。NHK番組は、笹井氏が小保方氏の実験の不備を把握していたのに、それを怠ったのではないかとする内容の、責任追及もしていた。また、笹井氏と小保方氏の2人が交わしたメールの文章を読む声がなんともに2人の「特別な関係」の雰囲気を与える印象だった。

  NHKスペシャルの取材班としては、どうしても小保方氏のインタビュー(肉声)を撮りたかったのだろう。そして、ホテルに駆け込んだ小保方氏を逃がすまいと記者・カメラマンを含め4、5人で囲んだのだろうことは想像に難くない。事件を報道した新聞・テレビのニュースを読み比べると、「そこまで追い詰める必要はあったのか」との論調が多い。小保方氏にとっては、ケガをしたのだから「報道被害」ではある。今、学生たちに同じインタビューをしたい相手は誰かと尋ねれば、おそらく「NHKスペシャルのプロデューサー」だろう。その質問の趣旨は「そこまで小保方さんを追い詰め、どんなインタビューの返事を期待したのか」ではないだろうか。

⇒6日(水)夜・金沢の天気  くもり

  

☆過疎化する世界の農村と向き合う‐下

☆過疎化する世界の農村と向き合う‐下

 そんな能登だけでなく、05年に世界農業遺産に登録されたフィリピン北部、イフガオ州の里山でも、同様の問題が起きていることがわかった。中村教授とフィリピン大学の研究者が旧知の仲だったこともあり、現地でワークショップを開催しイフガオの現状を話し合った。すると地元の町長が「過疎化が進み、耕作放棄された棚田が増えたため、美しい景観が失われつつあります」と。それは能登が直面してきた課題そのものだった。能登里山マイスター養成プログラムで培った知見を、なんとかイフガオで生かせないだろうか―。JICA草の根協力事業を通じて、金沢大学の挑戦が始まった。

                  イフガオ棚田、手さぐりながら人材育成が始まった

 中村教授らが着手したのは、「イフガオ里山マイスター」養成プログラムの設立だ。金沢大学のパートナーは、イフガオ州大学、フィリピン大学、地元自治体で構成する「イフガオGIHAS持続発展協議会」だ。まずは、学習カリキュラムの作成から。座学と実習の組み立て、農業や養殖、政策などの専門家による講義の手配、卒業課題の進め方などをアドバイスした。「プログラムを実施する地元の教員などの意見を聞き、現地に即した体制づくりを目指しています」と中村教授は話す。2ヶ月かけて、現地の大学、行政、住民代表らとの人材養成ニーズやカリキュラム概要をめぐる討論会をおこなってから、2014年2月には受講生の募集を開始した。約60人の応募者の中から、第1期生20人を迎えた。月2回、1泊2日の日程で1年間学ぶプログラムだ。年代は20~40代、職種も農家、大学教員、行政マン、主婦など、さまざまな経歴を持つ人が集まった。地元の農家、ジェニファ・ランナオさんは、「どうしたら村のみんなが豊かになれるのか学びたい」と参加した理由を話す。

 このプログラムでは、とにかく“考える時間”を受講生に与えるのが特徴だ。「棚田を荒らす外来種のミミズをどう駆除するか」「観光客を呼び込むにはどうすればいいか」「棚田でドジョウの養殖はできるか」…。どの講義日にも、受講生自身が挑戦したい取り組みを決めて、どうすれば実現できるのか、全員で話し合うようにしている。こういった学びを繰り返すことで、自らの課題を見つけ、解決する力が身に付く。

 「いつも受講生の熱意には感心します。伝統的な農業を守りながら、集落を発展させたいと、8時間かけて通っている人もいるんですよ」と、中村教授は、彼らの成長の可能性を感じているよう。受講生の一人、環境保全のボランティアに取り組んできたインフマン・レイノス・ジョショスさんは、「このプログラムでの学びを棚田の保全に生かし、地域の人たちにも伝えていきたい」と目を輝かせる。

 今年9月にはプログラムの一環として能登で研修を行う予定。イフガオと能登の若者たちが交流し、里山と農業の未来を語り合えば、新たな発見が生まれてくるはず―。世界農業遺産を守るため、国境を超えた連携が生まれている。

⇒7月18日(金)午後・金沢の天気    はれ

★過疎化する世界の農村と向き合う‐上

★過疎化する世界の農村と向き合う‐上

大学の同僚からその話を聞いたとき一瞬耳を疑った。ブータンの農村では若者の農業離れが目立ち過疎化が進んでいるというのだ。首都ティンプに出稼ぎにいったまま帰ってこない。道路網が整備され、観光など労働の在り様が多様化している。都市化したティンプへの一極集中らしい。GNH(国民総幸福)という言葉は、ブータンの代名詞となっている感があるのだが、どうやら現実は複雑なようだ。

 過疎化の話はむしろ日本で大問題となっている。衝撃的な試算が出された。このまま日本の人口が減ると2040年には896市町村が消滅し、全国の全国の1800市区町村の半分の存続が難しくなるとの予測をまとめた。人口推計は大学教授や企業経営者からなる民間組織「日本創成会議」の人口減少問題検討分科会が発表した(5月8日付の新聞各紙)。

 そして先日、総務省が発表した住民基本台帳に基づく人口動態調査(今年1月1日現在)によると、全国の人口は前年同期より24万3684人少ない1億2643万4964人(0.19%減)で、5年連続で減少した。少子高齢化の進行で、死者数(126万7838人)から出生数(103万388人)を引いた「自然減」は7年連続で増加し、過去最多の23万7450人だった。つまり、山形市(25万)、宝塚市(22万)、佐賀市(24万)、呉市(同)クラスの都市が一つ消えたくらいの人口減だ。こうした過疎化する農山漁村とどう向き合えばよいのか。能登とフィリピンのイフガオの棚田での取り組みを紹介する。JICA広報誌「mundi」7月号に紹介された金沢大学の記事を紹介する。

                  加速する能登の過疎化と人材養成プログラム 

 能登半島山の斜面に積み重なる緑の幾何学模様。その先に広がる青い海。石川県能登半島にある棚田、白米千枚田はまさに絶景だ。この棚田のように、山や森林などに人が手を加えながら自然と共生してきた地域を“里山”と呼ぶ。能登の人々は、近代化が進む中でも地域ぐるみで里山を守り続け、2011年には、国連食糧農業機関(FAO)から伝統的な農業の保全・継承を目指す世界農業遺産(GIAHS)に認定された。

 しかし、新たな課題に直面してきた。「若者が職を求めて都市部に移住し、過疎化が急速に進んでいます。集落の維持が難しい地域すらあります」。そう話すのは、金沢大学里山里海プロジェクトの研究代表、中村浩二特任教授。このままでは人口は減る一方、能登の里山を守る人もいなくなってしまう―。この危機を打開しようと07年に金沢大学が立ち上げたのが、能登里山マイスター養成プログラム(12年から「能登里山里海マイスター育成プログラム」)だ。

 目的は、森林の管理方法や環境配慮型農法、農産品の販売促進などを伝え、里山を守る人材を育てること。プログラムは1年間で、隔週土曜日。参加者は「能登の美しい里山を守りたい」と、能登だけでなく、意外にも全国各地から集まった。これまでに農業者をはじめ、会社員や行政マン、デザイナー、主婦など84人が修了。能登の荒廃地にクヌギの植林をして付加価値の高い炭を生産したり、地元の食材を使ったお菓子販売を始めたりと、里山を維持する新たな担い手が育ちつつある。

⇒7月17日(木)朝・金沢の天気  くもり

☆拉致問題、先読み-3

☆拉致問題、先読み-3

  北朝鮮は孤立すると日本に接近してくるようだ。中国との経済のパイプ役だった張成沢処刑以後、中国と北朝鮮は急速に悪化し北朝鮮側に打撃を与えているとも伝えられている。中国から北朝鮮への生活物資や軍の戦略物資が突然、禁輸になるなど、中国も恣意的に北朝鮮に圧力をかけているようだ。中国はまた、核を保有する金正恩体制の強権体質に不信感を募らせているとも言われる。もともと外交の道筋が読みにくい両国だが、その国同士の関係性となるとさらに読みにくい。

 今回の拉致をめぐる日朝交渉でいろいろとイメージが膨らむ。「安倍総理の電撃的な訪朝はあるのか」。つい先日も、マスメディアの友人たちと雑談を交わした。「ある」「ない」と意見は二手に分かれる。「ある」とする方は、安倍総理の外交の柱の一つであり、ある意味で悲願でもあるので、「訪朝するくらいの覚悟はできているだろう」と。今月8日で放送されたNHK「日曜討論」で、自民党の高村副総裁は「(安倍総理が訪朝する可能性は)ゼロでない」と語っていた。おそらく総理訪朝のメリット、デメリットなど当然検討されているのだろう。

 「ない」とする意見。アメリカは現在、北朝鮮が非核化に向けた具体的な動きを先に見せない限り、協議に応じない姿勢を崩していない。そこで、今回の北朝鮮の拉致をめぐる交渉で日本が独自に経済封鎖の解除に踏み切れば、それだけで日本とアメリカの協調にひびが入る。ましてや、安倍総理が電撃的に訪朝してパフォーマンを演じれば、「ただでさえ、ひび割れしちがちな日米関係にそれこそ亀裂が入る。安倍総理はそんなことはしないだろう」と。

 日本が拉致問題を優先すれば、核やミサイル問題を重視するアメリカや韓国からの反発を招くの必至だろう。経済封鎖の解除にしても、拉致被害者の実情がつかみにくい中で安易に譲歩すれば、協議は北朝鮮ペースで進む恐れもある。安倍総理はそこらあたりをわきまえていて、参院予算委員会(3月19日)で「北朝鮮という国は外交的な工作を巧みだ。善意が利用される危険性がある」とも述べていた。

 結局、総理の電撃訪朝は「ある」「ない」のどちらか。これはまったく根も葉もない個人的な意見だが、「ある」と読む。安倍総理は昨年12月26日に総理就任1年を迎えたその日、念願の靖国神社に参拝した。中国、韓国、そしてアメリカの反発・非難・懸念を見据えての参拝だった。特定秘密保法案、集団的自衛権など周囲が反対しても、リスクがあっても、自らの思いを通す。2002年9月、当時の小泉総理の訪朝に同行したのは安倍氏だった。その小泉の美学を見た。その拉致問題を完結させたいという思いは強いだろう。小泉とタイプは異なるが、安倍晋三という人もまた「政治家として美学」を求めているのかもしれない。だから「ある」の可能性がある。

⇒17日(火)朝・金沢の天気  はれ

★拉致問題、先読み‐2

★拉致問題、先読み‐2

 拉致被害者家族が高齢化し、「時間との戦い」といわれる。ことし3月、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時13歳=の両親(81歳と78歳)が、北朝鮮に住むめぐみさんの娘とモンゴルのウランバートルで初めて面会したというニュースは記憶に新しい。「もう残された時間は少ない」と考える安倍総理の決断によって、この場がセットされたとも言われた。その後、日本と北朝鮮は調査再開の本格的な交渉に入った。今にして思えば、今回の調査再開の前段の成果だったのだろう。

 話は変わる。能登半島には一連の拉致被害の第1号の現場がある。最近何度か訪れた。警察関係者の間では、「宇出津(うしつ)事件」と称される。1977年9月19日、東京都三鷹市役所の警備員だった久米裕さん(当時52歳)が石川県能登町宇出津の海岸で失踪した。当時事件を取材した元新聞記者から話を聞いた。

 久米裕さんは在日朝鮮人の男(37歳)と、国鉄三鷹駅を出発した。東海道を進み、福井県芦原温泉を経由して翌19日、能登町(当時・能都町)宇出津の旅館「紫雲荘」に到着した。午後9時。2人は黒っぽい服装で宿を出た。旅館から通報を受け、石川県警は能都署員と本部の捜査員を急行させた。旅館から歩いて5分ほどの小さな入り江「舟隠し」で男は石をカチカチとたたいた。数人の工作員が姿を現し、久米さんと闇に消えた。男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた署員に逮捕された。旅館からはラジオや久米さんの警棒などが見つかった。

 元新聞記者によると、この事件で石川県警察警備部は押収した乱数表から暗号の解読に成功したことが評価され、1979年に警察庁長官賞を受賞している。ただ、この事件は単に朝鮮半島に向けて不法に出国をした日本人がいたという小さな話題としてしか報道されなかった。以降、日本海沿岸部から人が次々と消える。この年の11月15日、横田めぐみさんが同じ日本海に面した新潟市の海岸べりの町から姿を消したのだ。

 警察は、乱数表およびその解読の事実を公開した場合は、工作員による事件関係者の抹殺など、事件解決が困難になるリスクもあると判断し、公開に踏み切れなかったともいわれる。当時、大々的に拉致問題として報道していれば、その後の被害者も最小限だったかもしれない。当時は外交による国交回復が望まれていた。そんな折、あえて事件化できなかったともいわれる。

 宇出津事件の現場を歩くと、不気味な感じがする。入り組んだ典型的なリアス式海岸で、急な坂道を上り下りする。夜は人が歩けるような状態ではない。だから、事件が起きたのだと実感する。あの外交問題の拉致事件の第1号ながら、有名な歴史スポットになってもよさそうだが、看板一つない。地元の人たちにとって、ここが観光地であり、拉致は歴史の汚点と考え、あえて明示したくないのかもしれない。

⇒31日(土)昼・金沢の天気   はれ

☆拉致問題、先読み‐1

☆拉致問題、先読み‐1

 少々の出来事では新聞やテレビを凝視しないが、このニュースには目を凝らした。29日、政府と北朝鮮が拉致問題の調査を再会することで合意したことだ。ニュースによると、ストックホルムで行われた日本と北朝鮮の外務省局長級協議で、北朝鮮が日本人拉致被害者の「包括的かつ全面的」な再調査の実施を約束し、調査開始時点で日本が独自に行っている制裁の一部を解除することで合意したと発表した、という。安倍政権が最重要課題と位置づける拉致問題が大きく展開し始めたことになる。

 安倍総理にとって拉致問題の解決は政治家としての「ライフワーク」とも言える。これまでの記憶をたどる。安倍氏は小泉内閣時に官房副長官と官房長官を務めた。2002年3月に官房副長官に就任し「拉致疑惑に関するPT(プロジェクトチーム)」を発足させ、さらにその年の4月には衆参院で「拉致疑惑の早期解決を求める決議」が採択された。その年の9月にあの電撃的な小泉訪朝が実現する。当時の金正日総書記と会談し、拉致を認めさせた。翌10月には蓮池薫さんら拉致被害者5人が帰国した。さらに2004年5月、小泉総理が再訪朝し、拉致被害者の子5人が帰国した。小泉氏が総理として爆発的な人気を得たのは、郵政民営化だけでなく、何と言ってもこの拉致被害者の帰国があったというのも大きい。当時、小泉訪朝を支えた安倍氏は一貫して「日本人拉致疑惑をうやむやにして、国交正常化などすべきではない」が持論だった。影の立役者だった。

 安倍氏が「小泉後継」として2006年に初めて総理になったのも、拉致問題で北朝鮮への毅然とした態度が評価されたのがきっかけだった。中国と韓国がかたくなに外交関係を拒んで改善の糸口が見えない中、安倍氏は自らのライフワ-クともいえる拉致問題で外交的な一つの成果を出したという気持ちがあるのだろう。おそらく、北朝鮮側との首脳会談、すなわち、安倍総理の電撃的な訪朝も想定しているのではないか。

 今回の調査再開合意、日本と北朝鮮の状況は実に当時と似ている。2002年、アメリカはイラン・イラクと共に北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んでいた。北朝鮮はアメリカの矛先が自国に向くと思い、アメリカと同盟関係にある日本に関係改善の糸口を見出していたと当時言われた。今回も孤立化する北朝鮮の外交の糸口をこの調査再開で掴みたいのではないだろうか。北朝鮮ニュースが面白くなってきた。

⇒30日(金)夜・金沢の天気  はれ

★資源戦争

★資源戦争

  ベトナム政府が公開した、南シナ海の西沙諸島の海域での中国艦船によるベトナム艦船への体当たりや放水のビデオ映像が日本のメディアでも報じられた。中国海警局の船がベトナム沿岸警備隊の船を追い回し、側面に衝突してくる様子は、尖閣諸島における、2010年9月の中国漁船による、日本の海上保安庁巡視船への体当たりシーンを思い出す。そうか、あれは漁船を装った中国の警備当局に仕業だったのかと。中国には体当たりのプロがいるのだ。

  北ベトナムとアメリカによる、いわゆるベトナム戦争の真っただ中の1974年、当時の南ベトナムが支配していた西沙諸島を中国人民軍が武力で確保し、「領土」とした。ベトナム戦争が終結した1988年には、さらに南沙諸島にも中国が進出し、統一ベトナムとの間で軍事衝突が起きた。中国は南シナ海のほぼ全域を覆うように「九段線」と呼ぶマーキングエリアを設定し、中国の主権と権益が及ぶと公言している。

  南沙諸島には100もの小島があり、ベトナムや中国、フィリピンがそれぞれ施設を建て、部分的に実効支配している。今回、中国が全域を実効支配している西沙諸島の沖合に中国が海底油田の掘削装置を持ち込んだため、ベトナムが猛反発した。中国の南シナ海への進出は、石油や天然ガスの資源獲得が狙い、つまり、主権と権益をセットで確保することにあるのだろう。

  こうした中国の一方的な動きに世界が批判の目を向けている。アメリカ国務省の報道官は、中国が警備艇など公船をこの海域に送り込んでいることを「挑発的で緊張を高めている」と非難した(7日)。
  
  現在ミャンマーで開催されている、ASEAN(東南アジア諸国連合)の外相会議で、ベトナム沖の南シナ海で中国が石油掘削を始め、ベトナムの船舶と衝突していることについて、「南シナ海で現在進行中の動きは地域の緊張を高めている」として重大な懸念を示す声明を出たのは当然だろう。領有権争いに絡む全当事者に国際法の順守と平和的な解決を求める。
    
  翻って日本と中国。中国が尖閣諸島の領有権を主張したのは1971年と言われる。1968年に尖閣諸島での海底調査で、石油や天然ガスなどの地下資の可能性が確認されて以降のことである。この南シナ海の西沙諸島付近での油田掘削の動きが尖閣諸島付近でも再現される現実味が帯びてきた。西沙諸島付近での中国の動き、これは領土問題ではなく、「資源戦争」なのだと改めて考える。

⇒11日(日)朝・石川県珠洲市の天気     はれ

☆続々・国と人の尺度

☆続々・国と人の尺度

  外務省海外安全ホームページの中に「安全の手引き」があり、韓国の在釜山日本国総領事館が現地の交通マナーに関して、こう韓国を訪問する邦人に注意を呼びかけている。「交通マナーについても、依然として改善されず、信号無視や横断歩行者の妨害、オートバイの歩道走行などの違法行為や割り込みなどが日常茶飯事であり、いつ何時思わぬ被害に遭遇するか分からない状況にあります」(2013年1月)

  この件の事情を韓国メディアの掲載記事で検索すると、2013年9月23日付の中央日報WEB版(日本語)は嘆いている。経済協力開発機構(OECD)加盟国で交通事故死亡率1位(2010年基準)、人口100万人当たり死亡者は114人。「交通事故死亡者5392人のうち57.4%に当たる3093人が歩道と車道が区分されていない幅9㍍未満の生活道路で犠牲になった。高速道路や広い道路よりも住宅地周辺の狭い道がさらに危険なのが韓国の現実だ」と。ちなみに、同じ統計で日本では100万人当たり死亡者45人なので、韓国の死亡事故は日本の2倍以上となる。ただ、交通死亡事故の定義は日本は24時間以内で死亡した統計であり、各国との比較は微妙だが、それにしても韓国の死亡事故は多い。

  何を言いたいのかというと、安全に対する国と人の尺度に韓国と日本の違いあるのではないかとの推測である。それを交通分野で数値化すると上記の数字となる。上記の韓国紙によると、「高速道路や広い道路よりも住宅地周辺の狭い道がさらに危険なのが韓国の現実」とあり、日常の生活空間での交通事故死が半数以上を占める。とすれば、冒頭の総領事館が注意を呼びかている「信号無視や横断歩行者の妨害、オートバイの歩道走行などの違法行為や割り込み」は現実味を帯びる。

  しかし、振り返ってみると、日本は交通事故死者は4411人(2012年・警察庁統計)だが、1970年に1万6765人(同統計)の死者がいた。つまり、現在の4倍である。当時の人口は1億466万人なので、100万人当たりで計算すると160人となる。つまり韓国以上だった。この1970年をピークに減っていく。なぜか。当時は「交通戦争」と呼ばれるほどに社会問題だった。とくに飲酒運転による死亡事故が多く、2002年6月に改正された改正道路交通法により罰則など強化とともに社会的な交通安全への機運の高まり、2007年9月の飲酒運転のさらなる厳罰化、2009年6月の悪質・危険運転者に対する行政処分の強化など法による取り締まりが徹底された。国民も順守した。

  朴槿恵大統領がセウォル号沈没事故の遺族の前で「すべての悪弊を取り除いて、必ず安全な国をつくる」と述べた(4月29日)。おそらく韓国でも海難事故や交通事故、建築基準法など安全に対するさまざまな法的な取り締まりが今後立法化され、徹底されるだろう。問題はその法を守ろうとする国民の順法の尺度がどうなのか問われることになるだろう。

⇒5日(こともの日)午前・金沢の天気   あめ

★続・国と人の尺度

★続・国と人の尺度

  前回のコラムで書いた「国と人の尺度」で避けたい誤解は、人が行動を起こすのに必要な刺激量の限界値、つまり反応閾値(いきち)がそれぞれ違っており、埼玉県の県立高校で新入生の担任の教師4人が入学式を欠席しわが子の入学式に出席したことを、「まあ、それぞれでよいではないか」と是認しているわけではない。そこには別の社会的な尺度の「職業倫理」というものがある。これは前に述べた個人的な尺度とはまったく別物である。

  もちろん、4人の教師は無断欠席したわけではなく、校長に事前に届けていたので、「倫理」を問うというのはおおげさかもしれない。ただ、新入生の担任が入学式の当日にいないとなると、どうなっているのかと不審に思う保護者(父母など)もいるだろ。一方で、擁護する人は、教師は聖職者ではあるが、人の親でもあり、職業より私生活を優先させるケースがあったとしてもそう目くじらを立てることもない。それは、校長との話し合いでの上の判断なのだから、相当な理由があったはず、と。

  ここで注目すべきは、学校教師への見方が最近変わってきていることである。学習塾など教育産業が独自に発展して、学校の教師に対する親の期待値が相対的に低くなっているのではないか、あるいは教師の存在がが軽視される傾向にあるのではないか、という点である。先日も大きな話題となった、佐賀県武雄市が始める、学習塾「花まる学習会」と組んでの小学校の運営だ。授業に塾の教材やノウハウを取り入れ、研修を受けた学校の教師が教える。さらに、放課後と土曜日の補習には塾講師が招かれ、児童たちを指導する。校名には「武雄花まる学園」と名づけるまるでに入れ込んでいる。これは、同市の総務省出身、45歳市長の敏腕のなせる業(わざ)とはいえ、子を持つ親のニーズをつかんでいる。そして、好意的にNHKの夜7時のニュース番組(4月17日)でも取り上げられた。地域の教育関連ニュースが全国ネットで放送されるのは、ある意味で異例である。

  逆説的なのだが、NHKは視聴者のニーズをつかんで、価値のある全国ニュースと判断したのだろう。既存の学校教育(初等、中等、高等含め)に対し、行き詰まり感、あるいは閉塞感、不信感を持つ親が多いので、そうした現在の学校教育に風穴を開ける話題、あるいは一石を投としての「全国価値」である。

  話は元に戻る。今の社会の風潮は、埼玉県の県立高校で新入生の担任の教師4人が入学式を欠席しわが子の入学式に出席したというニュースが流れても、視聴者は「ああそうですか。お好きに」という風向きかもしれない。教師は「聖職者」ではなく、ごく普通の「公務員」である。しかし、ごく普通の公務員であっても、自らが担当する新入生を受け入れるセレモニーを欠席するだろうか。

  そして、これは大学の入学式の光景なのだが、新入生とその父母同伴の姿で会場で目立つ。しかも平日である。「職業倫理」という言葉はもはや通じなくなってきているのだろうか。

⇒4日(みどりの日)朝・金沢の天気    はれ

☆国と人の尺度

☆国と人の尺度

  韓国・珍島沖で沈没した旅客船「セウォル号」の事故からきょう30日で2週間となる。それにしても連日の報道は日本の放送で見る限り、韓国の安全性に対する認識の問題がクローズアップされている。が、私は日本のある出来事にむしろ注目している。

  今月上旬、埼玉県の県立高校で、それぞれ勤務校は別々だが、新入生の担任の教師4人が入学式を欠席した。その理由は、いずれも自分の子供の入学式に出席するため。式はいずれも8日にあり、4人はそれぞれ子供の小学校や中学校、高校の入学式に出た。4人のうち3人は女性教師だった。1人の男性教師は2人の子供の入学式が重なり、妻と手分けして出席したのだという。4人とも事前に校長に相談していて、有給休暇を取った。

  新入生の担任の教師なので、当然、入学式のセレモニーの後は、教室に担任と新入生の顔合わせがあったはずである。とすれば、今後の学校の決まり事や学習のことなどの説明は誰が行ったのか、と考え込んでしまう。ただ、担任と生徒の初顔合わせは、ある意味で儀式のようなものである。それを教育者として重要なことと感じるか、通過儀礼で気にすることはない、わが子の入学式に出席したいと感じるかは「人間の尺度」の問題だろう。

  この尺度というのは、閾値(いきち)という意味である。進化生物学者の長谷川英祐・北海道大学准教授の著書によると、アリは働き者のイメージだが、「働かないアリ」がいる。アリの7割はボーっとしており、1割は一生働かない。働き者で知られるアリに共感する我々人間にとって意外だ。しかも、働かないアリがいるからこそ、アリの組織は存続できるという。昆虫社会には人間社会のように上司というリーダーはいない。その代わり、昆虫に用意されているプログラムが反応閾値(いきち)である。昆虫が集団行動を制御する仕組みの一つといわれる。たとえば、ミツバチは口に触れた液体にショ糖が含まれていると舌を伸ばして吸おうとする。しかし、どの程度の濃度の糖が含まれていると反応が始まるかは、個体によって決まっている。この、刺激に対して行動を起こすのに必要な刺激量の限界値が反応閾値である。

  人間でいえば、「仕事に対する腰の軽さの個体差」である。きれい好きな人は、すぐ片づける。必ずしもそうでない人は散らかりに鈍感だ。働きアリの採餌や子育ても同じで、先に動いたアリが一定の作業量をこなして、動きが鈍くなってくると、今度は「腰の重い」アリたち反応して動き出すことで組織が維持される。人間社会のように、意識的な怠けものがいるわけではない。

  4人の教師はこうした人の儀式といったことには鈍感なのだろう。ただ、彼らには別の尺度があるはずである。たとえば、緊急避難時における統率力や、暴力に対する正義感などの強さである。教育はいろいろなシーンでそのチカラが発揮されてよい。

  翻って、韓国の「セウォル号」の事故のこの後の後手後手の政府、行政の対応はやはり国の尺度、つまり閾値の問題ではないのか。安全を重視する、船長たるもの乗客の人命を最優先する、混乱する現場をかく乱する行動は取らないといった「安全」という反応閾値がおそらくピンと来ないのだろう。しかし、「利益や栄誉」を得るために先取り気質で行動することは得意といった面がある。この両方を兼ね備えている民族や国民性というのは世界でそうないのではないか。知らない。そして、アリの社会と人間社会を比較しているわけではない。

⇒30日(水)午後・金沢の天気      くもりのち晴れ