#コラム

★廻り 焼香

★廻り 焼香

  これまでいくつかの通夜・葬儀に参列した。今回、初めて「廻(まわ)り焼香」というものを体験させてもらった。24日逝去された角間俊夫氏(享年75歳)の通夜が昨夜(2月26日)、金沢市鳴和台のセレモニーホールで執り行われた。

  角間氏は食品・酒類の総合商社「カナカン」の元会長。2001年から07年まで北陸朝日放送の社長をされ、その間、私は同局の報道制作局長として在任したことがあり、仕事上も人生の先輩としても教えを乞うた。そのとき感じたことは人脈の広さだった。金沢商工会議所副会頭、全国法人会総連合会筆頭副会長といった名誉職だけでなく、食品など手がけるビジネス上の深いつながりというものを感じた。こんな話をしてくれたことを思い出す。「私は金沢の郊外の角間(かくま)という山間地に実家があって、幼いころ近所のおばさんたちが柿やナシなど道行く人に売っていた。そのとき、柿10個を売る際に値引きをするのではなく、2個おまけをつけるという販売方法だった。売価を下げず、インセンティブを与えるやり方だった。そんな姿を見て、ビジネスに興味を持った」と。人の話によく耳を傾け、自らの言葉で語る人だった。

  人脈が深く広い人だったので、通夜の当日はセレモニーホールの近くの主要地方道が一時渋滞になるくらいに大勢の弔問客が訪れていた。受付を済ませると列につく。焼香台まで80㍍はあっただろうか。スピーカーから流れる僧侶の読経を聴きながらゆっくりと前へ進むのである。その列の中にはかつてのテレビ局時代の仲間や、地元選出の代議士や大学の学長の顔見知りもいて、立ちながら軽く会釈をして挨拶を交わす。読経が終わり、葬儀委員長(会社社長)の挨拶の言葉もスピーカー越しだった。そのとき、「大勢の方々に弔慰をいただき、廻り焼香というカタチにさせていただきました」と聴いて、そんな言葉があったのだと初めて分かった。午後5時に葬儀場に入って、焼香を終えたのは同34分だった。焼香を終えたらそのまま帰るのだが、次から次と弔問客が訪れている。確かにこの「廻り焼香」という形式にしないと会場は大混乱になると思った。

  この「廻り焼香」は初めて見た葬儀形式だったので、これは著名人ならではなのかと思ったら、そうでもないらしい。インターネットで「廻り焼香」を検索すると、福井県ではこの廻り焼香が多いと解説があるページを見つけた。地域のつながりが深く、通夜や葬儀・告別式の弔問客が多かった頃の名残として、廻り焼香の風習が今でもあるらしい。通夜や葬儀・告別式の開式前から参列し、焼香を終えた人から帰るもので、多くの弔問客が滞りなく焼香を済ませるための知恵だったが、葬儀が小規模化した今でも廻り焼香の風習は生きていて、参列者は焼香を終えたら帰るのが一般的だという。

  おそらくきょう正午からの葬儀・告別式にも大勢の方々弔問され、廻り焼香だろう。人脈が人の波になって弔問の列が途切れることはない。角間さんらしいお別れのステージである。

⇒27日(金)午前・金沢の天気  くもり  
  

☆ジャーナリストとギャング

☆ジャーナリストとギャング

  フランスのパリに本部があるジャーナリストによる非政府組織「国境なき記者団(RSF)」の調べによると、活動中のジャーナリストの死者数は昨年66人だった。2012年の87人を最高に毎年60人から80人が亡くなっている。記憶に新しいのは、2012年のシリアでの取材中、政府軍の銃撃により殺害された山本美香氏、2007年にミャンマーで反政府デモを取材中に銃撃されて死亡した長井健司氏らだ。ジャーナリスト、とくにメディア企業に所属しないフリーのジャーナリストはまさに命をかけた取材をしている。

  きのう(20日)、過激派組織「イスラム国」が日本人2人を人質に取り、2億ドル(230億円)の身代金を要求している国際事件は、「イスラム国」がインターネットに投稿したとされる映像から発覚した。人質にとられた日本人2人のうち、後藤健二氏はフリージャーナリストだ。メディアで繰り返し報道されている映像を見る限りでは、「イスラム国」のメンバーとみられる人物が日本政府に対して、72時間以内に身代金を払わなければ人質を殺害すると脅迫している。まさに、テロ行為そのものだ。 

  敵対する国々から人質を取って揺さぶりをかけるイスラム国の戦略だろう。アメリカでは去年8月以降、イスラム国に自国民3人を殺害された。1人目のジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏には1億ユーロ(137億円)の身代金支払いの要求があったが、アメリカ政府は支払わなかった。その身代金が組織の活動資金になるからだ。オバマ大統領はフォーリー氏が殺害された後から、「正義のための措置を取る」と述べ、掃討作戦を推し進めた。

  身代金の要求に応じれば、過激派組織がその国の国民を他国で誘拐・拉致してでも要求をエスカレートさせるだろう。報道によれば、後藤氏は去年10月、トルコを経由してシリアに入国し、「イスラム国」の本拠地であるシリア北部のラッカで取材中で、11月6日には戻るとされていたが、その後、連絡が取れなくなっていた。11月の初旬になって、後藤氏に家族に、「イスラム国」の関係者を名乗る人物から、メールが送りつけられ、「誘拐しているので、日本円で10億円の身代金を払え」と要求してきたという。日本政府が、海外の捜査機関に問い合わせたところ、このメールの発信元は、ジェームズ・フォーリー氏を殺害した、イギリス人なまりの英語を話す「イスラム国」メンバーと一致することがわかった。手口はギャングと同じだ。無事救出を祈りたい。

⇒21日(水)朝・金沢の転機   はれ

★草の根グローバリゼーション

★草の根グローバリゼーション

  昨年3月に購入し、「積ん読」状態にしていた『草の根グローバリゼーション 世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略』(清水展著・京都大学学術出版会)をこの正月三が日で読み切った。購入したきっかけは、本のタイトルだった。「草の根」と「グローバリゼーション」は相反するような言葉に思えるのだが、それをうまく統合して読み手のイメージをかきたてる。そして、本の終盤でその意味を謎解きし、「なるほど」と唸らせるのである。以下、勝手解釈で述べる。

  著者は京都大学東南アジア研究所に所属する文化人類学者。研究者の著書は読み辛いものなのだが、ジャーナリストのルポルタ-ジュを読んでいるような感覚でリズミカルに読めるのである。それは、本人が学術書というより、ルポを意識して書いているからだ。時には少し自らの感情も込めて。それは本人が第9章~「山奥どうし」の国際協力~で述べているように、1991年のフィリピン・ルソン島ピナツボ火山の噴火を目の当たりにして、それまでの文化人類学者の「冷静な観察」から踏み出して、「現場の問題と深くコミットしていくことを選んだ」といい、それを「コミットメントの人類学」「応答する(協働する)人類学」と称している。気が入っているから読みやすい、読ませるのである。ただ本人は「現場に深入りしたら研究ができなくなるかもしれないと恐れつつ」と躊躇したことも吐露している。

  本の主題はピナツボ噴火の被災地支援から同じルソン島イフガオの棚田を守る植林運動の2つのステージで関わった人々、村の現状をつぶさに観察すると、とてつもなくグローバル化していて、そして、その2つの支援活動に乗り出した兵庫県丹波篠山のNGOの活動の在り様が、フィリピンの山奥と日本の山奥のローカル同士の連携であり、「人々の生活をグローカルに再編成」であり、「希望の所在」と説く。

  著者がイフガオで関わった人々がユニークだ。イフガオ出身でOECD(経済協力開発機構)本部の国際公務員を辞して地元に戻ったキッドラット・タヒミック氏(映画監督)、その親友で植林運動を先導するロペス・ナウヤック氏ら。彼らは、先住民イフガオとしてのアイデンティティーを持ち、ローカルとグローバルを結び付けようと活動している。まさに「国際人」でもある。そして住民もまた香港、台湾、ドバイ、イスラエル、オーストラリア、カナダ、アメリカ、イギリスなどへと家事手伝い(DH)、介護人、技師、職人、労働者として「海外出稼ぎ」に行く。しかも、英語ができる大学卒の高学歴者が海外就労に出かける。

  私はこれまで4度イフガオに出かけている。「グローバル」という言葉を現地で体感することがある。それは、村長であっても、学生であっても、スピーチがとても洗練されていることからも感じる。取って付けたような「田舎臭い」言葉ではなく、自己の置かれた立場の紹介、自分が分析するイフガオの現状の説明、自分ができることの可能性の3点をさらりと述べるのである。スピーチだけではない。フォーラムやワークショップといった発表の場づくりは色あいのよい看板、花飾り、民族踊りのアトラクションといった「場の演出」が必ずある。そして会場の雰囲気に堅苦しさがない。

  著者の結論が第10章~草の根の実践と希望-グローバル時代の地域ネットワークの再編~でまとめてある。6つの節のタイトルが面白い。「1・宇宙船地球号イメージ」「2・共有地の悲劇、あるいは成長の限界」「3・暗い未来に抗して」「4・グローバル化と地域社会」「5・『グローカル』な生活世界」「6・遠隔地環境主義の鍛え直し」。日本人の多くは地域は少子高齢化で廃れると思い込んでいる。ところが、イフガオでは農業離れによる棚田の存続という問題を草の根のグローバル化(人々の海外出稼ぎやNGOとの連携)をとおして、国境を越えて日本やアジアや中東、欧米と結ばれるネットワークをつくることで問題解決しようと外に向けて努力しているのである。本章の締めくくりで筆者が述べている。「草の根の小さな実践を導き切り開く、希望の所在である」。これは日本のローカル課題の解決に向けたヒントではないだろうか。

⇒4日(日)未明・金沢の天気     くもり

  

☆新幹線とリスク回避

☆新幹線とリスク回避

  ことし3月14日に新幹線が金沢まで開業する。東京駅から長野駅を経由して2時間28分の予定。現在は東京駅から金沢駅間は在来線越後湯沢経由で上越新幹線に乗り換えて3時間47なので1時間19分の短縮となる。呼称も今の長野新幹線から「北陸新幹線」に統一される。

  金沢市内の文教地区と称される一等地でテナントビルが解体されて空き地になっていたが、年末に「APA マンション・プロジェクト始動」という看板が立った。あのアパグループの帽子の女性社長の顔写真つきだ=写真=。「マンション・プロジュクト始動」との謳い文句なので、それなりに立派なマンションが建設されるのだろう。素人の見立てで、敷地はざっと1000坪ほどだろうか。金沢といえば、マンション需要より戸建て需要が強いのだが、いったい誰が買うのだろうか。

  確かに、北陸新幹線開業にともなってここ数年、金沢駅周辺のテナントや、飲食店向きの物件家賃が上昇しているともいわれる。宅地の地価も2013年前半からプラスに転じるところも出てきて、上ぶれ傾向にある。しかし、金沢駅周辺にはすでに単身向けマンションなど次々と完成していて、好調な販売が続いていると地元紙でも報じられている。地方のミニバブルの様相なのだ。もともとアパグループは、都市開発、建設業を中心に金沢に本社(後に本社・東京・本店・金沢)を構えていたので、金沢を含め北陸の不動産の動きには熟知していて、金沢駅と離れたところでも物件の需要は見込めるのだろう。

  以下、知り合いに不動産業者から聞いた話である。北陸新幹線の金沢開業にともなってのマンションのニーズは、金沢にあるのではなく東京にある。買っているのは首都圏の人たちなのだと言う。相続税対策や投資目的などさまざま。中には、いつかは来るであろう首都圏の震災を意識したセカンドハウス目的もあるという。そうなると購買層は富裕層に限られる。不動産業者は「金沢のマンションを見に来た人は、東京でいざというときに学校の体育館での避難所生活には耐えられないと言っています。金沢は雪は降るけど災害が比較的少ないと思われているので避難場所なんです。それが新幹線でぐっと身近になったということではないでしょうか」と解説してくれた。

  首都圏や関西の人たちとは違い、金沢の人は確かに震災に備えるという意識は薄いのかもしれない。金沢はいま、アパグループに限らずマンションの建設が盛んだ。それが「リスク回避というニーズ」にあるとしたら、そのニーズを今後どのように読んでいけばよいのか。

⇒3日(土)朝・金沢の天気      ゆき   

★ブログ955回目

★ブログ955回目

  このブログ「自在コラム」を2005年から始めて今回で955回目のアップロードとなる。当初は毎日にように書いていたが、最近では「気まぐれ」に書いている。毎回1000字以上を目標にして、写真やイラスト(著作権フリー)を1、2枚掲載するといういたってシンプルな体裁だ。

  政治・選挙からマスメディア、金沢大学のキャンパスでのことなどいろいろとネタにしてきた。それでも、ネタのトレンドというものがある。たとえば、2006年からは、能登に関することが増えいる。これは私の大学での業務が能登と関わることになったかからだ。これに関しては、2014年12月28日付の「★2014 ミサ・ソレニムス~5」で経緯を紹介した。「能登半島 里山里海自然学校」や「能登里山マイスター要請プログラム」などがキーワードとなる。

  そして、2008年から国際会議や国連機関と里山が動きが出ている。「国連生物多様性条約第10回締約国会議(COP1)や「世界農業遺産(GIAHS)」「里山イニシアティブ」がキーワードだ。2013年ごろからはフィリピンのイフガオ棚田と能登里山里海マイスター育成プログラムの動きがブログのテーマになっている。ある意味でダイナミックなネタなのだが、ブログというより「報告」、リポート化していて面白味は薄れてしまっているのかも知れない。

  もともと、ブログを始めたきっかけは、秋田県のテレビ局の友人から勧められたものだ。インターネットに先見の明がある人物で、「宇野ちゃんはテレビ局を辞めて大学に入ったのだからいっしょに新しいことを始めようと」と当時まだ勃興期だったブログに誘ってもらった。もう10年前のことだ。その彼は、数年でブログを引退し、ミクシィ、ツイッター、フェイスブックとトレンドに乗って今でもどんどんと発信している。彼はもう61歳だ。

  私はブログ一本で955回目というわけだ。彼とは違って、インターネットの世界に入り込みたい、身を置きたいというわけではない。どちらかというと、書くことが好きでブログを続けているという感じだ。最近ではブログのことを周囲には「備忘録」とも称している。さあ、これからどうする。目指すは、まずは「1000回」なのだが、ネタがあるうちは続けよう。

⇒2日(金)朝・金沢の天気   ゆき
  

☆元旦の「雪すかし」

☆元旦の「雪すかし」

   元旦の朝、少々驚いた。一気に30㌢余りの積雪だ。昨晩(19時ごろ)は雨は降っていたが積雪はなかった。真夜中に雪に変わったのだ。天気予報では、「石川県内は31日夜から年明け2日にかけて冬型の気圧配置が強まり、北陸地方は荒れた天気となりそう。31日夜からから1日にかけて予想される最大風速は陸上で12㍍、1日の午後6時にかけて予想される24時間降雪量は山間部を中心に多いところで80㌢、平野部の多い所で30㌢の見込み」となっていたので、予報が的中した。

   8時すぎ、近所の方々の「雪すかし」が始まった。雪すかしは除雪のこと。スコップで敷地や玄関先の道路を除雪する。平面に積もった雪を空き地に立体的に積上げるのである。「おはようございます。ことしも一年よろしくお願いします」と新年のあいさつを兼ねたあいさつだ。こういう近隣のあいさつは近所付き合いの上で大切なので、当方ももちろん通りに出て、雪すかしのあいさつをした。「ことしもよろしくお願いします」(当方)、「それにしもよく積もりましたね」(近所)、「天気予報では10年に一度の大雪とか言ってましたが、その通りになりましたね。3日ごろまでこんな感じで降りそうですよ」(当方)、「いつもの雪より軽くて楽やけど、ことしの正月三が日は雪すかしで終わりやね(笑い)」(近所)、「本当ですね。ことしもよろしくお願いします(笑い)」(当方)

   たわいもない言葉交わしの中に、日常のさまざまな情報や感情がこもっている。確かに、今回の雪は12月のベトベトした雪より、軽いのである。地上の気温が下がったせいか、綿のような雪だ。ややパウダースノーに近いと表現したよいかもしれない。「正月三が日は雪すかしで終わりやね」は意味深である。「これだと初詣がぜいぜいで、外出もままならない、何とも手のかかる(労力のいる)雪すかしだけのつまらない正月ですね」と天気を恨んでいるのである。

   ところで、ご近所では雪すかしに暗黙のルールがある。まず、第一に道路の除雪は家の間口を決まりとする。つまり、道路に面する家の敷地が幅となる。10㍍あれば、10㍍の雪すかしとなる。しかし、道路に面している敷地でも、角地で玄関が横道に面している場合は横の道路が間口となる。玄関側の道路を「雪すかし」すればよいのである。道路に面した2方向を除雪する必要はない。

   また、道路の除雪は全面除雪ではなく、おおむね歩行者側の幅でよい。車が走る中央部は除雪しなくてよい。通学の子どもたちへの配慮のようなものだ。また、除雪は側溝に落としてもよい。もちろん、これは私が住む金沢市全体の暗黙のルールではない。街の成り立ちや町内会の歴史、町内会を構成する人々の顔ぶれに、高地低地の地域的な積雪量、面する道路が県道か国道か市道かによっても違い、まして道路幅にもよるだろう。それぞれの決まりごとはちょっとした条件で異なり、無理せず長く続くルールづくりが歳月をかけてつくられてきたのである。

⇒1日(木)朝・金沢の天気     ゆき   

★2014ミサ・ソレニムス~7

★2014ミサ・ソレニムス~7

  このシリーズの締めくくりに家族のことを記す。ことし2月11日に妻・良恵(享年55歳)が逝去した。10歳のころより茶道(表千家流)をたしなんでおり、その立ち居振る舞いに凛としたものがあった。2012年6月ごろ、右の胸に「しこり」があると言い、金沢市内の乳腺クリニックに行き、抗がん剤治療をした。同年11月に右胸の切除と再建手術を行った。しかし、翌2013年9月に肺への転移が見つかった。切除したものの、10月にはさらに脳への転移が見つかり、転移が拡散したのだった。

  亡くなった後に我が家を改めて見渡すと、種々のお茶花が庭にあり、想いを込めて完成させた茶室があった。私は草むしりをしていると心が落ち着くので、季節を通じて土と向き合う。ただ、お茶花に造詣がないので、うっかりと妻が丹精込めたものを根ごと抜いてしまい、よくしかられものだ。今後同じ轍を踏むまいと、これまでの罪滅ぼしの意味も込めてフラワーマップをつくっている。四季がめぐるたびに、その可憐な花を愛でてやりたいと思っている。

  ことし12月7日、我が家の茶室=写真=で、妻の追善茶会を開いた。招いたのは金沢大学の文化資源学の研究者と留学生(修士課程)たちだった。実は昨年の11月に、同じく研究者と留学生を招き茶会を開き、妻が日本の茶道について英語で解説した。妻は「来年も留学生のみなさんのために茶会が開けたら」と楽しみにしていた。今回、妻の追悼の意味を込めて、昨年の参加者を招いて追善茶会を開いた。茶会には3人の協力を得た。妻の親友で茶人の稲垣操さん、山本泉さん、そして北陸大学の英語の講師をされて自らもお茶をたしなんでおられる小川慶太さん。今回、小川さんに茶道に関する通訳をお願いした。参加者にお点前をしてもらい、シャカシャカという茶筅(ちゃせん)の感触も楽しんでもらった。昨年と同様和やかな雰囲気の茶会となった。亡き妻の願えかなえることが何よりの供養だとおもった。

  2月の妻の臨終に立ち合うことができた。脈拍、心拍数がどんどん落ちていく。臨終を告げられたのは午後8時50分だった。そのとき、左目から涙がひとしずく流れた。死の生理現象なのかもしれないが、その涙の意味をそれからずっと考えていた。若くして逝った悔し涙だったのか、などと。以前読んだ、ジャーナリスト・ノンフィクション作家の立花隆氏の『臨死体験』『証言・臨死体験』(文藝春秋社)が書斎にあるのを思い出し、ページを再度めくった。数々の臨死体験の中で、光の輪に入り、無上の幸福感に包まれるという臨死体験者の証言がある。立花氏は著書の中で「死にかけるのではなく本当に死ぬときも、大部分の人は、臨死体験と同じイメージ体験をしながら死んでいくのではないか」と推定している。もしそうであれば、あのときの妻の涙は光の輪の幸福に包まれ流した涙ではなかったのかと最近思うようになってきた。いや、そうであってほしいと思っている。

⇒30日(火)午前・金沢の天気    くもり
  

  

☆2014ミサ・ソレニムス~6

☆2014ミサ・ソレニムス~6

  フィリピンのルソン島、マニラから北へ車で8時間ほどでイフガオに着く。ことしは2度訪れた。3月と11月。JICA草の根技術協力事業「世界農業遺産(GIAHS)『イフガオの棚田』の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援事業」(通称:イフガオ里山マイスター養成プログラム)。イフガオの棚田は、ユネスコの世界文化遺産(1995年登録)、そして世界農業遺産(2005年認定)にもなっているが、若者の農業離れや都市部への流出により、耕作放棄地の増加が懸念され、独自の生活・文化を継承していく人材の養成が急務となっている。

  ~ フィリピンのイフガオと能登から発信する若者と里山の未来 ~

  そのため、金沢大学がフィリピン大学オープン・ユニバーシティ、ならびにイフガオ州大学と連携し、能登で実践している人材育成のノウハウを「イフガオ里山マイスター養成プログラム」として、現地の実情に応じた、魅力ある農業を実践する若手人材を養成するプログラムを実施している。地域での問題解決をソフト事業として移出するモデルとしても注目されている。

  3月25日にイフガオ州大学で、受講生20人を迎え開講式を執り行った。受講生は、棚田が広がるバナウエ、ホンデュワン、マユヤオの3つの町の20代から40代の社会人。職業は、農業を中心に環境ボランティア、大学教員、家事手伝いなど。20人のうち、15人が女性となっている。応募者は59人で書類選考と面接で選ばれた。

  受講した動機について何人かにインタビューした。ジェニファ・ランナオさん(38)=女性・農業=は、「最近は若い人たちだけでなく、中高年の人も棚田から離れていっています。そのため田んぼの水の分配も難しくなっています。どうしたら村のみんなが少しでも豊かになれるか学びたいと思って受講を希望しました」と話す。インフマン・レイノス・ジョシュスさん(24)=男性・環境ボランティア=は、「これから学ぶことをバナウエの棚田の保全に役立てたいと思います。そして、1年後に学んだことを周囲に広めたいと思います」と期待を込めた。ビッキー・マダギムさん(40)=女性・大学教員=は、「イフガオの伝統文化にとても興味があります。それは農業の歴史そのものでもあります。そして、イフガオに残るスキル(農業技術)を紹介していきたいと考えています」と意欲を見せた。

  9月には受講生のうち10人が能登で研修を受けにやってきた。ツアー前半のハイライトは能登見学だった。輪島市の千枚田では、棚田のオーナー田を管理する白米千枚田愛耕会の堂前助之新さんがオーナー制度の仕組みを説明。イフガオ受講生は愛耕会のメンバーの手ほどきで稲刈りを体験した。イフガオの稲は背丈が高く、カミソリのような道具で稲穂の部分のみ刈り取っており、カマを使って根元から刈る伝統的な日本式の稲刈りは初めて。イフガオの民族衣装を着た受講生たちは、収穫に感謝する歌と踊りを披露した。歌声は田んぼに響き、楽しく、そして美しいと感じる稲刈りとなった=写真・上=。

  能登ツアーの後半のハイライトは、能登のマイスター受講生やOBとの交流である。20日と21日は能登里山里海マイスター育成プログラムの2期生の修了課題発表会(22人発表、通訳・早川芳子氏)に参加し、能登マイスターの受講生の環境に配慮した米作りや、土地の食材を活かしたフレンチレストラン、古民家の活用などついて耳を傾けた。21日午後からはイフガオ里山マイスターの受講生5人が現在取り組んでいる「ドジョウの水田養殖」や「外来の巨大ミミズの駆除・管 理」などについて発表した。これに能登の受講生やOBがコメントするなど、研究課題の突き合わせを通じて、相互の理解を深めた。

  11月、イフガオを訪れて受講生のプレゼンに磨きがかかっているのに驚いた。受講生たちの研究の中間発表がイフガオ州知事らを前に開かれた。アマラ・ダーエンさん=民間事務職員=の研究テーマは「伝統的な薬用植物」。イフガオの集落の多くは人里離れており、伝統的な薬用植物を自前で調達してきた。咳止めや糖尿病に効くといわれる薬用植物を10種類採取し、専門家の意見を聞きデータ収集。市販も視野に。ジェネリン・リモングさん=自治体職員(農業)=の研究テーマ「市販飼料と有機飼料による養豚の比較」。市販の飼料による 養豚より、伝統の有機飼料の養豚の方がコストも発育も優れていることをデータにより示した。マリヤ・ナユサンさん=保育士=の研究テーマは「離乳食に活用する伝統のコメ品種」。保育士の立場から、離乳食の歴史を調べる。乳児の発育によいイフガオ伝統コメ品種を比較調査している。マイラ・ワチャイナさん=家事手伝い・主婦=の研究テーマは「伝統品種米の醸造加工」。親族が遺した伝統のライス・ワイン製造器を活用し、イネ品種や、イースト菌の違いによる酒味やコクを調査。売上の一部を棚田保全に役立てる販売システムを検討している。発表は理路整然として、そして熱意があった。イフガオ州知事のハバウエル氏=写真・下=が「州の発展に役立つものばかりだ。ぜひ実行してほしい。予算を考えたい」と賛辞を送った。

 イフガオの棚田で若者たちの取り組みの姿がほのかに見え始めた。若者の農業離れは、日本だけでなく、東アジア、さらにアメリカやヨーロッパでも起きていることだ。一方で、農業に目を向ける都会の若者たちもいる。パーマネント・アグリカルチャー(パーマカルチャー=持続型農業)を学びたいと農村へ移住してくる若者たち。ただ農業の伝統を守るだけではなく、伝統の上に21世紀の農業をどう創り上げていくか、その取り組みが能登とイフガでも始まったのである。

⇒29日(月)朝・金沢の天気   ゆき

★2014ミサ・ソレニムス~5

★2014ミサ・ソレニムス~5

  金沢大学では地域連携推進センターに身を置いて、よく珠洲市に通っている。知人や友人にそのことを話すと、「能登半島の先端で何をしているのか」とよく問われる。きょうはそのことを述べたい。金沢大学が三崎町の旧・小泊小学校の施設を珠洲市から借りて、「能登学舎」=写真・上=を開設して来年で9年目となる。2006年6月、生物多様性調査プログラム「能登半島 里山里海自然学校」を奥能登でスタートさせるための拠点を探していた。当時、珠洲市から紹介された旧校舎の背後に田畑や山林があり、3階の教室の窓からは海が眺望でき、「この場所こそ里山里海を学ぶ環境にふさわしい」と直感したものだった。

    ~ なぜ能登に通っているのか、能登にはすべきことが多様にあるから ~

 金沢大学では角間キャンパスの丘陵地に「角間の里山自然学校」(開設1999年)を設け、教育と研究、社会貢献を推進する「里山里海プロジェクト」(研究代表・中村浩二特任教授)を進めてきた。「能登半島 里山里海自然学校」は能登半島への第一歩だった。里山里海自然学校で実施したことは、生物多様性(植物・昆虫・鳥類・水生生物・キノコなど)の調査を市民と常駐する研究スタッフ(博士研究員)がいっしょになって調査するオープンリサーチ(協働調査)という手法だった。休耕田を利用した水辺ビオトープづくりや、雑木林を整備するキノコの山づくりを、地元のみなさんと進めてきた。このほか、トキやコウノトリが舞う能登の里山復興を目指した基礎研究や、「旅する蝶」アサギマダラの調査を通じた子供たちへ環境教育、郷土料理を通じた食育活動など多岐にわたった。こうした珠洲市の市民の協働活動の実績を踏まえて、NPO法人能登半島おらっちゃの里山里海が2008年に設立された。

 能登は里山里海の自然資源、多様な生業(なりわい)とそれに伴う伝統行事や文化に恵まれているが、一方で過疎・高齢化などの問題に直面している。こうした地域の課題に対応し、地域活性化や再生に活かす地域人材を育てる事業が、2007年に能登学舎でスタートした「能登里山マイスター養成プログラム」だった。養成対象は社会人(45歳以下)で、5人の教員スタッフが駐在して指導している。2年間のカリキュラムで講義と実習を通し、環境配慮の農業や農産物に付加価値をつけて販売する「6次化」のノウハウや、地域の伝統文化や海や山の自然資源をツーリズムへと事業展開する方法などを学ぶ。2012年3月までの5年間で62人が修了、うち14人が県外からの移住者だった。地元自治体(珠洲市、輪島市、穴水町、能登町)から事業継続の要望があり、2012年10月から後継事業として「能登里山里海マイスター育成プログラム」を実施している。首都圏から能登空港を経由して通う受講生や金沢方面からの受講生も増えたため、濃縮したカリキュラムに工夫して月2回・1年間のコースに改編した。2014年9月まで7年間通算して107人の修了生が能登学舎を巣立った。

 ほかにも、里山里海の「いきもの」と人々の繋がりを伝える「能登いきものマイスター養成講座」や、3年間で1000人の学生や研究者を能登に呼び込む調査交流を目的とした「のと半島里山里海アクティビティの創出」などの事業を実施した。こうした人材養成や交流活動の実績が、能登の里山里海とその文化を「SATOYAMA、SATOUMI」として世界に発信する事業活動へと展開している。

 能登学舎を訪れた2人の国連関係者の方を紹介する。まず、アフメド・ジョグラフ氏。2010年の国連生物多様性条約第10回締約国会議(COP10、名古屋市)の事務局長を務められた方で、2008年9月に能登半島を視察された折に、能登学舎で「能登里山マイスター養成プログラム」の自然と共生する人材養成の取り組みに耳を傾け、「里山里海自然学校」が造成したビオトープを視察した=写真・下=。続いて、国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(世界重要農業遺産システム=GIAHS)の創始者で事務総長だったパルビス・クーハフカーン氏は2010年6月視察に訪れた。COP10では、日本からの提案で「SATOYAMAイニシアティブ」が採択され、日本の里山が注目されるようになった。2011年6月、FAOの世界農業遺産に「能登の里山里海」が日本で初めて佐渡とともに認定さた。認定に先立つFAOからの現地視察で、生物多様性など自然との調和を掲げた農業人材の育成に取り組む「能登里山マイスター養成プログラム」が、GIAHSコンセプトである持続可能な地域社会づくりに寄与するとして、高い評価を受けた。

 こうした流れを受け、2010年より、国際協力機構(JICA)の研修「持続可能な自然資源管理による生物多様性保全と地域振興~SATOYAMAイニシアティブの推進~」が石川県で実施され、能登学舎は受け入れ拠点の一つとなっている。里山里海プロジェクトの活動の評価と実績が認められ、2013年度からのJICA草の根技術協力事業として、「フィリピン『イフガオの棚田』の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援」事業が採択され、能登で培われた人材養成の手法が海外へ移出展開することになるきっかけとなった。

 2014年8月、能登学舎を拠点に「学長と行く能登合宿」が実施された。2泊3日で学生40人余りが能登学舎周辺の小泊地区を中心としたお宅に民泊をさせていただきながら、山崎光悦学長と学生が珠洲市の山林で草刈りなど保全活動を体験した。山に入り作業を行うのはほとんどの学生たちにとって初めての経験だったが、チャレンジする心、精神力というものをこの場で得たようだ。能登の里山里海のフィールドを学生たちの「人間力」を鍛錬する場としても今後とも活用していく計画。これは「COC(地<知>の拠点整備事業)と呼ばれるプロジェクトの一環で、学生たちが地域に学び、地域のニーズと大学の研究を結ぶことで地域の課題解決を目指す、また、社会人の生涯教育を充実させる、3つのプログラムが成っている。珠洲市役所に隣接してCOC事業のサテライトプラザが新たに開設された。今後、金沢大学の学生・研究者が珠洲に行き交う光景がさらに増えることになる。

 2014年10月、珠洲市により寄付された「能登里山里海研究部門」が新たに金沢大学に設けられ、特任准教授と特任助教が能登学舎に着任した。これまでも、能登の里山里海研究を推進してきたが、これらの成果を活かし、さらに多様な専門性をもつ研究者の参画を得て、「能登の里山里海」の学際的評価を行うことになる。とくに、地域の自然や文化資源の調査活動などを通して、地域社会の活性化や自然共生型のライフスタイル、持続可能な地域社会と人づくり、里山里海をテーマとした国際的なネットワークの構築、地域課題の解決に向けた政策の提言などを目指す。こうした研究の成果をシンポジウムなど通じて、市民や行政に還元していく。

 能登学舎から見える里山里海の風景が心なしか明るくなっているように思えます。それは人の往来が少しづつではあるが、にぎやかになっているからだ。県内外、国内外の人々が能登を目指して、学びにやってきている。もうしばらくは能登通いが続く。

⇒28日(日)正午・金沢の天気  くもり

☆2014ミサ・ソレニムス~4

☆2014ミサ・ソレニムス~4

ニュースの仕入れ先は新聞やテレビという時代は確実に終わったようだ。ただ問題がある。先のブログでも紹介した、11月18日に実施した金沢大学の学生131人の意識調査の話にもう一度戻る。

   ~ ニュースなど情報の仕入れ先はインターネットだが、その信用度は別物 ~

 
 「ニュースの情報は主に何を使って収集していますか」という質問に対しては、「テレビ」が50.4%、「インターネット」が43.5%。この2つで9割を超え、新聞は6.1%だった。インターネットでニュースを仕入れる人のうち、「検索サイト(Yahoo!、Googleなど)」を使うのは82.1%、「ツイッター」を使うのは10.4%だった。さらに、「複数のメディアを使ってニュース情報を収集していますか」との問いには、77.9%が「はい」と答えたが、その組み合わせはやはり「テレビとインターネット」が最多で72.5%と圧倒的だった。

 ところで、「新聞を購読していますか」という質問に「はい」と答えたのは30.5%で、そのうち自分で購読している学生は30.0%、家族が購読している学生は62.5%だった。購読しない理由は、「お金の問題」が43.2%を占め、「他のメディアで十分」「時間がない」がそれぞれ19.3%だった。しかし、「もっとも信頼できるメディアは何だと思いますか」という問いには「新聞」との答えが43.1%と最多だった。続いて「テレビ」が35.4%で、「インターネット」は10.8%だった。玉石混交の情報がある中で信憑性も見分けれないという状態に陥っている。

  若者はインターネットという便利な百科事典を持っているようなものだ。携帯電話などの通信費が毎月かかり、その携帯電話でニュースを読めるならわざわざ新聞は購読しないだろう。しかし、その情報の信用性については学生も悩んでいるのではないかと推察する。便利だけれど、どこまで信じればよいのか。だから、新聞社のクレジットがついているニュースを読む傾向もある。

  では、テレビに対する学生の意識はどうか。「1日のテレビの視聴時間は」という質問には、「1時間以上3時間未満」が40.5%、「1時間未満」が37.4%で、「ゼロ」という学生も15.3%いた。「今のテレビについてどう思いますか」(回答は自由記述方式)という質問には、「図などを作ってわかりやすくなっていると思う」「情報をいち早く伝えている」などの肯定的な意見は少なく、「似たような番組ばかりで多様性がない」「つまらない」「意見の偏りを感じることがある」など否定的意見が実に多数を占めた。

  文字情報より映像情報が分かりやすいというのがテレビの魅力だろう。しかし、その時間にリモコンのボタンを押さなければならないし、ダビング(録画)も面倒で結構忘れる。一長一短だ。しかも、番組に多様性が感じられない。どのチャンネルも同じような内容だ。そう感じる学生たちのテレビへのスタンスは厳しいものがある。テレビ番組がインターネット化でも自由に視聴できるように、アーカイブ化の取り組みなどこれからが勝負どころだろう。もちろん、ライツ(著作権)という大きなハ-ドルがある。

⇒27日(土)夜・能登地方の天気    はれ