#コラム

★観光の危機管理

★観光の危機管理

   JICA国際協力機構が開催した観光政策を課題とする研修会の研修成果発表会が2日、金沢市内であり、コメンテーターとして招かれた。一行は、アジアやアフリカなど11ヵ国から観光政策に携わる国・地方自治体の行政マン13人。9月26日から石川を始め、富山、東京、京都、奈良で現場を視察し、現場の担当者と意見を交してきた。

   石川では金沢のほか、能登を巡った。雨宮古墳(中能登町)、巌門(志賀町)、総持寺(輪島市)、塩田村(珠洲市)、能登ワイン(穴水町)、のとじま水族館(七尾市)など見学した。巌門では、貝の土産品店で地元で採れた貝をブローチなど工芸品や、輪島の海女が採ったアワビの殻を加工してさらに付加価値の高い装飾品など見入った。そのほか、観光施設の展示方法やツーリズムの組み立て方、エコツーリズム(生物多様性など)のノウハウなどに質問し、熱心にカメラを向けていた。

   その研修の仕上げとして、自国の観光政策として活かす「アクション・プラン」を組み立て、政策の概要、実施スケジュール、実施予算の見積もりまでを発表した。その間で、テーマとして上がったのか、「観光地の危機(リスク)管理」だった。チュニジアの観光省の事務局長はこう話した。同国には、世界遺産が多くあり、カルタゴ遺跡(1979年、文化遺産)やエル・ジェムの円形闘技場(1979年、文化遺産)、ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡(1985年、文化遺産)、イシュケル国立公園(1980年、自然遺産)はその代表例だ。しかし、2011年ごろから続く民衆を狙ったテロ、とくに今年に入ってから2度もテロ事件が起き、かつてヨーロッパなどから年間700万人もあった観光入り込みが半減している。これによって、観光に携わっていた3000人が職を失った。

   チュニジア政府はテロに対する危機管理政策、プラン、広報など緻密な政策を実施している。が、悩ましいのはテロは、政府を不利にするための国際世論を狙って、観光客をターゲットとする場合がある。実際、ことし3月、武装集団が首都チュニスのバルドー博物館で銃を乱射、日本人3人を含む外国人観光客ら21人が死亡している。観光客を守るための「観光警察」など配置すれば、今度はそこが狙わるという。本来ならば、大統領が「安全宣言」を行い、世界にアピールしたいところだが、それがかえってテロの標的とされる。なんとも危機的で、悩ましい事態なのだ。それでも観光を再興させたいと知恵をひねる担当者。この発表を聞いて、コメンテーターとして同席した私は言葉が出なかった。

   世界に誇る自然遺産がありながらも、アクセスなどの観光政策が伴わず焦っている国もある。ジンバブエの観光担当者の悔しさをにじませていた。世界一の瀑布はジンバブエとザンビアの国境にあるビクトリアの滝だ。滝幅は1700㍍、落差108㍍の威容を誇り、南米のイグアス、北米のナイアガラと並ぶ世界三大瀑布の一つに数えられる。ところが、ここを訪れるのは年間100万人、規模が劣るナイアガラは桁違いの1200万人だ。アクション・プランでは「2016年に200万人、2020年には500万人に観光客を増やしたい」と5倍計画を打ち上げた。国をあげての観光情報の発信をしていきたいと意欲を見せた。

   私がアドバイスしたのは。国際的な海外メディアを使うこと。たとえば、イギリスの公共放送BBCは世界の地域おこしを紹介する「ワールド・チャレンジ」コンテストを実施している。このファイナル10チームに残ると、地域を紹介する番組が繰り返し流れ、投票が呼びかけられる。PR効果は抜群だ。日本でも、2011年に能登半島の「春蘭の里」がファイナルに残り、今やここで宿泊する1割がいわゆるインバウンドの客だ。

   予算が確保できない国、テロに見舞われる国、政変が起きやすい国、いろいろな事情がそれぞれの国にある。ただ、それを理由にせず前向きに、観光と向き合う世界の人々と接することができたことが何よりの収穫だった。(※写真は、10月30日の能登ツアーで輪島・千枚田を訪れたときのショット。千枚田は大規模な土砂崩れ現場であり、今もリスク管理の一環として、ここを通る国道249号の地盤は発砲スチロールを使用し、道路の重さを軽減する工夫がなされている)

⇒3日(祝)朝・金沢の天気   はれときどき雨

      

   

☆オートドライブの意義

☆オートドライブの意義

   高齢者と自動車運転をめぐる事故が最近多い。先月28日午後、73歳の男性が運転する軽自動車が宮崎県宮崎市内の繁華街を暴走し、2人が死亡、4人が重軽傷を負ったとの事故のニュースが報じられた。事故現場の歩道にブレーキ痕がなく、途中で加速したとの目撃談もあり、制御不能の状態に陥っていたようだ。また、男性には認知症での入院歴もあったという。老人が運転する車の暴走、そして逆走の事故が目立っている。高齢化社会の歪みの一つだ。

   高齢者(65歳以上)の4人に1人が軽度の認知症を患う社会。認知症の老人が家出して、行方不明となった人はこれまで1万人いると言われる。では、一律に老人には車は危険だからと言って、取り上げることはできるのだろうか。むしろ買い物など老人こそ車を必要しているのではないか。能登半島に出向くと、車を運転する老人たちが多くいる。まさに車がないと暮らせない。

   その能登半島の先端、珠洲(すず)市で金沢大学の研究チームによる、自動運転(オートドライブ)が実証実験プロジェクトが進んでいる。実証実験は今年2月に開始され、障害物や信号などを把握するセンサーやカメラなどを取り付けたトヨタ「プリウス」を使用して自動運転し、対向車や歩行者の複雑な動きも予測できるようデータを積み上げている。2020年をめどに高齢者の移動手段としての実用化を目指している。

   同プロジェクトの実験ルートはこれまで1コース6.6㌔だったが、先月27日から4コース延べ60㌔に拡大した。ルートの新設は、さらに学術的に自動運転の技術を総合的に加速する必要があるからだ。もはやオートドライブのシステム構築は、国際競争の段階になっているからだ。と同時に、日本では高齢化社会の課題にもなっている老人と車の課題解決への貢献が期待されるのだ。

   過日(9月11日)、プロジェクトの菅沼直樹准教授(ロボット工学)にお願いして、実際に自動運転のプリウスに実際に乗せてもらい、珠洲市の公道を走った=写真=。車道から駐車場に入るため右折する際も、対向車が来た場合は一時停止する。また、道路脇に倒木などの障害物があっても上手に避ける。なんとも快適なドライブだった。この地域はトンネルも多いため、GPSは使わず、車道の白線を自動的に読み取って走る。なので、雪道をどうドライブするか、今後の課題として残る。また、信号機の赤青黄の情報も読み取るが、晴天では逆光になって信号機などの情報は読みにくくなるといった状態にもなり、いろいろ課題もある(菅沼准教授)という。

  実際の市街地や一般道のいわゆる公道で60㌔の実証実験の取り組みは全国でも例がないかもしれない。この実証実験を通じて、オートドライブの車が完成し、老人が「病院へ行ってくれ」と声をかけると、「どちらの病院ですか」などと対話して、自動走行する社会が実現したら、老人と車事故の課題は解決する。生活動線でオートドライブを実用化する、何とも夢のある話だ。(※写真は、オートドライブで走行中。実験中は、ハンドルには触れないが、万が一のためを想定し、ハンドルに手をかざし、すぐ握れる状態にしている)

⇒2日(月)朝・金沢の天気    あめ

★「もてなし」の神髄

★「もてなし」の神髄

  ことし6月に能登半島の和倉温泉で中学時代の学年同窓会があった。いわゆる「還暦同窓会」なので豪華に祝おうと、幹事たちが恩師もお呼びしてと選んだ会場が「加賀屋」だった。能登半島で生まれた者にとって、「加賀屋」は「最高のもてなし」の場なのである。そう気軽に行けるところではない。小さな企業や町内会では「加賀屋講」といって、お金を数年積み立てて行くことがある。加賀屋といえば、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(主催:旅行新聞新社)で35年連続総合第1位の評価を受けていることでも知られる。

  40名余りが参加した中学時代の学年同窓会は全員が赤いちゃんちゃんこを着て、記念写真を撮影してもらうなどいたれり尽くせりのサービスだった。翌朝、金沢に帰るため早めに加賀屋の玄関を出ると、女将が見送りに出ていたいので挨拶した。名刺交換をすると、なんとこの名刺が画像変化カードなのだ。見る角度によって画像が切り替わり、3画面(客室係が並んで挨拶、浴場から見える海、宿泊部屋)の絵柄が出現する。旅館の女将の名刺だと、角の取れた和紙をイメージするのだが、画像変化カードは意外だった。女将の名前は小田真弓さん、その小田さんが日経新聞出版社から本を出した。『加賀屋 笑顔で気働き~女将が育んだ「おもてなし」の神髄~』

  35年間連続第1位のエッセンスが描かれている。そのポイントは「笑顔で気働き」という言葉に集約されている。客に対する気遣いなのだが、マニュアルではなく、その場に応じて機転を利かせて、客のニーズを先読みして、行動することなのだ。たとえば、客室係は客が到着した瞬間から、客を観察する。普通の旅館だと浴衣は客室においてあり、自らサイズを「大」「中」の中から選ぶのだが、加賀屋では客室係が客の体格を判断して用意する。そこから「気働き」が始まる。茶と菓子を出しながら、さりげなく会話して、旅行の目的、誕生日や記念日などを聞いて、それにマッチするさりげない演出をして場を盛り上げる。たとえば、家族の命日であれば、陰膳を添える。客は「そこまでしなくても」と驚くだろう。しかし、それが加賀屋流なのかもしれない。小手先のサービスではない、心のもてなしなのである。

  女将の仕事はそうした気働きのできる客室係を育てることにある。「約50年間、加賀屋で仕事をしてきましたが、客室係の育て方にはいちばん気を遣い、試行錯誤をしてきました」。この実感は今でも続いているようだ。ほめる場面を探して「ありがとう」と声掛け、注意する際は言い分を聞いてから、自己啓発の機会を与える、普段から細やかなコミュニケーション、プロとしての正確性を養うなど、こうした人材の育てのノウハウは上下関係だけでは決して方はられないことがよく分かる。女将の存在が輝かなければ人はついてこない。

  その女将の存在とは、一面で経営者であることだ。陶器が載った料理の御膳は数㌔の重さがある、これを何度も客室に運ぶとなると体力を消耗する。そこで、料理自動搬送システムを導入して、皿を揺らさずに客室近くまで運搬する。これによって、客室係は接客に集中できるようになる。保育園付きの母子寮を造り、仕事場と保育園が内線で連絡しあうようにしている。客室係が安心して働ける職場とは、重労働からの解放や母子関係の細やかな配慮が必要なのだ。それには企業家として投資の覚悟が欠かせない。加賀屋の女将が輝くのは人を育てる細やかな気遣いと、人材こそ企業成長のエンジンとして投資する意欲だ。冒頭で述べた、画像変化カードの名刺は経営者としての小田さんの顔だったのかもしれないと、この本を読んで納得した。

⇒26日(月)朝・金沢の天気   はれ

☆プラチナ社会への道

☆プラチナ社会への道

   金のようにギラギラとした欲望社会を目指すのではなく、プラチナのようにキラキラと人が輝く社会づくりを理念に掲げているが、まだ余り知られていない団体がある。「プラチナ構想ネットワーク」だ。会長は、小宮山宏氏、元東京大学総長で現・三菱総研の理事長でもある。日本を他国に先駆けて、たとえば少子高齢化、過疎化などの課題が顕在化している「課題先進国」と定義し、 この状況を困難であると同時にチャンスと捉え、国際社会で本来の競争力を持った国にするためにどう手を打つべきか、行政や経済界、学術関係の有志らが集うポータル的な団体組織だ。

   その解決の知恵を集めるのが「プラチナ大賞」制度。いろいろな創意工夫を通じて、過疎・高齢化などの地域の課題解決を目指す自治体や民間企業の取り組みを評価しようと、プラチナ構想ネットワークが2年前から実施している表彰制度だ。今年3回目となり、全国から57件の応募があり、昨日(23日)は最終候補に残った10件の審査発表会が東京・千代田区のイイノホールで行われた。その中に10件の中に、金沢大学が能登半島の珠洲市などと取り組んでいる、能登里山里海マイスター育成プログラムなどの大学連携(あるいは域学連携)のプログラムが残り、珠洲市の泉谷満寿裕市長と金沢大学の中村浩二特任教授が最終のプレゼンテーションに登壇した=写真=。

   発表のタイトルは「能登半島最先端の過疎地域イノベーション~真の大学連携が過疎地を変える~」。以下はその概要。珠洲市は日本海に突き出た能登半島の最先端に位置する。県庁所在地である金沢市まで約150㌔、車で約2時間余りかかるという地理的なハンディがあり、さらに奥能登地区(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)に大学などの高等教育機関がないことから、若い人は高校を卒業するとほとんどが市外に出てしまう。こうした中、昭和29年の市制施行当時(1954)、3万8千人だった人口は現在1万5千人に、年平均350人のペースで人口減少が進んでいる。高齢化率は44%を超える。

   2006年6月に泉谷氏が市長に就任したころチャンスがめぐってきた。金沢大学からの連携事業の提案があった。生物多様性をテーマとした環境保全プロジェクト「里山里海自然学校」(三井物産環境基金)だった。市内の空き校舎を双方で選定し、市側で改修整備し無償で貸与した。市民と大学の研究者が協働で調査するオープンリサーチセンターが誕生した。翌2007年、金沢大学、石川県立大学、奥能登の2市2町で「地域づくり連携協定」を締結し、連携を広範囲に広げて、「能登里山マイスター育成プログラム」の人材育成事業が始まる。金沢大学から、5名の教員スタッフが常駐し、主に45歳以下の若い方を対象に週末を中心としたカリキュラムを展開している。環境境保全型の農林水産業を実践的に学び、これまで9年間で、128名のマイスターが誕生した。この人材育成プログラムを受講するために、市外、県外から移住してくる若者も現れてた。珠洲市内だけでも、この事業を通して12名の若者が移住し、現在も定住している。東京から移住した女性はスイーツの製造販売と民家レストランを営んで、お年寄りに喜ばれている。同じく、東京から移住した男性は、和がらしの製造販売などの商品開発や、企画・デザインを生業として、インバウンドの能登旅行も手掛けている。最初、マイスターの活躍は点としての存在だったが、点と点が結びついて線となり、そして人数が増えるとともに、いまは面として、能登半島に活気をもたらしている。

   2011年には、「能登の里山里海」が国連の食糧農業機関から、佐渡とともに我が国初めてとなる「世界農業遺産」に認定されたが、その際にも、この人材育成事業が高く評価された。このような、域学連携や世界農業遺産の認定を受けて、市内のNPOなど民間団体による、生物多様性や里山里海を保全する活動も活発化している。金沢大学は、能登半島の先端という地の利を活かして、アジアの環境問題に関わる、大気観測も行っている。これからの高齢化社会を見据えた、自動運転システムの国内初となる公道での実証実験も珠洲市で実施している。さらに、珠洲市での人材育成事業のノウハウは、世界遺産であり、世界農業遺産にも認定されているフィリピンのイフガオの棚田で、JICA国際協力機構と連携した、人材育成事業へと展開している。

   発表時間は8分。大学と自治体が連携して多様な事業展開がここまで高まったことが評価され、見事に大賞・総務大臣賞を射止めた。泉谷市長は表彰の挨拶で、「人口の減少を食い止めることは並大抵ではなく、とても難しいことだ。しかし、大学との連携を通して地域の質と魅力を高め、プラチナ社会を、そして未来を切り開いていきたい」と述べた。

   同じく大賞・経済産業大臣賞は積水ハウスの「5本の樹で命あふれる笑顔のまちを」が選ばれた。生態系の保全などにつなげるため、クヌギやコナラなど地域の気候風土にあった在来種の植物を住宅の庭木などに植える取り組みを進めている。

⇒24日(土)午前・金沢の天気    はれ

★銀座の巨大なツル

★銀座の巨大なツル

   今月22日、北陸新幹線で東京に出かけた。銀座でホテルを予約したので、夜久しぶりに7丁目の銀座ライオンに入った。テレビ局時代、テレビ朝日で会議があり、系列の仲間たちと訪れて依頼、20年ぶりだろうか。ただ、今回は5階の音楽ビアプラザに。今回飲み仲間はいなかったので、ジョッキ片手にビアソングでも聴こうと。一歩入ると、そこは別世界。懐かしいアルプホルンの響きやアルプス民謡、思わず手を手拍子を打った。アルプホルンが順番に回ってきたので、つい調子に乗って、ラッパの口にご祝儀(1000円)を入れた次第。

   ふと5階の窓から外を眺めると、巨大なツルの影が3羽、窓の外にいるかの錯覚に捕らわれた。工事現場だ。ツルの影は銀座の夜景に映えた大型クレーン。6丁目の1区画全部が工事中だ。巨大なビルが再開発されているようだ。降りて、工事フェンスの工事広報看板を確かめると、敷地は9077平方㍍、地上13階・地下6階の巨大な複合施設が来年2016年11月には完成するようだ。「銀座6丁目プロジェクト」と名付けられているこの再開発工事は森ビルなどが「設計プロジェクトマネージャー」として名を連ねている。そこで、森ビルのホームページからその概要を以下拾ってみる

   「松坂屋銀座店」跡地を含む街区と隣接する街区の2つの街区、約1.4haを一体的に整備する再開発事業となっている。「Life At Its Best~最高に満たされた暮らし~」をコンセプトにしたリティの高い商業施設や、都内で最大級の1フロア貸室面積6100平方㍍の大規模オフィスも予定されている。さらに、「観世能楽堂」など文化施設も入る。「銀座エリア最大級となる大規模複合施設を計画しています」「銀座エリア全体のさらなる魅力と賑わいを創出するとともに、国内だけでなく、世界中の人々を惹きつける複合施設として、東京の国際競争力強化に貢献します」と誇らしげに書いてある。

   翌朝、今度はホテルの7階窓から眺めていると、6丁目だけではない、銀座界隈で巨大なツルがここを含めて4ヵ所で確認できる。どこかで見たことのある光景、そう、20数年前のバブル時代の光景ではないかと思った。銀座だけではない。JR有楽町駅から隣の東京駅まで電車に乗っても、車窓からは巨大なツルがあちこちにいる。

   バルブの光景と称したものの、日本の経済は「バブル経済」ではなく、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けた開発など実需要に支えられたものだ。投機ではない。この銀座の光景が日本の各地に波及するのかどうか…。

⇒23日(金)午後・東京の天気  くもり

☆辺野古から-下

☆辺野古から-下

          キャンプ・シュワブから辺野古地区に入った。紺碧の海と空が見える海岸べり、ここで海上基地反対の運動を10年余り続けているテント村を訪ねた。「座り込み4175日」とある。東京から来たという女子学生3人がテント村の人たちと話し込んでいた。「私たちはこのきれいな海を戦場にしたくない。新基地がどれだけ県民の心の負担になるか察してほしい」とテント村のスタッフが訴えていた。

    一方で、辺野古周辺で、機械システム工学科や情報通信システム工学科がある国立高専があるの建設、IT企業も誘致されているという。おそらく地域振興策として多額の国のお金が投入されたことは想像に難くない。もちろん政府が勝手に国立高専を設置したわけではなく、高等教育機関の誘致を望む地元の強い要望に応えたものだろう。辺野古地区の人々は、新基地反対と辺野古移設の間で板挟みなっているのではないかと察した。

    23日付の琉球新報と沖縄タイムスの記事を読んで気が付いた点がいくつかあった。翁長知事が国連人権理事会で2分間の演説をしたことに関する記事である。知事は、辺野古の新基地建設が進められること関して、「県民の自己決定権や人権がないがしろにされている」と訴えたが、日本政府代表部が「基地問題を人権理事会で取り上げるのははじまない」とクギを刺したのに対し、知事は「基地問題が一番大きな事件問題だ」と反論した。

、   確かに人権理事会では、新たな人権問題を条約化しており、たとえば、「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」(強制失踪防止条約)では、日本政府とこれまで、日本人拉致問題を念頭に「国境を越えた拉致」を条約案に盛り込むよう働きかけて、採択されている。こうした条約の中に、知事が訴える「基地は人権問題」という概念を落とし込む条約は見当たらないのではないか。見当たらないとしても、沖縄タイムスが記事にしているように、人権理事会の円形会議場には「同じように助けを求めに来ている人がたくさんいた」ということだ。

    続けて、記事にはこのような下りがある。「自民党県連は知事の出発前、『先住民』と名乗らないように要請した。言葉が持つ『未開の』といった謝ったイメージから、県民の間にある抵抗感を代弁している。知事もその言葉を使わなかった」と。「先住民と基地問題」というふうに国際的に理解されては、県民のプライドが許さない。安全保障の圧力の下で、人権がないがしろにされてはならないと、今度どううまく訴えるのか。今回、国連人権理事会でデビューしたものの、微妙なバランスの上に立っているとも言える。

⇒24日(木)夜・金沢の天気     くもり

★辺野古から-上

★辺野古から-上

   昨日(22日)、沖縄県の翁長知事がジュネーブでの国連人権理事会で、アメリカ軍基地の県内移設は「沖縄をないがしろ」と2分間のスピーチを行ったことは沖縄県の新聞各紙で朝刊一面の大見出しで伝えられた。一方、移設先の辺野古では連日100人ほどの基地反対派が移設作業が進むアメリカ軍基地キャンプ・シュワブのゲート前に集まり、集会を開いている。そんな、辺野古を様子をこの目で現場を見たいと思い、22日夕方に石垣島から410㌔㍍離れた沖縄本島に移動した。55分のフライトだった。23日午前、タクシーを借り切り現場に赴いた。レンターカーではなく、あえてタクシーをチャーターした。土地の人の話を聞きたかったからだ。

   キャンプ・シュワブのゲート前、現場はものものしい雰囲気が漂っていた。正門の道路を挟んだ向こう側には基地反対派のテントが張られて大音響で入れ替わり、立ち代わりアジテートの演説が行われている。タクシーでその前を走行すると、「辺野古新基地NO!」などのプラカードが車から見えるように道路側に差し出されるのである。正面で陣取っていた人がいた。「辺野古埋立阻止」のプラカードを持って、椅子に腰かけている。基地と歩道の境界線である黄色い線を超えないように、公道ギリギリのところでアピールしている=写真=。

   旗を見ると「○○民主商工会」や「ヘリ基地反対協」、「平和運動センター」、「平和市民連絡会」といった組織の名前が目立つ。地元辺野古の街中では目立った反対の看板が見当たらない。タクシーの運転手によると、地元の辺野古地区では条件付きで辺野古移設を容認している、という。地元と反対派は一体化していないようだ。

先日19日には現地でこのような事件も起きた。21日付の琉球新報によると、キャンプ・シュワブのゲート前で、抗議行動に不満を持つ男女の集団が19日午後10時半ごろから20日午前1時すぎにかけ、反対派らが設置しているテント内の机をひっくり返したり、移設反対のメッセージなどを記した横断幕をカッターではがしたりした。傷害容疑で逮捕された容疑者は酒を飲んでいた。現場を襲った集団は「テントをどかせ」「(基地を移設しないと)中国が攻めてくるぞ」などと言いながら、反対派ともみ合いとなり、現場は騒然とした。集団は「民族団体」を名乗り、19日昼すぎから断続的に現れ、挑発した。警察車両が7台前後が到着し、警察官ら15~20人前後が駆け付けて対応したが、しばらくもみ合いが続き、20日午前1時すぎに沈静化した、と。

   記事での続報がないので、現場で暴れた男女にどのような政治的な背景があったのかなどはわからない。沖縄に来なかったら、このような現地の騒乱はニュースとして目にとまらなかったかもしれない。

⇒23日(水)夜・那覇市の天気    はれ

☆石垣島から-下

☆石垣島から-下

   ラムサール条約登録の湿地「名蔵アンパル」を見学できるというので、隣接する「石垣やいま村」というテーマパークに立ち寄った。八重山の古い民家も移築して保存されている。沖縄の民謡を三線(さんしん)で生演奏している家などあり、にぎやかな雰囲気だった。入口から東に向かって、途中、カンムリワシのケージを横目で見て、さらに坂を下りていく。ウッドデッキがあってマングローブの群生林に入っていく。

   ちょうど潮が引いていた状態で、砂泥の中にマングローブの樹木が林立している。木の根っこのようものが泥の上にボコボコと出ている。ウッドデッキをさらに進むと途中で途切れ、広い川が見えくる。これが名蔵アンパル。不思議なもので、マングローブの群生林を見ただけで内なる冒険心がかき立てられる。この川でのカヤックツアー(大人4340円)もあったが、とりあえずこの目で見たことで満足感が漂ってきて、カヤックツアーはパスした。また、今回は西表島をコースに入れてなかったが、島のほぼ90%が亜熱帯ジャングルで覆われる西表島に渡島したくなった。石垣島は表玄関、西表島は奥座敷、そんな感じだろうか。今度は奥座敷へ。

   22日付の朝刊をホテルで読むと、琉球新報と沖縄タイムスの一面の見出しが躍っていた。琉球新報「新基地は『人権侵害』 知事、国連で演説 辺野古阻止 国際世論へ訴え」、沖縄タイムス「反辺野古 国連で訴え 知事、人権理で声明」と。沖縄県の翁長知事が21日午後(日本時間22日未明)、スイスの国連欧州本部で開かれている国連人権理出席し、「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と述べ、アメリカ軍普天間飛行場の県内移設反対を訴えたという記事だ。両紙ともジュネーブに同行の記者を送っていて、署名記事だ。チカラが入っている。

   紙面を読むと、翁長知事は各国代表の外交官やNGOメンバーらを前に2分間、英語で発言した。沖縄に在日アメリカ軍専用施設が集中する現状を挙げ、事件や事故、環境問題が起きていると訴え、「自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国が、どうして世界の国々と価値観を共有できるのか」と日本政府を批判した。普天間飛行場の辺野古への移設計画を「あらゆる手段を使って新基地建設を止める」と述べた、という。

  そして社会面も圧巻だ。沖縄タイムスの見出しは「沖縄差別 知事告発 政界から激励 次々」、琉球新報は「世界に沖縄伝えた 共感広がりへ期待」と。安保法成立でも、国連人権理事会演説でも、2紙は競うようにボルテージを上げている。この2紙の論調のたどり着く先はどこか。

⇒22日(火)夜・那覇市の天気   はれ

   
   

★石垣島から-中

★石垣島から-中

   石垣島の第一印象は、紺碧の空と海、そして赤土のサトウキビ畑だ。そして、東シナ海に面し、国境離島と称されるくらいに中国と接している。きょう(21日)は、とくに当てがあったわけでもないが、島を半周するつもりでレンタカーを走らせた。

   「唐人墓(とうじんばか)」の看板が目に入ってきた。観音埼という灯台の近くある。高台に上がるとすぐに中国伝統のカラフルな建物があった。碑文に刻まれてあった内容を以下要約すると。

   この唐人墓には、中国・福建省出身者の128人の霊が祀られていると記されている。1852年2月、厦門(アモイ)で集められた400人余りの苦力(クーリー・労働者)が、アメリカ船ロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途中、辮髪(べんぱつ)を切られたり、病人を海中に投棄されるなどの暴行があり、堪えかねたクーリーたちが反乱を起こし、船長ら7人を殺害した。船はその後、台湾に向かったが石垣島沖に座礁し、380人が島に上陸した。石垣の人々は仮小屋を建て、クーリーたちを収容した。この蜂起を知ったアメリカのイギリスの海軍が3回にわたり島に来て、砲撃を加え、武装兵が上陸して捜索を行った。クーリーたちは山中に逃げ込んだが、逮捕、銃撃された。自殺者や病没者も続出した。

   当時、薩摩藩の支配下にあった琉球政府が事件処理に関する交渉と清朝側などと取り組み、翌1853年9月、琉球側が船2隻を用意し、生存者172人を福建に送還した。中国人が埋葬された墓は点在していたが、石垣市側が合祀慰霊するため、台湾政府や沖縄にいる華僑の支援を受けて、現在の唐人墓を1971年に完成させた、という。

   インターネットでなど当時のクーリーについて調べてみた。クーリーと呼ばれる中国人労働者は、労働奴隷として世界各地に送り出されていた。19世紀半ばに、アメリカ西海岸でゴールドラッシュが起こり、アメリカ大陸横断鉄道の建設もあいまって、大量のク-リーが送り込まれた。そのような時代背景があった。奴隷労働はアフリカだけではなかったのである。

   ロバート・バウン号事件を契機に、中国国内では「同胞を売るな」とのクーリー貿易反対の世論が盛り上がったという。日本の嘉永6年(1853)にアメリカのペリーが浦賀に来て、開国を求めた黒船事件はまさに石垣島で起きていた事件とほぼ同時進行である。そうすると、ペリーが開国を迫った意図には、中国では確保しにくくなったク-リーのような労働力を日本で確保する意味合いがあったのではないかと勘繰りたくなった。何しろ、アメリカでリンカーンが奴隷解放宣言を発したのは、ペリーが浦賀に来て10年後、1863年のことだ。国境離島の唐人墓で学んだ、知られざる世界史だった。

⇒21日(月)夜・石垣島の夜     はれ

☆石垣島から-上

☆石垣島から-上

  シルバーウイークを利用して沖縄県石垣島を訪れている。沖縄本島の那覇市との距離は南西に410㌔㍍、逆に台湾とは270㌔㍍だ。そしてあの尖閣諸島は行政区分では石垣市に属する。きょう(20日)午後、石垣空港に到着して、レンタカーを調達した。さっそくコンビニ店に入り、地元の新聞紙を買った。安保法の成立を沖縄の地元紙はどう伝えているのか。

  きょう(20日付)の沖縄タイムスの一面の見出しは「安保法成立 自衛隊任務拡大 新行動基準策定へ」だった。そして、準トップには沖縄県知事が国連人権理事会で演説するため、スイスのジュネーブに出発するとの記事だった。圧巻だったのは、琉球新報だった。「自衛隊活動 地球規模に 安保法成立 全国、続く抗議 高校生も」と。「自衛隊活動 地球規模に」という表現が違和感を感じる。本来の表現は「海外活動が可能に」だろう。それを「地球規模に」とすると、「地球防衛軍」のような別のニュアンスで感じるのは私だけだろうか。

  沖縄タイムスも琉球新報も410㌔離れた那覇市に本社がある。地元石垣市の八重山日報は「安保法成立 戦後政策転換 集団的自衛権行使可能に 部隊行動基準見直しへ」。八重山内毎日新聞は2面で「自衛隊活動拡大へ 安保法成立 日米同盟を強化 尽きぬ違憲論、残る不安」である。扱いと論調が沖縄本島に比べると冷静に感じる。

そして、安保法成立について、石垣市長(中山義隆氏)のコメントを掲載している。「尖閣諸島での中国公船による領海侵入が続くなど、国境離島ならではの危機感を持っている。石垣市を含め、わが国の安全保障をより確かなものにするためにも法案の成立は必要だと思う。政府には今後、運用に関しても国民への説明責任を果たしてほしい」と。

  「国境離島」という言葉を初めて目にした。実は国境の離れ島で、不審な土地取引などが起きていると一部国会議員らが訴えている。安全保障にかかわる国境離島などの重要な土地を規制できるようにする「国家安全保障土地取引規制法案」がそれだ。国境の離島であるがゆえに同じ沖縄でも本島と石垣島では微妙に意識を異にすると感じた。

⇒20日(日)夜・石垣島の天気    はれ