★伊勢志摩の肝(きも)-上
駅周辺を散策しようとタクシーに乗り込む。海と山が入り組むリアス式地形ではカーブが多くアップダウンの道路が続く。どの道路でも左右の雑木などがきれいに刈り込みがされている。タクシーの運転手は「路上からの警備の見通しを効かせるために整備したんですよ」と解説してくれた。この警備体制は夜中も実施されているようだ。これだけ睨みを効かせると、
テロリストも近づけないだろうと想像する。先の運転手によると、6機分のヘリポートがすでに設置されている。現地ではサミットに向けた準備が着々と進んでいる。
それにしても、英虞湾を望む風景はまさに、人の営みと自然が織りなす里山里海の絶景だ。真珠やカキの養殖イカダが湾の入り組みに浮かぶ。昭和26年(1951)11月にこの地を訪れた当時の昭和天皇は「色づきし さるとりいばら そよごの実 目にうつくしき この賢島」と歌にされた。晩秋に赤く熟した実をつけたサルトリイバラ(ユリ科)とソヨゴ(モチノキ科)が英虞湾の空と海に映えて心を和ませたのだろう。昭和天皇はその後も4回この地を訪れている。歌碑は志摩観光ホテルの敷地にある。その少し離れた横に俳人・山口誓子の句碑もある。「高き屋に 志摩の横崎 雲の峯」。ホテルの屋上から湾を眺めた誓子は志摩半島かかる雲のパノラマの壮大な景色をそう詠んだ。
テーマパーク「志摩スペイン村」で昼食をとった。入口でドン・キホーテとサンチョ・パ
ンサの像が出迎えてくれる。セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』に登場する二人。まっすぐな理想主義を掲げる主人公のドン・キホーテと対照的に、大食漢で肥満、現実派の従者サンチョ・パンサ。二人のキャラは人間性を表現する永遠のテーマだろう。レストランで、スペイン産イベリコ豚のパエリア、小エビのアヒージョ、アサリのオーブン焼き、それにスペイン産の赤ワインも注文して、束の間の食事を堪能した。
外に出て、テーマパークを散策すると女性の叫び声が聞こえてきた。しかも、一人ではない、阿鼻叫喚の地獄での人の叫びのように聞こえた。「ピレネー」というジェットコースターでの絶叫だった。ピレネー山脈のような山あり谷ありのレールを最高時速100㌔で走行する。上下左右に体が振り回されるので、見ているだけでも恐怖を感じる。若い係員に「気絶する人はいないの」と尋ねると、「ボクはまだ(気絶した人を)見たことないですね。速すぎて、乗ってみるとそんなに怖くはないと思いますよ」と。
さて、このピレネーに挑戦してみるか、と心が揺れた。もし、ドン・キホーテだったら人間のチャレンジ精神を掲げて挑んだかもしれない。しかし、恐怖感と同時に、スペイン料理で腹が満たされ、ひょっとしておう吐するかもしれないと現実感もあった。結局乗るのはやめた。自分はサンチョ・パンサに人間性が近いなと内心思った。
夕方、鳥羽市にある相差海女文化資料館を訪れた。相差は「おおさつ」と読む。かつて記者時代に能登半島・輪島市の海士町や舳倉島を訪れ、海女さんたちを取材し、ルポルタージュを描いたので、伊勢志摩の海女さんたちにも以前から関心を寄せていた。同市国崎では海女さんたちがとったアワビを熨斗あわびに調製して、伊勢神宮に献上する御料鰒調製所がある。二千年の歴史があるといわれる。資料館では、深くはやく潜るために石を重りにした石イカリがあった。平均50秒という海女さんの潜水時間を有効に使うため、速く深く潜るための道具である。かつて輪島でも夫婦舟といって、石を抱いて船に海に潜った海女がアワビをとり、命綱をクイクイと引っ張ると、舟上の夫が綱をたぐり寄せて海女を引き上げる。輪島と同じ漁法だ。写真(下)にあるセイマン(星形)とドウマン(網型)は海女が磯着に縫った魔除けのまじない。それほどに命がけの仕事でもあった。
もう一つ同じだと感じた点がある。当地の言葉で「夫(とうと)ひとりを養えんで一人前の海女とは言えん」がある。輪島でも「亭主の一人や二人養えんようでは・・・」という言葉を聞いた。腕っぷしの強さ、自活する気概のある女性たちの自信にあふれた言葉だ。
⇒3日(火)伊勢志摩の天気 くもり
いるとメディア各社が報じている=写真=。実現すれば、現役のアメリカ大統領としては初めてのことだが、それより何より、オバマ大統領が掲げる「核兵器のない世界」に向けた国際的な取り組みを継続的に発展させるためのシンボリックな一歩となる。
は65%が「正しかった」と回答した、という。
がすがしい感じがした。
公園の桜は春の嵐で桜吹雪の状態になっていた。そして、自宅の庭に出て、観察するとタイツリソウやイワヤツデといった花が咲き始めている。このタイツリソウは、面白い花だ。ネットで調べてみると、タイツリソウは別名で正式にはケマンソウ(ケシ科)。中国や朝鮮半島に分布していて多年草です。日本には15世紀の初めの室町時代にに入ってきらしい。ケマンソウの名前は花を寺院のお堂を飾る装飾品「華鬘(けまん)」に見立てて付けられたとか。
じだ」と。田原氏らは「テレビ局の上層部が萎縮してしまう」と指摘した。しかし特派員から質疑応答が始まると、逆に鋭い質問が会見者側に向けられた、という。
茶室に続く庭「露地(ろじ)」を歩いているような感覚である。和風家屋のような大屋根の本館は建築家・隈研吾氏の設計によるもの。隈氏は2020東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場のデザインを手掛ける。
出て、躍動感がある構図だ。時間がなく、庭と茶室をじっくり拝見できなかったのが心残り。
くシャトルバスで向かう。到着すると聞きしに勝る込み具合だった。しかも、あちこちから中国語、英語、そしてフランス語が飛び交っている。これだけでも随分と旅気分になれるから不思議だ。TOKYOに来た気分だ。
界はゼロ。雲の中にいる感じだ。ぐるり360度回ったが、白の世界が広がるのみ。さらに高見の450㍍の「天望回廊」に上ったが、同じ状況だった。3090円の入場チケットが惜しくなってきた。こうした事態に備えて客をがっかりさせない工夫もある。デッキから一望できる眺望を52型モニターで映し出す「時空ナビ」など。意外と面白いのが「江戸一目図屏風」だった。パンフによれば、江戸時代の浮世絵師、鍬形慧斎(くわがた・けいさい)による鳥瞰図が圧巻だ。江戸城を中心に描かれた想像上の江戸の街のパノラマなのだが、目線がちょうど同じ位置にあり、まるで200年後の東京スカイツリーのために描いたような絵なのだ。
になったことを思い出した。
増えた。ここ数日の新聞報道=写真=などによると、去年4月から今年1月の観光客数は、兼六園が前年同期比で1.6倍に増えて、NHKの連続テレビ小説「まれ」のロケ地となった輪島市では、朝市の入込客数が1.3倍になってという。
昨年15年2月10日、再度気仙沼を訪れた。同市に住む、「森は海の恋人」運動の提唱者の畠山重篤氏に講演をお願いするためだった。畠山氏との交渉を終えて、前回訪れた市内の同じ場所に立ってみた。「第十八共徳丸」はすでに解体されてすでになかった。が、震災から2ヵ月後の街並みの記憶とそう違わない。今でも街のあちこちでガレキの処理が行われていた=写真=。復興という想いを抱いて来たので、現地を眺めて愕然としたのだった。