★2017年の賀状を「読む」
正月3が日、金沢は晴天に恵まれ、穏やかな年の始めとなった。以下は私の年賀状。
謹 賀 新 年
今年もよろしくお願いいたします。還暦を過ぎて、自分の至らなさにハッとすることが多々あります。先日お寺が点在する金沢の東山界隈を歩いていると、山門の掲示板にあった「その人を憶(おも)いて、われは生き、その人を忘れてわれは迷う」という言葉が目に入りました。仏教的な解釈は別として、人は若いころは諸先輩の言葉に耳を傾けていても、加齢と
ともに聞く耳を持たなくなり、我がままに迷走するものだと。これって自分のことではないか、と気がついて掲示板を振り返った次第です・・・。荒れ模様の世界情勢ですが、引き続き、人生のよきお付き合いをお願いいたします。
いただいた年賀状から。かつての仕事仲間(新聞・テレビメディア)からの賀状。「世界もテレビ業界もいよいよ激動の時代へ。メディアの胆力が問われます」、「放送コンテンツのネット同時配信に向けて動きが本格化しています。ネットワークの在り方にも変化が出始めました」、「・・・『空気』や『言葉』が言論を抑え込んでいる。そんな時代になっていないかと、考えました。その答えははまだ見つかりません・・・」。新聞も放送メディアも大きな岐路に立っている。短文だが、ひしひしとその気持ちが伝わってくる。
ITベンチャーの社長からいただいた賀状。「当社は新たなサービスの開発を目的として、今後発展が期待されるIoT技術の活用やデジタルマーケティングについて研究を行うIoTマーケティングラボをスタートいたします」。金沢のホテルの社長兼支配人からいただいた賀状。「おもてなしの神様は、細部にこそ宿る・・・20世紀を代表する建築家ミース・ファン・デル・ローエの『神は細部に宿る』の言葉通り、細かな設え、おもてなしのすみずみまで、金沢らしいこだわりをもって、お客様をお迎えします」。
漆芸の重要無形文化財保持者(人間国宝)からいただいた賀状。「うるしの木は植樹して、12年から15年ぐらいで樹液を採取出来ます。その事を漆を掻くといい、一本の樹から約180mlぐらいしか採れません。・・・・昨年暮れに届いた漆を使い今年も仕事が出来る事に感謝いたし、新年のご挨拶申し上げます。」。漆芸と人生をともにする謙虚な心根がこちらの心にも響く一文だった。
⇒3日(火)夜・金沢の天気 くもり
「大晦日 定(さだめ)なき世の定かな」と俳句を詠んだのは井原西鶴(1642-93)だった。以下は私独自の解釈だが、混沌としたこの世にもはや守るべき定(さだめ)というものはなくなったが、不思議と大晦日だけはみなが律儀に新年を迎えようと定めにしたがっている、と。
る。現在の鳥取県(57万人)、島根県(69万人)、高知県(73万人)くらいの人口分が年に一つずつ消滅していくことになるだろう。そうなると、次世代の地域を誰が支えるのか、国民一人ひとりの負担額は大きくなってくる。では、移民政策を推し進めるのか。移民が流入するヨーロップの混乱ぶりを見ていると、簡単に移民政策をと主張することもできない。では、座して死を待つのか、新年をまえに何とも暗く重苦しい気分になってくる。
真珠湾攻撃から75年、安倍総理がアメリカのオバマ大統領とともにハワイの地・パールハーバーを訪れ、かつて攻撃した側と攻撃された側の国の首脳がそろって慰霊した。日本のマスメディアは「謝罪はせず」という見出しをあえて立てて、この慰霊の様子を報じた=写真=。5月にオバマ氏が広島を訪問したときと同じように、安倍総理も謝罪に関することは口にしなかった。では、日本の総理の真珠湾訪問は、アメリカ、日本の両国民にどのように映ったのだろうか。
仰、移動とへと進んでいく。アメリカ社会では、こうした共通価値の創造を政治・社会における規範(ポリティカル・コレクトネス=Political Correctness)と呼んで、自由と平等に基づく文化的多様性を標榜してきた。
路(片側1車線、13㌔)は慢性的な交通渋滞になっている。さらに、今回の噴火で渋滞に拍車がかかっている、という。プロの運転手にそこまで言われると、無理強いもできない。「それでは益城(ましき)町へ行ってほしい」と方針を変えたのだった。
英虞湾を望む風景はまさに、人の営みと自然が織りなす里山里海の絶景だった。真珠やカキの養殖イカダが湾の入り組みに浮かぶ。昭和26年(1951)11月にこの地を訪れた当時の昭和天皇は「色づきし さるとりいばら そよごの実 目にうつくしき この賢島」と歌にされた。晩秋に赤く熟した実をつけたサルトリイバラ(ユリ科)とソヨゴ(モチノキ科)が英虞湾の空と海に映えて心を和ませたのだろう。昭和天皇はその後も4回この地を訪れている。歌碑は志摩観光ホテルの敷地にある。その少し離れた横に俳人・山口誓子の句碑もある。「高き屋に 志摩の横崎 雲の峯」。ホテルの屋上から湾を眺めた誓子は志摩半島かかる雲のパノラマの壮大な景色をそう詠んだ。志摩観光ホテルはサミット会場となった。各国首脳はこの景色を臨んで何を思ったのだろうか。
会談も行うという。総理は「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという未来に向けた決意を示したい」と首相官邸で記者団に語っていた。謝罪ではなく、あくまでも未来志向なのだ。
療、環境などの分野で協議を始めるよう指示し、実現に向け合意したと述べた。この「共同経済活動」が「平和条約締結」に向けた重要な一歩になると、安倍氏、プーチン氏それぞれが強調した。
私はこの電話での話の後、ひょっとしてプーチンは宮本武蔵と佐々木小次郎の巖流島の闘いの伝説を知っているのではないかと思った。巖流島は山口県下関市にある関門海峡に浮かぶ無人島だ。この島で小次郎は2時間も待たされたり、さらに太刀の鞘(さや)を捨てたことを敗北の予兆だと武蔵から揚げ足を取られ、頭に血が上り、冷静さを失ったところを武蔵に舵棒(かじぼう)で額を割られたというあの有名な話である。プーチンは山口入りにするにあたって、巖流島の闘いをモチーフにわざと遅れたのでは、ないかと。これはプーチン流の政治的なショーだ、と。ちょっと考えすぎか。テレビの解説では、プーチン氏はどうやら遅刻の常習犯で、これまでも各国首脳との会談にたびたび遅れているそうだ。
甘んじてしまった。ちなみに、1位は福島県母畑温泉の八幡屋、2位は新潟県月岡温泉の白玉の湯泉慶・華鳳だった。しかし、よく考えてみれば、競争の激しい温泉旅館業界にあって、よく36年連続記録を打ち立てたものだと思う。今後35年間は破られることのない温泉旅館で最高記録の伝説をつくったのだ。
