★能登の被災現場 空調ベストで暑さしのぎ、マスクでアスベスト除去
元日の能登半島地震以来、初めて知った言葉は「公費解体」だった。全半壊した家屋については所有者の申請に基づいて、自治体が費用を負担して解体ならびに撤去をする。申請棟数は2万6003棟(8月12日時点)に上っていて、4月末から始まった公費解体の完了棟数は2594棟(同)、率にしてほぼ10%となる。石川県庁では2025年10月までに解体を完了する予定だが、あと1年2ヵ月で終えることができるのか、どうか。先日(8月24日)奥能登に所用があり公費解体の現場を何ヵ所か見ることことができた。
日中は33度の真夏日だった。輪島市内で見た民家の解体現場での光景は、作業員が暑いにもかかわらず、ベストのようなものを着用していた。空調ファン付きの衣服だ=写真・上=。屋外工事の作業服として着用されている。空調服は背面にある半径5㌢ほどの2個のファンで風を取り入れ、汗が気化する際に体温を下げて冷涼感を生む仕組み。バッテリー付きだ。作業員の男性に着心地を尋ねると、「一度着たらやめられないね。空調服なしに夏場は仕事ができないよ」と、すがすがしそうな声で返事が返って来た。
珠洲市内ではパワーショベルで半壊住宅の解体作業が行われていた。すごくホコリが舞っていた。2階の天井付近だろうか、黄色のアスベスト(石綿)がむき出しになっていた=写真・下=。作業員はアスベストを防ぐマスクや目を守るフェースガードを装着していた。また、粉じんが舞うのを防ぐために水をまきながら住宅の解体を行っていた。
アスベストに関しては、厳しい規制がある。解体現場では石綿が建物に含まれているかどうかの事前調査や、含まれていた場合はマスクをしたり、飛散防止のための水まきが法律で義務付けられている。かつて、アスベストは耐火材や断熱材、防音材として家屋のいたるところで使用されていた。しかし、人の健康に被害をもたらす危険性があることから、1975年に一部使用が禁止されるなど法的な制限がされるようになり、2012年以降は全面的に使用禁止となっている。
このプロジェクトは、金沢市内で貸切宿「旅音/TABI-NE」を経営する林俊吾氏や建築家の小津誠一氏らが立ち上げた。水や電気や食を自給自足でつくる集落をつくり、自然のなかで楽しむ生活を「ビレッジDX」と位置付けている。そのキーワードが「シコウ」。「思考」を凝らし、「試行」錯誤し、自らの手で「施工」もする、そして「至高」の現代集落を創るとのコンセプトだ。同地区の空き家を活用して手造りで改装し、風力発電や有機農業、そしてリモートワークを手掛ける、そんな生活スタイルを目指している。
ン・マスク氏が率いる「SpaceX」のインターネット。光ファイバーによるネット環境が整った都市部や平野部などとは違い、真浦地区は回線環境が整っていない。そこで、アンテナを設置するだけで高速インターネットが利用できるスターリンクはリモートワークをする人たちにとっては実に便利だ。
で巡行した。「ごくろうさまでした」と声がけすると、東京から参加した祭りボランティアの男子学生だった。「震災があった輪島でキリコが担げたことは一生の思い出」と顔をほころばせていた。
コに備え付けるバッテリーの用意が間に合いませんでした」とわびていた。明かりのないキリコだったが、若い衆の威勢のよい掛け声が境内に響き渡っていた。
前11時51分撮影=。「暑さ寒さも彼岸まで」と伝えられているが、秋の彼岸の中日とされる秋分の日(9月22日)ごろまでに暑さが収まるのかどうか。
その五島屋ビルを解体する方向で動き出している。けさの新聞メディア各社の報道によると、公道の一部を塞いでいるビルの上層階部分から段階的に解体を進めていく。しかし、公費解体を進める輪島市役所によると、年内に着手はするものの、本格的な解体作業は年明け以降になるようだ。その遅れの理由となっているのが、ビルが倒れた原因についての調査だ。倒壊によってビルに隣接していた、3階建ての住居兼居酒屋が下敷きとなり、母子2人が犠牲となった。押しつぶされた店の男性店主はビル倒壊の原因の調査を国や市に求めていて、原因が明らかになるまでは撤去しないよう申し入れている。遺族の思いとすれば、ゴボウ抜きのような倒れ方に納得がいかないのだろう。
can」と鼓舞し、会場を沸かせていた。大統領選に向けたアメリカ政治のダイナミックさを感じさせるシーンだった。(※写真は、カナダのテレビ「Global News」より)
兼六園の向かいにある国史跡の金沢城跡。県の調査では、地震で石垣の被害は28ヵ所に上り、うち江戸から昭和期にかけて造成された5ヵ所で崩落が起き、23ヵ所で壁面が膨らむなど変形した。崩れが起きた一つが、兼六園とつながる石川門の前の土橋石垣。高さ3㍍、長さ6㍍に渡って石垣が崩れた。損傷した箇所には足場などが組まれ、復旧作業の準備が進んでいた=写真・上、8月21日撮影=。
落石した195個のうち、すでに165個を回収し、300㍍ほど離れた「いもり堀」園地に運ばれていた。地元メディアの報道によると、形状などから165個のうち、158個は元の配置場所を特定できたという。その場所を示す数字なのだろうか、回収した石にはナンバーが記されていた=写真・中、同=。
します。」とある。期間は「令和6年6月28日から令和7年3月7日まで」、発注者は「石川県金沢城調査研究所」となっている。
昭和20年代生まれのシニア世代にとって、コメは生産過剰というイメージがある。パンや麺など食文化の多様化などから、毎年10万㌧のペースでコメの消費が減っていると言われてきた。このため、農水省はコメの生産農家に補助金をつけて転作を促すなどしてきたはずだ。それなのになぜ、いまごろ「コメが品切れなのか」と納得いかなかった。
開設されたのは七尾市中心部にある「一本杉通り」。老舗の和ろうそくの店や和菓子の店など寄棟造りの町家が軒を並べていたが、いくつかの店舗が全半壊するなど被害が出ている。その一角にある駐車場の空き地に、七尾市役所が国の助成制度を活用してプレハブの仮設店舗を設けた。入居したのは、喫茶店、飲食店、結納品や文具を販売する店、美容室の4つの事業者。市の広報によると、入居は2026年8月まで2年間で、家賃は無償だが、光熱費などは自費負担。2年間に店舗を再建することが条件となっている。
なかなか個性的な店がある。喫茶店「中央茶廊」に入った。店には、奇跡的に被害を免れたという焙煎機があった。店のママさんは「おかげさまで、これまでとは変わらないコーヒーの味を楽しんでいただけます」と話していた。この店は、2023年春にアニメが始まり、夏に映画が公開された漫画『君は放課後インソムニア』の「聖地」の一つとして知られる。店の再開を知った常連客が次々と訪れていた。店で売られていたコーヒーを購入すると袋の中に「被災地応援イベントレポート」が入っていた。アニメの作家と協働でいろいろとイベントを仕掛けているようだ。(※写真・上は七尾市一本杉通りに開設された仮設商店街。写真・下はこだわりの喫茶店「中央茶廊」の店舗)
「能登復興祈願キリコ大祭」と銘打った今回のイベントは能登と金沢の神社が中心となって企画した。地元メディア各社の報道によると、毎年8月下旬に夏季大祭を開催する輪島市の重蔵(じゅうぞう)神社は元日の能登半島地震で社務所が全壊、拝殿の一部が損傷した。このため、同神社では大祭の自粛を検討していたところ、ご神体を一時避難で預かってもらっていた金沢市の石浦神社から提案があった。金沢で2次避難している輪島市民を励まし、能登復興の機運を盛り上げるためにも、金沢でキリコ祭りを出張開催してはどうかとの提案だった。
るが、「9月20日」と「同27日」の案が浮上しているという。気になるのはその後の流れだ。