#コラム

★阿武松と輪島の横綱顕彰碑

★阿武松と輪島の横綱顕彰碑

   能登が生んだ相撲界のトップは2人いる。第6代横綱、阿武松緑之助(おうのまつ・みどりのすけ、1791‐1852)と第54代横綱の輪島大士(わじま・ひろし)だ。2人の生きた時代はまったく違うが、幼いころからエピソードはよく聞いた。ことし5月に2人の顕彰碑を訪ねる機会があった。

   阿武松の顕彰碑は生まれ故郷の能登町七見にある。富山湾を臨む海辺に、高さ4.5メ㍍、幅2.4㍍の石碑だ。町の案内板によると、碑は昭和12年(1937)に建立され、相撲力士碑としては日本一の大きさと説明がある。文政11年(1828)に横綱に昇進、天保6年(1835)の引退までの在位15場所の通算成績は230勝48敗だった。ちょっと癖もあったようだ。立合いでよく「待った」をかけた。良く言えば慎重派だったのだろう。当時の江戸の庶民はじれったい相手をなじるときに、「待った、待ったと、阿武松でもあるめぇし…」と阿武松の取り組みを引用したほどだった。

   阿武松が引退して、145年後再び能登生まれが横綱に駆け上った。輪島だ。七尾市石崎町の出身。阿武松の故郷とは直線距離にして30㌔ほどだろうか。同じく海辺の町だ。ちなみに現役の遠藤聖大(えんどう・しょうた)は2人の中間地点の穴水町中居の生まれ。

   輪島は金沢高校1年のときに国体で優勝して地元石川で名をはせた。日本大学へ進み、2年連続の学生横綱、そして花籠部屋へ入門した。当時、学生横綱がプロの世界に入るのは異例だった。1973年に横綱に昇進したが、本名で通した。これも異例だった。ただ当時、能登半島の観光ブームの起爆剤になった。輪島は「輪島の朝市」や「輪島の千枚田」を連想させ、生誕地に接する和倉温泉のにぎわいに貢献した。77年に歌手・石川さゆりの『能登半島』がヒットし、能登ブームはピークに達した。

   左下手を取ると力を発揮する特異な取り口は「黄金の左」と呼ばれ、ライバルの横綱・北の湖とともに「輪湖時代」の全盛期を築いた。81年春場所で引退、通算成績は673勝234敗だった。その後、花籠部屋を継承したが、金銭トラブルなどで日本相撲協会を退職。プロレスラーに転向し、ジャイアント馬場の門下に。その後も輪島の話題は地元でよく聞いた。出身地の石崎奉燈祭(8月)では、帰省してキリコを担いでいる写真が地元紙で掲載されたこともあった。一方、仕事に困って和倉温泉の旅館で下足番をしているのを見たなどと噂話も。これも「有名税」なのだろう。

   その輪島がきのう8日逝去したと報じられた。70歳だった。阿武松の顕彰碑に匹敵する石碑が生まれ故郷の石崎町、市立能登香島中学の後方に建っている。

⇒9日(火)夜・金沢の天気    あめ

☆たかが茶会、されど茶会

☆たかが茶会、されど茶会

    きょう(8日)台風一過の晴天。そして文化の秋、真っ只中でもある。知人に誘われ、茶会に出かけた。自身も大人のたしなみを心得たいと思い、茶道の稽古を月2回のペースで積んでいるが、何しろ「六十の手習い」で習っては忘れるの繰り返しではある。

    茶会の名称は「金沢城・兼六園大茶会」、石川県茶道協会や地元の新聞社などの主催。8流派13社中が点前を披露する、まさに大茶会だ。この茶会の特徴は、陶芸や漆芸、木工などの人間国宝から若手作家までの新作道具を使用することが条件となっている。点前もさることながら工芸作家の新作も楽しみな茶会だ。

    午前中、国の登録有形文化財の武家屋敷「松風閣」=写真・上=で遠州流の点前を披露する茶席についた。多数の客がいる「大寄せの茶会」でそれぞれの流派の点前を拝見すると流派の特徴がよく分かる。遠州流は大名茶人で知られた小堀遠州を祖としていて、武家茶道の代表でもある。遠州流では、袱紗(ふくさ)は右腰につけ、私が習っている表千家流では左腰につける。同じ社中の人から、武家茶道では左腰は刀を指す場所なので、反対側の右側に袱紗をつけるのだと聞いたことがある。「なるほど」と思ったのだが、遠州流を習っている別の知人に聞くとそうではないらしい。千家流(表千家、裏千家、武者小路千家)を広めたとされる千宗旦(利休の孫)は左利きだったので、左腰に袱紗をつけるのが千家の流儀になったのだと。念を入れて、遠州流のホームページをチェックすると確かに同様のことが記載させれていた。はやり、人物の利き手の違いなのだろうか。

    茶席の床を拝見する。床の掛軸は『一山行尽一山青』。亭主が解説してくれた。禅語で、「一山行き尽くせば一山青し」。何とか山を登りきったと思えば、 また登らねばならぬ青々とした山が見えてくる、人生は是れ修行なり、と。武家茶道らしい、人生を山にたとえたダイナミックさ、そして実にストイックな一行である。

   掛軸の下の季の花に心が打たれた。花入は遠州が好んだといわれる瓢型の『砂張瓢花入』(魚住為楽作)。砂張(さはり)は、銅と錫(すず)を主成分に亜鉛銀、鉛を少量含ませた銅合金の一種。黒く重そうな質感が床の空間をぐっと締めている。季の花は、浜菊(はまぎく)の華やかな姿、上臈杜鵑(じょうろうほととぎす)」は黄色い花、赤い光沢の実をつけた梅擬(うめもどき)で彩られていた。上臈杜鵑の葉先に目をやると、虫食いになっている。秋の自然の情景を際立たせている。華やかさの後に控える「枯れ」の現実。諸行無常のたとえが心によぎる。許しを得て、写真を一枚撮らせてもらった=写真・下=。

   茶席は「わび・さび」「もてなし」の心に自然の美しさと豊かさを加えて、客観的な美を空間に創り上げる総合芸術だと思う。最近は生物文化多様性という表現で日本の茶道を紹介することもある。たかが茶会、されど茶会。その空間には実に深みがある。

⇒8日(祝)夜・金沢の天気    はれ

★台風の日本海、政争渦巻く大陸

★台風の日本海、政争渦巻く大陸

   台風25号は北陸に大きな被害をもたらすことなく過ぎ去ったようだ。昨夜は能登地方の8つの市町に暴風警報が出され、北陸新幹線も午後6時以降は全面運休だった。昨日(6日)能登半島の尖端、珠洲市に行くと、台風に備えて漁船が停泊していた。高屋地区の港では、イカ釣り船などがロープで岸壁に係留されていた=写真=。漁師に尋ねると、台風が過ぎ去っても、しばらく波が高いので漁に出ない、とか。「板子(いたご)一枚下は地獄」。プロの漁師ほど用心深い。フェーン現象だろうか、海岸沿いでも汗ばむ暑さだった。乗用車の外気温は31度。日本海を覆う雲の流れをしばらく眺めていた。海の向こうは朝鮮半島、ロシア、中国だ。いろいろ思った。

   ロシアのプーチン大統領は、対岸のウラジオストクで開催した東方経済フォーラム(9月12日)の壇上で、同席した安倍総理に「年末までに平和条約を締結しよう」と突厥に提案した。金融専門メディア「ブルームバーグ」によるとに、総理は直ちには応答しなかったが、聴衆は喝さいした、という。安倍総理とすれば、「北方領土問題を解決して日本とロシアの国境を確定したうえで、平和条約を結ぶ」というのが日本の方針なので、「いいですね」とは即答できるはずもない。大統領はさらに「我々(日本とロシア)は70年にわたって交渉してきた。(総理に)アプローチを変えよう、と提案した。前提条件を付けずに締結しよう」と語った。

   うがった見方をすると、プーチン大統領の北朝鮮へのエールのようにも思える。北朝鮮は非核化交渉でアメリカに対し、朝鮮戦争の終戦宣言を求めている。終戦宣言をすれば朝鮮半島におけるアメリカ軍や国連軍が駐留を続けることに、国際世論として疑問符がついて、交渉は北の有利になるかもしれない。日本とロシアで年内に前提条件なしに平和条約を締結すれば、北はアメリカに対して「ロシアと日本も前提条件を付けずに平和条約を結びましたよ。まず、前提条件を付けずに終戦宣言をしましょう」と迫るのではないか。

   きょう新聞各紙は、北朝鮮で対米政策を担当する崔善姫外務次官が9日にモスクワで開催される中国、ロシアの外務次官級協議に出席し、3ヵ国の連携を確認すると報じている。アメリカから経済制裁(ロシア、北朝鮮)や貿易バッシング(中国)を受けている3ヵ国が対アメリカで連携を密にするということなのだろうか。

    もう一つ。ICPO(国際刑事警察機構、本部フランス・リヨン)の孟宏偉総裁が先月末に中国に帰国した後に連絡が取れなくなっていると海外メディアなどが伝えている。中国が国外への亡命者や反体制派の取り締まりのため、ICPOでの影響力を高めることを狙って猛氏を総裁に就かせたとの見方がある。今回の猛氏の帰国は、トランプ大統領をICPOの網にかけるための作戦を中国当局と練るためではないだろうか。根拠はないが。そのうち、フランスのオフィスに孟氏は何気ない素振りで戻るのではないか。

    海を隔てた彼方の大陸ではさまざま国際政治の思惑が渦巻いている。そのような妄想を抱きながら、次第に分厚くなる台風25号の雲行きを眺めていた。

⇒7日(日)午前・金沢の天気   くもり時々あめ

☆ディープフェイクの時代

☆ディープフェイクの時代

   台風25号の影響で北陸でも今夜からあす未明にかけて風も強まるというので、用心のために庭木を見て回った。セイオウボが淡いピンクの花をつけていた=写真=。この季節見るたびに上品な装いだと感心する。秋から春先にかけて一輪、また一輪と咲く。金沢では茶花として重宝されている。セイオウボを漢字で書くと「西王母」。ネットで調べてみると、西王母は『西遊記』にも登場する、不老不死の桃の木を持つ仙女の名前から名付けられているようだ。名前の由来は、格調の高い上品な趣の花ということなのだろうか。

   日本列島では相次ぎ台風が吹き荒れているが、東南アジアのインドネシアではスラウェシ島でマグニチュード7.5の地震(9月28日)と、それによる津波の被害が日々拡大、その後ソプタン山(1830㍍)の噴火(今月3日)があった。3つの重なる災害での死者は1500人とも報じられている。住民の不安心理を増幅させるかのように、SNSでは「M9.0の大地震が来る」や「ダムが決壊した」といったフェイクニュース(流言飛語)も飛び交っているようだ。小売店やガソリンスタンドで略奪行為など混乱に拍車をかけてるとBBCなど海外メディアが伝えている。

   災害に乗じたフェイクニュースは国内でもある。2016年4月に熊本でマグニチュード7.0の地震が発生したとき、熊本市動植物園のライオンが逃げたと画像をつけて、ツイッターでデマを流したとして偽計業務妨害の疑いで神奈川県の男が逮捕された。災害時のデマで逮捕されるのは国内では初のケースだった。男は2017年3月に「反省している」として起訴猶予処分となった。が、世界ではフェイクニュースによる人種差別や選挙妨害などエスカレートしている。

   そのフェイクニュースが巧妙に進化している。ネット上で「ディープフェイク」と称される「フェイク動画」のことだ。大学の知人から教えてもらった、アメリカのニュースサイト「BuzzFeed」がユーチューブで公開している動画を視聴して考え込んでしまった。「You Won’t Believe What Obama Says In This Video!」( この動画でオバマが言っていることを信じられないだろう!)のタイトルで、オマバ氏がホワイトハウスで声明を発表しているように見える映像だ。その中で、「President Trump is a total and complete dipshit.」(トランプ大統領はまったく本当に愚か者だ)などと罵っている。

   動画の最後の方に出てくるが、別人のコメディアンの語りに、オバマ氏の映像を被せたものだ。声も口の動きも表情も全て、このコメディアンのもの。つまり合成動画なのだ。膨大なオバマ氏の動画をAI(人工知能)が学習し、コメディアンの口の動き表情ととまったく同じオバマ動画をつくり、それを声に被せた。AIのテクノロジーの進化を感じさせるが、これでフェイク動画を作ることができると考えると穏やかではない。たとえば、トランプ氏と似た声の持ち主が「北朝鮮の非核化では日本が全面的に北に資金援助することで安倍氏と合意が出来ている」などとトランプ動画をつくり公開するとどうなるだろう。真贋をめぐって外交問題になるかも。

 
   今回「BuzzFeed」の動画を視聴して、動画は画像よりも加工が難しいとされてきたが、今やその常識は覆った。それはディープフェイクの時代の到来でもある。欧米ではパロディーとしてこの手の動画が増産されるのではないか。もちろん、余計な心配なのだが。

   セイオウボの花を眺めながら、台風が無事過ぎ去ることを願う。

⇒6日(土)夜・金沢の天気    くもり

★「本庶論」からジャーナリズム論へ

★「本庶論」からジャーナリズム論へ

   金沢大学の共通教育科目「ジャーナリズム論」の講義がきょう(3日)から始まった。毎週連続8回で新聞・テレビの報道の現場からゲストスピーカーを招いて、「災害とジャーナリズムを考える」「生活・文化に関する報道について」「事件報道と実名呼称について」「デジタル化における新聞メディアの将来戦略」「体験的ドキュメンタリー論」などをテーマに講義していただく。初回は「民主主義とジャーナリズム」と題して私自身が講義を担当した。履修する学生は120人=写真=。

   話のつかみは、ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった本庶佑氏(京都大特別教授)の記者会見(今月1日)からひねり出した。「研究を進める上で心がけていることは」と記者から尋ねられ、本庶氏は淡々と「一番重要なのは、不思議だな、という心を大切にすること。教科書に書いてあることを信じない。常に疑いを持って本当はどうなんだろうという心を大切にする」「つまり、自分の目で物を見る。そして納得する。そこまで諦めない」と答えた。ジャーナリストもまさに同じ発想だ。本庶氏は「教科書=科学の権威」を疑い、自分で納得するまで調べてみよと説いているのだ。これは「科学におけるジャーナリズム性」ではないだろうかと学生に投げかけた。

   ここから、記者自らが納得するまで取材する調査報道はジャーナリズムの原点であることを論じる。調査報道の基本は、政府や省庁、役所や企業の公式発表に頼らず、独自の取材活動により、隠された事実や問題を報道することだ。発表に頼らず、独自に掘り起こすニュースがなければ、報道機関としての存在意義がない。調査報道のモデルケースとして講義の中でよく引用するのが、2010年9月21日付の朝日新聞がスクープした、大阪地検特捜部の主任検事による押収資料改ざん事件だ。

   事件の発端は、ある意味で当地から始まる。2008年10月6日付で朝日新聞は、石川県白山市に本社を置く印刷会社が「低料第3種郵便物」割引制度(郵便の障害者割引)を不正利用してダイレクトメールを大量に発送していたことを報じた。1通120円のDM送料がたった8円になるという障害者団体向け割引郵便制度を悪用し、実態のない団体名義で企業広告が格安で大量発送された事件が明るみとなった。これによって、家電量販店大手などが不正に免れた郵便料は少なくとも220億円以上の巨額な金になる。国税も動き、さらに大阪地検特捜部は郵便法違反容疑などで強制捜査に着手した。

   事件の2幕は舞台が厚生労働省へと移る。割引郵便制度の適用を受けるための、同省から自称障害者団体「凛の会」へ偽の証明書が発行されたことが分かり、特捜部は2009年7月、発行に関与したとして当時の局長や部下、同会の会長らを虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴した。

  ところが、元局長については、関与を捜査段階で認めたとされる元部下らの供述調書が「検事の誘導で作成された」として、2010年9月10日、大阪地裁は無罪判決を下した。そして、同月21日付紙面で、大阪地検特捜部が証拠品として押収したフロッピーディスク(FD)が改ざんされた疑いがあると朝日新聞が報じる。その後、事件を担当した主任検事が証拠隠滅容疑で 、上司の特捜部長、特捜副部長(いずれも当時)が犯人隠避容疑で最高検察庁に逮捕される前代未聞の事態となった。

    なぜ元局長が無罪となったのか。報道してきた責任として検証しなければならない。浮かんできたのが主任検事による押収したフロッピーの改ざん疑惑だった。取材記者は元局長無罪の判決を受けて、疑惑を検事に向けて取材しなけらばならない。相手は政治家も逮捕できる検察である。その矛先が新聞社の取材そのものに向いてくる場合も想定され、一歩間違えば、「検察vs朝日新聞社」の対決の構図となる。被告側に返却されていたフロッピーを借りに行った記者に、被告側の弁護士は「検察そのものの取材に、あなたは本当に立ち入ることができるのか」とその覚悟の程を問うた、という。

  こうした伸るか反るか、取材者側のギリギリの判断がありながらも、権力の監視、チェックこそがジャーナリズム本来の使命と突き進んでいく記者たちの現場を学生たちに理解してほしい、そう思いながらきょうの講義を締めた。

⇒3日(水)午後・金沢の天気    はれ

☆「能登SDGsラボ」の可能性

☆「能登SDGsラボ」の可能性

  国連のSDGsとは「Sustainable Development Goals」。訳すると「持続可能な開発目標)」となる。このSDGsという言葉は国内にはまだまだ浸透していないので、分かりにくい。能登半島の尖端の珠洲市が率先して内閣府の「SDGs未来都市」に申請して、採択を受けたことは、とても意味がある。それは、これまでの地方創生の目標に加え、国際的に通用する「新しい物差し」で地域の課題に向き合うという意思表示を国内だけでなく世界に示したということになるからだ。 

  国連の持続可能な開発目標であるSDGsの基本原則は「誰も置き去りにしない」ということ。これは、立場の弱い人々に手を差し伸べて、負担を少なくする、あるいはどうすれば負担が少なくなるのかを福祉の観点だけでなく、環境や経済などの視点から前向きに幅広く考えて、地域のプラス成長にもっていくという発想でもある。SDGsについて学び行動することは、大学の研究者や学生、企業人、社会人、個人にとどまらず多くに人にメリットをもたらす。SDGsをきっかけに、自分と世界をつなげて考えることができる。それは、自分の視野を広げるばかりでなく、ビジネスにつながる発想にもなる。 

  SDGsはともすれば途上国のことだと考えがちだが、過疎化で地場産業の衰退を受けた地域をいかに再生するかといった日本の地方の問題でもある。珠洲市のSDGs未来都市には、行政だけでなく、金沢大学、国連大学、石川県立大学、地元経済界、県の産業支援機関など多くのステークホルダーが寄り集っている。きょう(1日)珠洲市におけるSDGsの取り組みの中核となる「能登SDGsラボ」のオープンセレモニーがあった。除幕式でその看板がお披露目された=写真=。SDGsという、掲げた旗のゴールターゲットは17色あり、鮮明でうつくしい旗の元にステークホルダーが集まったと言える。 

  能登SDGsラボは、地域の課題解決のワンストップ窓口であり、さまざまな専門家や有識者が集うシンクタンクの拠点機能を目指している。多くの研究者や学生にも参加してもらい、グローバルな視点で地域課題を考え、課題解決に参画するアクションの場となればと期待する。能登の先端からSDGsが世界に広がっていくことを願っている。

⇒1日(月)夜・珠洲市の天気    くもり時々あめ

★華厳の滝で尋ねたこと

★華厳の滝で尋ねたこと

    日光では華厳の滝も見学した。鬼怒川支流の大谷(だいや)川を渡って、「第二いろは坂」(国道120号)の上り坂を走行する。ヘアピンカーブの連続はスリルと同時に妙なふらつき感も伴う。

    そうこうしながら華厳の滝に。「華厳滝エレベーター」で100㍍下の展望台まで行くことにした。エレベーターの料金は1人550円。受付入口でこの値段を聞いて引き返すインバウンド観光のカップルもいた。パンフによると、エレベーターは岩盤をくりぬき1930年に造られたとある。2基のエレベーターには改札口があり、車掌の姿をした係員もいる。民間会社が経営しているが、おそらく上下を移動する交通機関という位置づけなのだろう。30人乗りで60秒の移動だ。

    エレベーターを降り、スロープと階段を下り展望台に行く。少々霧がかかっていたが、高さ97㍍を一気に落下する壮大な景観は、まさに自然の造形美だ。爆音とともに水しぶきが弾ける豪快な姿。滝のことを「瀑布(ばくふ)」と称することもある。高所から白い布を垂らしたような。まさにその景観=写真=には圧倒された。展望台は小学生の修学旅行と思われる児童たちが滝をバックに記念撮影をしていた。腕章に「富」と書かれてあったので、「どこの小学校なの」と男子児童に尋ねると、「神奈川県の・・市立富士見小学校です」と即答があった。さらに「富士山を毎日のように見ることができて、そしてきょうは華厳の滝、いい修学旅行だね」とさらに言葉をかけると、「富士山はきれいで眺めるだけですが、ここは音に迫力があって、とても心に残ると思います」と。理解しやすく無駄のない言葉使いだった。

   30分ほど滝の迫力を楽しんで、エレベーターに戻った。車掌に尋ねた。「展望台まではスロープと階段がありますが、車椅子の障害者が展望台に行きたいと希望した場合、介助や支援はされているのですか」と。すると「そこまでやっていません」と。「介助なしですか」と確認すると、「そうなんです。民間ですから」と。エレベーターの案内入口では車椅子の見学者には地下ではなく地上の展望台を案内しているようだ。私見だが、上から眺める滝より、下から見上げる滝の方が、先の小学生の言葉通り、音響が得られる分、臨場感がまるで違う。

   会社が人手不足などで車椅子の障害者を介助する常駐スタッフまでは確保できないとすれば、「550円のエレベーター料金は無料にしますので、お客さんの中で車椅子の介助を手伝っていただける方を募集します」と場内アナウンスで呼びかけてもよいのではないか。先に引き返したインバウンドのカップルは手を挙げるかもしれない。そんなことを思いながら華厳の滝を後にした。戦場ヶ原(標高1400㍍)はうっすらと草紅葉(くさもみじ)が色づいていた。

⇒28日(金)夜・金沢の天気   くもり

☆日光東照宮で見たこと

☆日光東照宮で見たこと

     東京へ行くついでに足を延ばして、日光を訪れた。北陸新幹線の大宮駅で下りて、東武線に乗り換えて日光駅へ。駅前でレンターカーを借りて日光東照宮と華厳の滝などをめぐった。実は日光は初めて。「三猿」や「眠り猫」はよく知られているが、ぜひこの目で見てみたいと思い立った。

   駅から参道の坂道を走行すると、「ゆば料理」の店が看板があちらこちらに見えてくる。日光東照宮の表門に到着し、外に出ると小雨ということもあって少々肌寒い。小さな案内板があった。「ここは標高634㍍ 東京スカイツリーと同じ高さです」と。平地に比べ寒いわけだ。30㍍はあるだろう杉の大木に圧倒されながら、表門に行く。

   表門の入口に拝観受付所(料金所)があった。霊験あらたかな気持ちで受付所に行くと、待っていたのは「Suica(スイカ)」の自動拝観券売機だった。交通系電子マネー決済システムでありがたく拝観券をいただく。そう言えば、レンタカーの窓口の従業員が言っていた。昨年、日光東照宮の国宝「陽明門」の4年の大修理が完了したので、参拝客やインバウンド観光の客で随分増えた、と。確かに、Suica販売機は現金を入れない分、人のさばきが速い。また、英語や中国語、韓国語にも対応している。「さすが、ユスネスコの世界遺産」と感心しながら表門をくぐった。

    「神厩舎(しんきゅう)」と呼ばれる神馬の厩(うまや)が左側に見えてきた。「見ざる・言わざる・聞かざる」三猿の木彫がある建物だ。正面と側面合わせて8面の彫刻があり、男性ガイド氏の「悪いことは見ない、言わない、聞かないという、親から子どもへの躾(しつけ)教育を表しているといわれています」との説明に聴き入る。

    厳かできらびやかな「陽明門」をくぐる。極彩色で精緻な彫刻の数々。門の内側の天井には狩野探幽が描いた「昇り龍」と「降龍」が。徳川三代将軍・家光が家康を神格化するために大改造を行ったとされる。高さ11m、幅約mの門にどれだけの江戸の建築の技、工芸、そして美術の粋が凝縮されていることか、圧倒的な存在感がある。

    唐門から本社を仰ぎ、右に回って「眠り猫」=写真・上=がいる坂下門へ。家康公の眠る墓所に通じる門に刻まれている、あの有名な体を丸めて寝ている猫。門をぐぐって振り向くと、眠り猫の裏側に当たる木彫は二羽の雀(すずめ)が躍っている姿だ。作者は左甚五郎。この二つの作品から読み取れる意図は「共存共栄の世界」かと想像した。戦乱の世をかいくぐって天下を治めた初代の威厳を借りて、三代目は泰平の世の願いを東照宮の大改造に込めた。もし、三代目の発想が眠り猫の作成に反映されているとすれば、武家諸法度や参勤交代などもろもろの制度による泰平の世を構築することが、まさに眠り猫と雀の共存共栄ではなかったか。

    墓所がある奥宮までの階段207段を上った。石坂と石段、石垣=写真・下=が続く。日光の山奥までこれら石をどのように運んだのか。普請した大名たちの嘆き節が聞こえてきそうだ。

⇒27日(木)夜・金沢の天気     くもり

★世論調査の「重ね聞き」

★世論調査の「重ね聞き」

    きょう(23日)日本経済新聞社とテレビ東京による世論調査(今月21-23日実施)の結果がWeb版で掲載された。安倍内閣の支持率は55%となり、前回の8月調査の48%から7ポイント上昇し、不支持率は42%から39%に下がった。支持率が55%以上になるのは、財務省の決裁文書改ざんが発覚する前の2月調査の56%以来と報じている。読売新聞社も世論調査(今月21-23日実施)を掲載していて、安倍内閣の支持率は50%、前回8月調査でも50%なので横ばい。不支持率は41%(前回40%)と1ポイント上昇した。

    NHKも今月の世論調査(今月15-17日)を発表していて、安倍内閣を「支持する」は先月の調査より1ポイント上がって42%だった。「支持しない」は39%で、先月より2ポイント下がっている。朝日新聞の世論調査(今月8-9日実施)では安倍内閣を「支持する」が41%で前月比で3ポイント上昇、「支持しない」は38%で前月比3ポイント下がった。

    マスメディアによる世論調査の方法の主流は「RDD(Random Digit Dialing)」と呼ばれ、全国の18歳以上の男女を対象にコンピューターで無作為に発生させた固定電話と携帯電話の番号に電話をかける世論調査。NHKの場合、今回調査の対象となったのは2128人のうち57%に相当する1215人から回答を得たと説明している。日経の今回の回答率は46.4%だった。

    それにしても、数字だけ眺めて不思議に思うのは、日経と読売が内閣支持率が50%を超えているのに、NHKと朝日は40%台だ。世論調査とは言え、調査に答える人はそれぞれのメディアのシンパなのだろう。だから日経と読売の支持率は高く、NHKと朝日は低い、と思いがちだ。実は、設問方法が違うのだ。

    最初に「内閣支持」か「不支持か」を尋ねるが、答えなかった人は「言えない・分からない」に分類される。朝日の場合はこれでこの設問は終わりだ。ところが、日経は「重ね聞き」をする。「言えない・分からない」と答えた人に再度、「お気持ちに近いのはどちらですか」と尋ねるのだ。Web版から引用して数字で示す。最初「支持する」51%、「支持しない」36%、「言えない・分からない」12%だった。「言えない・分からない」と回答した人に再度「お気持ちに近いのはどちらですか」と尋ね、「支持する」32%、「支持しない」25%、「言えない・分からない」43%の数字を得た。これを算定して「支持する」55%、「支持しない」39%としている。重ね聞きの場合は、「言えない・分からない」の割合が減る分、結果的に「支持する」と「支持しない」の割合が増えるのだ。

    結論、NHKと朝日は重ね聞きをしないので内閣支持率も不支持率も低い。ところで、私自身もこれまで何度かRDDに答えたことがあるが、ロボット的な自動音声に設問されると「早く終われよ」との感情が先立つ。世論調査は有権者の気持ちを引き出すものだ。ロボット調査は勘弁だ。ちなみに、朝日の調査は自動音声ではなく、調査員の肉声だった。肉声だから素直に答えるという訳でもないのだが。

⇒23日(日)夜・金沢の天気    くもり

☆「Noto」フォントを縁に

☆「Noto」フォントを縁に

   能登半島で初めて国の「SDGs未来都市」に選ばれた珠洲市では、「能登SDGsラボ」の開所式が10月1日に迫っている。オープニングセレモニーでは看板の除幕式があり、その看板のデザインをめぐって行政の担当者や協力する大学関係者で知恵出しをしながら進めている。まず、看板の文字をどうするか、難問が立ちはだかった。すると、関係者の一人がフォントで「Noto」があることが話題になった。以下メールでの情報共有。「グーグルが開発した多言語の『Noto』フォントというのがあり、名前もフォントも大変かっこいいので、サンプルも含め、情報共有いたします」と。

   すると同僚がさっそく調べた。以下メールを引用する。Notoというフォントの由来は「能登」とは無関係で、もともとはNo more tofu(豆腐はもうたくさん!)の略でNotoだそうだ。文字化けしたときに「□□□」のような長方形の図形がたくさん表示されることがある。この「□」がITプログラマーの間ではTofuと呼ばれている。図形から思いついた人の発想の豊かさが感じられる。

   文字化けを許さないグーグルの理念がNo more tofuで、その理念からNotoと名付けられたのが、このフォントというわけだ。さいはての能登半島から「誰一人取り残さない」世界共通の開発目標の達成の一翼を担う能登SDGsラボ。その看板に、このユニバーサルなフォントを用いることはとても意味があるのではないだろうか。実際、とても美しいフォント=写真・上=だと思う。能登=Notoという偶然の一致以外にもう一つエピソードが添えられたかっこうだ。

   このNotoフォントを歓迎しているであろう地域が世界でもう一つある。イタリアのシチリア島南部の町、Notoだ。ワインの産地で知られ、街には美しい装飾を施したバロック様式の建物が多く残る=写真・下=。ユネスコ世界遺産にも登録されている。ぜひ訪れてみたい。Notoフォントを縁に能登半島とシチリア・ノートで姉妹提携を結んではどうか、などと妄想している。(※写真・下はイタリア政府観光局公式サイトより)

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