#コラム

★SDGsをお経のように

★SDGsをお経のように

   能登は自然環境と調和した農林漁業や伝統文化が色濃く残されていて、2011年には国連の食糧農業機関(FAO)から「能登の里山里海」が日本で最初の世界農業遺産(GIAHS)の認定を受けるなど、国際的にも評価されている。

        一方で、能登の将来推計人口は2045年には現在の半数以下になるとされ、深刻な過疎・高齢化に直面する「課題先進地域」でもある。金沢大学が能登半島の先端で開講している「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」は新しい社会の仕組みをつくり上げる、志(こころざし)をもった人材が互いに学び合い切磋琢磨することで、未来を切り拓く地域イノベーションが生まれることの期待を人材育成プログラムに込めている。

   マイスタープログラムの取り組みは、国連で定めた持続可能な開発目標であるSDGsに資すると評価を受け、昨年6月に珠洲市が申請したマイスタープログラムと連携するコンセプトが内閣府の「SDGs未来都市」に認定された。これを機に、能登半島がSDGsの世界的な先進モデル地となることを目指すコンセプトにしようと、今年度からそれまでの能登里山里海マイスター育成プログラムを能登里山里海SDGsマイスタープログラムとしてリニューアルした。その効果はあったのか。

   きょう9日、マイスタープログラムに参加した。「SDGs」という言葉が飛び交っていた。たとえば、受講生が発表した報告には、「能登の里山里海の魅力を伝える観光DMOをSDGsの視点でさらに付加価値を高めたい」や「SDGsをテーマとして能登の森林バンクを創る」など、SDGsが普通にテーマに盛り込まれていた。能登暮らしに満足してはいない、かと言って決して先端を走っているわけでない。そこで、新たな価値としてSDGsを活用したい、そのような雰囲気が感じられた。

   これは思い付きの発想だが、SDGsを唱えることで自分自身をその気にさせる、お経のような効果があるのではないだろうか。理解することもさることながら、まず唱えてから自身に問いかけて語り、実行に移す。SDGs教である。悪い意味で言っているのではない。日本には「習うより慣れろ」や「考えながら行動する」という言葉がある。知識として教わることを優先するよりも、実際に体験を通じてその意味を実感していく方が習得は早い。講義を最後まで聴講していたが、面白い雰囲気が漂っていた。

9日(土)午後・能登半島・珠洲市の天気    くもり

☆仮想通貨はどこへ行く

☆仮想通貨はどこへ行く

        金沢の山側環状道路を走行すると、道路沿いにイチョウ並木が見えてくる=写真=。青空と黄ばん並木の風景が西洋絵画の世界のようで心が和む。「オオイチョウ」という言葉があるくらい、長寿の樹木が多く、花言葉も「荘厳」「長寿」「鎮魂」などがある。イチョウ並木がある場所は野田山墓地の周辺。おそらく道路を新設する際に周辺の風景に配慮してイチョウを植栽したのだろう。 

   話は一転して俗世間に戻る。9月24日付のこのブログで、フェイスブックの仮想通貨「リブラ」の話題を取り上げた。その後、G7作業部会が報告書を発表し、リブラには各国の金融政策や通貨システムを揺るがすリスクがあると指摘した(10月18日)。これを受けて、G20財務相・中央銀行総裁会議はリブラを当面認めないと合意した(同日)。世界の中央銀行がリブラに対して警戒感を示している。この状況下でのリブラの発行には無理があるだろう。

   これをチャンスとして、中国の「デジタル人民元」が先んじるかもしれない。以下は憶測だ。その理由は単純だ。中国の中央銀行が発行するデジタル通貨にすれば、人民への監視がさらに行き届くからだ。アドレスと本人の結びつけを厳密に確認する通貨として、中央銀行が管理する。そうすれば、現金と違って履歴が残る。さらに、その履歴をAI分析を駆使すれば、個人の行動や生活状況、性格、嗜好など推測できる。デジタル通貨で人民を監視できるのであれば、導入しないという選択はないだろう。

   おそらく、中国はマネーロンダリングや脱税、詐欺などを防止する目的で仮想通貨を導入とすると人民に宣伝して導入するだろう。あるいは世界の基軸通貨を確立すると鼓舞して導入を進め、「一帯一路」の参加国にも導入を呼びかけるかもしれない。

   では、前段で述べたG20の合意との齟齬(そご)はないのか。G20には中国も入っているが、リブラは民間の仮想通貨なので警戒するが、デジタル人民元は中央銀行が自らが発行するので、G20合意には束縛されないと主張するだろう。リブラの失墜で、中国が仮想通貨で世界のトップランナーになる可能性をつかんだ、のかもしれない。キャッシュレス化が進んでいるとされる中国で、一気に仮想通貨が普及するかどうか。

⇒6日(水)朝・金沢の天気    はれ

★首里城、再建への難題

★首里城、再建への難題

       正殿など全焼した首里城の火災の原因は、報道によると、火元とみられる正殿北側1階部分の焼け跡から分電盤とみられる焦げた電気設備が見つかっている(琉球新報Web版・4日付)。防犯カメラの解析などから、外部侵入による事件性は低いようだ。関連記事で気になるのが、正殿が木造の漆塗りであったことが燃焼速度を速めた要因になった可能性があるとの指摘だ(朝日新聞Web版・10月31日付)。漆塗りのため木造に水が浸透しづらく、消火を妨げた可能性はある、という。

   首里城の特徴は漆塗りを駆使した、いわば「漆の城」である。今後再建に向けた議論の中で漆の特徴を最大限に生かすのか、防災対策として漆の使用を抑制するのか、この点が論議になってくるのではないか。

   2009年5月に首里城=写真・上=を訪れた。正殿入り口の二本の柱「金龍五色之雲」が目に飛び込んでくる。四本足の竜が金箔で描かれ、これが東アジアの王朝のロマンをかきたてる。全体の弁柄(赤漆)はこの二本の柱の文様を強調するために塗られたのではないかと想像してしまう。さらに内部の塗装や色彩も中国建築の影響を随分と受けているのであろう、鮮やかな朱塗りである。国王の御座所=写真・下=の上の額木(がくぎ)には泳ぐ竜が彫刻され金色に耀いている。琉球漆器の職人たちが首里城の塗りと加飾を施し、一つの巨大な作品に仕上げた。ウチナーンチュ(沖縄の人)の誇りをかけた仕事だったことは想像に難くない。

   ユネスコ世界文化遺産「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」(2000年登録)の首里城跡は、4.7㌶におよぶ地下の遺構や、琉球王朝時代の他の城跡などで、今回焼失した正殿などの建造物は世界遺産ではない。その意味で、正殿などの建造物は再建は進めやすいだろう。正殿などは本土復帰20年の記念事業として1989年に着工し、92年に「首里城公園」としてオープンした。事業費は建物だけで73億円かかった。

   再建を進める際に浮上する問題は想像するにいくつかある。国を支援を得て復興資金は工面できたとしても、プロ職人と建築資材が集まるかどうか。92年の首里城復元時には樹齢400年のヒノキが他府県や台湾から集められたが、正殿を造る大木を確保できるだろうか。また、正殿だけで5万枚、全体で22万枚という赤瓦を調達できるだろうか。木造の板壁に塗る弁柄漆は確保できるのだろうか。御座所や周辺の装飾に沈金(ちんきん)など伝統の漆塗り職人の確保はどうか、だ。

   さらに、冒頭で述べた木造の漆塗りと防災の問題だ。まさかと思うが、防災を優先して、この際、正殿を木造から鉄筋コンクリートにするという議論だけにはなってほしくない。玉城知事は記者会見(1日・総理官邸)で本土復帰50年となる2022年5月までに再建計画をまとめると述べたが、ウチナーンチュの誇りをかけた仕事となることを願う。

⇒4日(月・振休)昼・夜金沢の天気     はれ

☆落ち葉の季節、ツワブキの花

☆落ち葉の季節、ツワブキの花

        11月になり、朝は冷え込み、落ち葉が舞っている。兼六園では雪吊りの作業が始まっている。まさに金沢の晩秋の風景だ。この頃になると、自宅庭の隅にツワブキが黄色い花を咲かせる。花は菊のよう。緑色の葉はフキに似ていてつやつやと輝きを放つ。晩秋に彩りを添えている。

   ネットで検索すると、ツワブキはつやのあるフキの葉である「艶葉蕗(つやはぶき)」が転訛したとの説があるようだ。そして花言葉は「謙遜」や「困難に負けない」など奥深い言葉が並ぶ。ツワブキには「石蕗」の漢字が充てられている。確かに近所でも、庭の石組みの間などに植えられている。いろいろ特徴のある植物だが、うれしいのは花の少ないこの時期に咲いてくれることだ。さっそく活けて床の間に飾ってみた。

   床の間は掛け軸がメインなので、あまり大きくない葉と花の方が落ち着きと品が保てる。掛け軸の添えとして床にちょっとしたワンポイントを付ける感覚ではある。葉を3枚、花を切り3つにする。信楽焼の花入れに、まず葉を入れ、そして花を添える。「野に咲く花のように」が床の間の花の基本なので自然な形状を心がける。

   掛け軸は短冊で『開門多落葉』。門を開けば落ち葉多し。冬も近づき、勢いがあった樹木も落ち葉を散らす。季節の移ろいと、もののあわれの風情を感じさせる短冊ではある。その掛け軸の下にささやかに咲くツワブキがある。床の間を見て、ふともの思いにふける。

   落ち葉の季節を自分の人生に重ね合わせてしんみりとするは必要はない。同じ地面でも目線を変えれば、石組みのすき間の中からささやかに花を咲かせ、つやつやとした葉を見せてくれるツワブキがある。こだわりを捨て切り、その日一日を粛々と生きる。ただひたすらに、ありのままに「よし、生きる」との前向きな心境になれば、別の風景も見えてくるものだ。「日々是好日」という言葉があるではないか。

⇒3日(日)夜・金沢の天気    くもり

★「漆の城」首里城 燃ゆ

★「漆の城」首里城 燃ゆ

   北陸に住んでいて、沖縄・那覇市の弁柄(べんがら)の首里城はとても異国情緒にあふれた文化遺産だと、2003年と2009年の2回訪れたときに感じた。「これは巨大な漆器だ」と。それが、昨日(10月31日)未明に出火し、無残な姿になった。復興に向けて沖縄県と国の話し合いも今後進むだろう。ただ、建物だけ再建すれば済む話ではなく、巨大な漆芸術という点で容易くなはない。

    戦前の首里城は正殿などが国宝だった。戦時中、日本軍が首里城の下に地下壕を築いて、司令部を置いたこともあり、1945年(昭和20年)、アメリカの軍艦から砲撃された。さらに戦後に大学施設の建設が進み、当時をしのぶ城壁や建物の基礎がわずかに残っていた。大学の移転とともに1980年代から復元工事が進み、1992年には正殿が復元された。2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではなかった。

    これまでブログで書いた首里城の印象を以下採録する。首里城の正殿に向かうと、入り口の二本の柱「金龍五色之雲」が目に飛び込んでくる。四本足の竜が金箔で描かれ、これが東アジアの王朝のロマンをかきたてる。全体の弁柄はこの二本の柱の文様を強調するために塗られたのではないかと想像してしまう。さらに内部の塗装や色彩も中国建築の影響を随分と受けているのであろう、鮮やかな朱塗りである。国王の御座所の上の額木(がくぎ)には泳ぐ竜が彫刻され金色に耀いている。

  2階の柱には唐草文様が描かれ、どこまでも続く。パンフレットでこれが沈金(ちんきん)だと知って驚いた。石川県能登半島には輪島塗がある。輪島塗の2つの特徴は、椀の縁に布を被せて漆を塗ることで強度が増す「布着せ」と沈金による加飾。沈金は、塗った器に文様を線掘りして、金粉や金箔を埋めていく。この2つは輪島塗のオリジナルだと思っていたが、琉球漆器でも16世紀ごろから用いられた技法だったことは発見だった。

  那覇市内で漆器店のよく看板を見かけた。「漆器・仏具」とセットになっていて、器物と並んで、仏壇や位牌、仏具などが陳列されている。祖先崇拝が伝統的に強い風土に根ざした地場産業だ。ということは、漆塗りの職人が今でもおそらく何百人という単位でいるのだろう。これらの漆工職人を動員して自前で首里城の塗りと加飾を施し、一つの巨大な作品に仕上げた。漆器王国、沖縄の実力ともいえる。

 その首里城を遠望すると、朱塗りの椀に金箔の加飾が施されたようにも見えた。ゴールデンウイークだったせいもあり、首里城には多くの観光客が押し寄せ、まるで、人々を受け入れる巨大な器のようだった。

⇒1日(金)夜・金沢の天気 くもり時々あめ

☆台風19号と災害報道の持続可能性

☆台風19号と災害報道の持続可能性

   数ある自然災害でも今年は「台風の年」として記録されるだろう。関東に上陸した観測史上最強クラスの勢力とされた15号を始め、19号、そして21号で風害と水害が連続した。中でも、19号は死亡88人、行方不明7人と甚大な被害をもたらした。

   きょうニュースで、政府は非常災害対策本部の会議を開き、19号による災害を激甚災害とともに大規模災害復興法の非常災害に指定することをあす(29日)閣議で決定し、国が被災自治体に代わって道路などの復旧工事を進めていく方針だと報じている(NHKニュース)。大規模災害復興法は東日本大震災の後、2013年に施行された法律で、非常災害への指定は震度7度だった熊本地震(2016)に次いで2例目となる。

   19号はTVメディアに「視聴率の記録」もつくった。NHKは12日午前9時台から特番態勢だった。19号が静岡・伊豆半島に上陸したのは午後7時ごろ。19号の最新情報を伝えたNHK「ニュース645」(午後6時45分-同7時00分)の視聴率が38.3%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録した。ビデオリサーチ社が公表している「週間高世帯視聴率」(関東地方)によると、10月7日から10月13日の週の報道部門ランキングで、「ニュース645」を筆頭にベスト10がすべて12日のNHK台風関連番組だったという、前代未聞の記録を打ち立てた。ちなみにこの週の最高視聴率は翌日、13日の日本テレビ「ラグビーW杯・日本vsスコットランド戦」(午後7時30分-同9時54分)の39.2%だった。                     

   では、関東直撃の19号を民放はどう報じたのか。TBSは午後3時から報道特番を始め同6時50分まで、4時間近く台風関連のニュースを報じ、同10時からの「新・情報7daysニュースキャスター」でも台風情報を詳しく伝えていた。日テレは午後5時からの「news every」で台風関連ニュースを報じ、その後のアニメや「天才!志村どうぶつ園」を休止し、午後8時まで3時間枠を台風関連に充てた。テレ朝もアニメなどを休止して夕方1時間30分、さらに午後9時の「とんねるずのスポーツ王は俺だ!!」の放送日を変更し、合計4時間を台風関連番組としていた。これらの台風関連番組をリモコンでザッピングしながら視聴をしていたが、情報の量と速さ、ネットワークといった点では、頑丈な報道体制を有するNHKが存在感を発揮していた。民放には正直、心もとなさを感じた。

   自然災害は19号に象徴される台風と豪雨・洪水だけではない。豪雪、干ばつ、地震、津波、火山噴火、土石流・地滑りなど、日本の災害は多様だ。狂暴化し、広域化する自然災害に民放の報道体制は耐えうるのだろうか。災害報道の持続可能性を民放は検証してはどうだろうか。
(※写真は、台風19号による千曲川の決壊で北陸新幹線120両が水に浸かった様子を伝える新聞各紙)

⇒28日(月)午後・金沢の天気   はれ

★井伊直弼の「一期一会」

★井伊直弼の「一期一会」

   日本史の教科書で江戸幕府が揺らぐきっかけとなった事件として紹介されているのが「桜田門外の変」(1860)だ。幕府の大老、井伊直弼(いい・なおすけ)が水戸や薩摩の脱藩浪士の襲撃に遭い、暗殺された。その背景として、アメリカ総領事ハリスとの間で日米修好通商条約を勅許を得ずに調印、これに反発した尊王攘夷派の公卿や大名らを弾圧する安政の大獄を断行したことが反感を買ったとされる。強権ぶりが際立つ井伊直弼だが、一方で茶人という素顔もある。今月25日から彦根城博物館(滋賀県彦根市)でテ-マ展『井伊家の茶の湯』が開催されると知ってさっそく赴いた。

   現代でもよく使う「一期一会(いちごいちえ)」という言葉を最初に世に広めたのは井伊直弼だ。茶道では、一生に一度の出会いであると心得て、亭主(ホスト)と客(ゲスト)が互いに誠意を尽くすという意味で使われる。直弼は自らの茶の湯の集大成として記した著書『茶道一会集』の冒頭の3行目で「一期一会」を記している。「そもそも茶湯の交会(こうかい)は一期一会といひて、たとへば幾度おなじ主客交会をするとも、今日の会にふたたびかへらざる事を思へば、実に我、一世一度の会(え)なり。」。現代語で言えば、これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい、と。

   驚くのは、 茶道好きが高じて、武家茶道の石州流の中に一派を確立するまでになっていた。先の『茶道一会集』には心得、そして炭点前を解説した『炭の書』では炭の種類や組み方などが図と文章で記され、墨書に朱書を加えて分かりやすく解説している。つまり、弟子たちに丁寧な解説本を作成しているのだ。これだけではない。自作で楽焼の蓋置(ふたおき)をつくっている。カニやサザエなどモチーフに実に楽しそうに焼き物に取り組んだ様子がうかがえる=写真=。これを見ただけで、直弼の人柄が浮かんでくる。

   一期一会は刹那主義ではない。人との出会いを人生の好機として喜ぼうという前向きな精神性でもある。幕府の大老となって、鎖国か開国で国論が二分する中、直弼は幕府主導による開国こそが日本に好機をもたらすと前向きに考えたのだろう。アメリカと日本の国家間の一期一会であると信じ、日米修好通商条約(1858)にこぎつけたのではないか。享年46歳。

   会場には、直弼ゆかりのものだけでなく、井伊家伝来の徳川家康から拝領したと伝わる「大名物 宮王肩衝茶入」や、フィリピンのルソン島でつくられたと考えられる「呂宋壺(るそんつぼ)」など名品30点が展示されている。

⇒27日(日)夜・金沢の天気    くもり

☆新幹線戻る、その心理効果

☆新幹線戻る、その心理効果

   水に浸かった北陸新幹線のあのショッキングな画像から13日ぶりに安堵を得た気がした。台風19号の影響で長野市内を流れる千曲川の堤防が決壊し、新幹線車両センターが浸水し、電気設備の修繕や復旧のため、長野‐上越妙高間で運転を見合わせていた。それがきのう25日の始発から金沢ー東京間の全線で運転を再開した。首都圏との大動脈がつながるだけで、安心感が漂うので不思議なものだ。

   地元紙をチェックすると、「金沢駅 かがやき戻る」(北國新聞25日付夕刊)、「安堵 北陸新幹線13日ぶり全通」(北陸中日新聞26日付朝刊)などと各紙一面トップで伝えている=写真=。記事も面白い。同日午前8時45分に東京駅始発「かがやき501号」が金沢駅に到着すると、石川県内の温泉どころである和倉、山代、片山津、山中、湯涌の温泉旅館の女将らが法被姿で、改札をくぐってきた利用者に「いらっしゃいませ」と声をかけていたと報じている。行楽シーズンの真っ盛りでの新幹線の不通は、宿泊キャンセルなどで相当に痛みがあったことは想像に難くない。全線再開でひと安心だろう。

   しかし、客足はすぐ戻るだろうか。台風21号の影響で、千葉県など関東では記録的な大雨になり、河川の氾濫や土砂崩れによる家屋の倒壊など死者も出ている。新幹線が再開したからといって、関東からの観光客が果たして戻るだろうか。心理的に微妙なところだ。

   とは言え、街ににぎわいが戻ってほしいのは金沢に住む一人として正直な気持ちだ。きょうは、一足早いハローウイーンの行列が金沢駅から武蔵や香林坊までの目抜き通りを練り歩いた。大人もこどもも思い思いの仮装をして楽しそうに歩いていた。あす27日は「金沢マラソン2019」が開催され、国内外のランナー1万3000人が中心街などを走る。11月になれば兼六園では雪吊りが始まる。冬へと季節は移ろう。

⇒26日(土)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

★祝意と違和感と

★祝意と違和感と

   191の国と国際機関から代表が参列し、天皇陛下の中心的な儀式である「即位礼正殿の儀」が滞りなく執り行われた。国民を代表して安倍総理が「寿詞(よごと)」という祝辞を読み上げた。テレビで即位礼正殿の儀を視聴したのは人生で二度目だ。今回も古式にのっとり行われ、タイムスリップした感覚で見ていた。

   正直、違和感があったのは安倍総理の「天皇陛下万歳」の三唱だった。ほかに言い方はなかったのだろうかと思った。というのも、私は小さいころ亡き父から聞いていた話は、戦時中、仏領インドシナ(ベトナム)の戦線でフランス軍と戦うとき、兵士たちは「天皇陛下万歳」と叫びながら突進していった、と。父はそれを否定的に言っていたのではなく、今思い起こせば、戦友たちは勇敢に戦ったと表現するために「天皇陛下万歳」という言葉を持ち出して話を聞かせてくれたのだと思う。

   もう少し詳細に父が話してくれたことを述べる。父が所属したのは歩兵第八十三連隊第六中隊。フランス軍との戦闘で、カンボジアとの国境の町、ロクニンに転戦。昭和20年8月15日、敗戦の報をこの地で聞くことになる。終戦処理の占領軍はイギリスが任に当たり、父の部隊はサイゴンで捕虜となる。このころから部隊を逃亡する兵士が続出。その数は600人とも言われている。多くは、ベトナムの解放をスローガンに掲げる現地のゲリラ組織に加わり、再植民地化をもくろむフランス軍との戦いに加わった。中にはベトナム独立同盟(ベトミン)の解放軍の中核として作戦を指揮する元日本兵たちもいた。父はゲリラ組織には加わらなかったが、ベトナム解放戦線に加わりその後再び捕虜となった元同僚の兵士から聞いた話として、はやりフランス軍に突進するときには「天皇陛下万歳」と声を上げていた、と。

   当時日本軍兵士は死を覚悟で敵に対峙するときに、このフレーズを使ったのだろう。戦場の叫びだ。安倍総理はこうした事実を理解しているのだろうか。私は戦争体験者である父から聴いて知っていたので違和感が残った。ご存命の元兵士の方々は今回の万歳三唱を視聴してどのような思いだっただろうか。

⇒23日(水)夜・金沢の天気     くもり

☆衝突映像、公開のタイミング

☆衝突映像、公開のタイミング

   ビデオの3分29秒で「ガシャーン」という衝突音が響く。映像は今月7日、能登半島沖の350㌔の日本の排他的経済水域(EEZ)で、水産庁の取締船「おおくに」と北朝鮮の漁船が衝突したときの動画だ。18日夜、水産庁がホームページで公開した。

   動画(12分54秒)は「退去警告に従わないため、撮影を開始する」とコメントが入り、撮影が始まっている。漁船の船体には北朝鮮の国旗が描かれ、漁の網を引き揚げている様子が映る。違法操業と確認できたため、取締船が漁船に向けて放水を開始する。EEZから退去するよう警告アナウンスを何度も伝える。放水するため取締船が漁船に併走している。「石を投げる様子ないか」と取締船は漁船の様子を確認しながら並走を続ける。すると、漁船が左に方向を変えて急接近、漁船の左の側面が取締船の船首に衝突する「ガシャーン」という音が響く。同時に「ガイセンが本船とぶつかった」と撮影者の声が入っている。ガイセンは「該船」のこと、取り締まる対象の船のことを指す。

   ビデオでは、衝突の後、漁船が取締船を追い越すように離れていく様子が映っている。しばらくして、漁船が傾き始め沈没する。海に飛び込み脱出する乗組員の様子が生々しく映っている。取締船は救助ボートを出し、救命いかだを現場に投げて救助に当たる。ビデオの12分00秒には、別の北朝鮮の船が来て、救助された船員たちが次々と乗り移っていく様子が映っている。「救命いかだからNK公船に全員が乗り移った模様」「救命いかだからNK公船が離れていく」のコメントを最後に映像は終了する。

   北朝鮮外務省の報道官は12日の声明で、「日本側が故意に衝突した犯罪的な行為だ」と指摘、日本に対し漁船沈没の損害賠償を強く求めた。漁船が急旋回したため衝突したとの日本の主張に対して、声明では通常の航行状態だったと反論し、「日本は意図的な行為を正当化しようとしている」とも非難した。

   北朝鮮が声明を出したとき、水産庁ははやく映像を公開し事実関係を明らかにすべきではないか、何をもたもたしているのかと不信感すら抱いた。水産庁が公表した映像を見る限り、声明にある「日本側が故意に衝突した犯罪的な行為」との指摘は論外ではあることは言うまでもない。むしろ遅れたタイミングの映像公開によって、北朝鮮の声明の論拠を崩したことにもなる。仮に、この映像が先に公開されていたらどうか。それでも、声明は「映像は捏造」と主張していたかもしれない。
(※写真は、北朝鮮の漁船が水産庁の取締船に衝突する様子=水産庁ホームページの動画より)

⇒20日(日)午後・金沢の天気    はれ